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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #008 『はじめまして』
Name: ひず◆9f000e5d ID:12349ee8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/07/24 20:42
 鹿目まどかは普通の少女だ。家庭はいわゆる中流階級。専業主夫の父にキャリアウーマンの母、そして幼稚園児の弟と暮らす四人家族で、彼女自身は見滝原中学校に通う中学二年生である。勉強も運動もパッとせず、本人曰く取り柄の無いまどかは、それでも充実した日々を送ってきた。温かな家族や気の許せる友達に囲まれた彼女の人生は、平凡ながらも幸せなものだと言えるだろう。

 物足りなさはあるが、笑顔が絶える事の無い生活。そこに変化が訪れたのは五日前の事だ。友達のさやかと出掛けた折に、まどかは魔女と呼ばれる化け物に襲われた。その時に助けてくれたのが、後で同じ中学校の先輩と知った巴マミである。自身を魔法少女と名乗ったマミは、まどか達に色々な事を教えてくれた。まどかの日常に非日常が混ざり始めたのは、それからだ。

 魔法少女と魔女。それらの存在をまどか達に伝えたマミは、更に二人には魔法少女の才能があると言った。そう、才能だ。まどかにとって最も縁遠い言葉の一つだ。少なくとも彼女自身はそう思っている。だからマミの言葉には驚きを覚えたし、興味を惹かれた。

 何かが変わるかもしれない。そんな期待を胸に抱いて、まどかは魔法少女について勉強している。マミとキュゥべえから知識を与えられ、実際に魔女退治を見学し、そうしてまどかは、ますます魔法少女に憧れていった。

 キュゥべえによれば、まどかが望むならいつでも魔法少女になれるらしい。まどかには才能があって、きっと素晴らしい魔法少女になれると、マミも太鼓判を押してくれている。誰かにそこまで期待されるというのはまどかにとって初めての経験で、だから未だに信じられないのだけれど、それでも頑張ってみたいと思っていた。

 以前と同じようで、少しだけ違うまどかの日常。彼女にはそれが輝いているように見えた。だからこの日、新たに訪れた日常での変化も、まどかは前向きに受け止める事が出来たのだ。

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 抑揚に欠ける声で名前を告げ、その少女は静かに頭を下げた。艶やかな黒髪が光の細波を作り出し、それだけで人の目を惹き付ける。顔を上げたほむらの面立ちは目を瞠るくらい整っていて、意思の強そうな瞳が煌めいていた。

 転校生が来る、と担任の先生が告げたのがつい先ほど。直後に先生の呼び掛けで教室に入ってきたのが、彼女、暁美ほむらだった。周りの視線をものともせず、堂々とした態度で佇むほむら。その姿は凛と美しく、単に転校生という理由だけではなく、教室中の注目を集めている。

「暁美さんは、心臓の病気でずっと入院していたの。久し振りの学校で不慣れなところもあると思うから、みんな助けてあげてね」

 俄かに教室の中がざわついた。けれどすぐに収まって、また元の静寂が戻ってくる。その様子を見て、先生は満足そうに頷いた。

「それじゃ、暁美さんはそこの席よ。わからない事があったら、周りの人に相談してね」
「はい。わかりました」

 最前列の座席を先生が示せば、ほむらは落ち着いた足取りでそこまで歩いて行った。僅かな距離を移動するその姿に、教室の誰もが視線を送っている。それはまどかも同じで、新たにやって来た美人なクラスメイトに、彼女もまた目を奪われていた。綺麗だな、と。まるで有名人でも見るみたいに、まどかはぼんやりとほむらを眺めている。

「――――え?」

 ほむらと目が合った。彼女が席に座る直前、一瞬だけ紫の瞳が、まどかの姿を捉えた気がした。瞬きの内に終わった出来事で、単なる気の所為かもしれない。しかしまどかは、直感的にほむらは自分を見ていたのだと理解した。

「それと鹿目さん」
「あ、はいっ」

 ジッとほむらを見ていたまどかは、慌てて先生の方に顔を向ける。

「保健係よね? 後で暁美さんを保健室まで案内してくれる?」
「は、はい。わかりました」

 反射的に返事をしたまどかに頷きを返し、先生は残る連絡事項について話し始めた。ホッと胸を撫で下ろし、まどかは再びほむらの方へと視線を移す。背筋を伸ばしたほむらは真っ直ぐに前を見ていて、いかにも優等生といった風情だ。

 勉強は出来るのだろうか。入院していたと先生は言っていたけれど、運動は大丈夫なのだろうか。まどかの中で、様々な疑問が浮かんでは消えていく。ほむらと仲良くなりたいと、まどかは思った。そこに深い理由は無いのだが、あえて言うなら変わる事への憧憬だろうか。

 大した取り柄が無い普通の女の子から、もっと素敵な自分になりたい。そんな思春期の少女らしい願望をまどかは持っていて、だからこそ魔法少女に憧れていた。ほむらと友達になりたいというのも、根っこの部分は同じだ。まどかは変化を望んでいるから、転校生という変化に興味が惹かれるのかもしれない。

 結局まどかは、ホームルームが終わるまで、ずっとほむらを眺めていた。


 ◆


「暁美さんって、前はどこの学校に通ってたの?」
「東京の、ミッション系の学校よ」
「じゃあ見滝原に来たのは初めて?」
「いえ。小学校に上がる前だけど、住んでいた事があるの」
「そうなんだ。じゃあ、もしかしたら知り合いに会えるかもね」

 次から次へと繰り出される質問。その一つ一つに、ほむらは卒無く答えている。ほむらの周りには数人の女生徒が集まり、転校生と親睦を深めようと頑張っている。その輪の中にまどかは居ない。彼女は自分の席に座ったままで、遠巻きにほむらを眺めていた。ほむらと話したくない訳ではない。ただホームルームが終わると同時にほむらへと群がったクラスメイトの雰囲気に、つい尻込みしてしまったのだ。

「いやー、転校生は人気だねぇ」
「さやかちゃん」

 まどかに話し掛けてきたのは、友達のさやかだ。頭の後ろで手を組んださやかは、軽薄そうな表情でほむらとその周辺を眺めている。だが不意に、水色の瞳がまどかの方に向けられる。好奇心に満ちた猫みたいな目だと、まどかは思った。

「で、あんたはどうなのよ?」
「えっと、なにが?」
「転校生よ、てんこーせー。さっきから熱い視線を送ってるじゃない。やっぱ気になるもん?」

 僅かに思案。それからまどかは、ゆっくりと頷いた。

「うん。できれば、仲良くなりたいなって」
「ほほう。まどかにしちゃハッキリ言うねえ」
「そうかな?」
「そうだって。仁美もそう思わない?」

 さやかが振り向いた先には、もう一人のまどかの友達が居た。緩やかに波打つ抹茶色の髪を肩下まで伸ばした、柔和な顔立ちの少女。志筑仁美(しづき・ひとみ)という名の彼女は、たおやかな笑みを見せながら、ゆったりとした足取りでまどかの席までやって来た。

「どうでしょうか。でもたしかに、いつもならもう少し控えめな気もしますわね」
「でしょー? これは本気でご執心だわ。まっ、まどかはあたしの嫁なんだけどねー」

 座っているまどかに後ろから抱き付いてさやかが笑えば、同じくまどかも頬を緩ませた。そんな二人を見て、仁美もまた楽しそうに笑みを零す。いつも通りの、いつもと変わらない、友達同士の楽しい時間。まどかの大好きな日常だ。

 ただ今日は、少しばかり勝手が違うらしい。

「おっ。噂をすればってヤツかな」

 さやかの呟き。それを聞いてさやかの視線を追ったまどかは、目を丸くして固まった。すぐそこにほむらが居る。クラスで話題の彼女が、その綺麗な瞳でまどかを見下ろしている。いつの間に傍に来たのか。なんでここに来たのか。そういった事を考えるよりも先に、まどかはほむらの顔立ちに目が行った。

 整っているけれど、刃物のような鋭さを感じさせるほむらの相貌。近寄り難さを感じさせるそれは、彼女の纏う冷たい雰囲気と相俟って、ある種の威圧感を感じさせる。

 知らず、まどかは喉を鳴らしていた。

「――――鹿目さん」
「は、はい!」

 背筋を伸ばして答えるまどかを、ほむらは静かに見詰めている。観察されているみたいだと、まどかは思った。鹿目まどかという女の子の一挙手一投足を、余さず捉えるような鋭い視線。それを受けたまどかは、居心地悪そうに身動いだ。ただまどかは、緊張する事はあっても、特に不快だとは思わなかった。

「保健室まで案内してもらってもいいかしら?」
「えっ。あ、うん」

 返事をした後、まどかは意識せずさやかと仁美の方を振り返った。微かに揺れる瞳の意味は、たぶんまどか自身も分かっていない。二人について来てほしかったのかもしれないし、単に場を離れる事を伝えたかったのかもしれない。結局、何を言おうかまどかが悩んでいる内に、さやかの方が話し始めてしまった。

「ちょうどいいじゃん。あたしらの事は気にせず案内してきなよ」
「ええ。休み時間もあまり残っていませんし、早めに行ってきてはどうでしょうか」

 暗にほむらと二人だけで行ってこいと言われ、まどかは口を噤んでしまう。別にそれが嫌な訳ではないのだが、つい臆してしまう。改めてほむらの方に向き直れば、彼女は変わらずまどかを見詰めていた。そこにまどかを責める色は無い。急かすようでもない。ただ黙ってまどかの答えを待つその姿は、失礼かもしれないけれど、主人の指示を待つ犬みたいだとまどかは思った。

 気付けばまどかの体から緊張は消えていて、その口元は僅かに綻んでいた。

「それじゃ、行こっか」
「よろしくお願いするわ」

 あくまで端的なほむらの応答。素っ気無いその態度も、まどかはもう気にならない。きっと仲良くなれるとまどかは思った。立ち上がり、ほむらを先導して歩き出すまどか。その足取りは軽く、表情は明るいものだった。

 雑談したり勉強したりと、思い思いに休み時間を過ごす生徒達を横目に、まどかとほむらは廊下を進んでいく。彼女らの表情は対照的だ。柔らかで温かな雰囲気を纏うまどかと、硬く冷たい印象を受けるほむら。一見すればとても仲がよいとは思えない二人だが、その空気は決して険悪なものではなく、むしろ穏やかで優しいものだった。

「それでね、暁美さん。あっちの棟には図書室があって――――」

 もっぱら話しているのはまどかだ。彼女は学校施設を指差しながら、その一つ一つに説明を加えている。そうしたなんてことない説明でも楽しそうに語るまどかの声に、ほむらは何も言わずに耳を傾けていた。

「――――ほむら」
「えっ?」

 不意にほむらの声が耳を揺らした事に驚いて、まどかは足を止める。彼女が隣を見遣れば、同じくほむらも立ち止まってまどかを見ていた。アメジストのような澄んだ紫色の瞳が、まどかの顔を映している。

「ほむらで良いわ」
「ほむら……ちゃん?」

 戸惑いがちにまどかが口にすれば、ほむらは小さく首肯で返す。それを見たまどかの中に、徐々に理解が広がっていく。名前で読んでほしい。つまりはそういう事だと受け取ったまどかの唇が、嬉しそうに弧を描く。

「じゃあわたしも、まどかって読んでほしいな」

 少しだけ、間。睨むようにまどかを見ていたほむらは、やがて瞑目して口を開いた。

「わかったわ、まどか」
「うんっ。よろしくね、ほむらちゃん」

 まどかの笑顔が花開く。そこには目一杯の喜びが表れていた。俄かに軽くなった足取りで、まどかは再び歩き始める。すぐにほむらも肩を並べた。そうして保健室を目指して廊下を進むまどかは、終始機嫌がよさそうだ。

「そういえば、ほむらってカッコいい名前だよね。こう、燃え上がれーって感じで」

 ポンと胸の前で手を合わせ、まどかが笑ってほむらに話し掛ける。

 が、しかし。

「――――ほむらちゃん?」

 何故かほむらが足を止めていた。不思議そうにまどかが振り返る。見れば廊下の真ん中に立つほむらは俯き気味で、明らかに先程までとは様子が違っていた。気分を害する事でも言っただろうか。それとも体調が悪くなったのだろうか。心配になったまどかが表情を曇らせるが、程無くしてほむらはまた歩き出した。ただどうしてか、彼女はまどかと目を合わせようとしない。

 まどかに追い付き、擦れ違う、その瞬間。ほむらは唐突に口を開いた。

「ありがとう」

 小さな声。だけどそれは、たしかにまどかの耳に届いた。思わずまどかは目を丸くする。でもすぐに笑顔を形作った彼女は、ほむらの後を追って歩き始めた。交わした言葉は多くない。だけどほむらとはきっと仲良くなれると、まどかは信じる事が出来た。


 ◆


「ほむらちゃんって凄いんだね」

 感嘆を乗せた吐息を零し、まどかはカップに刺さるストローに口付けた。やや酸味の強いオレンジジュースを楽しむ彼女の視線は、対面に座るほむらへと向けられている。初めてまどかが見た時と同じで、ほむらの表情は涼しげだ。口数少なく、さして語らず、ただ不快に思っていない事くらいしかまどかに読み取らせない彼女は、小さな口でサンドイッチを齧っている。

 二人が居るのは、とあるショッピングモール内に構えるカフェの一角だ。授業を終え放課後を迎えたまどかが、少し話がしたくてほむらを誘ったのだ。さやかや仁美といった他の友達は居ない。気を利かせたのか、あるいは転校生であるほむらに距離を感じているのか、彼女達は二人で親睦を深めてこいと言って、まどかを送り出したのである。

「勉強も運動もできるなんて、憧れちゃうかも」

 ちょっと熱の籠った視線でほむらを見ながら、まどかが喋る。

 まどかが思い出すのは今日の授業の事だ。ほむらは授業中に当てられても軽々と答えていたし、体育では他の生徒達と一線を画した動きを見せていた。文武両道にして才色兼備。まるで漫画か何かから飛び出してきたような活躍ぶりだった。

 だからこそまどかは褒めてみたつもりなのだが、どうやらほむらにとっては違ったらしい。

「たしかに凄いかもしれないけど、結局はそれだけよ」

 少し強めのほむらの口調。思わずまどかは口を噤んだ。紫の瞳がまどかを捉えている。真っ直ぐ過ぎるほどに真っ直ぐな視線が、まどかの心を見透かすように送られてくる。その意味が分からなくて、まどかは不安から拳を握った。

「まどか。あなたは家族が好きかしら?」
「それは……もちろん好きだけど」

 素直にまどかが答えれば、ほむらは満足そうに頷いた。

「あなたの母親はどんな人?」
「カッコいい人だよ。やり手のキャリアウーマンで、我が家の大黒柱だもん」

 また、ほむらの頷き。

「凄い人なのね」
「うん。凄い人だよ。尊敬してる」
「凄い人だから、あなたは母親が好きなの?」

 えっ、とまどかは答えに窮した。

 たしかにまどかの母親は立派な人だ。まどかにとっては憧れであり、格好良いと常々感じている。でも、だから好きなのかと問われれば、それは違うとまどかは思った。もちろんそういった部分も好きなのだが、それは大好きな母の一面でしかない。他にも優しいからとか、色々好きな所は思い浮かぶが、やはり大元の理由ではないだろう。

 結局まどかはよく分からなくなって、お茶を濁すような答えを返す事しか出来なかった。

「えっと、そうじゃなくて。なんて言うか、好きっていうのは、もっと複雑だと思う」
「ええ、その通りよ。簡単に測れるものではないわ」

 拍子抜けするほどアッサリと、ほむらはまどかに同意する。

「勉強や運動が得意というだけで人の価値は決まらないし、苦手だからといって魅力が無いわけでもないわ。あなたが自分をどんな風に評価しているのかは知らないけど、あなたの家族は、きっとあなたを愛しているはずよ」

 言葉を区切り、ほむらが視線を落とす。そこには迷いが感じられた。もごもごと動く口元からは何も発せられず、目は左右に泳いでいる。明らかな躊躇。それがまどかには意外で、彼女は不思議そうに首を傾げた。

「私も」

 短く、小さな、ほむらの声。

「私も――――――まどかは魅力的だと思うから」

 その言葉は、不思議とまどかの耳によく響いた。発したほむらの頬は微かに紅潮していて、目元は完全に前髪で隠れている。

 慰めてくれたのだとまどかが理解したのは、少し時間が経ってから。ほむらが照れている事に気付いたのはその後で、嬉しいと感じたのは更に後だった。ほむらの言葉が徐々に胸の中に広がっていき、それにつれてまどかは笑みを深めていく。

「ありがとう。ほむらちゃん」

 まどかがそう答えれば、ほむらは更に俯いてしまう。その反応が可愛くて、まどかはもっと嬉しくなった。

 本当にほむらは魅力的な少女だ。勉強が出来て運動が出来て、誰かを思い遣る優しさもある。それを純粋に凄いと思う素直さがまどかにはあったし、また、だからこそ湧き出てくる感情もあった。

 まどかが目を伏せる。薄桃色の唇から彼女が紡いだ言葉は、一転して弱々しいものだった。

「わたしって鈍くさいし、取り柄も無いし、ほんとに地味な子で…………だから今日のほむらちゃんを見て、凄く羨ましかった。同じようになれたらって、ずっと思ってた」

 驚いたように顔を上げたほむらに、まどかは自信無さげに笑い掛ける。

「でもね。それは誰かに好かれたいとか羨ましがられたいとか、そういうのじゃなくて、ただ誰かの役に立ってみたいだけなの。困っている人を見掛けたら、わたしは助けてあげたいと思う。けどそれはやっぱり、今のわたしには難しい事だと思うんだ」

 自らの胸元に手を当てて、まどかは目を閉じる。

 まどかの正直な気持ちだった。たしかに家族は愛してくれている。友達とも仲良くやっている。でも誰かに助けを求められても、まどかは何かが出来る自信が無かった。手を差し伸べたいと思っても、きっと頼りない言葉を掛ける事しか出来ない。それでは悲しいし、情けない。だからまどかは力が欲しかった。勉強ではなくても、運動ではなくても、何か一つ、自信を持って他人に誇れるものが欲しかった。

「そんな事ないっ!!」

 立ち上がったほむらが叫ぶ。悲痛さを滲ませるそれはすぐさま周囲の人目を集め、何よりまどかを驚かせた。

 状況に理解が追い付かず、まどかは呆然とほむらを見上げる事しか出来ない。ほむらは必死の形相だった。大きく目を見開いて、歯を食い縛って、怒っているように見えるのに、まどかの目には悲しんでいるように映った。

「ほむら、ちゃん?」

 訳が分からなくて、ただ、まどかは名前を呼んだ。
 ハッと状況に気付いたほむらが、小さく咳をして腰を下ろす。

「ごめんなさい。けど、自分を卑下するのはやめなさい」

 謝罪を口にする時には、既にほむらの雰囲気は落ち着いていた。その事に胸を撫で下ろしたまどかの顔に、改めて柔らかな笑みが浮かぶ。嬉しさを隠せないまどかの目が細まり、ほむらへと向けられた。

 今の言葉でも分かる。結局ほむらは、まどかを気遣っているだけなのだ。

「ほむらちゃんは、優しいね」

 本当にただ純粋な、まどかの感謝。でもそれを聞いたほむらの表情は、何故か泣きそうだった。


 ◆


 化け物。それを見た人間の多くは、その単語を思い浮かべるだろう。頭と思われる部分は薄汚い緑色の汚泥と薔薇の花にまみれ、胴体は剥いだ皮膜のような気味が悪い配色をしている。背中には毒々しい巨大な蝶の羽が生え、足の代わりは無数の触手。あまりに不気味なその姿は、見ているだけで精神を削られそうなほどだ。

 だが、その異形を見るまどかの瞳に不安は無い。彼女の隣に立つさやかも同じで、二人ともある種の安堵感を漂わせていた。それは異形と対峙している少女のお蔭だ。巴マミ。魔女と呼ばれる化け物と戦う彼女の存在が、まどか達の心を落ち着かせていた。

「あっ」

 マミが巨大な銃を取り出した。大砲のようなそれは彼女の切り札で、まどかはそれによって魔女が倒される光景を何度か見ている。思わずさやかと顔を見合わせ、まどかは頷いた。これで今日の魔女退治は終了だ。

 直後、閃光が二人の顔を照らし、辺りに轟音が鳴り響いた。程無くして魔女の結界が崩れ、周囲の景色が正常になる。薄暗く、様々な資材が積まれた人気の無いビルのフロア。現在改装中のこの場所に、今回の魔女は巣食っていたのだ。

 あの後ほむらと別れたまどかは、事前に約束していた場所でマミ達と落ち合った。それから魔力の反応を頼りに魔女を探し始めて、ここに辿り着いたのがつい先ほど。そして今、三十分も掛けずにマミは魔女を退治してしまった。

「お疲れ様です、マミさん」
「やっぱマミさんは凄いですね!」

 床に落ちたグリーフシードを拾うマミに駆け寄るまどかとさやか。彼女達の顔には尊敬の念が刻まれている。

 まどか達が魔女退治に立ち会ったのはこれで四度目だ。初めの一度は二人が魔女に襲われた時で、それから今日に至るまでの五日間で、残りの三度を経験している。いずれの場合もマミが颯爽と魔女を撃退しており、その度に二人は憧れを強めていた。

「未来の後輩の前で無様は見せられないもの」

 悪戯っぽくマミが微笑む。知らず、まどかは感嘆の息を漏らしてしまう。

 まどかにとって、マミは憧れの対象だ。綺麗で、格好良くて、物語の主人公みたいに特別な力を持つマミは、一から十までまどかの理想を体現していた。まどかとは一歳しか違わないはずなのに、とてもそうは思えないほどマミは完成されている。

「あの、少し質問してもいいですか?」
「もちろん。なんでも聞いてちょうだい」

 まどかの問いに、マミは快く答えてくれた。
 胸に手を当て、深呼吸。それからまどかは口を開いた。

「えっと、マミさんって昔からそうだったんですか?」
「それはどういう意味かしら?」
「その、つまり、魔法少女になる前からそんなに強くてカッコよかったんですか?」

 キョトンと小首を傾げるマミ。だがすぐに彼女は破顔した。

「お褒めに与り光栄だわ。でもそうね、別に昔から今みたいだったわけではないのよ」
「やっぱり、魔法少女になってからですか?」
「ええ。私は誇りを持って魔法少女の使命を果たしたかった。だからたくさん努力したの。昔の私を見たらきっと驚くわよ。初めて魔女と戦った時なんて、ほんとに酷い有り様だったんだから」

 懐かしむように目を閉じたマミの言葉には、欠片の嘘も感じられなかった。きっと本当なのだろうとまどかは思う。同時に彼女の胸に熱が灯った。それはつまり、マミは変われたという事だろうか。魔法少女になって、努力して、今みたいに素敵な女性になったのだろうか。

 コクリとまどかは息を呑む。握った拳は、目に見えるほどに震えていた。

「じゃ、じゃあ…………わたしも頑張れば、マミさんみたいになれますか?」
「それは鹿目さんの頑張り次第よ。ただ、あなたには魔法少女の才能があるわ。きっと上手くいくはずよ」

 まどかの胸が高鳴った。淡い期待が、そこに宿る。

 頑張ればマミのようになれる。それはまどかにとって甘過ぎるほどに甘い誘惑で、彼女の願望そのものと言ってもいい。一度でもその事を意識してしまえば、まどかはもう止まれなかった。無責任な期待感ばかりが膨らんでいき、今にも張り裂けそうなほどだ。魔法少女になりたい。その言葉が、まどかの頭を埋め尽くしていく。

「ねぇまどか、もしかして魔法少女になるつもり?」
「……うん。なりたいなって、思ってる」

 頷き、まどかはさやかの問いを肯定する。

 魔法少女になる事は、既にまどかの中では決定事項となっていた。その要因は様々だ。マミに対する憧れもそうだし、実際に魔法少女の活動を目にした事で、使命感のようなものが芽生えたというのもある。そしておそらく、今日、暁美ほむらという素敵な女の子と友達になれた事も無関係ではないだろう。

「まどかが決めたって言うなら文句は無いけど、願い事はどうすんのよ?」
「それはまだ決めてないけど、叶えたい願い事ができたら、たぶん……」

 言葉を区切り、まどかはマミへと顔を向けた。

「マミさんはどんな願い事を叶えてもらったんですか?」
「私の願いは参考にならないわよ。考えてる余裕なんて無かったしね」

 マミが苦笑する。そこに後悔の色は読み取れないが、単純に奇跡が叶った事を喜んでいるようでもなかった。複雑な事情があるのだろう。そう思ってまどかは口を噤んだ。

「でも、もう一度だけ奇跡を起こしてもらえるなら、今すぐにでも叶えたい願いがあるわ」

 祈るようにマミが呟く。儚く響いたその声が、まどかの琴線を大きく揺らす。
 反射的にまどかはマミに問うていた。

「それってどんな願いなんですか?」
「友達を助けたいの」

 真っ直ぐにまどかの瞳を見据えてマミが告げる。彼女の目に宿るのは静かな熱意だ。決して激情とは言えないそれは、しかし全てを燃やし尽くす炎のようでもあった。そのただならぬ雰囲気に圧倒されて、まどかは喉を鳴らした。

「友達、ですか?」
「そう。一番大事な友達」

 噛み締めるようにマミが答える。そこにはきっと、言葉以上の何かが籠められていた。

「彼女は治る見込みの無い病気を患っていて、もう何年も入院しているの」
「だからその人の病気を治したい、と?」
「ええ。私が彼女と出会ったのは魔法少女になった後だったんだけど、それがずっと歯痒くてね」

 頬に手を当てて俯くマミ。その相貌は陰りを帯び、今にも溜め息が吐き出されそうだった。

 今のマミはどこか弱々しくて、頼りなさを感じさせる。それはまどか達が初めて見る姿だった。とはいえ幻滅した訳ではない。むしろその逆で、そんなマミの手助けをしたい気持ちが、まどかの中に生まれていた。

 一歩、まどかが踏み出す。

「あの、マミさん」
「なにかしら?」

 顔を上げたマミの目線がまどかに向く。それを正面から見返して、まどかは口を開いた。

「もしよかったら、わたしの願いでその人を治してもいいですか?」
「……いいの? 一度きりの奇跡なのよ?」

 問い掛けながらも、マミの瞳には隠し切れない期待が滲んでいる。それだけでまどかには十分だった。

 マミは凄い人で、憧れの相手で、尊敬すべき先輩だ。大した取り柄の無いまどかとは比べるべくもない存在だろう。でも実際には、マミは必死に助けを求めていて、まどかには助ける為の手段がある。その事実はまどかにとって、何よりも輝いて見えた。

「その、どうしても叶えたい願いは無いっていうか、わたしは魔法少女になれたらそれでいいんです。それにマミさんは、わたしとさやかちゃんの命の恩人です。だから今度は、わたしが助ける番なのかなって」

 たどたどしく答えるまどかの手を、勢いよくマミが握り締める。

「ありがとう! きっとあの子も喜ぶわ!」

 マミの声は喜びに満ちていた。その表情はまどか達が見た事無いほど明るく、まるで幼い子供のようだ。可愛い、とまどかは思った。同時に嬉しさが込み上げてきて、まどかの頬が自然と緩む。

「じゃあ、そうね。まだ少し時間はあるみたいだから、あの子の居る病院に行ってみない?」

 提案の形を取っているが、明らかにマミは催促している。口元の綻びが抑えられないその様子はどう見ても浮足立っていて、今すぐにでも病院に直行したがっている事が見て取れた。もちろんまどかとしても、否やはない。

 チラリとさやかの方を見ると、好きにしろとばかりに手を振っている。それでまどかの気持ちは固まった。

「はい。わかりました」

 この時のマミの笑顔を忘れる事は無いだろうと、まどかは思った。


 ◆


 彼女が絵本アイと出会ってから五日、なんだかんだで友達付き合いのようなものを始めてから三日が経った。最初の頃はぎこちない部分があった二人の関係も、時の流れと共に、少しずつ落ち着いてきている。とはいえ、それを単純に仲良くなったと表現するのは、彼女としては抵抗がある。別に仲が悪い訳ではないのだが、アイと仲良しだなんて、彼女は考えるだけでも背中が痒くなりそうだった。

 たしかに彼女とアイは話が合う。互いにままならぬ入院生活を送っている者同士、他では言えないような事でも口にしてしまえる関係は、彼女にとって非常に心地よいものだった。ただ話が合うからといって、必ずしも気が合うとは限らないのである。

「アイって性格悪いよね」

 テーブルに肘をついた彼女が、組んだ手に顎を乗せて呟く。ハンチング帽に隠れた目には呆れの色が滲み、その視線は対面に座るアイへと向けられていた。にこにこ笑う青白い相貌が、彼女の大きな瞳に映っている。

 今、二人はアイの病室でお茶会をしている。それはここ数日で日課となり始めたイベントで、今日もまた二時間ほど前にアイの方から誘ったのだ。ただ最初の頃は当たり障りの無い雑談に興じていた彼女達だが、時間が経つにつれて言葉に毒が混ざり始めた。とはいえ互いに悪意がある訳ではなく、それこそが二人にとってのいつも通りなのである。

「なんだよ藪から棒に。これでも看護師さんの受けは良いんだぜ」

 肩を竦めるアイを見て、彼女はこれ見よがしに嘆息した。

「ほら、性格悪い」
「おいおい。だったらキミはどうなのさ」

 彼女が首を傾げると、アイは楽しそうに目を細める。

「素直で真面目な優良患者。看護師さんに聞いた時、どこの誰かと思ったぜ」

 彼女の頬が赤く染まる。ハンチング帽のつばを引き、彼女は目線を落とす。

「わたしは良いの。ほんとに真面目だから」

 嘘ではない。彼女にとってはアイと話しているこの状況こそが例外であり、他の人に対しては優等生そのものだ。たしかにアイと出会った時は気が立っていたが、あれもまた特別な状況で、本来の彼女はとても聞き分けの良い子供である。

 だからアイの指摘は間違いで、彼女は胸を張っていれば良いのだが、何故か気恥ずかしさを覚えてしまった。

「ならボクにも優しくしてくれよ」
「イヤ。それだけは絶対にイヤ」

 半ば意地になって彼女が答えれば、アイは可笑しそうに肩を揺らす。プクリ、と彼女は頬を膨らせた。

「そんなだからあなたは駄目なのよ」
「でも、ボクが変わるのも嫌でしょ?」

 思わず彼女は返事に詰まった。心の中でアイの言葉に同意してしまったからだ。

 彼女にとって、絵本アイという少女は特別だ。これまでの人生でこんなにも悪態をつける相手は居なくて、それがとても新鮮だった。別に責められる事ではないはずだが、何か悪い事をしているような気がして、その所為で癖になっている部分もある。だからたしかに、アイに真面目な対応を取られたら、彼女としても反応に困るだろう。

「そのキャラも作ってる癖に」

 悔し紛れの彼女の呟き。だがそれは、アイの口を止めるには十分な威力を持っていた。
 途端にアイが視線を迷子にする。その反応に気をよくした彼女は、調子よく喋り始めた。

「昔は自分の事を『私』とか言ってたんだって? 口調も良いトコのお嬢様みたいだったとか」
「……あ~、うぅ。誰だよバラしたのぉ。恥ずかしいじゃん」

 テーブルの上にべたりと顎を乗せ、右手で額を押さえるアイ。その頬は珍しく桃色に色付いている。自身の言葉を暗に肯定するその態度を見て、彼女は口元を手で覆った。

「本当なんだ。ちょっと意外かも」
「これでも育ちは良いんだぜ。元からこんな口調なわけないでしょ」

 状態を起こしたアイが息をつく。気怠そうに細められた黒い目が、正面から彼女の顔を捉えた。

「それで? 他になにか言いたい事はあるのかしら?」

 初め彼女は、それがアイの声だと認識出来なかった。声の高さも抑揚の付け方も違うその声は、まるで別人のもののように聞こえたのだ。けれどたしかに発したのは目の前のアイで、徐々にその事実が彼女の中に浸透し始めた。だが、どう反応すればいいのか分からない。なんと言えばいいのか思い付かない。まるで陸に上がった魚のように、彼女は間抜けに口を開く事しか出来なかった。

 アイが冷たく彼女を見据えている。何故かその視線が怖くて、彼女は肩を震わせた。

「あ、ダメだ。なんか鳥肌立ってきたし」

 両腕で自分の身を掻き抱いたアイが、いつもの調子で喋る。それで場に漂っていた奇妙な緊張感が解けた。彼女は胸を撫で下ろし、改めてアイの様子を観察する。必死に二の腕を摩るアイには、どこにも可笑しな所は無かった。

「もう何年も使ってないから、違和感しかないや」
「……たしかに、なんか気味悪かったかも」
「言うねぇ。ま、いいけどさ」

 絞り出すように彼女が呟けば、アイはしょうがないとばかりに苦笑する。

「ボクが口調を変えたのはイメチェンだよ。ほら、中学デビューとかあんな感じ?」
「ずっと病院暮らしの癖に、どこにデビューするわけ?」
「それは言わないお約束」

 アイが肩を竦める。飄々としたその態度はいつも通りで、表情も苛立たしいほどの自信に満ちている。でも何故か彼女は、微かな違和感を覚えていた。意識の隅に引っ掛かりがあり、それが彼女には気持ち悪かった。

 だが彼女は何も言わないし、問わない。先程のアイの姿が思い出され、彼女は踏み込む事が出来なかったのだ。アイは冗談で済ませたが、本当にそうなのだろうか。もしもあの視線が冗談ではなく、なんらかの警告だと思うと、彼女は少し怖くなった。

 入院着の裾を掴み、彼女は握り締める。

 彼女とアイは対等だ。互いに可哀想な身の上同士、遠慮なく悪態をぶつけ合えればそれでいい。だから、いちいちアイの秘密を暴く必要は無い。不用意に踏み込まなくてもいいのだと、彼女は自分に言い聞かせた。

「ん?」

 不意に電話のベルが鳴り響く。この病室にある固定電話の音だった。一度だけ彼女の方を見遣った後、アイが電話に出る為に席を立つ。そのままベッド脇まで歩いて行ったアイは、電話のディスプレイを確認して目を瞬かせた。

「――――もしもし」

 受話器を取ったアイが応答する。その声音から、電話の相手が親しい相手なのだと分かった。

「えっ? うん、まぁ……いいけど」

 会話を続けながら、チラリとアイが彼女の方に顔を向けた。彼女が見返せば、アイは気まずそうに目を逸らす。

「うん。うん…………わかった。待ってるよ」

 そう言って受話器を置いたアイが、ゆっくりとテーブルまで戻ってくる。肩に重荷を背負っているような足取りは、電話の内容がよろしくなかった事を示していた。それが気になった彼女だが、あえて尋ねようとは思わない。それは少しばかり、踏み込み過ぎる。

「えーと。悪いんだけどさ、これから友達が来るから、今日はもうお開きという事で」
「それは構わないけど、その友達とは仲が悪いの? 元気が無いようだけど」

 窓の外は夕焼け色に染まっていて、解散するには良い頃合いだろう。だが彼女は、アイの様子が気になった。

「いや、仲はいいよ。ただ今日は、ボクの知らない連れが居るみたいでね」
「ふぅん。まあ、わたしには関係ないか」

 どこか歯切れの悪いアイの言葉は、何か他意がある事を示していたが、彼女は物分かりよく見逃した。ただその友達とやらが気にならないかと言われれば、もちろん興味があると答えるだろう。そもそも彼女にとって、アイに友達が居た事自体が驚きである。

「それじゃ、今日はもう帰るから」

 そう言って席を立ち、彼女は扉を目指した歩き始めた。だが途中で、不意にその歩みが止まる。少し赤くなった頬を掻き、彼女は視線を彷徨わせた。口を開けて、閉じる。それを何度か繰り返した後、彼女は蚊の鳴くような声を絞り出した。

「たぶん、悪くない時間だったかな」

 彼女のその言葉は、すぐさま空気に溶けて消えた。アイに聞こえなくてもよかったし、むしろ聞こえるなと彼女は思ったのだが、どうやら随分と耳聡い馬鹿が居たらしい。

「うんっ。また一緒にお茶しようね」

 明るいアイの声。それに答えを返す事無く、彼女は病室から去って行った。


 ◆


「さあ、着いたわ。ここがあの子の病室よ」

 マミに案内されてまどか達が辿り着いたのは、病院の中でもかなりの高層にある病室だった。隣接する病室の扉は随分と離れていて、暗にその部屋の広さを物語っている。マミによれば驚くほど豪華な病室らしく、まどかは少し緊張していた。一方でさやかは平然としている。その理由はおそらく、この病院にさやかの幼馴染みが入院しているからだろう。彼女にとってここは、通い慣れた馴染みのある場所なのだ。

「それじゃ、入りましょうか」

 笑顔で取っ手を握り、マミは扉を開いた。

「こんにちは、アイ。この間の日曜日はごめんなさい」
「えっと、お邪魔します」
「お邪魔しま~す」

 慣れた足取りで入っていくマミの後ろに続き、まどかとさやかも扉を潜る。その際にまどかは、扉の横に掛けてある病室名札を確認した。絵本アイ。事前に聞いていた通りの名前を、まどかは脳裏に刻み込む。それから彼女は、改めて病室の中へと視線を移した。

「……すごい」

 思わずまどかは足を止める。彼女の視界に映った光景は、もはや病室というよりも豪邸の一室のようだった。まどかの部屋の数倍はあろうかという広さに、図書館にでも置いてありそうな、大きな本棚の数々。更には床に敷かれた上等そうな絨毯など、全てがまどかの想像の上を行っている。扉を一つ隔てただけで、この場所は別世界となっていた。

「こんにちは、マミ。日曜の事は気にしてないよ」

 透き通った声が耳を揺らし、まどかの意識はそちらへと引き寄せられた。そうして彼女は、病室の奥にあるベッドに気付く。

 小さい。それが最初に思い浮かんだ言葉だ。ベッドには一人の少女が腰掛けていて、彼女はとても小さかった。同年代の中でも小柄な方のまどかよりも、少女は更に十センチは低く見える。肩も触れるのが怖いくらい細く、入院着の裾から覗く足首はまさしく小枝のよう。何より少女の相貌が印象的だった。幽霊を思わせる青白い肌は、とても健康な人のそれとは思えない。

 おそらくこの少女が絵本アイだろう。マミと同い年だと聞いていたが、とてもそうは見えない。儚くて頼りなくて、まるで物語の世界から飛び出してきたヒロインみたいで、まどかは目を奪われた。

 少女の顔がまどか達に向けられて、輝きに満ちた瞳が、まどかの顔を映し出す。

「そっちの二人は初めまして。ボクは絵本アイ。マミの友達だよ」
「は、はじめまして。鹿目まどかです」
「こんにちは。マミさんの後輩で、美樹さやかって言います」

 穏やかに微笑むアイに対し、まどか達はそれぞれ会釈する。
 うん、と頷き一つ。満足そうな表情で、アイは再びマミの方を見た。

「なにか話があるらしいけど、キュゥべえのアレについてかな?」

 アイの問い掛けは気軽なものだった。雑談でもするかのようなそれは、なんの気負いも感じさせない。
 でも、何故だろうか。アイに問われたマミの雰囲気が、俄かに硬くなったようにまどかは感じた。

「……ええ、そうよ。鹿目さんが魔法少女になりたいそうなの」

 マミはまどかの肩に手を添えて、優しく押し出した。一歩、まどかが前に踏み出す。アイの目線がまどかに移った。細められた黒い瞳に射抜かれて、まどかの足が竦む。でもすぐに小さな手を握り締めた彼女は、俯きそうになった顔を上げた。

「あの、わたし魔法少女になりたいんですっ。でも叶えたい願い事って無くて…………だからマミさんからあなたの話を聞いた時、わたしの願いで誰かを助ける事ができるなら、それが良いなって思ったんです」

 自分の気持ちを言い終えたまどかは、制服の胸元をキュッと握った。
 別にやましい事ではないのだが、何故かアイの視線に責められている気がしたのだ。

「ふぅん。なるほどね」

 短く簡素なアイの呟き。そこに喜びの色は無く、ただ淡々とした響きだけが含まれていた。
 マミがアイの方に歩み寄る。まどかが横目に見た彼女の表情は、何故か焦っているように感じられた。

「あのね、アイ――――」
「ストップ」

 手の平を突き出してアイが遮る。途端にマミは足を止め、微かに肩を揺らした。
 アイがマミに笑い掛ける。優しく、柔らかで、穏やかな表情だった。

「別に怒ってないから気にしなくていいよ」

 言葉通り、アイの態度から苛立ちは感じられない。それはマミにも分かったようで、彼女は肩から力を抜いた。

 マミの後ろで、まどかはさやかと目を合わせる。二人の顔に浮かぶのは困惑だ。部屋の空気は穏やかだが、何やら複雑な事情があるように思える。事前にまどかが考えていたほど簡単な話ではないのだろうかと、ついつい不安が湧き出てきた。

「ところで鹿目さんと二人で話したいんだけど、いいかな?」

 アイの言葉を聞いたまどかは、再び病室の奥へと顔を向けた。

「ボクの体の話で、鹿目さんの将来の話だからね。ちゃんと話し合っておきたいんだ」

 戸惑いがちなマミに対し、アイが真剣な表情で告げる。
 マミの後ろでそれを聞いていたまどかは、前に進んで口を開いた。

「わたしは構いませんよ」

 マミの視線がまどかに向く。それを受けて、まどかもマミを見返した。桃色の瞳と蜂蜜色の瞳が、正面から向かい合う。そのまま十秒ほど見詰め合った後、マミは仕方無いといった様子で息を吐いた。

「わかったわ」

 小さな声だった。その声からマミが乗り気ではない事が読み取れたが、それをまどかが問うよりも先に、マミはさやかに話し掛けた。

「それじゃ、私達は近くの休憩所で待ちましょうか」
「はーい。わかりましたー」

 マミとさやかが病室から出て行き、あとにはまどかとアイが残される。なんとも言えない空間だった。出会ったばかりのアイに対して距離感を測りかねているまどかは、中々一言目を口にする事が出来ないでいた。

「こっちに来て話そうよ、鹿目さん」

 人好きのする笑顔でそう言って、アイは自分の隣を手で叩く。その誘いに促され、まどかはおずおずとベッドに近付いていった。すぐ傍までまどかが歩み寄れば、アイは黙って体を横にずらす。まどかもまた、静かにアイの隣に腰を下ろした。

 肩が触れ合いそうな距離。そうして間近でアイの姿を確認したまどかは、改めてその小ささに驚いた。小学生と言われても納得してしまうアイの容姿は、それだけで庇護欲を駆り立てられる。マミが大切にするのもよく分かると、まどかは思った。

「改めてよろしくね、鹿目さん」
「よろしくお願いします。それと、まどかでいいですよ」
「ほんと? ならボクもアイでいいよ」

 嬉しそうにするアイを見て、まどかの心も温かくなった。
 僅かに感じていた緊張が解け、まどかはホッと息をつく。

「じゃあ、そうだね。魔法少女になりたい理由を聞かせてくれるかな?」

 まどかはこくりと頷いた。

「わたしって大した取り柄の無い子なんです。勉強も運動も苦手で、学校でも全然目立たなくて…………けど、そんなわたしでも魔法少女の才能があるって、マミさんは言ってくれました。魔女とか魔法少女とかよくわからなかったけど、それが嬉しかったんです。初めはただ、それだけだったと思います」
「今はそうじゃないんだね」

 静かに、まどかは首肯する。

「魔法少女として魔女を退治するマミさんは、人助けの為に頑張るその姿は、とても素敵でした。だからわたしも同じ風になれたらどんなに良い事だろうって、そう思ったんです。誰かの役に立ちたいって、思ったんです」
「ボクの病気を治すのも、その一環かな?」
「はい。わたしの願いで誰かを助けられるなら、それが一番なんです」

 そっか、とアイが相槌を打つ。そうです、とまどかも呼応した。それきり二人は何も言わず、辺りを静寂が支配する。

 太腿に乗せた両手を丸めて、まどかはジッとアイの言葉を待っていた。自分から話し掛ける事はしない。何かを口にすれば本当の気持ちを歪めてしまいそうで、それがまどかは怖かった。だから彼女は、貝のように黙るのだ。

「――――辛いよね」

 ポツリと漏れた、アイの言葉。まどかの目が、隣のアイに向く。

「自信を持てるなにかが無いのって、とても辛いよね。わかるよ。ボクも同じだからね」

 アイがまどかを見上げる。まどかがアイを見下ろす。二人は視線を交わし、それ以外の何かも、通じ合わせた。

「まどかは、取り柄の無い自分が不満なんだね」
「……はい」

 アイが微笑む。とても綺麗な笑顔だった。

「うん。ボクはまどかを応援するよ」
「それじゃあ――――」
「でも、まだ早い」

 細く白いアイの指が、まどかの唇に添えられる。思わず黙ったまどかは、目を白黒させた。そんなまどかを見て眉尻を下げながら、アイは心底残念そうに言葉を継いだ。唯々優しい声が、まどかの耳を撫でる。

「魔法少女って大変なんだよ。マミは平気でやってるように見えるかもしれないけど、裏では色々と努力してる。強くなる為の訓練は絶対に必要だし、多くの時間が奪われるから、今まで通りじゃいられない。友達との付き合いだって変えなきゃいけないし、家族にも心配を掛ける事になるだろうね。ただ新しくなにかを始めてみようって話じゃないんだよ」

 ソッと、まどかの唇から指が離れる。反射的に息を吸ったまどかは、それからアイを凝視した。何か問う事があるはずだ。聞く必要があるはずだ。そうは思っても、まどかの口は動こうとはしなかった。

 アイが苦笑し、まどかの手を握る。

「死ぬ可能性もあるしね」

 手を強く握られたまどかは、驚き腕を震わせた。

「新しい自分になりたい気持ちはわかる。でも、まどかは焦り過ぎだよ。もっと悩むべきだし、魔法少女の汚い部分も見るべきだ。このまま魔法少女になったら、いつかキミは後悔するかもしれない。そうなった時、ボクは一生を掛けてでもキミに償う責任がある」

 まどかの心臓が跳ねた。限界まで目を見開いて、まどかはアイを見詰めた。

「ボクを助ける代わりに魔法少女になるっていうのは、つまりはそういう事だよ」
「わたし、そんなつもりじゃ…………」
「キミにそのつもりはなくても、ボクは責任を感じてしまうんだ」

 諭すようなアイの言葉に、まどかは俯き口を結んだ。

 たしかにそうかもしれない。もしもまどかが逆の立場なら、それこそ命を懸けてでも責任を取ろうとするだろう。一度きりの奇跡を他人の為に使うというのは、それだけ重い意味を持つ。それを考えると、やはりまどかは軽率だったのだろう。憧ればかりが先走って、他の部分が見えていなかったのだ。

 途端に気分が重くなり、まどかの視線はますます下を向く。

「だから約束しよう」

 真綿で包んだような声が耳に届き、まどかはアイの顔を窺った。
 青白いアイの相貌には、慈愛の色が満ちている。

「約束……?」
「そう、約束だ」

 自らの右手を掲げ、アイは小指を立てた。その意味に気付けないほど、まどかは鈍くない。

「魔法少女についてもっと勉強すること。家族や友達との関係をちゃんと考えること。そして魔法少女になっても、絶対に後悔しないと覚悟すること。この三つの条件を満たせたと自信を持って言えるようになったら、もう一度ボクと話し合おう。それまでは、ボクがキミの願いを予約した状態という事でよろしく」

 言って、アイは右目を閉じてウインクする。とても小さな彼女は、だけどお姉さんみたいだとまどかは思った。
 まどかの心に安堵感が満ちていき、徐々にその表情が和らいでいく。

「……はい。わかりました」
「よしっ。それじゃ、指切りしよう」

 頷き、まどかは自分から小指を絡ませる。
 アイもまた、嬉しそうに頷いた。

「ゆーびきーりげーんまん」
「うーそつーいたら」
「はーりせーんぼんのーます」

『ゆーびきった』

 腕を振って指を切り、二人は互いに笑みを零す。とても真面目な話をしているはずなのに、そうとは思えないほど温かな気持ちになって、なんだか可笑しくなったのだ。知らず響いた笑い声は二人分で、どちらも明るいものだった。

「いいね。こういうのって、凄くいい」

 噛み締めるように呟き、それからアイはまどかを見た。

「頑張ってね。応援してるから」
「はい! 絶対にアイさんを治してみせますね」

 そうしてまた、二人は笑い合った。


 ◆


「それじゃ、マミ達を呼んできてもらえるかな? 休憩所は廊下を左に進んだ突き当たりにあるから」
「はい、わかりました。すぐに呼んできますね」

 どこか吹っ切れた顔で立ち上がり、まどかは病室を出て行った。その姿を見送ったアイは、背中からベッドに倒れ込んだ。見慣れた天井を眺めながら、彼女は息を吐く。そこには隠していた疲れが滲み出ていた。

 まどかと交わした約束について、アイは後悔していない。まどかの性格を考えればかなりの時間を要するだろうし、約束があれば衝動的に奇跡を叶えようとする可能性は低くなる。何か特別な事情で奇跡が必要となった時でも、アイに話を通そうとするはずだ。またいずれアイを治すという約束があれば、マミも新たに魔法少女を増やそうとはしないだろう。

 そう、これで状況はアイの望むものに近付いた。あとでほむらに話す必要はあるが、彼女も起こる事は無いだろう。

「でもなぁ……」

 額を手で覆い、アイが息を吐く。

 アイはまどかに共感していた。無力感に苛まれる気持ちも、誰かの役に立ちたいと焦がれる気持ちも、アイは嫌と言うほど知っている。だからまどかを応援したいという言葉は、あながち嘘とも言い切れない。もちろんまどかが魔法少女になる事などあってはならないが、何か力になれる事があればと、アイは思わずにはいられなかった。

「ま、悪い事じゃないんだけどね」

 色々と気を揉む事になりそうだと苦笑し、アイは体を起こした。

「――――?」

 違和感。何かが可笑しいと、アイは首を傾げる。

 見慣れた部屋の内装だというのに、アイはそこに引っ掛かりを覚えた。天井はいつも通りで、本棚にも変わりは無く、床の上も普段と同じだ。そうして順に室内を見回していったアイは、扉に辿り着いた所で目を止めた。僅かに扉が開いている。いや、閉まり切っていないのだろうか。とにかくそこには隙間があった。

 放っておいてもゆっくり閉まるはずなのに、とアイは首を傾げながら立ち上がる。そうして扉を閉めようと部屋の半ばまで歩いた辺りで、彼女は思わず足を止めた。扉の向こうに人が居る。僅かな隙間から覗く景色を見て、アイはその事実に気付いた。それが誰なのかをアイが考えるよりも先に、彼女の視界にある物が映る。ハンチング帽。それをいつも被っている人物を、アイはよく知っていた。

 大きく目を見開き、アイは唇をわななかせた。音も無く扉が開かれる。しかしアイの耳には、不気味な足音が聞こえた気がした。

 現れたのは、一人の女の子。少し前にアイと友達になった、年下の女の子。目深にハンチング帽を被った彼女は俯いたままで、その表情は窺えない。ただ彼女の纏う空気は、明らかに周りのそれとは異なっていた。

 どうしてここに居るのだろうか。いつからそこに居たのだろうか。それはアイには分からない。これっぽっちも分からない。でも、分かる事もある。たった一つだけ、アイにも分かる。まどかと自分が”何を”話していたのか、アイは泣きたくなるほど理解していた。

 舌が痺れて動かない。足が震えて動かない。まるで自分の体じゃないみたいに、アイの体は言う事を聞いてくれなかった。

 女の子が、顔を上げる。涙の流れる頬が見えた。血の滲んだ唇が見えた。言葉は無くとも、目元が見えずとも、そこにはありったけの感情が籠められていた。諸刃のような、激情だった。

 ゆっくりと。本当にゆっくりと、女の子の唇が開かれる。

「――――――嘘つき」

 たぶん、何より鋭い言葉だった。




 -To be continued-


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