「おい、ガキ」一晩だけの検査入院を終え、家族の迎えを待ちながら、鹿目まどかは不思議な生き物と会話を交わしていた。「『まどか』だよ。私もアンクちゃんのこと、ツチノコさんって呼んじゃうよ?」「チッ……」不満そうな声を発するこの掌が顔というものを持っていたら、どんな表情を見せていたのだろう。声とは裏腹にあまり怒っていない、というのが鹿目まどかの見解である。「何故、俺を助けた?」――そいつも、今朝からの長い付き合いだ。火野映司は、カマキリのヤミーから同種の言葉をかけられた時に、そう答えた。だがしかし、アンクと少女の間にはそんな小さな繋がりさえも無かった筈だ。「私、ね……」少女は、ぽつりぽつりと、言葉を零し始める。小さいころから取柄が無くて、誰かの足を引っ張ってばかりだったこと。そして、何時しか誰かの役に立てることが、少女自身の夢になっていた、と。そんな大事なことを出会ったばかりのアンクによくも話してくれるものだ。そう思う反面、アンクが人間の形をとっていないからこその警戒心の薄さもあるのかもしれないとも思える。「なら尚更、何で俺なんかを助けたんだ?」火野映司に対しても、同じ疑問は少しだけ感じていた。ただ、奴に関しては泉信吾刑事という人質が居るせいだろうと思って、あまり考えてこなかったのだ。あの『使えるバカ』が掴みたい腕の中に、今でも自分は入っているのか。「マミの奴から聞いたろ。俺は悪人だってな」アンクは、何れは完全態を超えた強い身体を手に入れ、人類の脅威となることだろう。ならば、まどかが役に立ちたいと思う対象である人間たちのためにアンクという悪の芽を摘んでおくのは、手段としては間違っていない。あの二人の魔法少女が、そうしたように。「悪い事しちゃ『メッ』だよ? しっぺしちゃうよ?」「……俺に命令すんな」凄んで見せるまどか……いや、本人はそのつもりなのだろう。アンクとしては、全く恐怖を感じない、ちっぽけな人間の女の子にしか見えないが。「こうしてアンクちゃんは、良い子になったのでした! めでたしめでたし!」「馬鹿か」その子供の声が、不思議と心地よくて。彼らの掴みたい腕の中にはきっとアンクも入っている、と。根拠も無く、そう思えた。「うぇへへ!」「はっ……」呆れたように空気成分の多い声を出す、掌怪人。このガキ……鹿目まどかに出会ってから、ペースを乱されっぱなしだ。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第二十八話:秘密主義者の集いコツコツというノックの音を聞いて、咄嗟に袖の中にアンクを隠したまどかだった。制服ならともかく、割とゆったりした病院着ならば、充分にそれが出来るのだ。「お邪魔するわ」「どうぞー」入って来たのは……腰まで伸ばされた黒髪が印象的な、鹿目まどかの同級生。一瞬、既視を感じて袖の中の生き物の存在を確認したが、別に惨殺死体になっているという事は無いようだ。ちなみに、キュゥべえの時には起こさなかった『隠す』という動作を行ったのは、アンクという生き物が一般人から見たら不気味であるという事を理解しているためである。もしもアンクの外見がキュゥべえに匹敵するほどに可愛らしかったのなら、それを紹介された暁美ほむらさんに惨殺される危険は、無かったとは言えない。アンクという生命がその外見によって得をした、初めての瞬間であった。「ごめんなさい、まどか。私のせいで、こんな事に……」「気にしないで。ほむらちゃんが無事で何よりだよ」まどかは、気付いているだろうか。暁美ほむらが、その言葉を聞いて、歯を食いしばって何かを呑みこんだことを。その手が、今にも血が出るのではないかというほどに、握りしめられていたことにも。「これ、今日の分のノート」「ありがとう」それでも、まどかの笑顔を見ると、自然と肩の力が抜けて。「どこか痛むところは無い?」「全然。当り所が良かったみたい」まどかの怪我が軽かったことが、この上なくほむらの心も軽くして。「何か欲しいものは無い?」「もう退院するし、特に無い、かなぁ」一番幸せな答えが返ってきたことが、嬉しくて。「消して欲しい病院関係者とか……居ない?」「もしその人が本当に無くなったら、それはとっても怖いな、って」だから少しだけ冗談めかしてみたくなって。「心配には及ばないわ。私も少し、休憩中だから」「最近、ほむらちゃんが何処に向かっているのか分からないよ!?」ちょっとだけ、ループ知識の無駄遣いをしたくなって。「夕暮れ時にCDを叩き割る患者が煩かったりするでしょう? 大丈夫よ。貴女に疑いはかからないわ」「信じたいけど……ほむらちゃんのことを嘘吐きなんて思いたくないけど……でも、全然大丈夫だって気持ちになれないよ……!」最後の冗談を口に出してから一瞬の間、暁美ほむらは自分が失言を吐いてしまったのではないかという疑惑に捕らわれていた。何の変哲もないジョークのつもりだったが、昨日のキュゥべえの一件をまどかに思い出させてしまったのではないか、と。結果的にその心配は、杞憂に終わったが。超絶過保護というか、なんというか。だがしかし、冗談を交えて話し合えるあたり、まどかもほむらも調子は悪くは無いようだ。……冗談だよね? 冗談だって信じてるよ、ほむらちゃん!暁美ほむらが鹿目まどかに依存している、とも言えるのかもしれないが。「……ほむらちゃん、笑ってる」「え……?」暁美ほむらは、自身でも気付いていなかった。その頬が、緩んでいる事に。だからこそ、まどかの指摘に、思わず胸が高鳴った。「ほむらちゃん、何か少し変わった? 私は今のほむらちゃんの方が好きかなぁ」「……そう?」暁美ほむらが戸惑っている、ということが、鹿目まどかには手に取るように分かった。「だって、いつものほむらちゃんって、こんなムッツリ顔してるんだもん」自分の目尻を両手で引っ張って、目付きを悪くして見せる鹿目まどか。「……ぷっ」「あぁ、また笑った!」口を横に伸ばして悪戯っ子じみた笑顔を零す鹿目まどかと、控えめに笑う暁美ほむらの姿は……どこか懐かしさを感じさせる光景だった。少なくとも、暁美ほむらにとっては。「心配かけちゃって、ごめんね」「……やっぱり、貴女には一生勝てないのかもしれない」暁美ほむらが鹿目まどかを元気づけようと考えて発言を捻っている、ということが、まどかには完全にバレていたようだ。流石に、まどかにあらぬ罪を被せたことによる罪悪感までは読み取られていないだろうが、何となくほむらが気を遣っているのは気付かれている。「大丈夫だよ。確かに自分が信じられなった時もあったけど、ちょっとイイ事があったからまた立ち直ったんだ」「何か、あったの?」何だか、ほむらちゃんの顔つきが少しだけムッツリに戻った、ような……?多分、心配しているんだろうとは予想が付くのだが、ここは少し焦らしてみるのもアリかもしれない。というか、アンクを助けたことを言おうにも、ほむらがアンクを不気味がりそうなので言えない。「ひ・み・つ!」「……!」目をぱちくりとさせるほむらの様子を確認しながら、まどかは思う。何だかんだで、やっぱりほむらは普通の女の子なのだ、と。「……貴女に口を割らせる方法なんて、思いつかないわ」「何でも言えるだけが友達じゃないよ。見ての通り、私だってほむらちゃんに話せないこと、あるもん」初恋の人とか、最後にオネショした年とかね、なんて冗談めかして言うまどかの顔が……真剣なものへと変わる。「だからね、ほむらちゃんが私に隠し事をしてても、そのせいで気を病んだりしないで。そんなことで嫌いになったりしないから」まどかは、ほむらが鴻上会長の娘であるという根本的な誤解を抱いている。ほむらが財団の敵対者からの襲撃に合うことがあり、それにまどかを巻き込んでしまったことを気に病んでいる、と。暁美ほむら本人が聞いたら笑い出してしまいそうなデタラメだが、鹿目まどかとしてはかなり本気なのだ。「……貴女には、敵わない。本当に」そんな事情など知らないほむらは、心の底から思う。やっぱり貴女はまどかで鹿目さんで鹿目まどかなんだ、と。「まどかー! 寂しかったかー?」珍獣、現る。ヤツの名前は、美樹さやか。まどかとほむらの静かな一時を邪魔しに来た、空気の読めない女である。「お見舞いは嬉しいけど、時間的に上条君の所に行った後なのが丸分かりで、悲しいなー」「当たり前よ。美樹さやかは友達よりも男を取る薄情者。分かっていた事でしょう」「あははっ! 恭介は『まだ』彼氏じゃないってばぁ!」頬を染める美樹さやかの顔に渾身の右ストレートをぶち込んでやりたい……とまでは、ほむらさんは思っていないはずだ。思っていないったら、いない。どうせもうじき、上条さんが直々にその幻想をぶち壊してくれるイベントが待っているのだから。というか、バシバシと音を立ててほむらの背中を掌で叩くのはやめてほしい。照れ隠しのサインなのだろうが、魔法少女としての力加減を忘れているとしか思えない威力である。まぁ、もし鹿目まどかに同じことをしたら、3秒以内にその額にサブマシンガンの弾丸をドラム缶一杯分程度ぶち込んでやることになるだろうが。「ああ、そうそう。実は、噂の『巴マミ』さんとお近づきになったよ!」暁美ほむらの表情が……強張った。……幸か不幸か、それに気付いた者は居なかったようだ。「その名前、前にも聞いた、ような……?」「ほら、『私と一緒に死んで』って言って欲しい女子ランキング一位の、巴マミさん。覚えてない?」「ああ、思い出した! この間町で会った子が探してたんだ」掌を打って記憶の引き出しを見つけたまどかに満足気な視線を向けながら、さやかは頷いて見せる。だが、その次に発せられたまどかの言葉は、全然予想通りではなかったりして。「さやかちゃんに、友達が出来たんだね……! 『あの』さやかちゃんに……!」「『あの』って何!? なんか凄く失礼な響きだったよ!? あたし別にボッチじゃないのに!?」「貴女は貴女のままで居ては駄目っていうことよ。美樹さやか」涙声を作って目元を隠してみせるまどかに、美樹さやかが猛然と抗議した。だが、暁美ほむらには分かっていた。鹿目まどかの声が震えているのが、泣いているのではなく笑っているからだ、ということを。「あたしだって友達ぐらい居るわよ!? ほら、証拠写真!」さやかの取り出した携帯端末に映し出された写真に、まどかとほむらの視線が集まる。どうせ、ループ中に嫌でも顔を会わせ続けた縦ロールだろうと思って、懐かしい気分を思い出しながら写真を認識したほむらが……固まった。写真に一緒に映っている、もう一人のせいで。――魔法少女がクーリングオフを求めてきたら、困るじゃないですか悪魔のような羽を生やした、魔法少女にしては脆弱過ぎる存在が、写っていたのだ。キュゥべえという本物の悪魔の手先である彼女は、どうやら巴マミに泣きついたのだろう。そして、既に美樹さやかとも接触を取り、それなりの信頼関係を築いているのだということが、仲睦まじく写真に収まっている様子から判断できた。一方の鹿目まどかは……だらだらと冷たい汗を流していたりする。――今の内に不幸の芽は摘んでおいた方が良いと思わない?先ほど、このお姉さんに実銃を向けられた覚えがあるのだから、当然である。何だかこの巴マミ様は、パンが無いなら皆ケーキを食べるしか無いじゃない、とか言っちゃうタイプに見える。そして、一緒に映っているもう一人の子は、まどかに巴マミの所在を聞いて来た彼女に違いない。「どうしたの? 二人とも黙りこくっちゃって?」そして、美樹さやか。貴女はもう少し他人の機微に敏感になってもバチは当らないと思うわ。「さやかちゃん……危ない目にあったり、怖いコトに巻き込まれたりしてない?」「……どうして、そう思うの?」一杯に涙を溜めたまどかの目を見せつけられて、思わずさやかは怯んでしまう。だがしかし、まどかがそのような思考に行きついた経緯がさっぱり分からない。まどかは、魔法少女や魔女のことなど知らない、普通の子の筈なのに。「だって、巴マミさんって、お色気要員で、銃を持つと引き金を引きたくなるタイプの人間で、他人に銃を向けるときでさえ笑顔を絶やさない素敵な人で、常に誰かに銃口を向けてて、友達の婚約者を平気で寝取る人だって聞いたよ……?」「……半分ぐらいは、当たっているわね」「何その噂!? 転校性も何で頷いてんの!?」どんな噂話でも、三人の人間から聞けば、大体の人間は信じるという。……つまり、親友二人から伝えられた噂話を、大真面目に信じる一歩手前でさやかは踏み止まったのだった。「無い無い。だいたい、二人とも何処からそんな噂を仕入れたのさー?」「私は、一緒に写真に写ってる子から聞いたよ」名前聞き忘れちゃった、と補足しながらまどかが写真に映ったもう一人を指さしてみせる。「トーリが……?」「トーリちゃんって言うんだね」三人の人間が同じ噂話をしていれば以下略。流石のさやかでも、巴マミという人物像が若干揺らいできた。それでもまだ巴マミの評価が地に落ちていない辺り、如何に彼女の人望があるかということが推し測れる。「よし、こうなったら、ここにマミさん本人降臨させよう!」「さささやかあちゃんん! それはマズいよ! どうかしてるよぉっ!?」焦った。流石にこればかりは、焦らざるを得ない。まどかは、先ほど巴マミに射殺されそうになっていたアンクを匿っているのだ。最悪、バレたらまとめて射殺されるかもしれない。俗に言う、『血溜まりスケッチ』というヤツである。「そんな怖い人じゃないって。今ならまだこの近くに居る筈だから、ひとっ走りすれば呼んで来られるよ」「さやかちゃん、私達……友達だよね?」今にも泣き出しそうな鹿目まどかの姿を目の当たりにすれば、いくら鈍感な美樹さやかであっても、自身の行動に何か非があったのだと気付く。というか、部屋の何処かから今にも美樹さやかを殺さんとする欲望が撒き散らされている気がするから、不思議なものだ。グリードでもないさやかには、他人の欲望を感じ取る能力など無い筈なのに。「美樹さやか。私も、巴マミには会いたくないわ」「転校生まで、言うか……」まどかの怯え方には若干の違和感を嗅ぎ取っていたさやかだが、この無表情電波女までが同意するとは思ってもみなかった。まぁ、電波少女が次に繰り出す台詞を予測することなど、とうの昔に放棄しているが。「私は、巴マミが人間相手に銃を向けている姿を何度か見たことがあるわ。経緯はともかく、危険人物に変わりは無い筈」事実には違いない。魔法少女が魔女になるなら皆死ぬしかない時に初めてマスケットを向けられたことは、最早思い出の彼方だ。ただ、この時間軸でもほむらがキュゥべえを殺した直後に向けられているので、間違ってはいない。「そ、そうだよ! 私も見たことあるんだ!」二人とも、その対象が自分であることを言わない辺りにさやかへの遠慮が見て取れる。そして何気なく放たれたまどかの一言に、ほむらは目を見開いて驚いていたりして。「その経緯も気になるけど……まぁ、マミさんはやめとくか」二人のただならぬ拒否ぶりに面食らったさやかだが、何だか納得がいかない。ならば。「じゃあさ、代わりにトーリのヤツを呼んでも良い?」マミさんの汚名を返上したいさやかの思い付きが……オリ主に新たな死亡フラグを建てようとしていた。暁美ほむらという最悪の死神が待ち構える病室に、彼女は文字通り飛んできてしまうのだろうか……・今回のNG大賞「本人降臨させよう!」「らめええええっ!!」「どうしたのさ、まどか? 病院で大声を出すなんて、世界一迷惑な奴なのだぁ!」「美樹さやか……この場で射殺されたくなかったら少し黙ってなさい」「巴マミさんみたいなこと言ってる!?」暁美ほむらは、何処まで行っても結局巴マミの弟子なのかもしれない。・公開プロットシリーズNo.28→ずっとまどかのターン