「じゃあ、あたしはそろそろ」最初に動いたのは……さやかだった。実はまどかの病室に来るのが遅れたのは、上条恭介の病室に行っていた訳では無く、アンク襲撃後に巴マミと話し合っていたからだったりする。つまり、さやかはまだ恭介の病室に行っていないのだ。そして、同時にほむらさんの作戦が中断を余儀なくされた瞬間でもあった。火野映司が真っ先に帰ってくれれば、魔法に関する話が存分に出来たはずなのに。そんな彼はいつの間にか、皮を剥いていないバナナの中身だけを切り分けるという謎の手品を始めていて。でも、彼に視線を釘づけにしている鹿目まどかの楽しそうな姿が、少しだけ暁美ほむらの心を和ませてくれる。念のために補足しておくと、別に空間斬撃剣であるメダジャリバーを手品のために無駄遣いしたなどということは無かった、と言っておこう。一方……アンクは、出方を探りつつ待機を続けていた。この場に映司が訪れたことはある意味僥倖だが、映司に会って自分は何をしようというのか。経緯を話して『頼み込めば』『保護してもらえる』かもしれないが、何となくそれは癪に障る。現状だって鹿目まどかという少女のペット的な扱いではあるのだが、それは棚上げである。そこは、人間社会を生き抜くための最低限度の情けであると考えて甘受するしかない。それに、映司に一方的に保護を求めても、魔法少女の襲撃から守ってもらう日々が待っているかもしれないのだ。加えて、アンクは思う。自分と映司の関係は、ギブアンドテイクで成り立っていたのだ、と。泉刑事や通りがかりの人々をメダル関連の脅威から守りたい映司と、メダルを集めて強くなりたいアンク……この二人の利害が一致していたからこそアンクは映司の傍に居ることが苦痛にならなかったのだ。元々一方通行で貰う事が好きだと豪語出来てしまうアンクではあるものの、映司とのそんな関係も、今となっては居心地が良いものだったように思われた。……一方的に映司の庇護下に入るのは、ゴメンだ。さらに、美樹さやかと巴マミの二人はアンクの敵だとして、トーリと暁美ほむらの出方が判らないのも非常に恐ろしい。思い返してみると、トーリには疎まれてもおかしく無い扱いをしてきたような気がするのだ。むしろ、アンクが新たに手を組む候補としての最有力候補が、暁美ほむらかもしれない。暁美ほむらは巴マミを敵視しているようだから、共通の敵を持てば充分に協力できる可能性はある。……ただ、彼女にアンクの言う事を聞かせるとなれば、難しくなるかもしれないが。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第三十話:Power to tearer――暴君と泣き虫と欲望 トーリは、自身の命が未だ続いていることに安堵していた。鹿目まどかが入院したという知らせを受けて来てみれば、そこに待ち受けていたのはいつぞやの暴力魔法少女であったのだ。焼けた鉄版の上で土下座しても生き延びられないかもしれないとさえ思っていた割に、案外あちらの出方が丸かったので何とかなった、という印象である。キュゥべえが死んだせいで魔法少女を増やせないからだろう、とトーリは当りをつけている。ひょっとするとこれは、むしろ味方になるイベントを引き当てたのかもしれない。珍しく建設的な思考を見せたトーリは、早速ほむらに話しかけようと考えたのだが……意外と、話題が見つからない。「……まどかさんと、仲が良いんですか?」それならば、共通の知り合いについて話せば良いのだ。映司の手品に拍手を送りながら、さり気無く暁美ほむらに声をかけてみた。「……っ!」そうしたら、思いっきりガンを飛ばされました。ワケが解らないっていうか、理不尽すぎると思います……。『彼女に手を出したら……』『そんなつもりで言ったんじゃないんです! 信じてください!』会話の手段をテレパシーに切り替えて恫喝してくるほむらに対して、必死の命乞いをするトーリ。以前ボコボコにされたせいか、暁美ほむらにはまるで勝てる気がしないのだ。というか、トーリが単独で勝てる相手なんて、人間の鹿目まどかぐらいな気がしないでもないが。『それなら良いのだけれど』どうやら、トーリの言葉を鵜呑みにして信じているというわけでは無いようだ。だが、トーリの処分は見送ってくれたらしく、トーリも思わず安堵の息を吐いてしまう。友達のお見舞いに来たのに、何故おっかない魔法少女に脅されなければならないのか。結局、まどかの親が迎えが来てしまったことによって、病室での楽しい一時は終わりを告げたのだった……そして、鹿目まどかの手荷物に紛れ、成り行きでアンクは鹿目家まで着いて来てしまっていた。母親に褒められたり叱られたりしている少女の声をカバンの中で聞きながら、今後の事に関して思案を巡らせる。先日カザリに襲われた後に改めて確認したことだが、やはりこの世界では人間の姿を持っていなければ動き回れない。良くて、珍獣として追い回されるのが関の山である。思考が行き詰ったアンクは、いつの間にかカバンが揺れていないことに気付いた。どうやら、移動が終わったらしい。「アンクちゃん、潰れてない?」「もっと丁寧に扱え」アンクを持ち上げて両手で汚れを払ってくれるまどかに不満全開な声を返しながら、アンクは周囲の様子を確認した。淡いピンク色が目立つ室内には鹿目まどか以外の人間はおらず、棚の上に並べられた縫い包みがやけに印象的な部屋だった。おそらく、鹿目家にある、まどかの個室なのだろう。部屋の中に差し込む太陽の光は無く、既に外は暗くなっているようだった。「そうだ、ガキ……まどか」「どうしたの?」不思議そうに返事をするまどかは、アンクがこれから問いかける内容を、予想できていない。アンクとしてはそこそこ重要だと考えているので、素直な反応が帰って来てくれると嬉しいところではあるが……どうなるか。「お前、何でキュゥべえって奴が死んでるって知ってた?」「……えっ?」荷物を整理していた鹿目まどかの手が……止まった。同時に、コイツは何かとんでもない事を知っているとアンクが確信した瞬間でもあった。「黒いガキは、キュゥべえが死んだことなんて話して無かったよなァ?」「……」アンクは、キュゥべえが魔法少女によって殺されたのだという事を巴マミから聞いている。しかし、鹿目まどかは巴マミとは今日が初対面だったはずなので、おそらくマミから聞いたという線は無い。魔法についても、暁美ほむらから説明を受けている時の反応は、魔法というもの自体を初めて知ったという印象をアンクに与えていたのだ。だとするならば……鹿目まどかがキュゥべえの死を知っているのは、おかしい。「私、キュゥべえを殺しちゃった……かもしれないんだ」「かもしれない?」鹿目まどかの独白にも驚いたが、その不確実な物言いもよく分からない。爪が割れるんじゃないかと思わせるほど強く握りしめられたその手を見れば、嘘を吐いているのではない事は推し測れるが、だからこそ理解できないのだ。キュゥべえに既に会ったことがあるにしては、魔法というものに関する知識が乏し過ぎるようだったのも気になる。「私。全然覚えてない、の。でも、気付いたらナイフ持ってて、キュゥべえが、バラバラで……!」声を震わせて背中を丸めるまどかを余所に、アンクは考える。巴マミの話によれば、キュゥべえは黒髪の魔法少女に、あのヒゲタマゴが居たビルで殺された筈だ。情報が明らかに食い違っていると言わざるを得ない。「ガ……まどか。それは何時の話だ?」「昨日、だよ?」訳が分からない。前回キュゥべえが死んだというのは巴マミの申告だったのだが、その時に実は生きていたという事だろうか?「死体は確認したのか?」「ほむらちゃんが、任せてって言って、持ってっちゃった……」布団の中に引き籠って蓑虫のように体を縮めながら、鹿目まどかはしっかりと返事を出し続けてくれる。おそらく、そのグロテスクなキュゥべえの様子を思い出して気分を悪くしているのだろう。罪悪感に心を苛まれているという理由もあるのかもしれない。「あの黒いガキは、そのことを知ってるわけか……」――貴女もキュゥべえに目を付けられた以上、無関係では居られない。だから話したわ。絶対に契約しようなんて思わないで。昼間の口ぶりは……まるで、鹿目まどかがこれからキュゥべえと契約する可能性があることを前提にしているようでは無かったか?暁美ほむらも、アンクが想像もしないような事実をまだ隠している。アンクはそんな確信めいた予感を抱いていた。「聞け。お前は……キュゥべえって奴を、殺していないかもしれない」「……え?」嗚咽を漏らしていたまどかが、布団の上からでも分かるぐらいに、ぴくりと身体を震わせた。「少なくとも、俺が聞いたキュゥべえって奴は、重火器で身体を蜂の巣にされても生き残れるような生き物だ。生きてても不思議じゃない」「励まして、くれるの?」その声は、ほんの少しだけ嬉しそうだった。布団に丸まってその表情は分からないのに……アンクは、そう思えた。「でも、流石に無理だよ。頭が身体から離れてたもん」「俺だって似たようなモンだ」もぞもぞと布団から顔を出して、まどかがアンクに視線を落とす。そこには、掌だけになっても動き続ける、常軌を逸した生物がまどかの言葉を待っていた。「もしかして、キュゥべえはアンクちゃんの友達だったの?」「会ったことも無い奴と友達になれるか。それに、人間の欲望はグリードのものって決まってんだよ。掻っ攫われてたまるか」キュゥべえは生きている……かもしれない。思い始めると、思わずには居られない。「アンクちゃん……照れてる?」「調子に乗んな」「うぇへへ」奇妙な、この少女の独特の小さな笑い声。それが何処か心地良いような、そんな気が、した。「欲望、かぁ」おもむろに天井を見上げたまどかが、呟く。欲望という言葉自体は、あまり響きが宜しくない。だがしかし、「そうだね。キュゥべえの生死を確かめたいっていうのが、多分私の今の欲望。何だかちょっと楽になったかも。アンクちゃん、ありがとう」欲望は、希望でもあり、道しるべでもある。時に夢、時に愛、そして時には闇を切り裂く光にだってなるかもしれない。「ふん。なら、その欲望……解放しろ」グリードがヤミーを作る時に言い放つ、定型句だった。それは、ヤミーを作ることの出来ないアンクが言っても、何の意味も無い一言に違いない。だが、新たな目標を見つけて意思を燃やす少女に投げかけるには、うってつけだ。そう、思えた。「そうだなァ。俺もキュゥべえって奴に聞きたいことがあるから付き合うが、肝心の外見を知らないと捜しようが無い」出来れば、魔法少女の弱点の一つでも聞き出したいところである。「絵、書くよ? 美術は結構得意なんだ」紙とペンを探そうとするまどかは、先ほどよりも生き生きとしているように見える。だが、アンクにはもっと直接的に情報を受け取る手段があるのだ。「いや、お前の記憶を直接見た方が確実だ」「そんなコト、できるの?」アンクを両手で宙にかざしながら、驚きの表情を作って見せるまどか。その様子さえどこか嬉しそうに見えるから、不思議である。先ほどテンション最低の状態から復帰した反動で、箸が転げても笑うような状態なのかもしれない。「しばらく、呼吸を落ち着かせて、何も考えない状況を保て」掌だけのアンクがまどかの右手の上に覆いかぶさり、指示を飛ばす。「それって、瞑想っていうんだっけ? 出来るかなぁ……」「難しく考えんな。要するにぼーっとしろってことだ」それなら得意技だよ、と無い胸を張って、ベッドの上に胡坐をかいて手を組んでみた。形から入るのは大事だと自分に言い聞かせながら、目を閉じる。ゆっくりと深呼吸し……唐突な眠気に襲われた。そういえば、昨日は泣き明かしたので、実質的には20時間以上覚醒状態を保っていたような気がする。気付いてしまうと、後はどうしようもなかった。こっくりこっくりと頭の中で羊が数えきれない速度で増え始め、何も考えることが出来なくなる。群れの中で、天井に望遠鏡を仕込む音や、フォーゥ! と叫ぶ声が……お前らは羊で良かったっけ?瞬く暇も無く、鹿目まどかの意識は、牧場の奥へと消えて行ったのだった……5分も経たないうちにベッドへ倒れ込んだ鹿目まどかの目が……唐突に、見開かれる。その右手に重なっていたはずの不気味な掌は、いつの間にかその姿を消していた。目付きは鋭く、どこか鳥類を連想させるものに変わり、攻撃的な意思の存在を思わせる。とんとん、と米神を軽く指で叩きながら、記憶を漁る。鹿目まどかが、ではない。今、その身体を支配しているのは、アンクという一体のグリードだった。「……コイツか」全体的にネコのようなフォームだが、その尾は胴体に並ぶほどの太さと長さを持ち、耳から飛び出た無駄毛は首にかかる負担が心配になるレベルの大きさである。鹿目まどかは、キュゥべえと名乗るそいつを見て一目で可愛いと感じたようだ。『今日は君にお願いがあって来たんだ』『お願い?』キュゥべえはその時、確かに笑顔を作っていた。……が、「不気味な奴だ」アンクの心証は最悪だった。暁美ほむらの説明を聞いてしまったことも影響しているかもしれない。『ボクと契約して魔法少女になってよ!』その笑顔がとても腹立たしいものに思えてしまう原因は……もしかすると、それだけでは無いかもしれないが。ほむらの説明によると、二次性徴期の少女の希望が絶望に総転移する際のエネルギーを回収するのが、彼らの役割らしい。この少女……鹿目まどかも、契約すれば何れは絶望に心を委ねるようになるのだろうか。『その代わりに、何でも一つだけ願いを叶えてあげるよ』「お前ら……何かがグリードと被ってンだよ」下手をすると、グリードよりも悪質かもしれない。そして……病室の入り口に、暁美ほむらが現れた。『ほむらちゃん、心配かけてゴメンね。でも、無事で良かった』「まったく、お人好しなガキだ」キュゥべえを目の当たりにして驚愕に目を見開く暁美ほむらの姿が、まどかの視界の中には収められていた。初めてキュゥべえに会ったから驚いているのではなく、キュゥべえが鹿目まどかの元に居ることを驚いているということは間違い無いだろう。「……何故だ?」鹿目まどかが魔法少女の素質を持っていることが意外だった?暁美ほむらには魔法少女の素質を推し測る手段があるということか?それとも、死んだはずだと思っていたキュゥべえが生きている事に驚いているのか?暁美ほむらに関しても、まだ疑問は尽きない。そして……事件は、起こった。『ほむらちゃん、見て、この子! キュゥべえって言……う……?』まどかの手に突如として返ってくる、血液の滴る感触。抱き上げようとして、そのままキュゥべえの頭がもげる。「……コイツに苦痛って感覚は無いのか?」笑顔を張り付けたまま床に落ちるキュゥべえの首。まるで、痛みを感じる間もなく逝ったようだった。もしくは、痛みを感じるという機能そのものが備わっていないのか。「……っ」鹿目まどかの中で巻き起こった感情の奔流に面食らって思わず意識を手放しそうになりながらも、なんとか頭を押さえて、アンクは精神を持ち直す。ちらちらと視界に入る桃色の髪が、汗に濡れてえらく鬱陶しかった。「……っはぁ」吐く息が、熱い。肺が苦しくて、心臓が壊れそうだった。こんな時、人間の身体は不便だ……そう、アンクは思う。「まぁ確かにあの状況じゃぁ、このガキが自分を犯人だと思うのも無理は無い、か」自分が支配する小さな手をまじまじと眺めながら、アンクは呟いた。だが、何かが間違っているとしか思えない。少なくとも、何処かの小説に出てくる二重人格博士のような残虐性は、この少女の頭の中には無かったのだ。その他の記憶を洗ってみたものの、有用そうな記憶も特に見当たらない。それでも、何回か事件当時の記憶を洗い直してみた。人間の脳は、引き出しを開けるのが難しいだけで、莫大な量の情報をかなり正確に記録しているのだ。それを、本人の無意識にまで入り込んで、徹底的に漁り込む。「ん……? 何だこれは……」偶然に、『それ』は見つかる。最初は、ただの見間違いかと思った。だがしかし、記憶を繰り返して、コマ送りにしてみると……違和感が際立ってくる。鹿目まどかの頼りない小首を捻って、うんうんと唸って見せるアンクは、「こんなことが有り得るのか? だが……」その映像の何が決定的に不自然なのかという解答にまでは、辿り着いた。そこまでは良かったのだが、その奇妙な現象の原因が判らないのだ。結局、アンクは判断を保留にすることとなるのであった。アンクは、何に気付いたのか?明るみに出るのは、まだもう少し先の事になるかもしれない……・今回のNG大賞「こいつをこのまま操ってキュゥべえと契約させれば……」もう、オーズもヤミーも要らない。『願い』で究極の肉体を作らせれば良い。その結果として一人の少女が人生を狂わされたとしても、アンクの知ったことでは無いはず……だ。そのはず、なのに……――悪い事しちゃ『メッ』だよ? しっぺしちゃうよ?酷く胸の奥が痛むのは、何故だろう。このガキの身体は、至極健康的なはずなのに。「ハッ、全く、バカなガキだ……」部屋に備え付けられた鏡の向こう側の少女が、笑った気がした。――こうしてアンクちゃんは、良い子になったのでした! めでたしめでたし! うぇへへ!その鏡に本当に写っているのは、泣きそうな顔をしている、子供の皮を被った目付きの悪い化物なのに。「俺も……ヤキが回ったか」鹿目まどかの、玉を転がすように笑う声が、耳から離れない。同じ声なら今でも聞けるはずなのに、声が震えて、笑う気にもなれない。「安心しろ」脳の奥底に意識を沈めていてアンクの声なんて届く筈の無い『本物』に、聞こえないように呟く。「『使えるバカ』を簡単に使い潰したりはしないから、よ……」溢れ出すこの涙はきっと、涙腺の緩い鹿目まどかが悪いに決まっている。絶対、間違い無く、そうに違いない……・公開プロットシリーズNo.30→まどかの優しさが世界を変えると信じて。