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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #004 『もしも奇跡を願うなら』
Name: ひず◆9f000e5d ID:12349ee8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/06/12 21:17
 絵本アイと巴マミ。この二人の少女が出会ってから、二年の月日が流れようとしていた。暖かで柔らかな春も、暑く厳しい夏も、涼やかで穏やかな秋も、寒く辛い冬も、二人は共に過ごしてきた。けれど彼女達の関係は変わらない。雪解けも梅雨も霧も木枯らしも訪れず、二人の友情は、今でも陰る事無く続いている。そして今日もまた、アイはマミの来訪を今か今かと待ち望んでいた。

 窓際に置かれた木製の丸テーブル。その上には二人分のティーセットが用意されており、傍に立つアイが、嬉々とした様子でお茶の準備を進めている。慣れた手付きで道具を出していく彼女は、今にも歌いだしそうなほど上機嫌だった。

 アイの趣味は紅茶だ。一年ほど前からそうなった。切っ掛けはマミの一言。紅茶が好きだと言った彼女の為に、アイは道具を揃え、淹れ方も勉強したのである。もっとも多少は上達したと言っても、その腕前はマミの足元にも及ばない。それでもアイが自分で紅茶を淹れるのは、マミが嬉しそうに飲んでくれるからだ。

「まぁ、絶対に美味しいとは言ってくれないんだけどね」

 苦笑したアイの独り言。いつかは味で驚かせてみせると、彼女は密かに誓っていた。

「さてと、こんなものかな」

 一通りの準備を終え、あとは実際に紅茶を淹れるだけとなった所で、アイは病室の入口を見遣る。まだ扉は開かれないが、彼女の経験上、そろそろマミが来る時間だ。何分後に来るだろうかと、アイはちょっとしたゲーム気分で考えてみた。五分だろうか。七分だろうか。なんの得も無いとは分かっていても、アイは不思議と楽しかった。

 しかしアイの予想から十分が経っても、マミは姿を現さない。既に約束の時間も過ぎている。これは可笑しな事だった。不意に立ち寄った場合はともかく、今日は事前に約束している。それを破るなんて、これまでのマミには無かった事だ。

 魔女と遭遇したのかもしれない。そんな不安をアイが抱き始めた頃、ようやく病室の扉が開かれた。

「アイッ!!」

 音の暴力に等しい第一声。それに殴られたアイは、目を丸くする事しか出来なかった。やって来たマミは瞳を怒りに燃え上がらせ、呆然と立ち尽くすアイに駆け寄ってくる。そしてアイの肩を掴んだかと思うと、彼女はまた怒鳴った。

「どうして私に黙ってたの!」

 眉間に皺を刻んだマミが、アイも初めて見るほどの剣幕で詰め寄ってくる。だがアイには答えようが無かった。そもそもマミが怒っている理由からして分からない。最近の記憶を振り返ってみても思い当たる出来事は無く、彼女は只々困惑しきりだ。

「えっと、マミ? 一体なんの話?」
「あなたの体の事よ! 長く生きられないってどういうことッ!?」

 瞬間、アイの頭が一気に冷えた。即座に状況を理解し、彼女はその不味さに気付く。舌打ちしたい気持ちを抑え、逃げ出したい感情を殺し、アイは必死に考えた。マミをどうやって丸め込むか、それが重要だ。

 二年間アイが隠してきた秘密がバレた。現状を端的に表せばそうなるが、アイにとっては望ましくないどころの話ではない。マミに心配を掛けてしまうのは分かり切っていたし、何より彼女がするであろう提案の内容が、簡単に予想出来たからだ。それはきっと、終わりの無い喧嘩の幕開けになるだろうとアイは確信していた。

 諦めたように嘆息したアイが、肩を掴むマミの手を握る。そのまま彼女は、焦燥に満ちた友達を仰ぎ見た。

「ちょっと落ち着こうか。なにも今すぐの話じゃないんだしさ」
「……わかったわ」

 不満たらたらといった表情で、マミは渋々アイから離れる。少しだけ距離を取ったマミの顔を窺えば、そこには屹然とした決意が宿っていた。いつに無く意思の強そうな蜂蜜色の瞳が、真っ直ぐにアイを射抜く。間を置かず、マミは力強い声を発した。

「アイ、キュゥべえと契約しましょう」
「イヤだ」

 思った通りの提案を、アイは一太刀で切り捨てた。途端にマミの顔が泣き出しそうになる。

「どうして? このままだとあなた、死んじゃうのよ?」
「まだ何年かは大丈夫だよ。運が良ければ成人だってできる」
「全然ダメじゃないっ。ねぇ、お願いだからキュゥべえと契約して。本当に大変な病気なんでしょう?」
「難病ではあるね。あとボクは体が弱いし症状が重いから、他の人より辛い部分はあるかな。今も症状は進行してるしね。とはいえボクは合併症がほとんど無いから、その点で言えば運がいいんだけどさ」

 悲壮さも重苦しさも感じさせないよう、アイは努めて平静に答えてみせた。それでもマミの目には涙が溜まり、肩は小刻みに揺れている。桜色の唇を噛み締めた彼女は、ソッと俯いて顔を隠した。拳を握り締めたまま、マミが押し黙る。

「…………どうして? どうして魔法少女になるのが嫌なの? 魔女からは私が守るわ。なんなら戦わなくたっていい。あなたの分まで私が戦えば、きっとキュゥべえだって何も言わないはずよ」

 暫くして漏れ出たマミの声は、不安と恐怖で一杯だった。垂れた前髪に隠れた顔から、いくつもの雫が零れ落ちる。美しいマミの相貌は、今、悲しみに染まっているのだろう。その事を理解しながらも、アイは宣誓にも似た力強さで答えを返した。

「ボクは自分の為に奇跡を願うつもりは無いよ。これだけは、絶対に譲れない」

 勢いよくマミが顔を上げる。蜂蜜色の目を見開き、彼女は息を呑んでアイを凝視する。だがそれも数秒だけだ。すぐに顔を歪めたマミは、震える唇から罅割れた声を絞り出した。

「どうしてよぉ。私だって、自分の為に……」
「それは別に悪い事じゃないよ。ただボクは、誰かの為に奇跡を使いたいだけ」

 イヤイヤと首を振り、耳を塞いで座り込むマミ。聞き分けの悪い子供そのままといった友達の態度に、アイは困ったように苦笑する。膝をついてマミと目線を合わせたアイが、蜂蜜色の髪に細い指を通す。微かに身動いだマミの手を掴み、アイは優しく耳から離した。すると下を向いていたマミの顔が、正面のアイへと向けられる。

 柔らかな微笑を浮かべ、アイは子供に言い聞かせるように話し始めた。

「マミの気持ちは嬉しいよ。でもボクが誰かの為にできる事って、これくらいしかないからさ」
「そんな事ない! 私はあなたにたくさん――――ッ」

 人差し指を唇に添え、マミの言葉を止めるアイ。穏やかに微笑む彼女は、ゆっくりと首を振った。

「わかってる。それもちゃんと理解してる。でもだからこそ、ボクは人の役に立ちたいんだ」
「だったら体を治してよ! あなたが健康になったら私は嬉しいっ。あなたの伯父さんだって……きっと…………っ」

 アイの胸元に顔を埋め、マミは涙を流して縋りつく。もはや言葉にならない嗚咽を漏らし、只々体を震わせるマミ。その背中を優しく摩りながら、アイは大きく息を吐き出した。天井を仰いだ彼女の表情は、どこか迷子の子供にも似ていた。

「ごめん。やっぱり、これだけは譲れないよ」
「……っ」

 一際大きく体を揺らし、マミは辺りに泣き声を響かせた。アイの入院着を濡らし、耳を打つ。まさに子供そのものといった様子で泣き入るマミに対し、アイは何も言葉を掛けれない。彼女はただ細腕でマミを抱き締め、唇を噛み締め続けていた。


 ◆


「……寝ちゃったか」

 やがて泣き疲れたのか、アイの胸に頬を当てたまま、マミは静かに寝息を立て始めた。艶やかな金髪を梳きながらアイが苦笑する。彼女は絨毯に正座すると、マミの頭を自らの太腿に導いた。そのまま力が抜けたマミの体勢を整え、寝苦しくないようにしてあげる。

「これでよし、と」

 綺麗な膝枕を完成させたアイが、満足げに頷く。しかし泣き腫らしたマミの寝顔が目に入ると、彼女の顔に陰りが生まれた。己の髪飾りに触れ、マミの髪飾りに触れ、それからアイは溜め息を零す。

 問題は何も解決していない。今はマミが眠ってしまったお蔭で余裕が出来たが、起きた後はまた口論だろう。それを思うと、アイの気分も重くなる。普段のマミなら適当に丸め込む自信があるアイも、流石にこの件に関しては説得出来そうになかった。コトはアイの命に関わってくる。親友と呼んでも差し支えないほどの友情を育んできたマミにとっては、到底諦めきれるものではないはずだ。

 そもそも道理はマミにある。アイの主張は、彼女の価値観に基づいた彼女の為にあるもので、他人が理解するのは難しい。キュゥべえとの契約による奇跡は、誰から奪ったものでもない、本当に降って湧いただけの幸運だ。それを自分一人で使う事は悪ではないし、他人に与える義務も無い。アイの境遇を考えるなら、むしろ自分の為に願う方が後腐れも無く妥当だろう。

 だがそれでもアイは、自らの主張を撤回するつもりは無かった。
 眠っているマミの頬を撫で、アイはその決意を新たにする。

「――――――なに辛気臭い顔してんのさ」

 突然の呼び掛け。思いもしなかったその声に、アイは顔を跳ね上げた。急ぎ視線を向けた先には、アイと同年代と思しき一人の少女。緑のパーカーにデニムショートパンツを合わせた彼女は、病室の扉に背を預けていた。少女がいつから居たのかは分からない。ただ、普通の少女ではない事くらいは一般人のアイにも分かる。

「あんたも馬鹿だよね。一度きりの奇跡を他人の為に使おうだなんてさ」

 小豆色の髪を、黒いリボンでポニーテールにした少女。彼女は勝気そうな目でアイを見詰めながら、ゆっくりとした足取りで二人に近付いて来る。アイにとっては見覚えの無い相手だ。滲み出そうになる警戒心を内に押し込め、アイは少女を観察した。

 少女の身長はマミと同じくらいだ。体付きは平均的で、胸はマミと比べたら大人しかった。どこにでも居そうな女の子。そんな印象を抱きそうになったアイは、左手の中指に嵌められた指輪に気付いて目を細めた。黒い文字が刻まれた銀の指輪。さして特殊なデザインに見えないそれがなんなのか、アイは直感的に理解する。そこには少女の喋った言葉も関係していた。

「……そういうキミはなにを願ったのかな? できれば教えてよ、魔法少女さん?」

 少女の歩みが止まる。微かに目を見開いた彼女は、直後に八重歯を剥き出しにして笑った。

「へぇ、察しは悪くなさそうじゃん」
「どうも。それで? 質問の答えは?」

 少女は肩を竦めた。

「他人の願いを聞こうだなんて、随分と野暮な奴だね」
「鏡ならそこにあるけど」

 部屋の一角をアイが指差せば、少女は一瞬だけキョトンとした後、お腹を抱えて笑い出した。小豆色の髪を揺らし、彼女は大きな笑い声を響かせる。いっそ馬鹿みたいに見えるその姿を、アイは冷めた目で眺めていた。アイの小さな手が、マミの耳を優しく覆う。

 暫くしてどうにか笑いを治めた少女は、滲んだ涙を指で拭う。そこで彼女はアイの視線に気付いた。呆れた顔を向けてくるアイに対して、少女は取り繕うように手を合わせる。さして反省した様子も無く、少女は謝罪を口にした。

「ゴメンゴメン。盗み聞きしたのは謝るよ。でもワザとじゃないからね。キュゥべえからマミの”お気に入り”が居るって聞いて、ちょいとツラでも見てやろうと思って来てみたら、あんた達が喧嘩してたのさ」
「なら勝手に入ってこないでよ。せっかくイチャついてたのに」

 嘆息してアイが零せば、少女は楽しそうに手を叩いた。

「ハハッ。あんた面白いね。マミの友達って言うから、もっとお堅い奴だと思ってたよ」
「気に入ってもらえたようで嬉しいよ」

 皮肉げに口元を歪めるアイ。直後、彼女は少女と目を合わせて頬を緩めた。その突然の変化に、少女が固まる。

「ボクは絵本アイ。知っての通りマミの親友だよ。キミの名前も教えてほしいな」
「……ホント、マミとは大違いだね」

 少女の鋭い視線がアイを射抜く。それでもアイは動じない。穏やかな表情を崩す事無く、彼女は少女と見詰め合う。言葉を交わす事無く、目だけで相手を威嚇する。沈黙を友としたその時間を終わらせたのは、小豆色の髪を掻き乱した少女だった。

「佐倉杏子(さくら・きょうこ)だよ。この辺りの街を渡り歩いてる魔法少女さ」
「なるほど、佐倉杏子だね。ウチのマミとの関係は?」
「ちょっとした知り合いってトコかな。ま、獲物を喰い合うような仲じゃないのはたしかだね」

 杏子と名乗った少女が笑う。八重歯を覗かせたそれは酷く攻撃的で、ある種の肉食獣を思わせるものだった。対するアイはのんびりとしたものだ。柔らかな雰囲気を漂わせ、アイは話に耳を傾けていた。そして彼女は一つ頷き、形の良い唇を開く。

「それはよかった。でも、仲が良いわけじゃないんだね」
「主義が合わないのさ。アタシは個人主義で、マミは博愛主義だ。どうしたって意見はぶつかる。ただそんなでもマミは実力者でね、アタシとしても喧嘩したい相手じゃない。だからそれなりの距離を保って付き合ってるわけさ」

 両腕を広げて説明する杏子が、寝ているマミを顎で示す。アイが膝元に目線を落とせば、そこには変わらず眠るマミの顔。涙の跡が目立つ寝顔は安らかで、まるで無垢な幼子のようだった。だがこの姿だけがマミの真実ではない事を、アイはよく知っている。そしてこの姿こそがマミの本質に近い事もまた、彼女はよく理解していた。

「で、だ。アタシから見たマミは、魔女や使い魔を殺す事しか興味の無い奴だ。魔法少女の使命ってヤツに燃えてて、プライベートが見えてこない。そんなマミに”特別”が居るって聞いたらさ、やっぱ気になるじゃん?」

 腰を折った杏子が、アイの眼前に顔を寄せる。鼻先が触れ合いそうな距離。相手の息遣いすら聞こえてくるその状態で、杏子は獰猛な笑みを浮かべた。アイの黒い瞳に、白い八重歯が映り込む。

「来てよかったよ。まさかマミのあんな姿が見れるなんてねぇ」
「あまりマミをからかわないでくれよ。泣き虫なんだから」
「たしかにね。さっきのマミには驚いたよ」

 けど、と杏子が表情を引き締める。顔を離し、彼女はアイに指を突きつけた。

「アタシもマミと同じ意見だ。奇跡は自分の為に使うモンだよ。他人の為に使ったところで、碌な事になりゃしない。魔法っていうのはさ、そういうモンなの。自分だけの望みを叶える、自分だけの力なわけ」

 怖いくらい真剣な声だった。意思の強い吊り目で真っ直ぐにアイを見据え、彼女は更に言葉を紡ぐ。

「だいたい魔法は異常な力だってわかってる? 可笑しなモンに頼れば、可笑しな結果を招いちまう。世の中ってのはそういう風にできてるんだ。簡単にズルできないようになってんの」

 杏子が鼻を鳴らす。馬鹿にしたようなそれは、何故か彼女自身に向けられているようにアイは感じた。

「そんなモンを他人に使ってさぁ、あんたどうやって責任取んのさ。自分の為だけに力を使うなら、自業自得で済ませられる。自分の所為にしとけば、大抵の事は背負えちまう。でも、そこに他人を巻き込んだら洒落になんないよ? 後悔したって、しきれるもんじゃない」

 最後の言葉は小さな声で、どこか寂しさすら漂わせながら、杏子が話を終える。

 パーカーのポケットに手を突っ込み、杏子は何かを取り出した。お菓子の箱だ。スティック状のプレッツェルにチョコをコーティングしたそのお菓子は、アイもよく知る人気商品だった。箱の中から一本だけ掴み、杏子は口に咥える。小気味よい音を立てて咀嚼し、彼女は即座に食べ終えた。次いで二本目を手に取り、これもすぐさま噛み砕く。苛立ちをぶつけるように、杏子はドンドン消費していく。

 明らかに様子の変わった杏子を、アイは黙って眺めていた。だが不意に、彼女は思い出したように口を開く。

「……つまりキミは、他人の為に奇跡を願ったわけだ」

 小さくアイが呟けば、途端に杏子の手が止まる。小豆色の大きな瞳が、アイをキツく睨み付けた。

「なんか言ったかい?」

 ドスの利いた杏子の声も、アイが気にした風はない。

「もし自分の為に奇跡を願ったなら、キミはそれを話すでしょ。自慢げに『アタシを見習え』って感じでさ。けど実際にはそうじゃなくて、さっきみたいな話を聞かせてる。あれってつまり、キミが後悔したって話だよね? だからボクに忠告してるんだろ」

 グシャリと、杏子がお菓子の箱を握り潰す。乾いた音を響かせて、箱の中のお菓子が折れた。しかし杏子は気にしない。大きな瞳にアイを捉えたまま、彼女は仁王の如く立ち続ける。その姿を、アイは他人事のように見上げていた。

「もったいないね」
「ちゃんと食う。食べ物は粗末にしねぇ」

 怖い顔で杏子が言い切る。拳を小刻みに震わせた彼女は、アイを静かに見下ろしていた。
 アイがニコリと微笑む。裏の無さそうな、裏があるとしか考えられない笑顔だった。

「いい心掛けだ。キミの願いと関係あったりするのかい?」
「うるせぇぞ」

 一気に硬化した杏子の雰囲気に頓着した様子も無く、アイはこれ見よがしに溜め息をつく。座ったまま杏子を見上げ、彼女は見下すような視線を送った。それを受けた杏子は不愉快そうに舌を打ち、眉間に皺を刻んだ。

 肩を竦めたアイが片笑みを作る。挑戦的で、挑発的な表情だった。

「ま、どうでもいいけどね。それよりキミ、ちょっと勘違いしてるぜ」
「……なにをだよ?」

 怪訝そうに問う杏子には答えず、アイは太腿に視線を落とす。そこには今もマミが眠ったままだ。

「キミの懸念くらい理解してるよ。この顔を見れば当然じゃないか」

 白魚のような指が、泣き跡の残る頬を撫でる。未だに眠り続けるマミを見守りながら、アイは自嘲を形作った。次に彼女は杏子を見遣る。黒曜石を思わせる瞳に映るのは、戸惑いを隠せない杏子の姿。それをしかと捉えたアイは、噛んで含めるように話し始めた。

「どれだけ綺麗事を並べても、どんな理想を掲げても、自分一人で決めた事が、本当の意味で誰かの為であるはずがないんだよ。所詮は自己満足。ただのエゴに過ぎない。結局ボクは、ボク自身の為に、誰かの為に奇跡を願うのさ」

 アイの視線が杏子を撫でる。獲物の身を這う蛇の如く、アイは杏子を観察した。羚羊のような足に、パーカーの隙間から覗くお臍、そして緊張で硬くなった面立ちを視界に収めたところで、アイの目が鋭くなる。直後、青白い相貌に薄紅の三日月が浮かんだ。

「キミだってそうじゃないの? 誰かの為とか言いながら、自分の為に奇跡を願ったんでしょ?」

 息を呑む音が聞こえた。杏子のものだった。何か言葉を紡ごうと開いた唇は、震えるだけでまた閉じる。そんな杏子の反応を見れば、真実がどうであれ、彼女がそれをどう受け取っているかは歴然だ。

 瞠目し立ち竦む杏子を見据え、アイは大袈裟に溜め息をついた。

「自覚アリって顔してるぜ。ならわかってるんだろ? 自分の為にやった事を、本気で誰かの為だと勘違いした。だから失敗した。自分がやってる事の本質を理解してなければ、そりゃどんな力でも失敗するってもんさ」

 杏子は何も言わない。反論も無ければ賛同も無く、彼女はただ静かにアイの言葉に耳を傾けている。あるいは耳を奪われているとでも言うべきか。木偶人形のように立ち尽くし、杏子はアイを凝視している。そしてアイもまた、冷たく杏子を見返している。

 刹那、病室に静寂が訪れた。アイも杏子も動かない。微かな寝息だけが場違いに響くその中で、二人は黙って視線を交わし合う。いや、正確には杏子が一方的に押されている。アイの視線に晒された彼女は、蛇に睨まれた蛙の如く固まっていた。

「魔法の所為にするなよ」

 アイが低い声で吐き捨てた。気圧されたように、杏子が後ずさる。

「キミの失敗をなんて言うか知ってる? 『余計なお世話』って言うのさ。決して『魔法の呪い』なんかじゃない」

 杏子の顔が歪む。一瞬だけ泣いているようにも見えた彼女は、けれど直後に歯を食い縛る。嫌悪と苛立ちを綯い交ぜにした表情で、杏子はアイを視線で刺す。けれどアイに気にした様子は無い。むしろ馬鹿にしたような目を杏子に向けて、彼女は鼻で笑った。

「自業自得とキミは言うけどね、それって本心から思ってる? 異常な力を持ってるから仕方無い。異常な存在だから仕方無い。そんな風に言い訳してない? 自分で背負ってるつもりになって、本当はなにもかも魔法の力に押し付けてるように見えるけどね」
「テメェ……」

 八重歯を剥き出しにした杏子が、胸の前に左手を掲げた。その手には赤いソウルジェムが握られ、威圧するようにアイに見せ付けている。しかしアイの余裕は崩れない。呆れた様子で肩を竦め、彼女は杏子に言葉を投げ付ける。

「言葉で返せよ。そんな物でなにができる?」

 杏子は答えない。ただ黙ってアイを睨み、彼女は腕を突き出した。そして杏子の手の中に、巨大な槍が現れる。彼女の身の丈よりも長い柄に、三角形の鋭利な穂先。あまりに病室と不似合いなそれが魔法少女としての杏子の武器だと、アイは瞬時に理解した。

 輝く刃先がアイの眼前に突き付けられる。あと少しでも近付けば、アイの目が潰される。そんな状況。

「――――で? それがどうしたの?」

 どうでもよさそうにアイが問えば、杏子の眦が微かに動く。どこまでも冷めた目で、アイは杏子を見据えていた。

「ボクを力で屈服させれる奴なんて、石投げれば当たるくらい居るわけ。死ぬかもしれないなんて、何年も前から言われてるわけ。魔法少女として自信があるのかもしれないけどさ、ボクにしてみればそこらのチンピラと変わらないよ? そんな風にボクの言葉で震えちゃってさ、どこを怖がれって言うんだよ? ボクにとっては言葉の通じない魔女の方が遥かに怖いっての」

 杏子の腕が震えている。槍の穂先が揺れ動く。今にもアイを突き刺しそうな気配を漂わせ、けれど杏子は腕を引く。歯が砕けそうなほどに食い縛った彼女は、苦々しげに言葉を絞り出した。

「…………あんたの願いはなんだって言うのさ。アタシと比べて大層なモンだって、本気で思ってんのかよ」

 そんな訳が無い。言外に籠められた杏子の意思。それを理解した上で、アイは即座に言葉を返す。

「だから『余計なお世話』だよ。言ったでしょ、ボクは自分の為に願うんだって」

 杏子の眉が跳ね上がる。反射的に口が開く。けれど彼女は何も言えず、槍を握る手を震わせるだけで終わってしまう。そのまま槍を消し、杏子は踵を返す。肩を怒らせて歩く彼女は、一度も振り返る事無く去って行った。

 閉まる扉の向こうに、小豆色の髪が消えていく。それを黙って見送ったアイは、直後、盛大に肩を落とした。

「はぁ~、これじゃただの八つ当たりだ。いつものスマートなボクはどうした」

 重々しく息を吐いてアイがボヤく。青白い相貌に浮かぶのは、色濃い後悔だ。

 アイに杏子と言い合うつもりは無かった。本当に最初は、ただの客人として扱うつもりだったのだ。けれどマミとの口論の所為で苛立っていて、また杏子の言葉があまりに的確に神経を逆撫でるものだから、アイはついつい喧嘩を売ってしまった。あるいは買ったのかもしれないが、そんな事はどうでもいい。アイにとって重要なのは、普段は絶対にやらないほど攻撃的に言葉を使った事だ。

 杏子に向けた言葉のほとんどは、実はアイ自身も信じていない。単純に杏子が傷付きそうな言葉を選んで、それを事実っぽく説明してみただけだった。本当にただ杏子を否定する為だけの言葉。それはアイにとって、最も忌むべき行為の一つだった。

「でもさぁ……」

 言い訳がましくアイが呟く。黒い瞳に映るのは、泣き跡の残る眠り姫。

「自分が不幸になっても、大事な人を悲しませても、叶えたい願いだってあるんだぜ」

 魔法少女になる事は、きっとアイの大好きな”今”を壊す事だ。だからアイは未だに契約していなくて、だけどいずれは契約するのだと心に決めていた。マミと出会ってからのこれまでを大切に思うからこそ、アイはそれを捨てるのだ。

「魔法少女なんて碌なもんじゃないぜ。たぶん、キミが思ってる以上にさ」

 誰かに語り掛けるように、誰にも届かない声でアイが漏らす。薄紅色の唇が、皮肉げに歪む。

 初めて会ったあの事件から、アイはキュゥべえと問答を繰り返してきた。奇跡の事、契約の事、魔法少女の事、キュゥべえの事。色んな疑問を投げ掛けて、アイは多少なりとも真実に近付けた自信があった。

 キュゥべえは機械のような奴だ。伝えていい情報と伝えてはいけない情報を完全に線引きしていて、その線を踏み越える事が無い。人間のように不注意で喋る事も無いし、余分な話を挿む事も無い。必要最低限。求められた情報を、許される範囲内で返してくる。キュゥべえは、そんな機械じみた正確さを持つ存在だ。

 だがそれ故に、キュゥべえは分かり易くもある。触れられたくない話題を正確に回避するキュゥべえの話術は見事だが、逆に隠し事の存在を浮き彫りにするものでもあった。たとえるならマインスイーパーに似ている。答えられる部分を順に明らかにしていけば、最後には地雷である秘密だけが残される、という寸法である。

 そうしてアイは、キュゥべえが守ろうとする秘密の一つに気付いた。魔法少女ではなくなる事の意味だ。以前キュゥべえは、ソウルジェムの機能はいずれ停止すると言った。だが彼は、それが普通の少女に戻る事だとは言っていない。アイはその後も別の角度から同じ主旨の質問を繰り返してきたが、一度として一般人に戻るという回答は無かった。またキュゥべえの『手伝い』を終えた魔法少女もたくさん居るらしいが、そちらに関しても同様だ。役目を終えた魔法少女の行く末を、キュゥべえは頑なに語ろうとしない。

 怪しい。何かあるに違いない。そうは思っても、今のアイには憶測を確信に変える事は出来ない。アイの疑念を察したのか、キュゥべえは随分と前から彼女の近くに姿を現さないのだ。その事がまた、アイに不審を抱かせていた。

「魔法少女にはならない方がいい。心の底からそう思うよ」

 アイが契約したいと言い出せば、キュゥべえはどこからともなくやって来るだろう。他の事柄には淡白なのに、キュゥべえは魔法少女の契約に関してだけは熱心だ。感情の見えない彼が、唯一意思らしい意思を表す部分。だからこそアイは、契約する事を恐れている。

「だけど仕方無いじゃないか。碌でもないモノになった女の子が、ならなくちゃいけなかった女の子が、ボクの傍に居るんだ。弱っちい癖に強がって、泣き虫なのに格好付けて、必死に色んなものと戦ってる女の子がさぁ」

 アイの小さな手が、マミの頬を撫でる。白い肌にはクッキリと涙の跡が残っていて、その痛ましさにアイは顔を歪めた。泣き笑いのような表情。マミの寝顔を見守るアイは、ガラス細工にも似た繊細さを感じさせた。

「そんな女の子が傍に居たら、”代わって”あげたくなるのが道理だろう?」

 問い掛けは、アイ自身の心に向けたもの。それは誓いであり決意であり、どうしようもない自己満足でもある。きっと不幸になる。たぶん悲しませる。だけど許せない未来ではないから、許せない未来を避ける為に、アイは選択した。

「もしも奇跡を願うなら――――――」

 それはきっと、誰より大事な人の為に。霞んで消えたその言葉は、アイの胸にだけ刻まれていた。


 ◆


 廃墟としか呼べない場所だった。残骸となった木片が散乱し、足跡を残すほど埃が積もった床。かつては優美で神秘的な光景を生み出したであろう壁一面のステンドグラスも、今では無残に罅割れ、砕け散っている。仰ぎ見れば、天井に嵌め込まれたステンドグラス。昇る太陽を背負うはずのそれも、破片が落ちてこないか心配させるだけ。昔、教会と呼ばれていた頃の輝きは、もはやここには残っていない。

 人気が去って久しいこの場所に、今は少女の姿があった。小豆色の髪、意思の強い吊り目、羚羊のような足。佐倉杏子という名の彼女は、リンゴの詰まった紙袋を抱えて、廃墟の奥へと歩いて行く。足元の木片を蹴り飛ばし、踏み砕き、杏子は機械的に足を進めていた。椅子の一つも無い教会。その一番奥には高い段差があった。階段状のそこを黙って上り、杏子は古びた講壇に辿り着く。

「…………」

 埃が積もり、傷みきった講壇。長い間使われていないそれに手を這わせ、杏子は唇を噛み締める。悲しさと、苦しさと、悔しさの混じった表情だった。講壇を見詰める瞳には、ただひたすらに後悔の念が宿っている。

 かつてこの講壇に立ち、教えを説いた聖職者が居た。優しく真摯で、世に蔓延る不幸を我が事のように嘆いていた男だ。新しい時代を救うには、新しい信仰が必要になる。それが彼の言い分で、だからある時、教義に含まれない事まで信者に説いた。男が語って聞かせた内容は、決して間違ったものではなかっただろう。しかしそれは、周りが彼に求めていたものではなかったのだ。

 男に非難が集中したのは、実に自然な事だった。

 信者からも本部からも見放され、男の教会はあっという間に寂れてしまう。それでも彼は挫けなかった。自らの足で家々を巡り、教えを説いて回ったのである。胡散臭がられても、石を投げられても、貧困に喘いでも、男は決して諦めなかったのだ。

 男には家族が居た。妻と二人の娘だ。そして娘の一人の名を『杏子』と言った。

「クソッ」

 震える指で爪を立て、杏子が講壇を引っ掻く。次に彼女は紙袋からリンゴを取り出し、勢いよく噛り付いた。乱暴に噛み潰し、嚥下する。そうして瞬く間にリンゴを食べ尽くし、残った芯を袋に戻す。代わりに新品のリンゴを手に取り、杏子はまた齧りつく。

 信者が離れ教会が寂れると、杏子の家は瞬く間に貧乏になってしまった。食うにも事欠く有り様で、生のリンゴだけが食卓に上がる事も珍しくなかったほどだ。それでも杏子は父が好きだった。尊敬していて、敬愛していて、彼の言葉を信じていた。

 だから杏子は、キュゥべえと契約したのだ。ちゃんと話を聞いてくれさえすれば、父の正しさは誰でも分かる。そう信じて、みんなが父の話を真面目に聞いてくれるよう、彼女は願ったのだ。それはどこまでも純粋な、一人の少女の願いだった。

 奇跡の効果は覿面で、翌朝には教会は人でごった返していたほどだ。日毎に信者の数は増し、願った杏子自身が怖いくらいの勢いだった。しかしいくら正しかろうと、説法で魔女は退治出来ない。だからそれは自分の仕事だと、杏子は張り切っていた。父と自分の二人で、表と裏から世界を救う。そんな夢物語のような事を、当時の杏子は本気で信じていた。

 だがある時、魔法の存在を父に知られた。そこからの転落はあっという間だ。人の心を惑わす魔女だと、父は杏子を罵った。そして信者が集まった理由が信仰ではなく魔法の力によるものだと理解した彼は、その純粋さ故に心を病んだ。酒浸りになり、頭が可笑しくなり、最期は家族を道連れに無理心中だ。ただ一人、杏子を置き去りにしてみんな死んでしまった。

「わかってるさ、アタシの所為だって事くらい」

 握った三つ目のリンゴを見詰め、杏子が呟く。微かに震える声は、誰に聞かれる事も無く霞んで消えた。

 他人の都合を考えない勝手な願い事が、家族を壊してしまったのだ。束の間の幸せはまやかしに過ぎず、結局誰もが不幸になった。杏子はちゃんと理解している。原因が自分の身勝手さにある事を、彼女は嫌と言うほど思い知っている。だからアイに指摘されても、杏子は大して動揺しなかった。意表を突かれた感はあったが、それでも冷静さは残っていた。彼女を悩ませるのは、また別の言葉だ。

 何もかも魔法の力に押し付けている。そう告げたアイの声が、杏子の耳を離れない。

 かつて杏子は心に誓った。魔法の力は自分の為に使い切る、と。奇跡はタダではない。奇跡を祈れば、その分だけ絶望が撒き散らされる。そうして世の中はバランスを保っているのだと、彼女は悟ったのだ。だから好き勝手に生きる。自分勝手に生きる。どうせ帳尻合わせが来るのなら、開き直ってしまえばいい。それが楽な生き方だと、杏子は信じていた。

 でも、その信念が揺らいだ。アイの言葉で揺らがされた。自分の所為だと言いながら、結局は魔法の所為にしている。アイは杏子をそんな風になじった。心底馬鹿にしたように、蔑んだのだ。

 だからどうしたと言い捨てたい。いつもみたいに悪びれず、居直ってしまいたい。だけど杏子はしなかった。出来なかった。それは彼女に残された最後の矜持だ。曖昧にしたまま逃げるには、この問題は杏子の心に近過ぎた。

 全てを自分で背負って生きる。その自負が杏子を支えてきた。自分が世界の中心だと信じているからこそ、彼女は自由に振る舞える。だがもしもアイの言う通りなら、それは違うのだ。本当に中心となっているのは魔法の力で、杏子はそれに寄生しているだけに過ぎない。他人にしてみれば同じような事かもしれないが、杏子にとっては大きな違いだ。

「アタシはそこまで…………惨めじゃねぇ」

 心の叫びが漏れる。絞り出される。講壇に手の平を乗せ、杏子は顔を歪めた。

 何もかも自分一人で受け止めていると思えばこそ、杏子は胸を張って生きられる。しかしそこに『逃げ』が存在すると言うのなら、彼女は自分を許せそうになかった。最後に残ったプライドが、根元から折れてしまうからだ。

 アイの言葉を否定したい。だが否定しようと思えば思うほど、杏子は自分の本心が分からなくなった。胸の奥から不安が湧き出て、自分で自分を苛んでしまう。出口の無い思考の迷路に、今の杏子は迷い込んでいた。

「なんだよコレ。わけわかんねぇ」

 杏子の言葉に応えは無い。かつて教えを説いてくれた父の姿は、もはやここには無いが故に。


 ◆


 冷戦勃発。現状を端的に説明すればそうなるのだろうかと、アイは益体も無い事を考えた。アイの命が長くない事をマミに知られてから、今日でちょうど一ヶ月になる。その間にマミが病室を訪れた回数はたったの二回。どちらも口論となり、その結論は平行線を辿った。それはこれから先、何度繰り返しても変わらないだろう。少なくとも今のアイには、問題解決の光明が見えなかった。

 互いに譲るつもりは無く、だから顔も合わせ辛く、極端にマミの訪問回数が減っている。こんなに会わないのはいつ以来だろうかと考え、そういえばマミと出会ったばかりの頃にあったと、アイは思い出す。ただあの時と比べれば、今回は明確に喧嘩だと言えた。ここまで二人の意見が対立した事は初めてで、アイも戸惑いを隠せていない。

 どうやって仲直りしようかと考えながら、アイは今日も紅茶を飲んでいた。テーブルの上に用意したティーカップは二人分。けれど実際に淹れた紅茶は一人分。いつもと同じ手順で淹れた紅茶は、やはりいつもと同じ味がした。教科書通りの淹れ方しか出来ないアイは、ちっとも腕前が上達しないのだ。かと言って創意工夫を凝らそうものならば、途端に味が落ちてしまう。それでも次にマミと会ったら驚かせてみたくて、アイは毎日のように紅茶を淹れるのだ。

 相手の居ないティータイム。使い慣れたカップに口をつけ、アイは舌を湿らせる。上品な香りが広がるが、所詮は茶葉のよさに頼ったものに過ぎない。マミの淹れた紅茶が無性に懐かしくて、アイの顔に苦笑が浮かぶ。

 病室の扉が開いたのは、その時だ。

 慌ててアイが入り口を見遣る。この時間、雅人も看護師も訪れる可能性は低い。となれば、自然とそれ以外の人物が候補に挙がる。そしてアイの客人として最も可能性の高い人物は、考えるまでも無く一人しか居ない。

「邪魔するよ」

 しかし入り口に立っていたのは、アイが期待した人物ではなかった。佐倉杏子。一月前に一度だけ会った少女がそこに居る。小豆色の髪をポニーテールにした彼女は、思い詰めた表情でアイを睨んでいた。服装は以前と同じで、緑のパーカーとデニムショートパンツ。けれどあの時とは異なり、今の杏子には余裕が感じられなかった。

 暫し、二人が見詰め合う。予想外の事態にアイは言葉が無く、杏子はそんな彼女の返答を静かに待っていた。だが沈黙は長くは続かない。やがて気持ちの整理を終えたアイが、佇む杏子に問い掛けた。

「――――服、それしか持ってないの?」
「チゲェよ!」

 杏子が大声で否定する。彼女の様子は妙に必死で、アイは可笑しそうに笑い声を上げた。

「ったく。せっかく人が覚悟を決めて来たってのに」

 乱雑に髪を掻き乱し、杏子がアイの方に歩いて来る。若干空気の和らいだ彼女を見て、アイは小さく笑みを零した。次いで椅子から立ち上がり、彼女は対面の椅子を引く。もう半月近く、誰も座る事の無かった席だ。

「話があるみたいだね。座りなよ。ボクは誰かを悩ませるより、悩みを解決する方が好きなんだ」
「………………」

 複雑な面持ちの杏子は、けれど何も言わずに席に着く。嬉しそうに頷き、アイはテーブルの上を片付け始めた。

「ジュースがあるから持ってくるよ」
「別に紅茶でいいっしょ? 用意してあるし」

 アイの動きが一瞬だけ止まる。アーモンド形の目が鋭くなり、唇は固く結ばれた。けれどすぐに彼女は笑顔を作り、お盆にティーセットを乗せる作業を再開する。そうして淡々と片付けを進めながら、アイは短く、けれどハッキリと言い切った。

「悪いけど、それは”ダメ”なんだ」
「ふぅん? ま、いいけどね」

 怪訝そうにする杏子を尻目に、アイは片付けを終える。小枝のような細腕にお盆を抱えた彼女は、そのまま専用の台所へと続く扉を開けて姿を消す。暫くして戻ってきたアイの腕には、ジュースの入ったコップを乗せたお盆が抱えられていた。杏子の前にコップが置かれる。入っているのはリンゴジュースだ。そして自分の席にもコップを置いたアイは、再び椅子に腰を下ろした。

「さて、相談に来たと思っていいのかな?」
「……違う。あんたとケリをつけに来た」

 杏子の表情は硬い。雰囲気も硬ければ声も硬く、容易ならざる問題だとすぐに分かる。初めて会った時とはまったく異なる彼女の態度に、アイは興味深そうに目を輝かせた。自然と彼女の姿勢は前のめりになる。

「一ヶ月前の続き、という事でいいんだよね?」

 言葉は無く、杏子は首肯でアイに答える。それを見たアイは、思い溢れた様子で息を吐き出した。

 正直に言ってしまえば、アイにとってこのような形での再会は予想外だった。前回は上手くやり込めて終える事が出来たが、あんなものは詭弁に過ぎない。魔法の力は杏子の力。開き直ろうと思えば簡単に開き直れる。あの時は勢いで押したが、落ち着けばすぐに気にしなくなるだろうと、アイ自身は予想していた。所詮は事情を知らぬ者の言葉。まさかここまで重く受け止められるとは思わなかったのだ。

「わかった、受けて立つよ。でも、その前に謝らせてほしいな」

 キョトンとする杏子に対し、アイはすかさず頭を下げた。

「ごめんなさい。あの時のボクは無神経だった。反省してる」

 杏子の浮かべた表情は、筆舌に尽くし難い。困ったような怒ったような、あるいは悲しむような目をアイに向け、杏子は自らの顔を片手で覆った。そして僅かな逡巡を見せた後、彼女は心底くたびれた様子で、アイに言葉を投げ捨てる。

「……お前、嫌なヤツだな」
「あ、わかる?」

 悪びれた様子も無く舌を出すアイに返ってきたのは、呆れた目と溜め息だ。それでもすぐに気を取り直した杏子は、改めてアイと正面から向き合った。居住まいを正した杏子の視線が、真っ直ぐにアイを射抜く。アイもまた、真面目な顔で彼女に応えた。

「ちょっとばかり長い話になる。聞いてくれるか?」

 アイが頷き、答える。そして杏子の話が始まった。

 父の話。貧困に喘いだ話。キュゥべえと契約した頃の話。魔法少女である事を知られ、全てを失った話。そして心に刻んだ、彼女の誓い。淡々と語る杏子の顔に色は無く、必死に感情を抑えているようにも見えた。時折震えの混じりそうになる声に、俯きがちな大きな瞳。昔語りをする杏子からは、幼子のような弱々しさが伝わってくる。話に耳を傾けていたアイは、息を詰めてそんな彼女を眺めていた。

 やがて全てを吐き出し、杏子の話が終わる。

 忙しなく動かしていた唇を止めると、杏子は疲れた風情で息を吐いた。少しヌルくなったジュースを飲み干し、叩き付けるようにコップを置く。それから口元を拭った彼女は、真っ直ぐにアイを睨み付けた。小豆色の瞳には、焼け付くような焦燥が滲んでいる。

「アタシは二度と後悔するつもりは無い。だから自分の為だけに生きて、自分だけで全部を背負う。そう誓ったんだ」

 けど、と杏子の呟き。軸の揺らいだ、自信に欠ける声だった。

「あんたの言葉でわからなくなった。魔法の所為にしてるんじゃないかって、自分で受け止めてないんじゃないかって、不安になった。そんなわけないと思っても、完全に否定できないんだ。そしたら急に色んな事が上手くいかなくなった。生きるのが下手になっちまった」

 杏子の表情は痛ましいほどに沈んでいた。今にも泣き出しそうで、けれど泣けなくて、決壊寸前のダムみたいに危うい均衡の上に成り立つ顔だ。そんな見ている方が辛くなってきそうな彼女を眺めながら、アイはポツリと呟いた。

「……マジメだねぇ」

 小豆色の瞳が、アイを映す。薄紅色の唇が、弧を描く。

「そもそも魔法の所為ってなんだろうね? いや、ボクが言ったんだけどさ。でも、本当になんだろうね? 魔法の力はキミの力だ。そこに責任があると言うのなら、キミに責任があると言う事もできる。だいたい魔法の力にはどうしたって責任は取れない。だから必然的にキミが責任を取るしかない。ほら、『魔法の所為』なんて言葉はまやかしに過ぎない」

 肩を竦めてアイが言う。対する杏子はまず頷き、次いで左右に首を振った。

「たしかにそうとも言える。けどアタシは――――」
「そう、キミはそれじゃ納得できない。何故か? 誇りの問題だからだ。自分だけで全てを背負う。その矜持があるからこそ、キミは自分に『逃げ』を許さない。他の何を捨てたとしても、いや、他の全てを犠牲にできるからこそ、キミにとって『自分』だけは曲げられない」

 そうだよね、とアイの目が問い掛ける。しかし杏子は返事をしなかった。ただ正面からアイを見詰め、次の言葉を待っている。それを肯定と受け取り、アイはそのまま話を続けた。

「ボクから見て、キミは決して『逃げ』てない」

 杏子の息を呑む音が、アイの耳に届いた。

「キミは自分を責めるのが上手い。家族を亡くした時、キミは周りではなく自分を責めた。誓いを立てる時、ちゃんと自分で背負うと決められた。そして今も、キミは自分を責めている。そんなキミが逃げてるだなんて、ボクにはとても信じられない。心の証明は難しい事だけど、常に一貫したキミの行動を顧みれば、それを証としても問題無いだろうさ」

 目を見開き凝視してくる杏子に、アイは微笑んだ。包容力に満ちた、大人の女性の顔だった。

 しかしアイの本音は違う。彼女の本心はそうではない。胸の奥には杏子を否定する言葉を潜ませていて、アイの手はしっかりとそれを握り締めている。少し気が向けば、いつでも杏子を刺しに行ける状態だった。

 でも、言わない。でも、責めない。絵本アイは断罪人ではなく、正義の味方でもなく、ちょっと賢しいだけの病弱少女だ。何より彼女は、力の無い自分が嫌いで、才能の無い自分が嫌いで、だけど弱者に甘くする自分は大好きだった。

 だからアイは、杏子に手を差し伸べる。悪魔みたいに綺麗な笑顔で、優しさを押し売りするのだ。

「キミの父親はやり方を間違った。でも心の正しい人だった」

 杏子の手に自らのそれを重ね、宝物でも扱うように、アイは柔らかく握る。

「キミも”同じ”だよ。過ちを犯して、歩む道も綺麗じゃないけど、その心だけは真っ直ぐなままだ」

 綺麗な声で、優しい声で、一見すれば天使のような純真さで、アイは杏子に囁いた。


 ◆


「……最近、濁りが酷いわね」

 マミの呟きが空に溶ける。ビルの屋上に立った彼女は、色の無い目で自らの手元を見詰めていた。

 半ば以上が黒く濁った、蜂蜜色のソウルジェム。それは魔力を消耗した証だが、近頃は以前よりも早く濁るようになっていた。原因はマミにも分からない。ただ、もしかしたらアイとの不仲で精神状態が悪い所為かもしれないと、彼女は朧気に察していた。とはいえそれが真実だとしても、今のマミにはどうしようもない事だ。

 嘆息し、マミはソウルジェムにグリーフシードを近付けた。黒い濁りがグリーフシードへと移り、ソウルジェムが本来の輝きを取り戻す。陽光を照り返す蜂蜜色の煌めきを確かめた後、マミはソウルジェムを指輪に変えた。

「あと一回は使えそうね」

 グリーフシードの状態を確認し、マミが呟く。それから彼女はグリーフシードを仕舞い、少し離れた所にある建物を見遣った。

 マミの視線の先、道路を挟んだ向こうには、一つの巨大な病院が建っている。マミにとっては見慣れた、アイの入院している病院だ。だがこの二年で通い慣れたその場所に、マミは半月近く足を運んでいない。どうしてもアイの決断が許せなくて、説得したくて、でも口論になるから顔を合わせ辛かった。

 けれど会いたい気持ちは抑えられない。だからマミは、こうして遠くからアイの姿を眺めている。一日に僅かな間だけの、アイがティータイムを終えるまでの、一方的な逢瀬だ。話は出来ないし、目が合う事もないけれど、それは少しだけマミの寂しさを紛らわせてくれた。

 だが、今日は些か事情が違うようだ。

「佐倉さん……」

 この半月、誰も座る事の無かったアイの対面に、今は一人の少女が腰掛けている。遠目にも目立つ小豆色の髪をポニーテールにした少女。マミも知っている、彼女とは別の魔法少女。佐倉杏子という名の女の子が、何故かアイと共に居る。

 マミの顔が罅割れる。歪んだ口元からは声も無く、彼女は揺れる瞳で二人を見詰めた。

 何故、と疑問。アイと杏子が知り合いだなんて、マミは一度も聞いた覚えが無い。それはつまり、アイが意図的に隠していたという事だ。たしかにマミも杏子の存在は伝えていない。だが魔法少女であるマミと一般人であるアイとでは、その意味は大きく異なる。杏子は魔法少女だ。しかも個人主義を謳って好きに生きる、危険な思想の持ち主だ。力の無い者が不用意に近付いていい相手ではない。

 気になる。今すぐにでも病室に飛び込んで、アイに事の次第を問うてみたい。しかしマミの体は動かなかった。

 もしかしたら、ずっと前からの知り合いかもしれない。
 もしかしたら、自分が間に入っていい仲ではないのかもしれない。
 もしかしたら――――――――アイは自分より杏子を頼りにしているのかもしれない。

 心の隙間に生まれたのは、そんな弱い気持ち。どれだけありえないと胸の裡で叫んでも、マミは自然と足が竦んでしまう。せめて喧嘩中でなければ安心出来た。だけど今はそうではなくて、アイに見限られたんじゃないかと、マミは不安で胸が一杯になる。

 決して親しそうには見えないアイと杏子。だけどそんな事はなんの慰めにもならなくて、マミの思考はいつも通り後ろ向きだ。次々と嫌な考えが浮かんできて、すぐにでも二人の間に割って入りたくて、だけどアイと仲直りをする事も出来ない。苦しくても、辛くても、やっぱりアイとの問題にはキチンとした決着をつけるべきだと、マミは信じて疑わなかった。

 アイの寿命は短い。彼女は長く生きられない。それが不可避な未来であれば、今を精一杯生きるのも良いだろう。だが実際には違うのだ。アイには悲しい未来を回避する手段がある。明るい未来を生み出せる。だったらそれを実現する為に全力を尽くすべきだ。少なくともマミにとっては、それが最良の選択だと思えた。

「どうしてわかってくれないのよ……っ」

 絞り出したマミの声は、誰の耳にも届かない。泣き出しそうな顔も、誰の目にも映らない。

 いくら意地を通したって、いくら自分の選択だからって、死んでしまえば元も子も無い。全ては命があってこそだ。事故で両親を亡くしたからこそ、自分自身も死に掛けたからこそ、マミにはそれが真実だった。なのにアイは、全然理解してくれない。

 蜂蜜色の瞳から、透明な涙が溢れ出る。白い頬を流れ落ち、涙は雫となって零れ落ちた。

『やぁ、マミ。ひさしぶりだね』

 不意に響いた朗らかな声。マミにとっては、酷く聞き覚えのある声だった。

 マミが振り返れば、そこにはやはり見知った姿。白い体と赤い目を持つ、マミの小さなお友達。普段と変わらぬ表情で、人形みたいに同じ顔のままで、キュゥべえはビルの屋上に佇んでいた。不思議と目を引くその存在に、マミの意識が引き寄せられる。

『アイと喧嘩したみたいだね。泣いているのはそれが理由かな?』

 耳を傾けずにはいられなくなる、純真そうなキュゥべえの声。かつて何度も助けられたその声に、マミの期待が自然と高まる。熱に浮かされたような目で彼を見て、彼女は縋る思いで言葉を待つ。それはさながら、天啓を待つ信徒のようでもあった。

『実は君達が仲直りする為の提案があるんだけど、興味はあるかい?』

 はたしてキュゥべえは、マミが望んだ通りの言葉を授けてくれた。




 -To be continued-


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