「ほむらちゃん……なんで、『魔獣の卵』が、存在してるの……!?」有り得ない。あるわけが無い。ほむらが何らかの方法で未来から物体を持ち帰ることが出来たとしても、おかしい。円環の理が生まれることによって生まれる歪みを解消するための存在が魔獣であり、円環の理なくして魔獣は存在しえないのだ。そして、一旦円環の理が生まれてしまえば、ほむらが時間を巻き戻しても鹿目まどかと会う事は出来ない。「この魔獣は、私達の世界の物ではないわ。この世界と限りなく似た歴史をもった、別の世界の産物よ」別世界?ほむらの魔法は異世界移動じゃなくて時間移動だろうに……と思ってしまったが、言われてみると心当たりがあった。確かに、まどかはその概念に聞き覚えがるのだ。――あの江戸は私達の居た世界の過去では無いわよ?実は、ガラの魔術で裏返った江戸の町も過去の世界のものでは無く、この世界と限りなく近い歴史を辿った平行世界の一部だったはずだ。しかし、ほむらが江戸において魔獣の卵を入手したのだろうかといえば、そんなことは無いだろう。魔獣の記憶に映っていた光景が現代のものであった以上、ほむらの持つ魔獣の卵は江戸から持ち込まれたものでは有り得ないに決まっている。では、ほむらは一体どこから魔獣の卵を手に入れたのか。「火野映司は錬金術師ガラとの戦いの最中、白い仮面ライダーと会ったそうね。彼は、ガラが最後の土地反転魔術にて繋げた世界の住人よ。『この世界の一年後』に近似した、円環の理の存在する世界の、ね」つまり、先程の映像に映っていた暁美ほむらや巴マミは、こちら側の世界の住人では無いということだった。ガラの一件の最中の暁美ほむらにフォーゼの故郷を訪問するほどの余裕があったとも思えないので、白い魔法少女辺りが自ら動いて回収してきたのだろう。更に、記録されていた映像が都合よくほむらの周囲のものであったことを判断材料とすれば、白い魔法少女は……十中八九、『異世界の暁美ほむら』から魔獣の卵を譲り受けたと考えられる。そして、母親であるはずの鹿目順子でさえ、鹿目まどかの存在を認知していないのだとすれば……?「やっぱり、矛盾した願いを叶えると私が消えちゃうのは間違いないってこと?」「……ええ」どうやら、暁美ほむらは予想外に手強い相手だったらしい。全く、説得できる気配が無い。物的証拠まで持っているとなれば、口八丁で揺さぶりをかけることなど出来そうになかった。「それなら、私が自分自身を消さないような願いを使った後で魔法少女として火野さんを助けに行くのは、ダメかな……?」「ワルプルギスの夜を倒すほどの力を使えば、その後に残るのは、ワルプルギスの夜を超える魔女となった貴女自身よ」どうしろと。街に被害を出さずに火野映司を助けるためには、鹿目まどかの契約もしくは魔法少女能力が必要である。だが、まどかが契約をすれば、まどか自身が消滅するか、もしくは史上最悪の魔女が地球を滅ぼすことになる。感情的には納得出来なくても、まどかは理屈としてほむらの言い分が分かってしまっていた。火野映司という青年一人を『都合の良い神様』にすれば、他の万事が上手くいくのだ。それこそ、鹿目まどかが最悪の魔女を残して消えるよりも、遥かに。選択肢など……あって無いようなものだった。『その欲望を解放して魔法少女になってよ』第百四十五話:Finger on the trigger ――世界に弓引く意思「うおおおおっ!!」「なっ……!?」事態は……唐突に転がり始めた。身体の半分ほどをぬかるんだ土に浸していたハズの後藤が、死力を振り絞って暁美ほむらにタックルをかましたのである。ほむらの胴に抱きつくような形で、強引にほむらの動きを阻害しようとしたのだ。「行け、鹿目っ! お前なら絶対に……!」もっとも、昨日の連戦の疲労も抜けきらず、先程も火達磨になったばかりの後藤は満身創痍を絵に描いたような状態で。曲がりなりにも魔法少女としての身体能力を誇るほむらの脅威となる相手では無かった。「邪魔をしないで」「がはッ……!」次の瞬間には後藤は、ほむらの振り降ろした手刀によって首筋を的確に打ち据えられてしまっていた。本当にタックル一回分の体力を振り絞るのが、今の後藤の限度だったらしい。再び潮気の香る泥へと後藤を沈めつつ……しかし、ほむらは後藤の渾身の行動が無駄に終わらなかったことを、認めざるを得なかった。ほむらが後藤へと注意を奪われてしまった隙を突いて、まどかが暁美ほむらの視界から消えてしまったのだから。空を見る限りでは不審な飛行物体は存在しないので、まどか等がまだ近くに隠れている事は間違いが無いのだが、一旦距離を取られてしまうと厄介ではある。もっとも、暁美ほむらには然程焦りは無かった。相手が飛びあがる瞬間に狙撃すれば割かし何とかなるだろう、という見通しが立っているからである。中にある鹿目まどかの身体は若干心配だが、グリードやヤミーも憑いていることだし、致命傷にはならないと思いたいところだった。愛用の狙撃銃を取り出しつつ、ほむらは……待ちに回る。闇夜へと人影が飛び立つ、その時を待つ。一方、鹿目まどかはと言えば。(むぐー!?)口を押えられて、物陰に連れ込まれていたりする。後藤がほむらの注意を引いた一瞬の隙をついて、まどかをほむらの死角へと引き込んだ人間がいたのだ。……いったい、誰が?マミと杏子は、依然としてほむらの足元に転がっている。後藤さんも、水を吸ってワカメのようになった髪を垂らして気絶中である。トーリとアンクは、未だにまどかの体内に居るままだ。つまり、まどかの手助けをした人間は……ある一名以外に、有り得ない。「真木、博士……?」「静粛に」薄暗い物陰にメガネを輝かせた、真木清人だった。真木清人が、まっすぐに鹿目まどかへと視線を返していたのだ。……たったそれだけの事が、えらく新鮮に思えてしまったりして。対人コミュニケーションに人形を必要としていた真木の中で、何かが変わったのかもしれない。まぁそれはそれとして、悩めるまどかにとって、真木の頭脳は非常に頼りになる訳だが。「鹿目君……。私に助言を求めようとしていますね?」頭の良い人は話が早くて助かります。本当に。エスパーかと疑うレベルである。よく思い出してみると、キヨちゃんを連れていた時期の方がエスパー度は高かった気もするが。それはともかく、助言してくれるのならば、心強い事この上無い。だが。「確かに、私は『答えらしきもの』を幾つか思いついています。しかし……それを先入観という形で君に植え付けてしまえば、鹿目君がそれ以上の答えを出す可能性を阻害してしまうでしょう」なんだか婉曲なような。つまり、真木博士は何が言いたいんですか。「私から答えを教えるつもりはありません。私を破った貴女方なら、ワルプルギスの夜を退け、火野君を救い出す手段程度、導けて当然でしょう」……追伸は、微妙に意地悪だった。もしくは、先程撃破されたことを根に持っているという線も有り得た。真木清人とは、こんな人間だっただろうか。ひょっとすると、世界の終末を目指す前の真木少年は、こんな性格だったのかもしれない。それでも……人形に話しかけ続けるよりは、ずっと人間らしく思われた。「君が見てきた世界の中に……必ず、答えは在る筈です」それに、何となく鹿目まどかは、真木博士の言いたい事が見えたような気がしていた。美しい終末の先にあるものを掴もうとする鹿目まどかならば、必ず答えに行きつけるはずだ、と真木は期待しているのではないか。「ですが……鹿目君を勝負の舞台へ送る程度でしたら、手を貸しても構いませんよ」……直接的に答えを教えてくれなくても、何だかんだで力を貸してくれるあたり、特に。鹿目まどかが姿を隠して、数分ののち。油断無く周囲を警戒していた暁美ほむらは、突如として起こった異変にも瞬時に対応することが出来た。物陰から唐突に起こった火柱が、風雲急を告げていたのだ。そして、暁美ほむらは見逃さなかった。爆風に乗って、黒い翼をはためかせたトーリが勢いよく空へと飛び出したのを。即座に銃器を構えたほむらは……そのまま引き金を引けば、トーリを撃墜する事ができた筈だった。だが、暁美ほむらはそれを見逃した。なぜなら、鹿目まどかが火野映司の元に向かったのではない、と分かっていたからである。遠目に見えるトーリは人間一人を抱えているようだが、その黒い羽の合間から窺える黒スーツは、同行者が真木博士であることを意味していた。もっとも、それだけならばトーリと融合した鹿目まどかが、怪人態としてのトーリの姿をとっているのかもしれない。しかし暁美ほむらは、鹿目まどかが飛び去った可能性を否定する材料を持っていた。「……どういうつもりかしら?」具体的に言うと、深紅の鳥人が地上に残っていたのである。アンクが全身の怪人態を維持するためには芯となる人体が必要であり、つまり憑代として鹿目まどかがまだ暁美ほむらの眼前に残っていることを意味していた。ほむらとしては、最悪でも鹿目まどかが無事に生き残ってくれれば良いので、さほど状況に問題があるとは思えなかった。「さァ……どういうつもりだろうな」それでも、相手の意図が読めないのは不安要素ではあった。トーリと真木を行かせた事に意味があったのか、アンクとまどかを残した事に意味があったのか。まさか、真木がどこぞの研究所から3体目のバースをひっぱり出して戻ってくるという訳でもあるまい。もしくは、真木をオーズの元に行かせる事で、ほむらの予想もつかないような結末を導くという可能性も有り得た。ただ、何にしても妙な焦燥感は影を潜めなかった。眼前のアンクというグリードが妙に落ち着いているように思えるのも、不自然さを醸していた。火野映司が犠牲になるのならば、このグリードはもう少し不安な様子を見せても良さそうなものなのに。ほむらは、何かを見落としているのかもしれない。「全てが終わるまで、このまま大人しくしているつもりは……無さそうね」「ああ。そのつもりは、無い」言葉と同時に、火の玉が飛んできた。左腕の円盾で攻撃を防ぎながら、ほむらは思考を回し続ける。相手が攻撃してきたことから察するに、まどか達の目的は、やはりほむらの意にそぐわないものなのだろう。ということは、真木とトーリを先に行かせた事に決定的な意味があった訳では無さそうだ。もし飛んで行った二人の加勢だけでオーズの方の問題が解決してしまうのならば、アンクが暁美ほむらに攻撃を仕掛ける意味も無い。「久しぶりだなァ。これだけ力が使えるのは……!」アンクが、燃え盛る翼を背中から広げた。そして、翼から抜け落ちた羽の一枚一枚が、夜の闇を切り裂く刃となって暁美ほむらに襲い掛かった。おそらく、グリードを回復させる光線の影響がまだ残っているために、コアメダルが少なくても一時的に力が戻っているのだろう。夥しい数の刃に囲まれ、ほむらに退路は無かった。いくらほむらが赤コアを取り込んで炎に対する抵抗力を多少なりとも得ていたとしても、無数の燃え盛る羽に貫かれては、行動に支障をきたすことは想像に難くない。したがって、ほむらは迅速な判断の元に円盾を回転させて時間を止めた。当然、辺りから音が失われ、小剣のごとき羽も全てが動きを失ってしまっていた。残念ながらほむらの毛髪を保持しているアンクの時間を止めることは出来ないが、飛び道具の時間は止まるのだ。その辺りは、ほむらが自分で放った銃弾にも同様のことが起こるので、普段は不便な仕様なのだが……今回ばかりは役にたったと言わざるを得ない。弾幕が止まって見えるシューティングゲームほど温い遊びも無い。ほむらは、自身を包み込むように放たれていた羽の隙間を、いともたやすく掻い潜った。そして当然のように、気付いていた。暁美ほむらが誘導された先に、アンクが突っ込んできたことに。考えてみれば、当たり前のことである。いくら魔法少女が超人的な力を持っているとはいえ、その腕力はグリードに敵うものではない。したがって、接近戦ならば基本的にグリードの独壇場なのである。であるからして、アンクがほむらへと急接近を図ったのも、当然の帰結であった。もちろん、ほむらがそれを良しとするはずも無いが。慣れた手付きでショットガンを取り出したほむらは、流れるような動作の元に銃口をアンクへと向けていた。グリードに致命傷を負わせることは出来なくても、接近を拒むことは出来る筈だと踏んだうえで。「なっ……!?」だが、まさか予想も出来なかった。ほむらが踏ん張ろうとした足が、そのまま泥濘を踏み抜いてしまうなどという事は。バースが地中のあちこちに開通させた穴が、泥に紛れて見えなくなっていたのである。アンクが持ち前の狡猾さを発揮して、穴がある地点へと弾幕の抜け道を作ったに違いない。必中の意を以て放たれた筈の弾丸は、明後日の方向へと消えてしまっていて。直後、アンクが……その深紅の両腕を回して、暁美ほむらを拘束した。そして次の瞬間には、ほむらは足を泥の穴から抜くことを許されていた。ほむらを抱きかかえたままのアンクが、そのまま翼を広げて夜空へと飛び立ったのである。「何を……?」ほむらを掴んで焼き殺すでも無く、絞め殺すでもなく。アンクは、ただ高度を上げ続けていた。暁美ほむらには、アンクと鹿目まどかの考えていることが、全く分からなかった。このまま高度を上げて、一体何をしようというのか。時間をかければかけるほど、火野映司の生存率は下がっていくというのに。ふと、ほむらは気付いた。ほむらを拘束している腕の力が、段々弱まっているという事に。同時に、既に馴染み深くなった、セルメダルの零れ落ちる音にも。……飛び続けるアンクの航路をなぞるように、銀色の煌めきが尾を引いていた。アンクが本日の戦いでダメージを受けた様子は無かったので、おそらく昨日の真木博士との戦闘の際に負った傷が響いてきたのかもしれない。なぜ、という言葉が脳裏をよぎる。もはや比喩表現など用いるまでも無く、今のアンクの行為は『時間稼ぎ』だ。訳が解らない。遥か遠方に、局地的な大嵐の影が見えた。もはや、巨大魔女の形を認識することさえ出来ないほどに、アンクは大きな距離を飛んでしまっていた。セルメダルを零し続けるアンクは、それ以上に大切な何かが抜け落ちつつあるような印象を振り撒いていて。「……これは!?」そんな中、ほむらは自身の視界が捉えた情報を、すぐさま噛み砕くことが出来なかった。アンクの真紅の肌がセルメダルとなって崩れ落ちすぎて、中の人間の腕が姿を覗かせていたのだ。ほむらの手よりも遥かに大きいその掌は……鹿目まどかのものでは、有り得なかった。「ハッ……今更気付いたか。そういうことだ」一方、一目散に暁美ほむらから逃げ出したトーリ組はといえば。「本当に騙されてくれたんでしょうか……?」「真木博士が考えた作戦なんだから、絶対大丈夫だよ」風を切って飛行を続けつつも、不思議と剣呑な気配は漂っていなかった。トーリとしては、いつほむらさんに背中を撃たれるか心配で仕方がなかったのだが、幸いにして暁美ほむらはこちらの作戦に気付かなかったらしい。真木がまどか達に提案した作戦は、至極シンプルなものだった。まどかに真木の黒スーツを着せ、遠目には鹿目まどかだと分からないように偽装したうえで、トーリを使って空輸するというだけの話である。アンクの憑代が鹿目まどかに違いないという先入観に、ほむらは見事に騙されてくれたらしい。「ほむらちゃんを騙すことになっちゃったのは、何だか気が引けるけど……」「全部真木博士の仕業ですから。絶対大丈夫ですよ」トーリのせいだという結論に至らなければ、特に問題は無い。なお、万が一にも真木博士とまどかが裏切った場合、血の雨ならぬセルメダルの雨が降ることとなるだろう。まぁ、鹿目まどか大好き人間のほむらさんならば、まどかが謝ったら許してくれるような気もするが。「……まどかさん。アンクさんの様子、何か変じゃありませんでしたか?」そして……トーリは、胸の内に抱えていた疑問を口に出してみせていた。どうもアンクの振る舞いが妙だったと思えてしまうのだ。暴走態を倒したあの場にはアンクの9枚の赤コアが全て揃っているはずであり、それに興味を示さなかったアンクの様子は、明らかにおかしい。「もしかしてアンクさんは、もう……」完全態という目標がグリードの眼中に無いなんてことは有り得ない。たとえアンクの本当に欲するものが『命』という良く分からない代物だったとしても、完全態になることには心惹かれるはずなのだ。だがアンクが、もう完全態になれないのだとすれば?先日真木博士の屋敷にて、トーリと杏子が参戦する前に、既にアンクは……真木の紫の力によって、取り返しのつかない傷を負っていたのではないか。今思えば、アンクの行動は未明辺りにも不自然だった。暁美ほむらの隠れ家へと映司を案内する役を、アンクは自ら買って出た。普段のアンクならば『面倒だ』の一言で切って捨てそうなものなのに、わざわざ重たいライドベンダーを引っさげて海岸沿いまで映司を迎えに行った。それに、そもそも真木を倒して人類を守る理由も、アンクには無かったはずなのだ。――グリードは子孫を残す必要も機能もありません。自分だけで無限の時を生きられるから、他人に何かを与えようっていう発想が無いんです。かつてトーリは、グリードと人間の思考形態の違いを、そう結論付けたことがあった。そして、その論が正しいとするのならば……他人に何かを残そうと動いているアンクは、自身の存在の有限性を感じ取っているのではないか。それこそ、完全態としての力を振るおうものならば自意識の宿ったコアが壊れてしまうと自覚できる程度には。実は、真木の氷気を打ち破った炎も、アンクの身に多大なる負担を強いていたのかもしれない。「アンクちゃんのことは、私が一番よく分かってるよ……っ!」……絞り出すような、声だった。誰よりもアンクと共に居た鹿目まどかが、アンクの異変に気付かない訳が無い。考えずとも、当然のことだった。「でも……何も言わずに真木博士の身体に移ったアンクちゃんを見てたら、私、何も言えなかった。アンクちゃんが、火野さんや私が助かるのを一番に願ってるって、分かっちゃったから……!」アンクは……自身の延命を、鹿目まどかに求めなかったのだろう。それどころか、アンクの本体コアにダメージが入っていることさえ、鹿目まどかには告げなかったに違いない。だからこそ、まどかはアンクに何も言わずに袂を分かった。アンクが本当にやりたいことを……叶えてやるために。トーリは、それ以上つっこむ事が出来なかった。何となくだが、アンクの末路に関しては、トーリが何を言っても意味を持たないように思えた。「……まどかさん。映司さんを助けて、まどかさん自身も助かるような都合の良い願いなんて本当にあるんですか?」ワルプルギスの夜に近付くにつれて、その大きさを段々と実感できるようになってきた。もちろん、魔女と使い魔の関心は全てオーズへと向いているため、トーリ達に流れ弾以外の危険は皆無だが。「無いよ」「…………えっ?」思わず潰れた蛙のような声を出してしまったトーリだったが、その驚きは一通りのものでは無かった。あれだけ真木博士の期待を背負って送り出されたというのに、まさか鹿目まどかが正解を手にしていないなどという事は予測できたはずも無い。そうもあっけらかんと言い放ってしまうとは、一体どういう了見なのか。「いくら私の背負ってる因果が強大でも、私に出来るのは全ての時間の魔女を消し去るぐらいが限界みたい」それを願ったら鹿目まどか自身も消えてしまう訳だが。不思議と鹿目まどかの声は、今から死にに行く人間のものには聞こえなかった。鹿目まどかの背中を支えるトーリにはその表情は見えないが……きっと、その両眼は未来を視ているのだろう。「でも世界の土台をひっくり返しちゃえば、私も火野さんも皆も助かる方法はあるよ。……多分」「ワケが解らないですよ?」お前は何を言っているんだ。電波女はほむらさん一名でお腹いっぱいだというのに、ご覧の有様である。まどかさんまで会話のスーパー大切断を始めたら、トーリは何処に心のオアシスを求めれば良いというのか。鹿目まどかがこの世界の良心だと思っていたが、そんな事は無かったらしい。「真木博士がね。助言はしないって言いながら、ちゃんとヒントはくれたんだ」「博士さんが……?」真木博士が、何か実用的な助言をしていただろうか。確かに、暁美ほむらから鹿目まどかを逃がすための作戦は、真木から授けられたものである。しかし、それ以外に何らかのメッセージを受け取った記憶が、トーリには一切無いのだ。真木を破ったまどか達ならば、今までの経験の中から答えを導き出せる、とだけしか聞いていない。「それはね……『私』には無理でも、『私達』なら出来るってことだよ」「なんて、バカな事を……っ!」暁美ほむらは、呼吸の不自由さを感じながらも、悪態を吐かずには居られなかった。ぼろぼろに崩れたアンクの怪人態は既に全快時の半分も残っておらず、その燃え盛る翼も、もはや風前の灯火で。それなのに、アンクは飛ぶことをやめようとしなかった。「ふん。巨大な欲望を見つけた時、グリードは皆言うんだよ。『その欲望、解放しろ』ってな。あのガキの欲望の先を見てみたくなった。それだけだ」「それ以上続けたら……貴方は、まどかの行く末を見ることなんて出来なくなるのよ!?」高度は、既に上がっていなかった。グリードが飛びあがれる限界高度まで達してしまったのか……もしくは、アンクに既に上昇のための力が残っていないのか。欠けに欠けて随分と頼り無くなった翼を使って、アンクはただ滑降するばかりだった。「俺に残された時間がどれだけだとしても、俺の時間は俺のモンだ。どう使おうが、俺の勝手だ」「貴方が死んだら……まどかは、悲しむわ」お互いの会話は、もはや意地の張り合いでしか無かった。ほむらは、既にアンクと真木の狙いに気付いていたのだ。眼下に町の明かりが消えた事が、全てを暁美ほむらに教えてくれていた。いまさら強引にアンクの腕の中から脱出しても、もはやどうにもならない。「俺が、『死ぬ』と思うか」「見れば分かるわ。今まで見たどのグリードより、貴方は死にそうよ」このまま落下すれば、暁美ほむらは太平洋の沖合へと放り出されることになる。そうなれば……鹿目まどか達へ追い付くのは、絶望的となってしまう。ほむらが自身と接している物の時間は止められない都合上、静止した海面の上を走るなんて芸当は不可能である。だが、泳いで陸地まで戻るとなれば、魔法少女の身体能力を駆使しても主観的時間で数十分はかかってしまう。残念ながら、それだけの時を止めるためのグリーフシードなど、暁美ほむらのストックには存在しなかった。「このままだと、どのみち鹿目まどかと火野映司のどちらかが犠牲になるのは避けられないわ」「それは、お前が片方しか救えないって話だろうが。だが……俺にはバカの命を二人分も買える価値があるってことになるなァ」人間が人間を二人殺したら死刑になる、という約束事をアンクは泉刑事の記憶あたりから知っていたのかもしれない。ならば、人間の命を二つも拾えるのならば……その赤い貨幣一枚には、人間の生命と同じ価値があると言えるのだろうか。「貴方は、どこまで……!」アンクから応えは、返ってこなかった。既に半分以上が失われた顔で……アンクが、鼻で笑ったような気がした。直後。末期に虹色の輝きを放った翼は、崩壊した。・今回のNG大賞「世界の土台を引っくり返すって、どうやるんですか?」「『この世界を浦沢脚本で全部やりなおしたい』」・公開プロットシリーズNo.145→命って何だ。