「……佐倉杏子。貴女は何故、私の隣で黍団子を食べているのかしら?」「あんたも食うかい?」暁美ほむらは、とある物陰から鹿目まどか等の様子を一人で窺っていた筈だった。ちょうどオーズがウヴァを引き連れて戦線を離脱したのと同じタイミングにて、ほむらも壊滅状態の動物園に足を運んでいたのだ。そこで、鹿目まどかが蝙蝠女を懐柔する1シーンを目撃したという訳である。……が、先程まで会話メンバーに居た筈の杏子が、いつの間にか傍観者席であるほむらの隣に座って黍団子を食っていた。そして、別にほむらは甘味を寄越せと言いたいのではない。なので、ほむらの視線に冷たいモノが混じり始めたのは、下手にとぼけた杏子が全面的に悪い。間違いない。「……」「……あー、その、なんだ。ああいうの聞いてると、背中が痒くなってくるっていうかさ。そんなんだよ」居辛くなった杏子が逃げ場を探していたら、偶然にも潜伏中の暁美ほむらを見つけてしまった、と。そういう事らしい。あと、杏子から貰った黍団子の味は悪くなかった。杏子なら、黍団子を使って犬や猿を懐柔できるかもしれない。「貴女は……鹿目まどかの言うような救いを、貴女に齎してくれる人間も居ると思う?」あんな薄汚い蝙蝠ヤミーにまで手を差し伸べる鹿目まどかは聖女のようだが、そんな人材がほいほいと見つかるとは思い難い。というか、まどかは他人のために身を切り売りしすぎなのだというのが暁美ほむらの本音であった。「アタシは、もう充分救われてるさ。それよか、あんたはどうなんだよ?」佐倉杏子が、既に救われている?確かに、佐倉杏子からは一匹狼気取りの刺々しさが大分失われていてしまっていると見える。しかし、一体誰によって救われたというのだろう。さやかが生き返った一件によってか、はたまたマミ辺りと腹を割って話し合ったのか。……一つだけ確実に言えるのは、他の人間との繋がりを手に入れた佐倉杏子は、今まで暁美ほむらが見てきたどの『杏子』よりも生き生きとしているという事だった。一方、暁美ほむらにとっての救いとは……何だっただろう?「……私を救ってくれた人を救う事が、私にとっての救いよ」何を犠牲にしても。どんなに繰り返す事になっても。……そう、思っていた。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第百四十話:Regret nothing ――後悔なんて、あるわけない夜明け前の、静けさの中で。人間達は、奇妙な空間へと集っていた。真っ白な背景の中に、時計盤のように周状に配置された椅子とテーブルが目立った部屋だった。部屋の中に影を落とすものは吊り下げられた振り子のみで、光源もどこにあるのか不明瞭な、そんな不気味な空間こそが……会議場だったのだ。言わずもがな、暁美ほむらの秘密基地である。そんな知られざる秘境に、人間等は招かれたのだった。とはいえ、客人の中に純粋な人間は後藤慎太郎だけだったりする訳だが。杏子とマミは白い宇宙人によって改造人間にされてしまったし、トーリに至っては生まれながらの怪人である。アンクは、飛行能力を活かして映司を回収してくるつもりらしく、席を外していた。「……魔女の結界に似ているな」「あんたには『デリカシー』ってモンが無いのかよ。アタシ等、今週魔女の正体知ったばっかりだってのに」「まさか佐倉さんの口から『デリカシー』なんて言葉が出るなんて……」後藤のボヤキや杏子のキャラ崩壊に突っ込みが入ったようだが、それはともかく。トーリは……どことなく、居心地の悪さを感じていた。ヤミーとしてのトーリが人間に受け入れられたとはいえ、やはり以前と同じ関係に戻るという訳でもないのだ。距離を測りかねている、というのが適切だろうか。杏子や後藤からも敵意の視線は向かって来ないのだが、それでも何というべきか、壁を感じる。その原因が人間達を騙してきたトーリの身の振り方だという事は、疑うまでもない。更に言うと、トーリの様子をちらちらと窺っている暁美ほむらさんは、一体何をお考えなのですか。色々と物言いたげなのは伝わってくるのだが、よもや言葉の代わりに銃弾が飛んで来やしないだろうか。……というか、よく考えてみると、暁美ほむらとトーリの関係は何も変化していない筈では?ほむらは元々トーリの正体を知っていたのだから、今更トーリに対して思う事なんて無いだろうに。ひょっとすると、魔法少女達がトーリを生かした事に納得がいかないのかもしれない。当のトーリでさえ先程まで予測していなかったぐらいなのだから、ほむらさんが事態を受け入れがたいという気持ちも分からないでは無い。何を話せば良いのやら、とトーリが迷っていると、いつの間にかマミさんがほむらの側へと歩み寄っていた。「暁美さん。前に、折角トーリさんの正体を教えてくれたのに……失礼な事をして、ごめんなさい」「……気にしていないわ」マミさんには、ほむらに謝罪すべき過去の行いがあったらしい。まさかそれが、紅茶を顔面にぶっかけるという肉体言語を用いた対話だなどとは露ほども思わないが。尚、先程トーリもマミさんに紅茶をぶっかけられたような気もするが、ほむらもトーリも一応マミさんの弟子なので、そういうこともあるのだろう。問題はその内容ですよ、ほむらさん!「あれ……? ほむらさん、ワタシの正体は秘密にしてくれるという約束だったのでは……?」ガラの結界に巻き込まれた際に、トーリとほむらは幾つかの密約を交わした筈なのである。具体的に言うと、トーリがメダルに関する情報を提供する代わりに、ほむらはトーリの正体を秘匿するという契約だった。だが、マミさんの謝罪の文面から判断するに、ほむらがトーリの正体を口外したとしか思えないのだ。「……貴女と約束を交わしたのは、巴マミに貴女の正体を教えた後よ。約束してからは、破っていないわ」つまり、マミさんは大分前からトーリの正体を聞かされていたという事だろう。そして、それをはねのけるまでに、マミさんはトーリの事を信頼してくれていたらしい。トーリとしては、後ろめたいやら、申し訳ないやらである。まぁ、それにしても暁美ほむらさんの言い分には釈然としないものを感じてしまう訳だが。「ほむらさん……何だか理屈の展開手法がキュゥべえさんみたいですね」「……そういう貴女の思考能力は、まるで美樹さやかのようね」……どうやら、ほむらさんと仲良くできる見込みはあまり無いのかもしれない。夜な夜なバースドライバーに話しかけている後藤さんの方が、まだ無機物との間の友情成立の見通しが持てるかもしれない、というレベルである。本当に後藤さんがバースドライバーに話しかけるような残念な人なのかどうか、トーリは知らないが。「……!」「……!」ほむらさんが御冠の模様だったので、トーリも睨み返してみた。トーリとて、ほむらさんからのあんまりな言い草に、全く腹を立てていない訳でも無いのだ。いつになく強気に出てみたトーリだが、特に先の展開に見通しがあった訳では無い。その意味で、ほむらの例えは実は正鵠を射ていたのかもしれない。「何でも無いです……」「……分かれば良いのよ」なんというか、本能的にほむらさんが銃を抜こうとするタイミングが分かったので、結局退いてしまう結末を迎えたりして。ちなみに、トーリが睨み返してから折れるまで、某宇宙刑事が軽く40回は蒸着出来る程度の時間が過ぎていた。時間停止攻撃の攻略法はあるのだが、やはり怖いものは怖いのだ。さすがに、現在地が暁美宅であることを考えれば、そこまでほむらさんが大暴れする心配も無いのだろうが。結局、トーリはほむらさんには勝てそうに無かった。「ところで、暁美。俺達がこの部屋に集められた理由は何なんだ?」各人の力関係の確認を終えたタイミングを見計らった……訳では無いだろうが、後藤が話の先を促してくれた。まぁ、後藤に限らずこの場の全員が疑問に思っている事なのだが、そもそもこのメンツは何のために暁美宅に集められたのか?何か重要な話をするために集められたというのは分かるし、映司とアンクが到着してから一度に話した方が効率的だというのも分かるのだが。やはり、退屈は猫をも殺すのである。「人員が揃ってから始めるつもりだったけれど……始めてしまってもかまわないわ」映司がウヴァさんから逃げ切れば、すぐに始められるのだろうが、意外に映司も苦労しているのだろう。おそらく、プトティラ形態を維持したオーズが飛行能力を用いれば、ウヴァから逃げること自体は不可能では無い。しかし、地上を走るウヴァさんがオーズを見失わない限りは、オーズは着地出来ない訳で。たぶん、雲の中に隠れるとか富士山の周囲を旋回するとか、諸々の戦略によって映司はウヴァを撒こうとしているに違いない。未だにウヴァへの情を捨て切れていないトーリとしては、申し訳なく思うところもあったりするのだが、口には出さなかった。「まどろっこしいのは性に合わねーな。始めちゃいなよ」何時の間にかカップ麺を作っていた杏子も、どうやら話を急かす側らしい。どこかでお湯を沸かした様子は無かったので、収納魔法で予め持ち歩いていたに違いない。マミさんが用意してくれた紅茶の匂いとカップ麺の臭いが混じって、何とも奇妙な香りが部屋に充満していたりして。芳香剤の香るトイレの前でマーライオンの物真似をした時の匂いに、よく似ているかもしれない。「この中の何人かは既に聞いた事があると思うけれど、4日後、この見滝原に『ワルプルギスの夜』が訪れるわ」「何だか、聞いたことがある名前のような……?」「ここが祭りの場所なのか……?」どうやら、コメントを特に発さない杏子とマミは、既にワルプルギスの夜とやらの存在を知っているらしい。後藤も単語自体に聞き覚えはあるようなのだが、何だか別のものを想像している気がしないでも無い。あと、実はトーリは過去にワルプルギスの夜の名を聞いたことがあったりするのだが……意味までは把握していなかった。かつて暁美ほむらと巴マミの会話を盗み聞きした時にも耳にした名前であり、呉キリカも同じ名を出していた筈だ。「ワルプルギスの夜は、桁外れの力を持った巨大魔女の名前よ。放っておけば、この一帯は焦土になる」「暁美さんの時間魔術を使っても、倒せないのかしら?」確かに、マミに限らずトーリや他の面々も疑問に思った内容であった。ほむらさんのマジックコンボを使えば簡単に倒せるのでは、と。そう思ってしまうものの、ほむら自身が強敵と言うからには、巨大魔女は何らかの抵抗力でも持っているのかもしれない。「個としての能力が単純に高すぎて、ダメージを与える事自体が難しいわ」……と思ったら、ゴリ押しされるとのこと。ミサイルを用いた一人軍隊攻撃が出来る暁美ほむらの火力をもってしても、どうにもならないらしい。いったいどんな願いを叶えて貰えば、そんな物騒な魔女が出来上がるのだろうか。「アタシとしては、その魔女に関する作戦会議を何で『今』やってるのか、ってトコも気になってんだけど」そして、対策会議が本格的に始まる前に、杏子も鋭い突っ込みを放っていた。言われてみれば、その通りである。完全態ウヴァさんへの対処が人間達の目下の課題であり、逆に超弩級魔女は襲来まで『4日近くもある』とも言えるのだ。なのに、何故今からワルプルギスの夜の対策を講じねばならないのか。「今の私達にとって最も危険視しなければならない事態が、『真木清人による人類滅亡』と『ワルプルギスの夜の襲来』が同時に起こる事だからよ」「……そもそも、真木博士は巨大魔女の出現日程を知っているのか?」さらに、後藤からも指摘が入った。その内容はもっともで、メダル界隈の住人である真木博士が、一体なぜ巨大魔女の訪問日時を把握しているのだろうか。真木博士が上手くワルプルギスの夜の存在を活かすのなら、同時に事を起こして人間勢の戦力を分断するぐらいは考えてしかるべきだ。ちょうどその時期にウヴァを暴走させて、世界の終末劇を始めることだろう。しかし、そもそも真木博士がワルプルギスの夜の出現日時を知らなければ、ほむらの想定に意味は無い。「インキュベーターの短期目標は、魔法少女を魔女にする事と契約者を増やす事よ。そのために有用ならば、真木清人への情報提供は予想できるわ」確かに、真木と巨大魔女が同時に行動を起こした場合、手が足りなくなった人間達の穴を補うために鹿目まどかが契約せざるを得ないという展開は充分に有りえる。ワルプルギスの夜との戦闘が始まってしまうと、マミや杏子といった普段死にそうも無い魔法少女も、力尽きるかもしれない。そうなれば、長期目標として宇宙全体の熱量的死の回避を掲げるキュゥべえは、多大なエネルギーを回収できて万々歳という訳だ。「……根本的な事ですけど、ほむらさんはどうしてワルプルギスの夜が来る場所と時期を知っているんですか?」「統計よ」マミ、後藤、杏子に続いて、トーリもおずおずと質問を放ってみた。……なんだか回答が嫌にそっけない気がするのは、気のせいだろうか。他の3人に対してはもっと丁寧に答えていたように思えるのだが、やはりほむらさんの心証は宜しくないらしい。「サンプルの採取方法について詳しく頼む」まぁ、頭の固い後藤さんが、堅実なマジレスを入れてくれた訳だが。が、後藤の疑問も当然だった。サンプルが十体や百体でも統計と言えなくはないが、それにしても複数の出現情報が必要である。ところが、地域一つを丸々壊滅させるような魔女の出現例など、誰も聞いたことが無いのだ。というか、そんな迷惑な魔女が何回も出たら地球がヤバい。「一か月ほど時間を巻き戻して、複数回にわたって観測したわ」……またまた御冗談を、なんて口走ったら撃たれるのだろうか。ほむらさんがさらっと口にしてしまった情報は、実は結構な問題発言だった。そもそも、時間を巻き戻すという魔法の難易度について、トーリは想像もつかない。ガラが江戸と東京を繋いだ一件と比べれば大したことが無いような気もするが、杏子や後藤さんが驚いているところを見れば、おそらく常識的に考えて有り得ないのだろう。もしくは、本来信じられない筈の一大情報が、ガラによってハードルが上がり過ぎてしまったためにその程度の反応で済まされている可能性もあるが。もし暁美ほむらが時間を巻き戻せるとなれば、単純なビートダウン戦法でほむらを倒すのはほぼ不可能と言って良い。こちらが「やったか!」と叫んだ瞬間に時間を戻されては、対抗策のとりようが無いのだから。不意打ちで意識を刈り取るか、ソウルジェム破壊による一撃必殺戦法ぐらいしか通じないという事である。……そこまで考えてから、トーリは気付いた。なんでほむらさんと戦う前提で考えているんだろう、と。人間側に寝返ったトーリは、ほむらさんと戦う事なんて基本的には無い筈なのに。どうやら……トーリ自身には、まだウヴァさんの手下であった時代に未練があったらしい。もっとも、トーリが今更ウヴァのもとへ戻っても、既に殆ど手遅れである。ウヴァさんがあれだけ無双出来ていたのは、人間達に極度の疲労が圧し掛かっていたという要因が大きかったからであって。現在ウヴァを撒こうとしているオーズが帰還すれば、あとは人間達が体力や魔力を備えるだけで、ウヴァを倒すことは然程難しく無くなってしまう。もしウヴァが生き残れる道があったとすれば、ウヴァさんにトーリが加勢して飛行能力をウヴァさんに付けられたなら或いは、というレベルであった。どの道、トーリがマミさん達に取り囲まれて脱出不可能になった時点で、ウヴァさんは詰んでいたのだろう。……そんな後の祭りな思考は、口に出す事も無いが。「お約束のタイムパラドックスはどうなの?」「私の時間遡行は主観的なものとして完結しているから、矛盾は生じない」ガラの時間移動では、タイムパラドックスが生じていたのだろうか。まさか、映司がナイト兵を相手にプトティラ無双したという竹林に行けば、地中に埋まったセルメダルが見つかるとでも?密かに儲け話を掴んだとほくそ笑んでいるトーリは……ガラの魔術が時間移動では無く平行世界移動である事を知らないので、おそらく無駄足を踏む事となるのだろうが。「でも、能力自体に何か重い制約があるんだろ?」一方、ほむらさんのトンデモ発言に次の反応を示したのは、杏子だった。その口調は特に険しいものでも無かったが、誰もが杏子の心の底にある言葉を汲み取っていた。すなわち、そんな便利でチートな能力があるなら美樹さやかが死んだ時点で使えよ、と。まぁ、杏子の態度にほむらを責めるイントネーションが全く見当たらない辺り、ほむらにも何か事情があるのだろうとは思っているらしい。「ええ。きっちり一ヶ月分しか時間は戻せないわ。そして、一回巻き戻してから一ヶ月間は遡行能力は使えなくなる」聞いてみれば、そんなに重い制約でも無かったが。それでいて、さやかの死の直後に使用不可能だった理由にもなっていた。ほむらの能力を使っても遡れる時間が有限であるというのは、そこそこ大きな縛りではある。しかし、トーリが気になったのは、その巻き戻しの起点が一体いつなのかということであった。どうも、トーリの記憶によれば、グリードの復活から現在までに一ヶ月分の日数は経過していないように思えるのだ。ならば、ひょっとすると暁美ほむらは、グリードの復活自体を『無かった事に出来る』可能性が存在する……?ウヴァさんを裏切っておいて今更だが、事はグリードだけに留まらない。当然、蝙蝠ヤミーもまだ生後一ヶ月以内なのだから。最悪の場合、ほむらが時間遡行を使った瞬間にトーリの存在自体が消えてしまう可能性は否めない。同時にトーリは、普段の間抜けな蝙蝠女らしからぬ勘をもって、暁美ほむらに纏わり付く違和感を嗅ぎ取っていた。――今ここで、貴女と戦いたくは無い。ほむらさんがCDショップのあるビルの上階でマミと初めて会った時の言葉が、それだった。今思えば、ほむらの発言は巴マミという魔法少女の力量を知っている者しか口に出来ないものだった筈だ。マミはほむらを知らなかったが、ほむらはマミを知っていたに違いない。そこだけを見れば、ほむらが逆行者であるという情報の確からしさを高める根拠となるだろう。ところが、それに反する状況証拠も、トーリは既に持っているのだ。――貴女は、キュゥべえと契約した魔法少女?――情報は渡してもらうわ。メダルに関しての情報を全て吐いて行きなさい。過去に暁美ほむらと会った時の言い草を思い返してみると、ほむらの言い草がどうも奇妙に思えるのである。違和感の元は、やはり暁美ほむらが情報を求めてきたという一点なのだろう。もし暁美ほむらが無数のループを経験しているのならば、情報など余る程に持っている筈なのに。ひょっとすると、『何故それを知っているんだ!』と言われないために、既知の情報に関しても確認をとっていたのかもしれない。だが、トーリは考えるのも恐ろしいような原因に思い至りつつあった。もっと根本的に……暁美ほむらがトーリという存在を知らなかったのだとすれば?「ほむらさんが繰り返してきた一ヶ月の中に、『ワタシ』は……緑のヤミーのトーリは、居ましたか?」トーリが生まれてから一ヶ月も経っていないのだから、可能性としては充分に有り得た。そもそもトーリが作り出されたのは、たまたまウヴァがキュゥべえを見つけたからである。もしその偶然が起こらなければ……更に言うなら、グリードが復活しなければ、トーリは日の目を見る事も無い。「居なかったわ。私は、これまで一度も貴女の存在を観測した事は無い」それを聞いたトーリは、金槌で頭を殴られるような衝撃を味わうという事も無かった。眼の前が真っ白になった訳でも無く、足元から崩れ落ちるという訳でも無く。ただ純粋に、怖いと思った。なんといってもトーリの見ている世界は、まだ一ヶ月にも満たない短い時間に集約されているのだ。……その全てが、途方もなく広がった確率の海に浮かぶ泥船かもしれない。グリードもヤミーの命を握っていたものだったが、それよりもずっと性質が悪い束縛だと言える。多少なりとも自分自身の命も大事に思えるようになったトーリだが、まだ気になるのは他人の方だった。せっかく、トーリの事を大事に思ってくれる人が出来たのに、その繋がりさえ無くなってしまうかもしれないのだ。思い出を残して死んでいくよりも、更に救いが無い末路である。「もし次の巻き戻しが起きたら、マミさん達は……ワタシの事は全部、忘れてしまうんでしょうか」「ワルプルギスの夜を倒せば、問題ないわ」……それが出来ないから、ほむらは何度も時間を巻き戻しているのではないのか。その割には、暁美ほむらの言い方にはどこか勝算があるような響きが含まれているように思えた。何か良い作戦でもあるのだろうか。「一応聞くけどさ。あんた、ワルプルギスの夜を倒せたことってあんのか?」「一人で倒した事は無いけれど、多大な犠牲を出しながらも、仲間と一緒に倒したことならあるわ。だから、判断できる。魔法少女5人に仮面ライダー2名も居れば、確実にワルプルギスの夜に対処できるわ」トーリとアンクの怪人組は、一応居なくても平気らしい。というか、戦力として数えるのが不安なのだろう。アンクの憑代である鹿目まどかの心配もしているのかもしれない。……トーリが折角手に入れた人間の想いは、無に帰されずに済むのか。「だが、真木博士が同時に事を起こしたら、勝算は落ちる。その時のための作戦を立てるのが、今日集まった理由だということか」「そうなるわね」「暁美さんは、真木博士が完全態グリードを暴走させるとどうなるのか、知っているの? それも話して欲しいわ」「……真木清人の行動も、前例の無かった事よ。私も彼の目指す先は知らない」「でも、世界を滅ぼすっていうからには、ワルプルギスの夜よりも大ゴトだろーな」ならば、どちらも放置する訳にはいかないだろう。戦力を分散するしか無さそうである。というか後藤も指摘した通り、その割り振りを決めるのが、この会議の意義に違いない。真木一味の蜂起が今の周回限りのイベントだというのも気になるものの、トーリの全てがかかっているともなれば、細かい事は気にして居られない。ほむらが結末に納得しなければ、トーリの存在は誰の記憶にも残らない次元の果てへと消えてしまう。「戦力の分散はあまり感心できないが……仕方ないか」確かに、全員で真木か魔女を倒した後で残りの一方を叩くのが、最も味方の損害が少なくて済む方策なのだろう。だが、放置された方の脅威は、容赦なく見滝原という街を荒らして回ることとなる。そうなればおそらく、暁美ほむらは時間遡行を使うだろう。ほむらが以前にワルプルギスの夜を倒せた事があるにもかかわらず時間を巻き戻したという事は、ワルプルギスの夜を倒すだけが暁美ほむらの目的では無い事を意味している。『多大な被害』という言葉はやや不明瞭だが、出来るだけ被害を抑えるに越したことは無さそうである。そして……トーリは、思い至っていた。一筋の成功の可能性を孕んだ、一世一代の大博打に。「ワルプルギスの夜の方はワタシ一人で当たって、他の皆さんで博士さん達と戦う……というのはダメでしょうか」……マミさんが、紅茶のカップを取り落した。杏子の鼻からカップ麺の伸びた麺の端が飛び出した。後藤さんに握られたボールペンが、メモ帳を貫通していた。ほむらさんの円盾から、銃火器や爆発物がゴミのように零れ落ちた。他の全員にとって、トーリの提案した作戦は予想外だったらしい。トーリ自身でさえ、成功率はあまり高く見積もれない事ぐらい、分かり切っていた。それでも、ほむらが巻き戻しを使うこと自体がトーリにとって最大のリスクである事を考慮に入れれば……最善の策だと思えた。全てを無かった事にされるのだけは死んでもゴメンだと、心から思ったからこそだった。「皆さんが博士さんを倒して駆け付けるまでの間、ワタシが命を賭けて……ワルプルギスの夜を引きつけながら逃げ回ってみせます!」・今回のNG大賞「……そんな事を言って、本当はあのウヴァというグリードの暴走態と戦うのが後ろめたいだけなんでしょう?」「それは否定できませんねぇ……」たまには格好つけたって良いじゃないですか……。・公開プロットシリーズNo.140→お前は今まで一つでも、自分で決めて何かをした事があるか?