膝蹴りが来たかと思えば、頭突きを打ち込まれて。後藤の身体を掴みに来た腕を何とか振り払うものの、反撃に出るほどの余裕は残せない。現在の後藤慎太郎が身を置いている状況は、そんなところであった。「関節技対策だけはバッチリって訳か。だがな、他が疎かだぜ……おらよっ!」「……っ!」後藤が前腕を交差して防御を固めるも、伊達の回し蹴りは後藤をそのまま地面に転がす程の威力を携えていて。やはり伊達の言う通り、後藤は極め技に意識を回し過ぎている思考を自覚出来ていた。しかし後藤としては、この後にバースドライバーを奪って戦いの場に行かねばならないのだから、ここで大きなダメージを負う訳には行かない。関節を破壊されるなど、論外も甚だしいと言える。まぁ、そのせいで脳を揺さぶられたり内臓を痛めたりしている辺り、後藤を苦しめている伊達明という男がどれ程規格外かという事を表してもいるのだが……。というか、そもそも後藤慎太郎は元警察官であって、一通り武術は収めている身なのだ。それなのに歯が立たない時点で、明らかにおかしい。もちろん後藤も相手に危険が大きい技の使用は控えているが、それを抜きにしても戦闘能力の差は歴然といえた。まぁ、後藤も伊達の力を知らなかったわけでは無い。実はガラの一件が終わった直後、後藤は伊達からバースバスターの取り回しを一通り教わっているのだ。見るからに筋骨隆々とした伊達が腕力に優れているのは後藤とて理解していたが、生身でバースバスターをぶっ放せる伊達の身体能力は、軽く頭がおかしすぎた。ちなみに、後藤は今でも生身でバースバスターを使うと、反動で自分の体ごとぶっ飛ぶ。もはや、伊達の脳内に埋め込まれた弾丸が少年誌的なパワーアップアイテムだった可能性を疑うレベルである。もし伊達が変身していたなら、後藤は間違いなく殺られていた筈だ。後藤が反撃に拳を突き出そうとも、同じように突き出された伊達の拳が後藤へとクリティカルする始末である。基本的に一撃の威力が違うため、伊達側は痛み分け狙いぐらいの気持ちで打撃を放っても、充分に勝ちが狙える立場なのだ。それに対して後藤は、そろそろ口の中に鉄臭さが広がりはじめていたりして。もはや、一度もダウンしていない後藤慎太郎も軽く超人の域に片足を突っ込んでいると自惚れられるレベルなのかもしれない。ちなみに、もう片方の足は棺桶に突っ込まれていると見て間違いない。……それでも。後藤は、既に引き金を引き終えているのだ。美樹さやかも伊達明も、どちらも守りたい。そう決めた事に、後悔なんてある訳が無い。だから、倒れない。倒れたとしても、すぐに立ち上がる事だろう。たとえ、既に後藤慎太郎の膝が笑い始めていたとしても……。『その欲望を開放して魔法少女になってよ』第百二十三話:Mに目覚めの口付を/生者より愛を込めて車輪が走り回る、不思議な結界の内部にて。暁美ほむらは……散発的に襲い来る車輪を撃ち落すという単調作業に就いていた。前衛として魔女の気を引きつけているオーズが居るものの、やはり鹿目まどかも狙われる事があるので、暁美ほむらが守り刀として張り付いているという訳である。そして、一応は作戦通り……という事になるだろうか。ほむらの傍らでは、鹿目まどかが必死に魔女への呼びかけを継続していた。その内容は普段のさやかへ戻って欲しいという嘆願から、ハーレム計画なんて無責任な事を言った事に関する謝罪まで多岐に渡っていて。ともかくとして、鹿目まどかによる呼びかけ態勢を確立する事には成功したと見て良いだろう。だが……暁美ほむらは、根本的な部分において、この作戦に対する懐疑心を捨てきれずに居た。そもそも魔女の説得なんて可能なのだろうか、と。過去の世界にも人魚の魔女と鹿目まどかが鉢合わせた場面は無かったわけでは無い。しかし、その世界達はたった一回とて、魔女が人間に戻る例を許した事が無いのだ。強いて例外を挙げるとすれば、魔女になっても相方と意思疎通が出来るキリカぐらいのものだが、アレも魔法少女に戻れた訳では無い。現在前衛として立ち回っているオーズも、一体いつまで戦線を保つことが出来るのか。タカの目にて攻撃を見切り、トラ手甲とバッタの瞬発力にてダメージを最小限に抑えているオーズだが、それでも体力は無限では無い筈だ。現に今も、魔女の振るった人間の倍以上はあろうかという大剣を何とかトラ手甲にて往なして、難を逃れたところであった。「アンク!」と思ったら、オーズから呼びかけがあった。どうやら、鹿目まどかの体内に居るアンクに対して何かを伝えたかったらしい。すぐさま人魚魔女の尻尾攻撃への対応に追われ始めたオーズは、一体何を言わんとしていたのか?……という暁美ほむらの疑問を先読みしたかのように、鹿目まどかの表層意識に出てきたアンクが、新たなコアメダルを用意していて。おそらく先程のオーズの呼びかけは、新たなコアを用意して欲しいという意味だったのだろう。一体何故あれだけの会話で内容が通じるのか不思議ではあるが、そういう物だと割り切るしか無いのかもしれない。アンクが投げ渡そうとしている青いメダルの絵柄はウナギのものであり、オーズが現在使っているトラクローに何か不都合があったのだろうか?そう思ってオーズの方へと目をやると……鮮やかな黄色を誇っていた筈のトラクローが、その色を明滅させていた。魔女の攻撃を防ぎ続けるにあたって、耐久力的なものが減り過ぎたのかもしれない。……が、問題は全く予想外のところから現れる事となった。何かを擦り合わせるような不穏な音が、暁美ほむらの耳に届いたのである。それが何の音なのかは俄かには判断できなかったが、当の音が地面の方向から聞こえてきた事は間違いが無い。なので、飛んでくる車輪に気を配りつつ足元に視線を落として見ると……「……?」鹿目まどかの革靴が、床との摩擦で音を立てていた。まるで剣道の摺足でも使っているかのように、鹿目まどかの立ち位置が少しずつ前方へとズレていっているのだ。しかし、いったい何故?一体何が起こっているのかと思って鹿目まどかの身体の全体像を舐めるように見回してみると、ようやく問題点が見え始めてきた。どうやら、アンクが右腕だけの怪人態を現している部分が前方に向かって引っ張られ、それを足で何とか踏ん張って耐えているという状況らしい。更に赤い右腕を詳しく観察してみると……先程オーズに渡そうと取り出した青コアを、まだ投げていない。というか、前方へと引っ張られているのは青コアで、アンクはそれを許すまいと力んでいるように思える。鹿目まどかの姿で必死に身体に力を入れている姿だけを見れば和んでしまいそうなものだが、今は状況が状況である。どうして、青コアが前方に……というか、魔女の方に引き寄せられなければならないのか。そして、時間は……暁美ほむらに思考の余裕を許さなかった。魔女が、こちらを見たのだ。今まで足元のオーズを狙うついでに鹿目まどかへと車輪を飛ばしていた魔女が。その並列に配置された三眼を集中して、こちらを凝視し始めたのである。恋慕の魔女の注意は、情愛を司る青メダルに釘づけとなっていたのだ。人とメダルは惹かれ合うというキリカの言葉を知ってさえいれば、その魔女の反応を予測するぐらいは出来たのかもしれないが……全ては後の祭りであった。……次の一瞬には、結界の天井を埋め尽くす程の夥しい数の車輪が、具現化されていて。咄嗟に円盾を傾けて時間を止めてしまった暁美ほむらは……きっと、焦っていたのだろう。後から考えれば、踵を返してこちらに戻ってくるオーズを待つという判断を下すのが、最善だったに違いない。だが、過去に同じような光景を見た経験があったことも災いして、ほむらは時間停止の魔術を使用してしまった。そして、同時に後悔した。よしんば、カザリが魔女自体に細工を施していなかったとしても。ヤミーの方に時間停止対策を仕掛けている可能性は高いのだから、ヤミーとの間に魂魄的な繋がりを持った魔女が時間魔法を掻い潜る可能性はゼロでは無かったのだ。暁美ほむらが盾を傾けきっても、魔女の車輪は回り続けていて。きっと今からでは、何をしても間に合わない。今から炎の力を円盾に溜める時間も、弾幕を張る暇も、無い。なまじ時間を止めてしまったばかりに、こちらに走り寄ろうとしていたオーズの伸ばした手も、届かない。そんな、少しの猶予も許されない窮地の中で。暁美ほむらは……もう一つ、常時の思考ならば絶対に採用しない行動に、出てしまっていた。時間遡行魔法の執行はほむらが生きている事が前提となるのだから、この時間軸の鹿目まどかを死なせてでも、ほむらが生き延びてリトライするのが『正解』の筈なのに。余裕というものを奪われた思考は……ほむらの本当の願いを、体現させてしまったのだ。魔女へと背中を向けて。ほむらは、鹿目まどかと車輪の大群の間に立つという選択肢を進んでしまっていて。時間魔法が切れて、突然現れたほむらに驚いている鹿目まどかであってアンクでもある顔が、ほむらの視界に映った最後の光景であった……。……佐倉杏子にとって、美樹さやかは必ずしも良い印象ばかりの相手では無かった。初対面の際には命を助けられたものの、その次は錯乱して杏子に殴りかかって来た奴である。果てには女ピエロの路上営業を見物している途中で出会い、その翌日も杏子の借りているホテルの一室で勝手に祝勝会を開催されて。更に、聞くところによると美樹さやかは、片思いの相手の腕を治すために一度きりの願いを使ってしまったのだとか。まったく、救いようの無いマヌケである。……誰かさんと、同じぐらいに。「おーおー、見事に怪物だな。……元の姿より、ずっとやりやすい」だからといって、本当に怪物になってしまう事はないのに。牙を突き立て来た怪人を槍の一振りにて払い除けながら、杏子は思い返していた。巨大な牙を血に染めた猫科のヤミーが……人間だった時の事を。ソイツは、決して戦力として優れている訳でも無く、頭も非常に残念だった。それでも杏子は、分かっていた。さやかやトーリが、寂しがりのマミの心の支えになっている事を。杏子が居る筈だった暖かな場所に収まっている弟子組を……杏子は、少しだけ羨んでいて。しかし、それ以上に感謝もしていた。杏子自身が出来なかった事をやってくれている後輩達の行いを、有難く思っても居たのだ。「あんたが死んだって聞いた時、マミがどんな顔してたのか、説明しなくたって分かるだろ」このヤミーのモチーフは、特徴的な牙から察するにスミロドン辺りだろうか。死人のヤミーが絶滅種だなんて笑えない、などと益体も無いことを考えながら。杏子はひとり言のように、ヤミーへと語りかけていた。美樹さやかはここには居なくて、さやかの魂たる魔女の方に当たっているのは鹿目まどか達であるのに。「あのまどかって子が流した涙の数ぐらい、数えられるだろ。『友達』のあんたなら、さ……!」さやかは死ぬ直前に、自分の大切なものが分かったのだと言った。そこには……間違いなく、あの優しい女の子も含まれているのだろう。今のさやかは、自分の大切なものを傷つけている。やっと、答えを見つけ出した筈だったのに。「アタシだって……今だから、言うけどさ。あんたが大切な人の中に入ってるって言ってくれて、本当は嬉しかったんだよ……っ!」長く伸びた鉤爪にて襲い来るヤミーの攻撃を、タイミング良く槍先にて撥ね退けて。杏子は……遅すぎる心の内を、吐き出していた。魔女となって遠隔地に居る美樹さやか本人には届かないだろう、という諦めがあったからかもしれない。杏子を食いちぎろうとしたその所作を見れば、そこに美樹さやかが居ない事など自明であった。だからこそ杏子は確かにこの時、捻くれる事を止めたのだ。「ほむらの奴だって、多分あいつは誰よりもこの作戦の成功率を知ってる筈なのに、頷いてくれた!」キリカが魔女化して去って行った場を、杏子は見ていた。そして、動揺を見せなかった暁美ほむらが事前に魔女の正体を知っていて、しかも当人なりに割り切り終えていたという事も把握できていた。だが……佐倉杏子の提案を聞いた暁美ほむらは、少し迷った末にこの作戦に乗ってくれた。表情の読み辛いあのムッツリさんも、心の内では美樹さやかの事を心配しているに違いない。「あの火野って奴だって……!」杏子が言葉を終えるのを待たずに、スミロドンの爪が振るわれる。それはまるで……わざと、杏子の言葉を遮ろうとしているようにも思えた。力任せに叩きつけられた爪が、防御に回ろうとした杏子の槍を腹から両断していて。そのまま爪を振り切られれば、杏子の身体を中央から引き裂くに足る一撃であったのだろう。そんな強烈な斬撃に対して……杏子は、自身の左手側へと身体を捻って、致命傷を避けた。そして、裁ち切られたまま落下しようとしていた穂先を、左手にて空中で掴み取り、攻撃に気を取られて隙だらけなヤミーの脇腹を……一思いに引き裂いた。と同時に、杏子の右腕の肘から先の感覚が失われた。それでも、杏子の顔に驚愕は無い。カウンターを狙って回避を最小限にする事を判断した時点で、そうなることは覚悟していたからだ。さらに、紅の雫と銀の円盤が交錯する輝きの中で。杏子には見えていた。引き裂かれたヤミーの脇腹から、さやかの身体の一部と思しき肌色が露出している様子が。「行けっ、『出番』だっ!」頭突きにてヤミーを怯ませながら……杏子は、右腕を突き出していた。先程ヤミーの一撃によって失われた筈の、右腕を。一瞬、ヤミーが驚きの声をあげたように、杏子には思えた。何故なら……杏子の肘の先からは、コンマ数秒前に失われた筈の腕が生えていたのだから。再生能力に優れたさやかだって、ここまで瞬間的な回復は出来ないだろう。……もちろん、杏子にも出来ない。杏子が過去に失った幻術魔法ならば『そう見せる』事も出来たのだろうが、それも使用不可能であった。ならば、何故杏子の右腕から生えた手は、さやか身体の露出した部分を掴むことが出来ているのか?「忘れてたってか? 『コイツ』がお前の救出作戦に参加しないわけ、ねーだろうがよ……!」猫系ヤミーの怪人態の中から美樹さやかの身体を引きずり出さんとしている、その掌は。瞬く間に杏子の身体の中から全身を現し、渾身の力を以て美樹さやかの身体をヤミーから引き剥がして、ヤミーや杏子から距離をとるに至っていた。傷口からセルメダルを零しているヤミーは……予想だにしていなかったのだろう。杏子がヤミーに会いに来る前から、既に一人の仲間と融合していた事など。つまり、杏子の右肘の先から突如として現れた腕は回復したものでも幻でも無く、杏子の中に待機していたトーリが自身の腕を部分的に具現化したに過ぎなかったのだ。現に、トーリがさやかの身体を持ち上げて安全地帯まで往復している状況においては、再び杏子の右肘から先は失われていた。最初からトーリと合体していたのだから、羽の自動防御を使えば、もっと楽に勝てたのかもしれない。だが、それでも杏子が傷を負う戦法を選んだのは……「トーリ、来いっ! 最後の仕上げだ!!」「はいっ!」……あんたの痛みを、少しぐらいなら受け止めてやろうって思っただけさ。さやかの肉体を何処かに隠し終えて、再び飛来したトーリを身体の中に受け止めながら。みたび杏子を噛み砕かんと剣のような牙を携えて跳びかかって来たヤミーに対して、杏子が選んだ行動は……「よっと!」手に持った槍を、地面に突き刺す事であった。と同時に、杏子は槍の石突を足場に、ヤミーの頭上高くに跳び上がっていて。ヤミーが咄嗟に頭上の杏子へと視線を釣られてしまった様子が、手に取るように読めていた。そして、その反応が間違いの元であるという事も。直後、地下から飛び出した多節昆が……頭上へと注意を向けていたヤミーの足元から、襲い掛かった。杏子が足場に使った槍が、地下から伸びてヤミーへと巻き付いたのである。よく巴マミが発射済みの弾丸から魔力紐を生やして遠隔操作するという技を使っていたものだが、その系譜の技である事は疑う余地が無かった。さらに、多節昆の節々に顔をのぞかせた鎖からは、火花が走り続けていて。拘束から脱しようとするヤミーを……苦しめていた。トーリが作った電気を、杏子の鎖の中に溜めていたという訳である。もちろん、鎖の中に溜めておける電流の量などたかが知れているが、杏子が跳んでいる時間ぐらいで底をつく程の量でも無い。「さやかから作られたヤミーじゃ分かんないだろーけど、今のお前みたいなのを『電磁石』って言うらしいぞ……!」従って、杏子は既に最後の一撃の準備を終えていた。空中にて杏子は……無限の魔力を活用して、自身に許された最大の槍を具現化していたのだ。自身の身の丈を遥かに超えた、空から時計塔でも生えたような、巨大な一本槍を。「おおおおおっ!!」狙いは、甘くても良い。電磁石となったヤミー自体が、攻撃を引き寄せてくれるからだ。だから杏子のすべき事は、ただ力を込めるのみ。左腕の杏子の腕力と、右腕のトーリの力に、重力や磁力。それらをただ一つに束ねて、絶望を食い物にするヤミーを打ち砕く……ただそれだけの事だった。この世の何にも例えても足りない程に桁外れな巨体を誇る一本槍が……大地を穿った。全てを内包した一撃が、ヤミーを斬り潰す。貨幣同士がぶつかり合ってメロディーを奏でるような生易しい音は、耳へ届くことさえ適わなかった。杏子が地面へと降りるのを待たずに……地が揺らいで。星を抉るような轟音が、降り注ぐ。さやかの絶望を食い物にして増えに増えた万にも至るセルメダルの音さえも、その存在を主張することを許されない程に。「アタシは……守れたのかい。あんたが見つけた『答え』を、さ」一つの戦いが……終わった。残りは、あと三つ。・今回のNG大賞「なんでスミロドンなんですかね?」「『サーベルタイガー』だからじゃねーか?」猫科+武器にちなんで。・公開プロットシリーズNo.123→書いてから気付いた。ノブナガの欲望っぽい。