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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #009 『安心してて、いいからね』
Name: ひず◆9f000e5d ID:12349ee8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/08/21 20:49
「――――――嘘つき」

 瞬間、アイの胸が貫かれた。途端に息苦しさを覚えた彼女は、その顔を苦悶に歪める。

 何か言わなければいけない。伝えなければいけない。そうは思ってもアイの口は動かず、相変わらずの金縛りだ。頭の中には溢れ返るほど言葉があるのに、ただの一つも形に出来なかった。歯痒くて、もどかしくて、何より情けない。だがいくらアイが胸の裡で叫んだところで、時間が止まる訳でもなければ、状況が好転する訳でもないのだ。

 女の子の白い歯が覗く。ギチリと、歯軋りの音がアイにも聞こえた。

 ハンチング帽のつば先が翻る。涙に濡れた頬が視界から消え、そこでアイは女の子が背を向けた事を理解した。けれど彼女は動けぬままで、黙って女の子を見詰める事しか出来ない。女の子が駆け足で去って行く。アイの前から、その姿が消えてしまう。

 待って。たったそれだけの言葉すら出て来なくて、徐々に小さくなる足音を聞きながら、アイは力無く立ち尽くしていた。さながら木偶のように、物を知らぬ赤子のように、彼女はなんの反応も示せなかったのだ。

 開け放たれた扉が少しずつ閉じていき、そして、完全に閉まり切る。

「――――ッ」

 次の瞬間、アイは弾かれたように駆け出した。走り方も何も無い。冷静さなど欠片も無い。ただ必死に。無様であろうと懸命に。彼女は全力で扉まで辿り着く。取っ手を掴んだ時には、既にアイの動悸は怪しくなり始めていた。

「待って!!」

 廊下に飛び出たアイの叫び。あまりに悲痛なそれは、しかしどうしようもなく遅過ぎた。アイが右を向けば、角を曲がる女の子の影が目に入る。止まる気配は微塵も無い。アイの言葉は届かなかったのだ。

 アイが唇を噛む。拳を叩き付けたい衝動を抑え、彼女は女の子を追って駆け出した。腕を振り上げる。床を蹴る。いつ以来かも分からないほどの全力疾走で、アイは廊下を走り抜ける。昔ほどには脆弱ではない。それでもアイは生まれ付きの貧弱で、曲がり角に辿り着くだけで、彼女の息は早くも荒れ始めていた。

 角を曲がった先には階段がある。上か下か。逡巡したアイの耳を、微かに響く足音が揺らす。直後、彼女は階段を駆け下り始めた。普段はやらない一段飛ばし。階下を目指してアイが急ぐ。一つ階を下り、二つ階を下り、そこでアイは足を止めた。らしくもなく頬を紅潮させて、肩で息をしながら膝に手をつく。そのまま彼女は辺りを探った。

 女の子の向かった先が分からない。いくら街中に比べて病院の中が静かだとは言っても、そう都合よく足音を追い続けられる訳ではない。もはや完全に相手を見失ったアイには、女の子が同じ階に居るのかすら定かではなかった。

「っ……はっ……」

 立ち止まった所為で足が震え、アイの視界が白く霞む。三十秒にも満たない疾走で、彼女の体は根を上げようとしていた。

 相手がどこに居るのか見当もつかない。たとえ追い付いたとしても、掛ける言葉が見付からない。あまりに無力で、あまりに無謀だ。そう思うと余計に体が重くなり、アイは胸を締め付けられた。

 馬鹿みたいだ。本当に馬鹿みたいだと、アイは自嘲した。何も出来ない癖に、なんの力も無い癖に、こうして足掻く振りをして、自分は頑張ったと言い訳している。それにどんな意味があるのか。どれだけの価値があるのか。自分がやっている事は、所詮は自己満足に過ぎない。そんな風に考えて、そんな風に自虐して、アイは唇を歪めた。

「でも――――」

 何もやらないよりは、ずっとマシだ。心の底から、アイはそう信じている。

 未だに眩む頭を上げて、アイは無理やり背筋を伸ばした。瞬間、僅かに足元がふらつく。それでもすぐに持ち直して、アイは身を翻した。疲労を感じる足を振り上げ、彼女は再び階段を下りていく。目指すは女の子の病室。少し冷えた頭で考えた、たった一つの心当たり。そこに女の子が居るかどうかは分からないが、アイはそれに賭ける事しか出来なかった。

 アイが転げ落ちるように階下を目指す。一歩進む度に息が荒れ、針を放り込んだみたいに胸が痛む。だけど止まる訳にはいかなくて、止まるつもりは欠片も無くて、彼女は一心不乱に駆け下りる。そこにどれだけの意味があるのかは知らない。ただ想いに衝き動かされるままに、アイは病室を目指して走り抜ける。

「ッ!!」

 目的の階。階段から廊下へと躍り出る。曲がり切れず、アイは壁にぶつかった。だが気にしない。手をつき、腕を振り、彼女はすぐに駆け出した。誰かの声が聞こえたが、そんなものは置き去りだ。

 ほんの僅かな距離が、どこまでも長く感じた。アイの見慣れた廊下は別世界みたいで、自分の体は他人の物のよう。それでも足を止める気配の無い彼女の姿は、本能で駆ける獣にも似ていた。

 そしてアイは辿り着く。たった一つの希望の扉へ。足を止めた時、もはや彼女には、一息ついたのかどうかすら分からなかった。我が身を顧みる余裕など微塵も無く、霞む意識の全ては扉の向こうへと集中している。人の気配がするその場所だけを、アイは気に掛けていた。

 アイが扉の取っ手を握る。胸の鼓動は張り裂けそうなほどだった。体も心も限界で、頭は碌に回っていない。ただあの子と会って話をしなければと、アイはその事だけを考えていた。

 扉の向こうの気配は消えない。アイは唾を飲もうして、それすら出来ずに咳き込んだ。既に一刻の猶予も無い。彼女は荒い息のまま、肩を上下させながら倒れ込むようにして扉を開ける。落ちそうになる顎を気合いで上げて、アイは病室の中を確認した。

 見覚えのある顔が、アイと真正面から向かい合う。

「――――あら、アイちゃんじゃない」

 病室の中には、アイと知り合いの看護師さんが立っていた。他の人影は見当たらない。どれだけ探しても、欠片も視界に映らない。ここにあの女の子は居なくて、アイの予想は外れていて、僅かな希望すら見付からなかった。

「どうかしたの? あの子と一緒に居ると思ったんだけど」

 アイは答えられない。そもそも答えるという考えすら頭に無い。

 徒労だと思った。無駄だと感じた。失敗だと考えた。胸裏に渦巻くのは後悔ばかりで、もはやアイの思考は回っていなかった。ただ呆然と目を見開き、彼女は力無く立ち尽くす。

「って、大丈夫? なんだか調子が悪そうだけど」

 アイの肩が跳ねた。思わず止めていた呼吸を再開すれば、思い出したように汗が噴き出し始める。平静を装おうとしたところでもう遅い。見るからに正常ではないアイの様子に気付いた看護師さんが、心配そうに眉根を寄せた。

「……本当に辛そうね。ベッドに座ってくれる? ちょっと診てあげるから」

 駄目だ。それは駄目だ。今のアイが大丈夫ではない事は、彼女自身が誰よりも深く理解している。もしも調べられたら、すぐさまベッドに縛り付けられるだろう。そうなれば完全に希望の芽が摘まれてしまう。だけど今のアイには、大丈夫と口にする事すら出来ない。せめてもの抵抗とばかりに首を振り、彼女は後ずさって廊下に出る。

「ほらっ。ちゃんと答えられないのは調子が悪い証拠よ」

 看護師さんが目を吊り上げる。それが自分を心配してのものだと理解していても、正常な反応だと分かっていても、アイの目には何よりも恐ろしく映った。彼女はまだ、捕まる訳にはいかないのだ。だから看護師さんが足を踏み出した瞬間、アイは弾かれるように逃げ出した。

「あ、待ちなさい!」

 制止を振り切ってアイが逃げる。目的地は無い。ただこの場から離れたくて、捕まりたくなくて、彼女は脇目も振らずに駆けていく。来た道を引き返し、階段に辿り着けば更に下へと駆け下りる。転がるように階下を目指す。足がもつれないのが不思議なくらいで、こんなに走れるなんてアイ自身も知らなかった。それほどまでに必死なのだ。

 止まる事無く一階まで下りきったアイは、そこで一瞬だけ足を止めた。廊下に飛び出る事無く反転し、彼女は階段の影へと身を押し込める。考えがあっての行動ではない。考える余裕なんて無い。ただ隠れたいという一心で、本能の赴くままに動いた結果だった。

 だが、アイに何か出来たのはそこまでだ。

 アイが膝から崩れ落ちる。更に床へと倒れ込む。冷たい床に体を横たえ、彼女は死んだように動かなくなった。限界だったのだ。絵本アイという少女には、これ以上の活動は不可能なのだ。アイの視界は闇に染まり、頬に当たる床の感触すら曖昧だった。唯一正常なのは聴覚だけで、獣のような息遣いが聞こえてくる。それが自身のものだという事すら、彼女は中々気付けなかった。

 意識が残っているだけでも奇跡みたいな状態だ。入院する前でもこんなに走った事は無かったかもしれない、とアイは思った。だがそれになんの意味があるのだろうか。考える意識はあっても、言う事を聞く体は無い。どんなに頑張ったと言ったところで、何一つ実らなかった。結局は無駄だったのだ。意味なんて無かったのだ。所詮は馬鹿の空回りに過ぎなくて、アイの自己満足に過ぎなかった。

 何がしたかったんだろう。そんな風に自問して、アイは答えられない自分を愚かだと断じた。我武者羅に追い掛けただけだ。本当にただそれだけで、感情に任せて動いただけで、明確な目的なんてありはしない。

 別に放っておけばいい。互いの頭が冷えた頃に改めて話し合えばいい。ほむらは絶望すれば魔女になると言ったが、まさかこの程度でなるものか。そう考えて笑おうとして、だけどアイは笑えなかった。荒い息遣いのまま奇妙に唇を歪め、彼女は小さく肩を震わせる。目頭の奥が熱かった。相変わらず視界は暗いままでも、溢れる涙はよく分かる。

 絵本アイは籠の中の鳥だ。無理に飛ぼうとしたところで、その翼を傷付ける事しか出来ない。でもだからって、飛びたくないなんて嘘だ。青空に焦がれない鳥なんて、紛い物の作り物だ。

 物分かりのいいフリは出来ても、余裕ぶった態度は取れても、本心から諦める事だけはしたくなかった。諦めなければいけない事ばかりの人生だったから、可能性があるなら足掻きたい。それが偽らざるアイの気持ちだ。

 小刻みに震える指を握り締め、アイは床を引っ掻いた。さながら亡者のような有り様だったが、多少は動けるようになった証左でもある。あと少し。あと少し休んだら、また探し始めよう。そう思うと、アイは少しだけ安らいだ。

 でも、現実は残酷だ。

 足音が、アイの耳を打つ。廊下を行き交う誰かではない。すぐそばで不自然に足を止めたその人は、明らかにこちらを気にしている雰囲気だった。見付かったのだろうか。見付けられてしまったのだろうか。アイの心音が加速度的に激しくなり、噴き出す汗の量も増していく。

 もしも誰かに見られたらお仕舞いだ。すぐに医者を呼ばれてしまう。だから来ないでと、アイは必死に祈っていた。しかしどれだけアイが心の中で叫んだところで、相手に届く訳が無い。再び聞こえ始めた足音は、真っ直ぐにアイの方へと近付いて来ていた。

 アイの耳元で、足音が止まる。同時に、息を呑む音が聞こえた。

 神様は、いつだって――――――。


 ◆


 走る。必死に走る。とにかく走る。脇目も振らずに廊下を駆け抜け、彼女はアイの前から逃げ出した。目的地は無い。思考はグチャグチャで、視界もグチャグチャで、なにもかもが滅茶苦茶だった。涙で濡れた赤い頬。血が滲んだ深紅の唇。歪めに歪めたその表情は、とても他人には見せらるものではなかった。しかしそれを気にする余裕なんて、今の彼女にありはしない。

 裏切られた。その言葉が、彼女の頭を埋め尽くす。

 なにが可哀想だ。なにが対等だ。そんなの全部嘘っぱちだと、彼女は胸裏で吐き捨てる。アイは裏切り者だった。彼女が苦しんでいる事を知っている癖に、物分かりよさそうに共感した癖に、きっとアイは心の中では馬鹿にしていたのだ。自分の病気は治して貰えると知っていたのに、さも不幸な境遇にあるかのように振る舞っていたに違いない。

 強がりだと思っていた。ちょっと捻くれているだけだと捉えていた。彼女にとってアイは気に食わない相手ではあったが、それでも本当に最低な奴だとは考えていなかった。あの余裕ぶった態度も、辛さや悲しみを押し込めた結果だと信じていたのだ。

 けど、真実は違った。アイの病気は治る。かつて彼女が癌を治した時のように、魔法少女の奇跡によって治るのだ。

 なんてズルい。なんて卑怯。他人にばかり苦労を背負わせて、アイ自身は助けて貰うだけなんて、そんなの彼女は許せない。そんな抜け駆けは赦せない。彼女だって辛いのに、彼女だって苦しいのに、アイだけ救われるなんて可笑しいに決まっている。

「なんで、なんで、なんで――――――ッ」

 名前の付かない激情が、全てが綯い交ぜになった衝動が、彼女の内から燃え上がる。それはまさしく炎だった。彼女の理性を焼き尽くし、憎悪を生み出す炎だった。

 胸が痛くて熱くて、彼女は思わず立ち止まる。折しもそこは、彼女がアイと出会った日に言い合った、あの休憩所だった。なんだかんだでこの場所に辿り着いた事が可笑しくて、彼女は皮肉げに唇を歪める。

 その時だった。

『やあ。なんだか大変そうだね』

 朗らかな声が耳を打ち、彼女は聞こえてきた方に振り返る。そこには見知った姿があった。白く小さな体。赤く真ん丸な二つの瞳。普通の動物とは異なり、何かのマスコットみたいな造形をしたその不思議な生き物を、彼女はよく知っている。

「キュゥべえ……」
『酷い顔だね。アイ達となにかあったのかい?』

 彼女は露骨に顔を顰めた。苛立たしげに口元を歪め、彼女は憎々しそうにキュゥべえを睨む。白々しいと、彼女は心中で吐き捨てた。何故なら彼女にアイの事を伝えたのは、他ならぬキュゥべえなのだから。

 アイとのお茶会を終え、自分の病室で暇を持て余していた彼女の下へ訪れたのが、このキュゥべえだった。初めは彼女が魔法少女として活動していない事を注意しに来たのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。病院に来る用事があって、そのついでに様子を見に来たのだとキュゥべえは言った。そうして彼女は、マミとアイの関係を教えられたのだ。

 だから気になって、だから無視出来なくて、彼女はアイの病室に向かってしまった。

『ふむ。あまり機嫌がよくないみたいだね』

 淡々とキュゥべえが喋る。興味の無さそうなその態度が、余計に彼女の神経を逆撫でる。

『ところで、ちょっと気になる事があるんだけど』
「……なに?」
『君のソウルジェムの状態を見せてほしいんだ』

 いきなりなんだ、と彼女は首を傾げた。とはいえ別に断るような事でもない。左手中指に嵌めた魔法少女の指輪。彼女がそれに触れると、わずかな光と共にソウルジェムが現れる。手の平に乗ったその宝石を、彼女は久方振りに目の当たりにした。

「――――え?」

 息を呑み、彼女は手にしたソウルジェムを凝視した。

 可笑しい。このソウルジェムは可笑しい。彼女のソウルジェムは、自身の髪と同じ明るい茶色だ。その透き通った色合いを、彼女はとても気に入っていた。だが彼女の手に乗るソウルジェムは、何故か酷く濁った茶色になっている。たしかに魔力を消費すればソウルジェムは濁る。でもこんなに濁った事は無かったし、そもそも彼女は、ここ暫く魔法を使ってすらいない。

 一体どういう事なのか。震える瞳で、彼女は縋るようにキュゥべえを見た。

『やっぱりね。このままだと君は、魔女になってしまうかもしれないよ』

 キュッと、彼女の心臓が締め付けられる。唐突に目の前が真っ暗になった気がした。

「なに…………それ……?」
『まずは話の前に場所を移そう。うん、屋上なんて良いじゃないかな』

 当惑する彼女を気にした風も無く、キュゥべえはさっさと歩き出した。その小さな背中に導かれて、彼女は覚束ない足取りでついて行く。頭の中ではグルグルと疑問が回っている。胸の裡では破裂しそうなほど不安が膨らんでいく。濁ったソウルジェムとか意味が分からなくて、魔女になるなんて訳が分からなくて、彼女は今にも叫び出したい衝動に駆られた。

 でも、彼女は何も言えない。見慣れたキュゥべえの姿が何故か恐ろしくて、彼女は口を噤んでしまった。そのままエレベーターに乗って、屋上まで上がっていく。あまり広くないボックスの中で、彼女は出来るだけキュゥべえから離れた位置に立ち、眼下の街並みへと目を向けていた。その心臓は引っ切り無しに騒いでいて、手の平は汗でベタベタだ。

 周りの全てが敵に思えた。なにもかもが彼女を馬鹿にして、嘲笑っているんじゃないかと勘繰ってしまう。けど目を瞑る事も耳を塞ぐ事も出来なくて、彼女はこうしてキュゥべえの言葉に従っている。

 音を立ててエレベーターが止まり、同時に、彼女は微かに身を震わせた。

『うん。ちょうど誰も居ないみたいだね』

 開いた扉からキュゥべえが出ていく。しかし彼女は立ち尽くしたままだ。この扉を潜れば全てが変わってしまう気がして、その場から動く事が出来なかった。足が竦み、息を呑む。彼女の中には迷いしかなかった。

 不意に彼女の脳裏を、アイの存在がよぎる。嘘つきな友達を思い出し、彼女は、全部どうでもよくなった。

 足を踏み出し、彼女はエレベーターの外に出る。お守りのように濁ったソウルジェムを握り締め、彼女は胸元に手を当てた。そのまま少しだけ歩いた彼女は、足元のキュゥべえと対峙する。

『さて。それじゃ話を続けようか』

 どこか事務的に聞こえるキュゥべえの言葉に、彼女は黙って頷いた。

『結論から言うと、君たち魔法少女は、いずれ魔女になる運命にあるんだ』
「…………わけわかんない」

 震える彼女の声を、キュゥべえは気にしなかった。

『魔力を使えばソウルジェムは濁ってしまう。でもそれ以外にも、ソウルジェムが濁る要因があるんだ。それは魔法少女の心が濁った時だ。君が抱く負の感情が、そのソウルジェムを濁らせていく。逆にソウルジェムが濁れば、君の心も濁り易くなる、という事でもあるね』

 彼女の視線が、ソウルジェムに落とされる。心なしか、先程よりも濁りが濃くなっている気がした。

「……意味がわからないよ」
『そしてソウルジェムが完全に濁りきった時。つまり持ち主の心が絶望した時に、君たち魔法少女は魔女になるんだ。それが魔法少女の宿命さ。そうなるように、僕達は魔法少女のシステムを作ったからね』

 何か言おうとして、でも言えなくて、彼女はキツく唇を噛む。キュゥべえの赤い瞳に映し出されたその顔は、怒りとも悲しみともつかない複雑な表情を浮かべていた。だがそんなものは見えていないとでも言うかのように、キュゥべえは淡々と話し続ける。

『この国では成長途中の女性の事を、少女って呼ぶんだろう? だからやがて魔女になる君達は、魔法少女と呼ばれるのさ』

 まるで雑談でもするみたいに、キュゥべえが何か恐ろしい事を口にする。どうしてそんな風に話せるのか彼女には理解出来なかったし、理解したいとも思わなかった。ただその言葉は、嫌と言うほど彼女の心に喰い込んでくる。

「ッ――――――だから! わけわかんないって言ってんのッ!!」

 不安を払うように彼女が叫ぶ。だがキュゥべえの無機質な瞳に見詰められた瞬間、彼女は喉を引き攣らせて押し黙った。

『僕は事実を伝えているだけだよ』
「でも、そんな……そんなのって…………っ」

 聞き分けの悪い子供みたいに首を振る。顔をクシャクシャにして、彼女は一心不乱に嫌がった。

 魔法少女は魔女になる。それは、つまり、いずれ彼女は化け物になるという事だ。嫌だと思った。嘘だと叫びたかった。そんなの変だし、そんなの可笑しいし、そんなの許されない。胸元を握り締め、彼女は必死にキュゥべえを睨み付けた。

「聞いてないっ。聞いてないよ!」

 誰も教えてくれなかった。マミもキュゥべえも他の魔法少女も、誰一人としてそんな事は言わなかった。だからこれはズルい。卑怯だと、彼女は思った。だってこんなの、彼女に認められるはずがない。

「やっぱりみんな…………嘘つきだ」
『僕は魔法少女になってとお願いして、君はそれを承諾した。そこに嘘はないよ。まあ魔法少女という存在について、説明を省略した部分はあるけどね。でも君だって、僕に訊こうとしなかっただろう?』

 屁理屈だ、と彼女は思った。魔法少女に精通しているキュゥべえが何も言わないなら、素人の彼女が疑問を抱けるはずもない。キュゥべえだってそれくらいは理解しているはずで、教えてくれなかったのは絶対にわざとだ。

 頭が熱くて、胸が痛くて、彼女はどうにかなりそうだった。けどそんな状態なのに、何一つまともな言葉が出てこない。

『マミも、この事は話さなかったしね』

 彼女の心臓が凍りついた。呆然と、彼女は瞳孔の開いた瞳でキュゥべえを見る。

 それではまるで、マミがこの事を知っていたみたいではないか。知っていて、彼女に黙っていたみたいではないか。もしそうだとしたら、それは何を意味しているのだろうか。答えは分かっているはずなのに、分からなくて、彼女は自分がとても馬鹿な子になった気がした。

『まあ、マミの目的はアイの病気を治す事だからね。魔法少女として契約させる為なら、彼女は騙すような事もしてきたわけさ』

 ――――――あぁ。

 彼女が笑う。何かが欠けた表情だった。

 みんな信じられないと彼女は言った。恩人であるマミも、もう信じないと反発していた。だけど心のどこかでは、たぶん信じたいと思っていたのだ。またマミと一緒に笑い合いたいと、彼女は願っていたのだ。

 だってマミはヒーローだ。絶望しかない入院生活から彼女を助け出してくれた、正真正銘の救世主だった。格好良くて、優しくて、理想の存在だった。本当に、彼女はマミに憧れていたのだ。

 だけど、嘘だった。なにもかも作り物の紛い物だった。
 本当に全てがどうでもよくなって、彼女の心を闇が覆い尽くそうとして、


「――――――違うッ!!」


 大きな声が響き渡った。それは彼女でもキュゥべえでもない、第三者のものだった。

 彼女が思わず振り返る。同時に、衝撃。勢いよくぶつかって来た何かによって、彼女は床に押し倒された。小さく呻き声。背中から屋上の床に倒れ込み、反射的に目を閉じた彼女は、暫くしてからおそるそる目を開けた。

「……え?」

 頬が薄く色付き、汗の浮いた誰かの顔。涙と鼻水でグチャグチャになった少女のそれを、初め彼女は上手く認識出来なかった。知っているはずなのに分からない。見覚えがあるのに思い出せない。そうして数瞬、彼女は悩んだ。

 絵本アイ。それが自分を押し倒した相手だと、彼女は理解する。途端に彼女の心に火が点いた。眉を吊り上げ、歯を食い縛る。怒りも憎しみもなにもかもが綯い交ぜになり、頭の中が熱かった。激情が胸の奥から湧いてきて、それをぶつけようと、彼女はアイを睨み付ける。

 だが彼女が罵声を浴びせるよりも先に、アイの方が口を開いた。

「ほむらちゃん!」

 叫ぶと同時に、アイが手にした何かを遠くに投げる。彼女が視線でその先を追えば、階段に繋がる扉の前に一人の少女が立っていた。長い黒髪を風にたなびかせた、同じ年頃の誰か。その手に勢いよく収まった物体を認めて、彼女は大きく目を見開いた。

 暗く濁った茶色の宝石。彼女のソウルジェムが白い手に握られている。一瞬だけ驚いたように目を瞬いた黒髪の少女は、しかしすぐに身を翻す。そうして長い黒髪が、扉の向こうへと消えていった。

 なんで。どうして。意味が分からなくて訳が分からなくて、彼女の頭が疑念で埋まる。もう碌に思考する余裕すら無かったけれど、それでも自分の物を奪われた事だけは分かるから、彼女は再びアイを視線で射抜いた。

「……くっ……っ」

 アイが何かを言おうとしたが、それは言葉にならなかった。もどかしそうに首を振り、アイは唇を噛み締める。
 まるでアイが被害者みたいだと、彼女は思った。それが気に入らなくて、苛立たしくて、彼女の瞳が怒りに燃える。

「――――ッ!?」

 何故か、彼女は口が動かなかった。否、口だけではなく全身が動かない。手も足も目も口も、人形になったみたいに固まっている。理解の及ばないその状況に疑問を抱くよりも先に――――――――彼女の意識は闇に呑まれた。


 ◆


 女の子の顔が見える。涙に濡れた哀しいそれが、アイの目の前に存在している。彼女はアイの友達で、ついさっきまではお互い気楽に笑い合っていたのに、今となっては夢か幻のようだ。傷一つ無い肌に指を這わせたアイが、クシャリと顔を歪める。彼女は肩を震わせ、その目に涙を浮かべた。そうして一筋、白い頬を雫が伝う。

 女の子は息をしていなかった。つまり死んでいるという事だ。その理由を、アイはちゃんと理解している。何故なら彼女は、こうなる事を理解した上で、あえて行動したのだから。ただこうして実際に目の当たりにすると、心に突き刺さるものがあった。それでも、自分のやった事は間違いではなかったはずだと、アイは信じている。

「…………考えなければ、絶望しない」
『だから彼女のソウルジェムを奪ったのかい?』

 朗らかな声が耳を打つ。アイがそちらに視線をやれば、見覚えのある白い影。キュゥべえが、近くまで来てアイを見上げていた。その赤い瞳を睨み返して、アイは乱暴に涙を拭う。

「そうだよ。ソウルジェムは、魔法少女の魂そのものなんだろ?」

 魔法少女の肉体には既に魂は存在せず、ソウルジェムから遠隔操作しているに過ぎない。だから肉体とソウルジェムの距離が遠くなれば、肉体を操作できなくなる。そうして肉体から切り離され魂だけとなった魔法少女は、多くの場合は意識を喪失する。何故ならほとんどの魔法少女は、自分の魂がちっぽけな宝石になった事を知らず、その状況に意識が追い付かない為だ。

『うん。その通りだよ。さっきの子に聞いたのかい?』
「まあね。魔法少女がいずれ魔女になるっていうのはホントなの?」
『正しい認識だよ。ということは、僕達の目的も知っていると考えていいのかな?』
「…………感情の相転移によって生まれるエネルギー」
『なるほど。彼女は『ほむら』という名前でいいのかな。興味深い存在だ』

 感心したように呟くキュゥべえの言葉に、アイは引っ掛かりを覚えた。

「キュゥべえは、ほむらちゃんの事を知らないの?」
『知らないね。どうやら魔法少女みたいだけど、僕達に契約した覚えは無いよ』

 アイが眉根を寄せる。それはどういう事だろうかと僅かに思案した彼女は、けれどすぐに首を振った。

「ま、キュゥべえよりは信頼できるからいいけどね」
『酷いなぁ。僕はいつも正直に話しているのに』

 鼻を鳴らしてアイは応えた。と、そこでアイは現状を思い出す。今の彼女は、女の子を押し倒して馬乗りになったままなのだ。もうその必要は無いと、アイは女の子の上からどいた。もちろん、女の子は身動ぎ一つしない。そんな友達を見て目を細めたアイの耳に、再びキュゥべえの声が届く。

『ところで、そのままでいいのかい? 放っておけば、どんどん肉体が損傷してしまうよ』
「魔法少女にとって重要なのは魂なんだろ? たとえ肉体が失われようと、ソウルジェムが無事なら死ぬ事は無いって聞いたよ」

 目を眇めてアイが問えば、キュゥべえは白い頭を上下させた。

『間違いではないね。魔法少女はソウルジェムを破壊されない限り、理論上は不死身と言ってもいい。魔女との戦闘は過酷だ。脆弱な人間の体で戦うよりも、ずっと便利で安全だろう?』

 悪びれた様子の無いキュゥべえ。そこには邪気の欠片すら感じられなくて、アイは背筋を震わせた。これまでもキュゥべえに対して人間味を感じた事は無かった彼女だが、こうも平然と人の心を踏みにじるような事を言われたのは初めてだ。

 衝動的に吐き出そうとした言葉を、アイは無理やり飲み込んだ。無駄だという事を、よく理解しているからだ。そんな彼女の葛藤をまるで気に留めた風も無く、キュゥべえは機械のように話を続けた。

『今の彼女は気絶に近い状況だ。ソウルジェムが戻ってくれば、自然と意識を失う前の状態に再生しようとするだろうね』

 もちろん魔力は使うけど。そう言ったキュゥべえの言葉を聞いて、アイはソッと胸を撫で下ろす。

『でも、このままでは危ないかもしれない』
「…………どういうこと?」
『彼女の魂は現状をうまく認識できていない。自分が生きているかどうかも理解できず、その意識は闇を彷徨っていると言っていいだろう。だからこのまま放っておけば、やがて魂は死んでしまったと誤認してしまうかもしれない』
「魂が死んだと認識すれば、それは現実になってしまう?」
『その通り。肉体に縛られない魔法少女は、魂の状態がそのまま反映されるんだ』

 淡々と話すキュゥべえの言葉を受けて、アイは俯いた。すぐ隣に横たわる友達に視線を落として、彼女は拳を震わせる。

 時間稼ぎに過ぎない事は、アイも分かっていた。意識を奪えば、女の子が絶望する事は無い。それはたしかに事実なのだが、結局は問題の先延ばしでしかない。いずれは女の子の意識を戻し、向き合う必要がある。そのくらいは、アイも理解している。でもこのままでは女の子が死ぬかもしれないと言われて、時間が限られるのだと分かって、アイは少し怖くなった。

「いつまでなら、彼女の命は保証できる?」
『彼女次第だから、確実な事は言えないね。でも、一日くらいなら大丈夫だと思うよ』

 唇を真一文字に結び、アイは拳を握り締めた。

 一日。その間にアイは、覚悟を決めなければならない。期限を伸ばす事は考えなかった。万が一があってはならないし、そうして後ろ向きな考えを持てば、絶対に上手くいかないとアイは思ったのだ。ただ、やはり、緊張は抑えられない。

『今すぐ彼女を救う方法もあるよ』

 キュゥべえの言葉に釣られ、アイは顔を上げた。

『君が魔法少女になればいいのさ』
「――――ッ!?」
『前にも言ったように、奇跡の力を使えば魔法少女を普通の人間に戻す事はできるよ』

 アイは答えなかった。答えられなかった。

 たしかにアイは昔、そのような主旨の質問をした。そして彼女は、その時に言われた事をよく覚えている。魔法少女を普通の人間に戻す事は出来る。ただしアイの力では、戻せるのは一人まで。かつてキュゥべえは、そう言ったのだ。つまりここで女の子を戻してしまえば、マミを普通の少女にする事は出来なくなる訳である。

『もしも彼女が魔女になってしまえば、アイの才能では人間に戻す事は不可能だ。たしかに魔女の魂は本人のものだけど、その在り方は大きく変質しているからね。奇跡を起こす為に必要なエネルギーも、一気に増えてしまうんだ』

 だからチャンスは今しかないと、キュゥべえは暗に契約を迫ってくる。しかしアイは口を結んだまま、一向に答えようとしない。女の子を見詰めるその黒い瞳には、明らかな動揺と迷いが見て取れる。

 そのまま暫し、時間が経った。互いに何も話さない、静寂に満ちた空間。それを破ったのはキュゥべえだ。

『ふう。このままだと埒が明かないね。今日は諦める事にするよ』

 僅かに、アイが身を縮こまらせる。

『ゆっくり考えるといい。魔法少女になると言うのなら、僕はいつでも歓迎するよ』

 最後にそう言って、キュゥべえはどこかへと行ってしまった。あとに残されたのは、一人の少女と一つの遺体だ。屋上の床に座ったまま、アイは友達の顔を見詰めている。アイと同じく涙の跡が残る頬。上げられる事の無い目蓋。それを眺めていると、またジンワリとアイの目に涙が溜まり始めた。湧き出る感情を、彼女は抑える事が出来なかった。

 アイはこの子を友達だと思っている。大切だと感じている。だけど彼女はやっぱり、マミの方が大事なのだ。この子の為に魔法少女になる事は、アイには出来ない。一度きりの願いはマミの為にあるのだと、彼女は改めて実感していた。

 情けない。情けなさ過ぎて、アイは次から次へと涙を流した。

「キュゥべえは去ったみたいね」

 いきなり背後から聞こえた声に驚いて、アイが肩を跳ね上げる。慌てて振り向けば、そこにはほむらが立っていた。普段通りの落ち着いた佇まいの彼女は、しかしアイの顔を見た途端に眉根を寄せた。

「……ソウルジェムはどうしたの?」
「グリーフシードで浄化した後、誰にも触れられない場所に隠したわ」

 そっか、とアイが呟く。力の無い声だった。

「あなたが望むなら、すぐにでも取り出してみせるけど?」

 アイが目を瞑る。静かに、成すべき事を考える。

 女の子を人間に戻す事は出来ない。つまりアイは、話し合いだけで彼女と仲直りする必要がある訳だ。そしてそれは、非常に難しい問題だろう。喧嘩の原因となったのはアイとまどかの会話で、それだけならどうにかなった。聞き及ぶまどかの才能であれば、二人分の病気を治すくらいは余裕だろう。そうして女の子も含めた約束を改めて結べば、一先ずは落ち着いてくれるはずだ。

 しかし今の状況はそれほど単純なものではない。アイが聞いたのはごく一部で、女の子とキュゥべえが具体的にどんな話をしていたのかは分からない。だがおそらく、魔法少女の真実を知った事は確実だろう。そう、救いの無い運命を知ってしまったのだ。その状態で落ち着かせるというのは、非常に難易度が高いと言えた。

「…………一晩。一晩だけ、待ってほしい」
「わかったわ。彼女の体は私が保管しておくから、準備ができたら連絡してちょうだい」

 小さく息を吐き、ほむらは女の子の傍に来て膝をつく。膝裏と背中に腕を回し、彼女は軽々と女の子を抱き上げる。いわゆるお姫様抱っこと呼ばれるものだった。そのままほむらは、階段に続く扉へと歩いて行く。ゆっくりと遠ざかるその背中に、アイは声を投げ掛けた。未だに整理のつかない頭で考えた、精一杯の言葉だった。

「ありがとう。ほむらちゃん」

 もう駄目だと思った時、アイの前に現れたのがほむらだった。彼女は息も絶え絶えなアイの言葉を聞いてくれて、この場所まで連れてきてくれたのだ。ほむらがどうやって女の子を探したのかは分からないし、ここへの移動手段すらアイは理解していない。まるで瞬間移動のように場所が移り変わり、あっという間にここに連れて来られたからだ。

 ほむらは本当に不思議な存在だとアイは思う。キュゥべえも知らないという点では不審とすら言える。それでもアイは、ほむらを信じると決めていた。ほむらが口にする言葉にも、時折見せる感情にも、嘘は無いと感じたから。

 ほむらが足を止める。振り返る事無く青空を仰いだ後、彼女は歩みを再開した。

「どういたしまして」

 ただ一言。素っ気無くも、十分な感情の籠められたそれが、青空の下を駆け抜けた。


 ◆


 アイが自分の病室へと戻ってきた時、扉の前にはまどかが所在なさげに立っていた。その顔に刻まれているのは不安と心配だ。歩いてくるアイに気付いたまどかは一瞬だけ目を見開いた後、すぐに駆け寄ってきた。まどかによると、部屋に居ないアイを心配して、マミとさやかが探し回っているらしい。女の子の病室で遭遇した看護師さんがアイを探しに来た、というのも一因のようだ。

 それから後は大変だった。帰ってきたマミには怒られ、診察を受けた医者にも注意され、まどかとさやかにも随分と心配された。更にその途中で女の子が居なくなった事が知れ渡り、大騒ぎになったというのだからやっていられない。次々と飛んでくる質問の全てに答え終わった時、アイは身心ともに疲れきっていた。

「あ~、疲れた。もう今日は動きたくない」

 愛用のベッドに倒れ込み、アイがくたびれた様子で漏らす。その顔には既に涙の跡は残っていないが、明確な疲れが滲んでいる。慣れない運動で疲労した四肢を投げ出し、アイは仰向けに転がった。

「みんなに心配を掛けたのが悪いのよ」

 安楽椅子に腰掛けたマミが嘆息する。呆れているようでありながらも、そこには憂いが見て取れた。

 まどかとさやかは既に帰ったが、マミだけはこうして残っている。既に面会時間を過ぎてはいたが、そこはどうにか都合して貰った。アイとしても、今夜はマミと一緒に居たい気分だったので助かっている。今夜だけは、どうしても独りは嫌だった。

「ねえ、ほんとにただの喧嘩なの?」

 問われ、アイは首を動かしてマミを見た。蜂蜜色の瞳は怖いくらい真剣な光を宿して、アイの真意を見抜こうとしている。そんなマミの視線から逃れるように、アイは天井を仰いだ。

「ほんとにただの喧嘩だよ。馬鹿みたいだけど、とても大事な、子供の喧嘩さ」

 周囲に対して、アイは女の子と喧嘩したのだと説明していた。現在彼女は友達の家に居て、明日には帰ってくる。だからソッとしておいて欲しいと、アイは大人達に頼んだのだ。もちろん良い顔はされなかったが、電話したほむらが合わせてくれた事もあり、どうにか納得させる事が出来た。とはいえ病院側としても患者が気に掛かるだろう。おそらく二度目は無い。

「そう。なら、私はなにも言わないわ」

 マミは納得した様子ではなかったが、それ以上の質問は繰り返さなかった。ただ静かにアイの手を握り、彼女は苦笑する。それはまるで、出来の悪い妹を見守る姉のようだった。優しくて、柔らかくて、むず痒くなる表情だった。

「聞いたわ。鹿目さんとの約束」
「そっか」
「ようやく治るのね」
「そうだね」

 素っ気無く呟き、アイは目を瞑る。その姿はどこか気怠そうで、やる気無さげで、まともに話し合う気が無いといった感じだった。不安に思ったのか、何度か目を瞬いた後、マミはおそるおそるアイに声を掛ける。

「……アイ?」

 問い掛けに、アイはすぐには答えなかった。目蓋を下ろしたまま、暗い視界のまま、彼女は思考の海に沈んでいく。思う事は色々あった。考える事もたくさんあった。マミの事も、女の子の事も、魔法少女も魔女も含めて、色んな不安が駆け抜ける。

 やがて目蓋を上げ、アイは小さく口を開いた。掠れる声を、彼女はマミに投げ掛ける。

「マミは、嬉しい?」
「もちろんよ」

 僅かに目を瞠った後、マミが微笑して答える。それを聞いたアイは、再びマミの顔を見た。温かなマミの面立ちは、たしかにアイを大事に想っている事を伝えている。胸の奥がジンワリと熱を帯びて、自然とアイは頬を緩めた。

「たぶん、ボクもおんなじだ」

 その言葉の意味を、マミが正確に理解したかどうかは分からない。いや、おそらく理解していないだろう。だってマミに知られていたら、アイはとても困る。すごくすごく、困ってしまうのだ。

 体を起こしたアイが、ベッドから下りる。そのまま彼女は、椅子に座るマミに抱き付いた。マミの首に腕を回し、互いの顔を交差させる。すぐ耳元で、相手の息遣いが聞こえる距離。だけど、相手の顔は見えない状況。そうしてアイは、精一杯の優しさを籠めて呟いた。

「安心してて、いいからね」

 ちょっとだけ、アイは胸が痛んだ気がした。




 -To be continued-


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