建物の屋上というものは、総じて電波機器を扱う際の利便性に優れた場所である。であるからして、見滝原中学の屋上において携帯電話を耳に当てているその生徒の姿は、不自然さなど一つも纏っていなかった。その生徒が自殺防止用フェンスの遥か向こう側に眺めている公園で、鷹の上半身に馬の下半身と獅子の尾を持つ巨大な化け物が轟音を放っていたとしても、生徒自身に不審な点は無い。女性としては短めとはいえ、携帯電話を使用するには多少の差支えとなる黒髪を空いている指で固定しながらも、その視線は怪物から離れない。「もしもし? 予知では、あの鳥人間に襲われて、「オーズ」は紫のメダルを使わざるを得なくなる……って話じゃなかったっけ?」『確かにそう言ったわ。でも、「無」を司る紫のメダルの周囲の未来は上手く見えないことの方が多いのよ。「無力」の魔女と同じように、ね。今、どうなっているかしら?』電話越しの相手の声は、全く動揺を見せない。そのことが、相手に絶対の信頼を寄せる女子生徒の不安を掻き消してくれた。もっとも、相手が動揺しているところなど、この女子生徒は見たことも無いが。「例の蝙蝠が、オーズの持ってたコアを大量に鳥人間に突っ込んだみたいだよ。そしたらびっくり、鳥人間が巨大化したんだ」やっぱり蝙蝠のヤミーを早めに始末しておいた方が良かったのではないか、と女子生徒は思わないでもない。これでは、せっかく遠出して拾い物をしてきた甲斐が無いというものだ。初めての異国の地に心が躍るのを抑えて、目的を遂行して速やかに返ってきたというのに。『むしろ僥倖ね。相手が強い分だけ「彼」の成長も速くなると期待しましょう。ワルプルギスの夜が来るまでにあと2週間しか無いのだから、急ぐに越したことはないわ』「疑うわけじゃないけどさ、紫のメダルを使ったオーズってのがどれだけ規格外なのか、気になって仕方ないね」女子生徒の魔力によって強化された視力は……その先で繰り広げられる激戦を、捉えていた。風見野という見滝原の隣町をたった一人で守ってきた、百人力の近接戦闘能力を誇る赤い魔法少女が、為す術もなく殺されようとしている様を。「まさかとは思うけど、ワルプルギスの夜が来る前にこの世界が終っちゃったり、ってことは無いよね?」返事は……無かった。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第五十二話:Kの誤算/切掛「でも、過度な期待は禁物よ」魔法少女たちの頼れる先輩の……その表情に余裕と呼べるものが見えないことが、佐倉杏子の油断を最小限に留めた。そして、今時珍しい電話ボックスと呼ばれる公営物を踏みつぶす音が、全てを物語っていた。「おいおい……ティロフィナーレって『必殺技』だろうが」少なくとも佐倉杏子の知る限りにおいて、『ティロ・フィナーレ』は敵を例外なく滅ぼすという意味で必殺の技であった。今日、まさにこの時までは。「えっ、アレで倒せて無いの……?」「……みたい、ね。自信無くしちゃうわ」ガラスの破片に塗れ、土埃を払いのけて姿を現すその巨体には……傷一つ、見られない。唸り声をあげ、その巨躯を一歩進めるたびに地面を震わせ。そこに『居る』というだけで、動作と言えるような行為を取らずとも発生する規格外の存在感が、全てを物語っていた。「で、でも、今のは抜き打ちだったから威力が低かったとかじゃ……」「……むしろ、美樹さんに気を引いて貰っている間に、魔力を貯めていたわよ?」馬脚から生み出される加速力が、その肉体を一撃必殺の弾丸へと昇華させる。大きさの面から言えば魔法少女たちはその腰部に相当する身長さえ持っていないので、実質的には、その攻撃は『タックル』というより『キック』の一種と呼んだ方が良いのかもしれない。人の恋路を邪魔するさやかに、天罰が下ろうとしているとでもいうのだろうか。……むしろさやかとしては、自分の恋路を邪魔されているという認識の方が強いわけだが。「ってか、コイツ何なの? あんた、馬刺に焼き鳥でも乗せて食べたわけ?」どうやら美樹さやかと佐倉杏子は、思考のレベルが大して違わないらしい。「生臭満載のおでんなんて、そんなのアタシが許さない!」散発的に銃弾を放ちながら一人で暴走体を引き付けている巴マミの演武を背中越しに聞きながら、さやかは怪我をしていた魔法少女の治療に専念する。さやか自身は初めて会う魔法少女であり、相手の名前も分からないが、どうやらマミさんの知り合いであることは間違いなさそうだ。消し炭のようになっていた四肢を元の状態に戻すのは、治癒能力をキュゥべえにもらったさやかと言えど、分単位の時間を要してしまうだろう。それでも、治癒魔法を齧った程度の巴マミや佐倉杏子と比べれば段違いの速さと魔力効率を誇っているのだから、治癒を魔法に頼るのが元来どれだけ無茶な行為であるのかが窺えるというものだ。「冗談言ってる場合じゃないぞ? マミのヤツの攻撃が通らないんじゃ、手詰まりじゃんか……」だがしかし、あの怪物を相手取るのは、治癒以上の無茶だ。正直に言って、逃げ出した方が賢明な判断だ、としか杏子には思えなかった。「うーん……この公園にいつも居るはずの奴らなら、何とかしてくれる気もするんだけど……」「公園にいつも居るって時点で不安要素満々だな……まぁ、アタシが言えた事じゃないか」怪物を引き付けている巴マミの戦いは、その行為の危険度とは裏腹に、非常に単調なものだった。マミのとっている行動は、牽制と回避のみ。魔法少女の肉体がいくら頑丈とはいっても、あの巨体から繰り出される攻撃を防御するのは流石に選択肢の内には入らない。そして、佐倉杏子を大きく超える接近戦を演じることが難しいと分かっているため、距離を取らざるを得ない。眼や嘴の中を狙ったりリボンによる拘束を試みたりと、色々策を講じてみているようだが、どれも怪物の圧倒的な攻防力を前には意味を為していない。しかも、そうしたジリ貧の戦況を維持することは出来ても、その周囲の街並みを維持することは事実上不可能であった。「そういえば、アタシは誰かがこの公園から飛ばしたテレパシーを辿って来たわけだけど、そいつは何処に行ったんだろ?」「地面に散らばってるメダルが、多分あいつらがあの化け物と戦った跡だと思う。姿が見えないのは……もう殺られちゃったわけじゃない、と思いたいけど」どうやら、その公園に住んでいる魔法少女が、念話の主だったらしい。そして、地面に散らばっている貨幣の存在は杏子も気になっては居たが、どうやら回復系の魔法少女はその正体を知っているようだ。杏子がそれを突っ込んでみたところ、あの化物はメダルで出来た魔女とは異なる謎の生命体なのだ、という眉唾モノの話を聞き出すことが出来た。「アタシの治療はもう良い、逃げるには十分だ。アンタも巴マミと一緒に、早く何処かに逃げた方が良い」世話になったな、と口にしながら何処からともなくグリーフシードを取り出した魔法少女は、それをさやかの手へ押し付ける。その身体には未だにいくつもの焦げ目が残っていたが……最低限の治療しか受け取らないところが、彼女なりの意地なのかもしれない。「逃げるって……あの怪物はどうすんのよ?」「戦いたきゃ戦え。アタシは、あの怪物とこれ以上やり合うのはゴメンだね。さっきは八つ当たりで手を出しちまっただけで、そもそもアタシは魔法は自分のためにしか使わない主義なのさ」あの怪物が魔女で無いのならば、魔力を消費して戦う理由もないというものだ。「……魔法少女って、正義の味方じゃないの?」「そういう奴も居る。でもアタシは違うよ」一瞬、何かを喉まで登らせた美樹さやかだったが……ここで押し問答をしている間に町が破壊されては本末転倒であることは理解しているらしい。結局、少しだけ火傷を残した杏子は、その背中を見送ったのだった。「あーあ……何時からアタシは、こうなっちまったんだっけなぁ……」美樹さやかの後ろ姿が遠くなった頃にぽつりと零れ落ちた、一言だった。口にしてしまった後に、そんなバカな、と思い直す。切掛けなんて、忘れたくても忘れるはずがないのに。佐倉杏子は……無意識のうちに、糾弾していたのかもしれない。分岐点を生み出してしまった男の、行動を。その事件さえ無ければ、自分は今でも巴マミや先ほどの新人と肩を並べて、胸を張って戦えていただろうか。杏子がこの見滝原を久々に訪れたのは、ジェムの濁りを気にせずに魔法を使う方法を探すためだったはずだ。巴マミを探していたのは、マミならその魔法少女ことを知っているのだろうと見込んだからであって、共に怪物と戦うためではない。でも、巴マミたちがあの怪物にやられたら、手掛かりが無くなって……「……って、何でアタシは、あいつらの所に行くための『言い訳』を考えてんだよ……」まるで男の子のように髪を掻き毟りながら、頭の中を占める言い様のない不快感を、振り払う。自分にはマミ達と共に戦いたいという気持ちが燻っているのかもしれない、という自己分析とは裏腹に、その足は動かない。気分の悪さはあるものの、決め手に欠けるとでも言うべきか。「仕様が無ぇな、ホントに」その言葉は、誰を指して使われたのか。それを指摘してくれる者は、誰も居ない。『オイ、新人。先輩として一つだけアドバイスしといてやる。あの怪物とマトモに戦いたきゃ、見滝原に居るらしい「無限の魔力を持つ魔法少女」って奴に手を貸してもらえ。じゃあな』『なんか良く分かんないけど、マミさんに伝えとくよ。ありがと!』豆粒のようになった背中に向けて最後のテレパシーを伝え終え、佐倉杏子は、戦場を後にしたのだった。美樹さやかへと、『鍵』を残して……『マミさん、大丈夫ですか?』『トーリさんこそ、無事だったのね』何度目になるか分からない闘牛士の真似事を演じていた巴マミの耳に届いたのは……頼りない後輩からの、念話だった。マミとしては、トーリが念話で助けを求めていたことと、怪物の周囲にトーリの姿が見当たらなかったことから、最悪の想定をしていた。具体的に言うと、トーリと映司が既に始末されてしまっているのではないか、と。だからこそ、その念話の存在だけで、どれだけ胸が軽くなったか分からないほどだった。『火野さんは呼べるかしら?』『それが……昨夜目を離したときから、揺すっても声をかけても反応しないんです。とりあえず今、クスクシエに安置しました』火野映司と巴マミは袂を分かったはずだが、そんなことは言っていられない。……そう判断しての質問だったのだが、返答は最悪の一歩手前といったところである。そして、姿が見えないと思っていたが、どうやら安全地帯に一度立ち寄っていたためらしい。マミが夢見公園跡地で戦っていることを知っているところを見ると、マミが駆け付ける直前まで付近の上空に居たのかもしれない。『それで、これからどうしましょう? 正直、ワタシが現地に行っても足手纏いにしかならない気がしますけど……』『自分の事をそんなふうに言うのは良くないわ。人間には適材適所というものがあるもの。火野さんの身柄を確保しただけでも今回はお手柄よ』まさかトーリのせいでロストの状態が悪化したなどとは思っていないからの、発言であった。それを知っていたとしても、火野映司の命を救ったことを考慮に入れれば差引の評価はゼロぐらいなのかもしれないが。ただし、周辺の民家に甚大な被害をもたらしていることもまた、事実なわけで。尚、トーリとしては、あの怪物の前に立つのは絶対にゴメンだという思考が非常に強い。ロスト一体を相手にしても傷一つ負わせることが出来なかったのに、それ以上の出力を誇る暴走体を前に、何をしろというのだ。そんなことをする位ならば、まだタトバ状態の映司を太陽の子にでも挑ませた方が高い勝率を見込めるというものである。そして、状況を聞いた巴マミの判断は、迅速だった。『火野さんの治療に美樹さんを当たらせるから、夢見公園の近くまで戻って来てくれるかしら?』『さやかさんと落ち合ってクスクシエまで運搬するんですよね?』『火野さんをもう一度こっちに運んで来た方が早いわよ』……何気なく巴マミにも余裕が無いので、動ける人材にはなるべく早く動いて貰わないと夢見町が地図から消えてしまうのだ。現在は、壊滅した夢見公園近辺を環状に怪物を誘導することで、現状以上の被害の拡大を辛うじて防いでいる状態なのだ。だがしかし、マミの魔力が切れたらどうなるかと考え始めると、酷いものである。魔女だけではなく使い魔も倒し、最近ではメダルの怪人を相手にすることもある巴マミの手元には、グリーフシードは貯まっていないのだ。当然、戦闘時の魔力的なスタミナは期待できない。先日ケーキの魔女を倒したときに一つストックすることが出来たが、貯蓄はそれだけである。もちろん、オーズを呼べばそれだけでこの巨獣が倒せるなどという楽観は、抱いていない。だが、未だ人伝にしか存在を知らない『コンボ』というオーズの切り札を使ってもらえば何とかなるのではないか、とも考えていた。最低ラインとして、マミの『ティロ・フィナーレ』とオーズの『コンボ』を同時に使用すれば勝てる、ということだけは疑えなかった。この時の巴マミの誤算は、二つ。一つは、昨晩に火野映司の元を訪れた魔法少女によって、唯一使用可能であった『サゴーゾコンボ』さえ使用不可能の状態が作り出されていたこと。もう一つは……トーリが映司と自分自身を逃がすために、コアメダルの殆どを犠牲にしてしまったことだった。『美樹さん。この近くに飛んでくるトーリさんと合流して、一緒に居る火野さんの治療をしてちょうだい!』『サー! イエッサー!!』佐倉杏子の治療が終わってマミの加勢に入ろうとしていた美樹さやかに指示を下し、ひたすら円環状の走路を維持し続ける。尚、会話の相手が女性である場合には「サー」では無く「マム」が使われるべきであって、巴マミもそれを理解しているのだが……華麗にスルーした。どこか、美樹さんなら仕方ない、という思考回路が生まれているのかもしれない。マミは、美樹さやかを相手取ることにおいても頂点に立つ魔法少女なのだ。『あと、さっきの子からの伝言なんですけど、「無限の魔力を持つ魔法少女」の手を借りろ、とか何とか……』一瞬、美樹さやかと佐倉杏子が何を言わんとしているのか、測りかねた。魔力が有限なのは魔法少女の大前提であり、それどころか魔女でさえ、人間を食わなければ力の補給が出来ないのだ。むしろ、巴マミと比べれば、グリーフシードを幾つも保持している佐倉杏子の魔力の方が事実上無限だというのに。魔力が無限などというチートスキルがあれば、ソウルジェムの濁りを気にせずに戦えるだろうが……と、そこまで考えてから、気付いた。『それってもしかして……トーリさんのことかしら?』『そういえば確かに、トーリはグリーフシード使わないって聞いたような……?』そもそもソウルジェムを持っていないのに魔法が使える、よく分からない後輩が居るじゃないの、と。キュゥべえから佐倉杏子へ、佐倉杏子から美樹さやかへ、そして美樹さやかから巴マミへ。その『鍵』が経由すべき道は、ようやく一区切りを迎えようとしていた。伝言ゲームを行った誰もが、予期しなかった終着点を目指して。『でも、トーリさんの手を借りても空中からの狙撃ぐらいしか出来そうに無いわよね?』確かに、ソウルジェムが濁らなければ、事実上魔力は無限ということと同値なのかもしれない。だがしかし、トーリの戦闘能力は、無限の魔力という言葉のプラスイメージを拭い去ってしまう程度のものである。というかそもそも、トーリは本当に魔法少女なのだろうか?――あの子の身体はセルメダルによって構築されている。思い出したくもない記憶が、頭の中に浮かび上がってくる。そんなものは嘘だ、と思いつつも、なかなか沈め直すことも出来ない。考え始めると、キリが無いものだ。……例えば、マミ達がこの公園に駆け付けた時に地面に散らばっていたセルメダル。最初、マミはそれが怪物から零れ落ちたものだと思っていた。だがしかし、ティロ・フィナーレを食らっても傷一つ負わなかった相手に、弱小魔法少女のトーリが一矢報いることなど、出来るのだろうか?火野映司は昨晩から意識が戻らないらしいので、それを為した人物ではない。「火野さんから預かっていたものを零してしまっただけ……よね?」ぽつりと呟いてみるも、それを聞いている相手は、ひたすらに突進攻撃を繰り返す幻獣のみ。そもそも、返事など期待できるはずもなかった。空白地帯となっている夢見公園中央部で落ち合う魔法少女たちの姿を視界の端に収めながら、巴マミは祈る。暁美ほむらが嘘吐きであれば良い、と……・今回のNG大賞「ところで、前回と今回のタイトルのKって何だったの? コア?」「……さやか いず ふーりっしゅ!」※コア=CORE・公開プロットシリーズNo.52→初期杏子のサジ加減が意外に難しい。いざ自分で書いてみると、いい子過ぎる気がする反面、薄情過ぎる気もするという不思議。