決闘を終え、セシリアに肩を借りながら遮蔽シールドをくぐった一夏を待っていたのは、千冬だった。
「あれでは蛮族かなにかのようだ。貴様には運動神経以外は備わっていないのか?」
「ISの全ての機能を使いこなせ、ISに乗せられるな、制御されるな制御しろ」
憮然とそう一夏に言い放つ。
そしてピットに一夏を降ろしたセシリアに向かって
「オルコット、バカにつきあわせてしまってすまなかったな。」
「いえ、こちらも楽しませていただきましたから」
「では一夏、また後ほど」
そう一夏に言ってセシリアは遮蔽シールドを抜けていく。
それに一夏は手を挙げて応える。
それを見届けた千冬は一夏に背を向け、
「……しかし、初戦にしてはいい動きだった。」
「ISデビューおめでとう。一夏」
とだけ言って、ピットを去った。
それに一夏はこの試合の手応えを実感する。そして自らの企みの第一段階は上々の成果を挙げたらしいと確認した。
一夏は打鉄をピット中央の黄色いラインで書かれたスクエアに移動させると、一夏は籠手をはずし、力場の支えるままにして宙に浮かばせる。
そして胴体を固定する器具を取り外しにかかる。
停止を脳内で指示すれば、打鉄はかしづき、一夏は僅かばかりあった打鉄とのつながりがすっかりと途切れ、足を固定する圧力が緩まるのを感じた。
地面に着地すると同時に、一夏は全身を襲う痛みに顔を歪める。
肩、わき腹、右腕、腹。それぞれがジンジンと痛み始める。
右腕は、見る見るうちに内側から赤く染まっていく。痺れるような痛み、そこを触ってみるが、触覚が麻痺しているらしかった。
そうこうしているとピットに白衣の女性が入ってくる。
「織斑君、検査と治療をしますのでついてきてください」
「痛み止めとかってありますか?」
「残念ですが、痛み止めなどは検査に影響を与えるますので、我慢してください」
「……わかりました」
一夏は覚悟を決めてその白衣の女性についていくことにした。歩を進めるたびに痛みが増幅されるようだったが、気合いで呻かず、弱音を吐かないようにした。
それは、一夏の精神的な面からもIS乗りになる、という覚悟の現れであった。
一夏の背後では、スクエアが沈降し地下へと吸い込まれていく。一夏は、今から自分と同じような運命をたどる
だろう打鉄に想いを馳せた。
結局、MRIをはじめとした種々の検査は2時間ほどかかった。
一夏は特異である自分の性質と、その特異と同期したISを徹底的に調査するのはごく当然だと考える。
多少の嫌悪感はあるものの、ここでだだをこねるメリットを一夏は見いだせず、
思考読みとりは校則で禁止されているためしない、という言葉のために一夏はおとなしく検査を受けた。
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検査を終えた一夏は、シャワーを浴びて汗を流し、支給された治癒湿布を痣となった部位に張る。
それはISにおける有機部品生成技術を応用した製品の一つであり、皮膚から浸透させる成分が、細胞・組織の回復速度を増大させる効果を持っていた
しかしそれでも鈍い痛みが疼いている。
ちょうどよい時間帯であったし、痛み止めを飲むためにも一夏は食堂で夕食を取ることとした。
すれ違う生徒や、食堂で周囲に座る生徒からの、珍しさ、驚きからくる注目や、視線はかなり薄らいだだろうか。
もう皆も慣れてきたのだろう。一夏はそう思った。
事実そうだった。
そして一夏にとって幸いだったのは、探るような、観察するような、あるいは見下したような目線が、当初の半分以下になったということだ。
これからもISで戦い続ければ、その力を、心意気を示せ続ければいずれ、もう少しココにも馴染めるだろう。
一夏は次の決闘を夢想しながら、注文したエビフライ定食を食べていると
「織斑君、お疲れさま」
顔をあげると、一人の女子がトレーを片手に笑いかけていた。
肩まである茶色い髪にはパーマが当てられているのか、ウェーブが綺麗にかかっていた。
薄く化粧もしており、整った顔に彩りが添えられている。
一夏は、その顔に見覚えがあった。クラスメイトの一人のはずである。けれど名前が出てこない。
「ああ、ありがとう」
記憶の検索をしながら、なるべくそのそぶりを見せないよう一夏はその女子に応答する。
一夏の内心の焦りに関わらず
「隣良い?」
と、さらにそう彼女は問いかける。
入学以来、初めての友好的な会話の機会を一夏は捨てる気にはなれなかった。
向かい合わせで座る彼女に、一夏は謝りながらまず名前を聞いた。
彼女は、あれだけ集中していたなら仕方ない、と笑って
「葉竹 虎子(はたけ とらこ)よ。よろしくね」
と名乗った。
「どうなるかって心配して見てたけど、それなりに無事なようで安心した。」
そう虎子は一夏に切り出した。一夏の鼻腔を、独特の甘く柔らかい香りが刺激した。
「心配してくれてありがとう。でも痣だらけだよ。今も痛む」
「でも骨も砕けてないし、内臓も破裂してないんでしょ?ならまだ無事って言っていいわ」
「…そうか。」
何気なくそういう虎子に、一夏はそう返すほか無かった。
「にしても織斑君この一週間すごい頑張ってたし、本番でも良く動けてて、私織斑君の事凄いって思うわ」
そのストレートな賛辞は、一夏の背中をむず痒くさせた。
周囲にそう評価されるよう努力したのだから、やや当然とも思えたが、その感触はどうも抑えられなかった。
「織斑君ってエビフライ好きなの?」
虎子は笑いながらそう言って一夏のトレイを指差す。話題が飛びすぎでは無いかとも一夏は思ったが、その感触をごまかすためにその話題に乗ることにした。
「エビフライ嫌いな男子なんかいないんじゃないかな?」
「そういうものなの?」
虎子は無邪気に笑う。
「そういうもんだよ。給食の時間なんかクラスで余ったエビフライの争奪をやったりしてなかった?……葉竹さんは、好きな食べ物とかある?」
「私?……う~ん、カレーかな」
「カレーか。いいね、俺も好きだよ。どれぐらい好きなの?俺はカレーでご飯3合はいけるぐらいかな。」
「週一回絶対食べるぐらい」
「ぜ、絶対…女の子には珍しくない?」
「そうかな?知り合いはみんなそうだよ。」
「そ、そうなのか……じゃあカレーに何を乗せるのが好き?」
「ウインナーかな~。ま、気分にもよるかも。織斑君は?」
「俺は……」
それから一夏と虎子は、あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか、ま、普通のことを取りとめもなく話した。
あの日以来、久しく無かったとりとめの無い会話を、一夏はただただ楽しんだ。
いつのまにか互いに名前で呼び合うようになったことに違和感を持たせなかったのは、虎子の話術が成した技だった。
しかし、その自己紹介を兼ねた会話は、話題が一通りしてその勢いにも陰りが見えてくる。
互いに夕食も食べ終え、一夏も痛みどめを飲み下し、一夏がいよいよ席を立とうかとした時である。
「ところで……ブルーティアーズと戦ってどうだった?」
そう切り出してきた虎子の雰囲気に、やや真剣味が増したのを一夏は感じた。
やはりIS学園の生徒たるもの、そこが一番気になるところだろう。
「映像で何度か見て凄まじいと思っていたけれど、実際向き合えば、威圧感が凄かったよ。」
「へぇ、やっぱり研究してたのね。どの映像を見た?」
「いろいろ見たけど、何度も繰り返しみたのはデビューの対フランス戦と、対ドイツ戦かな」
「あぁ、あのデビューは衝撃的だったね。第二世代の優等生、ミラージュⅡが手も足も出ないんだもの。ニュース見てて私もショックだったよ。」
「ああ。なんというか、映像だけでも性能差の隔絶が伝わって来た。」
「ISには二種類存在する~ていう名言が生まれるというのも納得だった。」
「ブルーティアーズの前か後か、ていうの?カッコよくて私好きよ、あの言葉。もうブルティアーズの代名詞みたいになってるし」
「ドイツ戦ってカリウス少尉のレーヴェとの対戦?あのとき初めてBTが落とされたんだよね」
「ああ。あの軌道と加速、牽制は何度も見て研究した。その二つと、あと他に幾つか見てBTの軌道と傾向を頭に叩き込んだよ」
「それであんなに動けてたのね。けど、いきなり本番でよくあれだけ実行できたね。」
「ずっとやってた武道、剣道のおかげかな。日々の鍛錬の成果を、立ち合いのその一瞬で無心で発揮する。っていうのを今回は上手く出来たんだと思う。」
「それってすごく大事よね。怯えて竦めば、なにもできず沈んでいくわけだし。ま、こっちは相手にそれを期待して徹底的にプレッシャーをかけるわけだけど。」
「そのプレッシャー、オーラがISには大事って業界では言われるけど、一夏君はどう思う?率直な意見として。」
「オーラ……感じた威圧感をそう表現するとしたら、その言葉はもの凄い的確かもしれない。人間の強さの根幹というか、そういうものなのか?」
「業界では意思の強さ、気迫、執念、凄味、滲み出る鍛錬。そういうのをひっくるめてオーラと呼ぶらしいけど」
「ISの差を埋めるのは、搭乗者の差しか無いから、このオーラっていうのが真面目に物差しとして使われることもあるよ。」
「部外者からはあんまりに主観的で正確さに欠ける、なんて批判されるけど、詰まる所当事者にとって決闘は主観的なものだから、オーラっていうのは大事な指標になってる」
「……オルコットさんはどうだった?」
結局はそこに行きつく。一夏は一つ腑に落ちた感触を得た。学園の生徒は、潜在的な敵同士であるのだから、それを聞かなくてどうしようというのだろうか。
しかし悪い気はしない。一夏は感じたありのままを虎子に話すことにした。
「オルコットさんは……オルコットさんあってのBTというか、似合っているというか風格があるというか」
「なにもかも自分よりも何段も上だって見せつけられた。あそこまで戦えたのはハンデのおかけだったってつくづく思うよ。」
「織斑君、ブルーティアーズの話をする時、凄く楽しそうだね。目が輝いているよ」
「そ、そうかな」
まったく予想していない会話の展開に、一夏は意外性を感じる他なかった。
「そうだよ。そして、だれだってそうなるよ。IS乗りはIS乗りに惹かれる。一夏君も私も、その対象になれる。」
「だから、これからも頑張ってね、織斑君」
虎子は一夏に笑みを投げかける。
一夏は、心の片隅でこの会話の流れへのシコリのようなものを感じながら、
一方で素直に、報われるような、ここにきてから初めて温かい感情が心に沸きあがってくるのを感じた
「ところで、どうして皆あなたに話しかけないかわかる?」
表情は全く変化せず笑顔のままのはずだが、一夏には虎子の雰囲気が豹変したように感じられた。
「……男の自分にどう接していいかわからないから?」
一夏はそれに戸惑いながら、当たり障りの無い回答をする。
「まぁ半分正解ね。」
「一番どう接していいか分からないのは、政府、そして学園なの」
「あなたにどんな価値があるのか、害があるのか、誰もが測りかねているの。」
「学園の3分の1は政府と繋がりの強い生徒よ。それらが様子見にまわって、学園も様子見にまわれば、だれも貴方に話しかけられない雰囲気を形成するわけ」
虎子はまったく笑顔を崩さずにそう流れるように述べる。
「ま、今まではそうだったんだけど、日本政府は貴方の扱いに一定の方針を立てたわ。」
「自己紹介を兼ねて、今日はそれを伝えに来たの。」
「虎子さん……?」
虎子から発せられる濁流のようなうねりと勢いに一夏は、一瞬で飲み込まれた。なすすべは無かった。
「一つ、日本国防軍から、織斑一夏の監視及び護衛、そして日本政府と織斑一夏とのコネクションとして隊員を派遣する……」
「日本国防軍第一IS部隊所属、葉竹虎子IS三尉よ。そして今は日本政府の代理人(エージェント)。以後よろしく。」
「ま、取り敢えず政府の暫定の、基本方針を伝えるわ」
「一つ、日本政府は織斑一夏の国民としての基本的人権を尊重する」
「一つ、日本政府は、この件についてIS学園への直接的介入は行わない」
「一つ、日本政府はIS学園が行う、織斑一夏への調査・研究を支援する」
「こんなところだけど、どう?」
「……いろいろ言いたいことはあるが、こんなところでそんな事を言ってもいいのか?」
浮かれていた気持ちは、川底まで沈みこみ、冷水を被った一夏の頭脳・意思は底冷えし、すでにクリアとなっていた。
一夏が視線を周囲に遣れば、食堂にいる生徒たちは、一夏と虎子に意識を向けていることは明確だった。
「こんなところだからいいのよ。」
その言葉で日本政府は、一夏とのこの関係性について何ら隠しごとにするつもりはないと表明しているのだと、一夏は理解した。
「どう?って言われても、俺がどうって言ったところで何も変わらないんじゃないのか?」
「“前向きに検討する”ぐらいは政府に言わせられるよ」
「……要は、現状維持を保障してくれるんだろう?」
その言葉に反応することは負けであると一夏は感じた。
「今のところは。ね。今後のあなたの評価、それと国際社会の動向しだいだけれど。」
「けれど日本政府は、あなたを守る意思は本気だよ。日本政府は一人の日本人も見捨てない。これは第二次日本海海戦以来の鉄則ですもの」
「ただ、ここはIS学園。贔屓はできないので、人権ぐらいは皆と同じように自分で守ること、それと、日本は最小不幸社会の実現を目指す民主主義国家よ。言いたい事分かる?」
太平洋を挟んだアメリカと、対馬海峡を挟んだソビエトに揉まれ続けた日本国民である一夏に、その意味することは十二分に伝わった
政府の代理人にそう面と向かって言われれば、どうなるだろろうか?
当たり前に眺める青空が崩れ落ち、立っていた地面が崩れ去るような感触を得るに違いなかった。それまでの一夏なら。
しかし今はISがある。ISがあるのだ。
「列島一つ持ち上げるようになれれば、何も問題はないんだろ?」
「う~ん、あなた個人からすればなんら問題は無いかな。」
「実験動物、飼い殺し、使い捨ての駒、一騎等当国のIS乗り…学園を卒業するまでのあなたの行動が、そのどれかから選ぶのに直結する」
「あなたの為したいように為すしかないよ」
また、笑顔だった。
「ま、ここまでぶっちゃけるのは、同民族のよしみで今日本政府が精いっぱい頑張ってこれ、っていうのを伝えるためだよ」
「あなたをめぐって世界は日々蠢いている。分配戦争以降、実質専制政治のアメリカは、特に熱心。」
「希望を仄めかして勝手に失望されても困るし、無い手を求められても困るっていうことよ。」
「甘言は弄さず、しかし現状とそれに沿った確実な予測はなるべくすべて提示する。政府はそうやってあなたとの信頼関係を結ぶ意図がある、というわけ」
「他国への牽制も兼ねてか?」
「するどい。それに、ここまで言われたら他国の戯言に耳は傾けないでしょ」
一夏は急に空気が冷たくなったように感じられた。
一夏には一つ、思い当る節があった。それは当時衝撃とともに大々的に報道され、一夏も知っているほどだった。
「やっぱり、その、トラウマなのか?…さ「やめて」あ、ああ」
「まぁ、その話はおいといて……」
空気が幾分か軽くなった
「とりあえず、あなたに伝えるべきはこれぐらいかな。日本政府になにか意見があるならば、私を通じて伝えられるから。」
「……会見と三月に俺にあった出来ごとを聞いても?」
「会見の事は、私は聞かされていないから、機密ということで“今ここでは”言えないよ。ただ、IS学園主導のシナリオで作られたものがあるっていう噂はある。」
「三月の事は、許してくれとは言わないけれど、アメリカが今にも暴発しそうで、やむをえなかったとしか言えない。」
「そうか、それと……虎子はなぜああも俺と会話したんだ?自己紹介なら前置き無しでさっさとしてしまえばいいじゃないか」
それには多少の批判めいた色が混じっていた。
「あなたの性格、気質、それと心理状態を測るのも私の仕事なの」
「それに……IS学園生徒、葉竹虎子が、IS学園生徒の織斑一夏と交友してはいけない、なんて言われなからね」
「ま、こんな私でよかったら、よろしく」
そう言って虎子は手を一夏に差し出した。無邪気な笑顔と共に
「……信用も信頼も、これからじゃないのか?」
そっぽを向く その顔は無愛想を装うとしていた
「ま、こんなうさんくさい女にはそれぐらいのスタンスが丁度いいよ。」
「ただ……俺は虎子の事はそんなに嫌いじゃない」
「私も、一夏君のこと嫌いじゃないよ」
虎子は差し出した手を降ろし、トレーと空の食器を持って席を立つ。
「一夏君友達居ないでしょ。明日紹介してあげるから、一緒に私たちのグループでご飯食べない?」
「あ、これは葉竹虎子が勝手にしたいことだから。クラス皆で仲良く出来ないのって私嫌っていうだけなの。」
「その友達って?」
「ああ、心配しなくても国防軍じゃないよ。みんな一般人。多分。」
「多分?」
「そりゃ、私が知らされてないってだけで、どこかの機関の人間かもしれないっていうことよ」
「……気が向いたらご一緒させてもらう」
「決まりね。それじゃあまた明日。」
虎子はあっと言う間に退散してしまった。
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「疲れた」
一夏は、今日一日をそう振り返るほか無かった。
そして、もはやISの他に道は無い。ということをいやというほど実感した一日でもあった。
古びた竹刀を手にとって、ベッドに寝そべり、その竹刀をただぼんやりと眺める。
どこまでやれるだろうか。一抹の不安が一夏の胸に去来する。
自分とISしか頼れるものは無い。普通のIS乗りというのは政府に支援されるものだから、もう少し楽ではないのだろうか?
そこまで考えて、一夏は、普通のIS乗りというのは、国を背負っているのだということを思い出す。
自分は、言いかえれば、自分とISだけを考えればよいのだ。こう言い換えてみれば、なんと気楽なことだろう。
楽は出来ないだろう。しかし、気楽に行くしかない。日々精進して常に最善を尽くす。そしてあとは天命にまかせる。半人前の己にできるのはそれぐらいだ。
そしていつか一人前になることができたなら、その時は、俺は人類の半分、男の代表だ、と宣言してやりたい。できるようになりたい。一夏は思考をそうしめくくり、竹刀への誓いを新たにした。
部屋に電子音が響く。
それは初めて聞く音であったが、一夏はインターフォンの呼び出し音であると気がついた。
ベッドから飛び起き、竹刀を壁に立てかけて、端末を開き、入口に設置されているカメラからの映像を確認する。
4方向から映し出される、ドアの前にたたずむ彼女は、一夏の知る少女だった。
一夏に、すっぱく、苦く、鉄の味のする思い出が一気にフラッシュバックする。
じっとたたずむ彼女。何もしないというわけにはいかなかった。通話と書かれたアイコンをタッチする。
<<…織斑一夏だな?私だ。話がある>>
胃がぐっと持ちあがる。もう3、4年前だというのに、体は覚えているのかと一夏は冷静に考えていた。
「今、あけるよ」
ここで断るという選択肢は無かった。ドアの開放を端末から許可する。
部屋に入って来た彼女は、昨日教室で見たそのままの姿だった。しかし一夏は違和感を覚える。
スラリと伸びた引き締まった肢体に、女性的なくびれ、主張する乳房。変わらないポニーテール。
一夏は、違和感はその整った目鼻にきつい表情を載せた顔を真正面から見ることがここにきて初めて、ということに起因するものであると気付いた。
「久しぶりだな。織斑一夏。」
「あ、ああ。篠ノ乃箒(しののの ほうき)」
突如一夏の視界から箒が消える。
腹部への衝撃。
体勢を落とした箒の拳が、一夏の腹部に突き刺さっていた
一夏は声もあげられず、崩れそうになる膝を、気合で必死に持ちこたえさせる。
事前に腹筋に力を入れていなければ気絶しているところだった。
「す、すまん、その、あんまりに見られるものだから///」
何を顔を赤らめているのだろうか?一夏は、箒が自分の記憶から全く成長していない―技のキレ以外は―事を悟った。呼吸を整え苦い水を飲み下す。
「そ、それにしても、私の事を覚えていてくれたのか?」
「まったく話してくれないから、てっきり忘れていたのかとおもっていたのだ」
そう覚えていたからこそ話しかけもせず、極力視界に入れなかったのだ。第一忘れられるものか
「あ、あ!違うぞ、お前に話しかけて欲しかった、ってわけじゃないんだからな///」
これはまずい。
手か?足か?右か左か、そのままの間合いか、距離を詰めるのか。
箒の体幹、重心の動きを見極めるべく神経を集中する。
左足を軸足とすべく重心移動の兆し。右足は目で追わない。予想する軌道に肘を立てて防御。
横腹を捉えるべくして放たれたミドルキック。逆にスネの骨を折らんとばかりに当てた肘で止まる。
道場の壁を叩くがごとき感触だった。
「忙しかったのだし、仕方ないな///」
伸びきっていない右足は、箒の意思に瞬時に反応し、収縮、そして右足は龍のごとく天を突く。
その反動で左足が一瞬宙に浮く。そして落下。全体重をかけた踵落とし
「けれど、真剣な一夏の横顔も…」
両腕で頭蓋を防御。打ち合いにあわせ膝を曲げて衝撃を和らげる。みしみしと骨がしなる音がした。
「ってなにを言っているんだ私は!////」
右足で未だ一夏の両腕を縫い付けたまま、左足が地面をたたく。
接触部を支点として、腹筋・背筋によりひねりを加えられた左足での蹴りが、一夏の胸を叩く。
一夏は膨大な運動量を受けて吹き飛んだ。その落下点にはベッド。
横隔膜がマヒし、呼吸ができない。しかし一夏はそこに停止することの意味をすでに察知していた。
目視もせず、ベッドを転がり落ちる。身も蓋もない無様な格好だったが、そんなものを気にする時間では無い。
そのときすでに箒は宙を舞っていた。目測で高度1メートル。
それまで一夏が居た位置に、真下への正拳突き。
……それはおおよそ布団が叩かれた音からはかけ離れていた。
「はぁ、はぁ、箒…落ち着いたか?」
一夏は、肋骨にひびが入っていないかを確認する。
どうやら大事には至っていないらしい。未だ寝巻に着替えずに、制服のままでいたことに感謝するほか無かった。
「あ、ああ、すまん…すこし舞い上がってしまったかな」
「とにかく、今日は労いにきたのだ。…そ、そう。クラスメイトだからな。特別なんかじゃない、か、勘違いするなよ」
「……」
「そ、その…………お疲れ様……か、かっこよかったぞ…」
最後に行くにしたがい早口で小声となったが、はっきりと聞こえた。
その言葉に反応することはおおよそ死を意味した。
「ありがとう。……しかし負けてしまった。箒にカッコ良いところをみせられなくて残念だったよ。」
「そ、それって…!」
目を見開いて顔が真っ赤。今しかない。一夏の経験則はそう言っていた。
「む、もうこんな時間か。そろそろ部屋に帰らないと不味いんじゃないのか?」
「え、まだそんな時間じゃ「夜遅くだ。不審者が出るかもしれん。部屋まで送っていこう」へ、部屋まで!?」
「ああ。さあ早くしよう。」
そう言って箒の手をとる。さらに顔面が紅潮。この状態なら合気道を使って腕の靭帯を切られながら寝技をかけらられておとされることはない。
「ちょ、ちょっと!」
箒の拳は、手の甲も裏も、大木が如き硬さだ。小学6年にして抜き手でコンクリートブロックを破壊していたが、あれからさらに鍛錬を積んでいたことは明白だった。
一夏は速足で聞き出した箒の部屋へと向かい、さっとドアをあけさせ、さっとおしこむ。
玄関で箒はもじもじとしていいる。
「じゃあ、また明日。積もる話もあるだろうし、明日ゆっくりと話そう。」
笑顔でそういってやれば
「あ、ああ!また明日!……ぜ、絶対だぞ」
だいたい上手くいく。
さっとその場をはなれ自室へともどる。背後に視線が突き刺さるが振り返ってはいけない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
篠ノ乃箒。小学3年から小学6年までの付き合いの幼馴染。
道場で当時天才と持て囃されていた女子に、生意気だと思って試合を挑み、締め落とされ、蹴りに意識を吹き飛ばされた。それが出会い。
彼女に負けるもんかと鍛錬を積み、何度も勝負を挑み、そして負けた。
不良三人に絡まれていた彼女を目撃して、不良を助けようと割り込んでからどうも関係がおかしくなった。
彼女との試合が、鍛錬が熾烈になった
「こんなにつよくあてるのは、一夏だけだよ」
という台詞をよく覚えている。
始終彼女からの好意を無視したことは、道場での付き合いのみにしたことは、まったくの正解であったと今日思い知らされた。
しかし一方で彼女には本当に感謝している。幼少期の彼女との組手が、現在の自分の武道・武術のルーツになっているのだから。
「もう寝よう」
今日はあまりにも疲れた。タブレットで、セシリアからの『復習』の誘いに断りをいれ、シャワーを浴び、ベッドに入る。
その日は中学以来、久しぶりに箒の夢を見た。
夢で二回目に殺されたとき目が覚めた。
時計は4時45分。まだアラームは鳴っていない。
一通りストレッチを行い、日課であるIS戦闘理論の自習にとりかかる。
体が目覚めてきたら、ランニング、そして朝食、そして講義。またIS学園の一週間がはじまるのだ。