△帝王実業5-5暁大付属△(規定により延長18回引き分け再試合)
8月21日、第79回全国高等学校野球選手権大会決勝戦。暁が標榜する“常勝無敗”を地で行く帝王実業との再戦は、球史に残る大激戦となった。
「こぉーんな綺麗でキメ細やかな肌なのにぃ、手先だけガっサガサだー…ゴメンな、いつもアリガトウ」
「…騾」謚募宛髯蝉クュ縲よ眠隕上せ繝ャ繝・ラ縺ッ1譎る俣莉・荳顔スョ縺九↑縺・→菴懊l縺セ縺帙s縲!」
「うん、日本語でおk」
まず先制したのは帝王実業。
猪狩守は自らが必要としない限り、人の意見に耳を傾けない。どれだけ名を馳せた強打者であろうと、対戦校がどんなチームカラーだろうと、自分のピッチングで勝つスタイルを頑なに崩そうとしないのだ。
本大会でもズッと1人で投げ抜いて来た実績もあるし、ピッチャーはマウンド上では暴君であるぐらいで丁度良いなんて言う人も居るけれど――平素からその状況にある人間がソレ以上になるんだから性質が悪い。
そんなエースに甲子園の魔物が試合開始早々に牙を剥き、立ち上がりから不運な当たりが連発。帝王実業は初回からビッグイニングとなる大量5得点を挙げ、暁をイキナリ絶望の淵まで追い詰めた。
多分、この時点で敗戦を覚悟したのは私だけじゃないでしょうね。
「ば、莫迦言ってないで良い加減何か羽織りなさいよ変態!風邪でも引いたらどうするのよッ」
十十から枕を引っ手繰り、ポフッと彼の顔面に叩き付けた。その際、剥き出しの上半身をチラリと見遣る。
凡百の同期生達と代わり映えしなかった彼の肉体は、私の組んだトレーニングメニューの積み重ねにより、ギリシャ彫刻を彷彿とさせる程の進化を遂げていた。
「ファッ!?」Σ(゚ д ゚ ;)
日々たゆまぬ努力の結晶。貴重な文化財にでも触れるみたいにソッと手を伸ばすと、トクン、トクンと脈打つ心臓の鼓動が掌に伝わって来る。冷たく乾いた大理石とは異なり、温かく、瑞々しく、男の人の匂いがする。
背格好や入部試験時のデータから兄と同質の、金属バットだから誤魔化せる程度の膂力しか身に付かないと思えたのに――思春期の男子高校生の、十十の第2次性徴を見縊り過ぎていた。
「体を冷やすなって言ってるのに聞かないんだもの。仕方ないじゃない」
劣勢の中、リードオフマンがしつこく粘った末に四球を選ぶと、すかさず二盗を成功させチャンスを拡大。5点のビハインドも有って二宮瑞穂にバントのサインは無く、幸運にも強烈なピッチャー返しが野選を誘って無安打のまま無死1・3塁となった。
最悪外野フライでも1点、あわよくば。絶好のチャンスを前にして打ち気に逸った七井アレフトが初球に手を出し、浅めのセンターフライに倒れた瞬間。3塁ランナーは、猛然と本塁へ突進した。
『…セーフ!』
ホームベース上で交錯した十十とキャッチャー。紙一重のクロスプレーを制したのは彼の方だったけれど、ブロックの衝撃で右肩を痛め、担架でベンチ裏へと運ばれている。
それでもこのプレーが呼び水となり、ベンチのムードは一気に“まだやれる”と云う空気に切り変わった。4番に座る猪狩守がタイムリーヒットを放ち、クリーンアップの大トリを務める三本松一がポール際ギリギリの2ランを叩き込むと、忽ち1点差にまで詰め寄ったのだ。
「ぬふぅ。お前さんがマッスルブラザーズをドッキングさせまくってくれた賜物だからなァ~…有能なマネージャー使うと色々と捗るぞ」
私達は球場を離れ、敷地内の救護室に居た。試合はまだ終わってない。反撃の狼煙を上げた切り込み隊長は、応急処置だけでグラウンドに立つのは困難であると判断が下されていた。
「…念の為に聞くけど、何か奇怪しな薬を使ったりはして無いわよね?」
関係者を大いに慌てさせたアクシデントも骨には異常が無く、打撲と診断されアイシングをしながらの様子見。
ベンチに戻ろうと思えば可能な状態であるにも関わらず、彼の中にはその選択は存在しないらしく。
「アナボリックステロイド?紅ヒゲ皇帝錠剤?無縁だね、せーぜーパワリンとお義兄さんのくれた“なんとかジョーブ博士”のサプリくれーだょ。W友情タッグ ( ゜Д ゜)ウマー」
乱打戦の様相を呈していた初回の攻防から一転、2回以降は立ち直った両雄の3塁すら踏ませぬ攻防が延々とスコアボードに刻まれて行く。
猪狩守が日本球界で数々の大記録を打ち立ててなお、猪狩世代最高峰の名投手に推される山口賢。彼がマウンドに君臨する限り、その先に準優勝盾と銀色のメダルが、グッドルーザーであった認定証の授与式が待ち受けているのは自明の理だった。
「次はインハイのストレート、振っちまったら最後にゾーン下ギリギリ一杯のカーブだな。ぁ゛ーまた引っ掛けちまったぃ」
前年のリベンジを期した大一番。本来ならナインの奮闘をベンチで見守っている筈なのに、私は何をしているのだろう?
生涯最高の舞台で途中降板を余儀なくされた高校球児の心情を慮れば、歯痒い気持ちを押し殺した虚勢と受け取れなくも無いのだが――問題なのは、十十がスラスラと論じる山口賢と猪狩守の投球パターンと打者の対応、その顛末が全て的確に言い当てられている点だった。
それでも恋人を置き去りにして戻る訳にも行かないから、と私は自分自身に都合の良い言い訳をしつつ、彼の傍らに寄り添い続けた。幸い、身体より心の傷の深さを気遣ってなのか救護室には私達2人しか居ない。
「それだけ相手の配球パターンが読めるなら、昨日のうちに幾らだって…」
「大丈夫。アイツより野球の神様?に愛されてる男なんてまず居ないょ?せーぜー長嶋英雄がタメ線レベルじゃねーの?」
松井和博と居並ぶ1大会5ホーマーの大記録達成に期待の集まっていた中での、無念のリタイア。そういう事になっていた。ベットに横たわり、私の手を握り締めながらラジオ中継だけでも聴かせて欲しいと懇願する辺りまでは、本気で心配したのに。
「ヒュー!何度観ても痺れるねぇ、同じチームじゃ無いのがめがっさ悔やまれるにょろー…(・ん・)?」
「何故?どうしてそんな他人事でいられるの?」
こうしてTV越しに試合を観ていると、六本木優希が“去年の約束を守れて良かった”と笑顔で私に言ってくれたのが思い出され、無性に腹が立った。
「ナゼナゼどうしてっても、オレん中じゃ今日の試合は終わったも同然だしぃ~~そんな顔しなさんな」
「だって…」
私の髪を撫でながらトラストミーなどと口走る十十の優しい響きの声色に誤魔化されそうになるが、ラストイニングを迎えても山口賢の牙城を崩す気配は一向に見当たらない。
「…ムリな相談だってのは百も承知なんだが、それでも聞いて欲しい」
時が来たら、必ず説明するから。その言葉に少し顔を上向けると、十十のグラスアイみたいな瞳が私を真っ直ぐ見詰めていたわ。
「絶対に“彼氏が厨二病だった、死にたい”とかスレ立てしないよーに!フリぢゃないぞ?フリじゃないからな?大事なコトだから2回…」
「しないって約束するからサッサと話して」
「ぐぬぬ‥‥‥もし破ったらお嫁に行けなくしちゃるッ」
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「明後っ…失礼。明日の再試合も、間違いなく山口賢投手の先発が予想されます。本日の試合傾向を纏めますと…」
十十の言った通り、暁は負けなかった。
9回裏、半ば思い出作りで打席に立った代打の五十嵐権三を塁上に置いた猪狩守は、最後のバッターとなる事を全身全霊で拒んだ。起死回生の同点タイムリーにより土壇場で試合を振り出しに戻すと、以降は互いに延長18回までスコアボード1面にゼロを押し並べている。
「オイ四条ー…お前の妹、大丈夫なのか?」
「ああ。内容の方は先に一通り確認したし、今回ばかりは俺のデータを凌駕してると判断したんだ。心配掛けてスマンな二宮」
「かっ、勘違いしてんじゃねーよ!メンドクセー日か何かなのかと思っただけだっ」
「そうかい。澄香だって俺達と同じくらい必死なのさ、アイツの分まで頑張って貰いたいんだよ」
天候まで言い当てた彼の予言通り再試合は翌々日に行われ、エースと帝実打線を攻略した私達は“VICTORIBUS PALMAE”と織り込まれた錦を手土産に、母校へと凱旋を果たしている。
全国高校野球選手権大会決勝戦(再試合・甲子園球場)
〇暁大付属6-2帝王実業 × (西東京代表・暁大學附属学園初優勝)
大会新記録
完全試合:猪狩守(史上初、対ワールド高校戦)
1試合最多奪三振:猪狩守(20奪三振、対ワールド高校戦)
1試合最多奪三振:山口賢(26奪三振、対暁大學附属学園戦※延長18回参考記録)
連続奪三振:猪狩守(9奪三振、対ワールド高校戦)
大会最多投球イニング:山口賢(71回/7試合)
大会最高打率:十十(.800/5試合30打数24安打)
大会最多安打:十十(24本)
大会最多塁打:十十(53塁打)
大会最多サイクル安打:十十(2回、対湯けむり高校、大東亜学園戦)