蝙蝠女を駆って佐倉杏子が足を踏み入れた場所は……戦場となった、公園だった。もっとも、その場所には公園の面影など、セルメダル一枚ほども残されては居なかったが。従って、拉げた鉄管が公園の柵であったことなど、元の風景を知る人間でなければ分かるはずも無い。円環状に抉れた獣道に囲まれたその土地は、オロチでも発生したのかと疑わせるほどに壊滅的な被害を受けていたのだ。世間にはガス爆発が起こったとされているらしいその場所には、事件から丸一日が経過した現在でも尚、人間は寄り付いては居なかった。警察でさえも、メダル関連の事件に手を出してはいけない事を事前に鴻上財団から通達されているために、殆ど足を踏み入れない始末である。「手掛かりは……」「……あれ?」そして、トーリは地面に散らばっているはずのセルメダルが無いことに首を傾げていたりする。空間斬撃であるオーズバッシュを20回は使える分のセルメダルを渡したのだから、その後すぐに戦場を変えたにしても、暴走グリードから零れ落ちた分が落ちていても良さそうなものである。まさか、為す術も無くオーズが倒されてしまったなどとは、思いたくないところだ。ただ、臨機応変なメダル換装というオーズの長所を殺してしまったトーリとしては、若干嫌な予感はしないでも無い。「それで、どうやって『黒い魔法少女』さんを探すんですか?」「マミの奴の魔力の波長を探知する。要は、魔女探しと一緒さ」その手に真赤なソウルジェムを見せながら、何処か面倒くさそうに、佐倉杏子は答えてくれた。どうやら、杏子はマミの魔力の波長を覚えていたらしい。そして、何処からともなく取り出したアイスバーを舐めている杏子が一体どうやってそれを保管していたのか、若干気になっているトーリ。腕怪人が復活した時にその情報を教えてやれば、グリードの復活方法を教えてくれる……とまでは、思っていないが。それはともかく、他に聞いておいた方が良さそうなことがあるので、優先順位は間違えなかった。「それって、マミさんのソウルジェムが砕かれていても探知できるんですか?」「人が思ってても言わなかったことを……」無理らしい。しかも、微妙に機嫌を損ねたような気配が漂い始めている。気を遣ってくれたのに、それをあっさり棒に振ったからだろう。アイスの保存方法を聞くのはお預けにした方が良さそうだ。「どの道、ワタシはマミさんの波長は分からないので、杏子さん頼みです」「そのぐらい把握しとけよ……」「すみません……」そう言われても、トーリはソウルジェムを持っていないので、魔力の探知など不可能なのだ。魔女の探知さえ出来ない始末で、唯一トーリが出会ったバラの魔女でさえも、偶然遭遇したという具合である。ただし、タカメダルのせいで死にそうになったという前科もあるので、あまり積極的に他人に教えようとも思っていないが。佐倉杏子も、まさか気付く筈も無かった。ソウルジェムを濁らせずに力を使える魔法少女様が、自身の目の前に居る事など。それぞれの思惑が微妙に食い違い、マミの捜索という遠回りな道へと進んでしまう。そんな、時だった。唸るエンジンの音が、飛び立とうとしていた二人の耳へと届いたのは。音源の方へと振り返ってみれば、そこに迫っていたのは二人の方へと向かってくるバイクの姿だった。「後藤さんでしたっけ。お久しぶりです」この場所が荒地でなければ確実に人身事故が起こっているであろうスピードを出しながら、当然のようにヘルメットを欠いている辺りが色々と流石過ぎた。道交法なんて無かった、というレベルの違反を当然のようにやってのける男の名は……後藤慎太郎と言った。もちろん、それは現在が緊急時だからであって、普段の後藤はヘルメットを着用しつつ制限速度も守る人間だという事を補足しておこう。そして、バイクを駆って颯爽と現れた人物に、平然と挨拶を行うトーリ。色々と突っ込みどころが有りそうな気がして仕方が無い杏子だが、ここはぐっと堪えてみた。突っ込み役に甘んじていた師匠の無念を晴らすために超五感的な感知能力に目覚めた……訳では、無いだろうが。「トーリか。いきなりだが、火野か魔法少女の誰かに連絡を取れないか?」「こちらの佐倉杏子さんなら、今すぐにでも」「何勝手に、人のプロフィール公開してんだよ……?」他に連絡がつきそうなのはさやかさんぐらいです、と事務的に補足しているトーリと、既に今後の判断を考え始めている後藤。この二人は、佐倉杏子の呟きなんぞ、聞いても居なかった……「とにかく、こっちの橋本師範を抱えて飛んでいてくれ」「了解です」「ん? アタシ何か聞き逃した? 話に付いていけねーんだけど……」別に、杏子は何も聞き逃しては居ない。他の二人が念話で密談を交わしていたわけでもなければ、橋本師範が杏子の後ろでカンペを翳していた訳でも無い。もしカンペがあったとしても、それにはおそらく『Good job』ぐらいしか書いていないだろうが。ただ単純に、後藤の指示に対して質問無しにトーリが了解しただけである。瞬く間に空中で豆粒のような大きさになってしまったトーリの行動の早さに、杏子は呆れ返った視線を送っていたりして。「あいつ、要領が良いのか悪いのか、はっきりしろよ……」「余所見するな! 『来る』ぞ!」「えっ? 来るって何が……」後藤の真面目そうな顔は、まるで、それだけで通じるのが当たり前だと言わんばかりで。理解できていない自分の方がおかしいのか、と一瞬でも疑ってしまった佐倉杏子は、実はこの場で最も常識的な人間なのかもしれない。ただ、周囲に魔女や使い魔の作り出す独特の空間が存在しないことが、彼女の警戒心を緩めていたのは間違いない。「師範ッ! 君の事を愛してイたッ!!」意味の明瞭な叫び声を上げながら飛び出してきたそいつを見た瞬間の驚愕は……アイスバーの芯を噛み砕いてしまう程度の物だったのだ。それは、アレか?嫌いじゃないわッ! 的な意味なのか?この公園にはもう、ベンチも公衆トイレも無いんだよ!?……などというノリの良い驚き方ではなく、純粋に怪物の外見と、そいつが結界無しに動き回っていることに驚愕したのだ。攻撃的な印象を与える二本の角に、身体を覆う生物的な煌めきが、そいつの不気味さを最大限に演出していたのだから。「おおお!?」だがしかし、例え驚いていたとしても、経験は身を救ってくれるものなのである。考えるよりも早く、相手よりも速く。指輪状に収まっているソウルジェムから、痴漢撃退用の針が飛び出す護身具を使うように、愛用の獲物を繰り出していたのだ。キン、という甲高い音が杏子の耳に届いた時になってようやく、杏子は警戒心を高めることが出来ていた。その音は、杏子が全く歯が立たなかった昨日の幻獣から聞いた音色と似通っていたからだ。もっとも、警戒心は最大という程までは高まらない。何故なら……「昨日の奴は、もっと重かったぜ?」腕に返ってくる反動が、ヒポグリフ戦のそれに比べて、遥かに少なかったからである。そして視覚では、杏子からカウンターの一突きを浴びせられた直後のクワガタ怪人が、別の理由による火花を身体から散らしているのを捉えている。「魔法少女なんだから、これぐらいじゃ殺られないっての」「それは、頼もしい限りだ」杏子の後ろで火薬の匂いが発せられ、振り返らずとも、後藤が火器の類を使って杏子を守ろうとしたことが窺えた。後藤が目にしてきた魔法少女の半分程度は、不意打ちを受ければあっさり死んでしまいそうだという印象を後藤に与えていたのだが……この子はそのカテゴリには含まれなかったらしい。その『半分』というのが具体的に誰と誰の事かは、後藤は口にしないが。杏子は愛用の槍を肩に担ぐように首の後ろに向かって立てかけ、その身を覆う装束は、いつの間にか深紅のそれへと変化していて。成り行きで戦うのも癪だけど、なんて前振りをかましながら、「何にしても、売られた喧嘩は買わねーと、な!」口の中に散らばった木片と一緒に、佐倉杏子は戦意を吐き散らした。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第六十二話:捻くれ女美樹さやかは、最悪だった。巴マミの静かな存在感に耐え兼ねていたところで、昨日の志筑仁美の言葉を思い出して学校へ走ったら、ちょうど最悪の光景が広がっていて。初々しい二人の姿を見ていたら、そこに割って入りたいと思っている最悪の自分が居て。でも、簡単に『巴マミのように』なってしまう自分の最悪な身体の事を思うと、愛してくれなんて言えなくて。何もかもぶち壊してやりたい最悪の衝動に駆られて、二人の姿を見ていられなかった。腹の中からどす黒い最悪の何かが噴き出しそうになっているのに、その捌け口が思いつかない。そんな、何もかもが最悪ずくめの思考は……負のスパイラルへと突入し始めていた。何だか、今まで親しく思っていた筈の誰もが、遠いように思えてくる。さやかにソウルジェムの真実を教えてくれなかった、マミさん。そのことを一緒に隠していた、トーリ。すまし顔をして、結局さやかには何も教えてくれなかった、転校生。どうでも良い時だけ空気を読むくせに、今は何処に行ったかも不明の、パンツマン。恐らく既にさやかの部屋を抜け出しているであろう、キュゥべえ。そして……志筑仁美と共に笑い合う、上条恭介。昨日の段階では、まさかこんな事になるなんて、思いもしなかった。でも、あの黒い魔法少女を恨む気持ちはあっても、不思議と復讐に行く気にもならない。それよりも、転校生やマミさんがキュゥべえを恨んだという意味が、ようやくさやかにも圧し掛かってくる。既に下校時刻を過ぎ、人も疎らになっている登校路が、えらく長いものに見えた。その数少ない人影の中にさやか達のクラス主任である早乙女和子教諭の姿を認めたさやかは、緩慢な動きで身を隠し始める。一応、無断欠席をしたという自覚は持っているためである。……そういえば、早乙女先生って、新しい彼氏が出来たんだっけ?思い出し始めると、その嬉しそうな顔がとてつもなく憎らしく思えてくるのだから、人間の嫉妬とは恐ろしいものだ。「アレは……」そんな思考を回していたさやかだからこそ、『その存在』に気付いたのだろう。さやか以上に早乙女先生を射殺さんと欲する願望を撒き散らす、一人の女子高生の姿が、目に入ったのだ。一目見て、分かった。自分と同じだ、と。誰かを恨まずには居られなくて、後悔ばかりが骨に沁み込んでいる、負け犬。今の自分は、彼女のような姿を晒しているのだ、と訳も無く納得できた。「駄目さならあたしといい勝負ぐらいだよ、ホントに」さやかには魔法少女の身体という重いハンデがあるものの、向こうは如何にもダメ人間なアラサーに恋人を奪われているようなので、意外といい勝負なのかもしれない。仁美なら兎も角として、あんなMs.ダメダメ女に負けたのでは、納得しろという方が無理だろう。大体、志筑仁美のようなお嬢様に惚れる男が居るのは分かるが、あの先生に惚れる男なんて、どれだけ人間を見る目が無いんだと思ってしまう。アレか? 怖いもの見たさって奴か?先生と結婚する男というヤツはきっと、果てなき冒険スピリッツに溢れた、生まれながらの冒険者なのだろう。きっと、目玉焼きに間違えてコーヒーをかけてしまったとしても、ちょっとした冒険だな! とか言って完食してしまうに違いない。……それはともかく、さやかはその女子高生に、勝手に共感していたのだ。だからこそ、さやかは次に見た光景に対して、踏み込むのを躊躇ってしまっていた。「憎イ……ッ!」それは、負け犬仲間の口から発せられた言葉では無くて。いつの間にか対象者の背後に忍び寄った一本角の怪人が、まさに早乙女教員へと、襲い掛かろうとしていたのだ。全身に緑色が目立ち、昆虫を思わせるそのフォルムは、ウヴァのヤミーの持つ特徴である。こそこそするのが意外に得意な辺りは……別に、ウヴァさんに似たわけではないのだろうが。もちろん、助けるべきだという思考は、さやかの頭の中で第一に働いていた。だが、助けに行こうとする第一反射とは別に、その足を地面に縫い付ける声が、さやかの心の中から響いていた。ここで早乙女先生を見捨てれば、救われる人間が居るはずだ、と。自分と同じ負け犬が一人、確実に。従って、次に繰り広げられた状況に最も面食らったのもまた、美樹さやか自身であった。「それは、ダメ……っ」負け犬仲間が、最も早乙女先生を憎んでいる筈の本人が……一本角の怪人の前に、立ちはだかったのだから。剣道用の竹刀を構えたその立ち姿からは、ヤミーを圧倒出来るほどの気迫など感じられなかったが、それでもカブトヤミーは彼女を払いのける事を躊躇っているらしい。ヤミーは基本的には作成された当初の親の欲望に従って活動するはずだが、例外という物は常に存在するのだ。特に、親にその行動を直接邪魔されれば、躊躇ってしまっても無理はない。もっとも、そんな理由など、さやかは知る由も無いが。そして、カブトヤミーが意を決して剣道少女を押し退けようとした時……さやかはようやく、動き出していた。魔法少女の健脚を活かして怪人にタックルをかまし、近くの藪の中へと押し込んだのである。不審な物音に一瞬だけ立ち止まったものの、早乙女教員は結局背後で繰り広げられた諍いに気付くことなく、帰路を辿って去って行ってしまって。正直に言ってさやかは、今まで起こった出来事に、頭の中で整理が追い付いていなかった。剣道女子高生が早乙女先生を恨んでいると感じたのが、そもそも間違っていたのだろうか?そうではない、と美樹さやかの感性は訴えていたが、他に解が見つかった訳でも無い。「ねぇ!」そして、分からなかったら……聞いてみれば良いのだ。幸いにして、ある程度のシンパシーを共有できるだろうという根拠のない確信を持てていたために、相手に対する恐怖心は皆無である。その根拠のない自信を極めれば、全く理解できていない相手に対して笑顔で近付くという昆虫グリードのような勇気を持つに至るのだろうが、流石にさやかはその域には遠く及ばない。「どうして、あの先生を庇ったの!?」相手の方が年上には違いないが、気を遣うような気力も無い。もっとも、話し相手にも多少の負け犬シンパシーが伝わっているようなので、心配には及ばないようだ。大声で話しながら、さりげなく変身も終えて、剣を抜き放つ。さやかの事を敵と見定めて襲い掛かってくるカブトヤミーの攻撃を、防ぐことに徹しながら。「あたしも似たようなもんだから、分かるんだ。あの先生のこと、恨んでるんじゃないの!?」その指摘は、色々な過程を無視して直感的に悟った情報を多分に含んでいたが……相手にそれが理解されたのは、やはり二人が同族だからなのだろう。「どうして、って言われても……」「この怪物がやることは、あたし達のせいじゃないでしょ?」すると、剣道少女は、このカブトムシの怪物が彼女自身の欲望から作られたのだということを、渋々と教えてくれた。もちろん、剣道少女はヤミーやグリードという単語は知らないのだが、その辺りの知識を持っているさやかには大体の事情が伝わって。鋭い爪による攻撃をサーベルの刀身で受けながら、ようやく事態の概要が把握できた。おそらく、恋敵の抹殺が剣道少女の欲望の内容だったのだろう。だがしかし、それだけで納得するさやかではない。「それも、コイツを作った奴が悪いんだ。恋敵を助ける理由なんて、何処にも無いよ!」もし、魔女が志筑仁美を襲っていたら。今の美樹さやかは、それを助けようと、思えるだろうか?見た目通りの硬さを誇るカブトヤミーから半ば逃げ回りつつ、さやかは剣道少女の心を、問う。「それは……」言葉に詰まっているらしい剣道少女は、どうやら答えが見つからないようだ。そして、爪を振るって襲い来るカブトヤミーに、さやかは、「どっせいっ!!」太刀筋も何もない全力のフルスイングを、叩き込んでやった。当然、その打撃は硬い装甲によって阻まれてしまうが……相手の重量が足りなかったらしく、その身体は宙に浮いて後方へと流されていく。そして、距離を空けた敵に対してさやかは……追撃を、行わなかった。一方のヤミーも、その目的はさやかを襲うことでは無いため、相手が離れたのを良い事に撤退を図る。その背中をさやかは……結局、追う事は無かったのだった。負け犬仲間への同情は、カブトヤミーと戦う動機には、ならなかったのだ。むしろ、その思いを遂げさせてやりたいと、さやかに思わせてしまって。自身の恋の行方にも整理を付けられないままに、他人の恋路に手を出してしまっていたのだ。駆け寄って来た剣道少女の視線の先にあるさやかの腕には、先程の渾身の一撃の際に受けたと思しき傷が大量の流血を伴っていて。それなのに不思議と、その傷の発する痛みは、切り口の大きさに反して小さくて。カウンターを決め切れるほどの実力差が無かったのだからそれ位は当然だ、と思ってしまっている自分に気づいてしまっていた。魔法を使って『直』したその傷は……最後まで、痛むことは無かったのだった。・今回のNG大賞「二股が罪なら、僕が背負ってやる!」「良い台詞ですわ、感動的(ry」「こんな奴に惚れてたなんて、後悔しかない……!」むしろ、こうなっていた方が話は単純だった、ような。・公開プロットシリーズ→自分の幸せを捨てても他人のために戦う、それが仮面ライダーの真の強さ、らしい。……が、子供に同じものを求めるのは酷でもある。