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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #019 『名前で呼んでもいいですか?』
Name: ひず◆9f000e5d ID:b283d0a0 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/20 21:53
 薄桃色のスクリーン越しに朝日が射し込み、おぼろげに部屋の中を照らし出す。薄闇に浮かぶのは、簡素だが特徴的な内装だった。最初に目に付くのは椅子の数だろう。サイドチェアやアームチェアなど、様々な種類の椅子が十以上も存在し、フローリングの床を占領している。ベッドを囲むように配置されたこれらの椅子は、決して広いとは言えない部屋の中で大きな存在感を放っていた。一方でそれ以外の装飾に目立った所は無い。唯一棚に乗せられた人形達が個性を主張しているくらいで、他には学習机や本棚といったありきたりな物しか見当たらない。

 今、ベッドの上には一人の少女が寝転んでいる。鹿目まどかだ。白いシーツに桃色の髪を零れさせ、彼女は布団を被って身を丸めていた。その腕には大きな兎のぬいぐるみが抱き締められ、どんぐり眼は何を見るでもなく壁の方へと向けられている。半端に開いた唇からは、声が漏れ出る事は無い。布団に包んだ体は、僅かに動く事すら無い。まるで魂の抜かれた人形みたいに、まどかは生気に欠けていた。

 まどかが考えるのは、友達のほむらの事だ。いや、本当に友達と言ってもいいのだろうか。それすら分からず、考えが纏まらず、無為に時間ばかりが過ぎていく。ほむらは魔法少女だった。ほむらは人を殺した。ほむらはさやかを撃った。たった一人の問題なのに、悩む事がたくさんあって、頭がグチャグチャになって、焼け付くような焦燥がまどかを追い詰める。

「…………っ」

 一層体を小さく丸めて、まどかはギュっと目を瞑る。今は朝だ。今日は金曜日で平日だ。だから早く起きて、学校に行く準備をしないといけないのに、まどかは一向に布団から出ようとしなかった。

 ほむらと会いたくない。だから、学校に行きたくない。これまでズル休みなんてした事が無いまどかだけど、しようとも思わなかった彼女だけど、今日だけはその誘惑に負けそうだった。ほむらの冷たい眼差しが、目蓋に焼き付いて離れない。友達だと思っていたから、優しい子だと信じていたから、あんな風に突き放されると、まどかはどう反応すればいいのか分からなくなるのだ。

 怖い。その一言が、グルグルとまどかの脳裏で渦巻いている。何をするべきかなんて分からない。何をしたいのかも定まらない。ただ制御しきれない感情だけが暴れまわり、彼女は小さな体を震わせていた。

 不意にまどかの耳を音が打つ。扉を叩いたノックの音だ。ぬいぐるみを抱く腕に力を籠めて、まどかは唇を固く結ぶ。そうして返事もせずにジッとしていると、おもむろに部屋の扉が開かれた。

「まどかー、入るよ?」

 聞こえた母親の声に、まどかは微かに身じろいだ。部屋の中に足音が響き、やがてベッドの傍まで来て止まる。背中越しに感じる人の気配に身を硬くして、まどかはまた小さく体を揺らした。

「あんたが寝坊なんて珍しいね。具合でも悪い?」

 上から覆い被さるように覗き込んできた母の詢子(じゅんこ)と、視線を動かしたまどかの目が合った。瞬間、詢子が僅かに顔を顰める。そのまま彼女の白い手が伸ばされ、まどかの頬に添えられた。温かな手に導かれ、まどかは顔を上へと向けさせられる。正面から見た詢子の顔は、やはりまどかとよく似ているけれど、大人の女性らしい凛々しさを備えていた。だからこそ、そこに宿る心配の色が際立っている。

「どうした? 可愛い顔が台無しだぞ」
「………………」

 なにか言おうと口を開いて、しかしまどかはすぐに閉じた。言うべき言葉が見付からない。そもそも、誰かに相談出来る事でもない。魔法少女と言ったって、母を困らせるだけだろう。命がどうだと言ったって、心配させるだけだろう。だからまどかに出来たのは、ただ泣きそうな顔で詢子を見返す事だけだった。

「なあ、ほんとに大丈夫か?」

 そう尋ねる詢子の表情は、まどかが初めて見るものだった。

「……学校、行きたくないのか?」

 問われたまどかが、二つの瞳を僅かに揺らす。湧き上がるのは逡巡だった。学校を休みたい、という気持ちはある。だけどそれを口にすれば、余計に詢子を心配させてしまう。だから迷って、躊躇って、考える。綺麗に化粧が乗った母の顔をぼんやり見詰めて、それからまどかは、ちょっとだけ顎を引いた。行きたくないと、首肯した。

「…………喧嘩、しちゃって」

 詢子が目を瞑る。暫くしてゆっくりと息を吐き、彼女は唇で柔らかな弧を描いた。優しく包容力のあるその表情は、まどかが憧れる母の顔だ。思わず涙が溢れそうになったけれど、まどかは唇を結んでグッと堪えた。

「いいよ、休んじゃいな。でも、今日だけだからね。明日は休みだし、月曜までには整理しな」

 優しくまどかの頭を撫でて、詢子は近付けていた顔を離す。

「学校には連絡しとくけど、朝ご飯はちゃんと食べるんだぞ」

 最後にそう言って、詢子は扉に向かって歩き始めた。スーツを着込んだ彼女の背中が、徐々にまどかから遠ざかる。それが少し寂しくて、だけど何も言えなくて、詢子が廊下に消えるまで、まどかは黙って見送る事しか出来なかった。

 閉じ切った扉を、ぼんやりと眺めるまどか。暫くして、彼女は天井へと顔を向けた。見慣れた天井がいつもより遠く思え、自室が広く感じられる。あるいはもしかすると、まどか自身が小さくなったのかもしれない。

「ほむらちゃん…………」

 今にも消えそうな声で、まどかが呟いた。


 ◆


 あらゆる命は平等ではない。崩れゆく魔女の結界を眺めながら、ほむらは改めてその事実を認識した。初めて魔法少女の末路を知った時から、もうどれだけの魔女を殺してきたのか覚えていない。見方によっては殺人鬼。好意的に見ても、決して正義の味方とは呼べない。それを理解するほむらが平然としていられるのは、彼女の中に明確な優先順位が存在するからだ。より上位の誰かの為であれば、より下位の誰かを犠牲に出来る。それがほむらに深く根付いた思想であり、だからこそ彼女は迷いを捨てられるのだ。

 ほむらの胸に浮かぶのは、かつて見たまどかの笑顔。温かで柔らかなそれは、もう自分に向けられる事は無いかもしれない。それでもいいと、ほむらは思う。まどかを魔法少女にさせずに済むのなら、彼女はそれ以上を望まない。それもまた、優先順位の問題だ。

 やがて完全に結界が消え去ると、ほむらは廃材の積まれた空き地に立っていた。一先ず周囲を見回した彼女は、次いで整然と並べられた土管に背を預けた。空を仰げば、一面の青色が目に入る。まだ一限目の授業も始まらないこの時間、太陽の位置は決して高くはなかったが、それでも日差しは眩しいほどに強かった。

 今は快晴の空模様も、日が変わる頃には一面雲で覆われる。闇夜を風が吹き荒び、大きな雨粒が地面を打つ。やがてそれらは嵐となり、スーパーセルと呼ばれる大災害へと成長する。夜が明ければ避難勧告が行われ、住民は各地の避難所で身を寄せ合う。そうして人影の消えた街並みを、この嵐は次々と壊していく。確実に、かつ徹底的に、破壊し尽くすのだ。

 ワルプルギスの夜。自身が知る限りにおいて最悪の魔女の襲来とその被害を、ほむらは正確に予見していた。

 空を見ていた黒い瞳が、今度はほむらの白い手に向けられる。小さな手だった。虫一匹殺せそうにない、頼りない手だった。これまで必死に鍛えてきて、並の魔法少女よりも強いと自負しているほむらだけれど、それでも『ワルプルギスの夜』には敵わないと理解している。

 決戦の時、杏子は力を貸してくれるだろう。巴マミや美樹さやかも、大切な人を守る為に『ワルプルギスの夜』と戦う道を選ぶはずだ。これにほむら自身を加えれば、最低でも四人分の戦力を確保した事になる。だが同時にほむらは、これ以上の戦力増加は望みが薄いと考えていた。たしかに杏子の連れである女の子や、ほむらが把握していない魔法少女は存在する。しかしほむらが思うに、彼女達が『ワルプルギスの夜』に挑む可能性は低い。よしんば戦場に出てきたとしても、目立った活躍はしないと予想している。自身の目に留まるほど強力な魔法少女が残っていない事を、ほむらは”経験”から知っていた。

 勝てないかもしれない。湧き上がるその不安を押し潰すように、ほむらは拳を握り締めた。

「――――――なんだ、アンタだったのか」

 覚えのある声が、ほむらの耳を揺らす。声が聞こえてきた方を見遣れば、やはり、覚えのある少女。私服姿の杏子が、廃材の隙間を縫ってほむらの傍まで歩いてくる。そのまま彼女は、ほむらと並んで土管にもたれ掛かった。

「朝から魔女退治かい? その熱心さには頭が下がるね」
「貴女こそ、こんな時間に歩き回ってどうしたの?」

 ほむらが尋ねると、杏子は気まずそうに頭を掻いた。

「実は昨日から連れの姿が見当たらなくてさ。ほら、いつも帽子被ってるアイツだよ」

 知らずほむらの眉根が寄せられる。例の魔法少女が居なくなったこと、それ自体は別にどうでもいい。杏子には戦力の一人だと伝えたが、実際に『ワルプルギスの夜』を前にすれば逃げ出す可能性が高いと思っているほむらにしてみれば、居ても居なくても関係ない存在だ。故にほむらが気にするのは、この件が杏子に及ぼす影響だった。貴重な戦力である杏子には、万全の状態で決戦に臨んで貰わないと困るのだ。

「昨日、アタシが拠点に戻った時にはもう居なくてさ。飯の時間になっても帰ってこないし、一晩経っても音沙汰なし。これで問題が無いと考えるのは、流石に楽観的過ぎるっしょ。だからこうして探してるんだけど、なにか心当たりはないかい?」

 心配だ、と目で訴えてくる杏子に対し、ほむらは首を振って答えた。魔法少女の個人情報についてもそれなりに詳しいほむらだが、生憎とあの女の子に関する情報は少ない。記憶を漁ってはみたものの、やはり有力なものは存在しなかった。

「そっか。ならまぁ、自力でどうにかするしかないよね」

 そう言って土管から身を離した杏子が、空き地の外へと歩いていく。
 徐々に遠ざかる背中に、ほむらは知らず声を掛けていた。

「貴女にとって、彼女はどういう存在なの?」

 杏子が足を止め、その場に立ち尽くす。

「特別親しい訳ではないでしょう? 大切な訳ではないでしょう? 貴女にとって、彼女はそこまで価値ある存在ではないはず。だけど心配して、手助けして、こうして今も探している。その理由がなんなのか、教えてもらえるかしら?」

 杏子が誰かを助けることを、ほむらは可笑しいとは思わない。意外と面倒見の良い杏子の性格を、彼女はよく知っている。だから、本当ならこんな問い掛けは出てこないのだ。放っておいて構わないのだ。なのにこうして疑問を口にしたのは、さて、どういう理由があるのだろうか。それはほむら自身にも分からない。分からないが、知らず彼女は拳を握っていた。

「どういう存在って言われてもねぇ。ま、たしかに掛け替えのない相手とは言えないか」

 振り返った杏子の髪が舞う。どこか呆れた雰囲気で、彼女はその口元を歪めた。

「別にさ、アイツがどういうヤツかなんて関係ないんだよ。特別な相手だから助けるんじゃない。たとえ他の誰かでもおんなじさ。アタシが助けたいから助ける。理由なんてそれくらいだし、それ以上は必要ないよ」

 返された杏子の言葉は、決してほむらの想像を逸脱したものではなかった。だというのに、ほむらは思った以上に衝撃を受けている自分に気付く。上手く呑み込めなくて、受け止められなくて、なんと返せばいいのか分からない。そうして立ち竦むほむらに向けて、杏子は更に言葉を続けた。

「アタシらしくないかもしんないけどさ、たぶんこれが、アタシらしさなんだよ」

 なんて、ちょっと意味不明な言葉を残して、杏子は空き地を去って行った。真っ直ぐに伸ばされたその背中を見送って、ほむらはまた天を仰ぎ見る。ただボンヤリと、何をするでもなく、ほむらは空を見上げ続けた。高く、広く、青い空。全てを包み込んでくれそうなそれを眺めながら、ポツリとほむらが呟いた。

「マミさん――――……」

 もうずっと使っていなかった呼び名を零し、ほむらは瞑目する。同時に蘇るかつての記憶。鮮やかに再生されるそれは、魔法少女という異端の存在を、彼女が初めて認識した日の思い出だった。


 ◆


「それでは暁美さん、先生が呼んだら入ってきてくださいね」

 アッシュゴールドの髪をショートに切り、ハーフフレームの眼鏡を掛けた女性。今日からほむらのクラス担任になるその人が、ほむらに向けて微笑んだ。柔らかな面立ちが大人の包容力を感じさせ、ほむらの緊張をほぐしてくれる。固く握っていた拳をゆっくりと開き、ほむらは小さく息を吐き出した。

「はい……わかりましたっ」

 震え混じりのほむらの返答に、担任の先生は笑顔で頷いた。それから目の前の扉を開き、先生は教室の中に入っていく。自身とさほど背丈の変わらない彼女を見送って、ほむらはまた吐息を零した。何度か、深呼吸を繰り返す。

 見滝原中学校。古くから見滝原市にあるというその学校に、今日、ほむらは転校してきた。彼女にとっては、もう何度目かになる転校だ。生まれつき心臓の血管が極度に細く、幼少の頃から病弱だったほむらは、治療の為に転院と引っ越しを繰り返してきた。だから転校には慣れていると言ってもいいのだが、ほむらは何時になっても緊張してしまうのだ。友達が出来るだろうか、授業に置いていかれないだろうか。転校する時はいつも感じるそれらの不安を払うように、ほむらは辺りを見回した。

 隣の教室を見て、誰も居ない廊下を見て、最後に自分の教室を見て、ほむらは思わず動きを止めてしまう。

 見滝原中学校は歴史のある学校なのだが、最近になって改装が行われたらしく、その内装は一般的な学校とは大きく異なっている。例えば教室を仕切る壁は全てがガラス張りとなっており、廊下からでも中の様子がよく分かる造りになっていた。もちろん、その逆も然りである。つまりは見られていた。教室内の何人かが、廊下に立つほむらにチラチラと視線を向けているのだ。

 サッと、ほむらの頬が赤く染まる。変な格好をしていないだろうかと、今更ながらに自分の姿が気になった。長い黒髪を二つの三つ編みにした髪型に、赤いフレームの眼鏡。良く言えば純朴、悪く言えば野暮ったい。そんな印象を抱かせる風貌だという事は、ほむら自身もよく理解している。だからこそ、気にし始めると止まらない。彼女の意志とは関係無しに、胸の鼓動が高まっていく。

「――――――暁美さーん!」

 先生の声がした。微かに肩を震わせ、ほむらは扉に手を掛ける。そのまま彼女は扉を開き、教室の中へ足を踏み入れた。誰もがほむらに注目している。囁き声が聞こえてくる。それらの一切合財を無視して、無視しようとして、ほむらは先生の隣まで歩いていった。

「はい、暁美さん」

 そう言って先生が差し出したのは、チョークでもマーカーでもなかった。黒色の電子ペン。改装に伴い電子黒板を導入したこの学校では、それが板書に用いられる道具だった。慣れない道具というのが、またほむらを緊張させる。そのまま震えそうになりながら、ほむらは自分の名前を書き切った。

 生徒達の方にほむらが振り返る。集まる視線に身を竦ませ、それから彼女は、震える声を紡ぎ出した。

「えっと……あ、暁美ほむらです。その、よ、よろしく…………お願いします」

 ほむらが頭を下げれば、まばらに拍手の音が響き始める。
 こうしてほむらは、見滝原中学校に転校してきたのだった。


 ◆


「ねえねえ、前はドコの学校に居たの?」
「見滝原に来たのは初めて?」
「保健室って? なにか病気なの?」
「あ、あの……その……」

 わいわい。がやがや。ほむらを囲んで、女生徒達が大騒ぎ。前から左右から話し掛けられるほむらは、身を縮こまらせて俯いている。何か喋らないといけないと分かっているのに、ほむらは何も答えられなかった。愛想よくしたいのに、ここで友達になっておきたいのに、変な事を言ってしまわないかと不安になってしまう。

 どうしよう、とほむらは膝の上で両手の指を絡ませる。

 最初の一歩が肝心なのだ。せめて一人でも友達が出来れば、この学校に馴染むのが随分と早くなる。これまでの経験からその事を実感しているほむらは、しかし明確な行動を示す事が出来なかった。生来の臆病さが、彼女の心を縛り付ける。

「みんな、ちょっといいかな」

 不意にそんな言葉が投げ掛けられた。
 ほむらを含めた周りの生徒が、声が聞こえてきた方を向く。

「どうしたの、鹿目さん」
「一緒に暁美さんとお話したいの?」

 矢継ぎ早な問い掛けに、話し掛けてきた女生徒が苦笑する。

「ほら、先生が言ってたでしょ? 暁美さんを保健室に案内してあげなさいって」
「あ、そっか。鹿目さんは保健係だもんね」
「そうそう。だから今の内に行こうと思って」

 頭の上で飛び交う会話は、あっさりとほむらを置いてけぼりにした。会話の内容は理解出来るが、急過ぎる事態の変化についていけない。鹿目さんと呼ばれた女生徒はどういう人なのだろうか。彼女についていけばいいのだろうか。周りの人達はどうするのだろうか。頭の中で疑問が渦巻き、答えが出なくて、ほむらは呆然と口を開けていた。

「それじゃ、行こっか」

 笑顔の鹿目さんに手を取られ、ほむらは扉の方に誘導された。どうやら他の生徒達はついてこないらしく、その事にほむらは胸を撫で下ろす。また後で、と手を振ってくる生徒達に控えめに手を振り返したほむらは、そのまま教室から廊下へと連れ出された。

「騒がしいクラスでごめんね。転校生なんて珍しいから、はしゃいじゃってるんだよ」

 握っていた手を放した鹿目さんが、ほむらの隣に並んでくる。改めてその顔を見たほむらは、可愛らしい女の子だと思った。丸みを帯びた面立ちを大粒の瞳で飾り立てた鹿目さんは、ほむらより低い身長も相俟って、幼い少女特有の愛らしさを備えている。威圧感の欠片も感じさせないその容貌を見て、ほむらは幾らか肩の力を抜く事が出来た。

「あ、まだ名前を教えてなかったね。わたしは鹿目まどか。保健係だから、気分が悪い時とかは言ってね」

 鹿目まどかと名乗った女生徒は、そう言ってほむらに向けて微笑んだ。不思議な魅力のある笑みだった。例えるならお日様のようで、温かさと力強さに溢れていた。思わず見惚れたほむらの頬が、ほのかな朱色に染められる。

「えっと、その、暁美ほむらです」
「うん、知ってるよ」

 言われてほむらは思い出す。さっき自己紹介したばかりだと。
 赤く色付くほむらの耳に、続く言葉が投げ掛けられた。

「いい名前だよね、ほむらって」

 驚き、ほむらは隣のまどかを見る。

「燃え上がれーって感じでさ。凄くかっこいい響きだと思うよ」

 両手を広げて朗らかに話すまどか。その表情を見れば、彼女が本当にそう考えている事が読み取れた。気恥ずかしさで、ほむらの体が熱を帯びる。だがすぐに彼女は眉尻を下げ、まどかの視線から逃れるように俯いた。

「……でも、似合わないですよね。名前負け、してます」

 寂しげな響きを乗せて、ほむらが呟く。

 格好良い名前。たしかにそうだとほむらも思うし、両親がくれた大切な名前でもある。しかし同時にほむらは悩むのだ。はたして自分は、その名前に見合った人間なのだろうかと。運動音痴で、勉強も得意じゃなくて、格好良い所なんて一つも無い自分は、暁美ほむらという名前に釣り合っていないと、彼女は思うのだ。

「そんな風に考えるのはもったいないよ。せっかくの素敵な名前なんだもん」
「…………けど、やっぱり、私らしくありません」

 ほむらが否定すれば、まどかは横から見上げるように覗き込んできた。
 輝きに満ちた瞳に見詰められ、ほむらの心臓が跳ね上がる。

「ならさ、こう考えてみたらどうかな。名前みたいにかっこよくなっちゃえばいいんだって」

 あっけらかんと言い放たれたその言葉は、不思議とほむらの心に沁み渡った。
 まどかが眩しい。そんな事をあっさりと言ってのける彼女が眩し過ぎると、ほむらは思う。

「これまでが駄目だからって、これからも駄目なわけじゃないんだよ」

 一拍置いて、まどかが笑う。
 ほむらは、否定の言葉を紡がなかった。

「変わるのってね、そんなに難しいことじゃないの。だから頑張ってみようよ、なりたい自分になれるように」

 優しく語り掛けてくるまどかには、柔らかな陽射しのような魅力があった。見ているだけで、本当にそうなんじゃないかと信じてしまいそうになるほどだ。だからほむらは何も言えず、何も言わず、呆けたようにまどかを見詰める事しか出来なかった。

 これが、始まり。暁美ほむらと鹿目まどかの、最初の出会い。


 ◆


 放課後の帰り道。これから毎日のように通う事になるその道を、ほむらは重い足取りで歩いていた。周りに他の人は居ない。つまり、ほむらは友達作りに失敗したのだ。授業中に当てられてもちゃんと答えられなかった。体育では誰よりもどんくさかった。もちろんそれでクラスメイトから嫌われた訳ではないけれど、ますます自分が嫌になったほむらは、上手く周りと接する事が出来なかったのだ。遂には放課後のお誘いも断ってしまい、ほむらは湧き上がる自己嫌悪を抑えられなかった。

 陰鬱な溜め息が、ほむらの唇から零れ落ちる。

 見滝原市。幼少の頃に住んでいたこの街に帰ってくる事を、ほむらは密かに楽しみにしていた。会いたい人が居るのだ。かつて一度だけ病院で話した少女と、ほむらはまた友達になりたいと思っていた。自分と同じ、長い黒髪を持った年上の女の子。幼いほむらにとって、彼女は唯一気を許せた友人だったのだ。

 小さな子供は、なかなか他人を思い遣る事が出来ない。相手の気持ちを想像するための知識や経験に欠けるからだ。だからほむらの周りに居た子供達は、気弱で病弱な彼女の都合を理解しなかった。ほむらの気持ちを分かってくれたのは、ただ一人、病院で出会った少女だけだ。だから、会いたい。また仲良くなれると信じられるから、ほむらは会いたいと願っていた。

 あの少女はどこに居るのだろうと、ほむらは思いを馳せる。何も問題が無ければ、今は中学三年生のはずだ。もしかしたら見滝原中学校に通っているのかもしれないが、探し出すのは大変だろう。なんせ分かっている特徴といえば黒髪という事くらいだ。どれだけ背が伸びたのか予想も出来ないし、髪型も変わっているかもしれない。せめて名前が分かればいいのだが、欠片もほむらの記憶に残っていなかった。

「…………名前、かぁ」

 不意にほむらの脳裏をよぎる、まどかの言葉。名前に見合う自分になればいいと言った、彼女の笑顔。それを思い出したほむらの胸には、ほのかな温かさと冷たさが宿っていた。あんな事を自信を持って言えるまどかに対する羨望と、それを信じられない自分に対する失望。その二つが、ほむらを内側から苛むのだ。

 変わりたい。変わってみたい。でも、一歩を踏み出せない。そんな自分が情けなくて、ほむらは地面に視線を落とした。規則的な模様を織り成す、無機質なタイルが目に入る。足取りの重さが、自分でもよく分かる。また溜め息を吐き出そうとしたほむらは、しかし目を見開いて息を呑んだ。

「――――ッ!?」

 地面が無かった。いや、違う。たしかにほむらは地面に立っている。だがそこは一瞬前まで彼女が居た歩道の上ではなく、煤けた大地の上だった。舗装されて綺麗な平面となっていたはずの地形は起伏に富んだものへと変化し、周りにあった建造物は何もかもが消え失せている。不思議の国に迷い込んだ、というには余りにも殺風景な世界で、見上げた空の不気味な赤色が、余計にほむらの不安を掻き立てた。

 訳が分からない。意味が分からない。頭が上手く回らなくて、ただひたすらに焦燥ばかりが募っていく。必死に、落ち着きなく、ほむらは周囲に人影を求めた。もちろん彼女以外の人間は居なくて、けれど予想外の物を目にして固まった。

「……えっ?」

 不安げに瞳を揺らすほむらが見付けたのは、大きな石造りの凱旋門だった。先程までは無かったソレ。蜃気楼の如く現れたソレ。あまりに唐突なその出現に、ほむらは一瞬遅れて息を呑んだ。一体これはなんなのか。これから何が起こるのか。湧き上がる恐怖を堪え切れず、彼女は震える足で後ずさった。そんなほむらに追い打ちを掛けるように、また新たな影が目に映る。

「ひっ、いや……っ」

 なにも無かったはずの門の向こうから、三つのナニかがやってきた。そう、ナニかだ。影だけを見れば人間だが、一目見れば異形だと理解せざるを得ない。お絵描き帳から子供の落書きを切り取り、そのまま人間大まで引き延ばしたような存在だ。否、ようなもなにも、事実その通りの化け物だった。白い人型の表面に、黒い線でグチャグチャと顔や体が描かれた物体。そんな子供の工作が、何故か動いて、何故かほむらの方へ近付いてくるのだ。

 化け物がやってくる。人とは異なる奇妙な動きで、ほむらとの距離を詰めてくる。

 怖かった。逃げ出したかった。けど普通の少女に過ぎないほむらには、こんな状況で何をすればいいのか分からない。本能的に化け物から距離を取ろうとして、躓いて、尻餅をついた。ざらついた地面に触れたほむらの手は、小刻みに震えている。叫ぼうとして、引き攣った声を漏らす。痛いほど心臓が高鳴った。思考は形にならなかった。只々恐怖が、ほむらの心を蝕んでいく。

 瞬間、炸裂音が空気を震わせた。

 化け物が宙を舞う。まるで冗談みたいに吹き飛んだ化け物たちが、勢いよく凱旋門に叩き付けられる。まさしく急変。瞬きの内に起こった事態の変化に、ほむらは思わず目を丸くする。何が起こったのか分からず、座り込んだまま動けない彼女の前に、次いで一つの影が現れた。今度は化け物ではなく人間だ。背丈は自分と同じくらいだが、それでも大きな背中だと、ほむらは思った。

 ほむらを守るように現れた人物。左右で縦に巻いた髪や琥珀色のスカートなど、後ろから見える部分だけでも女性だと分かるその誰かは、右手に白銀の銃を構えていた。あまりそういった物に詳しくないほむらでも、かなり古いタイプと分かる銃だ。でも、何故だろうか。現代の物と比べて随分と簡素に思えるその銃が、ほむらにはこの上なく頼もしく感じられた。

 二度目の炸裂音。それが銃声なのだと、ほむらは気付く。

 目を瞑って身を竦めたほむらの前で、更に三度四度と銃声が続けられる。一体なにが起こったのか、未だにほむらは分からない。それでも彼女は、この悪夢が終わりに近付いている事だけは理解出来た。

「もう大丈夫だよ、ほむらちゃん」

 どこか聞き覚えのある声が、ほむらの隣から聞こえてきた。ほむらが振り向けば、やはりそこには見知った姿。今朝知り合ったばかりの少女が、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。

「……鹿目さん?」

 ほむらの声には、多分に戸惑いが含まれていた。それは学校のクラスメイトがこんな場所に居る事への疑念であり、また現れた少女の姿が意外なものだった事への驚きでもある。

 パニエによって綺麗に広げられた白いスカートに、花びらのような裾を持つ桃色のワンピース。手には純白の手袋が着けられ、首には深紅のチョーカーが巻かれていた。決して日常的に見るファッションではないまどかのその格好は、漫画やアニメのキャラクターと言われた方がしっくりきそうだ。

「そうだよ、ほむらちゃん。いきなり秘密がバレちゃったね」

 笑顔のままそう言って、まどかはほむらから視線を外した。つられてほむらが同じ方を見遣れば、ちょうど先程の女性が右手を下ろした所だった。気付けば銃声は止み、あの化け物たちも消えている。訳も分からず始まったこの奇怪な出来事は、同じく訳も分からない内に終わっていたのだ。

 一息つき、見知らぬ女性が振り返る。改めて正面から見た彼女は、ほむらと同じ年頃の少女だった。ただ近いのは年齢と背丈だけで、体つきなどは違っている。鋭い、というのがほむらの第一印象だ。柔らかで女性的な面立ちなのに、彼女が纏う雰囲気は刃物を思わせる。純粋な敵意の塊とでも言うべきか、触れれば傷付きそうなそれを、ほむらはただひたすらに怖いと感じた。

 蜂蜜色をした少女の瞳が、正面からほむらを捉える。僅かに怯えを滲ませて、ほむらもまた彼女を見上げた。瞬間、女性の両目が見開かれる。何かに驚くように、戸惑うように、少女はほむらを凝視する。さながら時間が止まったように、その場に沈黙が訪れた。

「マミさん?」

 不思議そうにまどかが尋ねれば、マミと呼ばれた少女がハッとして首を振る。

「ごめんなさい。なんだか友達に似ている気がして」

 取り繕うような笑みを刻んで、マミはほむらに手を差し伸べた。その姿からは、既に先程の鋭さは消えている。柔らかで温かな、大人の包容力を思わせる彼女の様子に、ようやくほむらの体から力が抜けた。おずおずと彼女が手を伸ばせば、すぐさまマミがそれを掴む。ゆっくりと腕を引っ張られ、ほむらは暫く振りに立ち上がった。

「怪我はないかしら?」

 そう尋ねるマミは、何故かほむらのスカートの汚れを払っている。手慣れた様子で自分の身だしなみを整えてくれるその様子は、なんだかお母さんみたいで、ほむらは妙に気恥ずかしくなった。

「そ、その、大丈夫ですからっ」
「あっ、ごめんなさい。つい癖で」

 慌てて離れたマミが苦笑する。どこか寂しそうに話すその顔が、何故かほむらは気になった。

「マミさん、そろそろ……」
「そうね。結界も消えるようだし、続きは私の部屋でしましょう」

 まどかの言葉にマミが頷く。事情を知る者同士の会話。蚊帳の外に置かれたほむらは、不安を覚えずにはいられなかった。結局この世界はなんだったのか。あの化け物はどういう存在なのか。二人は何を知っているのか。様々な疑問が湧き上がり、解消されずに積もっていく。そうして黙ったまま二人を見詰めるほむらに、マミが話し掛けてきた。

「少し時間をいただけるかしら? 貴女に全てを説明するわ」
「全て……ですか?」

 問えば、マミが首肯する。

「ええ、魔法少女の全てを――――――」


 ◆


 ほむらが連れてこられたのは、マミが住んでいるというマンションの一室だった。本当に、なんの変哲も無いマンションだ。秘密の通路や隠し部屋がある訳でもなく、管理人も、途中で擦れ違った住人も至って普通の一般人。通されたマミの部屋だって、綺麗でお洒落ではあったけれど、可笑しな調度品は一つも無い。ある意味では拍子抜けとも言えるその場所で聞かされた話は、しかしほむらにとってあまりに衝撃的な内容だった。

「魔法少女に、魔女に、キュゥべえ……」

 万感の思いを込めて呟き、ほむらは出された紅茶に口をつける。

 人類の敵であり、文明の闇に潜んで命を奪っていく、魔女と呼ばれる化け物たち。その魔女と戦う為に力を与えられた、魔法少女と呼ばれる少女たち。まるで物語みたいなそれらの話が、重苦しい現実感を伴ってほむらに襲い掛かる。嘘だと思う事は出来なかった。あの異常な世界と異形の化け物は、今もほむらの心に焼き付いているのだから。

「そうよ。キュゥべえと契約した私たちは、一つだけ奇跡を叶えてもらう代わりに、魔女と呼ばれる化け物たちと戦うの」

 語るマミの口調は穏やかだが、隠し切れない黒い感情が滲み出ていた。もし明確に名前を付けるなら、それは殺意や憎しみと呼ばれるものなのかもしれない。普通の少女に過ぎないほむらに正確な所は分からないが、なんとなく怖いと彼女は思った。

「鹿目さん達は、いつもあんな化け物と戦っているんですか?」

 誤魔化すようにほむらが問えば、まどかが笑顔で答えてくれた。

「う~ん、そうだね。わたしは契約して一週間くらいだけど、ほとんど毎日戦ってるかな。今日みたいにマミさんだけが戦うわけじゃなくて、いつもはわたしも頑張ってるんだよ。と言っても、まだまだ助けてもらうことも多いんだけどね」

 まどかが朗らかに言い放つ。その表情にはマミのような暗い部分は感じられず、現状に対してポジティブな意見を持っている事が窺える。抱いていた印象そのものなまどかの姿に、ほむらは眩しそうに目を細めた。

「怖くないんですか? その、あんな化け物と戦うのに」

 問えば、まどかは苦笑する。

「怖いよ、女の子だもん。けど、やめたいと思ったことはないかな。魔女の怖さを知っているからこそ、みんなを守るための勇気が湧いてくるんだ。わたしが頑張ることで誰かが救われるなら、それはとても素敵なことだと思うから」

 胸に手を当てたまどかが、穏やかにそう告げる。その姿を見たほむらは、まるで物語の登場人物のようだと思った。人によってはまどかを馬鹿にするかもしれない。夢見がちな子供の言葉だと、そう吐き捨てるかもしれない。でも、少なくともほむらはそうではない。彼女はただ純粋に、まどかを凄いと尊敬していた。

「鹿目さんの言う通りよ。私たち魔法少女が魔女を殺さなければ、多くの人々が犠牲になってしまう。それを理解しているからこそ、私たちは魔女と戦うの。誇りを持って――――――――魔女を殺すの」

 まどかの言葉を補足するようにマミが続ける。しかし口にする内容は似ていても、二人の雰囲気はまったく異なるものだった。春と冬、とでも言うべきだろうか。明るく温かい印象を受けるまどかに対して、どこか暗く冷たい感じがするマミ。共に行動する仲間のはずなのに、二人は少しチグハグだった。その事実が、ほむらの目には奇妙に映る。

「さて、私たちの話はこれで終わりよ。もう遅いし、そろそろお開きにしましょう」

 言われてほむらは、窓の外へと目を向けた。徐々に藍色へと染まりつつある空が、夜の訪れを告げている。中学生にとってはそろそろ遅い時間だし、転校初日のほむらとしては、親を心配させない為にも早く帰った方がいいだろう。なんとなく収まりの悪さを感じながらも、ほむらはこれ以上の会話を諦めた。

「そう……ですね。今日は本当にありがとうございました」
「どういたしまして。貴女が無事でよかったわ」
「初日から大変だったけど、明日からもよろしくね、ほむらちゃん」

 そんな穏やかな空気を保ったまま、この日は解散となった。
 こうしてほむらは、非日常を知る事になる。魔法少女と魔女が住む、不思議の世界を。


 ◆


 魔女の存在を知っても、魔法少女と友達になっても、ほむらの生活が大きく変わる事は無かった。まだ慣れない学校に通い、仲良くなったまどかの助けを借りながら、少しずつクラスに馴染んでいく。本当に普通の、どこにでも居そうな転校生の生活を一歩も出る事無く、彼女は転校後の一週間を過ごしてきた。マミを含めてまどかと三人で話す事もあるし、魔女について尋ねる事もある。それでもあの日以来、ほむらは魔女と出遭っていない。魔法少女になったまどか達の姿も見ていない。結局、暁美ほむらは一般人に過ぎないのだ。

 魔法少女になりたい、とほむらは思った事がある。魔法少女にならないか、とほむらは問われた事が無い。つまりまどかやマミにとって、ほむらは共に戦う仲間には成り得ないのだろう。非力でか弱い、守るべき対象。それが自分なのだと、ほむらは理解している。理解しているけど、納得はしていない。そんな自分は嫌だと、心の底では叫んでいた。

 とはいえ、自分から魔法少女になりたいとも言えない。それだけの意志を、ほむらは持っていない。

 あまりに情けない、とほむらは嘆息する。そのまま自己嫌悪に陥りそうになった彼女は、首を振って意識を引き戻す。顔を上げれば、カウンターの向こうで作業をしていた看護師さんが、笑顔で薬袋を差し出していた。

「はい、お大事にね」
「…………ありがとうございます」

 受け取った薬袋を鞄に仕舞い、ほむらは踵を返して歩き出す。硬質な靴音を響かせ、まばらな人の間を抜け、彼女は自動ドアを潜って外へ出た。冷たい風が頬を撫で、三つ編みにした髪が揺れる。はためくスカートを片手で抑えたほむらは、今しがた出てきた建物を振り返った。

 見滝原総合病院。これから度々、ほむらがお世話になる予定の場所だ。以前に住んでいた街で受けた手術により、ほむらの体は入院を必要としない程度には健康になった。それでも通院は必要だし、薬を欠かす事も出来ない。だからほむらは、今後も定期的にこの病院を訪れる。幼い頃に通っていた、懐かしいこの病院に。

「はぁ……」

 病院から目を逸らしたほむらが、小さく溜め息を零す。

 かつてほむらは、ここで一人の少女と出会った。一度きりの、一時間にも満たない邂逅ではあったけれど、ほむらにとっては忘れられない思い出だ。あの少女とまた会いたい。実現は難しいと思いながらも、ほむらはその願いを捨て切れなかった。本当は今日も、あの少女について心当たりがないかどうか、病院で尋ねるつもりだったのだ。けどなんて言えばいいのか分からなくて、何もしないまま出てきてしまった。

 また溜め息。それからほむらは、肩を落として歩き始める。が、その歩みはすぐに止められた。

「――――――暁美さん?」

 背後から声を掛けられ、ほむらは反射的に振り返る。見ればそこには、制服を着たマミが立っていた。

 どうしてマミが病院に居るのだろうか。そんな疑問がまず浮かび、次いでマミの表情が目に付いた。切なげで寂しげで、見ているだけで胸が締め付けられそうになる表情だ。何より真っ赤に腫らした二つの瞳から、ほむらは目が離せなかった。

「こんなところでどうしたの? なにか病気でも?」

 そう尋ねるマミの顔には、明らかに心配の色が滲んでいる。だがほむらにしてみれば、マミの方こそどうしたのか問いたいくらいだ。先程まで泣いていたとしか思えない真っ赤な目には、一体どんな理由があるのか気になってしょうがない。しかしほむらがその事を口にするより早く、マミはほむらの額に手を当ててきた。ヒヤリとした手の平の感触に、ほむらは思わず身を震わせる。

「ひゃっ」
「……熱は無いみたいね」

 息が掛かりそうな距離からマミに見詰められ、俄かにほむらの頬が色付いた。

「と、巴さんっ」
「あら、ごめんなさい。またやってしまったわね」

 苦笑したマミが、ほむらの額から手を離す。そうしてマミの顔が遠ざかると、ほむらは胸に手を当てて息をついた。彼女の小さな心臓が、さながらハムスターのそれのように騒いでいる。

「前にも言ったと思うけど、友達に似てるから、つい」

 まただ、とほむらは胸中で呟いた。また『友達』だと。

 今のような事は、この一週間だけでも何度かあった。ただほむらの世話を焼いたり心配するだけではなくて、より心理的に深い所まで踏み込んできて、マミはほむらを驚かせるのだ。そしてその度に彼女は、同じ返答を繰り返す。友達に似ているから、と寂しげに答えるのだ。

 たしかにマミの言葉は真実なのだろう。ほむらよりも長い付き合いで、同じ魔法少女であるまどかに対しては、もっと淡白な対応をしている。いい先輩ではあっても、そこから踏み出そうとはしない。本当にほむらに対してだけ、過剰なほど世話を焼こうとするのだ。もしそこに理由があるとすれば、やはりマミの言う『友達』とほむらが似ているからだと考えられる。

「……あの、そんなに似ているんですか?」

 問えば、マミは困ったとばかりに首を傾げた。

「歩きながら話しましょう。ここでする話ではないわ」

 どこか沈痛な面持ちでそう言って、マミは背後の病院を見上げた。その仕草だけでほむらは、おぼろげに事情を察せてしまう。幼い頃から病気や病院と関わってきた彼女だからこそ、そういうコトを理解出来る。

 病院に背を向けて移動を始めたマミを追って、ほむらもまた歩き出す。自然と二人は肩を並べ、夕焼けに染まった歩道を進んでいく。伸びた影が仲良く寄り添い、でも実際の距離はそうではなくて、二人の間には静かな空気が流れていた。

「――――――正直に言うとね、そこまで似ているわけじゃないの」

 まばらな人影と擦れ違いながら、マミが呟く。
 ほむらが隣を見ると、苦笑したマミと目が合った。

「あの子と貴女。見た目の共通点なんて、長い黒髪くらいじゃないかしら」

 マミが天を仰ぐ。何かを思い出すように、目を瞑る。

「貴女よりも背が小さくて、華奢で、小学生みたいな外見だった。その見た目通り体が弱くて、ずっとあの病院に入院してたの。顔はいつも青白かったし、実際、初めて会った時は幽霊みたいな子だと思ったほどよ」

 でも、とマミは続けた。

「凄く明るい性格で、意志の強い子だったわ。大きな目をキラキラと輝かせて、とても楽しそうに話をするの。病院の外に出れなくても、病気が治らないって言われても、あの子は少しも腐らずに生きていた。綺麗で、眩しくて、だから私はあの子が好きだった」

 噛み締めるように、喰い縛るように、マミが話す。震える声で語られるそれは、紛う事無き本心だろう。付き合いの浅いほむらがそう確信出来るほど、今のマミからは感情が溢れていた。

 同時にほむらは考える。自分とその『友達』は決して似ていないと。暁美ほむらは強くない。輝きなんて持っていない。取り得が無くて、劣等感が強くて、何もかも駄目なのが暁美ほむらだ。そう思い、ほむらは陰鬱な気持ちで俯いた。

「だからこそ、私はあの子を守りたかった」

 語調を強めたマミの言葉に、ほむらはゆっくりと顔を上げる。

「たしかにあの子は強かった。だけど、決して完璧ではなかったわ。どこか脆くて、儚いところもあって、気付けば消えてしまいそうな怖さもあった。だから私が守ってあげようと思ったの。あの子の輝きは私が守ると、そう誓ったの」

 穏やかさの中に荒々しさを滲ませ、絞り出すようにマミが話す。下を向いた彼女の顔はよく見えない。だけど握った拳が震えている事だけは、隣のほむらにもよく分かった。

 辺りが重苦しい空気に包まれる。自然と足取りも遅くなり、ほむらは困った様子で周囲を見回した。もちろん、それで何かが変わる訳ではない。ただ少しでもこの雰囲気を改善したくて、ほむらは必死に言葉を探していた。けど、見付からない。思い浮かばない。この状況で言うべき言葉が分からなくて、ほむらはそんな自分が情けなかった。

「…………貴女を気に掛けるのは、それが理由かもしれないわね」

 寂しげなマミの声音に、ほむらの意識が引き戻される。次いで彼女が隣を見れば、マミの赤く腫れた目が視界に入った。優しげに細められた目は真っ直ぐにほむらを見詰めていて、同時にここではないどこかを映している。

「なんだか儚くて、消えてしまいそうで、そんな雰囲気が似ているの。守ってあげなくちゃっていう気持ちになるの」

 優しい響きを持つ声だった。労りが籠められた声だった。それが自分に向けられていると思うと、ほむらはこそばゆい気持ちになる。だが同時に彼女は、マミの言葉を素直に受け取る事が出来なかった。

「でも私は、その人みたいに強くありません」
「そうね、そうだと思うわ。あの子と貴女はまったく違う」

 マミに遠慮なく言い切られ、ほむらはギュッと唇を噛んだ。

「だけど足掻きたいんでしょう? 今の自分に納得していなくて、どうすればいいかもわからないけど、どうにかしたいと悩んでる。あの子もそんなところがあったわ。だからね、たしかに表に出ている部分は違うと思うけど、そういう根っこの部分は似ていると思うの」

 幼子に言い聞かせるように話すマミの言葉を、ほむらは否定しなかった。未だに納得した訳ではないけれど、マミが心の底から信じている事は理解出来る。そしてわざわざこんな話をする理由も、ほむらは正確に推測出来る。

「……今、その『友達』はどうしているんですか?」

 刹那、辺りの空気が凍った気がした。抑えきれない怒気がマミから漏れ出て、ほむらの背筋を冷たく撫でる。知らず肩を震わせ、ほむらは隣のマミを窺った。今のマミに表情は無い。感情が凍り付いたように、大切な何かが抜け落ちていた。

「死んだわ。魔女に殺されたの」

 端的にマミが告げる。その淡白さが、逆に怖いとほむらは思う。同時に、やはりそうか、とも。

 マミが魔女を憎んでいる事は、初めて会った日から感付いていた。初対面のほむらが分かったのだから、当然まどかも察しているだろう。ただほむらもまどかも、これまでそこに触れようとはしなかった。理由は単純。こういう話が出てくる事を、感覚的に理解していたからだ。

「けど本当に悪いのは――――――いえ、今更ね」

 マミが呟き、首を振り、嘆息する。それだけで張り詰めていた空気が霧散した。

「ごめんなさい。嫌な話を聞かせちゃったわね」
「いえ、私の方から聞いたことですから」

 曖昧な表情で答えるほむらに、マミは困った様子で眉根を寄せる。そうして微妙な空気が流れる中で、ほむらはこれからどうするべきかを考えた。つまり、ほむら自身とマミの関係を、一体どんなものにするのかという問題だ。

 たしかにマミは、ほむらの事を気に掛けている。けどそれは、ほむら自身を見ている訳ではなくて、彼女を通して『友達』を見ているだけなのだ。とても悲しい事だとほむらは思うし、遣る瀬無い事だとも感じている。でも、今のマミにはそういう存在が必要なのだろう。彼女は意識していないのかもしれないが、亡くなった『友達』の代わりを求めている事は明白だった。

 つまり、ほむらはマミに必要とされている。代わりでもなんでも、今のマミを慰められるのは彼女だけだ。そう思うとほむらは、堪らない気持ちになった。惨めったらしい考え方ではあるけれど、なんの取り得も無い暁美ほむらという人間が、誰かの助けとなれるチャンスを与えられたのだ。それはとても甘美で、抗い難い誘惑だった。

 まどかのようになりたいと、ほむらは考えた事がある。人々の助けになる事を純粋に喜び、恐ろしい魔女との戦いに臨める彼女に憧れた。だが同時にほむらは、自分はまどかのようになれない事も理解している。自分はそこまで上等な人間ではないと信じている。だからこそほむらは、この状況をいい機会だと感じていた。

 多くを救える人間にはなれなくても、見知った一人を救える程度にはなりたい。それが今のほむらの願いだった。

「あの……巴さん」
「なにかしら?」

 口を開いて、閉じて、喉を鳴らす。そうしてほむらは覚悟を決めた。
 たとえ不純な動機でも、これから自分は進むのだ。少しでも変わるのだと、ほむらは誓う。

「名前で呼んでもいいですか?」

 何より、この強いようで弱い人が心から笑っている姿を見てみたいと、ほむらは思ってしまったのだ。




 -To be continued-


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