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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #005 『まだ大丈夫』
Name: ひず◆9f000e5d ID:12349ee8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/06/19 20:17
「――――いらねぇよ」

 低い声が部屋に響く。アイの白い手を払い除け、杏子は瞳に苛立ちを滲ませた。

「誤魔化しはいらねぇ。慰めもいらねぇ。同情だって求めてねぇ」

 握り締めた拳を震わせ、杏子が正面からアイを睨む。憤怒とも決意とも取れる強い意志が、今の杏子からは感じられる。アイは知らず息を呑み、杏子の顔を見詰めていた。そこにあるのは純粋な驚きだ。

 杏子は弱かった。魔法少女としては実力者なのだとしても、彼女の心は隙だらけだった。罅割れていて、揺れ動いていて、そこに入り込むのは簡単そうだとアイは感じていた。しかし現実に訪れた結果はそうではなく、アイの差し伸べた手は、こうして跳ね除けられている。

 アイにとっては予想外の展開だ。けれど彼女に落胆は無く、むしろ感嘆にも似た感情を抱いていた。

「言ったはずだよ。ケリをつけに来たって」

 鋭い視線に射抜かれたアイが、その口端を吊り上げる。

「いいね。意地を通すヤツは大好きだぜ」

 大仰に腕を広げたアイが告げれば、杏子は気に食わなそうに鼻を鳴らす。二人の間に流れる空気は決して穏やかではないが、それでも一触即発とはならない。絶妙な均衡を保ったまま、彼女らは相手の真意を探っていた。

 先に動いたのは杏子だ。彼女は感情を抑えた声音で言い捨てる。

「あんたの本音を教えなよ。アタシはそれを聞きに来たんだ」
「もちろんだとも。キミが本気で望むなら、ボクは全力で答えよう」

 胡散臭そうにアイを見据え、けれど杏子は何も言わない。顎をしゃくり、彼女は続きを促した。それにアイは頷きで応える。不純物の無い笑顔を浮かべ、彼女はテーブルに肘をついて両手を組んだ。

「ボクの本心を言わせてもらえば、キミは逃げてるように見える。初めから、根本から、全てからね」

 杏子の目付きがキツくなる。剣呑とした気配が漂い、奇妙な圧迫感が辺りを包む。それでもアイは動じなかった。暖簾に腕押しといった風に受け流し、白いかんばせに余裕を刻む。そうして話し始めた彼女の口調は、随分と落ち着いたものだった。

「キミの掲げる主義は良いと思うよ。自分のツケは自分で払う。シンプルで、わかりやすくて、とても素晴らしい考えだ。それを目指す事は決して悪じゃないし、非難されるべきじゃない。問題はその主義がなんの為に使われるのか、という事さ」

 目蓋を閉じ、開く。それからアイは、対面の杏子を瞳に映した。

「キミは自分で全てを背負うと言うけどさ、それってつまり、他人を遮断するって事だろう? だったらキミの罪の重さは、一体誰が決めるのか。これが根本の問題点だ。もしも自分で罪の重さを決めると言うのなら、それが正当な価値観に基づいたものかどうかが重要になる。千円の商品に百円を払っても、支払いは済まないからね。だからまずは、その点について考えてほしい」

 アイが問えば、杏子は名状し難い顔で応えた。口元を真一文字に結び、指先をテーブルに這わせる。そんな落ち着きの無い様子で考え込む杏子を眺めながら、アイは組んだ手に顎を乗せた。それから彼女は、もったいぶった口調で問い掛ける。

「どう思った? キミの考える罪の重さは、他人の考えるものと同じかな?」

 杏子の応えは無い。彼女はジッと押し黙り、腹の奥に何かを押し込めたような表情でアイを見据えている。

「人間っていうのはさ、自分に甘いんだ。どんなに厳格な人だって、辛い時には甘くなる。仕方無いよね、それが生き物ってもんさ。だから他人を締め出したキミは、どうしたって自分に甘くなりやすいはずなんだ」

 このジュースみたいに。持ち上げたコップを軽く揺らして、アイは頬を歪めながらそう言った。杏子の眉が微かに動く。だがやはり彼女は口を閉じたままで、静かにアイの言葉を待っている。そんな杏子を眺めるアイの目が、チェシャ猫のように弧を描いた。

「とはいえ、キミって意外と真面目だよね。本気で好き勝手に生きようとするなら、そもそも自業自得なんて言葉すら要らない。責任なんて放り出せばいいんだからね。けどキミはそうしなかった。ちゃんと自分で受け止めようとした。そこは立派だと思うよ」

 したり顔でアイが頷いても、杏子はちっとも嬉しそうではない。まるでつれない彼女に対し、アイは肩を竦めた。

「だから。そう、だからボクは、キミの生き方に誠実さと弱さを感じるよ。無責任を嫌う誠実さ。過ちを受け止めきれない弱さ。その二つがキミの根源だと思ってる。過去の罪から目を背けながらも、自分は責任ある生き方をしてるんだって誤魔化してるんじゃないかな?」

 アイが目で問えば、返ってきたのは黙殺だ。腕を組んで目蓋を下ろした杏子は、思考の海に沈んでいるようだった。
 会話が途切れ、二人の間に静寂が訪れる。そのまま暫し、時が流れた。

「――――――質問が一つ」

 不意に響く杏子の声。目を開けた杏子が、正面からアイと視線を交わす。

「今の言葉は、あんたの本心?」
「もちろん。ボクの感じた通りを話したよ」

 そう、とだけ杏子が呟く。再び瞑目した彼女は、深く息を吐き出した。

「自業自得」

 ただ一言。静かな声で杏子が告げる。芯の通ったそれは耳心地がよく、アイは自然と聞き入っていた。今の杏子は落ち着いていて、微かな苛立ちすら見られない。十分に自分を律したその姿に、知らずアイは吐息を漏らす。

「自業自得が、アタシの生き方だ。あんたの言葉が真実かどうかは知らない。でもあんたがそう受け取ったって言うのなら、アタシはそれを受け止めなきゃらならない。ちゃんと考えて、自分で答えを出さなきゃいけない。今日はそう決めてここに来たんだ」

 目蓋を上げた杏子が、小豆色の瞳にアイを映す。

「昔のアタシは馬鹿だった。そんな奴が出した答えが、間違ってないはずないんだよね」

 杏子が疲れたように苦笑する。弱々しくも、決意と覚悟を宿した顔だった。
 次いで杏子は立ち上がる。アイを見下ろす彼女の表情は、憑き物が落ちたように和らいでいた。

「あんたはいけ好かないけど、ちょっとだけスッキリしたよ。ありがとね」

 真っ黒な目を真ん丸にしたアイを見て、杏子が低く笑う。どこか意地の悪いその姿は、けれどアイが見た中で一番魅力的だった。年相応の女の子みたいな快活さを漂わせ、杏子は軽い足取りで歩き出す。その小さな背中を、アイは何も言えずに見送る事しか出来なかった。

「そうそう会いたかないけど、機会がありゃ美味いモン持って見舞いに来てやるよ」

 背を向けたまま手を振って、杏子は最後にそう告げる。そして彼女は去って行った。振り返る事無く扉を潜り、緑の背中が見えなくなる。そうして再び一人になった病室の中で、アイはポツリと呟いた。

「格好良いなぁ」

 暫く病室の入口を眺めていたアイは、やがて首を振って片笑みを浮かべた。

「ま、ボクとしてはマミみたいに可愛い方が好みなんだけどね」

 普段と変わらぬ調子で独りごち、アイが肩を竦める。コップに残っていたリンゴジュースを飲み干し、彼女は口元を拭った。小さく吐息を漏らした後、天井を仰ぐ。それからアイは、寂しげに微笑を浮かべた。

「会いたいよ……」

 たとえ杏子の悩みが解決したとしても、アイとマミの問題が消える訳ではない。ちょっとした気分転換にはなっても、アイの胸には未だに不安が燻ぶっていた。このまま会えないのではないか、喧嘩したまま終わるのではないか、そんな思いが彼女の心を曇らせる。

 どんなに頭がよくて口が上手くても、アイには絶望的に力が無い。だから問題の解決手段も限られる。その事を諦めと共に受け入れているアイだが、こういう時には、やはり悔しさを覚えずにはいられなかった。もっと力があれば、別の方法を提案出来るのかもしれない。益体も無い考えだとは思いつつも、アイはそんな妄念を捨て切れなかった。

 花の髪飾りを手で覆い、瞑目する。そのままアイは、冷たい静寂に身を委ねた。

「ん?」

 唐突に響くノックの音。今度は誰だろうかと、アイが不思議そうに扉を見遣る。直後、アイの返事を待たずして扉が開かれた。

「――――えっ?」

 アイの表情が固まる。大きく口を開け、彼女は訪問者を呆然と見詰めていた。黒い瞳が見開かれ、薄紅の唇が細かく震える。アイの顔には信じられないと書いてあり、けれど彼女は目に映る人物に確信を抱いていた。アイが彼女を見間違えるなど、絶対に有り得ないのだから。

「ひさしぶりね、アイ」

 巴マミが、そこに居た。アイの見慣れた制服姿で、彼女は病室の入り口に佇んでいる。

 反射的に立ち上がったアイは、しかし踏み出そうとした足を止めてしまった。青白い相貌に浮かぶのは戸惑い。伸ばし掛けた手は、半端に宙を泳いでいた。今のマミは、何故か嬉しそうに微笑んでいる。優しく、柔らかく、憂いの欠片も感じ取れない表情。それはたしかに良い事なのだが、最後にアイが会った時とは正反対で、どうしても違和感を覚えてしまう。

 何かが可笑しい。それは分かっても、アイにはその原因が分からなかった。あれだけ意見の対立を見せていたマミが、半月ほど会わなかっただけで綺麗に怒りを治めている。しかも相手であるアイと言葉を交わす事無く。そんな事があってたまるかと、アイはすぐにでも叫びたい気持ちだった。この状況は、あまりに不自然過ぎる。

 得も言われぬ雰囲気に呑まれ、アイは喉を鳴らした。

「えっと、マミ……だよね?」

 途端にマミの顔が曇る。眉尻が下がり、蜂蜜色の瞳が潤む。

「あ、いや! そうじゃなくてね。どうしてそんなに機嫌がいいのかと思ってさ」

 慌ててアイが弁解すれば、マミの表情も和らいだ。再び微笑を浮かべ、マミはゆっくりとした足取りでアイの方に歩み寄ってくる。アイは動かない。否、動けない。未だに状況に理解が追い付かず、彼女はマミを凝視したまま硬直していた。

 二人の距離が縮まる。いつもの距離に、二年間で築き上げた距離に近付いていく。しかしアイは違和感を覚えずにはいられない。二年間の付き合いがある。絆がある。なのに今のマミから感じる繋がりはとても弱くて、頼りない。だからマミに駆け寄る事も出来ず、どんな言葉を掛ければ良いかも分からず、アイは呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。

 そして二人の距離が、ゼロになる。

「――――ごめんなさい」

 アイが温もりに包まれる。マミの腕の中だった。いきなり豊かな胸に顔を埋める事になったアイは、状況が分からず目を丸くする。そんな彼女の頭をギュッと抱き締め、マミは重ねて謝罪の言葉を降らせてきた。その声は穏やかで、慈しみに満ちていた。

「私が悪かったわ。あなたの気持ちも考えず、自分の気持ちを押し付け過ぎた」
「マミ……?」
「もういいの。誰かの為に奇跡を使いたいなら、私はそれを応援するから」

 耳が溶けてしまいそうな甘い声。マミの発したそれは優しくて、本当に聞き心地がよくて、なのにアイは背筋が震えた。気味悪くて気持ち悪くて、自分の前に居るのは一体誰なのかとアイは怖くなる。マミなのに、マミじゃない。二人の間にどうしようもない認識の齟齬を感じて、だけどその正体を掴めなくて、アイは何も言ないまま抱き締められていた。

「だから、仲直りしましょう?」

 互いの体を離し、だけどアイの腕を掴んだまま、マミが微笑む。それに目を奪われたアイは、訳も分からず頷いていた。

「ありがとう!」

 マミがまたアイを抱き締める。温かなマミの腕の中は、アイにとって最も安らげる場所の一つだ。そのはずだった。でも今のアイは緊張に身を震わせていて、ちっとも安心出来ていない。胸に埋もれたその顔には、只々困惑の色が滲んでいた。

「ねぇ、どうして?」

 アイの呟き。意識してのものではない、ただ心から漏れ出た疑問。

「どうしてボクの意見を認めてくれるの?」

 マミの答えは無い。代わりにアイを抱き締める腕に力を籠めて、彼女は黒髪に頬を寄せた。それが怖くて、恐ろしくて、思わずアイが身を捩る。するとマミが力を緩めたので、アイは反射的に距離を取った。

 可笑しい。この状況は異常だ。どれだけ考えても、アイはその結論しか出せなかった。当然である。どんな言葉で取り繕ったとしても、アイが短命である事に変わりは無い。その延命を諦める選択にマミが賛同する事など、天地が引っ繰り返っても有り得ないと、アイは確信していた。だが現実はそうではなくて、その有り得ない事態が起きている。

 改めて正面からマミを見据え、アイは口を開こうとした。

「――――?」

 奇妙な感覚。不意に違和感を覚えたアイは、問い掛けの寸前で振り返る。そこには何も無いはずだ。精々大きな窓があって、その向こうに街並みが広がっているだけで、特別なものなどあるはずない。でも何故かアイは、そうしなければいけない気がしたのだ。

「ッ!?」

 はたしてそこには”ヤツ”が居た。白い体。赤い瞳。愛らしくも飾り程度にしか使われない口元。もう随分と長くアイの前に現れなかった生き物が、当然の如く窓の外に佇んでいる。相変わらず意思の見えない二つの紅玉で、アイ達を観察していた。

 アイの喉が鳴る。肩が震える。言葉を口にしようとした彼女は、結局、何も言えず立ち竦む事しか出来なかった。


 ◆


「一丁あがりっと。チョロいね」

 魔女が残したグリーフシードを掴み取り、笑みを刻んだ杏子が喋る。肩に槍を担いだ彼女の姿は、紛う事無き魔法少女のものだ。まず目に付くのは小豆色をしたノースリーブの上着。腹部から左右に分かれ、前部の開いた長い裾を持つそれの下には、黒いインナーベストと桃色のスカートが見えた。上着の胸元には菱形の穴が開いており、ソウルジェムが変化した赤い楕円のペンダントが覗いている。羚羊のような足は黒のニーソックスで覆われ、小豆色のブーツを履いていた。

 人足が絶えた小さな公園。少し前に児童の死亡事故で噂になったその場所で、杏子は魔女退治をしていた。
 背の高い時計の足元に立ち、杏子が軽く肩を回して息を吐く。

「歯応え無さ過ぎっしょ」

 咥えていた棒付きキャンディを掴み、その状態を見て杏子が呟く。そこにあるのは強者の余裕だ。

 杏子が二度目にアイと会った日から、既に半年の時が過ぎている。その間、彼女は一度としてアイの下を訪れた事は無い。だがアイの事を忘れた訳ではないし、あの日の会話だって覚えている。この半年、杏子はかつて家族が死んだ時と同じように自分と向き合ってきた。それが彼女の生き方で、それが彼女の覚悟なのだ。世界の中心は自分自身。だからその自分を明確にしようと、杏子は考え続けた。

 しかし半年が経った今でも、杏子は答えを出せていない。というよりも、安易に答えを出す事を恐れていた。自分に対する微かな不信感。それが彼女に二の足を踏ませているのだ。ただ現実というのは可笑しなもので、杏子は以前よりも心が軽くなったように感じていた。きっとアイの存在があるからだろうと、杏子自身は考えている。

 絵本アイは、佐倉杏子の味方ではない。家族でもなければ仲間でもなく、もちろん友達ですらない。だけど絵本アイは、佐倉杏子を知っている。杏子が何者で、何を考え、何をしているのかを理解している。精々が知り合い程度の関係である彼女は、それでも杏子にとって、唯一自分の世界に入り込んだ他人だった。

 だからこそ杏子は、アイの存在に安心感を覚えるのだ。家族が死んで以来、杏子はずっと独りで、他人の目を気にする事無くやってきた。縛られる事の無いその生き方は、同時に彼女の足元が不確かな事を意味する。自分以外の誰かが居るからこそ、自分という存在が明確になるのだ。故に絵本アイという他者の存在は、杏子の足場をより確かなものへと変えていた。

 かつてと比べ、大きく生き方を変えた訳ではない。けれど今の杏子は、以前よりも心に余裕を持っていた。

「にしても奇妙だね」

 再び棒付きキャンディを口に含み、杏子が目を眇める。その瞳に宿るのは疑念だった。

 ここ最近、杏子は魔女との戦闘回数が少なくなっている。つまり魔女の数が減っている訳だが、注目すべきはその原因だろう。近隣の魔法少女が増えているのだ。杏子は色々な街を渡り歩きながら、その先々で魔女を狩る生活をしている。だから自分以外の魔法少女と出くわす事もあるし、他人のシマを荒らす事も少なくない。そんな経験を持つ彼女の目から見て、些か魔法少女の数が多過ぎる。

「つうか固まり過ぎなんだよ」

 ここに居ない誰かに向けた独り言。零した杏子の眉根は、不愉快そうに皺を刻んでいた。

 杏子も詳細は知らないが、魔法少女の数はかなり多い。互いに顔を知らずとも、一つの街を複数人が守っている事も珍しくはない。だから場合によっては杏子が割り込みにくい地域もあるが、どうにも現状は可笑しかった。ある街を中心として、奇妙なほど魔法少女が集中している。彼女らはいがみ合うでもなく、獲物を取り合うでもなく、時には手を組んでまで共存関係を成り立たせていた。

「見滝原市、か……」

 巴マミの管轄であるその街の近辺で、魔法少女が増加している。彼女らは普通の魔法少女とは違う。仲間意識や正義感が強いのだ。杏子も親しげに話し掛けられた経験があり、その時は些か驚いてしまった。

 魔法少女は利己的な者が多い。自己の願いに依って立つ彼女らは、どうしたって自分中心に考えがちだ。何より魔法という特別な力を自由に使う為には、より多くのグリーフシードが必要になる。故に魔法少女にとって同業者はライバルなのだ。もちろん巴マミやかつての杏子のような例外は居るし、親しい者同士でコンビを組むケースも考えられるが、ここまで”お行儀のよい”魔法少女が多いと気味が悪い。

 巴マミが増殖した。杏子の感覚を言葉にするなら、そんな風になるだろう。そう、増えた魔法少女達はマミに似ていた。正義の味方ぶっていて、他人に優しくて、漫画やアニメみたいな理想の魔法少女像とやらを目指しているような奴ら。それは巴マミの在り方に近かった。

「クソッ。考えても仕方無いか」

 舌打ち一つ。変身を解いた杏子が、その場を立ち去ろうと踵を返す。

「あれー? もう終わってるみたいだよ、マミさん」
「そうみたいね。まさか佐倉さんが来てるとは思わなかったわ」

 杏子の足が止まる。背後から聞こえてきた二つの声。彼女はその片方に覚えがあった。巴マミ。杏子が一目置く実力派の魔法少女にして、先程まで彼女が思い浮かべていた人物だ。知らず、杏子の心臓が跳ねていた。

 急ぎ振り返った杏子の視界に、案の定、見知った人影が写り込む。蜂蜜色の髪を左右で巻いた、落ち着いた面立ちの綺麗な少女。巴マミがそこに居る。だが杏子の目を引いたのはその隣だ。マミの横には、杏子の知らない女の子が立っている。目深に被ったハンチング帽の下から明るい茶髪を覗かせた、マミより幾分か年下に見える女の子。手の平に乗せたソウルジェムから、彼女もまた魔法少女だと分かる。

「…………ひさしぶりだね、マミ。悪いけどここの魔女は狩らせてもらったよ」
「かまわないわ。この子に実戦を経験させれなかったのは残念だけど」

 そう言ってマミは、隣に立つ女の子を見遣る。
 女の子はハンチング帽のつばを掴み、そのまま会釈した。

「新人かい?」
「えぇ。少し前に契約したばかりなの」

 答えるマミの表情は穏やかだ。可笑しな事など何も無く、ただ当たり前の事実を話しているような風情だった。それが違和感。巴マミとはこんな人間だったろうかと、杏子は訝しむ。顎に指を添えて暫しの黙考。それから杏子は、小さく頷いた。

「ちょいと二人で話したい。付き合ってもらうよ」
「いいわよ。あなたには話を通しておきたかったしね」

 躊躇い無く誘いに応じたマミは、次いで隣の女の子に話し掛けた。

「そういうわけだから、あなたは先に帰っていてちょうだい」
「はーい。わかりましたぁ」

 元気よく返事をした女の子が走り去っていく。あっという間に小さくなるその影を見送ったマミは、再び杏子の方に顔を向けて微笑んだ。余裕のある態度だった。揺らぎが無く自信を持ったその様は、たしかに杏子が知る魔法少女としてのマミの姿ではある。だが可笑しい。何かが奇妙だと、杏子の勘が告げていた。その一番の要因は、先程の女の子の存在だろう。

 とはいえ、このまま睨み合っていても答えは出ない。そう結論付けた杏子は、おもむろにマミに背を向けた。首を捻り、杏子は背中越しにマミを見遣る。彼女が口にした声は冷たく、相手を突き放したものだった。

「場所を変えるよ。ついてきな」

 杏子が歩き出せば、その後をマミが追う。背中を叩く他人の足音を感じながら、杏子は言い知れない不安を覚えていた。


 ◆


「ここなら誰の邪魔も入らない。存分に内緒話ができるってもんさ」
「……あなた、私に喧嘩を売ってるの?」

 転落防止の鉄柵にもたれた杏子に、マミが鋭い視線を送る。そこには殺意とすら呼べそうなほどの敵意が籠められていた。だが杏子は気にしない。力を抜いて腕を組み、彼女はしょうがないとばかりに苦笑を刻んだ。

「あんたと闘り合うつもりは無いよ。この場所なら腹を割った話ができると思っただけさ」

 現在二人はとあるビルの屋上に立っていた。通常は立ち入り禁止となっているその場所は、杏子の言う通り内緒話にはうってつけだ。ただそれ以上に重要な意味もあった。道路を挟んだ向こう側に、アイが入院中の病院が建っているのである。そして杏子達が居るビルの屋上からは、アイの病室をハッキリと視認する事が出来た。

「たしかに、そうかもしれないわね」

 そうは言っても、マミの気配は和らがない。彼女は苛立ちを隠そうともせずに杏子を睨んでいる。

 そんな落ち着かない様子のマミを見て、杏子は知らず口元を緩めていた。以前もそうであったように、今のマミもアイを大事にしている。変わらないマミの心を感じて、杏子は安心したのだ。それは迷子の果てに、馴染みの道を見付けた時のような感覚だった。

 だが、と杏子は顔を引き締める。新たに取り出した棒付きキャンディを口に咥え、彼女は正面からマミを見据えた。

「最近ここらの魔法少女が増えてる。あんたが一枚噛んでんのかい?」
「そうよ。私が彼女達とキュゥべえの橋渡しをしたの」

 躊躇い無く答えるマミ。まったく悪びれた様子の無い彼女を見て、杏子はピクリと眉を動かした。

「さっきも新人と一緒だったみたいだけど、いちいち面倒見てるわけ?」
「えぇ。十分な実力をつけるまではサポートしてるわ。無闇に死なせてしまったら悪いもの」

 自らの胸元に手を当て、瞑目したマミが答える。そこには後ろ暗さの欠片も感じられず、彼女が本心からその行為に賛同している事が見て取れる。対する杏子は険しい表情を浮かべ、徐々に目付きをキツくしていた。

「フン、なるほどね。増えてただけじゃなく、減ってなかったのか」

 得心がいったと、杏子が詰まらなそうに吐き捨てる。

 魔法少女は命懸けだ。たとえベテランと呼ばれる杏子であろうと、時には魔女との戦いで命を落とし掛ける事がある。そんな魔法少女が最も死に易い時期は、当然ながら新人の頃だ。故にその新人時代にマミの手助けがあるなら、自然と魔法少女の生存率が上がる訳だ。

 またマミの行動は、魔法少女の増加にかなりの拍車を掛けている恐れがあった。マミの仲介で魔法少女になったという事は、つまりその人物も誰かの仲介をする可能性があるという事だ。普通は皆無に等しい可能性だが、実際に自分がされた事なら、同じ事を他人にする人間も居るだろう。そうして連鎖的に仲介していけば、ネズミ算式に魔法少女が増える事になる。現実にはそこまで上手くいかないだろうが、多少なりともそういう魔法少女が出てくるのは不思議ではない。

「状況は理解したけど、理由がわからないね。自分の分け前が減るだけじゃん」
「協力して戦えば、それだけ個人の負担は減るわ。だからグリーフシードの消費も少なくなるの」

 マミらしい綺麗事だと杏子は思った。同時に、誤魔化しだとも。マミの言っている事は魔法少女が増えても困らない理由であって、彼女が魔法少女を増やす理由ではない。たしかに魔女退治の負担が減るという利点はあるが、マミは自分が楽をする為に他人を巻き込むような性格ではないはずだ。つまりマミの目的は他にあるのだと考えられる。

 小豆色の瞳にマミを捉え、杏子は意識して威圧感を放った。

「聞き方が悪かったみたいだね。あんたが魔法少女を増やす理由を聞いてんだよ」
「別に魔法少女を増やしたいわけではないわ。結果的に増えてるだけよ」
「だったらなにが目的なのさ?」
「………………」
「チッ、だんまりかよ」

 杏子が睨んでもマミは怯まない。彼女は屹然とした表情で佇んでおり、その口は固く結ばれていた。力尽くでマミの口を割らせる事は、おそらく杏子の実力では不可能だ。互いにタダでは済まないダメージを負うだけで、杏子は何も得られず終わるだろう。

 とはいえマミがこんな行動を取る理由は一つしかない事を、杏子はちゃんと理解していた。絵本アイ。あの少女の為に違いないと、杏子は確信している。そしてアイの抱える問題と言えば、やはりその病気だろう。杏子が初めてアイと会った時に喧嘩していたように、マミはアイの病気を治したいはずだ。だからこの件もそれと関係している可能性が高いと、杏子は推測する。

「……わかんねぇ。アイの為なんだろ? けどこんな事して、アイツになんの得があるんだよ」
「あなたには関係無い事よ。放っておいて」

 応えたマミの声は低く、杏子に対する敵意に満ちていた。

 途端に攻撃性を増したマミの雰囲気を察した杏子は、やはりアイが関係しているのだと自信を深める。だが、分からない。マミのやりたい事が、杏子はこれっぽっちも分からない。魔法少女の契約を仲介したところで、得があるのはキュゥべえだ。マミにはなんの利益も無い。精々が他の魔法少女とのパイプを作れる事くらいだが、それではアイの病気は治らないだろう。

「魔法少女の増加はどうでもいい。なら用があるのは個人?」

 マミの眉が微かに動く。それを肯定と受け取り、杏子は更に思索を巡らせる。魔法少女は十人十色だ。ソウルジェムの色も服装も、戦い方だってまるで違う。何より大元である願いは、その魔法少女だけのものだ。

「って、あぁ……なるほど。つまりはそういう事ね」

 呟き、頷き、睨む。そして杏子は、自らの考えを口にした。

「あんた、他人の奇跡でアイを治そうとしてるんでしょ」
「…………っ」

 マミの口元が歪む。双眸が苛立ちに染まる。当たりだと、彼女の顔には書いてあった。

 考えてみれば簡単な事だ。アイの体は奇跡でも起こらなければ治らない。そしてマミの奇跡は品切れで、アイは奇跡を自分の為に使う気が無い。ならば残った選択肢は、他人の奇跡に頼るしかない。実に単純で明快な答えだった。

「まだ続けてるって事は、無理強いはしてないのか」
「当然よ。アイに無用な責任を負わせるわけにはいかないわ」
「気の長い話だね。見知らぬ他人の為に奇跡を使うお人好しなんて、そうそう居ないよ?」
「わかってるわ。でも、方法はそれだけじゃないの」

 杏子が怪訝そうにマミを見る。

 他の方法と言われても、杏子には思い当たるものが無かった。それこそ奇跡の腕を持つ無免許医師を漫画の中から引っ張り出してくるとか、そんな馬鹿な考えしか浮かばない。けれどマミの表情には確固たる意志が宿っており、決して眉唾ではない事を物語っている。

「たとえばさっき私と一緒だった女の子。彼女、癌患者だったのよ」

 突然の話にギョッとする。一体なんの話だと、杏子はマミに視線で問うた。しかし彼女の疑念を気にした風も無く、マミは淡々とした口調で語り続けた。ただ事実のみを伝えるような平坦な声が、ビルの谷間に消えていく。

「願った奇跡は健康になること。そしてあの子は元気になった。これでチーズが食べれるって喜んでたわ」
「チーズ好きなんて面白い奴だね。で、なにが言いたい?」

 もったいぶるな。そう威圧を籠めた杏子の視線も、マミは柳に風と受け流す。

「魔法少女の能力は、その祈りによって影響されるの。自分の体を治す事を願ったあの子に、治癒能力が宿ったようにね。あの子の能力では無理だったけど、中にはアイを治せる魔法少女だって存在するかもしれない。私はそれを探してるの」

 マミの話は、杏子にとっても覚えのある事だった。杏子には幻覚と幻惑を操る能力がある。それは父の話を真面目に聞いてくれるよう人の心を惑わせた、彼女の願いに起因するものだろう。もっとも杏子は、その力を長い間使っていない。いや、使えていない。彼女にとって罪の証でしかないそれは、父の死と共に封印されたのだ。

 とはいえ杏子は納得した。どちらも可能性は低いだろうが、その二つの手段で探せば、少なからず希望の芽があるかもしれない。決して馬鹿げた話ではない。しかし不可解な点もある。マミの纏う雰囲気だ。どちらかと言えば明るい話のはずなのに、今の彼女は暗く沈んでいるように感じられた。それが杏子の目には、可笑しく映る。

「……あんた、さっきのガキを嫌ってんの? 話し方が冷たいんだけど」

 僅かな沈黙。後、瞑目したマミが口を開く。その美しい相貌に宿るのは、ある種の諦観だろうか。

「そうじゃないわ。ただ他人の契約を見てると思うのよ。あぁ、奇跡ってこんなに簡単に起きるのね、って」

 杏子は何も言えなかった。マミの感情を理解したからだ。マミは友達の為に奇跡を起こそうとしている。必死に頑張っている。けれどマミの願いは未だに叶わなくて、代わりに彼女の目の前では、他人が当然のように奇跡を叶えて貰っている。それはある種の苦行だろう。仕方が無いとは思っても、やり切れなさは消えないはずだ。

 そうして杏子が黙り込んでいると、今度はマミが問い返してきた。

「それより、あなたの方こそどうしたの?」
「ん? なにがだよ?」
「アッサリし過ぎじゃない? 以前のあなたなら、もっと色々と言ってきたはずよ」

 厳しい視線を送ってくるマミ。それを受けた杏子は、気まずそうに頭に手を置いた。
 小豆色の瞳が彷徨う。思考を巡らせ、言葉を探し、それから杏子は諦めたように息を吐いた。

「あんたとは特に意見が合わなかっただけで、元々他人に興味はねぇよ。それに今は自分探しの最中でね。他人に口出しするのは控えてんのさ。そっちが仲良しこよしでも、どうせアタシは好きにやるしね」

 マミの目付きは変わらない。和らぐ事無く、杏子を睨んでいる。
 心底面倒臭そうに、杏子は肩を竦めた。

「ま、そうだね。ちょっとだけ言わせてもらおうか」

 柵から背を離した杏子が、ゆっくりとした足取りで歩き出す。向かう先にはマミが居て、彼女は警戒した様子で身構えていた。しかし杏子は歩みを止めず、警告の視線も気にせず、マミとの距離を縮めていく。そうして互いの距離がゼロになり、杏子はマミの横で立ち止まる。

「あんたは色んな奴の人生を変えた。なにが返ってきても、ちゃんと受け止めろよ? それが自業自得ってもんだ」

 マミの隣で杏子が囁く。微かにマミの肩が震えたが、杏子は気にしない。そのままマミに背を向けて歩き去り、彼女は屋上の出入り口を目指す。もう話は終わったのだと、その背中が告げていた。

「――――待ちなさい」

 不意にマミの声が届いた。振り返る事無く、杏子が足を止める。

「私は絶対にアイを助ける。それを邪魔すると言うのなら、誰であろうと許さないわ」

 マミの言葉を聞いた杏子が空を仰ぐ。雲一つ無い、暗い所など一つも無い、青一色の快晴だった。

「そうかい」

 ただ、それだけ。続く言葉は何も残さず、杏子は再び歩き始める。今度は、止める声は聞こえなかった。


 ◆


 紙を捲って文字を映し、文を解して紙を捲る。その繰り返し。捲る紙が無くなるまで、同じ行為をただ反復。他人には理解出来ない世界。自分の為だけの世界。その中でアイは、黙々と本を読み進めていく。雑音を排除し雑念を捨て去り、彼女は文字の海に沈んでいた。

 絵本アイにとっての本とは、すなわち世界である。そこには経験があり思想があり知識があり、心と呼べる何かが籠められている。人との触れ合いが限られた環境で育ってきたアイは、本を通して多くの事を学んできた。インターネットを利用しない訳ではない。ただ彼女にとっての情報源とは、まず何よりも本なのだ。だから今回もまた、アイは紙の上から求める情報を探していた。

「――――わからないなぁ」

 読み終わった本を閉じたアイが、天井を仰いで嘆息する。その顔には明確な疲労が滲んでいた。

 アイがキュゥべえとその同胞について調べようと思い立ったのは、今からおよそ七ヶ月前の事だ。杏子の二度目の訪問が終わり、訳も分からずにマミと仲直りしたあの時から、アイはそれまで以上にキュゥべえの腹を探ろうと躍起になった。その為に集めたのが古今東西の歴史書と偉人伝であり、現在、彼女の周りに広がる本の海である。

 キュゥべえ曰く、彼らは遥か昔から人類と共に歩んできたらしい。魔女の存在は決して現代病という訳ではなく、人類は常に歴史の裏であの化け物達と戦ってきたのだと、以前キュゥべえは語っていた。また歴史に名を残した偉人の陰には、多くの魔法少女が存在していたとも言っている。

 だからアイは、様々な偉人の情報を調べたのだ。男女の区別無く時代の区別無く、集められるだけの本を集めて、読めるだけの本を読んでみた。だが、結果は欠片も掠らない。たしかにそれらしい人物は居た。超常の力を持っていたという逸話も今となっては馬鹿に出来ないし、ある時期から唐突に才能が目覚めたという人物も可能性はある。たとえば聖母マリアの処女受胎などは、彼女が魔法少女であったと考えれば十分に説明がつく。神の子を宿すなど、実にそれらしい話ではないか。

「とはいえ考察は面白いけど、確証がないとねぇ」

 苛立ちを紛らわせるように、アイは自らの髪を掻き乱す。

 魔法少女が居たならば、そこにはキュゥべえの仲間も居るはずだ。しかしどれだけ調べても、それらしい記述は見付からなかった。せめて一人でも判明すれば足掛かりとなるのだが、彼らは影も形も感じさせない。

「うぅ~。適当に共通項で分類しようかな」

 絨毯に座り込んだまま、辺りに散らばった本を睨むアイ。眉根を寄せ、彼女は思索を巡らせた。

 キュゥべえ達の事も重要だが、アイにとっては魔法少女の結末も大事だ。それらしい人物を絞り、彼女らの人生を辿れば何か見えてくるものがあるかもしれない。とはいえそれは難しい問題だ。アイの持つ手掛かりと言えば、魔法少女としての特別な力と、二十歳を超えれば魔法の力を失う者が多い事だけ。これだけでは曖昧過ぎるし、本人ではなく周囲の誰かが魔法少女だった可能性も考えられるのだ。

「ああ、もうっ」

 どうにも思考が纏まらず、アイは背中から絨毯に倒れ込む。大の字に寝転んだ彼女は、そのまま右腕で目を覆った。

 キュゥべえの情報が欲しい。奴らの目的が知りたい。そう思って頑張っても成果は上がらず、ただ時間ばかりが過ぎていく。何も出来ない無力感が全身を苛み、アイの心を蝕んでいた。

 アイはキュゥべえを信じていない。魔法少女の行き着く先も、きっと碌なものではないと考えている。だからマミを解放したくて、助けたくて、その為に自分の奇跡を使おうと思っていた。でもアイは未だに実行していない。それは幸せな現状を壊したくないからで、キュゥべえの目的が分からなければ、確実にマミと切り離す事が出来ないからでもある。

 だがいつまでもこのままでは駄目だ。アイはそれをちゃんと理解している。成人を超える魔法少女は少ないと、かつてキュゥべえは教えてくれた。つまりデッドラインは二十歳。多少の余裕も含めて十八歳までには行動に移そうと、アイは考えていた。

「……まだ大丈夫」

 アイの呟き。それはただの言い訳かもしれないけれど、このまま一歩を踏み出せるほど、彼女は強くなかった。

「うわっ、凄い散らかってるし。ちったぁ片付けろよな」

 不意に響いた少女の声。どこか聞き覚えのあるそれに反応して、アイは体を起こした。入り口の方に顔を向ければ、そこには懐かしさすら感じる一人の少女。三度同じ服を着て、佐倉杏子が立っていた。

「やっぱりその服しか持ってないんじゃ――――」
「だからチゲェよ!」

 いつかと同じようなやり取り。目を合わせた二人は、不意に口元を綻ばせた。

「ひさしぶりだね、杏子」
「相変わらずだね、アイ」

 互いに挨拶を交わす。まず動いたのは杏子だ。彼女はアイの方に歩み寄りながら、手に提げた箱を示した。白い直方体に取っ手の付いた、シンプルなデザインの箱。ケーキの箱だと、アイはすぐに気付く。

「約束通り美味いモン持ってきたよ」

 八重歯を覗かせる快活な笑み。楽しそうに見える杏子は、しかし直後に視線を鋭くする。

「それと、マミに関する土産話もね」

 アイが目を丸くしたのは一瞬だ。すぐにいつも通りの表情に戻した彼女は、立ち上がって入院着の裾を払う。それから周囲に散らばる本を見回し、彼女は自らの頭を掻いた。青白い相貌に浮かぶのは色濃い呆れだ。

「我ながら随分と散らかしたもんだね」
「片付けなら自分でやりなよ」
「わかってるさ。まぁ片付けは後でやるとして、コーヒーでも淹れるよ」

 顎で窓際の丸テーブルを示してアイが喋る。それを聞いて杏子は頷いた。

「いいね。美味いコーヒーを頼むよ」
「豆は良いし全自動だから、味はそれなりに保証するよ」

 杏子は丸テーブルに、アイは台所に向かう。暫くすると準備を終えたアイが戻ってきた。お盆を抱えた彼女は、まず互いの席にコーヒーを置いた。次いでフォークの乗った皿だ。そうすればウキウキとした様子で、杏子がケーキの箱を開け始めた。

「ここの店はマジでオススメだよ」
「それは楽しみだね。できれば話の方も、コーヒーに合う甘さだといいんだけど」

 ショートケーキを皿に乗せていく杏子を眺めながら、肘をついたアイが零す。それはアイの本心ではあったが、同時にそうではないだろうという事も、彼女はちゃんと理解していた。

「悪いね。そっちはケーキに合わせて苦めだよ」
「……そっか」

 苦笑する杏子の言葉を受けても、アイは落ち着いていた。物思うように目を瞑り、彼女はゆっくりと息を吐く。少しだけ寂しげに、悲しげに口元を歪めたアイは、暫くして目蓋を上げた。黒い瞳に宿るのは、ある種の覚悟だ。

「さぁ、お茶会を始めよう」

 始まりを告げる明るい声。けれど席に着いた二人の顔は、決して穏やかなものとは言えなかった。


 ◆


「……キュゥべえとの橋渡し、か」

 呻くように呟き、アイが右手で顔を覆う。指の隙間から覗く瞳には、確かな戸惑いが見て取れる。

 杏子が齎した情報は、アイにとって意外なものだった。マミが他の魔法少女とキュゥべえの契約を手助けしている。その目的はアイの体を治す事で、アイの為に奇跡を使ってくれる人か、アイを治せる能力を持った魔法少女を探す為に、マミはそんな事をしているらしい。

「あぁ。実際、馬鹿にできない効果があると思うよ」
「だろうね。得体の知れないナマモノ君より、よほど信憑性があるだろうさ」

 マミは見た目がよく、性格も穏やかで人当たりがよい。広告塔としては一級だろう。何より実際に魔法少女として活動している人間が居るのと居ないのとでは、キュゥべえの話の真実味が大きく変わる。それを思えば、これはマミとキュゥべえの利害が綺麗に一致した形になるのかもしれない。アイにしてみれば、実に不愉快な事だった。

「けどまぁ、意外としか言えないね。魔法少女は危険だって、マミはいつも言ってたのにさ」

 皮肉げな片笑みを刻み、アイが肩を竦める。一見すれば余裕のある彼女だが、その瞳には悲しみが宿っていた。

 魔法少女は命懸けだ。だからアイの寿命について知る前のマミは、彼女が魔法少女になる事には反対していた。よほどの願いと覚悟がない限り絶対になるべきではないと、かつてのマミは言っていたのだ。それなのに今は、積極的にキュゥべえとの契約を勧めているらしい。

「契約した中には命を落とす奴が居るだろうし、好き放題に振る舞い始める奴も出てくるだろうね」

 杏子の声は事務的な響きを孕んでいて、それだけに事実を告げているのだと分かる。アイが丸テーブルの下で拳を震わせれば、杏子が目ざとくそれに気付く。小さく息を吐いた杏子は、カップを手に取りながら言葉を紡ぐ。

「あんたに責任は無いよ。契約した奴の自業自得で、唆したマミの自業自得だ」
「たとえ無責任だとしても、無関係ではないさ」

 アイに責任があるのかと問われれば、それは非常に難しい問題だと言える。しかしアイとマミのいざこざがこの件の発端である事は、誰の目にも明らかだ。だからこそ杏子も、こうして教えに来てくれたのだろう。

「この件について、杏子はどう思ってる?」
「さてね。ま、気分の良い話ではないかな」
「……そっか。そうだよね」

 嘆息したアイが、カップを見詰めたまま首を振る。

「情報提供には感謝するよ。わざわざありがとう」
「かまわないよ。どうせ見舞いついでの土産話だしね」

 フォークでイチゴを刺しながら、ぶっきらぼうに杏子が答える。その冷たさの中に隠し切れない関心を感じ取り、アイは思わず苦笑した。それから彼女は、手にしたカップに口を付ける。暫くコーヒーの香りを楽しんだ後、アイは雑談でもするかのような気軽さで問い掛けた。

「杏子はさ、キュゥべえの事をどう思ってる?」
「キュゥべえ? そうだね…………胡散臭い奴、かな。魔法少女になってからの事でとやかく言うつもりは無いけど、アイツはなに考えてるかわからないからね。敵じゃないけど味方でもない。そんな奴さ」

 目を眇めて言葉を探しながらの、杏子の言葉。その内容に驚きを覚えつつも、アイは嬉しそうに微笑んだ。

「それはよかった。少し長くなるんだけど、今日はボクの話を聞いてくれないかな?」

 組んだ両手の指に顎を乗せ、アイが目を細めて問い掛ける。軽々しい声音でありながら、双眸に宿る光は重々しい。そんな彼女の雰囲気を察してか、杏子の表情が硬くなる。真意を問うようにアイを見据えていた杏子は、やがてゆっくりと頷いた。

「ありがとう」

 柔らかな顔で謝意を伝えたアイは、次いでソッと息を吸った。

 そしてアイの話が始まる。魔法少女は期間限定な事、キュゥべえの言う『手伝い』の事、どうしてもキュゥべえが話そうとしない情報や、これまでにあった不審な行動。キュゥべえに抱いている疑念とその理由を、アイは滔々と語り続けた。杏子は何も言わない。語り部のアイを見詰めながら、彼女は身動ぎ一つせずに耳を傾けている。

 やがてアイが話を終えると、杏子は目を瞑って腕を組んだ。会話が途切れ、沈黙が場を支配する。そのまま時計の針が進んでいった。黙然と思索に耽る杏子と、それを見守るアイ。穏やかでありながらも、確かな緊張を孕んだ空間だった。

「――――その話を信じろって言うのかい?」

 目蓋を上げた杏子が問う。そこに敵意は無いが、友好の色も読み取れない。だがアイは杏子の態度を気にした風も無く、仕方無いとばかりに苦笑した。真意の読み取れない、底の深い表情だった。

「いいや。所詮はボクの推測に過ぎない話だ、信じなくても構わない」
「じゃあなんで聞かせたんだよ?」

 怪訝そうに眉根を寄せる杏子に対し、アイは悪戯っぽい笑みで応えた。

「話さないよりは、話した方が良いと思ったのさ。キミがどれだけ信じたのかは知らないけど、キュゥべえにチクるわけじゃないだろう? そしてキミがキュゥべえを見る目は、これまでとは明らかに変わったはずだ」

 行動力にしろ実行力にしろ、アイよりも杏子の方が上である事は疑いようがない。故に今の話を切っ掛けとして、杏子は必ずキュゥべえに探りを入れるはずだ。アイの推測をすぐに否定しなかった時点で、杏子の心に疑念が生まれた事は確かなのだから。

「……さて、どうだろうね」

 カップに視線を落とした杏子が、小さく呟く。彼女は一気にコーヒーを飲み干し、ケーキを食べ尽くした。それからテーブルに手をついて立ち上がると、杏子は下を向いたまま口を開いた。

「そろそろお暇させてもらうよ」
「そっか。またいつでも来てよ。歓迎するから」

 刹那の沈黙。だがすぐに顔を上げた杏子は、悪戯っ子のように八重歯を覗かせた。

「イヤだね。あんたと話すのは疲れるんだ」

 踵を返し、髪を翻し、杏子は力強い足取りで扉を目指す。その背中を、アイは静かに見送る。小豆色の髪が扉の向こうに吸い込まれ、完全に杏子の気配が消えるまで、アイは身動ぎ一つしなかった。

「……ふぅ」

 杏子が去って暫く経ち、一人だけになった病室で、アイは息を吐いて力を抜いた。椅子の背もたれに体を預け、彼女は一口だけコーヒーを飲む。当然のように苦かった。苦くて苦くて、香りが分からないくらい苦くて、苦いとしか思えなかった。

「あぁ、もう、なんだよこれ」

 カップを握ったままアイが呟く。もちろん彼女の独り言で、応えなんてある訳ない。だけどそれが無性に寂しくて、虚しくて、アイは目頭が熱くなるのを感じた。途端に彼女の視界がボヤけ、鼻の奥がツンとなる。

「くそ、くそっ。意味わかんない。わけわかんない」

 青白い頬を涙が流れる。いくら拭っても止まらなくて、まるで堪えがきかなくて、次から次へと涙が溢れてきた。

 後悔だ。アイの胸を焦がしているのは後悔だ。マミと仲直りした時、彼女は恐れた。キュゥべえが怖くて、理解出来ない状況が怖くて、結局何も言えなかった。その結果がこの事態を招いたのだ。いくら現状が上手く回っているからって、いくら問題が起きていないからって、それで安心するほどアイは楽観的ではない。むしろ自分が関係している事柄に限定すれば、彼女は悲観的ですらある。

 魔法少女なんて碌なモノじゃない。少なくともアイの考えではそうだ。ならばマミが仲介して魔法少女になった人達はどうなるのだろう。彼女達にもしもの事があった時、マミは何を思うのだろう。どんなに頭を絞っても、アイには明るい未来を思い描けそうにはなかった。

 アイは決断すべきだったのだ。行動すべきだったのだ。怖くても、自信が無くても、マミの不審な態度に気付いた時点で思い切って行動に移していれば、ここまで複雑な事態にはならなかった。二人だけの問題で済んだはずなのだ。

 今の自分が出来る全力を尽くすのだと、かつてアイは決意した。
 しかし現実はこのザマだ。みっともなくて、情けなくて、憐れみすら湧いてくる。

「結局ボクは、綺麗事を吐く事しかできないのかよ」

 血を吐くような声。怨嗟を籠めたアイのそれは、彼女自身に向けられたものだ。
 一人ぼっちの病室で、アイは静かに泣き続ける。慰めの言葉なんて、あるはずがなかった。




 -To be continued-


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