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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』
Name: ひず◆9f000e5d ID:12349ee8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/23 00:00
「鹿目まどか、ね。その鹿目さんは友達なのかな?」

 尋ねるアイの顔には好奇の色が表れている。だがそれも、刹那の後には消え失せた。ほむらの様子に気付いた為だ。感情が抜け落ちたかの如き氷の表情。アイを見詰める彼女の瞳は、心の底から冷えきっていた。

 喉を鳴らし、アイは知らず拳を握る。

「昔、彼女に助けられた事があるの。それだけよ」

 冷淡にほむらが告げる。おそらく全てを語っている訳ではないとアイは感じたが、追求する事は出来なかった。ほむらの纏う雰囲気が拒絶していたという理由もあるし、なんとなくシンパシーを覚えてしまったからでもある。友人の為に頑張る自分と、恩人の為に頑張るほむら。それで良いとアイは思った。感情の見えないキュゥべえよりも、ほむらの方がずっと信用出来ると考えたのだ。

「なるほど。それなら仕方ないね」

 アイの言葉は、所詮はお茶濁しに過ぎないかもしれない。それでもアイは、掴んだほむらの手を放したくなかった。きっと味方で、たぶん仲間で、それはおそらく、アイが望んでいた存在だ。だから彼女の心の隙間が、ほむらを受け入れたがっていた。

 自嘲混じりの苦笑い。誤魔化すように紅茶を飲んで、アイは次の話題をほむらに振った。

「さてと。それじゃ話を煮詰めていこうか。そうだね、まずはキュゥべえの目的を聞かせてよ」
「……そうね。あなたには色々と知ってもらう必要があるわ」

 ホッと息をついたのは、はたして二人の内のどちらだったか。俄かに部屋の空気が和らぎ、アイ達の表情にも余裕が生まれる。対面に座る相手を真っ直ぐに見据えて、彼女らは再び話し合いの姿勢を取った。

「正直に言えば、キュゥべえの目的自体は悪ではないわ」
「うんうん。納得はできるよ。悪役笑いとか似合わないし」

 おどけた風にアイが笑えば、ほむらも頷いて同意を示す。

「でも、私達にとっては最大の障害よ」
「それもわかる。で、キュゥべえはなにをしたいの?」

 会話が止まったのは一瞬だけ。目蓋を下ろしたほむらが、静かに告げる。

「宇宙の延命」
「……宇宙の延命?」

 鸚鵡返しにアイが尋ねれば、ほむらはコクリと頷いた。

「ええ。エントロピーを知ってるかしら?」
「エントロピー? エネルギーの話とかで出てくる?」
「それよ。そのエントロピーで合ってるわ」

 ふむ、とアイが腕を組む。別に詳しい訳ではないが、アイは何度か物理系の本でエントロピーという言葉を見た覚えがある。それらの記憶を掘り起こしてみれば、おぼろげにほむらの言いたい事が分かった。

 一つ頷き、アイは思い出した知識を口にする。

「エントロピーが増大すれば、利用可能なエネルギーが減少する。今この瞬間も宇宙のエントロピーは増加し続けていて、いずれ利用できるエネルギーは枯れ果ててしまう。宇宙の最終状態として予想される『熱的死』という考えだね。宇宙の延命が目的という事は、つまりこれに関係しているのかな?」
「その通りよ。感情によるエネルギーはエントロピーに左右されない。だから彼らは、宇宙の寿命を延ばす為に集めてるの」

 ほむらの言いたい事は、アイもおおよそ理解出来る。宇宙のエネルギー問題を解決する為に、従来の法則に縛られない特殊なエネルギーが必要になった。そうして探し求めた結果が、感情をエネルギーに変換するという方法なのだろう。細かな理屈は抜きにして、アイはそういう事だと受け入れた。そもそも理屈を考える事が馬鹿らしいと思った、という面もある。

 おそらくキュゥべえ達の種族は、人類よりも遥かに進歩した文明を持っているのだろう。何より彼らは、人類の科学技術についても正確に把握しているはずだ。そんな彼らが導いた結論を覆す事は、地球人類には不可能に等しい。たとえ最先端の考えであろうと、キュゥべえ達にとってはまだまだ発展途上に過ぎないのだから。もしも覆せる出来る人間が居たとしても、それは絵本アイではない。

「うん、なるほど。たしかにキュゥべえは悪じゃない。こんな銀河の片田舎に住まう生命を犠牲にするだけで宇宙全体の寿命が延びるなら、それは正義と言ってもいいと思うよ。少なくとも理解はできる。たとえ熱的死が、途方も無いほど未来の話だとしてもね」
「そうね。私もその目的を否定しようとまでは思わないわ」

 でも、とほむらの呟き。紫の瞳が、黒い瞳と視線を交わす。
 言葉は無く、アイはただ頷いた。それだけで言いたい事は伝わった。

「私達には私達の正義がある」

 微笑み、アイは胸元に手を置いた。

「ボクはマミを助けたい。キミは鹿目さんを助けたい。その為にはお互いの協力が必要だ」

 薄紅色の唇から漏れた声は、とても穏やかなものだった。子守唄にも似た響きを持つそれが、部屋の隅々まで染み渡る。ほむらは目を逸らす事無くアイを見ていた。静かに、真剣に、彼女はアイの言葉を待っていた。

「ボクはキミの正義に味方する。キミはボクの正義に味方する」

 細い指先が、アイの鎖骨を軽く叩く。次いでほむらを指差した。

「ボクらはボクらの、正義の味方だ」

 告げるアイの表情は、凪いだ湖面のように思えた。対するほむらは何も言わない。アイを見詰めたまま、彼女は氷の彫像の如く動かない。しかしよく見れば分かる。ほむらの口元は、僅かに綻んでいた。それに気付いて目を丸くするアイの前に、ほむらが右手を差し出した。

「よろしくお願いするわ」
「うんっ。こちらこそよろしく頼むよ」

 声を弾ませ、アイがほむらの手を握る。どちらも小さな手だったが、そこに籠められた力は強かった。掴んだ縁を放したくないとばかりに固く結ばれた握手は、二人の心の表れだろう。それが分かるのか、彼女らは互いに顔から力を抜いた。俄かに和らいだ空気の中で、彼女達は握手をほどく。そうしてまず、アイの方が話し始めた。

「それじゃ、ほむらちゃんにちょっと相談」
「なにかしら?」

 アイが目を瞑る。一瞬の空白の後に、彼女は口を開いた。

「ボクが奇跡を願い、マミを普通の少女に戻したとする。その場合、キミにとって不都合は?」
「――――ッ」

 空気が震えた。ほむらの驚きが辺りに伝わり、途端に緊張感が増していく。その中でほむらは、半端に口を開いたままアイを凝視していた。何かを言いたげに唇を動かしても、彼女の声が響く事は無い。対するアイは動く事無く、ただジッとほむらの言葉を待っている。そうして何度か口を開いた後、ほむらは自らの唇を噛み締めた。

「……ダメよ。絶対にダメ」
「どうして? キュゥべえに保証はもらったぜ」

 コクリと、ほむらの喉が鳴らされる。

「たとえ上手くいっても、今度は巴マミが同じ事をするかもしれない」
「そうだね。その可能性はある。でも挑戦してみる価値はあると思ってる」

 ほむらは、すぐには返事をしなかった。膝に乗せた手を握り締め、彼女は肩を震わせている。その表情は硬い。明らかな逡巡を見え隠れさせる彼女は、暫し沈黙を貫き、やがて力無く呟いた。

「……あなたは弱い」
「うん。知ってる」

 頷くアイを見詰めて、ほむらが言葉を継ぐ。

「およそ一月後に『ワルプルギスの夜』が現れるわ」
「ワルプルギスの夜?」
「災害級――――いえ、災害そのものの魔女よ」

 緊張の滲むほむらの声。そこには恐れとも怒りとも取れる何かが籠められていた。薄い風船に限界まで空気を吹き込んだ時のように、今にも何かが溢れ出してきそうな危うさを、ほむらの空気は孕んでいる。

「竜巻同士がぶつかり合って大きくなるように、魔女の波動が合わさって成長した集合魔女。それがワルプルギスの夜よ。歴史にも語られる超弩級の大型魔女で、場合によっては数千人規模の犠牲者を覚悟する必要があるわ」

 震えそうになるのを無理に抑え付けているような硬い声。それを紡ぐほむらの表情も、決して穏やかとは言えない。一方でほむらの語った内容を聞いたアイは、怪訝そうに眉根を寄せた。

「魔女の被害で数千人?」
「弱い魔女は結界に隠れる。だからその被害も、大規模に膨れ上がる事は無い」

 ほむらの言葉が、アイの胸にストンと落ちる。

「つまり、隠れる必要が無いほど強大だということ?」
「そういう事よ。一般人に魔女の姿は認識できないけど、スーパーセルを引き起こして災厄を撒き散らすの。事によっては、見滝原は瓦礫の山へと姿を変えるわ」

 どこまでも真剣なほむらの声音は、とても嘘を言っているようには思えなかった。個人的な心情を差し引いても、きっと真実なのだろうとアイは受け入れる。同時に想像もつかないほど強大な魔女の存在に、アイは知らず震えてしまう。

 強がるように、アイは努めて明るく言葉を発した。

「そのワルプルギスの夜に対抗する為に、マミの力が必要なわけだ」
「ええ。色々と不安な点はあるけど、彼女の実力は本物よ」

 迷いの無い肯定に、アイは無言で拳を握り締めた。
 結局は力だ。絵本アイには力が無いから、他人に任せる事しか出来ない。

「ほむらちゃんの能力って、未来予知なの?」

 不意にアイが問い掛ける。ほむらを疑いたくはないが、その情報の信憑性は知りたかった。たとえこの問いを肯定されてもアイに確認する術は無いが、それでもほむらを信じるには十分だ。

「似たようなものよ」
「そっか」

 短い応答。

 残念だと思うと同時に、アイはちょっとだけ安心していた。あまりに広がり過ぎたこの問題を、今のまま終わらせていいはずがない。何か別の解決法を考え出さなければ、きっと悲しい結末が待っているだろう。でも、アイは弱いから。絵本アイは、とても弱い人間だから。目の前にマミを助ける手段があるなら、誘惑に負けてしまうかもれない。だからほむらの話は、アイにとってもありがたかった。

「……うん、わかった。キミの方針に従うよ」

 ただそれでも、アイはほむらを直視する事が出来なかった。


 ◆


 あれから更にほむらと話を煮詰めたアイは、半ば以上も日が沈み、街並みが朱に染まり切った頃に病院まで戻ってきた。自動ドアを潜り、空調の行き届いたロビーに足を踏み入れた所で、アイは安堵の息を吐く。もはや自分の家にも等しいこの場所は、彼女にとって一つの拠り所になっていた。顔馴染みの看護師さんに帰院を告げたアイは、そのまま疲れた足取りでエレベーターを目指す。

 廊下は静かだった。多くの人が無闇に騒ぐ事無く、一定の秩序に従って行動している。誰かの足音すら存在感を持つそんな空間が、アイは好きだった。というよりも、病院で長い時を過ごしてきたアイにとって、外の喧騒はうるさ過ぎるのだ。だから落ち着かないし安らげない。たまに出掛けるくらいなら良いが、それを日常としたくはない。そんな事を考えながら、アイは通路を進んでいく。

「嘘つきッ!!」

 頭の芯まで響く甲高い叫び声。思わず耳を塞いだアイは、その発生源へと顔を向けた。そこに居たのは女の子だ。目深に被ったハンチング帽から明るい茶髪を覗かせた彼女は、周りの大人に向けて凄い剣幕で当たり散らしていた。

「もう大丈夫って、心配無いって言ったじゃない!」

 続く女の子の言葉も、やはり強烈。周り全てが敵といった形相で、彼女は声を張り上げている。

 何があったのか、という事はアイにも想像がつく。ここは病院で、女の子はおそらく患者だ。病人に理不尽が降り掛かる事など、ここでは日常茶飯事だった。それ以上に救われる者は多いが、だからと言って救われない者が報われる訳ではない。周りに感情をぶつけたい気持ちはアイも理解できるし、少なからず共感出来る。

 とはいえ、アイには関係の無い事だ。すぐさま興味を失った彼女は、止めていた歩みを再開した。

「先生もお母さんもマミさんも! みんなみんな嘘つきだッ!!」

 反射的にアイの足が止まる。耳に慣れ過ぎた友達の名前。たとえ赤の他人の話だったとしても、アイはそれを拾わずにはいられなかった。アイが再び女の子の方を見遣れば、こちらに走ってくる女の子が視界に映る。

「どいて!」
「――っとと」

 進路上のアイを押し退けて、女の子は荒々しい足取りで歩き去る。その背中を黙って見送ったアイは、残された大人達の方を振り返った。女の子の母親と思われる女性に、担当医と思わしき男性、そして困った様子の看護師数名。その中に見知った看護師さんの顔を見付けたアイは、彼女に向けて小さく手招きする。すぐにあちらも気付いたようで、断りを入れた後にアイの方に寄ってきた。

「おかえりなさい、アイちゃん。なにか用かしら?」
「ただいまです。それで、ですね。今の女の子はどうしたんですか?」

 素直にアイが答えれば、看護師さんは気まずそうに目を逸らした。

「もしかして、さっきの聞いちゃった?」
「いえ、大事なトコはさっぱり。というか、どうして通路で?」
「初めは中で話してたのよ。けど、途中であの子が逃げ出しちゃってね」

 追い付いた所で宥めようとしたら先程のようになったのだと、看護師さんは嘆息する。

「なるほど。あの子の病気について教えてもらえますか?」
「う~ん。デリケートな話だし、あまり無関係な人に話すのはちょっと」
「そこをなんとか! なんなら気の利いた言葉であの子を宥めてきますから」

 頬に手を当てて渋る看護師さんに対し、アイが拝むように両手を合わせる。

 単なる興味本位だった。別人だとは分かっていても、アイにとってマミという名前は特別だ。だからつい気になってしまい、一度でも気に掛け始めたら、今度は無視出来なくなった。ここで会ったのも何かの縁。そう思い、彼女はちょっとばかしお節介を焼いてみるのも良いかという気になっていた。

「……そうねぇ。あなたはここに来て長いし、下手な事は言わないわよね。ちょっとは関係もあるし」

 担当医が女の子の母親と話している姿を確認した看護師さんが、声を控えて呟いた。

「関係あるんですか?」
「あの子、癌患者なのよ」

 なるほど、とアイは納得した。癌はアイにとっても身近な病気の一つだ。アイ自身が癌を患っている訳ではないが、彼女の病気が引き起こす合併症の一つとして、発癌の可能性が心配されていた。だからたしかに、関係があると言えばある。しかしそれがこじつけ同然という事もまた、一つの事実である。要はそれだけ対応に困っているのだと、アイは理解した。

「かなりマズい感じですか?」
「えっとね。すぐに命の危険があるとか、そういうわけじゃないのよ」

 奥歯に物の挟まったような看護師さんの物言い。薹が立ち始めた面立ちに憂いの色を浮かべ、彼女は溜め息を吐き出した。いまいち要領を得ないと、アイの頭上に疑問符が浮かぶ。そんな彼女に対し、看護師さんは困ったように苦笑した。

「彼女、二ヶ月前に退院したのよ」
「えっ?」

 不思議そうにするアイから視線を外した看護師さんが、遠くを見て目を細めた。

「あの時は大騒ぎだったのよねぇ。ほとんど治る見込みが無かったはずなのに、いきなり治ったって騒ぎ出すんだもの。それで調べてみたらほんとに治ってるんだから、先生も腰を抜かしそうなくらい驚いてたわ」
「いきなり……?」
「えぇ。朝起きたらいきなり。話には聞いた事あったけど、奇跡って本当にあるみたい」

 しみじみと語る看護師さんとは違い、アイの表情は硬かった。アイにとっては心当たりがあり過ぎる話だ。いつの間にか随分と身近になった奇跡という単語が、彼女の頭の中で警鐘を鳴らしている。こうなると女の子が口にした『マミ』という名前も、アイの知る彼女という事になるのかもしれない。知らず、アイの眉根に皺が寄っていく。

「そんな経緯だから入念に検査したのよ。それで異常が見付からなくて先生も太鼓判を押したんだけど、今度は別の所に出来たみたいでね。まだ治ったばかりだし、かなりショックだったと思うのよ。だからさっきも……」

 看護師さんが痛ましそうに目を伏せる。だが今のアイには、気の利いた言葉を掛ける事は出来なかった。

 奇跡が叶ったと喜んでいた少女に、絶望が降り掛かる。そんな話を、アイはつい先ほど聞いてきたばかりだ。ますますもって怪しく、アイとしては無視出来る状況ではない。やはり首を突っ込んで正解だったと思うと同時に、次から次へと問題が見付かる現状に、彼女は嫌気が差してきた。それでもアイは足を止める事は出来ないし、行動せずにはいられない。

「わかりました。ちょっとあの子と話してみます。気持ちはわからなくもないですし」
「お願いね。今は同じ患者さんの方が、彼女も気を許してくれると思うから。根は素直で良い子なのよ。だから私達も戸惑っちゃって」

 少し表情を明るくした看護師さんにお辞儀して、アイはすぐにその場を後にした。女の子がどこに向かったのかは知らないし、この辺りはアイの普段の行動範囲から外れている。見付かるかどうかはまさしく運次第だが、不思議とアイに不安は無かった。まるで何かに導かれるかのように、彼女は迷い無く通路を進んでいく。

 予感があった。必ず女の子に会えると、アイの直感が告げていた。適当な角で曲がり、適当な階段を上る。人に尋ねる事もせず、気の向くままにアイは歩き続ける。無謀とも無思慮とも言えるその行動は、ほどなくして正しい事が証明された。

 アイが足を止めた場所は、病院の敷地内でも端の方にある休憩所だ。西日が射し込むその場所で、女の子は独り佇んでいた。時間帯の所為か他に人影は見当たらない。オレンジ色の世界で沈む夕日を眺める女の子は、何者も寄せ付けない雰囲気を発していた。弱気ではなく強気。怯えではなく怒り。初めて会った時のマミとはまるで違うのに、何故かアイには、二人の姿が重なって見えた。

 なんて話し掛けようか。そんな事をアイが悩んだのは、僅かな時間だけだった。悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女は、心の中で先程の看護師さんに謝った後、おもむろに真面目な顔を作る。それからゆっくりと、アイは口を開いた。

「なんて言うかさ、不幸だよね」

 意識的に低く発した、アイの第一声。それが聞こえたのか、女の子がゆっくりと振り返る。拍子に見えたその左手には、黒文字が刻まれた銀の指輪。諦めとも悲しみとも取れる溜め息を、アイはひっそりと漏らした。

「……誰?」
「少女です」

 訝しむ女の子に、アイは笑って応答する。途端に女の子は顔を顰めた。苛立ちを隠す事無く、彼女はアイを睨み付ける。

「今は子供に付き合ってあげれる気分じゃないの。あっち行って」
「おいおい酷いなぁ。これでも中学三年生なんだぜ」

 おどけた調子でアイが肩を竦めれば、女の子は疑わしげに眉根を寄せた。当然の反応だろう。成長期に入ってもまるで伸びる気配を見せないアイの身長は、未だに百四十センチにすら届いていない。顔立ちはそれなりに成長が見て取れるものの、やはり小学生と言われた方が納得出来る。そんな自分の容姿を自覚しながらも、アイは恥じる事は無いと胸を張っていた。

「ごめんなさい」

 暫く見詰め合った後、女の子がポツリと呟く。驚いたアイが目を丸くすれば、直後に女の子は嘆息した。

「これで良いでしょ? ほら、さっさと消えてよ」

 投げ遣りな態度で言い捨てて、女の子はアイに背を向ける。明らかな拒絶がそこにはあった。空気を通して伝わる女の子の意思。口を噤むに十分なそれを感じても、アイは欠片も気にしない。大袈裟な手振りで腕を広げた彼女は、能天気そうな声を上げた。

「そうはいかない。看護師さんにキミの話を聞いてるからね」
「それで? わたしを慰めて、とでも言われたの?」

 あからさまに不愉快そうな表情を浮かべる女の子が、突き放すような声音で告げる。

「いやいやボクの目的はそうじゃない。むしろ正反対と言ってもいい」

 アイが首を振って答えれば、女の子は微かに肩を震わせた。興味を惹かれたのか、ハンチング帽のつば先がアイの方へと向けられる。影に隠れた目元から送られる視線を受けたアイは、にっこりと微笑んだ。邪気の無い、子供そのものの笑顔だった。

「慰めてもらいに来ました」

 沈黙の帳が降りる。空気を介して伝わる女の子の戸惑い。それを感じ取ったアイは笑みを深めた。言葉を探すように目線を下げた女の子にゆっくりと歩み寄りながら、アイは軽い調子で話し始める。

「ボクってさぁ、とっても不幸な奴なんだよ」

 近くを歩き回るアイを、女の子が視線で追う。後ろ手を組んだアイは、素知らぬ態度で言葉を続けた。

「ここに入院してから九年も経ってるんだぜ。人生の半分以上が病院暮らしとか笑っちゃうだろ?」

 息を呑む女の子から離れ、アイは窓へと近付いた。真っ赤な日射しが射し込む窓ガラスには、顔を上げた女の子が映っている。その面立ちは判然としないが、驚いている事はよく分かった。女の子から見えない位置で、アイの口元が弧を描く。

「碌に運動もできないし、早死にするって言われるし、ほん――――っと、ボクって不幸だ」

 天井を仰いだアイの言葉が、休憩所に響き渡る。女の子の応答は無かった。アイの小さな背中に視線を突き刺し、彼女はグッと押し黙っている。それを指摘する事無く、気にする事無く、アイは演説でもするかのように滔々と語り続ける。

「そんな可愛そうなボクだからさ、周りも心配してくれるんだよ。優しくしてくれるんだよ。可愛そうな子だねって顔してさぁ、善人面して寄ってくるわけ。で、みんな同じ事を口にするの。一山いくらって感じの安っぽい言葉をね」

 アイが鼻で笑う。どこか大事な糸が切れたみたいに、力の無い表情だった。

「うぜぇ」

 短く、低く、アイの声が通り抜ける。

「――――って、思わない?」

 振り返り、アイは女の子に笑い掛けた。細い肩を跳ねさせ、女の子が目を逸らす。先程までの威勢は消え失せ、今はただ、アイの雰囲気に呑まれているだけだ。それで良いし、それが良い。僅かに目を細め、アイは視線で女の子を射抜く。

「訳知り顔で『大丈夫?』とか『辛くない?』とか、そんな事を聞くなよ。もちろん大丈夫じゃないし辛いに決まってる。なんで人の傷口を抉るような真似するんだよ。こっちを泣かせたいのかよ。泣いてるトコを憐れみたいのかよ。愛玩動物かなにかかよ」

 止まらない休まない。忙しなく動くアイの唇から、呪詛のように低い声が吐き出される。

「あれはダメこれはダメって取り上げといて、なにがしたいとか聞いてくるなよ。困るんだよ。ほんとにやりたい事はやれないんだよ。言い出せないんだよ。自分はなにもできない奴なんだって、思い知らされるんだよ」

 そこで言葉が止まる。唐突に生まれた空白の中で、アイは女の子をジッと見据えた。居心地悪そうに女の子が身をよじる。それでもアイは視線を外す事無く、彼女を見続けた。やがて十秒ほど経った頃に、アイは満足そうに頷いた。

「でも笑顔で答えちゃう。物分かりのいいフリしてヘラヘラ笑うのさ。しかたないよね? だってそうしなきゃ、同情されるしかない無能なヤツが、同情を受け取る事すらできないクズになるんだから」

 クルリと身を翻し、アイは再び窓の外を見た。既に太陽の姿は消え、街は夜の装いへと変わろうとしている。闇色に塗り潰された街並みに人口の光が煌めいていた。そしてより鮮明に窓ガラスに映された女の子に向けて、アイはさも親しげに話し掛ける。

「キミもそう思わない? 人の気も知らないで勝手な事を言うなよって、思ったりしない?」

 女の子は固く口を結んでいる。いかにも不機嫌そうな顔をして、アイの背中を睨んでいる。そこに好意は無く、敵意だけが明確に滲んでいて、場の空気を剣呑としたものへと変えていた。それでもアイは平気な顔をして、窓越しに女の子へと笑い掛けている。その態度が気に入らないのか、女の子はますます眉間の皺を深くしていく。

「――――っさいなぁ」

 低く、唸るような声が辺りに響く。発したのは女の子だ。
 アイが悠然と振り向けば、女の子は猛然と口を開く。

「黙って聞いてればわけのわからない事をゴチャゴチャと! 不幸自慢ならよそでして!!」

 目を吊り上げて叫ぶ女の子は苛烈そのものだ。その頬は紅潮し、唇は怒りで歪んでいる。

「わけがわからない? 本当に? だったらキミは、とても良い子なんだね」
「――ッ。もういい!」

 真っ赤な顔を背けた女の子が、肩を怒らせて歩き去る。遠ざかるその背中を静かに見送ったアイは、暫くして肩を竦めた。口元に刻むのは苦笑。そこに後悔の色は読み取れないが、僅かな不安は滲んでいた。

「さて、どうなる事やら」

 小さなアイの呟きが、誰も居ない空間に溶けていった。


 ◆


 絵本アイは背が低い。女の子という事を考えても、アイの身長はとても低い。それは彼女と同じ病気を患う人によく見られる傾向で、故に仕方の無い事だと諦めもついていた。でもだからと言って、まったく気にしていない訳ではない。表面的には平気そうにしていても、他人の目が無い所では、少しばかり隠した心が表に出る。

「ん、っと。あと……ちょっと」

 本棚に寄り掛かりながらつま先立ちをしたアイが、震える指先を上へと伸ばす。その先には彼女の求める本がある。指の爪がカリカリと背表紙を引っ掻くが、肝心の本は一ミリも動かない。あと少し。もう少し。そう思ってアイは、踏み台も梯子も使おうとはしなかった。単なる意地だ。なんとしても自力で取ってやると、アイは更につま先に力を入れた。

「あっ」

 不意にアイの視界に手が映る。白衣の袖から伸びるそれは、大きくてゴツゴツした、大人の男性のそれだ。その手は、アイの見ている前で目当ての本を抜き取っていった。思わずアイの目が本を追う。

「ほら、この本だろ?」

 右手に本を持った雅人が、上からアイを見下ろしていた。精悍な顔に笑みを刻んだ彼が、手にした本をゆっくりと下ろす。反射的にアイはそれを受け取った。しかしすぐに彼女は、不満そうに口を結ぶ。

「どうかしたか?」
「……なんでもない」

 雅人から目線を外し、アイは渡された本を見る。もうずっと前に読み終えた、けれど未だに所蔵している本だった。お気に入りの本という訳ではない。ただ必要な知識が載っていると思ったから、アイは残しているのだ。

 軽く息を吐き、アイはその場で本を開いた。

「で、なんの本なんだ?」
「ただの医学書だよ」

 好奇に彩られた雅人の問いに答えながら、アイはページを捲っていく。もう随分と前に読んだ本だったが、意外とアイの記憶に残っている事柄は多い。暫く流し読みをしていた彼女は、やがて目的の項目を見付けて手を止めた。白い指を文字に這わせ、アイは普段の何倍も時間を掛けて読んでいく。

「なにか調べたい事があるのか?」
「んー、ちょっと癌についてね」

 特に意識せず答えた後、アイはしまったと顔を上げる。
 慌ててアイが振り返るのと、雅人の大声が響くのは、ほとんど同時だった。

「癌ッ!? お前、まさか――――」
「ちがうちがう! ボクじゃないから!」

 両手を振ってアイが否定する。拍子に本が落ちたが、今の彼女には気にしている余裕は無い。そして二人は見詰め合う。疑わしそうな目を向けてくる雅人に対し、アイは必死に目で訴えた。この辺り、日頃の信用がものを言う。

「――――だったら、いいんだけどな」

 たっぷり一分はアイを観察した後、雅人はようやく納得したようだった。ホッと息をつき、アイは落ちた本を拾う。大雑把に本を開いて、彼女は先程のページを探し始めた。そんな彼女に、再び雅人が問い掛ける。

「それで、どうして癌の事なんか調べてるんだ?」
「新しく知り合った子が癌患者なんだよ」

 雅人が唸る。居心地悪そうに頬を掻く伯父を気にした風も無く、アイは話を続けた。

「二ヶ月前に退院した子なんだけど知ってる? 奇跡みたいに急に治ったらしいよ」
「あぁ、そういえば少し前に院内で話題になったな。その子がどうかしたのか?」
「新しく別の所に癌が出来たみたいで、また入院するんだって」

 眉間に皺を刻み、雅人は顔を顰めた。たしかに気分の良い話ではないだろう。それにはアイも同意するし、あの女の子に同情する気持ちもある。ただ今の彼女にとって重要なのは、あの女の子が絶望するか否かだ。

 癌になったからと言って、必ずしも悲惨な結末になるとは限らない。しかしあの女の子は魔法少女で、ほむらの言葉を信じれば、必ずよくない事が起きるはずなのだ。それを考えると、アイはどうしても暗い気持ちにならざるを得ない。無理に奇跡を起こせば、その揺り返しで悲劇が起きる。それは道理に適っているように思えるが、だからと言って納得出来るかどうかは別の話だ。

「…………オジさんはさ。奇跡で助かる人って、どう思う?」
「奇跡でもなんでも、患者が助かるならそれ以上の事は無いだろう」

 特に悩みもせず言い切る雅人に、そっか、とアイは短く返事した。雅人の答えはもっともな内容だったが、アイとしてはなんとも言えない気分だ。奇跡なんて。ついそんな言葉が浮かんでしまうのは、彼女を取り巻く状況の所為だろう。

「とはいえ、医者としては奇跡をただ喜ぶ訳にはいかないんだがな。結局は医者の手に負えなかったという事だ」
「おぉ、なんかカッコいいこと言ってるね」
「茶化すな。そもそも俺は、言うほど立派じゃない」

 そう言って雅人は、アイの頭に手を乗せる。

「お前に奇跡が起これば良いのにって、みっともなく願ってる」

 深い響きを持つ、思い遣りに満ちた言葉だった。温かな雅人の視線がアイに注がれる。だから彼女は、頭に乗った手を払い除ける事も出来ず、青白い頬を色付かせて俯いてしまった。ボソボソと、アイはらしくもなく小さな声で返事する。

「……もうっ。ボクだから良いけど、患者さんの前でそんなこと言わないでよ」
「お前の伯父としての言葉だ。見逃せ」

 アイは黙って頷いた。なんと言えばいいのか分からなかったからだ。

 初めてマミから魔法少女について聞いた時、アイは奇跡で健康になりたいと思わなかった訳ではない。それでも他人の為に奇跡を使おうと思ったのは、彼女自身の意地の為だ。自分の為に、アイは他人を助けたいと考えたのである。

 たしかに色々と知った今となっては、あの頃の選択は正しかったと言えるかもしれない。だがこうして自分を心配してくれる言葉に触れると、アイは時折ひどく悲しくなるのだ。みんなを笑顔に出来る力なんて無い癖に、ついそれを願いたくなってしまう。結局のところ絵本アイという人間は、他人の目を気にせずにはいられないのだろう。

 あの女の子はどうなのだろうか。大人しく頭を撫でられながら、アイは会ったばかりの女の子の事を考えるのだった。


 ◆


「はい、これで準備完了。基本的には前と同じだから勝手はわかるわね?」
「……大丈夫です」
「よろしい。暫くしたら先生が来られると思うから、ちゃんと良い子にしてるのよ」

 柔和な笑みを浮かべた看護師さんが病室を出ていく。その背中を黙って見送った彼女は、やがて室内をグルリと見回した後に、盛大な溜め息を吐き出した。白い壁に白い天井、そして簡素な白いベッド。見慣れているようで、見慣れない内装。およそ二月の時を経て、彼女はこの牢獄のような場所に戻ってきた。

 久し振りに着た入院着の襟元を掴み、苦々しげに顔を歪める彼女。そこには怒りも悲しみも籠められていた。

 彼女の体には、今、とても悪いモノが宿っている。癌と呼ばれるそれは、少し前に彼女の中から消えたはずのモノだった。素敵な女性が、不思議な生き物と一緒に現れて、奇跡を起こしてくれたのだ。だからこの二ヶ月、彼女は健康だった。もう大丈夫だと、誰もが笑顔で言ってくれた。でも、なら、どうして自分はここに居るのだろうと、彼女は不思議でしょうがない。

 早期に見付かったから、今度はすぐに治る。また元の生活に戻れる。医者はそう言ってくれたが、彼女はちっとも信じていなかった。魔法でも駄目だったのだ。普通の医療でも何が起きるか分かったものではないと、彼女は考えていた。

 魔法。そう、魔法だ。彼女は二ヶ月半ほど前に、奇跡によって健康な体を手に入れた。その代わりに彼女は魔法少女となり、社会を裏から守る為に魔女という化け物を倒してきたのである。怖くはなかった。巴マミという先輩が一緒だったから。辛くもなかった。感謝の気持ちがあったから。

「でも……もう、いいよね」

 魔法少女は、もうお仕舞い。病院から抜け出すのは面倒だし、何より今の彼女は、他人の為に頑張る気にはなれなかった。少し前からマミとは別行動するようになったので、咎められる事も無いだろう。

 左手の中指に嵌めた指輪を撫で、彼女は黙って目を閉じる。

 退院してからの二ヶ月は、彼女にとって楽しい時間だった。久し振りに自由に歩き回った街中はそれだけで心が躍ったし、何より大好きなチーズを食べられるようになった事が大きい。抗癌剤治療中は、摂取が好ましくない食品が幾つかある。その中にチーズといった発酵食品も含まれていて、以前の彼女はとても不満に思っていた。だから退院後に初めてチーズを食べた時は、思わず泣いてしまったほどだ。

 彼女はマミに、そしてキュゥべえに感謝している。楽しい時間は嘘ではなかったのだから。でも同時に、彼女はもうマミ達を信じていない。幸せな時間は、結局まやかしに過ぎなかったが故に。

 新たに癌が見付かったのが一昨日の日曜日。たったの二日で、彼女はこの牢獄に連れ戻されたのだ。元々不自然な所があっただけに、病院側としても思う所があったのだろう。ただあまりに急過ぎる変化は、楽しい時間は幻なのだと言われているようで、彼女にとっては辛かった。

「もぅやだ……」

 呟き、彼女はベッドに倒れ込む。拍子に帽子が取れそうになったが、彼女は右手で押さえてそれを防ぐ。それから仰向けになった彼女は、首を動かして窓の外に視線を移した。彼女の目に映るのは、見覚えの無い風景だ。かつて入院していた時とは異なる病室。僅かにでも目新しさがある事は、少しだけ彼女の心を慰めてくれた。

 だがきっと、彼女の生活は変わらない。以前と同じでつまらない日々が続くのだろう。周りの大人に気を遣って、言いたい事も言えない毎日。やりたい事もやれない日常。自分の為に生きているのではなく、他人の為に生かされているような、そんな生活が始まるのだ。

 ふと彼女の脳裏をよぎったのは、二日前に会った少女のこと。頭の可笑しな少女だった。どう見ても小学生にしか見えない外見で中三だと言い張り、勝手に不幸自慢を始める始末。最後まで何を言いたいのか分からなかったし、もう二度と関わり合いになりたくないと思っている。でも少女の言葉は、たしかに彼女も共感する部分があった。そうだねと、心の中では呟いていた。

 あの少女とは、もう会いたくない。絶対に会いたくない。そう思う一方で、彼女は少女の事が気になって仕方なかった。理解出来なくて、納得出来なくて、だからこそ気に掛かる。完全に理解出来ないなら気味が悪いだけだった。ちゃんと納得出来たなら、それはそれで心の奥に仕舞えたはずだ。けど実際にはそうではなくて、中途半端だからこそ、胸の裡に居座ってしまう。

 一昨日は怒りに任せて逃げるように離れたが、そのお蔭で彼女の頭が冷えた部分はあった。結局あの後は母達の下に戻った彼女だが、流石に当たり散らす事は出来なかったのだ。そういった事情もある所為で、彼女は少女を忘れる事が出来ないでいた。

「ああ、もうっ」

 苛立ちを募らせた彼女が、不機嫌そうに身を起こす。気を紛らわせようと、彼女は部屋の中を歩き始めた。

 少女は入院していると言っていた。つまり再会する可能性は十分にあるという事だ。それを思うと、彼女はなんとも言えない気分になる。喜びは無い。それだけは絶対に無い。だが嫌な気持ちなのかと言うと、それもまた違う。落ち着きたいのに、考えれば考えるほど、彼女の中で収拾がつかなくなっていく。

「ん?」

 不意に耳を揺らすノックの音。足を止めた彼女は、扉の方を見て応答する。間を置かず扉が開かれ、小さな影が侵入してくる。その影の正体を認識した瞬間、彼女は大きく目を見開いた。震える指先で侵入者を指し、彼女は間抜けた感じにポカンと口を開けている。

「やっほー。二日ぶりだね」

 やけに親しげに話し掛けてくる侵入者は、彼女が二日前に会った少女だった。私服だったあの時とは違い入院着ではあるが、青白い顔も、小学生にしか見えない容貌も、間違いなく一昨日に見た少女のものだ。

 なんで。どうして。急な事態に思考が追い付かず、彼女は呆然と少女を見続ける事しか出来なかった。

「やー、看護師さんから入院の予定を聞いてね。ちょうど空き時間みたいでよかったよ」

 少女が遠慮無く部屋の中を進んでくる。二日前と同じように、他人との距離感をまるで気にしない無遠慮な態度。胸の奥に不快感を覚え、彼女はようやく気を取り直す事が出来た。そうして現状を理解すれば、今度は彼女の中に苛立ちが生まれてくる。

「なんでここに居るの!」
「だから看護師さんに聞いたんだって」

 皮肉げな片笑みを刻んだ少女が、右手で髪を掻き上げる。格好付けた子供そのもので、まるでサマになっていないが、不思議と愛嬌だけはある。彼女の方も、ちょっぴり毒気を抜かれてしまった。

「それよりさ、看護師さんにボクの事を聞いたりしてくれた?」

 笑顔で尋ねてくる少女は、可愛い見た目に反して非常に鬱陶しい。応じる彼女の態度も、自然と素っ気無いものになる。

「するわけないでしょ」
「あらら。そりゃ残念」

 少女が肩を竦める。いっそわざとなのかと思うくらい、その動作は癪に障るものだ。彼女の眉は徐々に角度を増していき、その頬も赤みを増していく。だがそんな彼女の様子を綺麗に無視して、少女は友達同士の雑談みたいに気楽な態度だ。

「ま、そんな事は置いといて! はい、これどうぞ」

 少女の白い手が、彼女の手を握る。手の平に返る感触で、彼女は何かを渡された事に気付く。彼女が訳も分からず疑問符を浮かべていると、少女はあっという間に離れて行った。そしてそのまま、少女は扉の前まで移動する。

「じゃ、待ってるからねー」

 バイバイと手を振って、少女が病室を出て行った。まるで夕立のような去り際だ。最後まで状況に置いていかれた感の否めない彼女は、先ほど渡された何かを確認する。それは白い紙に桃色の花があしらわれた、一枚のメッセージカードだった。

「招待状?」

 大きく書かれた丸文字を読み上げた彼女は、不思議そうに首を傾げる事しか出来なかった。


 ◆


「……なんで来ちゃったんだろ」

 とある病室の前に立った彼女は、そう呟いて自らの手元を見る。そこには一枚のメッセージカードがあった、白い紙を基調に桃色の花があしらわれたそれは、数時間前に彼女がとある少女から渡されたものだ。書いてある内容はお茶会への招待状。そこに示された場所と時間に従い、彼女はこの病室までやって来た訳である。

「絵本アイ、か」

 病室番号をメッセージカードに書かれたものと比べた彼女は、次いでその入院者の名前を確認する。

 絵本アイ。自分を招待した少女の名前を、彼女は初めて知った。この絵本アイという少女について、彼女は誰にも尋ねていない。看護師の中に知っている者が居る事は分かっていたが、あえて教えて貰おうとはしなかった。関わり合いになりたくなかったからだ。だというのに、彼女は何故かこの場所に立っている。その理由は、彼女自身にも分からなかった。

 大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。それから彼女は、緊張と共に扉をノックした。どうぞ、とすぐに答えが返ってくる。聞き覚えのあるそれに表情を硬くしながらも、彼女は素直に扉を開いた。

「あっ」

 まず彼女の視界に飛び込んできたのは、見た事ないほど豪華な内装の病室だった。彼女の病室の倍以上は広く、床には絨毯が敷いてあり、天井には綺麗な模様が描かれている。そのどれもが眩しく感じられて、何より壁を覆い尽くしそうな本棚は圧巻と言うほかなかった。

 彼女の病室と比べれば、まさしく別世界といった風情の豪奢な個室。その中に見知った人影を見付けた彼女は、気を取り直して足を踏み出した。窓際に置かれたテーブルの傍に立つ少女を目指し、彼女は絨毯の上を歩いて行く。

「いらっしゃい。来てくれて嬉しいよ」

 二日前に彼女と出会った少女、絵本アイが歓迎の言葉を口にする。笑顔で椅子を引くアイの入院着を見て、それもまた特別な物だと彼女は思った。藍色の生地に白い花を散りばめたそれは浴衣のようで、明らかに彼女の貸し出し品とは異なっている。

「すぐに準備するから、ちょっと待っててね」

 促されるままに彼女が着席すると、アイは部屋の中に幾つかある扉の内の一つに入って行った。それをぼんやりと見送った彼女は、自分はどうしてここに居るのだろうと、改めて考える。

 初め、彼女は招待状に従うつもりはなかった。特に会いたい理由も無かったし、検査の所為で空き時間は少ないと思ったからだ。なのに彼女はこうして、アイの病室を訪れている。たしかに検査は予想以上に早く終わった。母は先生との話があるとかで、病室に彼女一人だったというのも事実だ。しかしそれがここに来た理由にならない事は、誰よりも彼女自身がよく理解していた。

 本当に不思議な事だが、気付いた時には、彼女はこの病室に向かっていたのだ。

「お待たせしました。本日のメニューはこちらになります」

 妙に畏まった口調に引き戻され、彼女は思考を中断した。見れば戻ってきたアイがお盆を持って佇んでいる。彼女の視線に気付いたアイは柔らかく微笑み、お盆に乗せた物を置き始めた。まずはコーヒーで満たされたカップが、次にアイスクリームの乗せられたお皿が置かれる。どちらも二人分あり、彼女の前とその対面に用意された。

「それじゃ、始めようか」

 彼女の対面に座ったアイがにこやかに言う。妙に親しげなその態度は、彼女の中に根付いた絵本アイという人物像そのものだ。慣れと言うよりも諦めに近い感情が、彼女の胸に生まれようとしていた。そうしてアイを受け入れ始めれば、彼女にも会話に気を回す余裕が出来てくる。何を話そうかと考えた彼女は、まず最初に浮かんだ疑問を口にした。

「あなたって、もしかしてお金持ち?」
「うん、そうだね。一般家庭よりは余裕があると思うよ」

 カップに口を付けながらアイが答える。能天気そうで、お気楽そうで、悩みが無さそうな顔をしていた。それがなんだかムカついて、彼女の口調は自然と厳しいものになってしまう。

「ふぅん。だから常識知らずなんだ」
「おいおい酷いこと言うなよ。それは偏見ってヤツだぜ」

 非難するようなアイの言葉は、しかし穏やかな口調で話された。

「ボクはただ、ずっと入院してるから物を知らないだけさ」

 思わず彼女は言葉に詰まる。だがすぐに彼女は、拗ねたように口を結んだ。

「だからって人を不快にさせて良いわけない」
「そりゃそうだ。でもそれは今のキミだって同じだろ?」
「それは、そうだけど……」

 言葉を止めた彼女は、ジト目で対面のアイを見据えた。
 頭に被ったハンチング帽のつばを引き、彼女はそっと目元を隠す。

「あなたには謝りたくない」

 口を尖らせて彼女が答える。彼女自身もよく理解していないが、それは紛れも無く本心から出た言葉だった。負けたような気がするから、アイには謝りたくない。まさに子供の意地そのものだが、彼女はそう思ったのだ。

 不意にアイの笑い声が響く。コロコロと鈴を転がしたような、耳が擽ったくなる音だった。

「……なに笑ってるの?」
「いや、だって楽しくない?」

 愛らしく小首を傾げてアイが答える。

「誰かに酷い事を言えるのって、素敵な事だと思うんだよ」

 彼女は珍獣を見るような目でアイを見た。やっぱり頭が可笑しい子なんだと、彼女は憐れみを乗せた視線をアイに送るが、当の本人はまるで気にした様子が無い。正面から彼女を見返すアイは、涼しげな笑みと共に言葉を紡いだ。

「だってボクらみたいなのが酷い事を言うとさ、みんな悲しい顔をするだろ? 可愛そうな子を見る目で、ごめんなさいって無言で訴えてくるんだ。それって辛いじゃないか。心が苦しくなって、なにも言えなくなるじゃないか」

 語るアイの表情は、とても静かなものだった。聞いている彼女の表情は、どこか苦しそうなものだった。

 覚えがある。アイの話に、彼女はとても覚えがある。二日前に彼女が癇癪を起した時などがまさにそうだ。彼女が戻った時には、母も先生も申し訳なさそうな顔をしていて、それに気付いてしまえば、もう怒る事は出来なかった。我慢我慢で我慢の連続。それが彼女のいつも通りで、昔からの性分だ。

「だから、さ。遠慮の要らない関係って素敵なんだ」

 そうかもしれない。思わず心の中で同意してしまった彼女は、同時にこの部屋を訪れた理由が分かった気がした。怒っていい相手。彼女にとっての絵本アイは、そういう存在だ。好きになれない相手だけど、気に食わない相手だけど、対等に扱える相手でもある。それはたぶん、彼女が求めている何かだった。

「きっとボクらは、良い友達になれると思うよ」

 綺麗な顔で、綺麗な声で、アイが告げる。

「…………」

 何も言わず、彼女はアイスを口に運んだ。
 冷たいそれは、だけど甘くて、とても美味しかった。




 -To be continued-


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