『人間達は疲れ切っているんだろう? 今から俺が行って一網打尽にしてやるッ!』それが出来たらトーリはそんなに悩んでいない。どう考えても、戦力の計算ミスを仕出かしているとしか思えない。26連マキシマムドライブの音声にスイーツメモリの起動音が紛れ込んでいたミスに匹敵するレベルである。絶対に許されない!『真木博士でも無理だって言ったんですよ!? 来るなら穏便に来てください! お願いしますから!』『だが、聞くところによると、オーズはまだ紫の力を進化させる可能性があるんだろう? 早いうちに潰しておかないと危険は大きくなる一方だ』……確かに、近い未来において映司が紫のコアを増やしたりすると、その進化は恐ろしいものとなるだろう。グリード完全態の噂を聞く限りだと、どうもコア9枚の完全態とコア8枚状態の不完全態との間では、歴然たる戦力的差があるようなのだ。同じように、映司がグリードとして完成した場合にも、その急激な戦闘能力の上昇が起こるかもしれない。不完全な映司グリードでさえ、完全態のカザリと互角の戦いを繰り広げたぐらいである。映司の今後の紫メダルの使用状況次第では、たとえウヴァさんが完全態になったとしても、映司に手も足も出なくなる可能性は否めない。とすれば、現在疲弊している人間勢を叩いてしまった方が、実はまだグリード組の勝率は高く見込めるのだろうか。だが、その作戦には幾つかの根本的な穴がるようにも思えた。トーリ達の現在地である動物園へとウヴァさんは近付いている真っ最中なのだろうが、このまま突貫して来ても返り討ちが関の山だろう。『よしんばその作戦でオーズ達を倒せたとして、その後の真木博士はどうするんですか?』映司達がウヴァに倒されてしまった場合、おそらく真木博士は暫く身を隠すこととなるだろう。紫のメダルが真木の身体に馴染むのを待って、最高の状態になってからウヴァを狩りに来るに違いない。真木がアンクを攻撃した事からも分かるように、真木は決してグリードの味方という訳では無いのだ。結局のところ、真木の目指す世界の良き終わりのためにグリードを利用していただけに過ぎない。したがって今となっては、真木はオーズや魔法少女と並ぶぐらいに厄介な敵なのである。『大丈夫だ。俺に良い作戦がある!』……不安過ぎる。もちろん、ウヴァさんが自信をもって言い放ったのは分かるのだが。何となく、碌な提案では無いような気がしてしまうのは、一体何故だというのか。『あまり気は進まないが……オーズを倒した後に紫のコアを手に入れて、俺が取り込む! そうすれば真木だって一捻りだッ!』言われてみればそれなりに筋が通っているようにも思える作戦だったのが、逆に反応に困る要因だったりして。確かに、真木の取り込んでいる恐竜メダルは映司と同じく5枚であり、ウヴァさんが5枚の紫メダルを吸収できれば、真木の持つアドバンテージは覆る。5枚の紫コアを持った人間と5枚の紫コアを持った完全態グリードならば、流石に勝負にならないはずだ。しかし、紫コアを他色と混ぜる事は可能なのだろうか?なんだか、他色のコアを粉砕できるというだけで、紫だけはコアメダルの中でも異質な存在のように思えるのだ。おそらく。まぁ、その辺りに不確実性があるからこそ、ウヴァもあまり気が進まないと言っているのだろうが。おそらく。まさか他色のコアを取り込むこと自体が怖い訳では無いだろうが、紫が別格だというのは何となく肌で感じ取っているに違いない。おそらく。流石のウヴァさんというべきか、察しの良さは一流である。おそらく。そして……ウヴァさんの作戦の大前提となる条件の一つを、言われずともトーリは理解出来ていた。すなわち、映司の持つバッタコア一枚の奪還である。いくらウヴァといえど、完全態にならずに現在の人間達と戦えるとは思っていないだろう。きっと、初撃の不意打ちにて映司から最後のコアメダルを奪い取って、まず完全態になる算段に違いない。……ところが。「……グリードだ」瞳を紫に輝かせた映司が、何故か反応を見せていた。存在を感じた、というべきなのだろうか。ともかく、まだ視界にも入っていないウヴァの気配を、映司は掴み取ってしまっているらしかった。ウヴァさんが怪人態で猛ダッシュを敢行しているのが原因だと思われる。これでは、不意打ちなど成功する筈も無い。存在を捕捉されてしまっている以上、今からウヴァさんを逃がす事も難しくなってしまった。人間等が火野映司へと視線を集めた、中。誰かが映司に聞き返すよりも早く……一人の少女が、映司の元へと足早に歩み寄っていて。この場で誰よりも背丈の低い鹿目まどかが、映司に何か物申したいことがあるのかもしれない。……と、思っていたら、その場に木霊したのは鹿目まどかの高い声では無かった。各々の耳には届いたのは、いわゆる肉と骨がぶつかる音と呼ばれる代物で。具体的に言うならば、鹿目まどかの右拳が火野映司の頬に突き刺さる音であった。さすがに体重差が大きいために、映司も地面を転がされるような事は無かったが、それでも周囲の面々は驚かずには居られない。鹿目まどかの右腕を見れば赤い腕だけの怪人態が具現化している辺り、おそらく映司を殴ったのはアンクの意思なのだろうが。「……何するんだよ」「お前こそ、何やってんだ! 映司ッ!!」冗談めかした雰囲気を一切纏っていない映司からの抗議が、アンクの声に遮られる。と同時に、アンクから二発目の拳が飛んだ。もっとも、今の映司に明確なダメージを与えるような威力のものでは無かったが。……どうやら、映司がグリードの気配を察したのが、アンクのお気に召さなかったらしい。しかし、映司の異変が何故アンクの怒りを買ったのだろうか。というか、アンクが激昂したとしても、鹿目まどかが歯止めとなってくれても良さそうなものなのに。怒気に染まった鹿目まどかの顔を見るに、おそらくアンクは手加減など考えてはいないのだろう。だが、現状のアンクは先程真木博士にボロ負けしてコアメダルを奪われた直後であり、大きく弱体化してしまっている。一方、映司はグリード化が進行の一途を辿り、その力は増すばかりなのだ。しかも、純粋に火野映司と鹿目まどかの身体能力の差も大きいため、現在のアンクが全力の拳を振るっても映司を仰け反らせる事も出来ないのだろう。それが、周囲が止めに入るのを躊躇わせている原因でもあった。もしアンクの拳によって映司が殴り倒されていたのなら、マミさん辺りが拘束魔法でアンクを縛り上げたのかもしれない。しかし、どうも映司に実害が殆ど無いようなので、介入すべきなのか否かという判断が怪しいのである。「何やってるも何も、グリードが暴れたら放っておくわけにはいかないだろ!」……すると、アンクから3発目の拳が放たれた。もっとも、赤い右腕はあまりにも簡単に、映司の片手にて受け止められてしまっていたが。だが、そんな映司の動作を目の当たりにした時、誰もが異変に気付いていた。アンクの右腕を受け止めた映司の左手が……紫の硬質な鱗に覆われた、怪人のものへと姿を変えていたのだから。先程までの映司のノーダメージぶりから判断するに、映司は必要に駆られて左腕を怪人化させた訳では無いのだろう。つまり……少々の力を込めただけで怪人化してしまう程に、映司の身体は末期だという事だった。「ふざけんな! 何にも欲しくないような顔しやがって! お前みたいなグリードが居てたまるかッ!!」「それでも俺は、真木博士たちを止める! 例えグリードになっても!!」映司の言葉を耳に入れたアンクは、反射的に更なる追撃を求めた。だが、そんな怒りの衝動とは裏腹に……アンクは、4発目の拳を繰り出す事さえ出来なかった。怪人化した映司の掌にて掴まれたアンクの右腕を、セルメダル一枚分さえも動かす事が出来なかったのだ。「グリードになる、だと!? 気安く言うなッ! お前にグリードの何が分かる!?」「もう……グリードの見てる世界なら、半分ぐらいは分かるよ」食いかかるように言葉を吐き散らしたアンクに対して……映司の言葉は、何処か静かなものに戻りつつあった。逆に、周囲の聞き手の面々は、心穏やかでは居られなかったが。映司の言葉の意味を素直に解釈するのならば、おそらく映司の感覚器官の半分程度がグリード並に鈍くなっていると考えるのが妥当だろう。視覚。聴覚。味覚。嗅覚。触覚。その5つの感覚のうち、2つから3つが不能となっているという事だ。もしくは、緩やかに全ての感覚が機能を失いつつあるのかもしれない。火野映司という男ならば、聴覚が無くても相手の言葉を予測して会話を成立させられそうなのが、恐ろしいところである。「お前は何も解っちゃいない! 世界を確かに味わえる『命』を持ってるってのに、ゴミみたいに捨てやがって! 目障りなんだよ!!」「……そっか。それが……お前が欲しいものだったんだな」……そして、どこか腑に落ちたような顔をしている映司の様子が、トーリとマミにとっては奇妙な光景であったりして。映司はまるで都合の良い神様のように全てを見通しているという印象を振り撒いていたのだが、そんな映司でも分からない事があったのだ、と。やはり、映司は仏様などでは無く、まだ一人の人間なのだろう。「……何だ。何一人で納得してんだ」目を細めて映司を睨みつけているアンクの疑問は……その場の全員の疑問の代弁でもあった。杏子も、マミも、後藤も、トーリも、そして恐らく鹿目まどかも。映司を除く誰しもが、映司が納得した理由が解せなかった。アンクの最も望むものが『命』であるという判断の材料を、映司は持っていたのだろうか?「アンク。命が欲しいなら、命を大切にしなくちゃいけない。そして……少しずつだけど、お前はそれが出来るようになってる、って思ってたんだ」「なんだそりゃァ」語気の強い言葉を返していた映司からは、いつのまにか棘が抜け落ちていて。紫の指にて掴み取っていたアンクの拳を解放してしまっていたのだ。相も変わらず、アンクは不機嫌そうな視線を映司に突き刺していたが。「例えまどかちゃんに逆らえなかったとしてもさ、お前ならまどかちゃんを陥れて身体を奪うぐらい、いくらでも出来たんじゃないのか?」「……何が言いたい」……そして、ようやく周囲の面々も、映司の言わんとするところを理解できていた。確かに、アンクが鹿目まどかの支配下に置かれていたのは事実である。だが、アンクの悪賢さがあれば、鹿目まどかに致命傷を負わせて再び支配権を奪うぐらいの事は出来たのではないか。具体的には、単純なウヴァを怒らせて攻撃させたり、頭脳チートな真木博士に暗号気味の台詞を聞かせてみたり、などなど。実際に身体を動かす権限が無くとも、幼気な中学生を陥れることぐらい、アンクなら朝飯前だった筈なのに。美樹さやかの回復魔法が失われている現状を省みれば、尚更である。「お前は、少しずつだけど、他の人の命を大切にすることを覚え始めてる。それが直接的な損得に繋がるかは分からないけど、アンクの欲しいものを手に入れる足掛かりになる気がするんだ」「はッ。そこまで言って結局、『気がする』か。気休めにしても、もっとマシなのがあんだろ」映司が……さらっと重要な事を言い放ったように、トーリには思えた。だがそれ以上に、トーリに残された時間は乏しかった。ウヴァさんが、まもなく人間達の元へと到着してしまう。後藤は然程脅威では無いとしても、映司とマミとアンクと杏子の4名が居たら、明らかにオーバーキルである。完全態ですらないウヴァさんの存在など、風前の灯火でしか無い。せめてウヴァの手に9枚目のコアメダルが渡らなければ、勝負にさえならない。であるからして……トーリに許された選択肢は、一つしか無かった。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第百三十八話:蝙蝠女は選べない「来た!」「ウヴァか。まぁ、奴以外に残ったグリードは居ないからなァ」「初めて見るグリードね……」「……なんか、あんまり強く無さそうじゃねーか?」「油断するな! 前にタトバコンボに倒されたとはいえ、奴は一応グリードだぞ!」駆けつけたウヴァさんへと人間達の視線が釘付けになっている、一瞬のうちに。トーリは、手を伸ばしていた。映司の懐に秘められた、最後の緑コアへと。空いている方の手で映司を突き飛ばしつつ、ウヴァに欠けた最後の一枚を奪い取ったのだ。誰かが、トーリの名前を叫んだ気がした。マミだったのかもしれないし、後藤だったのかもしれない。だが、そんな声などお構いなしに、トーリは緑の一枚を力の限りにウヴァへと投げ込んだ。「さっきのは……俺のコアか! これで俺も完全態だッ!!」そして、身体に力を漲らせながら嬉々として雷撃を振り撒き始めたウヴァさんを、尻目に。トーリは、天へと飛びあがっていた。蝙蝠の、漆黒の羽をはばたかせて。人間達がトーリへ向ける視線を、トーリは直視したいとは思えなかった。だから、すぐに結界を張って、人間達とウヴァを閉じ込めた。完全態という脅威から逃げられない状況を作り出す事で、人間達の注目をウヴァに集めるために。縦長のホール状の結界を張って、外界との接触を裁ち切ったのである。もっとも、この憧憬の魔女の結界は、実は内部からの出口が存在するタイプの空間だったりするのだが。「身体に力が漲る! こんな気分で戦うのは久々だ! これでもう何も怖く無いぞッ!!」しかし、効果は覿面であった。狭い空間においては、回避に利用できる空間も当然限られる。そんな中、完全態から溢れ出る緑の稲妻を、ウヴァは迸らせていて。結界が壊れるのではないかと思うような暴力が、無差別に撒き散らされていたのだ。おかげで、人間達は回避や防御に気をとられて、トーリの方を見上げる余裕さえ持てていない。その事に少しばかり安堵しつつ……しかし、トーリは空恐ろしく思わずには居られなかった。ウヴァさんが負けたら、トーリは人間達に狩られる。もはやトーリは、明確な裏切り行為を働いてしまった後なのだ。人間達に捕まれば正体もバレて、後は処分される一択である。だが……ウヴァさんが勝ったとしても。胸の中で、何かがざわついた。ウヴァさんが映司やマミを倒せば、万事解決のハズなのに。戦力的な勘定以外の思考で、トーリはウヴァの勝利に疑問を抱いていたのだ。トーリの脳裏には、さやかが死んだと聞かされた時と似通った、何とも言えない感覚が蘇っていた。冷たく響くようで静かに心を苛む痛みが、じわりと頭の奥に滲んだ。あんな肌寒さを味わうのは、二度と嫌だった。しかし、主たるグリードを再び失うのも、有り得ない。グリードへメダルを献上するのは、ヤミーの存在意義である。現在も魔法少女達の行動に伴ってトーリのセルメダルは増えているが、それもウヴァへと差し出すためのものなのだ。人間達と行動を共にしていたのも、ウヴァの復活のために利用していたに過ぎない。……筈だ。人間なんて、グリードがセルメダルを増やすための苗床でしかない。…………そうに、決まっているのに。焦りのような、恐怖のような、悲しみのような。何とも言えない胸の中の泡は、影を潜める気配さえ掴ませない。否。分かってしまったらトーリの中で何かが崩れてしまう、と分かっていたのだ。――上手く言えませんけど……『大切な人』が死んだ後の人間って、何だか話しかけ辛いんです。さやかが死んだ直後の作戦会議において、その場の面々は戦略以外の内容をほとんど話さなかったと、トーリは記憶している。会議の最中、トーリは人間達に話しかけなかったし、人間達はトーリに話しかけてこなかった。トーリには、人間達に話しかけ辛いという思いが巣食っていた。人間達は……トーリに話しかけ辛いと思ったのだろうか?結界の最上部を旋回している蝙蝠ヤミーの眼下には、闘争を続ける人間とグリードの姿が未だに残っていた。とはいえ、戦況はあまりに一方的であった。ひとたびウヴァが右腕の小鎌を振るえば、人間達からはセルメダルや深紅の雫が零れ落ちた。常に撒き散らされる雷神の如き閃きは、前衛の肉を焦がし、後衛からの炎弾や銃弾を一切通さない。唯一、紫のオーズと化した映司の攻撃だけは、ウヴァに対抗する手段となりえた筈なのだが……。「そんな玩具で、この俺が倒せるかッ!!」上手い具合にカウンターを合わせてみせるウヴァに渾身の一撃を入れることは、困難を極めるらしい。映司も紫メダルとの同調率は増しているのだろうが、それ以上に体力が不足していると見える。……他のグリードと比べた時に、おそらくウヴァには飛び抜けた長所は存在しない。トーリは他の完全態グリードを見たことが無いのであまり明確な事は言えないが、何となくそう思えた。上空から見ている限りだと、確かにウヴァの身のこなしは優れている。雷撃を潜って来たマミの銃弾を片手間で撃ち落としながら他の面々への警戒も全く怠っていない辺り、特に。しかし、それも速さという一芸をもって考えるのならば、おそらくカザリには敵わない。絶えず撒き散らされる雷撃も、アンクが完全態になれば出力負けするような気がした。確かに、ウヴァが造作も無く振るった爪は、いとも簡単に杏子の槍を両断してしまっていた。それでも、腕力という観点ならばガメルに勝るとも思えない。後藤がバースバスターから放った弾丸など、回避する意味も無いとばかりに無視して受けても、ウヴァには傷一つつかない。だが、メズールの完全態ならば、回避や防御を考えなくてもそんな攻撃は無意味だろう。ところが、決して最強では無い一つ一つの長所も、数が揃えば脅威となる。人間達を蹴散らしているウヴァの真骨頂が、そこには在った。ウヴァの強さは飛び抜けた一芸などではなく、その総合力なのだ。「カザリ達はこんな奴らに苦戦していたのか! まぁ、所詮は俺以外のグリードなど取り巻きに過ぎなかったという事だッ!!」……人間達はグリードとの連戦による疲労を溜めているので、そのせいもあるのだろうが。トーリの感覚は、敏感に人間達の危機を察知していた。インキュベーターを親に生まれた蝙蝠ヤミーは、魔法少女が魔女に近付くたびにセルメダルを増やすはずなのだが、その増加分が少ないと思えるのだ。どうやら、魔法少女組は消耗が激しすぎて、既にまともに魔法を使えない状況と見える。トーリは戦力的な問題を気にしていたものだったが、結果的にはウヴァの読みの方が的確であったらしい。と、なれば。トーリの思考は、当然のように人間達の次なる戦法へと思い至っていた。そしてそんなトーリの耳元を、小さな火炎弾が通り過ぎていった。「思ってました。ワタシのところに来るならアンクさんだ、って」人間達がこの場を切り抜けられるとすれば、一旦ウヴァから逃げて体勢を立て直す以外に無い。しかし、それを妨害しているのが、トーリの張っている結界である。一応時間をかければ内部からでも出口を探せるタイプの結界なのだが、そんな事をしていたら人間達はウヴァに倒されてしまう。であるからして、結界の主であるトーリを処理するのが、現状における人間組の最善策という訳だ。加えて、メンツの中で飛行能力を持っているのがアンクとオーズだけである以上、そのどちらかが上空のトーリの元へと飛びあがって来なければならない。オーズが戦線から抜けたら地上の面々が苦しくなるからして、トーリを倒しに来るのはアンクしか居ない。「はッ。随分頭が回るようになったなァ」案の定、トーリに近い高度に浮かんでこちらを見上げているのは、アンクだった。だが、現在のアンクの姿は……不完全そのもので。何とか翼と右腕だけは怪人態を保っているものの、おそらくそれが現在のアンクの限界なのだろう。「何となく……マミさん達には来てほしくなかったですから」右腕を振りかぶって飛びかかってくるアンクの攻撃を、何とか回避しながら。トーリは……他の誰にも声を聞かれない上空にて、言葉を漏らしていた。「あいつらだと、情に流されて手が鈍るだろうな。だから俺が来た」胸の奥で、何かが痛んだ。アンクからの攻撃によるダメージでは無い。今も、アンクが放った炎弾を漆黒の翼によって防ぎきったばかりだ。トーリは、考えてもみなかった。自分自身が人間達に対しての非情さを失っている事は理解していたが、その逆になど思い至らなかったのだ。人間達が、情に流されて手を鈍らせるぐらいには、トーリの事を大切に思ってくれている。アンクが言ったのは……そういう事だった。嬉しい、と心の中の素直な部分が声をあげた。同じぐらいに、辛い、とも思った。既にトーリは、人間達に対して明確な反旗を翻した。思えば、さやかやマミさんは何度もトーリを危機から救ってくれたのに。マミさん達の好意を、トーリは裏切ってしまった。「アンクさんは……どうなんですか」「俺が、お前を消すのを躊躇うほどの御人好しに見えるか?」アンクなら、トーリを始末するのに迷いなど無いだろう。そもそもグリードがヤミーを収穫するのは当然である。親違いのヤミーを処理するにはそれなりに手間はかかるものの、さほど問題にはならない。しかし……トーリが聞きたいのは、そういうことでは無い。「ワタシのことじゃありません。もしアンクさんが本当に人間達を裏切ったら、人間達は情に流されてくれると……思いますか?」「はッ。何を言い出すかと思えば、そんな下らないことか。ガキ共は知らないが、映司の奴は必ず俺を消すだろうな。アイツの命にかえても」――俺の手で止められてるうちは、あいつには殺される理由なんて何もないんだよ。アンクがマミによって倒された、あの時。映司は……どんな顔をしていただろうか。「マミさんがアンクさんを殺した事を、映司さんは……悲しんでいましたよ」「……それでも、映司は俺を『殺す』だろ」燃え盛る数多の羽を飛ばして来るアンクの攻撃を、暴風によって逸らしながら。トーリは、アンクの口調に敵意以外の何らかの感情が含まれているように感じる事が出来ていた。喜びだか、悲しみだか。アンクが一体何によって心を揺さぶられたのかは、定かでは無いが。「お前こそ、どうなんだ。お前が消えたら、悲しむ奴が居ると思うか」……今度は、アンクからの質問返しだった。そしてトーリは、その問いの答えを持つことが出来ずに居た。トーリを魔法少女だと思ったままのマミさん達だったら、トーリが消えたら悲しんでくれたかもしれない。だが、人間達を欺いて立ち回っていた蝙蝠ヤミーの正体を知って尚悲しんでくれる人間は、果たして居るのだろうか。「居る……と思うのは、高望みですよね」「居て欲しい、ってか。虫の良い話だ」舞い散る火の粉を払い続けて。トーリは思った。このまま回避行動を続けていればウヴァの勝利は確実だ、と。「分かってます」トーリがこのまま時間を稼げば、結界内の人間達は全滅する。アンクも空中戦に長けているはずなのだが、やはり真木博士と戦った時の損壊が重かったのだろうか。仮にトーリを大切に思う人間が居たとしても……もう、手遅れだ。「……いや、お前は何も分かっちゃいない」「……?」アンクの声が少しだけ、低くなった。そんな気がした。こちらを睨む眼光にも、鋭さが増したように思えた。「結局お前も……何かを本気で欲しがった事が無いから、そんな事が言えんだよ!」「そんな事は無いです! ワタシは、ウヴァさんを助ける事が……」トーリは、口をついて飛び出た反論を、而して続けることが出来なかった。アンクが次にどう返して来るか分かっていたうえに、自身が抱える問題にも気付きつつあったからだ。「だったら、何でお前はそんなに迷ってんだ」顔に出ていた……のだろうか?人間達の命とグリードの覇権が両天秤に乗っている今の状況において、確かにトーリは心を揺さぶられていた。ウヴァを補佐する事がヤミーの行動原理であるはずなのに、トーリはそんな根本的な本能に疑問を抱いてしまっているのだ。もちろん、トーリはアンクの問いの意図を見抜くことが出来ていた。アンクは……トーリに、揺さぶりをかけているのだ。現在のアンクには力尽くでトーリを撃破する手段が無いから、心理戦に持ち込もうとしているのだろう。すなわち、マミ達が死ぬのが嫌なら結界を解け、と。加えて、トーリの理解度ぐらいはアンクも見抜いている筈だ。つまり、トーリがアンクの意図に気付いているという事に、アンクは気付いている。それでも尚この戦法をアンクが選んだのは……正真正銘、それしか人間達が生き延びる道が無いからなのだろう。一応、飛行能力を持つプトティラが上空へ向かって来れば結界の解除とオーズの逃亡の確実性は上がるのだろうが、その場合にしても魔法少女達は御陀仏である。さやかを失った時のような痛みを味わうのは……トーリは、もう嫌だった。……刹那。結界の床面にて悪戦苦闘を重ねていた人間達の頭上から、かすかな銀色の欠片が降り注いでいて。燃え盛る腕を伸ばしたアンクが、蝙蝠娘の腑から漆黒の卵を抉り出していた。・今回のNG大賞『オーズを倒した後に紫のコアを手に入れて、俺が取り込む! そうすれば真木だって一捻りだッ!』『むしろ、博士さんに他色のメダルを突っ込まれて暴走させられるのが早まるだけなんじゃぁ……』トーリが原作知識持ちだったら命を賭けてウヴァさんを止めてたと思います。・公開プロットシリーズNo.138→何だかんだでアンクの方が一枚上手だった?