俗に、転生トラックと呼ばれる代物がある。物語の進行に著しい利便性を付与するための舞台装置にして、一部に熱狂的な信奉者を抱える有りがちな展開の一つ……それが、転生トラックと呼ばれるモノなのだ。カザリは、ネカフェという場所を最大限に活用することによって現代知識を得た際、そんな言葉にも巡りあう事があった。果たして、魂というものを持たないグリードがトラックに撥ねられたのなら、転生できるのだろうか。……などという益体の無い事にカザリが思いを馳せた理由は、ただ一つ。「……がっ!?」自身が今現在、跳ね飛ばされて宙を舞っているからである。グリードの鈍感な聴覚にもはっきり届くほどの重音と、身体全体に走る衝撃が、意識を揺り戻してくれた。もっとも、カザリを跳ね飛ばした存在はトラックでは無いうえに、カザリ自身も死んでは居ないのだが。むしろ『そいつ』は、今この状況においては……トラックよりも遥かに厄介な相手に他ならない。まるで猫のようにしなやかな動きを以て着地姿勢を取りながら、カザリは自身に突撃してきた存在に意識を向け直していた。灰色の一本角に、超重量の胴体さえ支えてしまう力強さを見せつける脚部。上半身こそ色を失っている状態であるものの、やはりその腕力はカザリとは比べるべくも無い。カザリを睨むことも忘れてそいつに視線を送るメズールの様子から察するに、メズール自身もそいつの存在が予想外だったらしい。そんな『彼』がこの場所に現れたことには、必然性など一欠けらも存在しなかった。白い珍獣や黒い魔法少女の導きも無く、メズールの匂いを追ってきた訳でも無ければ、カザリの暴虐を予知していたなどという事も無い。ただ、巨大メダルという怪異に興味を引かれてその場を訪れた、それだけの事なのだ。だがしかし、それでも彼がメズールの危機に駆け付けることが出来たのは、「めずうる、を、いじめる、な!!」ひょっとすると、『愛』という超常現象の為せる、必然だったのかもしれない……『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第七十七話:未決断チルドレン若葉 駿。それが、映司が助けた男の子の名前なのだという。結局、謎の巨人の情報を集めると言って財団へ戻って行った後藤と伊達を待つことになった映司たちは……案の定というべきか、多国籍料理店クスクシエを溜まり場として選んでいたのである。その屋根裏部屋に巴マミの死体が存在しないことに驚いている美樹さやかをよそに、映司は駿少年が負った傷の手当てを行っていたのだ。とは言え、巨人から特に大きな外傷を受けた訳でも無く、少年が負った傷は転んだ程度のものばかりだったが。「駿君は、どうしてあそこに居たの?」映司としては、あの森の中に居た人間に対して、疑問に思う所が無いわけでは無いのだ。そもそも、新宿のビル街を根元から反転させるという意味不明な所業によって出現した森林に、人間が存在していること自体が不自然なのだから。「お母さんが、いきなりあの中に持ってかれちゃったんだ……」駿少年の話すところによると、新宿付近の空風公園と呼ばれる場所において、若葉駿の母親である若葉五月という女性が、メダルで構成された腕のようなナニカによって突然森の奥まで引きずり込まれたのだということらしい。メダルに縁の無い人間の説明であったためにやや不明瞭な説明ではあったものの、そんなところである。映司としては、気にかかる事柄が幾つか散見されるように思えていた。駿少年が大事そうに腕に抱えているバッグが女性用に見えることは、それが母親の持ち物なのだろうと納得できたのだが……映司には、確かに聞こえたのだ。――お母さん。そう、先程の巨人と相対した時に少年が、呟いたのが。その意味によっては色々と地雷を踏む危険があるため、映司としても慎重にならざるを得ないというべきか。人の心の核心を突くことに定評のある映司だが、だからこそ踏み込まない選択肢を取ることだってあるのだ。結局、何か切っ掛けを得るまでは突っ込みを控えた方が良い、という判断に落ち着くこととなるのだった。「つまり、あのデカいのをぶっ飛ばして駿のお母さんを助ければハッピーエンドってことか!」……と思ったら、横から話を聞いていたらしい美樹さやかが、土足で踏み込んできた件について。おそらく、空気が読めるか否かというよりも、森の中での駿の呟きが聞こえていなかったからなのだろう。おそらく。決してさやかが、雰囲気を読み切ったうえでぶち壊しに来るような頭脳プレーが出来る子ではないことぐらい、映司には分かり切っていた。いっそ美しいまでの、信頼の賜物である。きっとその信頼の価値は、ラウズカードの中の『スタッブ』の重要性にさえ匹敵するだろう。「……そう、だよね」俯いたまま声を絞り出した駿少年の様子に……さやかは、どうやら気付いていないらしい。もちろん、映司とてそこで怒り始めるような人物ではないものの、地雷畑の被害拡大を防ぐ方向へと話を進めようとは考え始めていた。映司は、地雷原でホッピングのスイッチを入れている人間を目にした時に、サゴーゾの地均しで地雷を丸々起爆させてやるようなサディスティックな人間では無いのだ。だがしかし、映司がのんびりしていれば、美樹さやかがまた地雷を踏みに行く危険は否めない。それならば、どうするか?「駿君。まず言っておくよ。もし駿君のお母さんが無事なら、俺は駿君のお母さんを助けたい」地雷の場所に当たりを付けて、地面を掘り返せば良いのである。もちろん、その行為によって自身が傷つく危険など顧みないのが、火野映司という男なのだ。そのうえで映司は……地雷原に足を踏み入れた。「だから、あの公園で駿君が何を見たのか……詳しく話してくれないかな?」地雷の存在にすら気づいていないさやかが跳ね回るよりは、ある程度地雷の位置に目星のついている映司が探査を行った方がリスクは少ないと踏んだからである。そして、映司の言葉の意図を理解しかねているさやかを余所に駿少年が息を詰まらせたのを、映司が見逃す筈も無かった。「あの怪物は……僕のお母さんだったんだ」駿少年が言うには、映司たちを襲った丈3メートルほどの巨人は、駿少年の母親である若葉五月だったらしい。映司としては、巨人の顔は半分以上が仮面に隠されていて窺う事が出来なかったのだが……長く共に過ごした家族だからこそ駿少年には通じるものもあるのだろう。話を聞くところによると、来月に訪れる駿少年の誕生日に関して、少年が母親に対してとある頼みごとをしたことが事の発端であったのだそうだ。駿少年は、普段共に居る時間の少ない母親に対して、誕生日のその日だけは一緒に過ごして欲しいと願ったのだ。ところが、母親である五月はその返答に詰まってしまい、そのことに堪り兼ねた駿少年との追いかけっこが始まってしまったのだという。大人の足で本気で走れば10歳程度の駿少年に追い付けない筈は無いのだが、おそらく母親も、追い付いた後にかける言葉を思いつけなかったのだろう。そしてそんな状況の中で、街が浮き上がるという怪現象を目の当たりにして唖然としていたところで、母親が森の奥へと引き込まれ、再び駿少年が彼女を発見した時には巨人の姿になっていたという事らしい。「お母さん、僕のこと、消えろって……」おそらく、メダル絡みの怪現象によるパニックに、母親からの辛辣な一言が重なってどん底だという事なのだろう。映司としては、駿少年の母親に近い事例としてまず連想した存在が……アンクと泉刑事であった。泉信吾の姿を借りたアンクが、泉信吾の元同僚や知人に会えば、おそらく現在の駿少年に似た反応を示してくれるはずである。映司たちの遭遇した巨人がメダルを求めていた辺りも、この予想の確からしさが窺えるというものだ。……しかしまた映司は、人間から人間への愛情というものが無条件に想定されるべきでないことも、心に留めていた。その場に居ない人間の思考を想定しても、それがとんだ見当違いである場合もあるのだから。そして、ここでただ母子間の愛の何たるかを説教するのは不可能では無かったが、映司としては長期的な思考を少しだけ行っても居た。「駿君は、お母さんのこと、好き?」だからこそ映司は、問いかける。駿少年の心へと。そして、答えあぐねている少年の様子を覗いつつ、映司は思う。流石にここで『後悔したくなかったら手を伸ばせ』と言い放ってしまうのは、少し厳しいのではないか、と。「……」「今は答えられなくても良いよ。駿君の答えがどっちでも、お母さんは絶対に助け出す」従って、映司の言い放った言葉が誰かへの命令であることなど、有り得なかった。もちろん、映司は普段から、誰かへの命令を頻繁に下すような人間では無いのだが。「……そうしないと『俺が』後悔するから、さ」……結局のところ、火野映司という男の行動理念は、変わらないのだ。誰に命令するでもなく、自身の生き方に相手が共感してくれれば良いと思いつつも、そのやり方を見せるに留める。そのいつもの火野映司のスタンスを貫いたというだけの話だった。ただしグリードやヤミーを倒してしまう辺りに、映司の手が届くものの限界が表れても居るのだが、それはさておき。「でも、あんた今変身できないよね? どうすんのよ?」「俺に出来る事をその場で判断するぐらいかな」……もしさやかが映司に対して『足手纏いだから来るな』と言ったとして、この男は退くだろうか。答えが分かり切り過ぎていて、いくらさやかでも、聞く気も起きなかった。だがしかし、だからこそ胸に支えた違和感とでも呼ぶべき何かが、燻っているのだ。何かがおかしい、何かが釈然としない、と。まさか、火野映司の死でも予感しているというのだろうか?確かにこの男はいつ死んでも不思議では無いような事件に首を突っ込み続けているが、それでも尚生き残っている。それならば、今回も生き残る可能性だって、大きいはずだ。さやかがそんな思考の袋小路に突き当たった……そんな時だった。「火野! あれの正体が分かったぞ!」鴻上会長の残した調査団の記録を引っさげた伊達明が、「やはりそういう事か!」と言わんばかりの顔でクスクシエへと駆け込んで来たのは。先程伊達と共に鴻上財団へと足を運んだ後藤の姿が見当たらないようだが、おそらく引き続き資料集めに精を出しているのだろう。そして、伊達の持ち込んだ情報は……一同を驚愕させるに十分すぎるもので。周囲に白石千世子店長が聞いていないかと、火野映司が周囲を見回してしまったほどである。幸いにして昼食時ということもあってそれなりに店内に客が入っていたために、アルバイターの比奈ちゃん共々、映司たちの会話に割り込む余裕は無かったようだが。かくして、面々は知ることとなる。800年前にメダルを作った錬金術師の中の一人に、『ガラ』という名の特に優秀な女性が居た事を。そして、ドイツのとある州において鴻上会長がその墓を暴き、結果として錬金術師ガラが復活してしまったことも。巨大なメダルの体をとって回転した土地はが、そっくりそのままドイツの森と入れ替わっている事に加えて……その鴻上会長もガラによって連れ去られてしまったのだという、割とどうでも良い事件まで。「……錬金術師の事はともかく、その鴻上って人は完璧に自業自得じゃん?」「まぁ、鴻上さんってそういう人でしょ」「だな。あの会長なら仕方ない」そして、珍しく常識的な反応を示したさやかに対して、返ってきた言葉は……微妙に会話としての噛み合いを外れていたりして。というか、美樹さやかとしては、その鴻上会長という人間が一体どういう人物なのかと若干気にならないでも無い。故人の墓を暴いた挙句にあんな怪物を復活させたのなら、もう少し責められても良さそうなものなのに。「そうじゃないわよ! あたしが言いたいのは、そんな奴助けて何になるんだってこと!」火野映司や伊達明が、鴻上会長の救出に関して、特に何かを明言したわけでは無かった。ただ、今後の行動指針を決めるための情報の中に、自然に鴻上会長が拉致されたというモノが加えられている時点で、さやかとて理解が及ばない筈も無い。「手を伸ばさなかったら俺が後悔するから……っていう理由じゃ、ダメかな?」「俺は、一応クライアントが居なくなると困るんでな」さやかの言葉の意図を解しているのか、映司が提示してくれた答えは……常時この男が口にしているセリフそのもので。しかし、それを受けたさやかは……上手い反論を思いつくことが、出来ずに居た。まぁ、伊達の方の理由は正直に言ってどうでも良いが。何となく、その会長を助けるのが間違いだと主張する思考が頭の何処かで蜷局を巻いている……ような。そんな何とも言えぬ感覚とは裏腹に、『火野映司が後悔しないために』と言われてしまうと、その行動を禁止する程の悪行が会長によって為されているという訳でも無いと思えてしまうのだ。例え鴻上会長がガラの墓を暴くことで彼女が復活することを知っていたとして、こんなデタラメな事態を予見しろなどとは言えないのだから。「うーん……まぁ、良っか」何かが、釈然としない。そんな思いを抱きつつ……結局さやかは、映司たちと共に行動を続けることとなるのだった。自身の内側も未来も、見通せないままに…………そして、今回の騒動に関して最も遅くに現場に辿り着いた人物は、ようやく半球状の結界の前に立つこととなっていた。佐倉杏子のように便利な蝙蝠女を従えている訳でも無く、ライダー達のようにバイクが使える訳でも無い、微妙に不便な女が。「……」言わずもがな、暁美ほむらさんである。巨大メダルの異変から情報を得ようと駆け付けたものの、時間停止を駆使してまで最速で現場を訪れるだけの期待を抱いていた訳でも無く、結果として結界が完成した後になって漸く到着したという訳だ。ただ、到着したと言っても、情報収集はそう簡単にはいかないようである。なぜなら、暁美ほむらの視界の中央には……直径10kmにも及ぶ巨大な封鎖空間が立ちはだかっていたのだから。一見魔女の結界のようにも思えたが、魔女の結界というものは、一般人からは視認されないはずなのである。つまり、一般人からの視線を一手に集めているこの異変は、魔女によるものでは無いという事だ。……だとすれば、メダル絡みだろうか?というか、幾度も同じ時間を廻り続けている暁美ほむらが知らない事件なのだから、メダル絡みの線は限りなく濃厚なのだが。さらに、半透明な結界の奥に鬱蒼とした森林が広がっているのも、非常に気になるところではある。魔女の結界の中には常軌を逸したオブジェクトが散らばっているのが常であるはずだが、結界越しに様相が窺える森地は、どうも魔女のものと比べれば常識的過ぎるように思えるのだ。もちろん、新宿のビル街の真っ只中に森林が出現している事態は常識的とは言えないが、魔女の結界内部程の強烈な精神病的インスピレーションを、暁美ほむらは感じ取ることが出来なかった。ことこの局面において、暁美ほむらが取れる選択肢は、大まかに言えば二つである。一つ目は、結界内部への侵入を諦めて鹿目まどかの捜索へ戻ることだ。この方針のメリットは、単純に鹿目まどかの身の安全を確認できる可能性が上がるという事である。逆にデメリットは、この結界内部に眠っているかもしれない情報を取り逃すことだろうか。一方、結界内部へと突入する場合は、メリットとデメリットが逆転する……だけには、留まらなかったりする。まず結界の破壊にはそれなりの攻撃力が必要であり、対巨大魔女用の兵器を使うか、時間停止からの同時攻撃が必要だが、どの道戦力的な消耗は少なくない筈だ。しかも暁美ほむらは、自身の弱点を嫌という程知り尽くしているために、それが晒される可能性も恐れていた。この時間停止という能力は、それだけに目を向ければ非常に強力なものではあるが、発動までに1秒前後のタイムラグが発生するものなのである。加えて、ほむら自身の危険察知能力や回避能力が大して高くも無い事を考慮に入れれば、自ずとその弱点を自覚することも出来た。……簡単に言えば、暁美ほむらという魔法少女は『不意打ち』に弱いのである。反射神経に優れた佐倉杏子や回復能力を持った美樹さやかならば対処できる筈の不意打ちでも、暁美ほむらには致命傷となりかねない。特に、障害物の多い森の中を探索など実行しようものならば、槍一本が飛んできただけで詰む可能性さえあるのだ。一撃目で地面に縫い付けられてしまえば、時間停止も使えなくなるのだから。大好きな先輩からの、『みんな死ぬしかないじゃない!』という貴重なお説教から学んだ、有難い教訓の賜物である。一通り現状を確認したところで、暁美ほむらは岐路に立って直っていた。突入すべきか、引き返すべきか。要は、この結界の内部に眠る『かもしれない』情報に、どの程度の価値を見積もるかという問題でもあった。……そこで活きて来るのが、何といっても人間関係である。鴻上ファウンデーションという巨大企業ならば、この異常事態に関する情報を持っていても不思議では無い。もっとも、情報どころか鴻上会長自身がこの事態の原因だったりするのだが、そんなことは暁美ほむらが知る由も無い。という訳で、結局後藤慎太郎へと連絡をつけようという方針へと思い至るのであった。伊達明のことも嫌っている訳では無いものの、濡れ衣を着せてしまった負い目から、どうにも話しかけ辛いのである。そう思った、矢先だった。誰かが転生トラックにでも撥ねられるような、汚い響きを耳にしたのは。暁美ほむらの立ち位置からそう遠くない、おそらく結界の外周付近から伝わったその衝撃は、ほむらの気を引くには充分すぎたのだ。その先に待ち受けているものが何であるかも、知らずに……運命は、反転を続けるメダルのようなものである。弾かれて宙を舞い、光を乱反射しながら輝きを振り撒く存在。そして最後は、例外なく地に落ちる……はずだ。暁美ほむらの軌跡は、よもすれば、両面とも裏のメダルを地に落とさずに延々と指で弾き続ける行為にも似ているのかもしれない。ならば、どうすれば良いか?答えは……未だ、提示されない。・今回のNG大賞「そういえば、何か足りないような?」「何の事だかさっぱり分からんが……」「気のせいでしょ」「さっきまで『後藤さん』って呼ばれてた人が居ないことじゃないんですか……?」※後藤さんは空気になったのではなく、そもそもクスクシエに来ませんでした。・公開プロットシリーズNo.77→駿君を書くのが予想外に難しい。