鹿目まどかは、およそ活力と呼べるものを失くしていた。自分がどうやって病室まで戻って来たのかも、覚えていない。無事に帰って来られたことが、奇跡的でさえあるという具合だった。――俺は、そういうバカが大好きだ。見た目と口は悪くても、まどかのことを大好きだと言ってくれた、変な生き物だった。不思議とその悪態は嫌な感じではなくて、まるで小さい子供が見栄を張っているみたいな微笑ましさがあって。見た目からして可愛らしいキュゥべえと比べてはいけないのだろうけれど、弟を見ている時に近いような感覚が、確かにあった。……また、死なせてしまった。キュゥべえの時のように、まどかに責任があるわけではない。それでも、助けられなかったという事実が、鹿目まどかの心に重石として圧し掛かる。聖なる泉は枯れ果て、まどかしか居ない病室が昨日より更に広くなったような気がした。失意の淵に、それは聞こえた。「……?」財布の中を整理する時のような、金属が擦れ合う音が、確かにまどかの耳に届いたのだ。先ほど不思議な腕が爆散する時に起こったそれに似た、しかしずっと小さい音が。自分の手元に違和感を覚え、まどかが下方に視線をずらすと……10枚ほどのメダルが、まどかの入院着の袖口から零れ落ちていた。その中に一点だけ輝く真紅のメダルが、輝いたような気がした。赤を中心に引き寄せられるようにひと塊に集まったメダルが、生命の形を為し始める。「あ……」感嘆するまどかを余所に、メダルは五つに先分かれし、やがて人の手にそっくりな形状を作り上げる。見る間にその場に現れたのは、腕怪人……もとい、掌だけになった先ほどの不思議な生き物だった。「こいつは儲けた、なァ……」己の存在という最も大事な拾い物をしたことを、感慨深そうにボヤく掌怪人。おそらく、マミに最後に腕を掴まれる前に、本体である赤いコアと少量のセルをまどかの衣類の中に滑り込ませていたのだろう。巴マミによってトドメを刺される前には手首から先がもげてしまっていたが、その時には既に本体は逃げ延びていたということらしい。アンクにとっても、危険な賭けには違いなかった。意思コアが落ちた後の抜け殻が腕としての形を保っている時間はせいぜい十数秒が限度であったため、巴マミがアンクに止めを刺すことに時間をかけていたらアウトだったのだ。結果として、アンクはその一世一代の博打に勝利したわけだが。「……った」「ああ?」驚愕に目を見開いていたまどかが、ようやく反応を発し始める。「良かったぁ……!」既に尽きた筈の涙が、零れ落ちる。出会った時よりさらに小さくなってしまった異形の怪物を抱きしめ、まどかはただひたすら泣き続けた。生きているという、ただそれだけのことが、心を揺さぶる。「……ふん」「ありがとう」不満そうな声を鳴らしながら、掌怪人は、暴れもせずにまどかの胸の中に居座った。彼が何を思っているのか……顔どころか腕部分さえ失った彼の表情を窺い知ることは、出来ない。「生きててくれて、ありがとう……!」それでも、もう少しの間だけこの少女の為すがままにされても良い、と思えているのかもしれない……「『生きて』て、か……」アンクのその呟きは、誰の耳にも届かなかった。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第二十七話:弱い女Count the medals 現在オーズの使えるメダルは……タカ×1クワガタ×1バッタ×1トラ×1「それで、泉刑事はどうなったのかしら?」マミの現在の話し相手である美樹さやかは、他人にも使える治癒能力を求めてキュゥべえと契約した経緯を持っている。それを知りつつも尋ねてみる巴マミは……何故だか少しだけ、神経質になっているのかもしれない。もっとも魔法少女の後輩は、そんな巴マミの様子には気付かなかったようだが。「しっかり完治させちゃいましたよ。意識も戻ったし、自分の足で帰って行きました」そう言いながら、少しだけ濁りが溜まったソウルジェムをぶらぶらと振って見せてくれる、美樹さやか。一仕事を終えた後の、良い顔をしている。それに引きかえ、巴マミは……何故だか自分の今の顔を想像したくなかった。「こっちも殺ることはやったわ」「おお、さっすがー」マミが学生カバンに詰めて来た、一山のセルメダルと10枚にも満たないコアメダルを見て、さやかが感心したという心境を捻らずに口に出していた。マミの胸の中のざわめきは、収まらない。アンクの形見の赤いメダルが目に入るたびに、思わず目を逸らしてしまう。「あとは、パンツマンにそのメダルを届けて終わりですよね?」「そうね……でも、この赤いメダルだけは私の手元に残して、アンクは残りのコアを探しに遠出しているとでも言っておきましょう」――あいつの身も心配だし映司の言葉が、頭から離れない。自分が間違いを犯しているとは、思いたくない。でも何となく、マミがアンクを手にかけたという事実を、映司に知られたくなかった。「でも、どうしてそんなことを?」「オーズがタカのメダルを使うと、透視能力が備わるの。そんな目で見られたらお嫁にいけないわ」既に火野さんの手元にも一枚あるみたいだけど、と補足するマミは、把握できていない。トーリの助言によって、アンクが二枚目のタカメダルを所持していたことを。アンクの意識の乗ったコアが、生き延びて保護されているなど、想像もできなかったのだ。「まさかあのパンツマン、戦いの最中にあたし達を視姦してたってのか……!」「そこは火野さんの良心を信じたいけど、念には念を、ね」誤魔化せば誤魔化すだけ誤魔化されてくれる後輩の頭脳が、今は有難い。もし映司が近くに居たならば、自分の化けの皮なんて簡単に剥がされてしまうだろう、とマミは思う。それだけ彼は、他人の機微に鋭いのだ。透視能力など無くても、人の心の中を見透かしているんじゃないかと思う事があるほどに。「そういえば、銀色の……セルメダルは、トーリに預けるんでしたっけ?」――アンクさん……無事だと良いですね。トーリもまた、アンクの訃報を聞いたら良い顔はしないだろう。彼女は大よそ魔法少女に不向きとしか思えない優しさと臆病さを持っている、頼りない存在なのだから。当人の本音はどうあれ、巴マミにとっては、その人物評価が判断基準な訳で……「ええ。そっちにも同じ説明をしましょう」ヤミーを感知できる存在が消えたことは事実だが、それは実は大した問題では無い。アンクの目的はメダルの収集であるため、ヤミーがある程度成体に近くなるまでは放置するヤツなのだということを、マミは映司から聞いていた。だが、その段階までヤミーが育つには、その過程で目撃者がある程度出てしまうはずなのだ。つまり、情報網ぐらいは整備しているであろう鴻上財団ならば、アンクと大して違わない早さでオーズへヤミーの情報を流してくれるに違いない。事実、ピラニアのヤミーの場所を映司に教えたのは、アンクではなく財団の社員である後藤慎太郎だったのだ。従って、アンクを殺したとしても、オーズ側にデメリットはほぼ無いはずなのだ。そのはず、なのに。……心のざらつきは、消えない。そして、噂のトーリはと言えば。……クスクシエの屋根裏部屋を訪れた銀髪のイケメンさんの対応に困っていたりする。「ええと、どちら様でしたっけ?」「ああ、君にとっては初めまして、になるのかな」トーリには、目の前の人物に全く見覚えが無い。彼はトーリの知り合いを名乗って知世子店長にここまで案内してもらったらしいのだが、トーリは彼を知らないのだ。『トーリちゃんも、隅に置けないわねぇ』などと茶化す言葉を残して去って行った知世子さんが何を考えているのかは大体予想がつくが、目の前の銀髪さんの考えは皆目見当もつかない。「この姿を見せれば分かる……よね?」「ひぃっ!?」咄嗟に声が出そうになったトーリの口を抑えて、不審な音の発生を未然に防ぐ彼の手は……人間のそれではなかった。瞬く間に銀髪の青年の全身が紫と黄色を基調とした柔軟性の高そうなものに変わり、トーリの口を塞ぐ手には、猫科特有の柔らかい肉球がその存在を主張していた。「見ての通り、黄色いメダルのグリードのカザリ。それがボクだよ。思い出した?」「むぐぅっ!?」殺られるっ! 犯られるじゃなくて殺られるっ!?身の危険を感じて暴れようとするトーリだが、流石のグリードというべきか、素早い動きを見せたカザリに瞬く間に組み伏せられてしまう。何を隠そう、このカザリはグリードの中で最速の存在なのだ。「あれ? 予想以上に弱い? ヤミーで魔法少女なんていうから規格外な強さを期待してたんだけど……まぁ、これはこれで使いやすいのかなぁ?」使う?すぐに殺されるような雰囲気では無い事に少しだけ希望を抱きながら、トーリはカザリの言葉を待つ。「僕の言う事を聞くなら、壊しはしないよ? ヤミーである君は、どうせオーズ達を利用するために一緒に居るだけなんだろうし」このグリードは、トーリがヤミーであることを確信しているらしい。おそらく、とぼけても無駄だろう。「まず聞いておくけど、君の創生者って誰?」「ウヴァさんです」ようやく話せるようにして貰えたトーリは……正直に質問に答えてみた。もちろん、死にたくないからである。「親はどんな欲望を持った人間?」「魔法少女を増やしたいって言ってましたよ」親が人間でないだとか、そんな余計なことは言わないが。そして、何やら考え込んでいるカザリが黙り始めてしまったため、トーリとしては出方が判らずに待ち続けるしかない。魔法少女を増やすなどという不思議な欲望を持つ人物像について考えているのだろうか。「それで、今日君に会いに来た要件なんだけど」人を組み伏せて脅しておいて、まだ前置きだったんですか。……などと突っ込みを入れたら、あっという間にセルメダルの山に変えられてしまうのだろうか?「君に、メダルの『器』としての実験台になって欲しいんだ」「『器』……?」聞き慣れない、言葉だった。「コアメダルの力は強大だけど、それだけじゃつまらない。複数の色のコアを一つの器に集中したらどうなるか、試してみたくなってね」もっと言えば、どういう状態でどの程度の枚数のコアを取り込むと暴走が起こるのかというデータが、カザリは欲しいのだ。メズールを使う手も無いでは無いが、ガメルまでもが行方不明になって慎重になり始めている彼女が、同意してくれるとも思えない。そして、自分で新たにヤミーを作って使うよりは、現状で一番育っているトーリを使った方が効率的というわけだ。尚、自分自身の身体で試すのが論外なのは、カザリの性格から考えれば自明のことである。「私、複数の色のコアなんて持ってないですよ?」これも、嘘では無い。現在トーリが持っているコアは、クワガタとバッタの緑一色だけである。「物事には順序ってものがある。とりあえず今は、そのコアを取り込んでごらん?」そう言いながらカザリが取り出したのは……緑色の、カマキリのコアだった。殺されるのは嫌なのでトーリに拒否権は無い。無いのだが……気になることは、ある。「ワタシが裏切ってオーズにコアを横流しする可能性は、考えないんですか?」「……するの? いずれヤミーだとバレる君が、僕達グリードを裏切ることなんて、あるの?」いつしかトーリは、アンクに対しても同じような問いをかけたことがあった。だが、カザリの言い分は何処までも正しいように思われる。最悪の場合でも、トーリがヤミーだとバラせば、カザリは裏切り者を始末できるのだから。――もし私が化物だったら、マミさんはやっぱり私を倒すんですか……?トーリが巴マミにそう問いかけた時、そんなわけないわ、とマミは答えてくれた。だが……トーリがヤミーだと発覚した時に、巴マミはその意見を貫き通すのだろうか?グリードであるウヴァを復活させるために動き、アンクのメダルを横領している、トーリを。確証は……足りなかった。「……それもそうですね」そもそも、根本的にヤミーはグリードの僕であるはずなのだ。それなのに……何故、トーリの中にはそのような疑問が湧いて出たのか。トーリは未だ、自覚しては、居ない。「じゃあ、さっそくコアを取り込んでみてよ」言われるがままにカマキリのコアをセルメダルで出来た身体の隙間に滑り込ませた。「……?」「どう?」特に反応を示さないトーリを不思議に思ったらしいカザリが、感想を求めて来た。「正直に言って、何が変わったのかよく分からないです」トーリの実感としては、何が変化したのか全く分からない。だがしかし、嘘を吐く勇気も無いので正直に話すしかない。「まだコアが少ないからだろうね」また持ってくるよ、とだけ言い残して立ち去ろうとするカザリを、「待ってください。カザリさんに、聞きたいことがあります」先ほどまで迷惑していた筈のトーリが、呼び戻した。まだ何かあるの? カザリは自分の用事は既に終わってしまっただけに、面倒くさそうに頭の後ろに腕を組む。「グリードを……ウヴァさんを復活させる方法を知りませんか?」「知らないなぁ」……知ってるけど、教えないよ。そんなことをされたら、メダルを独り占めする際に邪魔だからである。だが、肩を落としている少女ヤミーに対する餌としては良いネタかもしれない。「でも、もしその方法を見つけたら、『器』の実験が終わった後ぐらいに教えてあげるよ」「期待して待ってます」……器になった君が、その時に生きて居られたらね。カザリは、口にしなかった。器になるという事がどんな危険性を孕んでいるのか、を……・今回のNG大賞「そういえば、ツチノコさんって、名前あるの?」「ツチノコ……だと……」どうも、一定以下の年齢の子供にはアンクはツチノコに見えるらしい。・公開プロットシリーズNo.27→鹿目まどかの物語は、もう始まっている。