「……っと、そういえば、『私達』とか言ってたか」まどか一人分の身体だけを引きずって帰ろうとしたアンクだったが、それなりに重要な言葉を思い出してしまっていた。アンクには、廃工場の中の人間を助ける理由など無い。だがそれは……鹿目まどかを助ける時にだって、言えたことではないのか?自然と足が止まり、行動方針を決定するために頭を動かし始めた。そして、その一瞬のタイムロスが更なる危機を引きずり込む。駆け出す間もなく、不気味な笑いを張り付けた天使モドキが周囲に現れたのだ。戦闘は無理なのだから、アンクの取れる選択肢は二つだけ。アンクは……無意識のうちに、天使モドキの手の内を探るための様子見を選んでしまった。自身でも気付かないうちに、アンクの精神面は変化していたのだろう。結果的には、脇目も振らずに天使から逃げ出すのが最善策だったのだ。手を貸してくれる子供を傷つける可能性を減らす方向へと、思考が流れてしまっていたのかもしれない。ふらふらと近寄ってくる天使モドキを全力で殴って遠ざけ続けながら、必死に活路を見出そうと周囲を見渡す。使い魔の戦闘能力があまり高そうに見えないのが、不幸中の幸いと言えるのかもしれない。だがしかし、気味の悪い浮遊感を伴ったホールが視界に飛び込み、その身を囲む空間が既に魔女の結界そのものであることを教えてくれた。「くそっ……!」舌打ちと悪態を吐きながら、アンクは考える。魔女の結界を抜け出す方法が、存在するのかどうかを。結界の主を撃破すれば結界が無くなるのは知っているが、それが出来るとは思えなかった。瞬間、「が……ッ」腹部に発生した熱い何かを感じ取り、視線を落とすと……溢れ出る凶暴性を惜しむことなく発している強靭な爪が、腹部から生えるように突き立てられていた。「これ、は……?」アンクは、その凶器に見覚えがある。忘れるはずもない。目覚めの日にアンクが持ち去った4種のメダルの内の一つを使った時に、発現する能力。そして、使用者はグリードを封印する能力を持った者しか有り得ない。「映、司……?」痛む腹部に構わず、アンクはその身体の首を回して背後に視線を向ける。そこには……緑色の目が、あった。おおよそ感情というものが感じられない無機質なタカの目が、子供の顔を借りたアンクを観察していたのだ。違う。映司は、こんな目はしない。無表情な筈の仮面を被っている人間からその内面を読み取るというのも奇妙な話ではあるが、アンクにははっきりとそう感じられた。これは、まるで……アンクには、この状況が覚えのあるもののように思えた。そして、すぐに思い出した。悪魔と化したオーズに背後から切り裂かれる、悪夢を。800年の眠りへと道連れにされる、忌わしき記憶を。「ぐっ、あああああああっ!?」咄嗟に腕を回して強欲な王を振り切ろうとするが、彼の暴君は煙のように消えていて。身体の方に視線を回すが、鹿目まどかの身体にも穴は開いていない。わけが、わからない。間髪置かずに、アンクの頭の中に、次々と記憶が溢れかえってくる。かつて、古代の王と共に世界を手にしようと、夜な夜な語り合った事。……その王に、裏切られて眠りに就いたことも。「うるさい」目覚めてから浮浪者や魔法少女と出会い、不満を垂らしながらメダルを集めた事。……そして、同じように始末されそうになったことも。「うるさい……っ!」アンクには、分からない。それらの記憶を思い出して、何故こんなにも胸の奥が痛むのか。思わず抑えてしまった胸部は、何の反発力も見せない。いつの間にか、自分の前にはテレビによく似た箱があって。アンクを抹殺しようとした面々が順に並ぶ最後に映し出されたのは……『使える馬鹿』の二人だった。なんだ。何が言いたい?「その二人も……俺を消す、ってか?」錯乱していた頭が、急に冷えた。全てを、理解した気がする。今までの記憶の乱流は、目の前のコイツが仕掛けたことだ、と。そして、アンクを精神的に追いこんで何かをしようとしていたのだ、とも。「ふざけんな」ディスプレイの表面の透明な素材が、粉々に砕け散った。そこに映っていた忌まわしい記憶達が、欠片となって消えていく。少女の手を借りたアンクの、全力の右ストレートによって。アンクはまだ、理解していない。何故、こんなにも目の前の存在を潰してやりたいと思ってしまったのか。どうして……こんなにも自身が腹を立てているのか、を。殴りつけられて、加えられた運動ベクトルに従って、テレビのような箱は移動していく。まるで、重力の影響を受けていないかのように。……距離が、開いてしまった。重力を感じないこの空間における移動は、困難を極める。アンクにかつてのような翼があれば大分戦況は変わっていただろうが、無いものは無いのだ。その尖った目に映った光景は、翼を持った天使モドキがゆっくりと群がってくる図だった……『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第四十二話:恐怖心 俺の心に 恐怖心天使モドキを殴り続けて、どれぐらい時間が経っただろうか。そんな時だった。『そいつ』が、現れたのは。「ボクと契約して魔法少女になってよ!」「お前……やっぱり生きてやがったか」無機質な赤い瞳を輝かせる白い獣の姿が、確かにそこには存在した。そして、意外な来訪者に驚きながらも、天使モドキを遠ざけるための手は休めないアンク。やはりアンクの読み通り、キュゥべえは生きていた。加えて……間違い無く、暁美ほむらはキュゥべえが生きていると知っていたはずだ。そう、アンクは確信していた。「君がグリードのアンクだね。鹿目まどかを守るのは良いけど、むしろ君は彼女を傷つけているんじゃないかな」その言葉に、アンクは思わず、間借りしている身体を見回してしまう。服には所々破れたり泥が付着したりといった損傷が無数に見られ、特に天使モドキを殴り続けた拳は、爪が割れて手の中が真紅に染まってしまっていた。アンクの怪人態が具現化している右手はまだしも、左手は酷いものである。「鹿目まどかを守るのが君の願いなら、むしろ彼女をボクと契約させてこの場を切り抜けるべきだ。それが最善策だろう?」「俺に命令すんな」キュゥべえの問いに、アンクは頷かなかった。命令するつもりは無いんだけど、と首を横に振りながら補足するキュゥべえの動きは……何処か機械染みている。「ボクから強制は出来ないけど、だったら君はどうするんだい? このままだと君達は二人とも魔女に食べられてしまうだろう?」「断る。お前は、前に俺を引っ掻いた猫と似てる!」確かに、キュゥべえさんも猫によく似た生き物ではある。しかも、口調は活字にすれば全く同じと言っても過言ではないほどに、アンクの知り合いの『猫』にそっくりだったりして。主に一人称と二人称の『僕』『君』に加えて、語尾の『だよ』『てよ』が原因だと思われる。「というか、キミが同意しても仕方ないんだよ。鹿目まどかの魂が同意しないと」……それは、アンクとて考えなかったわけではない。鹿目まどかを操って契約させ、完全態以上の身体を手に入れることを夢見たことだって、ある。だが、それは無理だったらしい。アンクは、ようやく自身の内面の変化に、気付きかけていた。そのキュゥべえの言葉に、落胆するよりも安心している自身の感情を認識したことによって。……感情?そこまで考えて、アンクは今更の考えを抱く。先ほどのテレビのような箱は、おそらくアンクの感情を揺さぶるために、アンクの過去の記憶を映像に出力していたのだろう。つまり?鹿目まどかの顔が、意地が悪そうに歪む。ニヤリという言葉がぴったりの、本物の鹿目まどかなら絶対に見せない筈の、表情だった。もしキュゥべえが感情というものを深く理解していたなら……その表情を見た時点で、何かに気付いていたかもしれない。現実は、そうでは無かったが。……ある。現状を打開する方法が、あるかもしれない。「俺達を見張ってうっかり結界に取り込まれるような間抜けに、用なんかあるか」「失礼だなぁ。君達を追って後から入ったんだよ」この質問が、第一の関門だった。その答えは……最良のモノだ。「ほう。何処から入って来た?」「教えるワケ無いじゃないか。折角契約のチャンスなのに。その出口から逃げる気だろう?」欲を言えば、この質問で全てが終われば良かったのだが……キュゥべえとてそこまでバカでは無いらしい。だがしかし、既に下準備は終わっている。「いや、充分だ。お前がそれを知られるのを、『恐れている』ならな」「ワケが解らないよ?」ふん……とだけ鼻を鳴らして見せながら、アンクはそれ以上の会話を続けようとしなかった。代わりに出たのは、赤い腕で。乱暴にキュゥべえの尾を掴み取り、適当に振り回して天使モドキ達を牽制しつつ、お目当てのモノに意識を向ける。ボクを武器にするなんて酷いじゃないか、などという声が手元から聞こえてくるものの、ガン無視である。細められた目は、既にキュゥべえの方には向いていない。その視線が捉えているのは……テレビのような箱だった。アンク達からは手の届かないほど離れているテレビのような箱……その正体こそ結界の主、魔女本体である。そして、その画面に映っている光景は……「あれは、まさか!?」「そういうことだ!」壁の一角の、何の変哲も無い面の中の一点。そこから、キュゥべえが結界内部に侵入してくる映像が、確かに映っていた。アンクは、仮説を立てていたのだ。箱の魔女が、内部の人間の恐怖やトラウマを駆り立てることを目指して、獲物の記憶を元に映像と幻を作り上げている、と。キュゥべえが魔女の興味の対象に含まれるのか。そもそも魔女の能力はそれで正解なのか。……不安要素は多々存在したが、結果としてアンクは賭けに勝利することとなる。手近な天使モドキの胴体を渾身の力で蹴り、更にキュゥべえを全力で投擲することで、反作用を利用して一気に出口の隠された壁へと飛び込む。無重力の空間が仇となり、一度速度の付いた鹿目まどかに、天使モドキ達は追い付くことが出来ない。「精々お前らは、その白饅頭でも食ってなァ!」「無意味に潰されるのは困るんだけどなぁ」立体映像のような可視の幻によって偽装された扉を潜り抜けることは、予想外に簡単で。アンクは漸く、結界の外へと脱出することに成功したのだった……最寄りのライドベンダーを見つけ出し、タカのカンドロイドを飛ばしながら、アンクは考える。というか、結界の中に居た時からずっと、考えていた事だった。キュゥべえを罠にかけた時には意識しないようにしていたが……「俺が、恐れてるってのか? 『こいつら』に裏切られる事を」アンクがヤミーを作り始めたら、きっと火野映司はアンクを倒しに来るだろう。それをアンクも返り討ちにする。……アンクと映司は、そういう関係だったはずだ。「はっ、バカが……」アンクはその言葉を、まだ追いついて来ない箱の魔女に対して言い放った、つもりだった。決して、不愉快な想像を起こしてしまった自分自身に対してでは、無い筈だ。「裏切らないから、『使えるバカ』なんだよ……!」少なくともアンクが裏切るまでは、奴らはアンクを倒すことは無いだろう。奴らが欲する手段としてアンクが必要無くなったとしても、関係が薄くなるだけであって、アンクが殺される事は無いに違いない。よろり、と足元が揺れる。身体のコントロールが段々と効き辛くなっているのが、アンクには感じ取れた。「全く、余計な事にメダル使わせやがって……」元々10枚しか手元に存在しないセルメダルのうち、1枚をタカカンのために使ってしまったのだ。それに加えて、身体の方もかなりガタが来ているらしい。アンクの体力も、まどかの体力も、既に尽きかけている。まだ、カンドロイドを吐きだしたライドベンダーが視界の外にも出ても居ないのに、次の脚を踏み出すことが既に出来なくなってしまっていて。おそらく、そう時間が経たないうちに、魔女には再発見されてしまうだろう。「まぁ、何とかなるだろ」アンクにしては珍しい、楽観的な声だった。だがしかし、同時にそれは確たる信頼に因る判断でもある。鉄の馬を駆る音が紅の使いに導かれて廃工場に入って行ったのは、それから僅か数分の後の事であった……・今回のNG大賞ライドベンダーをバイク形態へと移行して足を得ようとするアンクだが……「足が届かない、だと……orz」バイクの運転には、身体のサイズが足りなかったらしい……・公開プロットシリーズNo.42→アンクの変化が速いのは、多分本編より逆境の到来が若干早いせい。