……熱い。夜の冷たい風を切って、走る。あの牢獄から逃れるために。奇妙な機械達に連れられて辿り着いたあの場所は、一体何だったのだろうか。血液の採取に始まり、耐熱耐電耐水耐圧……あらゆる性能のデータを取られてしまった。……熱い。幸い、実験の合い間に拘束具が外された時間があったので、時間停止と火器や爆弾を使って脱出を敢行することは出来た。実験の器具や計器の扱いは全てロボット達によって行われ、全く人の気配がしなかったあの研究所は、一体何なのだろう?左手に装備された無骨な腕時計は、客観的かつ冷静に、今の時間が拉致された当日の深夜であることを教えてくれる。他の魔法少女たちはこの物体を盾だと思う事が多いらしいが、これは中に時の砂を詰めた腕時計でもあるのだ。……熱い。今回の時空では、今までのループ世界で見たことが無い事象が多発している。緑色の勧誘魔法少女に始まって、自分を庇って親友が倒れたことも大事件だ。細かいところでは、よく分からない揚げ饅頭男が新たな知り合いとして出て来た所なども。それでも、今回のように拉致されて調べられるなどというイベントが想定できたはずが無かった。あの機械達は魔女や魔法に関連するオブジェクトなのだろうか?「それにしても……」……体が、熱い。まるで、身体を内側からじりじりと焼き焦がすような、扱いに困る熱。時折思考をぼやかして足を止めさせるやり場の無い火照りが、身体から消えない。長い髪の片側をすき上げて外の空気を入れると少しだけ楽になるが、全く根本的な解決になっていない。そして目前には、解決すべきとしか思えない新たな問題が、更にもう一つ佇んでいた。「見せてもらいましょう。貴女が魔法少女として『完成』するのかどうか、を」『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第三十九話:彼女の名前は突如として現れた『そいつ』は、奇妙としか言い様の無い出で立ちを見せつけていた。黒いアンダースーツのような下地に、銀の鎧を被り、身体の所々に走っている緑の淵が視線を誘う。頭部の外部確認用と思しきゴーグルはまるでUの字のように歪曲しており、その生命を感じさせない赤味が、何処となく契約中毒の地球外生命体を連想させた。「私が使う予定は無かったのですが……仕方がありません」更に、一番不気味なのが、喋るときに小脇に抱えた人形の方を向いて発声するという訳の分からない動作である。白目を剥いた人形自体の容姿も言いようの無い気味の悪さを感じさせ、正直に言って『アレ』を親愛なるクラスメイトの部屋に集められている物体と同じ『人形』という言葉で表現したくない。そう、見る者に思わせてくれる。『ブレスト キャノン』強化スーツを纏ったそいつが、腰部に装備された装飾品に銀色の貨幣らしいものを投入して何やら操作をした結果……それは、現れた。そいつの胸部に、無骨な砲身がどういう原理か突如として出現したのだ。そしてその矛先は……当然、この場に居るもう一人の人間に向けられている。「……っ!」咄嗟に、腕元の盾を傾け、時間を停止させる。目の前のそいつが何を狙っているのかは分からないが、先ほどあのロボット達を使って誘拐を働いた存在の関係者である可能性は極めて高い。ならば、為すべきことは一つしか無い。盾から愛用のマシンガンを取り出しながら、思考を纏める。この追手を適当に痛めつけて、どういうつもりなのか吐いてもらえば良いのだ、と。……だからこそ、その時起こったことが、全く理解できなかった。何故、手元にあった筈の黒光りする凶器が、拉げて宙を舞っているのか。どうして、自分の周囲の光景が、回転しているのか。熱を帯びた身体の中で、自らの肩口が血を吹き上げているのは何故なのか。足が地面についていないなんて、おかしい。訳が、分からない。冷たい地面の温度が身体全体にぶつかって初めて、ようやく起こった出来事を理解し始める。自分は錐揉み回転しながらぶっ飛んでいたのだ、ということを。現実を受け入れた頭を次に襲ったのは、『どうやって』という疑問だった。『誰が』という疑問は、浮かんでこなかった。砲身から煙を上げながらこちらを観察している存在以外に、今の状態を作り出した要素が居るとは思えない。『クレーン アーム』再びベルトに操作を加えた襲撃者が……更に別の装備品を呼び出していた。右腕部に新たに現れた巨大な強化部品が、見る者に恐怖を与える。そして、具現化されたばかりの追加パーツの先端が……発射された。その標的は、やはり言うまでも無い。無理やり起こした小さな身体に、多大な重量を持った飛び道具による打撃が加えられる。発射された部品は、よく見るとワイヤーで襲撃者本体と繋がっているらしく、空中で方向転換を繰り返して幾度も襲い来る。思考を刈り取られるギリギリの打撃を回避し、時に受けながら、腕元の砂時計を確認するも……中の砂は停止し、周囲の時間が『正常に停止している』ことを示していた。分からない。目の前の機械機械しい襲撃者は、何故時間停止の魔術の効果を受け付けないのか。魔力の無駄遣いでしか無かった術を停止させることによって再び世界が動き出すものの、この場に居る二人の関係性は全く変化しない。「どうしましたか? 折角手に入れた新しい力を使う気が無いように見受けられますよ」そのまま『完成』してしまうのも、喜ぶべきことですが。そう付け加えながらも、嵐のような暴行は続く。盾でガードしたかと思いきやワイヤーの拘束によって身体の自由を奪われ、人間のものとは思えない腕力によってアスファルトへ叩きつけられる。身体が持ち続けている熱は、未だに収まる気配を見せない。「新しい、力……?」ダメだ。まるで、勝ち目が無い。反撃のために幾つかの銃弾を放ってみるも、敵対者の持つ頑丈な装甲の前には手も足も出ない。虎の子の時間停止が効くならば複数の銃弾を同時に当てて倒せるだろうが、それが通じないのでは嬲り殺しも良いところである。ミサイルのような大質量の兵器は、近距離で使えば自身も炭となってしまう上に発射に手間がかかり過ぎて使わせてもらえるとも思えない。『カッター ウィング』背中に現れたブーメランのような形状の物体を、腕に握って刃物として構えながら、ゆっくりと襲撃者は歩み寄る。中に人間が入っているだろうという核心とは裏腹に、機械のような正確さを感じさせる冷たい足音が、耳へ響いて仕方がなかった。「残念です。魔法少女は、世界が終わりを迎えるための糧とはならないようですね」月の光を背後に背負って黒い影となったそいつの目元の赤い光はやはり無機的で、振りあげられた刃の円弧だけが美しい銀色の存在を主張していて。襲撃者の暴行によって蓄積したダメージは、溜まった熱とも相まって、もはや身体を動かすことをも許さない。「――貴女に、良き終末が訪れん事を」……嫌だ。死にたくない。重病を患って病院に居た時だって何度も思った、懐かしい感想だった。必死に自らの記憶を漁り、活路を導く鍵を掴み取らんと思考を巡らせる。動かない身体とは裏腹に頭の中は高速化され、幾つもの映像を普段には無いぐらいに回して処理する作業が進む。ひょっとすると、死ぬ間際に『走馬灯を見るようだ』という表現が使われる時は、こんな気分になるのかもしれない。――赤いお守りは、持っている人は死なないらしいですわ。貴女がくれたお守り、緑じゃなくて赤を貰っておけば良かったわ。――『この町は宇宙人に狙われている』とか、ビシッと言ってやってくれ!貴女は、宇宙人と同じぐらい警戒すべき存在が居ることを、知る日が来るのかしら。――後悔したくないから、手を伸ばすんだよ。貴方の後悔と私の後悔は……もしかすると、似ているのかもしれないわね。――助けてくださいっ! ワタシこのままだと死んじゃいますよ!貴女を殺そうとした私を、貴女は恨んでいる?……映像は、以前のループ世界へと移る。――君なら、こんな結末を変えられるかもしれない。貴方は、結末を変えるのにとんでもない対価を求めるじゃない。――全部、自分のせいにしちまえば良いのさ。貴女はそう言いながら、自分の力の限界を嘆いているでしょうに。――凄い能力だけれど、使い方が問題よねぇ。貴女が凄いって言ってくれた力なのに、爆弾のヒントも貰ったのに、銃の使い方だって教えてもらったのに……『あいつ』には通じませんでした。――私は格好良いと思うなぁ。燃え上がれぇっ! って感じで。貴女はそう言ってくれたけれど、完全に名前負けしているとしか思えない。――格好良くなっちゃえば良いんだよ!貴女がそう思ってくれる存在に、なりたかった。……身体が、熱い。結局、守られる存在は、守る存在には成れないのか。内に刻んだ大切なヒトの言葉を意識に登らせた瞬間……世界が変わった。そんな、気がした。熱い。胸の奥が、燃え上がるように……熱い!「私は、私は……っ!」名前は、その個体に関するイメージを固めるための要素として最も重要に成り得る。大切な人が、格好良いと言ってくれる、自分。――彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい。炎の揺らぎを、見た。内から湧き上がる激しい衝動が具現化されたような、周囲の光を捻じ曲げる灼熱。飛び散る火の粉が足元の地面を焦がし、鼻を突く臭いを発する。身体は、熱い。それなのに、炎に包まれている筈の身体は、焼け焦げてはいない。そして、先ほどまであれほど鬱陶しかった筈の火照りが、今は何故か心地良い。チカラの使い方が、解る。左手の丈夫な盾の中に力を溜める。壊れそうなぐらいにガタガタと震える盾を右手で支え、照準を合わせる。そして……襲撃者に向けて、一気に放出した。弾きだされたのは、身の丈ほどもある炎熱の塊。燃えているのは、モノではなく魔力。至近距離から高熱の塊をまともに食らった襲撃者は、10メートルほども吹き飛ばされてしまう。……が、身体全体から焦げ臭い煙を発しながらも、倒れることなく踏み止まった。「実験は失敗かと思いましたが、成功の目が残っていたようですね」相手は、未だ健在だ。だが、それがどうしたというのだ。盾の中にあれだけの熱量を注入した後にもかかわらず、胸の中の熱は未だに目減りする気配を見せない。「この装甲の耐久力にも再考の余地……が……」変化は、突然に訪れた。襲撃者が小脇に抱えた人形に視線を落とし、かの高名な『中の人』に匹敵するのではないかという華麗な二度見を披露していたのだ。……その人形の頭部には黒い焦げ目が付いている。人形自体は先ほどの炎熱攻撃の直撃を受けた訳ではないようだが、余熱で傷ついたのだろう。傍から見ている限りでは、戦闘の続行に差障りがあるようでは無い。そのはず、だったが。「ひっ、はあっ、ひひゃああああっ!!?」男の、錯乱する声。『キャタピラ レッグ』震える指でベルトに新たな操作を加えて、襲撃者が取り出した新たな装備は、脚部に追加する形の巨大なキャタピラだった。あの脚から蹴りを繰り出せば、女子中学生の身体など、量産型宇宙人を捻るのと同じぐらいに容易く捻り潰せるだろう。それでも、当たり前のように全く脅威に感じなかった。身に纏わりつくこの熱さがある限り、誰にも負ける気なんてしない筈だ。そんな熱に浮かれた思考を知ってか知らずか、キャタピラの車輪を高速で回しながら襲撃者がとった行動は……逃亡だった。車輪は前方ではなく後方へと回り、先ほどまで攻勢だったはずの姿は何処に行ったのかという勢いで逃げて行く。「待っ……!」闇夜に姿を暗ませるそいつに伸ばされた手は、空を切る。心は燃えていても身体は既に限界を迎えていたのだという事を、ようやく思い出して歯噛みするものの、既に周囲には何者の姿も無い。あいつには、聞きたいことは山積みだったのに。何のために自分を拉致したのか。自分に新しく目覚めたこの力は、何なのか。あの強化スーツらしき存在の正体は。そして……自分の単騎戦力としての絶対的優位を約束していた時間停止が、何故破られたのか。疑問は尽きないし、不確定要素はあまりにも多い。それでも、不思議と不安は少なかった。新しい能力を手にしたからかもしれない。恐ろしい敵対者を撃退できたからかもしれない。「やっぱり、『貴女』には敵わない、よ」遠い昔に失った親友の言葉を、体現できたからかもしれない。自分の頬が何だか少しだけ緩んでいるような自覚はあるが、観客も居ないので正す気にもならない。身体を休めるために仰向けになって拝む星空は、いつもより少しだけ綺麗に思えた。そういえばここ暫く、空を見上げたことがなかったのかもしれない。一面の夜空には、明るい街の中では見える筈の無い星の海が広がっていて、その中に優しい輝きを見つけた様な気が、した。ぽつりと呟かれた大切な名前は、夜の闇の中に溶け込んでいった……・今回のNG大賞「ふっふっふ……ここで会ったが百年目ですよ!」地面に寝転びながら休んでいるところに、こっそり現れたのは……いつかの蝙蝠女だった。返り討ちにして適当に炎で丸焼きにしたのは、言うまでも無い。・公開プロットシリーズNo.39→一度、人称固有名詞を使わないでSSを書いてみたかった。