トーリがその感覚に陥ったのは、路肩で倒れている火野映司を公園のテントに寝かせた晩が明けた後の、昼下がりであった。金属同士が擦れ合うような、高いところから小銭を落としたような、そんな音のような気配。……ヤミーの発生もしくは成長を、察知したのだ。「どうしましょうか、ねぇ……」そもそも何故そのような感知能力が芽生えているのかという疑問も解消されていないが、考えても分からないので保留にしてあったりする。そんなことよりも、これからトーリがどう行動するかの方がはるかに重要なのだ。トーリが視線を回すと……テントの中で未だに目を覚まさない火野映司の苦しそうなうわ言が、時々聞こえてくる。だがしかし、揺すってみても、火野映司はおはようの『お』の字も口にする気配は無い。しかも、映司を起こしてヤミー退治に誘おうにも、どうしてヤミーを察知できるのかと聞かれたら困ってしまう。ソロ狩りに関しては……そもそも、検討する価値さえ存在しない。空を飛ぶしか能のないトーリがヤミーを倒せないことは、サメの時に実証済みなのだ。それに、ヤミーを追っていたら魔女の結界の中に捕らわれていたという映司の体験談もあるため、やはり単独行動はすべきでない。「誘うとしたらさやかさんですけど……まぁ、放っておきますか」見なかったことにしよう!一瞬だけ、後藤の顔も頭の中に思い浮かんだトーリだったが……あまり頼りになりそうでなかった。マミさんに会うのも何だか気まずかったので、結局放置を決め込むこととなったのだった。だって、前回さやかさんと一緒に行動して、結局メズールさんにボロ負けしてますし……『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第四十七話:役者は揃わなかったそして……初登場からすでに不運の予感を醸し出している男、『伊達明』はというと、「タマゴ追加! あと、ハンペンも!」屋台で、熱々のおでんを頬張っていたりする。そもそも、何故伊達明がこの町にいるのかといえば、鴻上会長からの招集があったからである。なんでも、後藤慎太郎という青年を『バース』に相応しい人材へと育成することが、依頼内容ということらしい。もっとも、伊達が呼び出されたはずの日時に会長室を訪れたところ、蛻の空となっていたわけだが。従って、伊達の現在の持ち物は……少量の金銭と、会長室の中に置いてあった『カンドロイド』と『無骨なベルト』、そして『分厚いマニュアル本』のみであった。「あの会長なら、素晴らしいッ! とか言って約束も何も放ったらかしちまいそうだよなぁ」大当たり……ではなかったりする。会長は、ヨーロッパの遺跡を調査していたチームが消失したと聞いて、自ら捜索隊を結成して乗り込んだのだ。「おっちゃん! アタシにも同じの! それと、コンニャクとガンモも!」いつの間にか隣に居座った女の子の元気の良い声が、仕事の事を考えている伊達の耳に飛び込んでくる。赤みのかかった長い髪を後頭部付近でまとめた、ヘソ出しルックスのラフな格好をした、中学生程度と思しき子供だった。学校の帰りに買い食いか、と大人として思わないでもないものの、自身もあまり人様の事を言えた中学生時代を送っていた訳では無いので、注意する気にもならない。「こんな分厚いマニュアルなんて誰が読むんだって話だし……」オーズの正史を知る人間ならばお察しの通りだが、伊達明という男は、マニュアルを読むなどという細々とした作業を壊滅的に嫌う男である。つまり……巻末に付け足された『後藤育成マニュアル』になど、目を通しているはずもない。急遽財団を空けることとなった鴻上会長が僅かな時間で里中秘書に追加させた付録なのだが、完全に死に仕様である。最初の十数ページをパラパラと眺めたことは、むしろ読者が伊達明であることを想定すれば、頑張った方なのだ。報酬が1億円という膨大な額であることが彼のモチベーションを上げた結果、そこまで読むことが出来たのだとさえいうことが出来る。「大根と昆布と揚げ物2個ずつ追加!」隣から聞こえてくる活気に少しだけ眩しさを感じながらも、頭は鴻上会長の意味不明な思考回路を推測するために働かせる。とは言うものの、やはりあの会長の考えることなど分かるはずもないのだが。「あと、持ってきちまったけど、コレって何なんだろ?」そして、会長室から借りてきた灰色のカンドロイドは、全裸待機……もとい、おでんを食す伊達をただ見つめるばかりだった。真木博士が最後に作っていった新作のカンドロイドであり、バースの補佐を行うための存在なのだが、それを説明するはずだった会長と秘書が居ないのでは伊達が理解できるはずもない。「締めにうどん! え? 無い? じゃあ、とりあえずシラタキで!」「お嬢ちゃん、おでんにうどんを求めるとは、中々分かってるじゃねえか」「んぐ?」熱いおでんを頬張りながら、熱い息を吐き出していた女の子に、気分転換がてら話しかけてみた。飲み込んでからでいいよ、と言葉を追加しながら。「やっぱ、締めは炭水化物だろ。家で食う時って最後に煮汁を何かに使うじゃん?」その口ぶりから察するに、おそらく締めは雑炊でもイケる口なのだろう。伊達とは一回り以上も年が離れているように見えるが、当たり前のようにフランクに話す、赤毛の女の子。既にかなりの量を食べている筈なのにメニューに目を通し直している辺り、まだまだ余裕があるようだ。ごくごくと喉を鳴らして、さぞかし上手そうに皿に残っていた汁まで飲み干し終え、それでも追加の注文を考えているらしい。締めに頼む炭水化物をメニューの中から探しているのだろう。「そうかい、良い『家族』持ったな」とりあえず家出少女では無さそうだ、と伊達は思う。巾着袋の中に炭水化物の餅が入っていることを教えてやろうとした伊達だったが、「……やっぱ良いや。今日はこれでやめとく。ゴチソウサマ」女の子は、気が変わってしまったらしい。伊達は自分が何か気に障るようなことを言ったとは思っていないので、この子の気分が転げたのだろうというぐらいに考えて、思考を打ち切る。箸が転げても笑うお年頃の女の子なら、野良猫のように気まぐれでも不自然ではないだろうから。そんな、時だった。「ウホッ!」動物型のカンドロイドが、鳴き声をあげながら両手を回転させ始めたのは。その時になって初めて、伊達明は気付く。そのカンドロイドのモチーフがゴリラであったのだ、と。……そんなことは、どうでも良いのだ。「……そっちの方に何かある、ってか?」伊達は、導かれた。自身が何に向かっているのかも知らず、しかし、確実に。ともかくおでんの料金を精算して屋台を後に、「お客さん! お代足りないよ!」「これで間違いないはずなんだが……」出来なかった。店主に引き留められてしまったのだ。「さっきの中学生、お客さんの連れじゃないの?」「……え゛?」伊達が座っていた席の周囲を見渡すも、そこには女の子どころか人っ子一人見当たらない。「日本ってこんなに治安悪かったっけか……」うどんが無いとはいえ、中々のおでんを作ってくれるこの屋台が損失を被るのは忍びない。結局、伊達が食い逃げ中学生の飲食費を建て替えることとなるのだった……心の広いゴリラカンさんは、その間ずっと待っていてくれたそうな。一方、最近女子中学生のカバンの底が定位置と化している掌怪人はというと、「さっさと気づきやがれ、クソガキ……」カバンの中から、何とか持ち主に異変を伝えようと頑張っていたりする。具体的には、ヤミーの発生を感知したために、それを一刻も早く奪いに行きたいのだ。彼には、ゴリラカンドロイドのような心のゆとりは無かったらしい。だがしかし、そう思うようにもいかない。なぜなら……持ち主である鹿目まどかが、美樹さやかを含む友人グループとともに下校及び寄り道を行っているためである。さやか達に一度強襲されている身としては、姿を見られても大丈夫などという楽観は出来るはずもなかった。従って、アンクに出来る事は、カバンの中で小刻みに体を揺らして持ち主にだけ分かる程度の信号を送ることだったが……これが中々、上手くいかない。でも、メダルは欲しいというジレンマ。「何か良い手は……」鹿目まどかにさえ事情を伝えられれば、あとは美樹さやかを偶然を装ってヤミーの元まで誘導すれば良いのだ。だが、それが難しい。何か無いものかと……アンクは、カバンの中のモノを漁ってみる。体積的には教科書の類が大半を占めているものの、ハンカチやお守りなどの日用品も入っおり……その中に、見つけた。文明の利器を。火野映司を演じる渡部秀氏がかつて死ぬほど変身ポーズを繰り返したと言われる、ハイテクの結晶である通信機器だ。「確か……『携帯電話』ってモノだったなァ」この端末を使って音をならせば、ミッションコンプリートである。だがしかし……携帯電話が一台しかないため、電話はかけられない。とすれば、同一端末上でメールの送受信を行えば良いのだが……「見られたら……面倒だ」ヤミーの発生を示す文面を直接打ち込んだ場合、鹿目まどかがメールを開いた段階で横から端末を覗きこまれたら試合終了である。空メールならばその点は安心だが、まどかへのメッセージという点では不合格も甚だしい。携帯端末を取るためにカバンの中にまどかの手が入ってくるのだから、それを掴めば良いのだろうか?それも、まどかが予期せぬリアクションを取ってしまったら大惨事スーパー強欲対戦である。「ヤミーなんて単語は使えないだろうなァ。適当に略すか」巴マミと通じている美樹さやかは「ヤミー」という単語を知っているはずなので、その辺りは当然だ。だが、これだけでは心もとない。グロンギ語やオンドゥル語のような暗号が使えれば良いのだが、どの道まどかには通じそうも無い。思考に詰まったアンクだが、それもまだ手は用意できる。自分で分からないなら、調べるしか無いじゃない!便利なことに、最近の携帯端末というものはほぼ必ずインターネットのブラウザ機能が付いているのだから、それを使って調べればいいのだ。Q:使用料は誰が払うと思ってるの!?A:そんなこと気にしててグリードやってられるか!ざっと調べた感触として、メールで簡単に実践できて、なおかつ鹿目まどかでも気づきそうな暗号は……「今はこの手しかないッ!」ジェネレーションギャップという言葉を存在から否定するようなメロディーが……店内に、流れた。具体的にいうと、演歌が携帯の着メロ用にアレンジされているような、一体どんな年齢層を対象に作られたのか問いかけたくなる音声が。まるで、子供番組を見ていたと思ったら素晴らしい尻を見ていた時の視聴者の気分である。「まどか……その着メロ、微妙に恥ずいような……」「そんなこと無いよ! あの有名な布施さんが紅白で歌った歌なのに!?」友人Sからの微妙に手厳しい評価を受けつつ他の二人の表情を窺ってみるものの、「……まぁ、人の趣味はそれぞれですよね」「……貴女は、鹿目まどかのままでいれば良い」あまり手応えは宜しくなかった。一応まどかの好みを肯定してくれているようにも見えなくはないが、二人とも返事までに少し間が開いた上に棒読みである。いかにも社交辞令だと言わんばかりの態度を見れば、哀しくもなるというものだ。「むぅ……」少しだけ頬を膨らませて見せながらも、とりあえず携帯の着信を調べる鹿目まどか。彼女が見たものは……「何コレ? スパム?」「さやかさん……人のメールを勝手に覗き見するのはどうかと思いますよ?」3通の、無題のメールだった。着信時間もほぼ同時で、メールの下書きをあらかじめ作っておいて連続で送信したのだろう。そして、アンクの懸念通り、メールの文面はまどかの横に座るさやかから覗き見されたらしい。『Yの喜劇/暴走族専用ライダー』『出落ち専用と呼ばれたギミック』『現在の貴女の持つ所持金は!』別に、未来から送られてきたメールだとか世界線が移動したとか、そんなことは全く無い。……アンクとしては、鹿目まどかが理解できるギリギリのラインを狙ったつもりなのだ。PCブラウザから見れば一目瞭然だが……縦読みで『Y出現』と読める文章である。他の三人の目には、それらがスパムとしか映らなかったらしい。だがしかし……「……!」鹿目まどかにだけは、通じたようだ。正直に言って、ここまで上手く事が運ぶとは思っていなかったアンクとしては、御の字である。これが主人公補正というヤツなのだろうか。「みんな、ゴメンね。用事を思い出しちゃったから、今日はこれで。また明日!」鹿目まどかは学生鞄をひっさげ、いつものファストフードの店を後にしたのだった……「便所にでも立てば良いだろうが……」「カバン持って行ったら怪しいと思うよ?」結局、ヤミーの存在をまどかに伝えることは出来たアンクだったが……別の意味で状況が悪くなった気がしないでもない。アンクの予定としては、まどかがヤミーの居る地点までさやかを誘導してくれるはずだったのだ。もちろん、偶然を装ってである。ところが、まどかがあの一団から離れてしまったため、その手が使い辛い。まぁ、まどかが発見した後で改めて魔法少女を呼べば良いのだが。「とりあえず、そのヤミーの場所ってどっち? 早く近くの人を避難させなくちゃ……」「俺はメダルが欲しいんだよォ! 人間なんて知ったことか!」飽く迄、アンクはセルメダルを奪うためにヤミーを欲しているのであって、人間を救うためではない。――人の命より、メダルを優先させるな!そういってくれる何も欲しくなさそうな男は……この場には、居ない。「お願い! 近くの人をみんな避難させたらすぐに、さやかちゃん達を呼ぶから!」まどかにここまで言わせれば、既にアンクの勝ちではある。だがしかし……アンクは、ここで一つ欲を出してみた。「それが終わったら、少しその身体を貸せ。久しぶりに食いたいモノがあるからなァ」「まぁ、太らない程度なら……っていうか、アンクちゃんってそのままだと食べ物食べられないの?」「人間の身体じゃなきゃ、味覚が無いんだよ」「そういうことなら」アンクは、なんとなくこの少女との距離の測り方を心得てきたと思えるようになった。今の追加注文は、もし映司が相手だったら通らない可能性が高い。つまりこの鹿目まどかという少女は……押しに弱いということである。その先に待ち受けているのは……新たな、出会い。互いに運命を歪め合う、奇運の交差点。そしてその先に待ち受ける者は……未だ、彼らの前に顔も見せない。・今回のNG大賞「それにしても、よくメールの意味が分かったなァ」「分からなかったよ?」「なら、どうして俺からのメッセージだと分かった!?」「だって、差出人のアドレスが自分なんて変だもん」「なん……だと……」空メールでも、特に問題はなかったらしい……・公開プロットシリーズNo.47→伊達さん、食い逃げされるの巻。・人物図鑑 ダテアキラ 流離の医者。性質は鳥瞰。死を間近に感じ続ける男は、いつしか周囲との隔たりを生む。彼の見る世界を知りたければ、その身を光と闇の狭間に置かなければならない。