「それだけ松井選手が偉大なんだってコトだと思います。来年、もう1度挑戦出来れば望外の喜びです」
幾つかの大会新録を刻みながらも再試合には出場せず、大会最多タイとなる5号、新記録となる6号本塁打の夢は露と消えた十十。
「今回の優勝は先輩方のお陰みたいなものですから。来年は自分の力でこの聖地に舞い戻って見せますよ」
再試合を含め、6試合63イニングを1人で投げ抜いたエース・猪狩守。
2人がマスコミのインタビューに応じた際のコメントで、優勝記念に作成した野球部のDVDに残っている。いかにも万人受けしそうな優等生的模範回答は、彼らを知る者達にさぞかし苦笑失笑をもたらした事でしょうね。
センバツ以上の盛大なる観衆に迎えられ、見事に有終の美を飾っても、キャプテンである兄にはまだ重大な仕事が残っていた。
「十十と猪狩守、どちらが次期キャプテンに相応しいか?」
兄妹で野球論議をしているうち、何度かこのテーマに行き着く事があった。背中で語る孤高の天才タイプの猪狩守と、人蕩術の達人で和を以て尊しと為す十十。
総選挙を行えば十十の圧勝で終わるのかと言えば、案外そうとも言い切れない。
特待生を除けば猪狩コンツェルンが本社を置く土地柄と“次期総帥のご学友”の地位を望む保護者の意向もあって、暁大付属には系列会社や取引企業の社員を親に持つ生徒が、野球部にも相当数在籍しているからだ。
相反する2人のうち、どちらがその任に就いても批判する者は殆ど居ないでしょうけど、そうであったとしても皆に納得のいく説明が必要なのは明白で、非常にデリケートな問題となっていた。
「ぼくと契約して、野球部のキャプテンになってよ!」
「ぇ‥‥‥厭よっ」
「フゥーハハハハ、そう来ると思ったわ!ならばお望み通り先日の用紙にご署名ご捺印の上をハリー!ハリーハリー!」
「…フン、嘘に決まってるでしょう?やらせて。お膳立てヨロシク」
優勝の付録をどうするつもりなのかとドキドキしながら待っていた私に、彼は有り得ない取引を持ち掛けた。大会中には既に兄の腹は決まっていたみたいだけど――まさか空気の読めない当事者が指名を辞退して、私を推そうとしているなんて言えやしないわ。
色々不安要素が満載だけど、望んでなくもない。最後の最後で彼の姿がグラウンドに無かったのは残念だけど、十十の貢献がどれだけ大きなモノだったのかは私が1番良く理解しているつもりだし、将来的にはそうなれれば嬉しいと思う。
彼が来年プロ入り出来れば、引退するまでズッと支え続けるつもりだった。同じ大学に行けば、少なくともあと4年は一緒に居られる。素直にそう伝えれば、若しくはもう役所に提出するだけだと、その場で突き返してやれば良かったのかも知れない。
「いえぃぇ、オレなんぞには到底務まりませんゃ。妹さんの方が適任ですって」
「そうか、では澄ー…おいおい、何を言ってるんだ十?」
引退挨拶が終わり、意を決して発表した後任人事であった筈なのに。信じて大任を託した後輩は、その責務を明後日の方角へ放り投げた。
「正直ガラじゃ無いんスょ。猪狩は自分のピッチングに、俺は1打席1打席に心血を注いだ方がチームの為に尽くせると思います」
「いや、だからってなぁ…」
狼狽える兄や動揺する他の部員達のざわめきを他所に、彼は自分自身を、猪狩守を、私をキャプテンに据えた場合の功罪をその場で滔々と説き始める。
「諸君!どうか私の訴えを聞いて欲しい。暁のキャプテンとは、野球の才に最も秀でた男がなるべきなのか?…否。断じて否である。もし、そうであるべきとするならば、その座は昨年より我らがエース・猪狩守に移譲されるべきであった!…だが現実は違う。一ノ瀬キャプテンが四条キャプテンに託すに至った理由を、是非とも考えて頂きたい。そしてその決断は間違っていたのか?その答えを、諸君等は既に知っている筈なのだッ」
虚構と現実。全てを綯交ぜに、巧妙に織り込まれた彼の演説を聴き入った部員達は熱狂を以て私を迎え入れ、後を任せる諸先輩も千石監督も誰1人として反対しなかった。
「…誠心誠意、皆さんをサポートして行きます。ですから私を、また甲子園に連れて行って下さい」
『応ッ!( ゚∀゚)o彡゚ 』
一介の女子マネージャーがキャプテンになるなんて、絶対に受け入れられないものと信じて疑わなかったのに。再試合前のミーティングによって、部員達の脳裏には四条賢二の残像が色濃く焼き付けられてしまっていた。
私を代弁者に仕立て上げる事で、十十は自らの時間を割いてまでキャプテンシーを発揮する必要が無くなり、自分の意向は私を通して波風立てずに反映させられる、傀儡政権の樹立に成功したのだ。
そうする事で、試合を早く終わらせられるとの話だっだ。
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「じゃあオレは猪狩と勝負してるんで、お前さんはスカウトの人とカントクが話し始めたらー…どしたん?」
新体制以降、十十が猪狩邸に入り浸る頻度が週3~4日ペースにまで増加していて、2人っきりで会えるのは休み時間ぐらいになっていた。しかも、その時ですら部員達への育成方針?についての打ち合わせが挟まれる。
猪狩進に神社での階段ダッシュをそれとなく勧めてみたり、重度のジャパニーズアニメ中毒に陥り日本語をマスターした、筋金入りのオタク外人に玩多堂の最新情報を流したり…
彼の役に立ちたい。必要とされたい。自分からじゃなくて、奪う様に、貪る様に、私を求めて欲しい。最初は達成不能と判断して最大限譲歩したご褒美だったのに、スッカリ立場が逆転してしまった。
寂しい。淋しい。恋しい。焦燥感が募る。猜疑心が深まる。切なくて、辛い。
私は恋人同士のつもりだけど、単に利用されているだけなんじゃないかと不安になる。用が済んだら捨てられるんじゃないだろうか?そんな風に考え出すと、夜も眠れなかった。
「…何でも無いわ。いってらっしゃい」