『あたしの魔法なら泉刑事を治せると思うんだけど、どうでしょう?』授業中に巴マミへと繋げられた念話の内容が、それだった。そういえば、美樹さやかは治癒の魔法が得意なんだった、という事実を思い直して、なるほどと思う。だがしかし。『アンクが別の誰かを半殺しにして取り憑いたら、結局意味無いわよ』結局そこに帰結するのだ、とマミは思ってしまう。アンクがそれを行うことを未然に阻止できなければ、イタチごっこになってしまう。『マミさん。アンクってグリードなんですよね』『ええ。800年前に造られたメダルの生命体らしいわよ』この1フレーズは、前日にマミが説明した内容の反芻に過ぎない、確認作業だった。『悪い怪人、なんだよね?』――あいつが悪さをしてるかもしれないのはもっと心配なんだ思い出されるのは、火野映司の言葉。『それは間違い無いでしょうけれど……まさか』そこまで言いかけて、マミはようやく気付いてしまった。美樹さやかが何を言いたいのか、を。『悪い奴なら倒しても問題無い、でしょ?』何かがおかしいような気は、する。だがしかし、アンクを倒してそのコアを全て映司に預けておけば、オーズの戦力が上がることは間違いない。確かにアンクが何かとマミをからかってくるのは、いただけない。戦っている映司には労いの言葉一つかけずに偉そうにしているのも、マイナスポイントだ。トーリにはセクハラ紛いな発言もするし、最近ではセルメダルの管理という雑務まで押しつけている始末。しかも、映司との取り決めが無ければ人の命よりメダルを優先するような奴だという話まで聞いている。……あら? やっぱり倒しちゃうのもアリかしら?『そうしましょうか』『パンツマンとかトーリとか、協力してくれるかな?』不思議と、普段一緒に居たいと思える筈の彼らのことを、思い出したくなかった。『いいえ、私達だけでやりましょう』『マミさんがそう言うなら』巴マミは、気がつかない。何故、あの二人を誘いたくないと、思ってしまったのか。そして、美樹さやかにその行動を示唆した存在が居ることなど、想像も出来ない。ましてや、夢にも思う筈が無かったその黒幕が、死んだと思っていた旧友だなどとは……『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第二十六話:小さな手のひら決行の場所を病院の近くにすることは、あっさりと決まった。もし何か不都合が起きた場合でも、そのまま泉刑事を病院に担ぎ込めば何とかなるかもしれない、という保険をかける意味合いからである。尚、その日、火野映司はクスクシエでアルバイトに精を出していた。トーリはおそらく、目的も持たずにふらふらと何処かを飛んでいるのだろう。あの後輩は、時々意味も無く飛びまわる習慣を持っているのだ。そして、アンクだけを連れ出すのは……予想外に簡単だった。マミが用事があるとだけ伝えたところ、あっさりと着いて来てしまったのである。あまりにも簡単に事が進み過ぎて拍子抜けした感はあるものの、順調なのは悪いことではない。「人魚のグリードから聞いたんだけれど、グリードって人間の欲望を把握できるのよね?」「ヤミーを作るために、ある程度までは、な」何気ない会話をしながら、マミはアンクを導く。彼の墓場となるべき場所へと。「私の欲望を見抜くことって、出来る?」「それが出来るなら、俺だってヤミーを作ってる」アンクからマミに対する警戒心がここまで薄いのも、納得である。まさか、自分を始末するという欲望を持っている人間と二人きりになる筈もない。それよりも、魔法少女が死体であるという事実をアンクたちに悟られていないという事に、マミは少しばかり安堵していた。そういう事はやっぱり、魔法少女の先輩である自分から彼女たちに言い聞かせるべきだ、と志を新たにしながら。「だが、経験から大体の予想はついてる」「言ってみて」これからアンクを抹殺しようとしているのがバレたのかという焦りが、頭をもたげた。自然と、声が強張る。「お前は、他人から愛されたり認められたりすることを強い欲望にするタイプだ」「……どうして、そう思うの?」意外なアンクの指摘に、緊張感を高めれば良いのか低くすれば良いのか分からないマミが、やや困惑しながら聞き返す。「メズールの奴が興味を持つ人間っていうのは、大抵そんなモンだ」アンク自身の感覚というよりも、メズールの勘を信用している、という物言いだった。確かに、メズールの選ぶヤミーの親は、誰かに愛されたいだとか注目されたいといった、周囲からの認識に大きく影響されるものが多いという傾向はある。ただし、現代においてはまだ彼女が多くのヤミーを作っていないために、グリード以外からはその傾向が認知されていないが。「さっきも少し言ってたけれど、その能力が戻ったらヤミーを作りたいっていう気持ちは、変わらない?」「当たり前だ。俺がヤミーを作れるんなら、オーズを利用する必要も無くなるし、なァ」……そう。自分のすぐ前を歩くマミの声が少しだけ低くなった……そんな冷たい感覚が、アンクの第六感を刺激した。「良く分かったわ。やっぱり貴女を……『倒す』べきだという事が」「!? まさか、お前……!?」咄嗟に腕だけの怪人態を現して身構えようとしたアンクの腕を……巴マミが掴み取った。次の瞬間には、その異形の腕が、泉信吾の身体から力ずくで引き剥がされる。「あたしはこの人連れて離れてますね」気付けばそこには、アンクの知らない少女が、もう一人。青のかかった短い髪が印象的で、巴マミと同じ中学校の制服を着込んだ、何処にでも居そうな女の子だった。軽々と成人男性の身体を担ぎあげた女の子は、猛ダッシュでアンクの視界の外へと走り去って行ったのだった。「良いのか? 俺が離れたら、アイツは死ぬぞ」「あの子、怪我を治す魔法が使えるのよ。何の心配も要らないわ」アンクの脅し文句は、しかし、魔法少女という条理を覆す存在の前では無力だった。腕だけになったアンクの手首をがっちりと掴みながら……巴マミが、マスケットを取り出した。「待て。お前たちの目的は何だ?」「人間を異形の存在から守ることよ。魔女とかグリードとかから、ね」アンクを掴む巴マミの握力は、女子中学生とは思えないほどに強力なものだった。魔法少女という生物の恐ろしさが、非常によく分かる力関係である。「そのためには俺は邪魔者、ってワケか……」「グリードがヤミーを生むなら、倒すしか無いじゃない」必死に活路を探すアンクの視界に……光が、見えた。病院の傍に立っているメダルシステムの管理機、ライドベンダーの姿が。あそこにセルメダルを投げ込んでカンドロイドを使えれば、何とか脱出ぐらいは出来るだろう。「そうか。その前にはまず、お前の後ろに居る奴を倒さないとなァ」「えっ……?」思わず振り向いてしまうマミの姿を見て、アンクは一人ほくそ笑む。そんな奴など、最初から居ない。辛うじて動かせる指の腹でセルメダルを挟み、手首のスナップだけで重量感のあるセルメダルを、ライドベンダーへ投げ込む。勝った。そう、確信した。……その目の前で、宙を舞うセルメダルが爆散するまでは。「今時、小学生だってそんな『手』には引っ掛からないわよ?」「なん……だと……」マミの手に握られているマスケットから立ち上る硝煙が、セルメダルが辿った運命を語っていた。「それでは、お休みなさい。腕怪人さん」「バカな……この俺が……っ!」今際の言葉がウヴァさんと全く同じだったアンク……お前はひょっとすると、彼の虫頭を笑えない鳥頭なんじゃないのか……マミが新たに取り出したマスケットの発射口を目の当たりにしながら、アンクはこれまで現代世界で見てきたことを思い出していた。赤いコアが足りなくて。他のグリードに嫉妬して。別の色のコアを持ち出して。ヤミー如きに殺されそうになって。通りすがりのバカな男に助けられて。そのバカと一緒に不自由で不愉快な生活をおくって。それでも、あいつに奢らせて食べるアイスの味だけは最高で……「映……司……」それでも、訳の分からない棺の中に封印されて800年も暗闇の中のメダルを数え続ける日々に比べれば。「利用しているなんて言っておいて、随分虫が良いわね」……楽しかった、のかもしれない。銃弾を受ける位置を体内のコアメダルと重ならないように誤魔化し続けても、その身体を構成するセルメダルは瞬く間に削られていく。腕の手甲のように付いていた羽も既にもげてしまい、例えマミの手から逃れても、飛んで逃げることは叶わないだろう。「助け……」だがしかし、転機は……突然に、訪れた。何の前触れも無く、巴マミからアンクをひったくった、別の手があったのだ。「お前、は」メダルを5枚も握ったら溢れだしてしまいそうなほど、頼りない小さな手。その持ち主の少女に見覚えがあるような気がして、アンクは記憶を洗う。何時だったか、映司がアンクのアイスを強奪して、泣き虫なガキに渡したことがあった。その時に会ったのだ、と思い出し、しかしこの少女の力を借りても巴マミを打倒する手段など思いつかない。「危ないわ。タイミングが悪ければ、貴女も怪我では済まなかったのよ?」予期せぬ一般人の乱入に一瞬だけ面食らった様子の巴マミだが、すぐに平静を装い、警告を発する。飽く迄、正義は自分たちにあるのだと言わんばかりに。傷だらけのアンクを抱きしめた少女は後ずさり、しかしそれでも、折れない。「彼を置いて、早く去りなさい」――何だか知らないけど、もうやめろって……!少女の面影が、現代で初めてアンクを救った男のそれに重なった……そんな、気がした。「だ、ダメだよ、この子、怪我してる……!」鹿目まどかがこの場に居合わせたことに、必然の理由など無かった。ただ、人が通るとも思えない病院裏に設置してあるライドベンダーを病室の窓から発見したというだけのことだった。しかし、そこで後藤からの頼みごとを思い出したために、ライドベンダーの周囲で視線を止めてしまったのだ。そして、違和感を抱いて目を凝らした先に居たのが……赤い腕のようなモノを捕まえて銃弾を撃ち込むお姉さんだった、というわけである。そして、まどかは確かに聞いた。誰かに助けを求める、苦しそうな声を。「その生き物は、人間の敵なのよ」「この子が、何をしたの……?」少女は、問う。その脚は恐怖に震え、目には今にも泣き出しそうなほど、涙を一杯に溜めて。当然だろう。周囲に撒き散らされた火薬の臭いと、巴マミの手に握られた物騒な凶器を見れば、平和の中で生きて来た人間が怯えない筈が無い。「今はまだ、周囲の人間を脅したり盗みを働いたりする程度だけれど……力を取り戻せば、人間の命に関わる悪さを始めるわ」「まだ、あんまり、してないんだよ、ね?」そう言われればその通りではあるが……それがどうしたというのか。それよりも、巴マミは、自分が苛立ちを覚えているのを感じていた。なんの力も持たない少女が自分に歯向かおうとしているから、という訳ではないと思った。「今の内に不幸の芽は摘んでおいた方が良いと思わない?」「……そんなの絶対、おかしいよ」「お前……」声も身体も恐怖に震わせながら、それでも決して自分を曲げようとしないこの少女を見ていると、それだけで自分が責め立てられているような不快感が生まれてくるのだ。「彼一人のために、多くの人間を危険に晒して良いと思う?」「で、でも! 沢山の人のためだからって、まだ悪いことをしてないこの子を殺して良いの!?」多くを救うために一つを犠牲にする勇気を持つ者が英雄なんです。そういう言葉を残したのは、誰だっただろうか。「『良い』に決まってるじゃない」例え人間を一人も襲ったことのない魔女が相手であっても、情けなどかけない。巴マミは、そうしてきた。その例外にグリードが……入る筈も、無かった。「……!」小さな女の子の瞳には、更に恐怖の色が濃くなる。説得は無理だと感じたのか、マミの不意を突いて逃げ出した……と、本人は思ったのだろう。「ひゃぁう!?」急いで動かそうと思った足が地面に縫い付けられ、入院着が土に汚れる。綺麗に転んだまどかが、動かない自らの脚に視線を落とすと……信じられない光景が、広がっていた。地面に残った銃痕からいつの間にかリボンのような糸が伸び、絡みついてまどかの足を止めていたのだ。引っ張っても外れる気配は無く、まるで手品のように結び目も見つからない。「彼を渡して。そうすれば、貴女に危害を加えるつもりはないわ」暗に、述べる。アンクを引き渡さなければどうなるのか、ということを。それでも……女の子が抱きしめたアンクを離す気配は、無い。「嫌だよ」――手を伸ばせるのに伸ばさなかったら、死ぬほど後悔する。「そんなの、あんまりだよ……!」――それが嫌だから、手を伸ばすんだ。「おい、お前……まどかとか言ったか」「どうして、私の名前を……?」まどかは、気付いていない。クスクシエで以前出会った柄の悪いお兄さんの正体が、この腕怪人であることに。「お前は、バカだ」「……え?」まさか、助けた相手に貶されるとは、思ってもみなかった。「だからお前らは……お前らのままで居ろ。俺は、そういう『使えるバカ』が大好きなんだ」アンクは、映司と初めて会った日にも、こう思った。こいつは使えるバカだ、と。だがしかし、同時に思う。こいつらのようなバカが居るなら、人間も捨てたものじゃない、とも。「聞き分けの無い子は好きじゃないの」まどかの身体の隅々にまでリボンが巻き付き、その身体の自由を失わせる。そして、踏ん張りが利かなくなったまどかの手から……力ずくの握力任せに、巴マミがアンクを、奪い取った。「あ……」既に抵抗する力も無く巴マミの手の中でぐったりとしているアンクを目の当たりにしても、鹿目まどかは、何も出来ない。手首から先がもげてしまい、円筒のようになっているアンクは、むしろまだ生きていることの方が不思議でさえある。アンクはまどかのこと『使えるバカ』と言ったが、これでは使えるという部分さえ怪しいではないか。「お終いにしましょう」いつもより少しだけ大きなマスケットを取り出したマミは、空中にアンクを放り投げ、次の瞬間には乾いた音を響かせた。その直後に奏でられる、金属同士がぶつかり合う独特の音色。爆散した破片は全てメダルとなり、辺りに降り注ぐ。銀色のメダルに紛れて、灰色や黄色のそれが所々に散りばめられていた。かつてマミが使用を禁じたそれと同じタカのメダルが、マミの足元に転がり込む。まるで、アンクの命を獲った証と言わんばかりに。まどかは、守れなかった。昨日は、親しげに近づいて来た魔法の使者を。今日は、苦しげに助けを求めた異形の右腕を。「こんなのって、無いよ……!」メダルを回収したマミが立ち去ったのちに、局地的な雨が降ったという情報は、見滝原の気象観測所には記録されていない。・今回のNG大賞「鹿目まどか! 彼を助けたかったら、ボクと契約して魔法少女になってよ!」「「えっ?」」「何だ!? このフザけた生き物は!?」驚いてキュゥべえに駆け寄った巴マミの隙を突き、アンクは脱出に成功した!「ワケが解らないよ……」聡明なキュゥべえさんがそんなミスを犯す筈が無いじゃないか。・公開プロットシリーズNo.26→24話からほむらさんが監視を止めた途端にコレだよ!