がらんがらん、と。金属筒に重りをぶつける、独特の音色。それが……火野映司の居る筈の場所と駆け戻った美樹さやかの耳に入った、響きだった。そして、そのハンドベルの打音が示す事柄は、ただ一つ。「現代に居た、詐欺師ピエロ……?」錬金術師ガラの手下である女道化師が、付近に居るという事に他ならない。案の定、その音源を辿ってみれば……ハンドベルを掻き鳴らした女ピエロの存在を確認することが出来た。加えて、そいつの様子を注意深く窺っている火野映司の姿も。更に、向かい合って視線を交差させる両者へと、多くの不安気な視線が集まっていた。その視線の主は……江戸と東京の、住人達である。あからさまに人外の匂いを漂わせている女ピエロによって、不安を煽られているのだ。「お客様に申し上げまーす」まるで楽しいキャンペーンでも始めるように陽気に笑いながら。「火野映司様、火野映司様」世界の命運を握る男の名を、軽々しく、飄々と呼んで。 「只今より、お客様の欲望を満たす……『ちゃんすたいむ』となりまーす」鐘の音を従えたピエロは、希望を提示する。「私の質問に、『いえす』か『のー』でお答えください」欲望を量る質問の形式をとって、しかし現代で映司が見たそれとは少しだけ形を変えて。「貴方だけは元の時代に戻ることが出来ます。ただし、それ以外の方は……」悪魔のように、飽く迄主人の使いという役割に忠実なままに。「この街の方たちも全員、消えて頂きまーす」……希望に伴う絶望を、その言葉によって撒き散らしたのだ。ざわめき。疑惧。悲嘆。そんな感情が、瞬く間に場を支配していく。人々の先頭に立って女道化師と向かい合っている火野映司は……振り向く気配を、見せない。背後に混乱する人々の姿を確認することさえ、しない。……そんな無茶な、と美樹さやかは思ってしまっていた。もしYESを選べば、オーズがガラを倒すという目は見えるが、江戸と東京の人達は死んでしまう。だがNOを選べば、一生映司達が江戸に居なければならない。つまり、この時代の人々と元の時代の人々の命が両天秤に乗っているのである。ある意味において等価値な両天秤だが、その両皿を支える腕は、一体どれほど頑丈でなければならないのだろう。「お客様、御決断をお願い致しまーす」「……」そして……火野映司も女ピエロも、街の人々も。誰一人として、次に起こる光景を、予想出来ていなかっただろう。……火野映司の身体が、突如として殴り倒される未来など。誰も立っていなかった筈の映司の背後に、忽然と現れた一人の女の子。その子供が腕に握った大きな銃器にて映司を殴り倒したのだ、と人々が理解出来るまで、一体何秒が経過したことだろう。「…………そんな二択は、認められないわ」美樹さやかの聞き慣れた、静かな声。初めて聞いてから二週間ほどしか経過していない筈なのに、随分昔から知っていたかのように思えてしまう。そんな電波女様の行動は……見事に、ぶち壊してくれていた。世紀の決断の瞬間を、そして、悪夢の裁断の機会を。「転校生……なにやってんのさ……」火野映司を殴り倒した人間とは。見滝原中学校への転校生にして、すまし顔の魔法少女『暁美ほむら』、その人であったのだ。もはや、世界は定められた脚本など疾うの昔に脱線してしまっているのかもしれない。だがしかし、ある意味においては暁美ほむらの乱入は、予定調和とも言えた。何故なら、この物語は魔法少女と仮面ライダーの、両方の世界の住人によって紡がれるものなのだから……『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第九十三話:二つに一つのA/二兎を追う者は二兎とも獲れ結界というものは、世界を切り取り、内部を絶対の聖域と為すことにこそ存在意義を示す。だがしかし、結界と呼ばれるモノはその存在を認知された瞬間から、必ず共通の命運を背負うものなのである。すなわち、「ここが、結界が一番薄い場所です」「よく見つけたなぁ。流石後藤ちゃんだぜ」破られるという未来が待っているのだ。形成より半日が経過した昼下がり……古代の錬金術師が施した半球状の結界もまた、そのサダメを辿ろうとしていた。現代を生きる人間達の、手によって。ノートPCにて結界の強度の係数を見せつけながら、後藤が誘導した場所。そこに、二人の人間は辿り着いて居たのだ。「そういや、ピエロ女が出なくなったのは何でなんだ?」そして、何故二人が一堂に会すことが出来たかと言えば、ピエロ女が現れなくなったためである。後藤が情報を集めて、伊達がその対処に走り回るという陣形を組んでいた二人は、既にその任から解き放たれているのだ。何故か明け方頃からピエロ女の出現頻度が減り、終いには全く目撃情報が見られなくなったのである。「どうやら、ネット上で情報が広まったみたいで、後半は俺達が邪魔をしなくても殆ど契約者は出なかったみたいです」「なるほど。元々被害者が結構居たから、情報が拡散するのも速かったか」おかげで、後藤が結界の強度の低い場所を探す余裕も出来た訳だが。「この場所をブレストキャノンの最大出力で7回ほど攻撃すれば、理論上は結界を破壊出来ます」「……悪い。今朝の鳥籠のバケモンの一件がトドメになって、ブレストキャノンはイカれちまったみたいだ」ついでにドリルとショベルも、と言い放つ伊達明の言葉を聞いて、不覚にも後藤は今まで忘れていた事象を思い出していたりする。そもそもバースのメンテナンスはどうなっているのか、と。本来ならバースの開発者である真木清人が行うべきなのだろうが、彼は後藤の手によって塀の内側へと放り込まれてしまっている。……つまり伊達明は、女ピエロ狩りに徹夜している間、一回もバースのメンテナンスを受けていないのだ。否、昨晩だけでは無い。クワガタヤミーや暁美ほむらと戦った時のダメージまで残っている筈である。むしろ、よくぞ真木博士はここまでバースを頑丈に作ったものだ、と感心するところなのかもしれない。後藤自身も、メンテナンス不要のオーズシステムが身近に存在していたために、バースが調整を要するという発想がばっさりと抜け落ちていたのだ。科学で作られたものである以上、耐久力の減耗は必至であるはずなのに。「伊達さん。これを使ってください。追加装備の『バースバスター』です」……だからこそ後藤は、躊躇わずに銀色に輝く装飾銃を手放してしまった。メンテの要素に気付かなかった自身の不甲斐無さを自覚したうえで、事態を収束させるために必要だと判断したのである。「そんなんマニュアルにあったっけか。まぁ良い。サンキュ!」もっとも、ブレストキャノンの最大威力を以てしても7発を要する結界を破るためには、それ相応の試行回数が必要なのだろうが。おそらく、一度後藤が鴻上財団へとセルメダルの補充に行かなければならないだろう。だが、どうやら伊達明が目をつけたのは……どうやら、全く別の事だったらしい。「それと……あそこに転がってる『アレ』の力、借りられねぇかな?」伊達が後藤の視線を誘導しつつ指さしたモノ。それは……ある意味では偶然ながら、必然的にその結界の付近に落ちている筈のものに、違いが無かった。「アレはCLAWs……サソリですか。確かに使えそうですね」鴻上会長がドイツの森の中で重機代わりに利用していた、とある節足動物を模した作業ユニットであった。バースの各強化部品と同じ構成要素から成る、全長2メートルを超える自立ユニットが、横転したままに放置されていたのだ。おそらく、結界によって後藤達がドイツの森から弾き出された時に、同時に跳ね飛ばされて緊急停止したのだろう。これでも後藤は、機械には自信を持っている方なのだ。一から作るならともかく、緊急停止している機械を動かすだけならば、充分に何とか出来るだけの知識は蓄えている。「あとは……江戸組次第か」その伊達明の懸念は、後藤も共有出来ていない訳では無い。だが、不思議と後藤は思っても居た。オーズと魔法少女が居るのなら、意外と何とかしてしまうのではないか、と。楽観を自覚しつつ、而して気を抜くことも無かったが。そんな人間達の力によって、物語は。錬金術師ガラの運命は。着実に、終わりへと近づいていた……一方、錬金術師と愉快な仲間たちはと言えば。「ほう! ここで暁美ほむら君が動いたか! 彼女がどんな欲望を見せてくれるのか……非常に興味深いと思わないかね!? マスター・ガラッ!!」「ふむ。悪くない余興だ。だが魔法少女の欲望など、大抵は後悔に塗れて終わるものだ」相変わらず鴻上光生がハイテンションのままに語り続け、錬金術師が滅びを告げるという人間関係が確立しつつあったりする。大量のナイト兵の消耗と引き換えに入手した『灰色』のコアメダルを部下に預けながら……ガラの発言は何処か、実体験を伴うそれであるように思わせる。そして、魔法少女について何か知っている様子のガラをよそに、空間に浮かんだ半透明なディスプレイは変化を止めずに映し出し続けていた。江戸時代に渡った仮面ライダーと魔法少女の人間模様を、これ以上に無いぐらいに、鮮明に。『そんな二択は、認められないわ』火野映司という男を俯せに押し倒し、腕を捩じりあげて動きを封じている一人の魔法少女の姿が、画面の中央には浮かび上がっていたのだ。しかも、自身の左腕のみを使って絞め技を固めつつ、右手には小さなハンドガンを構えている始末である。標的は言わずもがな、ピエロ女……ではなく、彼女の足元に転がっている火野映司の頭部だった。そういえば江戸時代にほむらさんも居ましたっけ、なんて漏らしている蝙蝠娘はともかくとして。結界の最奥の塔に存在する殆どの人間は、気付いて居た。火野映司が、その決断に次第では脳味噌をぶちまけられるという事に。流石に、中学生がそこまで残酷な事を実行できるのか、という懸念は里中秘書だけは確実に抱いているが。『ほむらちゃんも江戸に来てたんだ。とりあえずほむらちゃんの希望は、俺と一緒に未来に帰りたいって事で良いのかな?』そして、腕を捩じられて痛みを感じている筈の火野映司の口から発せられた一言は……互いの利害を調整しようとする、それだった。ある意味、映司らしいと言えるのかもしれないが、傍から見ている美樹さやかが地味に苛立っていることには気付いて居るのだろうか。『……私だけじゃない』相変わらず無表情を貫く暁美ほむらの心情を、観客たちは読み取ることが出来ていなかった。江戸の人々も、ディスプレイ越しのガラやトーリでさえも。『という事らしいんだけど、元の時代に戻る人間の条件に、『俺と一緒にこの時代に来た人』も加えて欲しい。そうしないと、答えようとした瞬間に昔の友達に会うことになりそうだし……』自らの後頭部に宛がわれている黒光りする物体の存在に、意識を向けながら。火野映司は淡々と、交渉の材料を述べていた。そのテーブルに乗っているものの一つに、己の命というチップが含まれている事を前提としているとは思えない程に、簡単に。「マスター・ガラッ! どうするかねッ!?」「愚か者め。むしろこの取引は、我に有利なものだ」暑苦しい笑顔のままに叫び声をかける鴻上会長は、既に何かを確信しているように思われる。しかし、それに対する錬金術師の返事は……勝利を勝ち誇った嘲笑であった。先程まで対等に近いゲームをしていた筈の二人の間に決定的な差が生まれたと、仮面に半分ほど覆われた表情は、述べていたのだ。……錬金術師は、気付かない。初めに鴻上光生を見物客としたときには、ゲームが『対等』に近い条件になる事さえ想定していなかったというのに、既に勝負の行方に安堵する自分自身が存在していることに。ガメルの灰色のコアメダルを強奪出来たことによって、少しばかり気を緩めてしまったという理由も、そこには在ったのだろう。「この契約は、欲望の大きさを量り、その分だけ天秤へと特殊なセルメダルを集める儀式だ。オーズと共に送られた人間達を救うという程度の量ならば、容器の残りを埋めるに丁度良い!」ひょっとすると錬金術師は、気付くという思考を拒否していたのかもしれない。既に、オーズを罠にかけるという手法以外に、世界を滅亡させる天秤の儀式が成功の目を残していないという現実を、受け入れられなかったのだ。従って、錬金術師が人間達によって譲歩を引き出されてしまったのは……必然であったに、違いない。『かしこまりました。火野映司様と共にこの時代にいらっしゃった方々も生き延びられる事としまーす』ガラの意志を伝えられた女ピエロが、言葉を紡ぐ。嘲るような笑みを絶やさないままに、主人の心境を代弁するかのように。錬金術師は人間を見下ろし、鴻上光生は不敵な笑みを崩さず、里中エリカが周囲のナイト兵への警戒を維持する姿は、何も変わらない。だがしかし、何かが変だ……そう思ってしまったのは、その場で最も新参の蝙蝠娘であった。部屋の中では無く、画面の中に不自然さを感じるのである。ざわめく江戸の人々の声を聞けば、火野映司はもう少し心を揺さぶられても良さそうなものなのに。どうも、映司らしくないと思えてしまうのだ。美樹さやかの映司評を聞いたトーリは、映司が自己犠牲男だという事を多少ながら理解できても居た。そんな映司なら、『俺はどうなっても良いから、東京の人達を未来に返して、江戸の人達は見逃して欲しい』ぐらいには言っても良さそうなものなのだが……しかし、トーリの疑問を知る由も無く、ディスプレイは場面の続きを流していて。『答えは、YESだ』『承知いたしましたー!』ありったけの譲歩を引き出した火野映司の答えは……YES以外に有り得なかったのだろう。NOを選んで江戸時代に残れば、それは現代の人々を見捨てることとなるのだから。だが、江戸の人々を見捨てるというのも映司らしくない、とトーリには思えてしまっていた。……瞬間、爆発的にセルメダルが生み出される音が、部屋の中へと反響を始めた。虚空から現れた特殊なセルメダルが、巨大フラスコの口へ我先にと飛び込んでいく。半分程度しか満たされていなかったハズの容器が、金属の擦れ合う音と共に満たされていく。そしてそれに呼応して、世界を裏返すための三枚目の円盤が、反転を遂げた。塔の窓から外へと目をやれば、そこには昨日の二枚と同じように、直径10kmを誇る巨大なメダル状に切り取られた土地が、宙に浮かび上がっていて。「ハッハッハッハ! 世界が滅ぶ!」一枚目において『新宿のビル街』と『ドイツの森』が入れ替わり、二枚目では『見滝原の街』が『江戸の一角』へと代わったように、三枚目もまた別の場所へと置き換えられようとしているのである。回転する巨大メダル状の土地に張り付いていたものは……火山とジャングル、そして巨大な竜盤類の跋扈する密林であったのだ。世界は終末へと進み、後はガラ製の疑似オーズシステムへと恐竜のメダルを埋め込んでガラの完全態を完成させるのみ。「なるほど! 三枚目は中生代かね!? 中々に愉快だったよ! マスター・ガラッ!」じゃらじゃらと音を掻き鳴らしながら、セルメダルは瞬く間にフラスコを満たす。世界を滅びへと誘う儀式の最終段階として、4枚目の巨大メダルを召喚するために。「オーズの欲望が、世界を滅ぼすのだッ!!」勝ち誇り、嗤う、錬金術師。大口を開けて、天を見上げて。もう何も恐れるものは無い、と言わんばかりに。そんな、時だった。絶えずに流れ続けるセルメダルの音に紛れて、何かが罅割れるような、繊細な音を聞いたのは。気付けば、フラスコからはセルメダルが山のように溢れ出していた。そして……罅割れた音の正体に錬金術師が気付いた時には、既に手遅れであったのだ。フラスコから溢れ出したセルメダルが周囲の天秤へとその重量による負担を加え、重みに耐え兼ねた『滅びの円盤』が、崩壊していたのである。その台座を支える腕は、中央から伸びた三本全てが断絶し、儀式の器具が負荷に耐え切れずに壊れてしまった様子を見て取る事が出来た。「バカ……な……?」映司と共に江戸へ行った人間を全て助けるという程度の欲望ならば、フラスコに過負荷をかける事は無かったはずでは無いのか。錬金術師は、自身の目算が間違っていたとは、思えなかった。そして、それ以上にガラを困惑させる情報が……ディスプレイの中には、映し出されていた。「何故、消えない!?」江戸の民が、消滅する気配を見せないのである。確かに、オーズの欲望を量るテストに巻き込まれたにも関わらず。「マスターッ! どうやら私達の勝ちのようだッ!!」何故欲望のメダルは、予想された量を遥かに超えて溢れ出たのか。何故江戸の人間達は、オーズの回答にも関わらず生きているのか。錬金術師には……分からない。・今回のNG大賞「実は、滅びの円盤は108枚目まであるぞ!(ドヤァ!)」「それをどうやって満たすつもりだったのかね!!?」そんな60分の10倍以上かかりそうな映画は嫌過ぎる。・公開プロットシリーズNo.93→ほむらと映司と女ピエロの問答の意味は……次回、解説編!