いつも通りの学業を終えれば、いつも通りの放課後が訪れる。ほんの一瞬前の静けさから一転して、教室は賑やかな空気で満たされた。すぐに帰宅の準備を始める生徒に、部活へと向かう生徒、雑談に興じる生徒など、みんな好きなように自由な時間を過ごしている。
まどかもまた、友人であるほむら達と集まり、話に花を咲かせていた。
「まさか当てられるとはねぇ。このさやかちゃんの目をもってしても見抜けなかったわ」
「たとえ見抜けたところで、結果は変わらないでしょうけどね」
「なにおう。落ち着いてやれば、あのくらいラクショーだっての」
言い合いを始めたほむらとさやかを見て、まどかは仁美と顔を合わせて苦笑する。いつもの事ではあったが、だからこそ呆れもするというものだ。
ほむらとさやかは仲がよくない。悪いという訳ではないのだが、お互いに思う所があり、どうにも素直に接する事が出来ないようだった。
とはいえそれも無理からぬ事だ。ほむらは以前、魔女になりかけた魔法少女を殺した事がある。また、さやかを銃で撃った事も。そうした事情を鑑みれば、むしろほむらに対して隔意の無いまどかの方が可笑しいのかもしれない。
「失礼しまーす!」
聞き慣れた声に惹かれて、まどかは教室の入口へと目を向ける。するとそこには、制服に身を包んだアイとマミの姿があった。ここ暫くで見慣れた光景のはずだが、上級生二人の存在に、周りの生徒は少しばかり緊張している。
「やぁやぁ、お待たせ。可愛いボクのお出ましだっ」
なんの遠慮も無くまどか達の傍まで歩いてきたアイが、朗らかな笑顔でそう告げた。その顔は以前と比べるまでもなく血色がよく、健常者のそれと変わらない。
まどかの願いによって健康な体を手に入れたアイは、現在に至るまで大きな問題も無く、順調に日々を過ごしている。こうして学校に通っている事が、その証左だろう。元々在籍はしていたらしいが、登校した事は一度も無く、クラスメイトには転校生に間違われたと、アイは笑って話してくれた。
「ほら、早く帰ろうぜ。明日はお休み、今日は我が家でお泊りだ。仁美が参加できないのは残念だけど、ほむらちゃん達は来てくれるんだろ?」
「もちろんよ。楽しみにしているわ」
「バッチリ準備してます! 今日はよろしくお願いしますね」
アイの言葉で、ほむら達はアッサリと言い合いをやめてしまった。そんな二人の態度に、まどかは再び仁美と一緒に苦笑する。次いで仁美は、頬に手を添えて嘆息した。
「わたくしも行ければよかったのですけれど」
「しょうがないよ。お家の用事があるんでしょ?」
「そうそう。次回の楽しみが出来たと思って、今回は自分の用事を優先しなよ」
割って入ってきたアイを見て、仁美が何度か瞬いた。
「あら、次があるのですか?」
「もちろんあるよ。その次も、そのまた次もある。必ずね」
穏やかな口調でそう答え、アイは静かに目を瞑る。その言葉に、その姿に、まどかは切なさが込み上げてきた。知らず、右の手の平を握り締めてしまう。
お泊り会を開こう、と提案したのはアイだ。いきなりの話ではあったが、特に否定の声は無く、この場には居ない杏子達も交えて、トントン拍子で予定が詰められた。場所は退院したアイが住んでいる彼女の伯父の家で、期間は一泊二日。途中で仁美が参加できなくなるというアクシデントはあったものの、まどかは素直にこの日を楽しみにしていた。
ただ先程のアイの言葉で、少しだけ考えてしまう。はたして本当に”次”はあるのだろうか。たとえあったとして、そこに全員が揃っているのだろうかと。
鹿目まどかは魔法少女だ。近しい友人達も、仁美を除けば同じ立場にある。だからちょっとした運命の悪戯で、あるいは必然の名の下に、命を落とす事もあり得てしまう。いつもは考えないようにしている事だが、一度でも思考に上ると、意識せずにはいられない。
今の日常を幸せだと感じるからこそ、まどかは薄氷の下を恐れていた。
「どうしたの? 怖い顔してるぜ」
真っ黒で大きな瞳。気付けば間近に迫っていたアイに驚き、まどかは僅かにのけ反った。そんな彼女の様子を、アイは目を細めて眺めている。
「人生に悩みは付き物だけど、それを乗り越えるのも人生って事を忘れちゃダメだぜ」
邪気の無い笑み。芯の通ったその声音。全てを見透かすようなアイの言葉に、まどかは何も言えなかった。ただ恐れを見せない彼女の姿には、ちょっとだけ勇気付けられる。
「ま、考え事は後でも出来るし、まずは帰ろう。そうしよう。そろそろマミが怖いしね」
アイの視線が教室の入口へと向かう。つられたまどかがそちらを見れば、マミが笑顔で佇んでいた。そう、笑顔である。笑顔ではあるが、笑っていないとまどかは思った。
「わわっ」
慌てて荷物を纏めて、まどかは席から立ち上がる。ほむら達も同様で、各々の手には鞄が握られていた。そうして準備が出来た所で、みんなでマミの方へと駆けていく。
「ごめん、待たせちゃったね」
「まったくよ。話し込むなら帰りながらでいいじゃない」
ツンとそっぽを向いたマミは、けれどすぐに頬を緩めた。
「まぁいいわ、帰りましょう。早くお夕飯の準備をしなくちゃ」
歩き始めるマミの隣にアイが並び、ほむら達も二人に続く。まどかもまた歩みを進めて、集団へと加わった。そうしてみんなで、何気ない話題で盛り上がる。
胸の奥底に潜む不安は、今も消えた訳ではない。これから先も、消える事はないだろう。それでも友達と共に居られるこの瞬間は、まどかは自然と笑顔を浮かべられるのだった。
◆
「それじゃ、私は一旦家に帰るわね。暁美さん、アイの事は任せたわよ」
「ええ、任せなさい。決して危険な目には合わせないわ」
「いやー、なんだろうこの気持ち。嬉しいんだけど、なんかビミョー」
夕焼けに染まる交差点。ほむらとアイは、そこでマミと別れた。まどか達は既に居ない。アイの家に泊まる為の荷物を取りに、みんな自分の家へと帰って行った。こうしてほむらとアイが二人で居るのも、互いの家が近く、帰り道がほとんど一緒というのが理由だ。
自宅へと続く人通りのまばらな道を、ほむらはアイと歩いていく。一緒に帰り始めてから一月も経っていないはずなのに、ずっと前からそうであるかのような錯覚を覚えるほむらだった。なんというか、気安いのだ。マミやまどかとは、また別の意味で。
「みんな過保護だよねぇ。帰っても杏子が居るし、近頃は一人になった覚えがないぜ」
薄紅の唇を尖らせながら、アイがぼやく。
前にも似た事を言っていたなと、ほむらは思った。
「それだけ貴女の存在が重要という事よ。みんなが全てを知った上で落ち着いていられるのも、貴女が居れば取り返しがつくと、心のどこかで安心しているからでしょう」
「わかってるさ。砂漠の蜃気楼であろうとも、希望である事には違いない」
ほむらは口を噤む。真実であるからこそ、アイの言葉は重かった。
アイの能力については、仲間の魔法少女全員が知っている。マミが執拗に迫ったから、という訳ではなく、アイの方から進んで教えてくれた。その理由は、おそらく今の会話の通りだろう。アイの能力は強力で、保険としてはこの上ない。だからこそ、ほむら達の精神を安定させるという面では、非常に効果的だった。
しかし一方では、正体の見えない代償が恐ろしくもある。
奇跡を叶える度に因果が歪み、その歪んだ因果は、やがてアイの周囲に襲い掛かる。ともすれば、それまで救ってきた全てを壊しかねない災厄として。
だがそんな災厄すらも、アイが生きていれば挽回できるかもしれない。そう思えばこそ、ほむらもマミも、他の魔法少女も、アイを生かさねばならないと考えるのだ。
「なんとかしないとね。守られるのは趣味じゃないし、砂上の楼閣に住まうのも気持ちが悪い」
嘆息。次いでアイは、ほむらの方を見る。
ニヤニヤと、意地悪げに白い頬が歪んでいた。
「ほむらちゃんってさ、割とマミの事が好きだよね」
「…………いきなり何を言い出すのよ」
跳ねた心臓に気取られぬよう、ほむらは努めて声音を低くした。
たしかにほむらは、マミを大切な相手だと思っていた。今も、思っているかもしれない。何度も同じ時間を繰り返していた時とは違い、今は随分と平和な日常を過ごしている。その環境が、かつての関係を思い出させるというのも、否定はしない。
だがほむらとしては、そうした感情を表に出したつもりは無かった。これまで通り、マミとの関係はビジネスライクな部分を押し出してきたはずだ。そこに深い意味は無かったが、なんとなく気恥ずかしくて、そう接する事しか出来なかった、という面もある。
「いやいや。前から思ってた事だし、大事な質問だぜ」
両手を広げてアイが言う。
次いで、間。訪れた、一瞬の静寂。
「だってほむらちゃんは、過去に戻れる能力を持っているだろ?」
瞬間、ほむらは呼吸を失った。見開いた目に、隣のアイを映し出す。
能力の事は誰にも教えていない。なのにアイの顔は、ある種の確信に満ちている。
「時間に関係する能力って事はわかってた。前に未来視じゃないと言ってたから、それなら時間遡行かなって予想もしてた」
なるほど、出会った時にそんな話をした気がすると、ほむらは思い出す。またそうであるならば、アイが察したとしても、不思議は無いのかもしれないと。
「あと、マミやまどかを見る目に、凄く感情が籠ってるからね。他のみんなは気付いてないみたいだけど、二人が笑ってる時のほむらちゃんは、凄く幸せそうなんだ。でも二人と話す時は、たまに悲しそうな顔をしてる」
なるほど、なるほど。たしかにそういう面もあっただろう。ほむらとしても自覚する所はあるため、一概に否定できる言葉ではない。
「だからわかったんだ。認識の擦れ違いとか、その理由とか、色々とね」
「……それで? たとえそうだったとして、貴女は何が言いたいの?」
ただ、気まずくはあった。だからほむらは、打ち明ける事を躊躇っていた。
何度もやり直したと、まどかやマミと親しい関係にあったのだと、伝えたとする。それを聞いて、彼女達はなんと思うだろうか。その事実を、喜んで受け入れてくれるだろうか。
まさか、とほむらは否定する。ただ困らせるだけだと理解している。
だからほむらは沈黙するのだ。秘して、隠して、思い出のゴミ箱に押し込んで、今の日常を邪魔しないようにする。あの繰り返し続けた一ヶ月を、重ね続けた苦悩を、無かった事にする。彼女はそう決めたのだ。
「ありがとう」
綺麗な響き持ったその声に、ほむらはまたもアイを凝視した。
「知っての通り、マミとまどかは強力な魔法少女だ。正直、桁違いと言ってもいい。でも、本来は二人ともそこまで強い素質は持っていなかった。そうだろ?」
ほむらは否定しない。出来ない。アイの言う通り、最初の頃のまどかは、そしてこの周回以前のマミは、常識の枠に収まるレベルの魔法少女だった。
「ただの少女に過ぎない二人が、何故あれほどの因果を背負うようになったのか? その原因はほむらちゃんにあると、ボクは考えた」
アイの人差し指が、ピッとほむらへ向けられる。
「つまりほむらちゃんが因果を引っ張ってきた、という推測さ。キミがまどかの為に、あるいはマミの為に時を遡るという事は、それによって齎される事象の原因が二人にあると言い換える事も出来る。その繰り返しで、まどか達は膨大な因果を背負うようになったんだ」
そこで言葉を区切り、アイは静かに微笑んだ。
なんの含みも感じさせないその雰囲気に、ほむらは自然と呑まれていた。
「だからこそ、ありがとう。キミがどんな時間を過ごしてきたのか、ボクに知る事は出来ないけれど、その結果としてこの日常があるんだって、ちゃんとわかってるから」
「…………貴女の悪い癖ね。そうやって、すぐに周りを甘やかそうとする」
酷いな、とアイが笑う。全てを見通すかの如く、ほむらを見返す。その視線から逃れるように、ほむらは明後日の方へと顔を向けた。
「でも、ありがとう」
それだけ言って、ほむらは足を速めた。
何も言わずに、アイは後ろをついてきた。
◆
お泊り会と言っても、何か特別な事をする訳ではない。毎週末を絵本家で過ごしているマミにとっては、本当にいつも通りの延長だ。帰宅して私服に着替えた彼女は、用意していた荷物を持ってアイの家へと向かった。
通い慣れた道を進み、ほどなくして絵本家に到着したマミを出迎えたのは、私服姿のアイだ。ショートパンツに緑のパーカーというその姿は、間違い無く誰かさんの影響だろう。
小さく溜め息をついたマミは、右手で額を覆い隠した。
「まだ寒いのだから、もっと温かい格好をしなさい」
言われたアイは、クルリと一回転。
長い黒髪をたなびかせ、彼女は胸を張ってマミを見た。
「似合わないかな?」
「……色が好みじゃないわ」
にっこりと笑うアイから、視線を逸らすマミ。似合わない、とは言えなかった。以前とは異なり健康的な肌色を手に入れた今のアイならば、たしかにこういった服装も合っている。もっとも身長は相変わらずなので、子供らしさを強調している面もあるのだが。
「とりあえず中に入ろうか」
「ええ、お邪魔します」
脱いだ靴を揃えたマミは、先導するアイを追って、綺麗に磨き上げられた木製の廊下を進んでいく。最初は緊張したこの場所だが、今では我が家のような安心感すらあるほどだ。
「今日は人が多いけど、夕ご飯の食材は大丈夫?」
「もちろん。我が家の穀潰しが買ってきたから、食材の準備は万全だよ」
話しながら、アイは通り掛かったリビングに目を向ける。そこでは杏子と帽子の女の子、ほむらの三人がソファに座って、肩を並べてゲームをしていた。と思えば、杏子がジト目でこちらを振り返る。
「誰が穀潰しだっての。ちゃんと家事は手伝ってるだろっ」
「あら、隙だらけ」
「うわっ!? タンマタンマッ!!」
「杏子って意外と馬鹿だよねー」
和やかなリビングの喧騒に、マミとアイは笑みを零す。
現在、この家には三人の人間が住んでいる。アイと、彼女の伯父である雅人と、居候の杏子だ。杏子に一緒に住もうと持ち掛けたのはアイで、幸か不幸か、彼女にはそれを実現できるだけの環境があった。潤沢な資産と、各方面に伝手を持つ雅人の存在により、滞りなくこの状況を生み出せた訳である。
また近い内に杏子も学校へ通えるようになる、とアイは言っていた。色々と経歴に問題があるため時間が掛かったが、もうすぐ手続きが完了するのだと。
よくやる、というのがマミの感想だ。無論、アイではなく彼女の伯父に対するものだ。独身男性である彼がこの状況に至るまでに払った労力は、並大抵のものではないだろう。更には縁もゆかりも無い少女を養うというのだから、アイの望みとはいえ甘過ぎる。
ただ、それでも、この幸せな日常を思えば感謝ばかりが浮かぶ訳だが。
「まずは荷物を置こうか。それから一緒にご飯を作ろう」
「そうしましょうか。少しは上達したのかしら?」
「もちろんさ。まどか達に振る舞う為に頑張ったよ」
話しながら歩けば、間も無くアイの部屋まで辿り着く。適当に隅の方へマミの荷物を置き、二人はすぐに引き返す。目指す先はキッチンで、そこで今晩の食事を作る予定だ。
絵本家の食事は、基本的にアイと杏子の二人で作っており、どちらも本人の希望によるものだ。アイに関しては包丁を持つだけでも不安を覚えるほどだったが、今ではそれなりに見れるレベルまで上達している。そして今日のようにマミが泊まる日は、杏子の代わりにマミがアイと一緒に料理するというのが、暗黙の了解となっていた。
やがてキッチンに辿り着いたマミは、まず冷蔵庫の中身を確認した。もしも不足があるようなら、今から買い出しに行くか、メニューに変更を加える必要があるからだ。
「んー、ちゃんと頼んだ物は揃ってるわね。それに品質もよさそう」
「杏子は食べ物には五月蝿いからねー。奮発していいって伝えたら張り切ってたし」
「彼女らしいわね。よし、これなら問題ないわ。それじゃあ作り始めましょうか」
そうして始まった料理は、マミの主導で進められた。今回のメニューをアイは作った事が無いため、彼女に任せる訳にはいかない。また、そもそも音頭を取るだけの実力が無いという問題もある。
「……ねえ、一つ聞いてもいいかしら」
「いいよ。なんでも聞いてよ」
魚を捌く手を止めて、マミは隣のアイを見遣る。黒髪をポニーテールに纏めた彼女は、自らの手元に集中していた。その横顔は、学校の授業中よりも真剣だ。
普段のマミは、料理中の雑談を控えている。アイの技術が未熟なため、集中を乱して怪我をさせるのが怖いのである。なのにこうして話し掛けたのは、気になる事があったからだ。
今日、帰り道で別れるまでのアイと、今のアイ。その二つには明確な違いがあると、マミは感じ取っていた。
「なにかいい事でもあったの?」
「あ、わかる? そう、あったんだよ」
「ええ。今はちゃんと笑ってるみたいだから」
皮むきをしていたアイの手が止まる。
黒い瞳にマミを映し、それからアイは、困った風に頬を掻いた。
「最近のアイは素直よね。誰も気付いていないみたいだけど」
「んー、あー、そうかもしんない。意識してるわけじゃ、ないんだけどね」
ピーラーを置いたアイが、目を瞑って口を開く。
「ずっとね、探してたんだ」
「なにを、と聞いてもいいかしら?」
アイが顎を引いて肯定する。
次いで彼女は、細い喉を震わせた。
「みんなが幸せになる方法」
気負いも何も無く放たれたその言葉に、マミは心臓を鷲掴みにされた。
幸せになる方法。それはつまり、今が幸せではないという事の裏返しでもある。たしかにそうだ。笑って日常を過ごしてはいるものの、未だ根本的な問題は解決できていない。アイの能力という保険がある所為か、いつか訪れる絶望から、マミは目を逸らしていた。
「もっと言えば、魔法少女の運命を打ち破る方法かな。方法自体は考え付いてたんだけど、それで実現できるかどうか不安でさ。今日、ようやく自信が持てたんだ」
穏やかな口調で、優しい顔をしていた。少なくとも、マミには今のアイがそう見える。
だからこそ怖くもあった。死期を受け入れた老人のように、思えてしまうから。
「ボクの能力については説明したよね。ボクは魔法少女の絶望と引き換えに、あらゆる奇跡を叶えられる力を持っている。問題点は、魔女化する魔法少女の傍に居ないと、エネルギーを回収できない点だね。だからボクは、そうそう大規模な願いは叶えられない」
たしかにマミは知っている。あの決戦から間も無くしてアイが語ったその情報に、彼女は随分と驚かされた。同時にその危険性も理解して、暫くはアイから離れられなくなった事も覚えている。
「でも考えてほしい。この能力を使えば、ボクは自分自身を強化する事すら可能なんだ」
思わずマミが唸る。たしかにそうだと納得する。また、話の終着点も見えてきた。
「今のボクで届かないなら、届くボクになればいい。この街から、この国から、この星からエネルギーを回収できるようになれば、もっと大きな願いを叶えられる。でもたぶん、それだけだと足りない。だから時間を、世界を超えて、ボクの手を伸ばすんだ」
自身の手を見詰め、少しだけ寂しげに、アイが語る。
「段階を踏む必要があるけど、いつかは十分な力を集められる。キュゥべえ達が宇宙の摂理に逆らおうとしているように、ボクは魔法少女の運命を変えるために、彼女達の絶望を集めるわけさ」
同じ穴の狢だね、とアイが自嘲する。
マミには、掛ける言葉が見付からなかった。
「もっと計画を詰める必要はあるけど、いずれは実行しなくちゃならない。借金の追い立てが来る前に、さっさと踏み倒さなくちゃね」
肩を竦めたアイは、けれど巫山戯た様子はまったく無くて、その真剣な瞳に気圧される。どこかで目を逸らしていた現実と、アイはずっと向き合っていた。そう思うと、マミは申し訳なさで押し潰されそうになってしまう。
「ま、ずっとそんな事を考えてたのさ。だからかな、今回のお泊り会を思い付いたのは」
何も言えないマミを見て、それからアイは、悲しげに眉尻を下げた。
「ボクは強くなれる。神様にだって、なれるかもしれない。でもそれってさ、結局はボクの力じゃないんだよね。どれほど多くの人を救えても、それは与えられた力のお蔭であって、絵本アイのお蔭じゃない」
マミの視線から逃れるように、アイは足元に目を落とす。小さな体が、余計に小さく見えてしまって、マミは思わず抱き締めたくなった。
「虚しいんだ。この力で誰かを救えば救うほど、絵本アイというただの少女には、なんの価値も無いんだって、言われている気がしてさ」
アイが再びマミを見遣る。大きな瞳に宿るのは、いつもの彼女とは違う、どこか弱々しい光だった。その光に吸い寄せられて、マミは目を離せなかった。
「でも、マミは違うだろ?」
震える声で、アイが呟く。
震える肩が、視界に映る。
「マミも、ほむらちゃんも、まどかだってそうだ。ただの少女だったボクが、ただの子供でしかなかったボクが、この世界に必要とされた証だって信じてる。だから、だからみんなで集まって、色んな思い出を作りたくなったんだ」
だって、とアイは揺れる瞳でマミを見上げ、
「それは本物だと思うから」
小さな手を、恐れるように伸ばしてきた。躊躇う事無く、マミはそれを握り返す。そして凍っていたマミの喉が、ようやく熱を帯びてきた。
「ええ、もちろんよ」
そう伝えれば、アイは破顔して力を抜く。
マミでも滅多に見ないほど、無防備な姿を晒していた。
と、そこでチャイムが鳴り響き、途端に日常の空気が戻ってくる。
「おっ、まどか達が来たのかな。出迎えてくるから、料理の準備をお願いね」
答える間も無くキッチンを出て行くアイ。その姿はいつもとなんら変わる事無く、先程の会話は白昼夢だったのかと疑いたくなるほどだ。けれど間違い無く現実なのだと、手の平に残る温もりが教えてくれる。
暫く自身の手を見詰め、それからマミは、上機嫌で料理の準備を再開するのだった。
-The End-