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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #003 『ボクの為の願いじゃない』
Name: ひず◆9f000e5d ID:12349ee8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/06/26 20:55
「――――つまりマミは、命を助けてもらう代わりに魔法少女になったと、そう言いたいわけだね」

 丸みを帯びた顎に指を添えたアイが、真面目ぶった声で呟いた。

「えぇ、その通りよ。やっぱり信じられないかしら?」

 首を傾げるマミの顔は、不安と期待で彩られている。

 さもありなん、とアイが心中で独りごつ。実際、マミから伝えられた秘密はそれだけの重さを持っていた。魔法少女と魔女にまつわる話やキュゥべえという名の不思議な生き物の存在、そしてマミが交わした契約の内容。どれもこれも突拍子も無い事で、漫画やアニメの設定でも持ってきたのかというほどだ。信じろ、という方が無理な話だろう。

「で、どんな魔法が使えるの?」
「……信じるの?」

 目を丸くしたマミに、アイがふわりと微笑み掛ける。

「わからない。ボクにわかるのは、マミが”嘘”をついてない事だけさ。だからキミの”本当”を、ボクに見せてほしい」

 マミの右手を両手で包み込んだアイは、宝物に触れるかのように優しく摩った。俄かにマミの頬が赤く染まる。困り顔で眉尻を下げる彼女は、それでも滲み出る嬉しさを隠せていなかった。

 コホン、と一息。ちょっとだけ胸を張ったマミが、腰掛けている安楽椅子を撫でた。

「おおっ!」

 一瞬の閃光の後に、安楽椅子がその姿を変える。基本の形はそのままに、材質だけが大きく変化していた。艶やかな木材で構成されていた枠組みが、今では煌めく白銀製になっている。更には黄金が蔦のように絡められ、見事な模様を生み出していた。

 目を輝かせたアイがベッドから身を乗り出し、安楽椅子をペタペタ触る。冷たい金属の感触に驚き、本物だと分かって更にはしゃぐ。そんな友達の子供らしい反応を見守りながら、マミは得意げに説明を加えた。

「魔法による能力強化よ。この椅子は頑丈になったくらいだけど、武器に使えば威力も上がるわ」
「へぇ、便利そうだね。あっ、変身! 変身も見たい!!」

 年相応以上に幼さを感じさせるアイのはしゃぎよう。それに気をよくしたのか、マミの表情が柔らかくなる。

 安楽椅子から立ち上がり、部屋の中央へ進むマミ。そうして距離を取った彼女は、改めて正面からアイと向き合った。今のマミは制服だ。アイにとって見慣れたその姿で、マミは一つの宝石を掲げる。彼女の髪と同じ蜂蜜色をした、綺麗な卵形の宝石だった。

「これが魔法少女の力の源、ソウルジェムよ。そして――――」
「あっ」

 思わずアイが声を漏らす。全身を光に包まれたマミは、直後に魔法少女へと変身していた。

 雪色のブラウスに琥珀色のスカート、栗色のコルセットで発育の良い体を彩り、首元にはリボン、頭にはベレー帽と髪飾りでアクセントが添えられている。華やかさを醸しつつも、マミの落ち着いた雰囲気を損なわない衣装。その見事さに、アイは目を奪われる。

 素敵だと、アイは思った。マミの容姿によく似合い、魔法少女の称号にも相応しい。変身したマミはヒーローみたいでヒロインみたいで、惹き付けられずにはいられない魅力がそこにはあった。

「その、どうかしら?」
「すっごく可愛いし、格好良い」

 恥ずかしそうに尋ねるマミに、陶然としたまま応えるアイ。途端に耳まで赤くして、マミは慌てて口を開いた。

「こ、これが私の武器よっ」

 マミが取り出したのは、白銀の銃身を持つマスケットだ。魔法少女のイメージから離れたその武器を見て、アイは小さく噴き出した。それが気に食わなかったらしく、マミは頬を膨らせてソッポを向いてしまう。

「いいじゃない。これでも使い勝手が良いのよ」
「拗ねるなよ。ボクはマミらしくていいと思ってるんだぜ」
「……そうかしら?」

 首を傾げるマミに対して、アイは笑顔で手招きする。ニコニコ笑うアイを怪訝そうに見ながらも、マミは素直にベッドに近付いた。そうして互いに手が届く距離になった所で――――――――マミはいきなり腕を引かれた。

「きゃっ」

 体勢を崩したマミの顔が、軽い音を立ててアイの胸に着地する。同時にアイは、小さな頭を抱き締めた。細い指が蜂蜜色の髪を梳き、あやすように優しく撫でる。まるで子守唄でも歌うかのような声で、彼女は友達に語り掛けた。

「魔女って化け物なんだろう? 化け物と戦うのは、やっぱり怖いよね?」

 マミの肩が微かに揺れる。それだけでアイは多くを理解した。腕に力を籠め、アイは艶やかな金髪に頬を寄せる。見た目で言えばまったく逆なのに、彼女はまるでマミの母親のようだった。

「剣とか槍とか、傍で斬り合うなんて怖いに決まってる。だから銃が武器なのは、怖がりなマミに合ってるよ」
「私は、別に……」
「怖がりだよ。で、泣き虫だ。強がるのもいいけどさ、せめてボクには甘えてほしいな」

 耳元でアイが囁くと、マミは彼女の入院着を掴んだ。その力は弱く、先程までとは正反対の頼りなさだ。しかしこれこそがマミ本来の気質である事を、アイはよく知っていた。だから一層の優しさを籠めて、彼女は新たな言葉を紡ぐ。

「カッコつけてもいい。けどボクは、弱虫で泣き虫なマミが好きなんだ。その事だけは、ちゃんと覚えていてほしいな」

 素直に頷くマミを、アイは穏やかに見守っている。最後にポンと頭を叩き、彼女はマミを解放した。互いの体が離れ、改めて正面から向き合う。マミの頬は薄く色付いており、視線は僅かに逸らされている。くすりとアイが笑えば、マミは子供っぽく口を尖らせた。

「…………私がお姉さんなのに」
「エロい体してるもんね」

 マミの顔が真っ赤に染まる。反射的に胸を隠し、彼女はアイを睨み付けた。

「あなたが子供体型なのよっ」
「かぁいいでしょ?」

 小首を傾げるアイ。それを不満そうに見据えながらも、マミは否定しなかった。

 実際、アイの顔立ちは整っている。痩せぎすな手足や白過ぎる肌は魅力に欠けるかもしれないが、だからと言って面立ちの愛らしさが陰る訳ではない。丸みを帯びた女の子らしい輪郭に、アーモンド形の輝く瞳。綺麗に通った鼻筋も、形の良い薄紅色の唇も、可愛いという評価を与えるに相応しい。

 とはいえアイを美少女と称するには、その雰囲気が邪魔をする。長く艶の無い黒髪や青白い顔色は、どうしても彼女を幽霊のように見せてしまう。それを踏まえて考えれば、アイは残念美少女とでも言うべきなのかもしれない。

「ま、たしかにマミの方がお姉さんかもね」

 肩を竦めてアイが言う。

「こないだの健康な体がどうとかっていう話。その『契約』と関係あるんだろ?」

 途端に表情を強張らせたマミを見て、アイの目元が和らいだ。

「やっぱりね。そうだと思ったよ」
「でもキュゥべえが、死ぬ可能性が高いからダメだって――――ッ」
「それは魔女との戦いで? うん、ボクも死んじゃう自信があるよ」

 今にも泣き出しそうなマミに向けて、アイは安心させるように微笑んだ。

「大丈夫。別に契約したいわけじゃない。ただ、キュゥべえだっけ? そのナマモノ君とは会ってみたいな」
「……ならいいわ。でもナマモノだなんて酷いわね。私の大事な友達なんだから」

 胸を撫で下ろしたマミが、苦笑しながら文句を付ける。それを適当に流しながら、アイは思索を巡らせた。

 奇跡を起こす代わりに魔法少女となる。それはたしかにアイにとって魅力的な提案だ。健康な体になりたい。どんなに強がったところで、その希望はアイの中で燻ぶり続けてきた。もしも奇跡が叶うと言うのなら、すぐにでも飛び付きたい気持ちがアイにはある。

 けれどアイは躊躇していた。もちろん死んでしまうかもしれない、というのも理由の一つだ。彼女は自分の無力さをよく知っている。だがそれ以上にアイは、魔法少女という存在そのものに対する疑念あった。マミの話だけでは、色々と説明が足りないように思えたのだ。

 だからまずは、キュゥべえと呼ばれる謎の生物と話したい。全てはそれからだとアイは結論付けた。

「まぁいいわ。私もあなたにキュゥべえを紹介したかったしね。いつかはわからないけど、次に会ったら連れて来るわ」
「お願いするよ。ボクもマミの友達には興味があるからね」

 内に秘めた疑念を欠片も漏らさず、アイは明るい声で言い切った。


 ◆


 魔法少女という超常の存在を知ったからと言って、アイの生活が大きく変わる訳ではない。彼女は相変わらず病室を活動拠点にしていて、たまたま廊下で出会った知り合いと話したり、簡単な運動を心掛けたり、読書をしたりしながら日々を過ごしていた。少しでも変化があった事と言えば、それはマミとの会話だろう。三日に一度は訪ねてくる彼女は、自らの武勇伝をアイに聞かせてくれるようになった。

 だがキュゥべえとの顔合わせは、未だに果たせていない。マミも念話での呼び掛けを試みているらしいが、白い体を持つという謎生物は、中々アイの前に姿を現してくれなかった。そうして気付けば、二人の出会いから三ヶ月の時が経っていた。

「平和だねぇ。魔法少女とか魔女とか、そんな話が嘘みたいだ」

 のんびりとした声が青空を駆ける。発したアイは、かつてマミと知り合った屋上に立っていた。立派な造りの柵にもたれ、天を仰ぐ彼女。青白い相貌に宿るのは、どこまでも穏やかな色だ。辺りには誰も居ない。広い屋上でただ一人、アイだけがその身を日射しに晒している。

 アイの手が髪へと伸びた。そこには一つの髪飾りがある。大輪の花を模したそれは、マミから贈られた、彼女の愛用品と同一の物だ。少し前、マミの家に外泊した時にプレゼントされた品だった。今では毎日着けているアイのお気に入りだ。

 変化は無くとも、充実した日々だとアイは感じていた。マミと友達になってから三ヶ月が経ち、季節も移り変わっている。その間に深めたマミとの絆は、アイにとって掛け替えの無い大切なものだ。いつも話してばかりで、遊びに出掛けた事なんてほとんど無いけれど、それでも互いに向ける気持ちに陰りは無い。二人にとっては、会って話すだけでも十分なのだ。

 今日もマミが訪ねて来る予定だ。ただ普段とは違い、アイは輸血を受けながらマミと話す事になる。輸血はアイが命を繋ぐ為に、定期的に受けなければならない治療の一つだった。アイが外の空気を吸いに来たのも、ベッドに縛り付けられる前に気を晴らそうと思ったからだ。

「さて、そろそろ行こうかな」

 伸びをしたアイが、緩やかな足取りで歩き出す。が、彼女はすぐに立ち止まった。

 何かが落ちている。初め、ソレを見付けたアイの印象はその程度の軽いものだった。串刺しにされた黒い球体。そうとしか言えない物体がアイの足元に存在している。一体なんなのかと拾い上げようとした彼女は、膝を折った姿勢で硬直した。

 ふとアイの脳裏をよぎったのは、かつて交わしたマミとの会話。魔女との戦闘について盛り上がったその時、マミは戦利品としてある物をアイに見せてくれた。魔法少女の魔力回復に用いられるそれは、同時に魔女の卵でもあるらしい。そしてその見た目は、まさしくアイが手に取ろうとしている物体そのままだった。

「グリーフシードッ」

 その言葉を合図としたかのように、周囲の景色が塗り替わる。空は目が眩むような虹色に、床は一面の鏡張りに、そして柵は巨大な口紅の列に姿を変えた。アイシャドウ、マスカラ、ネイルカラー等々。数えきれないほどの巨大な化粧品が形作るのは、幾つものうず高い山だ。

 あまりに可笑しく、あまりに異なる世界。動く影を見付けたが、それもまた正常な生き物ではない。何かしらの化粧品を持った女性達は、顔を黒く塗り潰された球体関節人形だった。執拗に化粧を繰り返す彼女らは、鏡以外には見向きもしない。

 変貌した世界に言葉を失うアイ。鏡の床に立ち尽くす彼女は、呆然と辺りを眺め続ける。

「魔女の…………結界……」

 たったそれだけの単語を絞り出すのに、アイは五分の時間を要した。だがその甲斐あってか、少しずつ彼女に冷静さが戻ってくる。何度か深呼吸を繰り返し、一度だけ頬を叩けば、見た目には普段通りのアイが居た。

「ま、嘆いてもしょうがないってね」

 努めて暢気そうに呟いて、アイは再び周囲の様子を窺った。

 現状、アイの身が危険に晒される気配は無い。話に聞く使い魔と思しき女性達はアイに興味が無いらしく、手に持った鏡と睨み合いを続けている。理由は分からないが、特に刺激しない限りは大丈夫だとアイは判断した。

 悩むまでも無く、適当な物陰に隠れておくべきだろう。少なくともアイにはそう思えた。幸いにも今日はマミが来る日だ。アイが輸血中の話し相手として呼んだので、時間的には既に到着していても可笑しくない。そして約束した時刻になってもアイが現れなければ、必ずマミは探し始める。そうすればマミはきっと、屋上に居る魔女の存在に気付くはずだ。あとは、彼女が魔女を倒してくれるのを待てばいい。

 絵本アイは一般人だ。魔法少女ではない、という意味ではそうとしか言えない。故にこの場において、彼女に与えられた役目はお姫様だ。静かに助けられるのを待つだけの、哀れで無力なお姫様こそが、アイの演じるべき役割だった。

「……はは、そりゃそうだ。ホント凄いもん」

 山となった化粧品の影に腰を下ろし、アイは乾いた笑いを零す。

 この世界は全てが違う。常識という常識を根元から打ち壊し、幼子が積み木遊びとして適当に組み直したような滅茶苦茶さだ。この異界で何かを成したいのなら、同じく非常識な存在になるしかない。ただの病人に過ぎないアイなど、初めからお呼びではないのだ。

 かつてマミは言っていた。魔女の結界に侵入した時は、どうしようもなく孤独感に襲われると。それはそうだ、とアイは納得した。こんな非常識な世界で、非常識な化け物と、非常識な存在として戦うのだ。日常との乖離を感じずにはいられないだろう。

「後で慰めてあげなきゃね」

 冗談めかしてアイが呟く。

 マミが孤独感なら、アイが覚えるのは無力感だ。言葉の通じない相手ばかりでは、アイに出来る事は一つも無い。気を紛らわせる意味も込めて、彼女は助かった後の事を考えようとした。

 その時だ。

『君は随分と落ち着いているんだね』

 朗らかな声。穏やかな声。不思議と耳を傾けずにはいられないそれに驚き、アイは反射的に振り向いた。

 はたしてそこに居たのは、奇妙としか言えない生き物だった。小さく白い体に、狐のような大きな尻尾。三角の耳からは平筆みたいな毛が伸びていて、黄色い輪っかに通されていた。そしてガラス玉を思わせる無機質な深紅の瞳が、丸い頭に乗せられている。

 アイはこの生き物を知っていた。直接見た事は無くとも、話だけなら、マミから色々と聞かされている。

『はじめまして、絵本アイ』

 会いたくても会えなかった相手が、探しても見付からなかった相手が、まるで当然の如く佇んでいた。紫の瓶に乗ったその生き物は、赤い二つの目でアイを見下ろしている。アイに向けられているはずのその視線は、だけど何故か、別の何かを見ているように感じられた。

『僕の名前はキュゥべえ。よろしくね』

 どこか事務的に聞こえる声が、瞠目したアイの耳を打った。


 ◆


「もうっ。アイはどこで油を売ってるのよ」

 屋上に繋がるエレベーター。その床を靴裏で叩きながら、不機嫌そうにマミがボヤく。

 約束通り病院にやって来たマミを待っていたのは、困り顔で立ち尽くす看護師だった。アイの担当としてマミともよく話す彼女によると、予定した時間になってもアイが姿を現さないらしい。あれでアイは模範的な患者だ。以前マミに会おうと抜け出した事を除けば、言い付けを破った経験はゼロに近い。だから病院側にとっては予想外の事態で、手の空いた者で探している最中だとマミは教えられた。

 アイの病気はある種の貧血だ。日常的に使われる眩暈などを指すものではなく、造血不全により根本的に血が足りていないのである。アイの顔が蒼白なのはそういう理由だ。また症状は他にもあり、もちろん眩暈も含まれる。マミや看護師が心配しているのはそれだった。

 またどこかで倒れたのかもしれない。それは十分に起こり得る事態だからこそ、マミ達は真剣にアイを探していた。

 病院の敷地内に限定すればアイの行動範囲は意外と狭い。血中の白血球が少ない彼女は免疫力が低下しており、感染症に掛かり易いのだ。だから人込みは避けなければならないし、感染症を患った患者には近寄れない。以前にマミの部屋まで押し掛けて来た時も、その後に高熱を出して寝込んでいる。あの出来事からマミは、一層アイの体調に気を配るようになっていた。

「本当に心配ばかり掛けて……」

 怒った顔を作りながらも、マミの胸には心配しかない。到着して扉が開いた瞬間、彼女はエレベーターから飛び出した。

「アイッ!!」

 呼び掛けに応えは無い。屋上を見回しても、視界に入るのは花壇と転落防止の柵ばかり。人影一つ無いその事実に、マミは肩を落とした。そのままエレベーターの中にとんぼ返りしようとした彼女は、しかし途中で足を止める事になる。悪寒があったのだ。背筋を這い回る嫌な気配。寒気を覚えるそれに、マミは心当たりがあった。

「魔女……?」

 呟き、改めて屋上を調べるマミ。すると中心部の辺りに、小さく空間の淀みが発生していた。近寄るまでもなく、マミには魔女の結界だと分かる。それも出来たばかりのものみたいだと、マミは冷静に分析した。

 暫しの逡巡。魔女を退治するかアイを探すか、その二択がマミを惑わせる。本来なら考えるまでもない。だがアイの存在は、それだけマミにとって大きなものとなっていた。魔女退治はアイを見付けた後でも良いのではないかと、そんな誘惑がマミを襲う。

 でも、とマミは反問した。探しているアイはどこにも居ない。加えてアイがよく訪れる屋上には、魔女の結界が張られている。これらの事からマミが想像したのは、アイが結界に取り込まれたのではないか、という最悪に近い状況だった。

 根拠の無い妄想と切り捨てる事は出来ない。そして一度回り始めたマミの思考は、負の方向へと加速し続ける。徐々に最悪の事態を予想し始め、既に手遅れの可能性を考えた次の瞬間には、マミは勢いよく駆け出していた。

 最初の一歩で変身し、次の一歩で結界まで辿り着く。そして三歩目には、マミは結界への侵入を果たしていた。

「アイ! 居たら返事してッ!!」

 叫び声が木霊する。けれど化粧品の山から返事は無く、ただ虚しく響いて消えるだけだった。

 辺りには使い魔の影しかない。どれだけ集中しても人の気配は感じられず、マミは苛立たしげに舌を打つ。たとえこの場には居なくとも、実際にアイを見付けるまでは安心出来ない。近場の山に飛び乗ったマミは、急ぎ周囲を見渡した。

 地の果てまで続く化粧品の山々。しかしマミは、そこに魔女の気配が無い事に気付いていた。彼女の経験上、このような場合は別エリアに繋がる扉が存在する。単純に道の先にある時もあれば、ただ扉だけが設置されている時もある。故に扉を見付けるには、視覚より魔法少女の直感に頼った方が効率的だ。

 程無くしてマミは、巨大な口紅の陰に黒い扉を発見した。直後に跳躍。あっという間に距離を無くし、マミは扉の前に降り立った。

「ん?」

 扉の取っ手を握ったところで、マミは床に落ちている何かに気が付いた。偶然としか言えない。鏡張りの所為で床の上にある物は見辛く、それがマミの目に入ったのはたまたまだ。だが同時に――――――――運命的でもある。

「嘘……」

 瞳孔を見開きマミが零す。その声はわななき、手は力無く口元を覆っていた。

 今にも崩れ落ちそうな膝を支えながら、マミは落ちていた”ソレ”に手を伸ばす。そうして拾い上げた物を確かめた途端、彼女の顔が恐怖に歪む。次の瞬間には罅割れ砕け散っても可笑しくないその表情は、マミの心そのものだ。

 大輪を模した花の髪飾り。震える手に握られたそれは、間違い無くアイの物だった。


 ◆


「…………マミから色々聞いてるよ。ボクには見えないっていう話だったんだけどね」

 暫しの黙考の後、アイはキュゥべえに言葉を返した。その顔が戸惑いがちに見えるのは、完全に不意を突かれた所為だ。

『僕の意思一つでどうにでもなるからね。今回は姿を見せた方が良いと判断したんだよ』

 キュゥべえの返答に頷きながら、アイは腰を上げた。そこに深い理由は無く、ただ、この白い生き物に見下ろされるのが気に食わなかったからに過ぎない。立ち上がった彼女は、それでもキュゥべえが乗る紫の瓶より低かったけれど、余裕を持つ切っ掛けにはなった。

 アイは改めてキュゥべえと正面から相対する。作り物じみた目が不気味だとか、何かのマスコットみたいな見た目が逆に可愛くないとか、そもそもマミの友達ぶってるところが気に入らないとか、そんな諸々の感情は一先ず横に置き、彼女は努めて冷静に話し掛ける。

「それはわかったけど、具体的にはなにをしてくれるんだい? 素敵な助言でもあるのかな?」

 問い掛けつつも、アイにはキュゥべえが次に発する言葉が分かっていた。それは論理的な推論と言うよりも、むしろ動物的な直感に近い。嫌な予感がアイの背を撫で、頭の中で警鐘を打ち鳴らしていた。

『マミから色々と聞いているんだよね? なら話は早い。僕と契約して魔法少女になってよ』

 当然のように、そして原稿を読み上げる機械のように、キュゥべえは淡々と提案を述べた。

 汗が滲む手の平を、アイは強く握り締める。キュゥべえの発言は予想通りで、また決して的を外したものだとは思わなかったが、だからと言って素直に頷けるほど、アイは殊勝な性格をしていない。

「キミは反対してるって、マミからは聞いてたんだけど?」
『あの時はマミも未熟だったからね。人として弱く、魔法少女の素養もそれなりな君を守りきれるほど、当時のマミは強くなかった。無理をして共倒れなんて結末になれば、僕としても不本意だからね。だけど今の彼女なら、君と共に戦い続けられるだけの実力がある』

 説明するキュゥべえの口は、ピクリとすら動かない。それは念話という特殊な通信手段を用いている所為だろうが、間近で見ているアイにとっては気味が悪い事この上無かった。何より表情が変わらない相手というのは、非常に胡散臭く見えるのだ。

 そもそもアイには疑問があった。この二ヶ月、マミはキュゥべえと会っていない。念話で呼び掛けても応えは無く、おそらく別の街に居るのだろうとマミは言っていた。つまりキュゥべえには、現在のマミの実力を知る機会など無かったはずなのだ。だが現に知っている。それはマミの知らない所で、キュゥべえが彼女を見ていたからに他ならないだろう。

 怪しい、とアイは思う。マミを見ていたなら、彼女の呼び掛けにも気付いたはずだ。それに応えない理由は、少なくともアイ達の視点からでは見付からない。という事は、キュゥべえにはアイ達とは異なる視点があると考える事も出来る。

「……いくつか質問があるんだけど」
『僕に答えられる事ならなんでも聞いてよ』

 純粋そうなキュゥべえの声。耳に心地良いはずのそれが、何故かアイの背筋を震わせる。
 小さく喉を鳴らし、アイはキュゥべえと目を合わせた。底の見えない赤い瞳が、アイを静かに観察している。

「まず魔法”少女”と言うけどさ、高齢の方は居ないの?」
『君の高齢が何歳を指すのかはわからないけど、この国での成人を超えた魔法少女は少ないよ』
「それは引退したということ? みんな殉職というわけではないよね?」
『魔法少女ではなくなる事を引退と呼ぶなら、彼女達は引退したと言えるね』
「その理由は? 歳を取ると魔法が使えなくなるとか?」
『年齢は関係無いよ。ただ、誰もがいずれはそうなる。だから魔法”少女”なのさ』
「つまり魔法の力は消耗品ということ? ソウルジェムはいずれその機能を停止する、と?」
『そうなるね。中には一月も経たずに魔法少女ではなくなった子も居るよ』

 更に問いを重ねようとしたアイは、思い留まって口を閉じた。

 違和感がある。疑念がある。何かが可笑しいと、アイの頭脳が訴えている。更に踏み込んだ質問をしたくて堪らない。だがそれはやるべきではないと、彼女は冷静に判断していた。

 ここは魔女の結界の中だ。そしてキュゥべえは得体の知れない相手だ。もしも尋ねた内容が藪蛇だった時、アイは自分の身が危険に晒される可能性がある事を理解していた。結局アイは、これっぽっちもキュゥべえを信用していないのだ。

 僅かな間を置いて、アイは矛先を変えて質問を続けた。

「じゃあ次の質問だ。キミはボクになにを望んでるの?」
『魔法少女になってほしい。僕の要求はそれだけだよ』
「そもそもどうして魔法少女を作るわけ? 魔女の問題は、ボクら人間の問題だろう?」
『それは違う。この問題は僕達にとっても非常に重要な事なんだ』
「キミの他にも同じようなのが居るわけだ。で、そちら側の目的は?」
『可能な限り魔法少女を生み出すこと。彼女達に手伝ってほしい事があるんだ』
「魔女はどうでもよし、と」
『いや、できれば魔女も倒してほしいよ。グリーフシードの回収も僕達の仕事だからね』
「そういえばマミが溜まってるとか言ってたっけ。手伝いっていうのは? マミは知らないみたいだけど」
『たしかにマミは知らないよ。でもいつかは手伝ってもらう予定だから、彼女もその時に知る事になるだろうね』
「手伝いの内容は? ボクには聞かせられない?」
『悪いけど教えられない。情報を秘匿しなかった所為で失敗した事があるからね』

 アイが押し黙る。顎に指を添えた彼女は、そのまま思考の海へと沈んでいった。

 言葉には裏がある。それは騙す騙さないの話ではなく、人間というのは、言外の意味も補完して考えるという事だ。たとえば『百点満点中六十点以上を取れば合格』という文章があったとする。この文章を読んだ時、多くの人は『六十点未満なら不合格』だと考える。しかしその考えは正しいとは言えない。提示された情報はあくまでも『合格の基準』のみであり、『不合格の基準』には一切触れていないからだ。だが実際には、ほとんどの人がそのように推論する。自身の持つ知識や常識から、言外の意味を補完しているのだ。

 キュゥべえと話したアイは、このような違和感を覚えていた。質問の意図を読み取って貰えない、あるいは質問の論点がズラされている。それがアイの感じた事だ。好意的かつ常識的に捉えれば、キュゥべえの説明には納得出来る。素直なマミなら信じるだろう。だがアイは違った。実のところ、キュゥべえは具体的な答えを何一つ返していない。どれも焦点をボヤけさせて、アイの側で補完させようとしていた。

 嘘は言っていないかもしれない。だが本当の事も言っていない。アイはそう結論付けた。しかしそこから先には踏み込めない。あまりにも正体の見えないキュゥべえに対抗するには、絵本アイという少女は無力過ぎた。

『それで、どうするんだい? 君の素養は低いけど、健康な体になる程度の奇跡は起こせるよ』

 呼び掛けによって意識を引き戻されたアイは、目を細めてキュゥべえを観察した。丸い顔には後ろ暗さの欠片も存在しない。だがそれは同時に、優しさや思い遣りの欠如にも繋がっている。些か変な表現かもしれないが、アイには人間味が薄いように感じられた。

「奇跡と言っても限りはあるわけだ」
『君達の祈りが源だからね。素養が低ければ、祈りによって生まれるエネルギーも少なくなるのさ』

 マミという実例が居る以上、アイは奇跡が叶うという話は信じている。また健康体になれるというキュゥべえの言葉も、嘘ではないと考えている。しかしだからといって、アイが奇跡を願うとは限らない。

『もちろん他の願いでもいい。最近では可愛くなりたいと願った子が居たね』
「ボクは生まれ付きの美少女だぜ。それに――――」

 アイの言葉は続かなかった。黒曜石にも似た瞳が見開かれ、キュゥべえの背後を凝視している。

『どうしたんだい、アイ?』

 問い掛けには答えない。否、今のアイには答えられなかった。

 女性が居る。顔を黒く塗り潰された女性が、数え切れないほどたくさん居る。彼女達は使い魔で、元からこの場に居た存在だ。しかし先程までとは違う。決定的に違う。黒に浸食されて存在しないはずの無数の目が、今はアイだけに向けられている。

 アイの矮躯が慄いた。怯えで、恐れで、射竦められた。

 言葉は無い。圧力だけがある。アイの心を押し潰そうと、あらゆる場所から責め立てている。ある者は口紅の陰に佇み、別の一人はコンパクトの上に立ち、また違う誰かは化粧水にもたれながら、顔無し人形達がアイを囲む。

「クッ!!」

 アイが駆け出した。逃げ出した。細腕でキュゥべえを抱き、彼女は鏡の床を蹴り飛ばす。

 背後で轟音。同時に大量のガラスを割ったような音が、アイの耳を揺さぶった。振り返る余裕は無い。足を止める暇も無い。逃げ場は無く当て所も無く、アイは遮二無二駆け抜けた。ただの十歩で疲れが溜まり、更に十歩で眩暈がした。けど倒れない。まだ倒れない。腕を振って歯を食い縛り、彼女は必死に前を目指す。

 前方には人形が居る。黒い顔をアイに向け、今か今かと待っている。それでもアイは止まらなかった。逃げ道など見当たらない。だからとにかく彼女は走る。それしか出来ないから、それしかやらない。

『左を見るんだ!』

 キュゥべえの声が響く。反射的にアイの足が左を向いた。

 扉がある。黒い扉だ。周りに壁も何も無く、ただそれのみで存在する奇妙な扉。そこに疑問を抱く間も無く、アイは一直線に扉を目指す。本能の命じるままに、人形から逃げる為に、全速力でアイが走る。

 不意に、アイの視界で何かが光った。すぐに、それが刃物と理解した。

「ッ!?」

 体勢を崩したアイがこける。上半身から倒れ込む。痛くて、辛くて、それでも斬られていない事に安堵して、彼女は立ち上がろうと右手をつく。でも、駄目。足が震えて立ち上がれない。だから這う。アイは両手を使って這い進む。

 扉は既に開いていた。取っ手を回したのはキュゥべえだ。

 床を這ってアイが進む。明滅する視界で扉を捉え、震える腕で体を支え、止まる事無く扉を目指す。走りより遅く、歩みより遅く、だけど無事に彼女は、黒い扉に辿り着く。そのまま扉を潜れば、そこにはまったく別の景色が広がっていた。

『さて、早く閉めないと』

 こんな時でも、キュゥべえの声は変わらない。アイが振り返ると、扉は既に半分以上が閉じていた。そうして閉まりきる直前にアイが見たのは、大きな鋏を持ったまま床に倒れた人形と、それに躓き将棋倒しとなった人形達の姿だった。

『これで大丈夫。エリアを跨いで追ってくるほど、あの使い魔達は熱心じゃない』

 キュゥべえの言葉に、アイは応えられない。漆黒の床に両手をついた彼女は、空気を求めて必死に肺を動かしていた。

 頭が痛い。胸が痛い。息が苦しい。世界が白む。とにかく辛くて、アイ自身、意識があるのが不思議なほどだ。脂汗が滲み出て、青白い顔は苦悶に歪む。前に本気で走ったのはいつだったか考えようとして、アイはすぐにやめた。覚えていないくらい昔の事だ。

『キーワード、だろうね』

 僅かな心配すら感じさせない声音で、キュゥべえがいきなり呟いた。

『魔女にはなんらかの感情的な性質がある。そこに触れる言葉があったから、使い魔達が襲ってきたんだ』

 聞いてもいない事をベラベラ喋るキュゥべえ。それを鬱陶しいと感じつつも、アイはキーワードについて思考を巡らせる。

 キーワード、あるいは禁句とでも呼ぶべきそれは、十中八九『可愛くなりたい』か『美少女』だろう。文字通り山積みの化粧品や繰り返し化粧をし続ける使い魔の存在を考慮したら、アイは自然とそこに行き着いた。きっとこの魔女は、自分と違って容姿に恵まれなかった女達の怨念から生まれたに違いないと、アイは確信していた。

「っ……はっ……ふぅ…………」

 馬鹿な事を考えている内に、アイの息も整ってくる。ちょっとだけ余裕の出来た彼女は、扉に背を預けて座り込んだ。すると投げ出された両足の間に、キュゥべえがゆっくりと歩いて来た。赤い目が、疲れたアイの顔を見上げる。

『辛いようだね。君の安全の為にも、契約してくれたら助かるんだけど』

 声を出せず、アイはキュゥべえを睨み付ける事で答えた。

『やれやれ仕方無いね。ところで病気が完治する見込みはあるのかい?』

 一瞬だけ迷った後、アイは素直に首を振る。可能性が無い訳ではないが、医者からはほとんどゼロに等しいと言われていた。

 本来アイの病気は、決して治らないものではない。むしろその逆で、適切な治療さえ受けられれば高確率で完治する病気だ。それはアイも同じで、まだ両親が生きていた頃の彼女には、十分に治る見込みがあった。骨髄移植。それが上手くいけば治ると教えられ、アイは幸運にも母親の骨髄を移植出来ると判明していた。

 すぐに手術をしなかったのには理由がある。アイが正式に診断されたのは六歳の時で、インフルエンザによる入院が切っ掛けだ。以前から病気がちだった事もあり、小学校入学前に一度検査しておくべきだと、伯父に強く勧められたのである。そしてアイの貧血が判明したのだ。しかしまだ幼く、体の弱いアイでは耐えられないかもしれないと、手術は先送りにされた。彼女が一年のほとんどを病院で過ごすようになったのもこの時からだ。学校に通う事も出来たが、両親はしっかりと管理された環境でアイが体力をつける事を望んだのだ。

 そして入院から三年。小学校に通っていれば四年生に上がるはずだったその春に、アイは手術を受ける事となった。徐々に重くなる病状に不安を覚えながらも、健康的な生活を続けた成果だった。大好きな母の骨髄を貰い、自分は健康になる。その事に申し訳なさを感じつつも、彼女は両親に感謝していた。だから、あんな事を言ってしまったのだ。

『結婚記念日なんでしょ? 二人で旅行にでも行ってきなよ』

 いつも迷惑ばかり掛けているから、手術の前に羽を伸ばしてほしい。そう思ったからこそ、アイは提案したのだ。最初は渋っていた両親もやがて折れ、楽しそうに計画を立て始めた。最終的に決まった行き先は岐阜県の白川郷。二人にとっては思い出の地であるらしく、退院後はアイも連れて訪れたいと言っていた。そして出発の日、朝早くから出掛ける両親を、アイは病院の玄関で見送ったのだ。

 アイが両親の訃報を聞いたのは、それから十時間後の事だった。

 二人が遭った事故の詳細について、アイは今でも知らない。ただ葬儀が終わり火葬され、骨と灰だけになったその時まで、彼女は両親の遺体を見る事を許されなかった。当然手術は中止で、暫くの間、アイはベッドの上で物思いに耽るだけの日々を過ごす事となる。

 ここまでなら、ただの不幸な話で済んだのかもしれない。だが本当にどうしようもないのは、ここからだ。

 両親の死から一月が経ったある日、アイはインフルエンザに掛かった。明確な原因は分からない。ただこの頃のアイは当て所も無く院内を徘徊する事があったので、それが理由だと考えられている。そして精神的に弱っていた時期のこれは、思いのほか治療に時間を要した。熱も痛みも引く気配が無く、アイは朦朧とした意識で苦しみ続ける事になる。最悪なのは、ようやく快方に向かってきたかという頃に肺炎を併発した事だ。結局アイの容態が安定するには、二ヶ月以上の時間が必要だった。

 この出来事がアイの明暗を分ける事になる。元々あまり強くなかった彼女の体は、二ヶ月に及ぶ寝たきり生活ですっかり弱り切っていたのだ。たとえ新たなドナーが見付かっても手術に耐えるのは不可能だろうと、アイは沈痛な表情の医師に告げられた。

 だがアイは若い。幼いとすら言える。だから入院を続け、管理された中で健康的な生活をしていれば、いつか体力が戻って手術出来る日が来るかもしれない。それが残された最後の希望だった。しかし数年が経った今でも、アイの体は弱いままだ。

「……ふぅ。少し楽になったし、移動しようか。流石にここは心臓に悪い」

 アイが昔を思い出している間に、幾許かの時間が経っていた。未だに痛む頭を押さえながら、アイはふらつく足で立ち上がる。同時にマミから貰った髪飾りが無い事に気付く。辺りを探しても見付からず、アイは顔を顰めて舌を打つ。仕方無い、と彼女は緩やかに首を振る。

 ここに来てアイは、ようやく周囲を観察する余裕を持てた。そしてこの場所もまた、一目で分かるほど変な空間だと気付く。先程は化粧品だらけのエリアだったが、今度は黒い扉だらけだ。広く長い通路の両脇に、無数の黒い扉がズラリと並んでいる。

 プライベート空間という事かもしれない。綺麗な自分は見せたくても、醜い自分は見せたくない。だから化粧をしていない素の自分を隠す為の場所が、必ず必要になってくる。通路を歩きながら、アイはそんな益体も無い事を考えた。

「そういえば、魔法少女の素質はどうやって決まるのかな?」

 ふと、アイが尋ねる。それは以前から気になっていた事だった。

 絵本アイは魔法少女としての素養が低いらしい。なら、それは何によって決まっているのだろうか。頭脳だろうか、肉体だろうか、あるいはもっと別の何かだろうか。そしてそれは、努力で変わるものだろうか。その事を、アイはずっと気にしていた。

『背負い込んだ因果の量だよ。たとえば一国の女王や救世主なら、かなりの素質を秘めているだろうね』
「ふぅん…………なるほど、ね」

 因果の量、というのはアイにとって慣れない言葉だが、なんとなくのイメージは理解した。同時に、納得も。

 きっとアイは、背負わせる方だ。父に、母に、伯父に、そして他にも色んな人に背負われて、ずっと彼女は生きてきた。生かされてきた。その小さな体に背負った因果なんて、本当にちっぽけなものだろう。だから彼女は弱い。それはたぶん、役立たずの証明だ。

 アイが拳を握る。その力は弱くて、血なんて滲むはずも無くて、彼女はそれが悔しかった。

『何かがこの空間に入ってきたみたいだね。どこかの部屋に避難しよう』
「おっと、そりゃ大変だね」

 わざとおどけたふうに肩を竦め、アイは手近な扉に手を掛ける。取っ手を回せばすぐに開き、彼女は急いでその身を押し込んだ。後ろ手で扉を閉め、そこで彼女は息をつく。青白い顔には、肉体的なものだけではない疲れが滲んでいた。

 だが、いつまでもぼんやりしている訳にはいかない。大袈裟に首を振って、アイは顔を上げる。

「あっ」

 思わずアイが漏らした声は、随分と間の抜けなものだった。馬鹿みたいに口を開け、彼女は目の前の存在を仰ぎ見る。

 それは巨大だった。全長十メートルはくだらないだろう。それは人の形をしていた。女性と思われる体は真っ赤なドレスに包まれている。それは顔が無かった。真っ白でのっぺらな何かが首に乗っている。

 驚異的な存在感。圧倒的な違和感。この奇妙な空間に当然の如く馴染んでいるそれは、やはり可笑しな存在だ。さっきまでの使い魔とは比べ物にならないほどの悪寒を感じさせるそれを、アイはたぶん知っている。

 それはきっと、魔女と呼ばれる化け物だ。

『まさか魔女の部屋に入るなんてね。でもよかった、まだコチラには気付いていないみたいだよ』

 アイはキュゥべえの話を聞いていない。そんな余裕は無い。ただ後ろに回した手を動かし、忙しなく扉の取っ手を探している。だが、何も手に触れない。さっきまで握っていたはずの取っ手が、どれだけ探しても見付からない。

「……ッ!?」

 振り返ったアイが目にしたのは、扉の影すら見当たらない真っ白な壁だった。数瞬の間。それはアイが冷静になるまでの時間だ。胸の裡で荒れ狂う感情を押さえ付け、彼女は表面上の落ち着きを取り戻す事に成功した。

 改めて、アイは魔女へと視線を向ける。

 魔女は部屋の中心に居た。その手には手鏡を持ち、周りには多くの鏡台や姿見が置かれている。そしてこの魔女もまた、化粧をしていた。今は丸太のような口紅を握り、真っ白な顔に真っ赤な唇を”描いて”いる最中だ。

『アイ、今が契約するチャンスだよ』

 魔女の化粧は手慣れたものだった。唇の次は鼻、その次は眉、そして目を描き終わった今は、睫毛を一本ずつ足している。丁寧な手付きでありながら素早く、あっという間に女性の顔が出来上がっていく。もっともそれは、とても美人とは呼べない滑稽なものではあったが。

『今ならまだ、君の願いを叶える時間がある』

 最後の睫毛を描き終えて、魔女の顔が完成する。直後、その顔がアイの方へと向けられた。黒く塗り潰された瞳がアイを捉え、離さない。魔女は最初からアイに気付いていたのだ。アイが何もされなかったのは、ただ化粧が終わっていなかったからに過ぎない。

 喉を鳴らし、後ずさるアイ。すぐに背中が壁にぶつかり、彼女は動きを止めた。

 このピンチを脱する為に何をすれば良いのか。簡単だ、キュゥべえと契約すればいい。では何を願えば良いのか。単純だ、健康な体を願えば良い。それは当然の選択であり、当然の帰結でもある。アイだってそれは否定しない。合理的に考えればそれしか選択肢は無く、死にたくなければそうするしかない。百人に問えば百人が同じ答えを出すだろう。

「――――――ならない」

 だがアイは、百一人目の人間だった。

「ボクは、魔法少女にはならない」
『本気かい? 死ぬかもしれないんだよ?』

 アイは躊躇い無く頷いた。そんな事は百も承知だ。

「これまでボクは、色んな人に助けられてきた。手を借りるばかりの人生だった」

 誰かの手を煩わせ、誰かの金を食い潰し、誰かの心を配らせながら、アイはずっと生きてきた。お荷物でしかない生き方だ。お姫様としてチヤホヤされるだけの人生だ。無力で、無価値で、哀れみしか生まない存在だ。

 そんな自分を、アイは心の底から憎んでいる。

 両親が生きていた頃のアイは、まさしくお姫様だった。全てが彼女に優しくて、全てが彼女の為に用意されていて、ただ言われるがままに生活していれば、幸せも正しさも転がり込んできた。それで良いと、かつてのアイは思っていたのだ。小学校に通えなくても辛くなかった。規則正し過ぎる入院生活も苦ではなかった。両親の言う通りにすれば、きっと大丈夫だと信じていたからだ。

 でも、結果はこの通りである。目も当てられない転落だった。

 自分が不幸になった事を、アイは恨んでいない。父も母も運命も、何一つ恨んでいない。唯一、両親に何も返せなかった自分だけを恨んでいる。昔、母の骨髄を貰ったら、それを誇りにして誰かを助けられる人間になるんだと、アイは両親に誓っていた。よく出来た娘だったと、アイは自分でもそう思う。模範的な解答だったと、彼女は自分でも感じている。

 けどそんなものは所詮、誰かに助けて貰わなければ、誰かを助ける事も出来ない人間性の証明だと、今のアイは考えている。本当に他人の役に立ちたいのなら、いま手元にあるもので全力を尽くすべきなのだ。それを理解していなかったから、アイは両親に何一つ返せなかった。こうして今も、彼女は後悔し続けている。

「だから奇跡が叶うというのなら、それはきっと――――――――ボクの為の願いじゃない」

 健康体になれば、アイの世界は広がるだろう。他人を助ける手段も増えるだろう。でもそれはもしもの話で、空想の話で、アイにとっては手元にある力の方が重要だ。奇跡なんていう都合の良い力があるのなら、その力で誰かを助けたかった。それが彼女の生き方だ。

『君が良いなら、僕もしつこくは言わないよ。無理強いはできないからね』

 感情の籠らないキュゥべえの声。やはり信用出来ない生き物だと、アイは他人事のように考えた。

 魔女は怖い。アイは心底恐れている。光の無い目で見詰められたら怖気が走るし、振り上げた手で何をしようとしているのかなんて、想像するだに恐ろしい。魔女が微かに身動いだなら、アイはその何倍も大袈裟に体を跳ねさせるのだ。

 際限無く募る恐怖心。胡散臭かろうがなんだろうが、キュゥべえの奇跡に縋りたくなるこの状況。それでもアイは、前言を翻そうとはしなかった。意地でもするもんかと、彼女は歯を食い縛った。

『ただこのまま何もしなければ、君は呆気なく魔女に殺されるだろうね』
「はっ、構うもんか」

 アイは震える声で強がった。

「一度きりの奇跡すら自分の為に使うのなら、ボクは一生誰も救えないままだろうさ」

 だったらここで死んでも同じ事だと、アイは本気で考えていた。

「それに、さ」

 アイが笑う。自嘲と、呆れの混じった笑みだった。

 言葉を操るしか能が無い。アイは自分をそう評している。ならこんな時でも、そんな自分であるべきだと彼女は考えた。この状況でアイの言葉をまともに聞いてくれるのは、それこそ彼女自身くらいなものだろう。だからアイは自分を騙す。綺麗事で、お茶濁しで、その場凌ぎの嘘っぱちだとしても、彼女の力はそれしかないのだ。

「奇跡と言うなら、マミと出会えた事こそが奇跡だって、ボクは今でも信じてる」

 アイが微笑む。穏やかで、安らかで、天使のように澄んだ笑顔だった。
 直後に轟音が鳴り響き、魔女の全身が光に包まれる。たとえるなら天の雷。圧倒的な光の奔流が、上空から魔女に降り注ぐ。

 魔女の悲鳴が耳を突く。怖気が走る醜い声は、最後に残す断末魔。そして魔女は爆炎に包まれた。噴煙がアイまで届き、温かな風が頬を撫でる。反射的に目を細めた彼女は、それでも魔女から視線を逸らさなかった。

 消えた魔女の居た場所に、一つの影が静かに降り立つ。小さな影だ。形は人型。煙の中で暫し佇んでいたその影は、それからアイ達の居る方へと歩いて来た。未だに姿は判然としない。けど頭の横で揺れる巻き髪も、右手に持った筒型の何かも、アイにはたしかに見覚えがある。響く靴音が高鳴る鼓動みたいで、アイは胸が締め付けられるような苦しさを覚えた。

 そして彼女が現れる。アイにとっては少しだけ見慣れた、けれどやっぱり見慣れない格好の彼女。いつもと違う厳しい表情をした彼女は、アイの存在を認めた瞬間、その歩みを止める。

 蜂蜜色の瞳が、大きく見開かれた。

「――――アイッ!!」

 気付けば腕の中に納められ、アイは床に押し倒されていた。耳元ですすり泣く音が聞こえ、視界の端には蜂蜜色の髪が映る。だからアイは腕を伸ばして、彼女の頭を撫でてあげる。優しく、温かく、アイは彼女を慈しむ。

 巴マミ。たぶんこの世で唯一、アイを頼りにしている友達。きっと世界で一番、アイが縋っている相手。弱虫で泣き虫な彼女は、やっぱり今も泣いているけど、今日は誰よりヒーローだった。

「助けてくれて、ありがとう」

 見上げた先に天井は無く、アイの視界には、澄み渡る青空が広がっていた。


 ◆


「ほんとに心配したんだからっ」
「仕方無いでしょ。今回の件は事故だ」
「きっと気合いでどうにかなるわ」
「無茶言わないでよ」

 屋上に繋がるエレベーター。その扉の前で姦しい会話を繰り広げるのは、魔女との戦いを終えたアイ達だ。予定の時間より遅れてしまったが、これからアイは輸血を受けて、いつも通りの今日に戻る。エレベーターに乗り込めば、そこで非日常はお仕舞いだ。

「キュゥべえもキュゥべえよ! 私に報せてくれてもいいじゃない!!」
『それについては謝るよ。アイが教えてくれればよかったんだけど、君が近くに居るとは知らなかったんだ』

 悪びれた様子の無いキュゥべえの言葉を聞いて、アイの方を睨むマミ。口元が綻びそうになるのを耐えつつ、アイは黙って両手を上げた。責めながらも潤んで泣き出しそうなマミのジト目が、彼女には嬉しかったのだ。そしてアイは、キュゥべえを冷たく見下ろした。

 キュゥべえの発言はあまりに白々しい。見た目通り真っ白だ。そして中身は真っ黒なのだろうと、アイは心の中で吐き捨てる。

 たしかにアイは、マミが病院に居た事を伝えていない。だがキュゥべえはその可能性に思い至っていたはずだ。キュゥべえがマミと一緒に行動していた頃から、彼女は頻繁に病院を訪れていたのだから。

 アイは念話という通信手段に慣れていない。キュゥべえにマミの事を伝え忘れたのも、念話の存在を失念していた所為だ。しかし日常的に使っているキュゥべえは違う。普通に考えれば、一度は呼び掛けを試すはずだ。それをしなかったのは、やはり意図的に無視していたとしか考えられなかった。だがそれを起点に攻めるには、アイの持ち札が少な過ぎる。

 結局アイは、何も言わずキュゥべえから視線を外した。

「……まぁ、無事だったならそれでいいわ」

 マミが苦笑する。同時にエレベーターが到着した。音と共に扉が開き、アイとマミが中に乗り込む。しかしエレベーターに乗ったのは二人だけだ。キュゥべえは動く事無く、その場で二人を見送った。

「キュゥべえは来ないの?」
『たまたま近くに居ただけだからね。アイには断られたし、別の契約者を探しに行く事にするよ』

 マミの眉根が寄せられる。一転して鋭くなった目が、佇むキュゥべえに向けられた。

「キュゥべえ。アイに危険な事はさせないで」

 冷たい声だった。そこには優しさの欠片すら感じられず、発したマミを、アイは思わず凝視する。いつもは感情豊かなマミの表情が、今は能面のように動かない。見慣れた友達が別人になったみたいで、遠くに行ったみたいで、アイは知らずマミの服を握っていた。

『今回は彼女の安全を考えての事だったんだけどね』

 ただの雑談でもしているみたいなキュゥべえの態度。それがアイには不気味だった。本物のマスコット人形のように表情が変わらないキュゥべえを、アイは自然と見詰めてしまう。すると赤い瞳が、彼女の方へと向けられた。

『どうやら、マミには話していないみたいだね』

 最後にその台詞を残して、キュゥべえは去って行った。その背中が完全に見えなくなる前に、エレベーターの扉が閉じられる。箱の中には戸惑うマミと、目を細めたアイの姿があった。

「アイ? もしかして、私になにか隠してるの?」
「いや、心当たりは無いよ。どういう意味だったんだろ?」

 不安そうに尋ねてくるマミに対し、アイは真顔でそう返す。けど本当は、思い当たる事が一つあった。

 出会ってから三ヶ月。その間にマミは、色々とアイの病気について知った。どんな症状があるのかとか、どんな治療をしているのかとか、何をしてはいけないのかとか、そういった知識を、今のマミは持っている。

 だけどマミは知らない。アイが長くは生きられない事を、彼女はまだ知らない。




 -To be continued-


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