「結界が消えた……。これで……!」「舐められたものだな! 簡単に逃がすと思うかッ!!」希望の声をあげようとしたオーズの……その腕に握られた大戦斧を弾き飛ばしながら。オーズに追撃を加えようとしたウヴァの爪が、閃いた。直後、横入りした深紅の槍がウヴァの斬撃の軌道を逸らした。人間達の希望は、まだ途切れては居なかったのだ。だが、状況は最悪から一歩手前まで戻ったというレベルでしか無かった。フィニッシュブローと成り得たウヴァの攻撃を幸いにも処理出来たものの、人間達は既に傷を負い過ぎていて。一方、絶えず手を打ち続けるウヴァの猛攻は、息継ぎの気配さえ見せない。そもそもグリードに呼吸は必要ないのかもしれないが、それにしてもウヴァの攻撃はまさに『怒涛』の一言が似合い過ぎていた。結界が消えても……ウヴァの嵐のような攻撃は変わらず。もちろん人間達の逃げ場は増えているのだが、それだけではウヴァは止まらない。絶えず撒き散らされる高圧電流が、あたり一面を更地へ変えようとしていて。あまりに圧倒的な暴力に曝されて、人間達が無事でいられる筈も無かった。そんな、戦場に。空高くから、二つの人影が落ちてきた。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第百三十九話:魔法と約束と最後の希望火野映司の判断は、迅速だった。突如として、全速をもって後退を始めたのだ。周囲の仲間を置き去りにするほどの速さで撤退を開始したのである。そして、人間達は誰しもがオーズの行動の意味を理解していた。プトティラコンボを使っているオーズが本気で敵前逃亡を図るならばまず飛行するのが最善手である筈なのに、映司は未だ地を駆けている。すなわち、映司の意図は戦線離脱ではない。「逃がさん! 地の果てまでも追ってやるッ!!」案の定、灯に釣られた夏の虫のようにウヴァはオーズを追って走り出していて。それが、映司の狙いだったのだろう。戦闘続きでパフォーマンスの低下した人間達をウヴァの脅威から引き離すために、オーズは囮となったのだ。既に魔力が不足している魔法少女も、バースを纏う事が出来なくなっている後藤も、もはや完全態ウヴァと戦うに足る力など残していなかったからだろう。加えて言うならば、上空から落ちてくる仲間を受け止めるために、多少の人員は残さなければならない。平時であればマミさんが魔力紐で網を編んでくれたのだろうが、今は深刻な魔力不足に悩まされているために素手で受け止めざるを得ない。翼をはためかせる事もせずに落下してくる様子を見るに、おそらく空中の二人は意識が無いのだろう。マミと杏子で、それぞれ落下してきたトーリとアンクを抱き止めたのだ。ちなみには後藤がキャッチしたのは、少し遅れて落ちてきた箱の魔女のグリーフシードだった。高所から落下してくる人体を受け止めるのは、いかに後藤といえども生身ではハードルが高すぎたのだろう。いくらアンクが借りている少女の身体が小柄とはいえ、身長1.5メートル弱の人体ならば最低でも40キログラム以上の質量を持っているものなのだ。落下の速度も考えれば、下手にライダーのキックを受けるよりも余程危険である。まぁ、先程のウヴァとの戦いの最中で一人だけ生身に戻っても生き延びられた後藤さんなら、あるいは何とかなったのかもしれないが。……などと現実逃避をしている余裕は、事態のどこにも残っていなかった。杏子に受け止められたアンクはともかく、マミに抱き止められたトーリの上に問題が山積みになっていることは、疑う余地も無い。炎熱によって抉られた蝙蝠娘の腹から、セルメダルが零れ落ちる傷が開いていたのだ。言わずもがな、それはトーリがメダルで構成された生命体であることの証明な訳で。トーリが裏切ったのが何かの間違いだ、という希望的観測は、既に打ち砕かれていた。後藤は、読めない。魔法少女達が、どう出るのか。トーリを地面に下ろした巴マミの顔が険しいことぐらいは分かるのだが、マミが次に何を言い出すのか予想がつかないのだ。かつて後藤自身がまとめた『魔法少女5名の簡易資料』の内容を思い出してみても、決してマミとトーリの関わりは浅いとは言えなかった。もちろん現実的な時間としては、マミとトーリの付き合いは1か月にも満たない。だが、ロストアンク暴走態や再生キリカとの戦いなどでは、互いの命を預け合った仲なのだ。というか、魔法少女同士という事もあって、後藤よりもトーリの方がマミの信頼を勝ち取れていたのではないかとさえ思えた。それなのに、トーリは背信者だった。魔法少女達の最後の希望である無限の魔力が使えなくなるという危険性を棚に上げても、信頼していた仲間が裏切り者だったというだけで、多感な少女達の心を揺らがせるには充分なのだろう。後藤だって、会長秘書の里中さんの正体が時計の魔女だなんて唐突に言われたら、酷く困惑するに違いない。意識を失っている様子のトーリには……今後マミ達と和解する見込みはあるのだろうか。現在残っているグリードはアンクとウヴァしか居ないのだから、おそらくトーリがガメルやカザリのヤミーだという線は無い。というか、先程のウヴァへのサポートぶりから判断するに、間違いなくウヴァが創生者だろう。さらに、後藤はトーリの仕業と思しき事例に見当をつけていた。具体的に言うと、ガメルやウヴァが復活した件についてである。真木博士が何か手を回したのだろうと後藤は思っていたが……実は獅子身中の虫であったトーリが暗躍していたのかもしれない。そして、和解が不可能ならば結果は決まりきっている。トーリが気を失っているうちに、全てに決着をつけるべきだ。「巴。佐倉。俺がけじめをつける。しばらく……目を閉じていてくれないか」後藤は、バースバスターに詰められるだけのセルメダルを装填しながら、静かに言い放った。もちろん、後藤とてトーリに対して情が無いわけでも無い。なんといっても、後藤が初めて共闘した魔法少女がトーリだったのだ。バラの魔女の結界の中で使い魔1匹に負けたトーリの姿を、後藤は一生忘れる事は無いだろう。それでも。マミや杏子に始末をつけさせるのは、躊躇われた。彼女達にそんな事をさせて後追い自殺なんてされた日には、後味が悪すぎる。なので、後藤は自らが汚れ役を引き受けるべきだろうという思考を進めていた。結果的に、魔法少女達から恨まれる事になるかもしれない。だが、子供達がここで潰れてしまうよりはマシに違いない。未だ意識を失ったままの蝙蝠ヤミーを、この場で撃ってしまうべきだ。一回のセルバーストだけで終わる、単純な作業である。ところが、そんな後藤の手を……巴マミの言葉が、遮った。「……トーリさん。実は起きている、わよね?」……なん、だと?昏倒しているトーリへとマミが静かに語りかけた内容は、後藤を驚かせるのには充分すぎた。身じろぎ一つ見せないトーリが実はタヌキ寝入りを決め込んでいる、と。マミが看破したのはそういう事なのだが、本当なのだろうか。というか、何を根拠にそんな事を言い出したのだろう。後藤が杏子と顔を見合わせてみるも、杏子もマミの言葉が予想外だったらしい。こうなれば、もはや二人はマミの次の言葉を待つしかない。一方、二人分の視線を浴びている当人は……いつの間にかティーカップを手にしていた。湯気が立った紅茶の入っている、ティーカップである。マミが戦闘後に時たま収納魔法から引っ張ってくる、例のお茶だった。何故そこでお茶を出したのだろう。まさか、文字通りお茶を濁そうという訳でも無いだろうが、果たして?……と思っていた二人は、次のマミの行動に度肝を抜かれた。具体的に言うと、マミがティーカップの中身をトーリの頭部にぶっかけた。たった今までカップの中で湯気をたてていた熱々の紅茶を、トーリの顔面へと放ったのだ。「げほっ!! 熱っ!? 顔がぁっ!!?」当然、被害者の蝙蝠娘は地面を転がり回り始めた。鼻に紅茶が入ったらしく、咽返ってもいるらしい。相手が人間だったら絶対に真似をしてはいけない起床方法である。「なんだ。トーリの奴、本当にタヌキ寝入りだったのかよ」「本当に気絶していても、あれをやられたら起きるだろう」傍らで呟いた杏子へと、後藤は真面目な突っ込みを怠らなかった。それとも、魔法少女は本当に寝ていたら、沸き立った紅茶を顔面にぶっかけられても起きないのだろうか。美樹さやかが魔法少女であった内に試してみるべきだったに違いない。……そんなことは、さておき。「……どうして、分かったんですか」渋々といった様子で緩慢な調子のままに、蝙蝠娘が上半身を起こしていた。ばつの悪そうな顔をして人間達を見上げる視線からは、表立った敵意は感じられなかった。立ち上がらない辺り、逃亡の意思も見られない。もっとも、トーリには翼があるので、逃亡に関しては人間の常識で考えてはいけないのだろうが。むしろ、逃げる事を諦めた振りをする、という逃げるためのブラフを張っていると見た方が良いかもしれない。あと、その第一声が後藤の現在抱える疑問と同じ内容である事は、トーリと後藤の頭の出来が同程度である事を意味している訳では無い筈である。おそらく。「なんとなく、よ。確信は無かった。でも、トーリさんなら、逃げ出すための隙を作り出す努力は惜しまないと思ったから」……確信は無かったらしい。しかし、結果的にはマミが鎌をかけてみたのは正解だったのだろう。もし後藤がそのままトーリの頭を打ち抜こうとしたら、発射の瞬間に弾丸を回避されて、その後のどさくさに紛れてトーリが逃げおおせた可能性は否めない。トーリならば、逃亡のために後藤さんの急所に蹴りを入れて怯ませるぐらいは平然と実行するだろう。まぁ、全力の蹴りが入ったとしても後藤さんが転ぶ程度で済むのが、トーリの身体能力の良心的なところなのかもしれないが。「ワタシを、倒さないんですか」トーリの言葉に恐怖は感じられなかったのが、不思議だった。今まで後藤は、トーリを臆病な魔法少女だと思っていたのに。そしてその理由を、トーリ自身の命を惜しんでいるからだと考えて来た。だが……本当に、そうだったのだろうか。本当は、トーリ自身の命さえ目的のための道具にすぎなかったのかもしれない。その目的を果たしてしまったがために、命が要らなくなってしまったのではないか。何となく後藤は、そんな事を思った。「人間とグリードに……共生の道は無いの?」マミの言葉は、どこか空々しかった。おそらく、言っている本人が一番良く分かっているのだろう。後藤の記憶では、かつて巴マミと美樹さやかはアンクを始末しようとしたことがあった。しかも、最近続けざまに完全態になったグリードとの戦闘には、マミは全て参加している。それなのに今更共生など、虫が良すぎる話だった。冷静であるように努めようとしているのは後藤にも伝わってくるが、やはり心穏やかでは居られないのだろう。「無理だと思います」一方、問いかけられた側のトーリは、やけに落ち着いているように思える。もっと困惑しても良さそうなものだが、意外に頭が回っているのかもしれない。「どうして」「子孫を残す必要がある人間は、無限の時を生きるグリードとは違い過ぎるからです」案の定、トーリの言っている内容は、普段のトーリの3割増しぐらいに知的なものに聞こえた。もちろん、普段意図的に間抜けなフリをしていた訳では無いのだろう。しかし、思っていても言えなかった事は多いに違いない。グリードの回し者ともなれば、尚更である。「さやかさんは、恋愛について悩んでいました。自分の理想の相手を得るためです」恋愛に悩む美樹さやかの姿を誰よりも近くから見ていたのは、さやかの親友である鹿目まどかだろう。だが、それに並ぶぐらいに、トーリもまた美樹さやかの恋路を見ていた筈だ。結局さやかは恋愛には失敗したが、その出来事はトーリに何らかの教訓を与えたのかもしれない。「杏子さんから聞きました。男には経済力が必要だそうです。家族を養うためです」後藤は、自身が編集した『魔法少女5名の簡易資料』の内容を思い出していた。杏子の実家の経済事情を鑑みれば、杏子がそんな事を言っても不思議ではないだろう。父親のことは尊敬していたのだろうが、それと家庭の貧乏は別問題だったという事だ。「映司さんや後藤さんみたいに他人を助けるのも……人間を減らさないためです」まぁ、その通りではある。正義の味方という職業の最終的な目標は、人間という種の存続にあると言えるだろう。後藤らの助けた人間が、未来にて無限の樹形図を形作っていくのだ。「でも、グリードは子孫を残す必要も機能もありません。自分だけで無限の時を生きられるから、他人に何かを与えようっていう発想が無いんです」ヤミーはグリードの子のようなものだが、それにしてもグリードに利益を還元するための鵜でしか無い。つまるところ、グリードは究極的には他者を必要としないのだ。もちろん、人間が居なければ活動に必要最低限のセルメダルを補給することも出来なくなってしまう。だが、それは他人から勝手に創り出せば良いだけの話であって、他者の働きを要求する訳では無い。「でも、少なくともヤミーには、グリードにメダルを与えようっていう意思があるのよね。なら、コアメダルを全て砕いた後なら、トーリさんは……私達と一緒に生きていけない?」マミの言葉に、後藤は苦しいという率直な感想を禁じ得なかった。傍らで聞いている杏子も、後藤と同意見だと見受けられた。当のトーリだけは、驚愕に顔を染めていたが。「ヤミーがグリードに献身するのは、近い将来にメダルの山に戻るのが決まっているからです。グリードが居なくなったら寿命も無くなるので……いつかはワタシも、今のグリードみたいな思考になると思います」しかし、少し悩んだ末にトーリが出した答えは、理に適い過ぎていた。確かに、ヤミーには生物としての寿命は無いが、グリードに収穫されるという意味において事実上の寿命は存在するのだ。ところが、その上限が取り払われてしまえば、今度はヤミーもグリードのような思考を育むこととなるだろう。「それは差し迫った問題じゃないわ」「確かに、『いつか』は今じゃありません。でも、ヤミーの寿命が無限であるかぎり、必ず直面する問題なんです」だから、メダルの怪人と人間の共存は無理だ。つまる所として、トーリが言っているのはそういう事だった。……後藤は、気付いていた。トーリの返しに対して、マミが言葉を詰まらせた事に。おそらくマミは、怪人と人間の共存が不可能である事を、頭の中では納得させられてしまっているのだ。それでも、何か反論の言葉を紡ぎ出そうと必死に考えている。そう、思えた。だが、後藤の予想は裏切られた。マミが、唐突に行動に出たのだ。言葉では無く、態度でもって次の対話手段を見せたのである。「がっ!?」具体的に言うと、流れるような手つきでトーリの首を掴みつつ地面に押し倒して、もう片方の手でマスケットの銃口をトーリの額に固定したのだ。あまりに突然のことに、後藤はコメントを残す暇も無かった。「……そんなことが聞きたいんじゃないわ」マミの声は……湿っていた。トーリを地面に縫い付けたまま、銃口を震わせながら。体勢の優位とは裏腹に、その声色は縋りつくような響きを隠し切れていなかった。「遠い未来の事なんて後から考えれば良いのよ! だから、私達と一緒に『今』を生きたいって言って! 言ってよ!!」マミは、トーリを組み伏せて銃を向けている、相対的な強者の筈なのに。言葉の内容だって、命令に近い……ハズなのに。その声音は、懇願する者のそれであった。「ワタシだって……死に別れたくなんて、無いです。さやかさんが死んだ時、凄く嫌な感じがしました。マミさんが死んでも……きっと、同じです」確かに、と後藤は思う。人魚の魔女の攻略作戦会議の席にて、トーリはマミと同じかそれ以上にショックを受けているように見えた。さやかの死を突き付けられたトーリの反応は、親しい友人を失った人間の心の動きを再現していたといって差し支えないぐらいだった。特に声を荒げたり突飛な言動を発したりした訳では無かったが、呼びかけに対する反応が鈍かったり目が泳いでいたりといった挙動が見受けられた。後藤には……トーリの言葉が嘘だとは思えなかった。あの時のトーリの様子は、人間に溶け込むために演技をしている、という範疇を超えてしまっていた。それに、美樹さやかを蘇生するためにセルメダルを注ぎ込む作業は、トーリがやらなければ成功した保証は無い。しかも、あの時トーリは自ら奇跡の担い手を買って出た筈だ。黙っていれば大量のセルメダルをがめる事が出来ただろうに、そのチャンスを棒に振ってまで一人の少女を助ける事をトーリは選んだ。……ひょっとすると、がむしゃらな美樹さやかの生き様が、トーリに強く影響を与えたのかもしれない。さやかは、決して周囲と比べて秀でたところがある人間では無かった。もちろん回復魔法に希少価値はあったが、残念なところが際立ち過ぎていたように思われた。だが、そんな美樹さやかの姿が……いつの間にか、裏切り者の蝙蝠女の心を動かしていたのだろうか。さやかは、変態ストーカー野郎と呼ばれた後藤の魔の手から、トーリを守ろうとしたものだった。誰よりも迷って、それでも足掻き続けたさやかの心が、トーリの何かを変えたのだろう。伊達さんが後藤へと残していったものがあるように、さやかもまたトーリへと置き土産を残していったに違いない。「それなら、私達と一緒に……!」「でも」しかし……多分に心を動かされている様子であったトーリは、逆説をもって応えた。マミの言葉は届いているが、それでもトーリは何か思うところがあるのだ、と。「ワタシを作ってくれたウヴァさんに恩を返さなくちゃいけない、っていうのも、やっぱりあるんです」そもそも、なぜヤミーはグリードに従うのか。グリードの命令を受けて働いても、最後はセルメダルの山へと還ってグリードに収穫される運命なのに。……きっと、そこにはさしたる理屈など無いのだろう。最初にグリードに尽くすための存在として定義されて生み出されたからこそ、それを目指して行動するのがヤミーなのだ。「それに、思うんです。この先、マミさん達の事を大切に思えなくなる時が来るなら……今のまま死んだ方が、ワタシは幸せなんじゃないかって」この、行き詰った状況で。トーリに残された選択肢が、二つから三つに増えた。今の今まで、トーリが握っている選択肢は二つしか無かった筈なのだ。すなわち、グリードの補助に行くためにマミ達と戦う道と、降参して人間等の捕虜になる道であった。ところが、トーリが言い出した『自ら死を受け入れる』という道は、全く別の選択肢として口を開いていた。傍らにて聞いている後藤からは、マミが顔を歪めたのが分かった。トーリの今までの行動原理を、マミも理解できてしまったからなのだろう。そもそも、トーリは臆病で逃げ腰な魔法少女だと思われていた。そして、その根底にあるものは適度な自己愛である、と理解されていたのだ。だが……トーリの死を受け入れようとする言葉を聞いて、マミは気付いてしまったのだろう。トーリが今まで死を回避してきたのはグリードに仕えるという目的があったからで、トーリ自身の命を案じてのことでは無かったのだ、と。つまり、人間が自分自身の命を大切にするのと同じぐらいに、トーリはウヴァの復活を心待ちにしていたということだった。マスケットを握るマミの指に少しだけ力が入ったのが、後藤の目からは判別出来た。というより、マミが『見せた』のだろう。トーリにも分かるように銃を構え直して、マミの要求が単なる脅しでは無いことをアピールしようとしたに違いない。……それでも、トーリは言葉を撤回する気配など微塵も見せなかった。おそらく、トーリもトーリで先程の言葉は本気だったのだろう。グリードに仕えるという存在意義と人間達への情を天秤にかけて考えた末の結論なのかもしれない。今死んだ方が幸せかもしれない、と真剣に思っているのだ。それが自分自身の抱える矛盾に押し潰された蝙蝠女の末路……なのだろうか。「……そんなの、おかしいよ」そんな硬直した議論に異議を挟んだ声は……魔法少女のものでは無かった。魔法少女とヤミーという人外二名の対話に口を出したのは、人間だったのだ。当然、後藤ではない。「真木博士も、人間は美しいうちに良き終末を迎えるべきだって言ってた。ちょっとだけ、私もそうかもって思った」意識を失っていた筈の鹿目まどかが、いつしか起きていたらしい。どうやら……真木博士の目的を聞き出した際に、色々と思うところがあったと見える。後藤にはよく分からないが、真木博士の言葉には部分的に賛同できる面もあったという事なのだろう。「でも、やっぱり私は……さやかちゃんが元に戻った時の希望を、忘れたくない。さやかちゃんが魔女になった時には、魔女になるぐらいなら魔法少女で居たうちに死なせた方が良かったって思ったけど、それは間違いだったんだって……思いたい」目を丸くしている巴マミは、たった今鹿目まどかの意思を理解したらしかった。後藤と同じく。確かに、まどかの親友であった一人の魔法少女の末路を目の当たりにすれば、魔女になる前に死なせてやりたかったと思ってしまうのも無理は無い。というか、後藤等の与り知らぬところだが、数あるループ時空の中には鹿目まどか自身が魔女化を前に暁美ほむらに介錯を頼んだ世界もあったりする程である。だが、美樹さやかは奇跡の生還を遂げた。それも鹿目まどかの目の前で。結果的に全ての力を失って魔女を見る事さえかなわなくなった美樹さやかは、而して『普通の人間』としての幸せを取り戻しつつある。その光が、破滅へと進む鹿目まどかの心を繋ぎ止めているのだ。「私に最後の希望をくれたのは、トーリちゃんなんだよ」トーリは、人類の希望を一身に背負うなんて柄ではない。むしろ、最初にやられて目を回して、後から真打が現れるための前座役がトーリだ。しかし、人間にもグリードにも良い顔をして間を飛びまわっていた蝙蝠女のトーリを、それでも大切に思ってくれる人間が……ここに居る。「だからトーリちゃんも信じて。もしいつかトーリちゃんがおかしくなっても、トーリちゃんを元に戻してくれる人は絶対に居るって。もし誰も居なかったら、私がなる。約束するよ」鹿目まどかの言葉をよそに、後藤は意外な事実に気付いていた。それは……実は後藤は今まで一度もトーリの零す涙を見た事が無いという事だった。確かにトーリが涙目になったり声を震わせたりした事は数えきれないが、この臆病な蝙蝠娘は結局一度も人前で泣いた事が無かった筈だ。……今日までは。「ずっと、言おうと思ってたんだ。さやかちゃんを助けてくれて、ありがとう」・今回のNG大賞「グリードの命は、無限なんです」「なるほど。グリードの感覚が鈍いのも、長く生きているせいで目新しい刺激が無くなっていくせいだったということか!」「それは違います」作者も書き始めた当初はその解釈を取り入れる気だったけれど、小説版で否定されたから結局差し替えですよ。ええ……。グリードは、グリードとして目覚めた時点で既に身体感覚は鈍いそうです。・公開プロットシリーズNo.139→まどかさんの主人公補正が目覚め始めた……?