「力が欲しい」
雨音がやまない病室に、その一言が浸透する。発言者たるアイは薄く笑い、足元のキュゥべえを見下ろしている。対するキュゥべえもまた、静かにアイを見上げていた。ビー玉みたいな赤い瞳を光らせて、無機質に、無感動に、アイの姿を映している。
「より正確に言うなら、キミ達、インキュベーターの力が欲しい」
アイが続ける。瞑目した彼女の口元は変わらず歪み、発する声もまた楽しげだ。ただそれでも、キュゥべえはなんの反応も示さない。アイも、そんなキュゥべえを気にしていない。
「より詳細に言うなら――――――」
目を開き、目を細め、アイは窓の外へと視線を移す。空は黒い雲に覆われて、見慣れた街並みは雨の向こう。その光景は、この街を襲っている脅威を示しているだけなのか、はたまた近い未来を暗示したものか。
「魔法少女の絶望によって生まれる感情エネルギーを回収する力と」
ピクリと、キュゥべえの耳が揺れる。
キョロリと、キュゥべえの目が動く。
「感情エネルギーによって願いを叶える力が欲しい」
宣言し、アイは再び足元のキュゥべえへと目を落とす。赤い瞳が、静かにアイを見上げていた。観察とも注目とも呼べそうなその視線は、常とは異なる熱を帯びているように感じられる。
「前に教えてくれたよね、キミ達はコストが掛からない存在だって。そんなキミ達に備わっている機能なら、ボクが起こせるちっぽけな奇跡でも、手に入れられるかと思ってね」
息を零したアイが、小さく肩を竦めた。力の抜けたその顔からは、明確な感情は読み取れない。ただ少なくとも、正に由来するものではない事だけは確かだろう。
沈黙の帳が下りる。黒と赤の視線が絡み合うが、そこに意志のやり取りは感じられなかった。
『――――――そうだね。君が本心からそれを望むなら、その願いは叶うだろう』
ようやくキュゥべえからの返事があった。無機的で義務的で、なんの感慨も抱いていなさそうな声が、アイの脳裏に反響する。それを聞いて、アイは満足げに首肯した。
「うん。もしもキミ達が、ボクと契約してくれるならね」
『君の願いは契約に違反していないし、提案したのは僕達だ。今更取り下げる事はないよ』
返事はやっぱり、感情の乗らない高い声。対するアイは、眩しげにキュゥべえを見返した。
「…………やっぱりキミは、ボク達とは違う生き物だよ」
情感で湿ったその声は、誰に向けられたものでもなく、病室の空気に呑まれて消える。束の間の沈黙が訪れ、黒と赤の瞳が見詰め合う。先に動いたのはアイだった。首を振って視線を外した彼女は、薄紅の唇を震わせて、改めて己が願いを紡ぎ出す。
――――――――そうしてここに、一人の魔法少女が誕生した。
真っ黒なとんがり帽子に、同じく真っ黒なローブという、絵本に出てくる魔女のような出で立ち。それがアイの魔法少女としての姿だった。何がしかの模様や装飾があるわけでもなく、見事なまでの黒一色。得物も節くれ立った木の杖だけという色気の無さで、姿見に全身を映したアイは、不満げに口を尖らせた。
「マミとお揃いとは言わないけどさ、もうちょっと可愛げが欲しいよね」
手にした杖を撫でながら、アイが嘆息する。ただそれ以上の文句は零さず、首を振った彼女は、そのまま病室の扉へ向かって歩き始めた。
『君なら理解していると思うけど』
キュゥべえの呼び掛け。その場で足を止めたアイは、けれど振り返る事はしなかった。
『その力で願いを叶える度に、君の因果は歪んでいく。たしかにこの状況を打開する一手にはなるだろう。でも君の結末は、絶望という言葉すら生易しいものになるかもしれないよ』
顎を引き、アイは帽子の縁に指を掛ける。白魚の指が僅かに下がり、その表情は隠された。
「わかってるさ、そのくらい。ボクだって、こんな借金を借金で返すようなマネは遠慮したかったんだぜ。ああ、いや、この場合は保証人と言った方が近いのかな」
くつくつと笑い声。細い喉を震わせて、アイはそんな答えを返すのだった。でもやはり、彼女がキュゥべえの方を振り返る事は無い。
手にした杖の先で床を突き、これで終わりとばかりに、再びアイは歩き始める。今度は、背中に掛かる声は無い。そうしてアイは、慣れ親しんだ病室を後にした。
◆
誰もが言葉を失っていた。降り頻る雨の中で、人影の消えた街角で、五人の魔法少女が、呆然と立ち竦んでいる。さながら幽霊を目撃したかのようなその顔は、同時に彼女らが目にした光景への理解を意味していた。
今、この場で起きた奇跡。魔法少女としての絵本アイが起こした有り得ざる事象。その価値を、ここに居る五人の魔法少女は理解している。それはつまり、魔法少女と魔女の関係を、ともすればキュゥべえの思惑すらも、彼女らは知っているという事だ。
予想外、と言えばそうなのかもしれない。アイの持っている知識と現状には、少しばかりの食い違いが生じている。だが問題があるかと問われれば、アイは否と答えるだろう。
チラリと、アイは背後を振り返った。そこでは彼女の親友であるマミが、濡れたアスファルトの上に横たわっている。雪色のブラウスに琥珀色のスカート、そして栗色のコルセットという姿は、アイの知る魔法少女としてのマミのものだ。
思わずアイが目を細めたのは、胸中に秘めた申し訳なさから。マミが魔女になった際に生まれたエネルギーを回収し、利用し、アイは一つの奇跡を叶えた。
『マミの魂を魔法少女として再構成する』
それがアイの願った奇跡だ。人間に戻す事も出来たはずなのに、アイにはそれを選べなかった。感情はそうする事を願っていたのに、理性がそれを押し留めてしまった。
先端が濡れた髪を揺らし、アイは彼方の空を睨み付ける。
ワルプルギスの夜。最強最悪の魔女。かねてから話に聞いていたその存在を、アイはこの場所に至るまでの道中で観測していた。まさしく規格外。能力の関係でエネルギーの観測に秀でたアイの感覚は、おそらく他のどの魔法少女よりも正確にその脅威を把握していた。
吹けば飛ぶ。ワルプルギスの夜に対するアイの存在は、文字通り塵にも等しかった。それは彼女以外の魔法少女であっても大差なく、とても対抗できるものではない。唯一まどかだけは比較に値するが、それでも単純なエネルギー量では大きく劣っている。
なるほど、キュゥべえがこれらのエネルギー量を観測できるなら、敗北以外の未来を予測する事は難しいだろう。そう納得し、だからこそアイは、魔法少女としてのマミが必要だと判断した。
結局はキュゥべえが望む結果になってしまったが、今のマミは魔法少女としてまどかに匹敵する力を持っている。そしてマミとまどかの二人が居れば、ワルプルギスの夜を打倒し得る。否、既にアイの中では勝利への道筋は完成していた。
「ほらほら、いつまで呆けてるのさ!」
再び五人の魔法少女の方に振り返り、手を打ち鳴らすアイ。その音で、ようやくほむら達が気を取り直す。まず一歩、五人の中からほむらが前に進み出た。
「アイ、さっきのは…………」
「ボクの能力だよ。見ての通り、魔女になった魔法少女を助ける事も可能な力さ」
驚愕、という言葉で済ませていいものではないだろう。他の四人と比べても、ほむらの表情の変化はとびきりだ。唇は歪み、瞳は見開かれ、長い睫毛は震えている。そこにどんな感情が籠められているのかは分からないが、アイの知らない彼女の戦いがあったのだろうと感じさせられた。
話してみたい、とアイは思った。ほむらとも、他の魔法少女達とも、色々と話をしてみたい。魔法少女の事を、キュゥべえの事を、何も隠さずに語り合いたい。そう思ったのだ。
だが、今はその時ではない。肩を竦めたアイは、明るく五人に話し掛けた。
「ま、そんな事よりあの化け物だね。ちゃっちゃと倒そうぜ」
「それには賛成だけどな、なにか作戦はあるのか?」
今度は杏子が口を開いた。流石と言うべきか、彼女は比較的冷静だ。
「もちろんさ。ボクらが力を合わせれば、あっという間に倒せるぜ」
「…………本当か? わかってると思うけど、あの化け物は規格外だぞ」
アイは躊躇なく首肯する。事実、彼女にとっては既に勝ったも同然の状況だ。必要な要素は全て揃い、あとはそれらを組み合わせるだけでいい。賭けも、冒険も必要ない。ただ水が上から下へと流れるように、彼女は勝利を引き寄せられる。否、引き寄せてみせる。
「だからボクを信じて任せてくれよ」
我ながら胡散臭いと思いながらも、アイは笑顔でそう言った。それを聞いた杏子達の顔には不安があったが、少なくとも不満の声は上がっていない。そんな彼女らに対し満足げに頷いたアイは、再びマミの方へと体を向けた。
「起きてるんでしょ?」
確信を持ったアイの声。同時に、倒れたマミの指が微かに動く。そのまま沈黙が続いていたが、やがてマミはゆっくりと体を動かし、濡れた体を起き上がらせた。
アスファルトに両手をついて座り込んだ体勢のまま、マミは黙って俯いている。いつも手入れの行き届いた金髪が、今は雨で乱れていた。濡れたブラウスは肌に貼り付き、スカートは水溜まりに浸かっている。常のマミとは、比べ物にならないほど惨めな姿だった。
一歩、アイがマミへと歩み寄る。マミは、なんの反応も示さなかった。
「――――――ねえ、マミ。これからボクは、とても酷い事を言うよ」
言葉とは裏腹に、声音に嫌な響きは無い。雨の重みで垂れた帽子の縁を持ち上げれば、アイの白い相貌が露わになる。そこに明確な感情は無かったが、瞳は奇妙な静けさを宿していた。
「とても、とても酷い事を、キミに言う」
一瞬の静寂。喉を鳴らして、アイが続ける。
「助けてほしいんだ」
マミが肩を震わせた。
アイは唇を噛み締めた。
「他の誰でもないキミに、他の誰でもないボクを、助けてほしい」
訪れたのは沈黙で、降り続ける雨音が、凍った空気を揺り動かす。アイは続く言葉を紡がず、マミもまた、なんの返事も返そうとしない。
だが、それも僅かな時間の事だ。やがてマミは、俯けていた顔を上げ始めた。恐れるようにゆっくりと、はばかるように目を伏せて、それでも最後には、アイと見詰め合う形で動きを止める。
互いに目は逸らさない。ただ静かに、彼女達は視線を交わす。
「――――本当に、酷い友達ね」
先に口を開いたのはマミだった。青白い顔をした彼女の声は生気に欠け、どこか浮世離れしたものを感じさせる。対するアイの方は何も返さず、ただ黙って、手にした杖を握り締めた。
マミが緩慢な動作で動作で立ち上がる。そのまま彼女は、覚束ない足取りでアイの方へと歩き始めた。肩を揺らして歩く様は幽鬼のようで、だけど蜂蜜色の瞳だけは、真っ直ぐにアイの姿を捉えている。
二人の距離がゼロになるのに、大した時間は掛からなかった。目の前に立ち止まったマミを、アイが首を曲げて仰ぎ見る。黒い瞳に映る親友の顔は、意外なほどに穏やかだった。
「えっ」
黒い帽子が地面に落ちる。気付けばアイは、正面からマミに抱き締められていた。互いに頬を擦り合うような形になり、アイが視線を動かせば、蜂蜜色の髪が目に映る。
「泣かないで。私はここに居るから」
囁き声が、アイの耳元を擽った。直後に一度だけアイを強く抱き締めて、マミはまどか達の方へ歩いていく。残されたのは服越しに感じた体温と、言葉を失ったアイだけだった。
「………………」
アイが足元に落ちたとんがり帽子を拾って被り直す。雨に濡れて水が滴っていたが、それは彼女自身も変わらない。そのまま一度だけ深呼吸したアイは、改めてまどか達の方を振り返った。
「さあ、待たせたね!」
溌剌とした声が駆け抜ける。
目一杯の笑顔を浮かべて、アイは他の魔法少女へ呼び掛けた。
「それで、私達は何をすればいいのかしら?」
六人を代表して、マミが問うてくる。自然と中心に収まっている辺り、流石の貫録と言うべきだろうか。どこか憑き物が落ちたようなその顔は、不思議な安心感を与えてくれる。
「別に難しい話じゃないよ。文字通り、みんなの力を合わせるだけさ」
視線を巡らせ、アイは一人一人の顔を確認していく。誰もが真剣で、覚悟と決意を秘めていて、この光景こそが奇跡みたいだと、そう感じずにはいられなかった。
女子中学生なのだ。この場の七人全員が、思春期のただ中に居る少女なのだ。友達と過ごす時が楽しくて、好きな男の子が居たりして、ふとした拍子に感情を爆発させる未成熟な少女達。そんな義務も責任も知らないような子供が、命を賭けて街を救おうとしているのだ。奇跡か、でなければ喜劇の類だろう。キュゥべえが魔法少女を求める理由が、少しだけアイにも分かった気がした。
だからこそ、失敗は許されない。その想いを胸に、アイは一瞬だけ目を閉じた。
「ボクの能力を使えば、此処に居る魔法少女全員の力を一つに纏める事が出来る。そしてその力を使えば、ワルプルギスの夜を葬れるほどの攻撃を生み出せるだろう」
作戦、というほどのものでもない。単純に力で相手を上回ろうという、圧倒的なまでの正攻法。本来であればワルプルギスの夜こそが十八番とするそれを可能にするのが、巴マミと鹿目まどかという、規格外の魔法少女の存在だ。
誰の差配によるものかは分からない。ひょっとすれば神様の贈り物なのかもしれない。ただその原因がなんであれ、マミとまどかの力があれば、ワルプルギスの夜に匹敵する力を生み出せる。そして残りの魔法少女の力で、ワルプルギスの夜を上回る。
重要なのは、全員の意思が統一されている事だ。各々の意思が別の目的に向いていれば、それを統合する際のロスや必要エネルギーが大きくなってしまう。より確実に成功させる為にも、全員で協力するという想いこそが必要になる。
「魔法少女の力は、すなわち心の力だ。みんなで力を合わせて、あの化け物を倒そうと強く願えば、十分なエネルギーを生み出せる。それだけの可能性が、ボク達にはあるんだ」
そう言って六人の魔法少女達に歩み寄り、アイは自らの手を差し出した。手の甲を上側に向けたその意図を理解できない者は、この場所には居ない。
「もちろん、私はいつでも貴女の味方よ」
最初に手を重ねたのはマミだ。
柔らかに微笑み、彼女はそう言った。
「貴女が居てよかったと、本当にそう思うから」
二番目はほむらだった。
いつになく、その表情は穏やかだ。
「ほんの少しでも、わたしが力になれるなら」
まどかは、いつものように澄んだ瞳をしていた。
小さなその手が、躊躇う事無くほむらの上に重ねられる。
「信じてます。だから、一緒に頑張りましょう」
続くさやかは、真っ直ぐな声音の宣言だ。
水色の瞳に、迷いの色は見て取れない。
「お前は馬鹿じゃないし、悪人ってわけでもないしな」
杏子もまた、自分の手を重ねる。
軽い調子ではあったが、軽薄さは感じられない。
「色々あったけど、色々あったから、今は力を貸したげる」
最後の彼女は躊躇いがちに。
ただ、その目は逸らす事無くアイを見ていた。
全員の手が重ねられる。その結果に、アイはちょっとだけ涙ぐみそうになってしまった。だが、今は感傷に浸っている暇は無い。みんなの気持ちに応えようと、アイは明るい笑顔を浮かべた。
「ありがとう」
アイはそれ以上の言葉を言えなかった。重ねられた手に視線を落とし、それから改めて、彼女は他の六人の顔を見回していく。そして一度だけ、大きく頷いた。
不安は無い。ある種の全能感にも似た幸福感が、アイの胸を満たしていた。
奇跡は起こる。その確信と共に、アイは左手の杖をみんなの手に重ねた。ここにあるのは可能性だ。キュゥべえが欲する人類の力だ。アイがすべき事は、この可能性の渦を束ね、方向性を与えること。失敗などあり得ない。だってこんなにも全員の気持ちが、一つになっているのだから。
僅かな呼び水を与えれば、それだけで力が膨れ上がる。みんなの手を通して集まる力が、一つの奇跡へと結実していく。誰もが口元に笑みを浮かべている。自然とお互いの目を合わせ、最後にみんなで頷いた。
そうして世界に、光が満ちた。
◆
「いや~、終わってみれば呆気ないもんだね」
雲ひとつ無い青空を見上げて、あっけらかんとアイが呟く。その姿は魔法少女のそれではなく、いつもと変わらない、藍色の入院着に戻っている。
アイの言葉通り、驚くほどにあっさりと、ワルプルギスの夜は消えてしまった。まるで初めから存在しなかったかのように、悪い夢でも見ていたかのように、最悪の魔女は姿を消したのだ。後に残されたのはこの青空と、昨日までと変わらない街並みだった。
そう。アイが願った奇跡は、ワルプルギスの夜を打倒するだけではなく、壊れた街の修復すらも実現したのだ。お蔭でマミの魔女化によって得たエネルギーはゼロとなったが、アイの胸に後悔は無い。この空と同じように、彼女の気持ちは晴れやかだ。
「それは貴女だけよ。私は大変だったんだから」
アイと並んで歩くマミが、笑いながら愚痴を零す。
「まったくね。素敵な結末だとは思うけど、なんだかやりきれないわ」
「わたしはちょこっとしか戦ってないし、アイさんに賛成かなぁ」
そう続けたのはほむらとまどかだ。二人は仲良く肩を並べながら、アイ達の後ろを歩いている。残る三人は此処には居ない。さやかは恭介の安否を確認しに行ったし、帽子の女の子も、行くべき所があると去って行った。杏子もまた、帽子の彼女の後を追った。
「ま、そのお蔭で上手くいったんだと思うよ。ボクがもっと早く参加していたところで、なんにも出来ずに殺されてるさ。この奇跡みたいな結末は、みんなが頑張ってくれたからだよ」
眩しげに目を細め、噛み締めるようにアイが紡ぐ。
あの瞬間を逃していたら、アイは足手纏いにしかならなかっただろう。また全員の心が団結していなければ、これほどの奇跡は起こらなかっただろう。結局、アイがやった事は最後の仕上げだけであり、そこに至るまでの積み上げは、全ての魔法少女達の手で成されたものだ。
「そうじゃなきゃ困るわよ。ほんと、美味しい所だけ持っていくんだから」
マミが拗ねたようにソッポを向いた。だがすぐに彼女は、アイの方へと向き直る。
「そういえば、アイの能力はなんなのかしら?」
「私も気になるわね。これだけの事象を実現できる能力なんて、凄いでは済まないもの」
ほむらの方を振り返り、次いで隣のマミを見上げ、アイはふむと顎先に手を添えた。数秒ほどの思索を経て、薄紅の唇が弧を描く。同時にアイは、立てた人差し指を口元に当てた。
「ヒ・ミ・ツ。教えてあげないよ」
にっこり。そうとしか形容できない表情でマミが笑う。
「つまり、私が聞いたら怒るような能力なのね」
「そうだよー。だからそういう話は今度にしようぜ」
気負い無くアイが返せば、マミは毒気を抜かれた様子で嘆息した。その後ろではまどかが苦笑し、ほむらは頭に手を当てている。
「マミだって、契約を仲介した魔法少女の事とかあるだろ?」
俄かに緊張が走り抜ける。沈んだ空気がやってくる。
マミも、ほむらも、まどかですらも、口を噤んで黙り込む。
「ほむらちゃんも、マミやまどかと話し合わなきゃいけない」
首を巡らせ、アイは背後の二人を見遣る。
ほむらとまどかは、気まずげに顔を見合わせた。
「これでエンディングじゃないんだ。ワルプルギスの夜なんて、所詮は強力なだけの中ボスだよ。本当の意味で魔法少女が乗り越えるべきなのは、絶望に呑まれそうな自分の心さ」
瞑目し、開眼し、直後にアイは、大きく両手を打ち鳴らす。
マミが、ほむらが、そしてまどかが、驚いた様子で目を見開いた。
「だからさ、今日ぐらいは全部忘れて馬鹿になろうぜ」
告げるアイの声は晴れやかで、その顔には笑みが浮かんでいた。釣られるように、マミ達もその表情を和らげる。穏やかな風が、四人の間を流れていく。
「仕方ないわね。今はそれで納得してあげるわ」
「いいんじゃないかしら。私も一息つきたい気分だもの」
「わたしも、今日は色々と疲れちゃいました」
みんなが笑う。みんなで歩く。不安要素はたくさんあるし、未来は明るいばかりではない。でもこの瞬間、この場所には、幸せと呼ぶべきものがある。それだけは、誰にも否定できない現実だ。
アイが空を仰ぎ見る。そこにはやっぱり、綺麗な蒼穹が広がっていた。
-To be continued-