ところで、飛行能力の無い鵺ヤミー本体はいったいどうなってしまったのだろうか。その答えは単純明快、セルメダルの山となって暁美ほむらさんの四次元ポケットへと収納されているのである。その過程はといえば、暁美ほむらの時間停止からの多重狙撃コンボによってあっさりと始末されてしまったというだけの話なのだが。……そして、そんな過去のことは暁美ほむらにとって、既にキュゥべえ一体分の価値さえも無かった。何故なら、ようやく周囲の異変を把握した暁美ほむらは、その両足から崩れ落ちそうになるほどの衝撃を受けていたのだから。「まさか、そんな……っ!」袴に着物、ちょんまげに刀。日本古来の木造建築を出入りする人々の装飾を見るだけでも、この場所が現代日本でないことは明白過ぎていて。それらの事物が織りなす事実として、暁美ほむらはあまりに簡単に解答を導き出すことが出来ていた。加えてその内容は、条理を覆すはずの魔法少女の常識さえ破り捨てるほどに奇想天外で、而して否定のしようが無いそれだったのだ。……江戸時代。そうとしか、思えなかった。暁美ほむらが観測した二度目の土地反転現象によって、都市の一角が転移した場所は……『場所』という括りを破壊して『時代』を超えてしまったらしい。そして、その視点人物が暁美ほむらであったからこその懸念事項が、その思考を犯していた。「これは……巻き戻せるの?」今までに数えるのも億劫なほどに傾けてきた円盾に目を落とし、不安を募らせる。その盾の能力によってこの状況を『無かった事』にすることが可能かどうか、について。一応の現状確認として、盾の中に蓄積された時の砂は一定の速度で流れ続けているようだが、これが全て落ち切った時に発生する制約に関して、ほむらは予測に困ってしまったのだ。外的要因による時間移動に巻き込まれた場合に、その時間的断裂点をほむらの能力によって超えられるのかという問題も存在しているものの、その件に関しては棚上げにしておくしかないという結論に達するわけだが。……ほむらの懸念は、別のところにも存在している。まず前提として、時間遡行者として幾度となく駆回って来たほむらは、ある一つの時間移動SFのお約束からは無縁の存在であった。だがしかし、そのお約束が、現在のほむらの目下の懸念として頭をもたげたのである。その大問題の名前は……『タイムパラドックス』という。そもそも、暁美ほむらがタイムパラドックスと無縁の生活を送って来られたのは、彼女による巻き戻しが脳内情報の持越しという限定的な事象に留まっていたからである。そこには一切の矛盾は生じず、従ってその言葉が意識されることも無かった。ところが、現在ほむらが巻き込まれている時間移動は、肉体ごとなどというレベルでは無く街並みごとの大規模なものなのだ。ほむらが現在立っている時代が200年以上も過去のものだとするならば、既にどうしようも無いレベルにおいての時間改変が行われていると言えるだろう。そして、暁美ほむらが時間を巻き戻すことが出来る『主観的な一か月』は、彼女が江戸時代という時間的な隔たりを持った時代において為した行動にまで影響を及ぼすことが出来るのだろうか。例えほむらの巻き戻しによって彼女自身が21世紀へと帰ることが出来たとしても、最悪の可能性としては、歴史が変わってしまって鹿目まどかが生まれていないなんて事にもなりかねない。ほむら自身も杞憂だと思いたい部分があるのだろうが、バタフライエフェクトというもう一つの『ベタ』の怖さを知っている人間だからこその恐怖というものも、存在するのだ。構わずに元の時代に戻るための手掛かりを探すべきか。それとも自身の魔法を信じて次の一月に賭けるべきか。果たして、暁美ほむらが下した結論は……『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第八十四話:将軍は日本語でジェネラル、英語でSHO-GUN「映司、さん……」そう呟くことしか出来なかった蝙蝠のヤミーであったが、驚きに身をひたすのも毎度のことなので、思考の復帰速度も鍛えられているらしい。 トーリの身を助けてくれた映司の姿を視界に収めながら、その思考はようやく平常通りに回り始めていた。そんな中、トーリが判別しなければならないと考えついたのは……映司の認識している情報とそうでない情報を判別する作業であった。つまり、映司がどういうつもりでトーリと杏子を襲い、どういうつもりで先程トーリを助けたのかといった疑問を解消することである。 トーリとしては、自身が処分される理由には心当たりがあるものの、一緒に居た杏子までもがその対象になるのは不自然だという思考は捨てることが出来なかったのだ。而して、一度紫のオーズより与えられた恐怖心を簡単に払拭することも、容易には出来そうに無い。その時の事を思い出せば、それだけで背筋が寒くなってくる始末である。「……?」映司がトーリに近づこうと歩み寄ろうとした瞬間に踏み出された、トーリが後ずさる足音。そして、本能へ刻まれた恐怖からの反射的行動であったそれを、他人の機微に敏感な火野映司という男が見逃すはずも無かった。もっとも、トーリの抱く恐怖心の存在にまでは認知が及んでも、その原因にまでは辿り着けていないのだろうが。……そんな希望的観測を胸に抱きながら、やはり猜疑心を捨てきれないヤミーが迷っている間にも、周囲が都合よく待ってくれることなどある筈も無く。「てめぇら、やっぱり人間じゃねぇなっ!」「気味悪ぃ羽生やしやがって!」せっかく映司が宥めた人々が、再び喧嘩を始めたのである。しかも、トーリを火種として。「いや、それは……」どうやら映司も擁護に困っているらしく、説得に切れを欠いているようにトーリには思えた。だがしかし、映司が困っているということはつまり、二つ以上の選択肢を映司が持っていることも意味している。それはつまり、トーリを切り捨てれば場を収められるが、映司はそれを実行したくない……という事なのだろう。もっと言えば、トーリを捨てるという即断に至らない事から、十中八九トーリの正体は映司にはバレていない筈だ。トーリがようやくポジティブな思考に至った……そんな、時だった。「やめないか! お前たち!」ひとたびに江戸の人々の喧噪を控えさせる、厳かな一括を耳にしたのは。まるで世界がこの男のためにあるのではないかとさえ錯覚させるほどの、影響力。まさに鶴の一声と呼ぶにふさわしい威厳を以てして、その男は瞬く間に民衆を鎮めたのである。そして、まるで古代埃国の指導者のようにヒトの海を割りながら、ようやく火野映司一行の視界へと姿を現したその男は……「この者たちは化け物ではない」腰と頭にそれぞれ特徴的な『一本』をこしらえ、白い羽織と鼠色の袴はやはり日本国に伝わる由緒正しい装飾で。――侍。誰よりもそう呼ばれるにふさわしい出で立ちの男が、21世紀の人間たちへと助けの船を出そうとしていたのである。「その男は先程の化生が続けざまに炎を吐いた際に、近くの人々と化生を結ぶ線の上へと迷わず踏み込んだ。……我々の敵であるはずが無い」結局映司がピンピンしているところを見るに、その射線を炎弾は通らなかったらしい。というか、そこを通る筈だった炎弾が、全てさやかに直撃したというのが正解なのだが。実際に身を呈して炎弾を塞き止めた本人に対する言及が無いのは……さやかが天然でそれを為したという辺りが見抜かれているせいかもしれない。どうやらこの御侍さんは、人を見る目が非常に優れているようだ。「剣の扱いも、明らかに我々と源流を同じくするものだ。異国の者にしても、我らと近しいことに変わりはない」加えて自信満々に言い放つお侍さんの言葉を耳にすれば、江戸の町人たちがそれを論破できるはずもなかった。この国において侍以上に剣技に詳しい人間など居ないのだから、当然である。だが、そんな事情を抜きにしても、町人たちは納得していたのかもしれない。なんというか、『この男が言うならそうなんだろう』という人望が、町人たちの安堵の表情から窺えるのだ。先程まで映司たちに接していた岡っ引きも人望が無いわけでは無いのだろうが、やはり役者が違うというべきか。散っていく町人たちの背中を見送りつつ、一行はようやく一息吐くことができたのだった。いつの間にか未来の砂糖菓子を分け与えて、江戸の子供たちの人気者になっている駿少年のたくましさを、眺めながら……そしてその頃、同じく土地反転現象へと巻き込まれたアンクはといえば……一人の女子中学生に絡まれていたりする。江戸の町並みが見えるという異常な状況も、棚上げにするより無いらしい。平均的な中学生の身体能力にさえ劣る鹿目まどかの腕力で出来る事は無いので、アンクは相手に付き合わざるを得ないのである。そして、その相手は、「やぁ、はじめましてかな? 腕怪人アンク」「ハッ……今日は千客万来だなァ。望んでもないってのに」いきなり、アンクを名指しで同定したのだ。先程の真木博士の一件もそうだったが、実はこれは挨拶としては簡潔で良いのかもしれない。鹿目まどかだと思われて、相手の勘違いを主張し続けるよりは、遥かに話が早いことは間違いが無いのだから。……具体的に言えば、先日のように交番へと連れ込まれる事態が無いので安心できるというべきか。もっとも、目の前の中坊にせよ変態博士にせよ危険には違いないのだが、気の持ちようというヤツである。「で、何の用だ?」「知ってるかい? そこはまず、『お前は何者だ』って聞くのが様式美なんだよ」通りすがりの魔法少女だ、とでも答えるつもりだったのだろうか。ひょっとすると、怯えるリアクションも期待されていたのかもしれないが、生憎アンクは見た目通りのカヨワイ小さな女の子では無いのだから仕方ない。だがしかし、そう言われてみれば、アンクは目の前の女子中学生のことを何も知らないのだ。そいつを改めて観察してみると、美樹さやか達と同じ見滝原中学校の制服に、黒いショートカットの髪、特に特徴の無い顔……といった具合に、怪しいところも特に見られない。もちろん、アンクの正体を知っている時点でクロなのだが。そして、先程財団の使者と会話を交わしていたアンクは、目の前の少女が鴻上の手の内の者でないことも察している。財団の用事ならば、先程のバッタカンで纏めて伝えた方が遥かに効率的なのだから。つまり、「どうせ魔法少女だろうが。用が無いなら帰れ」「正解だけど残念! その顔で凄んでも全然怖く無いなぁ! それと、前置きぐらいさせてくれたってバチは当たらないと思うよ」私だって帰れるものなら愛するヒトが待つ場所に一刻も早く帰りたいんだけどね、と愚痴りながらも、魔法少女サマは言葉を継ぐ。名前を名乗る事さえせずに、どうせ興味が無いだろうから、と言わんばかりに。芝居がかかったイントネーションだけが唯一の特徴と言えるこの魔法少女の名は……呉キリカ。未来を知る魔法少女の相棒にして、先兵であり、共犯者。そんな物語の『裏』が、今まさにアンクへと接触を試みてきたのだ。「そもそも私達が裏方に回ってこんなに面倒臭い作業をしなくちゃならないかっていうと、全ては暁美ほむらって奴のせいなんだ」奴は力を使うことを楽しんでいる……とは続かないが。そして、暁美ほむらというのは、アンクも聞き覚えがある名前だった。確か、まどかが入院していた際に、病室へとお見舞いにやってきた無表情女のことだ。とんとん、と鹿目まどかのこめかみを軽く指で叩きながら記憶を漁ってみるも、彼女の脳内には特に目新しい情報は無いようである。「あいつが、あんなとんでもない能力を持っているせいで、私達は正面切って戦うことが出来ないのさ」「俺が使ってる身体を人質にでもすんのか?」既に長く続きそうな気配の漂う説明に、若干の倦怠感を見せつつも、アンクは一応キリカの言葉を聞いてくれているようだ。ひょっとすると、それなりにアンクの関心を引く内容だったのかもしれない。一応、人質作戦程度で破れる能力なら『とんでもない』などと呼ばれることも無いだろうとはアンクも思っているものの、一応の確認である。「逆だよ。むしろ君には、鹿目まどかを出来るだけ危険に近付けないで欲しいとさえ期待しているぐらいなんだ」「一応聞いておいてやるが、それを聞き入れて俺に何の得がある?」それを聞くのと聞かないのでは、アンクが話を聞く姿勢に差も出るというものだ。どうせ魔法少女の身体能力で追われたら逃げ切れないのだから、意味はないのだが。というか、この魔法少女の主張は先程の真木清人のものとかなり被っている部分があるのだが、これは本当にただの偶然なのだろうか?「そうだなぁ、私が腕怪人君の質問に答えるというのはどうだろう?」もちろん私たちの目的は教えないけど、と続けながら、魔法少女は飽く迄その軽い態度を崩さない。他人事のように、些事のように、どうでも良い事のように。回転舞台の上で逆向きに回り続ける独楽のように周りを気にせずに、あっけらかんと言い放つ。「なら、契約成立後は具体的に俺にどうして欲しい? 『出来るだけ』なんて不確かな約束があるか?」「いーや、それで良いよ。君が『出来るだけ』と思える範囲で良い。それで十分なのさ」……これは一体どうしたことか。相手が欲しているのは契約と呼べるほど強固なギブアンドテイクでは無さそうだが、それにしても内容が漠然としているにも程がある。なんせ、『出来るだけ』などという曖昧な語による制約など、事実上存在しないも同然なのだから。だがしかし、いかんせんアンクには、目の前の魔法少女の意図を推し測る術が無かった。あとは、目の前の魔法少女が、『アンクに特定の情報を吹き込むこと』自体を目的としている可能性ぐらいだろうか。「じゃぁ聞くが、あのキュゥべえってのは、一体いつの時代から人間と共に居る?」「ちょうど人間という種が確立した辺りかららしいよ。というか、そんなことで良いのかい? もっと何か聞くべきことが有るんじゃないの?」「充分だ」……案の定、アンクのその質問は魔法少女にとって予想外の代物であったらしく、念を押されてしまった辺り、分かり易過ぎた。おそらく、直前まで噂の渦中だった暁美ほむらの『とんでもない能力』とやらについて質問して欲しかったのだろう。だがしかし、その先にあるものに対する確信が無くても、相手の思い通りには動いてやらないという小さな意地の悪さが、アンクの思考に顔をのぞかせたのだ。「あと、最後に個人的に一つ聞いておきたい」「……まだあんのか」最後というからには、それが終わればこの詰問から解放される訳だが、一体この問答に何の意味があったというのだろうか。しかし、不思議とアンクは、その言葉に耳を傾けてしまって居た。何故かといえば、アンク自身も明確に理由としては説明することは出来ない。それでも、なんとなく、魔法少女の言葉を覆っていた薄寒さが和らいで、その中身が漏れ出しているような気がしてしまって。「私達は、例え愛する人が魔女になろうがグリードになろうが、共に生を過ごしたいと願っている。君には……そう思ってくれる人が居ると思うかい?」何を言い出すんだこのガキは。そう思わずには、居られなかった。そもそも、前提からしてズレているというのに。アンクは、それを先程再認識させられたばかりなのだから。――「死ぬ」のではなく「消える」のではないですか?「随分とつまらない質問だなァ。そもそもグリードには『生』なんて無い……ただのメダルの塊だ」魔法少女の質問を受けた時……アンクは、脳裏に二つの声を聞いた気がした。アンクを呼び捨てにする馴れ馴れしい男の声と、アンクを小動物扱いする保護者気取りのガキの声を。そいつらがアンクに呼びかける声が、聞こえた気がしてしまって。言いようの無い不快感と共に吐き散らした回答を受け取る筈の魔法少女は、いつの間にかその姿も見当たらない。代わりにアンクの借りている小さな耳へと飛び込んできたのは、遠くに響く野次の応酬で。アンクがいつも以上に自身の存在を脆く感じてしまったのも……きっと、鹿目まどかがあまりに小さすぎるせいに違いない。不安も悲しみも怒りも息苦しさも、弱い身体なんて間借りしているせいで引き起こされるのだ。「それでも、無いよりはマシだなァ……」アンクがぽつりと吐き出した、一言。それは、やはり遠くの喧騒の中へと消えて行った。・今回のNG大賞「その男の剣の扱いは、明らかに我々と源流を同じくするものだ」「だって東映ですもん」そもそも東映は時代劇を作っている会社である。特撮によく見られる『上座の取り合い』の動きは、もともと時代劇のために某伝統芸能の動きをアレンジしたものだったとか。・公開プロットシリーズNo.84→作者、実は結構キリカが好きかもしれん。