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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #018 『女の子なのよ』
Name: ひず◆9f000e5d ID:b283d0a0 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/04/01 21:32
 視界が揺れる。息が乱れる。足が震えて止まらない。両手に力が入らない。見知らぬ少女の凶行を前にして、マミは心の平衡を失っていた。歯の根は合わず、膝は今にも崩れそう。それでも彼女は倒れる事無く、眼前の少女を睨み付ける。長く艶やかな黒髪を風に遊ばせた少女は、対峙するマミをなんとも思っていないような冷たい面差しをしていた。無機質なその態度がまた、マミの胸を掻き乱す。

「はじめましてね、巴マミ。私は暁美ほむら、魔法少女よ」

 少女――――――――暁美ほむらが銃を握った右手を下ろす。敵意も無ければ警戒も無く、どこまでも自然体なその姿。一人の人間を殺しておきながら、それがまるで些事であるかの如く振舞う彼女は、明らかに常人の感性から外れていた。

 マミとて人の死に触れてこなかった訳ではない。魔女に殺された一般人を見た。結界に取り残された魔法少女の遺体を見た。そして何よりマミ自身も、魔女と命の遣り取りを繰り返してきた。だがそれらは全て、魔女という化け物が相手の話だ。魔法少女同士の縄張り争いなどが無い訳ではないが、ここまで淡白に人の命を扱える人間は、マミが知る限り他に居ない。

 この少女は危険だ。そうマミが結論付けるのに時間は掛からなかったが、すぐに対応する事は出来なかった。相手の目的も実力も分からない。このまま戦闘に持ち込むのは危険ではないかと、まずは向こうの出方を窺うべきではないかと、そんな弱気がマミを襲う。目の前で行われた殺人と得体の知れない魔法少女の存在が、マミの心に臆病風を吹かせていた。

 強く、ただ強く、マミは拳を握り締める。

「大丈夫よ。ここで貴女とやり合うつもりは無いから」
「――――――ッ!?」

 マミの心臓が凍り付く。目を見開き、彼女は大きく喉を鳴らす。

 ほむらの声は、マミの真横から聞こえてきた。あり得ない事だ。二人の距離は相応に開いていたし、マミはほむらから目を離していない。だというのに、マミはほむらが動いた事に気付けなかった。一体いつ動いたのか、はたしてどのように動いたのか、マミには何一つ理解出来ない。ただひたすらに驚愕に包まれた彼女は、人形のような動きで隣のほむらへ向き直った。

 高速移動、ではない。マミが知覚できない速さで移動したにしては、あまりにも場の空気が静か過ぎる。まるで、そう、初めから今の位置関係であったかのような異質さ。幻術か、あるいは瞬間移動の類なのか。どちらにせよ今この瞬間、マミの命はほむらに握られているも同然だった。この突発的な状況で相手をするには、いくらなんでも分が悪すぎる。

 意識して拳から力を抜き、何度か握り直す。それからマミは、ゆっくりとほむらから距離を取った。ほむらは何もしない。無感動な目でマミを眺めていた彼女は、そのまま興味無さげに視線を外した。思わず、マミは安堵の息を吐く。

 ほむらが歩き出す。反射的に身を硬くしたマミを気にする事無く、彼女は倒れている少女へと近付いていく。そうして暗い路地裏に足音を響かせたほむらは、少女の傍まで辿り着くと腰を屈めた。白い指が、砕け散ったソウルジェムの欠片を拾う。矯めつ眇めつそれを観察して、やがて満足したのか、ほむらは地面に置き直した。

「死んでるわよ」

 端的に告げるほむらの言葉が、マミの胸を深く貫いた。やり切れない感情が湧き上がり、しかしそれに身を任せる事も出来ず、彼女は憎々しげにほむらを睨む。そうして送られる鋭い視線を気にも留めず、ほむらは少女の懐を探っていた。次いでほむらが手にしたのは、真っ黒なグリーフシードだ。その光景を見た瞬間、マミの頭は一気に冷えた。

「…………ソレのために、彼女を殺したの?」

 後ろのマミを一瞥してから、ほむらはグリーフシードを仕舞い込む。

「魔法少女にとってのグリーフシードは、どんな宝石よりも価値があるわ」

 立ち上がったほむらが、正面からマミと対峙する。その顔に後ろめたさは無く、情の欠片すらも感じられない。

 ほむらの言い分は、まったく理解出来ないものではない。魔法少女の力はまさしく特別なもので、それを使い続ける為にはグリーフシードが必要となる。単に魔女退治をするだけならそこまで必死にならなくてもいいが、自由に魔法を行使するならグリーフシードが多くて困る事は無い。だからこそ他の魔法少女の邪魔をしてでもグリーフシードを集めようとするのは、ある種自然な事なのだ。

 だが、それでも、殺人にまで至るのは異常としか言えない。

 左手の中指に嵌めた指輪を、マミはゆっくりと擦る。魔法少女の証であるそれに触れて、荒れた心を落ち着けていく。これまでマミは、他の魔法少女と命を懸けた争いをした経験は無い。これからしたいとも思わない。けれどこのままほむらを野放しにするくらいなら、ここで仕留めておいた方がいいのではないかと、マミは思うのだ。

 鼓動が高鳴る。頭の中が加熱する。冷静な判断とは言えないかもしれないし、これこそ異常な考えかもしれないけれど、マミは走り始めた思考を止められなかった。逸る気持ちを抑え、呼吸を整え、彼女はほむらを殺す為の算段を立てていく。

 相手が動く前に撃ち抜けばいい。そう結論付けたマミは喉を鳴らして決意を固め、

「――――絵本アイ」

 その一言で凍り付いた。ただ呆然と、マミはほむらを凝視する。

「可愛い友達ね。小さくて、儚くて、まるで夏の蛍のよう」

 言葉とは裏腹に淡々と語るほむらに対し、マミは何も返せなかった。どうしてアイの事を知っているのか、という疑問はどうでもいい。重要なのは、ほむらがアイを知っているという事実。それはつまり、マミにとって何にも代え難い人質を握られているも同然だ。

 もはやマミに、ほむらを攻撃する事は出来なかった。敵対したが最後、この場で確実に仕留めなければアイを危険に晒してしまう。そしてそれは、限り無く不可能に近かった。わざわざアイの事を口にして牽制してきたという事は、マミに対して相応の警戒を払っているという事とも取れる。その状況で不意打ちは成立しないし、先程の移動法で逃げられればアイが危ない。故にマミは、肩を震わせて俯く事しか出来なかった。

 巴マミにとって、絵本アイは特別なのだ。比較する相手すら存在しない唯一の特別。だからどんなにほむらが嫌いでも、憎くても、殺したくても、アイの安全には代えられない。

 砕けるほどに歯を噛み締め、血が滲むほど拳を握る。そうしてマミは、湧き上がる激情を我慢した。

「理解が早くて助かるわ。無駄な争いは好きじゃないの」

 ほむらがマミの肩に右手を置く。まるで見せ付けるかのような、二度目の瞬間移動だった。マミは何も答えず、ひたすらに唇を固く結ぶ。すると興味を無くしたのか、手を離したほむらが歩き出す。遠ざかるその足音を背で受けながら、マミは掠れた声を絞り出した。

「アイを――――」

 マミの背後から聞こえていた足音が、ピタリと止まる。

「アイを傷付けたら、許さないから。絶対に、絶対に――――――ッ」

 夜闇に呑まれた路地裏が、暫し静寂に包まれた。後ろのほむらが何をしているのか、今のマミには分からない。しかし彼女は振り返る事はせず、その全身から言い知れぬ威圧感を滾らせ続けた。アイに手を出せば殺す。ほむらの方が強くとも、たとえ敵わぬ相手でも、必ず殺してみせる。言葉にはしないが、マミはそれだけの決意を胸に秘めていた。

「わかってるわ。そういう人よね、貴女って」

 どこかマミを知っているようなほむらの答え。マミがその真意を問う前に、ほむらは静かに歩き去った。雑踏の中に紛れ、ほむらの気配が感じ取れなくなる。それでもマミは、その場から動く事は出来なかった。

 やがて時計の秒針が何度か回った頃に、マミは地面に向けていた視線を上げる。瞳に映るのは、冷たい地面に倒れた少女。血を流すその姿が、いつかのアイと重なった。それに引き寄せられるように、マミはフラフラとした足取りで近付いていく。僅かな距離が途方も無く遠く感じられ、徐々に露わになる少女の顔を見て、マミは表情を歪めた。

「ごめんなさい…………」

 マミが呟く。決して安らかではない少女を前にして、彼女が紡げた言葉はそれだけだ。いつか死ぬかもしれないとは思っていた。実際に殺された魔法少女も知っている。だけどこんな終わり方は考えていなかったから、マミの胸には後悔にも似た感情が生まれていた。

 しゃがんだマミが、少女の首筋に触れる。そこにはまだ温もりが残っていたけれど、たしかに命の鼓動は消えていた。マミがこの少女と過ごした時間は、決して長くない。だけどマミは覚えている。この少女が願った事を、魔法少女になった時の喜び様を、彼女はちゃんと記憶している。それらを思うと、マミは涙が溢れてきた。溢れて、止まらなかった。


 ◆


 まどかの機嫌が良い。朝、学校に来たほむらが最初に思った事がそれだ。

 アイが事故に遭った日から目に見えて元気が無かったまどかだが、今朝の彼女は違った。笑顔の数も増え、纏う雰囲気も明るさを増している。ほむらにはその理由を正確に推し測る事は出来なかったが、朧げに予測するくらいは出来た。おそらくは魔法少女に関する事で、だからこそほむらは素直に喜べない。まどかが魔法少女に対して積極的になるのは、彼女の望むところではないからだ。

 鹿目まどかを魔法少女にさせない。言葉にするだけなら簡単な、しかし実現するには難しいそれが、ほむらの抱く願いだった。そこに複雑な理由は無い。まどかが特別だから、大切な友達だから、悲しい目に遭わせたくないという、ただそれだけの気持ち。たとえ他の女の子を救う事が出来ずとも、まどかを見捨てる事だけはしないとほむらは誓っていた。

「ほむらちゃん、おはよう!」
「おはよう、まどか」

 笑顔のまどかに挨拶を返しながら、ほむらは今後の対応を考える。

 昨夜、ほむらは初めてマミと接触した。それに関して後悔は無い。しかしあのような出会い方をした上に名前を教えたのだ、遠からずまどかに自分の情報が伝えられるはずだと、ほむらは予想していた。まどかはどう思うだろうか。怒るかもしれないし、怖がるかもしれない。なんであれ、ほむらに事実確認をしようとするのは間違いない。その時はどんな話をしようかと、ほむらは冷たい面立ちの裏で思案する。

 いっそ魔法少女の裏事情を伝えれば、まどかもキュゥべえとの契約を思い留まってくれるかもしれない。そんな考えも脳裏をよぎるが、ほむらに実行するつもりは無かった。魔法少女という特別な存在に関して、まどかが最も頼りにしているのはマミだろう。となれば、ほむらが教えた情報の真偽をマミに確認する可能性は高い。そうなるとマミが真実に辿り着く恐れが生まれるし、そうでなくともほむらが嘘吐き呼ばわりされるかもしれない。少なくともほむらが望む通りの展開にはならないだろうと予想出来た。

 まどかにとって、ほむらはただの友達に過ぎないのだ。ほむらがどれだけ想いを寄せようと、まどかは理解を示さないだろう。二人の間に信頼は無く、踏み入った話など出来るはずもない。当然だ。他ならぬほむら自身がそのように接してきたのだから。

 分かっている。自分が異常なのだと、ほむらはちゃんと理解している。

「――――ほむらちゃん? なんだか顔色が悪いよ」

 問題無いと答えようとしたほむらは、しかしその直前に動きを止めて首を振った。

「……そうね。少し気分が悪いから、保健室で休むことにするわ」
「大丈夫? わたしも保健室まで付き添うね」
「その必要は無いわ。予鈴も近いのだし、私だけで十分よ」

 言うが早いか、ほむらは返事も聞かずに歩き出す。まどかの困惑する気配を背中で感じながらも、彼女が足を止める事は無かった。教室を出たほむらは、そのまま階段へと歩を進める。向かう先は保健室――――――ではなく屋上だ。

 始業を間近にして教室へ駆け込む生徒達の隙間を縫いながら、ほむらは静かに階段を上っていく。そのまま誰に止められる事も無く最上階まで辿り着いた彼女は、扉を押し開いて屋上へと足を踏み出した。冷たい風が頬を撫で、ほむらは微かにその身を震わせる。細めた目に映るのは、誰も居ない静かな屋上。一度だけ辺りを見回した彼女は、次いで自らの携帯電話を取り出した。

「……………………」

 電話帳から目的の番号を呼び出したほむらは、屋上の中央へ向かいながら携帯電話を耳に当てる。暫く呼び出し音が鳴り、それから相手が電話口に出た。聞こえてくるのは、ここ最近ですっかり聞き慣れた少女の声だ。

『はいはい、アイちゃんです。こんな朝早くからどうしたのさ?』

 いつも通りの”友達”の声を聞き、ほむらは知らず息を吐く。

『もしもーし? ほむらちゃんだよね?』

 焦れた様子のアイの問い掛け。それに対してほむらは、一拍置いてから返答した。

「おはよう、アイ。そこに巴マミは居るのかしら?」
『うん、おはよう。マミは面会時間前だから居ないよー』
「ならいいわ。彼女に聞かれると、少しややこしいことになりそうだから」
『ま、ボクらの話はいつもそうだよね』

 そうね、とほむらが笑む。青空を仰ぎ瞑目した彼女は、自らの胸に手を当てた。手の平に伝わる、いつもよりちょっとだけ激しい鼓動。それが落ち着くまで待ってから、ほむらは再び口を開いた。ゆっくりとした口調で、はっきりとした声音で、言うべき事をアイに伝える。

「昨日、魔法少女を殺したわ」

 息を呑む音が聞こえた。電話越しでもアイが緊張するのが分かる。そうして当然の如く途切れた会話に一抹の不安を感じながらも、ほむらが次の言葉を口にする事は無い。ただジッと、彼女はアイの声を待ち続ける。

『…………そっか……そっか。うん、そういうこともあり得るよね』

 どこか疲れた調子で話すアイに対して、ほむらは何も返せなかった。携帯電話を強く握り締め、彼女は閉じた目蓋を上げる。そうして視界に飛び込んできたのは、雲一つ無い青空だった。どこか胸が締め付けられる思いがして、ほむらは固く口を結ぶ。

『どうしてって、聞いてもいいかな?』

 アイがポツリと呟いた。
 一つ頷き、その問い掛けにほむらが答える。

「巴マミの目の前で、魔女に堕ちてしまいそうだったから」
『……なら、仕方ないね。仕方ないって、思えちゃうよね』

 らしくないほどに切なげなアイの声。ほむらの言葉を信じて、受け入れて、だけど納得しきれていないような、そんな声。当然だと、ほむらは思う。魔法少女についての知識があるとはいえ、あくまでも一般人に過ぎないアイは、その感性も常識的な範囲に収まっている。そんな彼女がいきなり人を殺したなどと聞かされても、飲み込みきれるはずがない。

 ほむらに対して、アイは酷く素直な一面を見せる事がある。命を助けられた相手だからか。はたまた秘密を共有する相手だからか。アイの本心は分からないが、時として彼女がマミ以上にほむらを信頼しているのは確かだ。そしてそんなアイであっても、今回の件は受け入れ難い部分があるのだろう。人が人を殺した。魔女になる前に、助けられたかもしれないのに、ほむらは殺した。一般人であるアイにとって、それはとても重い意味を持つ。

 ほむらとて文句を言う気は無い。いくら魔法少女について詳しいとはいえ、アイは実際に魔女と闘ってきた訳ではない。魔法少女が魔女に堕ちる瞬間を目にした訳でもない。故に頭では理解していても、心が納得しないのは道理と言える。

 仕方ない、とほむらは思う。当然だ、と彼女は認めている。

「女の子なのよ」

 しかしほむらは、気付けばそんな事を口にしていた。

「誰かを助けるヒーローじゃない。誰かに助けられるヒロインでもない。甘いものをたくさん食べたいとか、好きな人に笑ってほしいとか、そんな普通で平凡な悩みを持つ女の子が、私たち魔法少女なのよ。特別な力があっても、特別な役割があっても、私たちは決して特別な人間ではないの」

 だから、と続けようとしてほむらは口を噤んだ。彼女の眉間には皺が刻まれ、赤い唇は醜く歪む。口を開こうとして、けどすぐに閉じて、陸に上がった魚みたいにその繰り返し。声を出そうと震える喉は、しかし音を生み出す前に止まってしまう。

 だから、仕方ない。
 だから、期待しないでほしい。
 だから――――――私に失望しないで。

 思わず口を衝いて出ようとするそれらの言葉を、ほむらは必死に押し留める。弱音なんて吐かない。弱気すらも見せたくない。半ば意地に近いその感情が、彼女を縛り付ける。自分は強いと言い聞かせ、揺れる心を叱咤して、ほむらは握る携帯電話を軋ませた。その白い相貌に浮かぶのは、紛う事無き不安の色。普段は見せない彼女の一面が、心の隙間から覗いていた。

『わかってる。わかってるよ、ほむらちゃん』

 甘やかな声が聞こえる。自然と心に染み入るそれに、ほむらは意識を奪われた。

『そりゃま、正しいとは言えないかもしれない。けどま、ボクらは正義の味方じゃない。悲しいとは思うけどそれだけで、使命感に駆られるわけでもない。だから気にしないよ。女の子だからね。見知らぬ他人よりも、見知った友人の方が大切なのさ』

 紡がれるその言葉が、アイの本心から生まれたものかは分からない。先程とは一転して明るい口調のそれは、むしろ偽りだと疑った方がいいのかもしれない。けれどそうは思っても、たとえ本当に嘘だとしても、ほむらの心は決して少なくない喜びを覚えていた。知らず綻びそうになる口元を、ほむらは必死に縫い止める。

 アイがほむらに心を許すように、ほむらもまたアイに対するガードが甘い。そこにはもちろん理由があって、だからその態度はある種当然と言うべきものなのだけれど、ほむらはそれを素直に表す事が出来なかった。ほむらにとってのアイは、数少ない友達で、頼れる相手で、大切な存在だ。それはほむらも否定しないし、認めている。

 だが、アイはほむらの”特別”ではない。それは二人も要らないと、ほむらは胸中で呟いた。

「……話は…………変わるのだけど」
『うん? なにかな?』

 乱れそうになる呼吸を、ほむらは軽く整える。

「――――――二日後に『ワルプルギスの夜』が現れるわ」

 アイの返事は無かった。動揺も、電話越しには感じ取れなかった。ではアイが平静なのかと言えば、決してそんな事は無いだろう。ワルプルギスの夜。天災と呼ぶしかないほど強大な魔女。ほむらは繰り返しその脅威を伝えていたし、その打倒にはマミの力が欠かせないとも教えてきた。多くの人命を脅かす怪物であると同時に、マミを普通の少女へ戻す為の大きな障害。アイにとってのワルプルギスの夜とは、そういう存在のはずだ。だからこそアイの頭脳は、今、忙しなく働いているに違いない。

「本当はもう少し早く伝えるつもりだったのだけど、あの事故があったから」

 沈黙を誤魔化すようにほむらが続けても、アイの言葉は返ってこない。ほむらもまた口を閉ざし、暫しの静寂が訪れる。広い屋上に風が吹いた。冷たいそれは、ほむらの長い黒髪を舞い上げ、スカートの裾をはためかせる。しかしそれらを気にする余裕も無く、ほむらはアイの声を待っていた。

『……とうとう、と言うべきなのかな』

 アイの呟きが沈黙を破り、ほむらは小さく息をつく。

「引き起こされるスーパーセルによって、当日は見滝原全域に避難勧告が出されるはずよ。ただ、あなたは――――」
『病院から出れないだろうね。車椅子に乗れるかも怪しい時期だ』
「ええ、そうなるでしょうね」

 ほむらが頷く。アイが事故に遭った日から一週間足らず。まだまだ安静にしているべき彼女は、他の重病患者や一部職員と共に病院で待機する事になるだろう。当然ではあるが、そんなアイに出来る事は少ない。皆無と言っても言い過ぎではないかもしれない。ただ、それでもアイには役目があった。誰にも代われない、たった一つの役割が。

「避難勧告が出たら、貴女は巴マミと接触しなさい。直接会ってもいいし、電話でもいいわ。とにかく彼女と話をして、ワルプルギスの夜と闘うよう仕向けてほしいの。貴女が背中を押してあげれば、巴マミも全力を出すでしょう?」

 アイは動けず、動かす事も出来ない。であればマミに出来る事は、迫りくる脅威を撃ち払う事だけだ。それはマミ自身も理解出来るだろうが、アイから離れる事に不安を抱くかもしれない。だからこそアイには、その背中を押してもらう必要がある。そうすればマミは、ワルプルギスの夜に挑むはずだ。無理でも、無茶でも、無謀でも、彼女は死力を尽くして闘ってくれるだろう。その心理が、ほむらには容易く理解出来る。ほむらだからこそ、我が事のように分かってしまう。

『それはいいけど、ほむらちゃんはどうするのさ? マミと協力できる? なんなら仲介するけど』
「いえ、あなたが間に入ると余計に話が拗れるわ。上手く合わせるから心配は無用よ」
『大丈夫? ほむらちゃんって、そういうとこ不器用そうだからなぁ』

 遠慮の無いアイの物言いに、ほむらは口を尖らせた。その雰囲気が伝わったのか、電話口の向こうでアイが笑う。

『なんてね。ちゃんと信頼してるよ。話はこれだけかな? そろそろ看護士さんが来るんだけど』
「そうね。またなにかあれば連絡するわ」
『オッケー。んじゃ、最後に一つだけ』
「なにかしら?」
『さっきの魔法少女のこと』

 あっさりとアイが口にした言葉は、しかし口調とは正反対の重い内容で、ほむらは思わず表情を硬くする。

『ありがとうとは言わないし、言えないけどさ』

 続いて聞こえてきたのは、柔らかな声。優しい声。頭の裏側がくすぐったくなるような、そんな声。
 いつの間にかほむらは、携帯電話を握る手に力を籠めていた。

『ボクはほむらちゃんの味方だぜ――――――――うん、それだけ』

 本当にそれだけ言って、アイはさっさと電話を切ってしまった。碌に返答する時間も与えられなかったほむらが、通話の姿勢のまま立ち尽くす。それからゆっくりと携帯電話を耳から離し、ほむらは画面に目を落とした。映っているのは、ほむらとまどかのツーショット。待ち受けに設定しているそれを見たほむらは、複雑そうに眉根を寄せた。

 一度は終わった話を、どうしてアイは蒸し返したのだろうか。どうして、わざわざ味方だと口にしたのだろうか。その真意は分からない。分からないが、ほむらの心に深く刻まれた。

 携帯電話を仕舞い、ほむらは小さく嘆息する。

 嬉しくない訳ではない。怒っている訳でもない。ただほむらの心情を表すなら、『怖い』という言葉が近いだろう。傍で、笑顔で、手を差し伸べてくる存在。どこまでも自分に優しいアイが、今のほむらには、少しだけ怖かった。


 ◆


 ほむらちゃんの様子が可笑しい。この日一日を通して、まどかが思った事がそれだ。

 朝からほむらの体調が悪いとは聞いていたが、保健室から戻ってきた後も、彼女はどこかぼんやりとしていた。まどかと話している最中も物思いに耽っている風で、いつもの落ち着いたほむらはどこへやら。だからまどかは、今日の放課後はマミに付き合うのではなく、ほむらと一緒に遊ぼうかと考えていた。

 些か口にしにくい事ではあるが、ほむらは友達が少ないのだ。まどかを除けば、かろうじてさやかと仁美が友達の枠に入るくらいで、他の生徒とは単なるクラスメイト以上の関係ではない。さやかと仁美にしてもまどかを通した親交であるため、本当の意味で仲が良いと言えるのは、実質まどか一人だけだ。少なくとも、まどかの知る限りではそうだった。

 故にまどかは思うのだ。ほむらが困っている時は、友達である自分が力になってあげなくてはと。

「――――――のに、間が悪いなぁ」

 夕日が射し込む病院の廊下を歩きながら、まどかは嘆息する。その手には携帯電話が握られ、一通のメールが開かれていた。差出人はマミで、内容はアイの病室への呼び出し。緊迫した文面で急を要すると書かれたそれを断りきれず、まどかはこうして病院にやってきたのだ。

「ほんと、どうしたんだろ」

 もう一度メールの文面を見てから、まどかは携帯電話を仕舞う。これまでにも何度か訪れ、そろそろ見慣れてきた感もある通路を進み、まどかはアイの病室に辿り着いた。ノックをすれば、すぐに答えが返ってくる。扉をスライドさせて中を覗くと、そこにはいつも通りの二人が待っていた。ベッドに寝ているアイと、その傍で椅子に座るマミ。二人の視線は、揃って入口のまどかへ向けられていた。

「いらっしゃーい。おもてなしはできないけど、まぁゆっくりしていってよ」
「こんにちは、鹿目さん。急な呼び出しでごめんなさいね」

 アイとマミの表情は対照的だった。いつも通り朗らかなアイとは違い、マミは酷く真剣な顔をしている。そんなマミの雰囲気に押されて、まどかは扉の傍で立ち竦んだ。

「ああ、ほら。マミが怖い顔してるから驚いてるよ」

 可笑しそうにアイが喋れば、マミは気恥ずかしそうに咳払い。
 ややぎこちない笑みを浮かべて、マミは改めて口を開いた。

「今日は知らせておきたいことがあって呼んだのだけど、まずは座ってちょうだい」
「あ、はい。失礼します」

 促され、まどかはおずおずとベッド脇の椅子に腰掛ける。持っていた鞄を床に下ろしたまどかは、次いで隣のマミと向き合った。蜂蜜色の瞳が、真っ直ぐにまどかを見詰めている。焦りと、怒りと、僅かな恐れが宿った瞳。分からない。どうしてマミがそんな目をしているのか、まどかはさっぱり分からない。それを怖いと感じる部分はあるけれど、何故かまどかは、話を聞かなければという気持ちになった。

 自然とまどかの背筋が伸び、その表情が硬くなる。空気が冷えた気がした。次いでマミの纏う雰囲気が、キリリと引き締まったのが理解出来る。ベッドに横たわるアイを気にする余裕も無く、まどかは目の前のマミに意識を奪われた。固く結ばれたマミの唇に、まどかの視線が寄せられる。色素の薄いそれを見詰めて、見詰めて、そうして開かれた瞬間、まどかは一層体を緊張させた。

「知り合いの魔法少女が殺されたわ」

 平坦な口調で紡がれたそれが、まどかにはどこか遠い国の言葉のように感じられた。魔法少女が殺される。その可能性がある事は以前からマミに教えられてきたまどかではあるけれど、まさか本当に起きるとは思っていなかった。ごく一般的な日本家庭で育った彼女にとって、殺し殺されるという話はテレビの中にしか存在しないのだ。

「え? あ、その…………魔女に……?」

 しどろもどろにまどかが問えば、マミは首を振って否定する。

「殺したのは魔法少女よ」

 鋭く、いっそ憎しみすら籠めてマミが呟く。
 瞠目したまどかの唇から、力無い声が漏れ出した。

「なん……で……」
「グリーフシードの為よ。ただ自分が魔法を使うことを目的として、彼女は人を殺したの」

 そう吐き捨てたマミの表情は暗く、声には明確な憎しみが乗せられていた。その雰囲気に呑まれ、その内容に慄き、まどかは背筋を震わせる。あまりにもまどかの理解から離れたその動機は、怒りや悲しみを覚えるよりも先に、ただ純粋な恐怖のみを彼女に植え付けた。だが続くマミの言葉によって、その恐怖は根こそぎ吹き飛んだ。

「彼女は暁美ほむらと名乗ったわ」

 まどかにも覚えのある名前だった。あり過ぎる名前だった。

「長い黒髪の持ち主で、綺麗だけど鋭い印象の顔立ちよ。年は私達と同じくらい。身長は鹿目さんよりも少し高いくらいね。私が覚えているのはその程度だけど、鹿目さんもそういう人には気を付けて。あなたも関係者の一人だし、もしかすると危ないかもしれないから」

 怖い顔で注意するマミの言葉も、今のまどかには届かない。暁美ほむら。その名をまどかは知っていた。知っているどころかクラスメイトで友達だ。まさか、とは思う。そんなはずはない、と考えたい。でも、決して無視出来る事ではなかった。人殺しはいけない事だ。自分の為なら余計にそうだ。だから万に一つでも可能性があるのなら、ちゃんと確認しておくべきではないだろうか。

 今日のほむらは様子が可笑しかった。まどかはそれを深刻には捉えていなかったが、こんな話を聞かされると途端に不安になってくる。もしかしたらと、そんな嫌な考えが浮かんでくる。気付けば彼女は、膝に乗せた拳を握り締めていた。

「大丈夫? なんだか顔色が悪いけどさ」

 訊ねるアイに返事もせず、まどかは俯いて唇を噛む。

 この場で言うべきだろうか。暁美ほむらという友達が居る事を。そんな考えを一瞬だけ浮かべたまどかは、しかしすぐに首を振って否定した。たとえほむらがその魔法少女本人であろうとなかろうと、ここでマミに教えればややこしい事になるだろう。だからまずは、自分の手で確認する。まどかはそうした方がいいと思った。いや、そうしなければいけないとすら考えた。

「…………すみません。少し気分が悪いので、今日はもう帰ります」
「そう? そうね、あまり気分のいい話ではなかったものね」

 気遣わしげなマミの態度も、今のまどかにはどうでもよかった。鞄を手にしたまどかが立ち上がる。ペコリと頭を下げた彼女は、そのまま何も言わずに病室を出た。アイが何か言っていた気もするが、それもどうでもいい。まどかは鞄から携帯電話を取り出し、病院内であるのも構わず電話を掛けた。もちろん掛けた相手はほむらだ。

「……ほむらちゃん」

 だが、出ない。どんなに待っても、ほむらは電話に出てくれない。嫌な予感が募る。何もかもが台無しになってしまいそうな悪寒が、まどかの背筋を駆け上がる。気付けば彼女は走り出し、夕闇の中へと飛び込んでいった。


 ◆


 暗く、重く、冷たい空気。狭い路地裏に満ちたそれを切り裂いて、甲高いコール音が鳴り響く。唐突に耳へと飛び込んできたそれに驚き、ほむらは僅かに肩を揺らした。彼女の瞳が、左手に提げた鞄へ向けられる。音の発生源は、その中に仕舞われた携帯電話だ。メールではなく電話。それも誰から掛かってきたのか、ほむらは瞬時に理解した。

 ほむらが前を向く。視線の先には、壁に背を預けた杏子が立っていた。いつも通り緑のパーカーを身に纏った杏子は、腕を組んでほむらを眺めている。勝気な瞳には、微かな苛立ちが滲んでいた。

「携帯、鳴ってるぜ」
「かまわないわ。用件はわかっているもの」

 素っ気なくほむらが返せば、杏子は面倒臭そうに髪を乱した。

「出なくていいから、とりあえず止めろ。うるさくてかなわねぇ」
「…………そうね」

 少し悩んだ後、ほむらは鞄から携帯電話を取り出した。ずっと鳴り続けていたコール音が、ようやく止められる。そのまま彼女は電源を切り、再び携帯電話を鞄に仕舞った。

「さあ、話を続けましょう」
「はいよ。で、二日後にワルプルギスの夜が出現するっていうのは、確かな情報なんだろうな?」
「間違い無いわ。だから、そのつもりで準備していなさい」
「わかったよ。ま、今さら疑ってもしょうがないしね」

 肩を竦めた杏子が、皮肉気に唇を歪める。そんな彼女の態度を気にした風も無く、ほむらは自らの髪を掻き上げた。長い黒髪が舞い上がり、またすぐに重力に負ける。澄ました顔で、ほむらは杏子に話し掛けた。

「ところで、例の彼女はどうなったのかしら」
「あん? あの帽子娘か?」

 コクリと、ほむらが首肯する。と、杏子が頬を緩めて返答した。

「アイツなら大丈夫だ。一先ず問題は解決したよ」

 ほむらの目が丸くなる。パチパチと瞬きを繰り返した後、彼女はおもむろに顎先へ指を添えた。右へ左へ、上へ下へ。忙しなく動き始めたほむらの視線は、やがて地面に固定される。そのまま彼女は黙り込み、訝しむ杏子を無視して思索に耽った。ただ黙然とした時が過ぎ去り、夜闇ばかりが濃くなっていく。そうして焦れた杏子が苛立ちを表に出し始めた頃、ようやくほむらが声を発した。

「……そうね。そういうことも、あるわよね」

 呟き。誰に向けたものでもなく、ただ自分に言い聞かせるように、ほむらは呟いた。

「なにさ、文句でもあるっての?」
「いえ、思ったより順調で驚いただけよ」

 首を振り、ほむらが顔を上げる。そこにはもう、先程までの戸惑いは無かった。

「なんにせよ良いことだわ。当日まであの調子なら、あなたも含めて戦力を考え直さないといけないもの」
「まったくだな。アイツはまだまだ未熟だけど、戦力としてはそれなりに――――――」

 話を途切れさせた杏子が、おもむろに右手へ顔を向ける。つられてほむらもそちらを見遣るが、特に可笑しな所は無い。幅にして五メートルもない裏路地が、向こうの通りまで続いているだけだ。たしかに暗がりで視界は悪いが、第三者の気配がある訳でもない。それでも杏子は目を逸らす事無く、ジッと暗闇の奥を睨んでいる。

「どうかしたの?」
「あぁ、いや。たぶん気の所為だ」

 どこか釈然としない様子で答え、杏子は視線をほむらに戻す。

「そういや戦力っていうけど、他にはどんな奴が居るわけ?」
「私と貴女に巴マミ、あとは例の彼女と、美樹さやかという新人の魔法少女ね」

 杏子の眉根が寄る。小豆色の目に浮かぶのは、僅かながらの不安と疑念だ。

「他には? マミが動いた分、ここらの魔法少女は多いはずだろ?」

 ほむらが首を振って否定する。彼女の顔には憂いが宿り、瑞々しい唇からは、今にも溜め息が漏れそうだった。途端に場の空気が湿り気を帯び、重さを増す。杏子が僅かに身じろいだ。瞳に色濃く惑いを滲ませ、彼女はほむらの様子を窺っている。

「私が把握している範囲では全滅ね。みんな魔女になるか、そうでなくとも殺されているわ」

 空気が凍った。あるいは、壊れたとでも言うべきか。瞠目した杏子が硬直して、呆然とほむらを見詰めている。縋るようなその視線を受け流し、数瞬、ほむらは目を瞑った。次いで彼女が紡いだのは、どこまでも冷たく平坦な、氷の如き声だった。

「最初は問題無かったのでしょうね。巴マミが新人を手伝い、安全な環境で実力をつけさせる。まるでゲームのチュートリアルのように。たしかにそれで魔法少女は増えたし、彼女たちも力を合わせて上手くやっていたわ」

 ほむらが息を吸う。そのまま顎を引き、地面を睨んで彼女は続けた。

「でも、所詮は女の子なのよ。戦士でなければ兵士でもなく、もちろん勇士であるはずもない。戦いなんて望んでいなかった。魔法少女になることも望んでいなかった。あったのは叶えたい願いだけで、その代償に対する覚悟は持ち合わせていなかったのよ」

 あなたもそうでしょう、とほむらは杏子に水を向ける。すると杏子は腕を組み、背にした壁に、後ろ頭をコツリと当てた。彼女の視線は、ビルに切り取られた空へと向けられている。つられて、ほむらも天を仰ぎ見る。星が輝きを増していた。空気が冷たさを増していた。夜の気配が、すぐそこまで忍び寄ってきていた。

「――――たしかに、そうかもな」

 杏子が呟く。か細く掠れた、囁くような声だった。

「否定はしないよ。夢みたいな話だし、夢見てた部分はたくさんあった。けどそんなの誰でも一緒だろ? 軽い気持ちで契約して、重い現実を思い知る。魔女と闘いながら、少しずつそれに慣れていくんだ。そいつらが特別なわけじゃない」
「だからこそ、よ。本来なら魔法少女の厳しさを学ぶべき時期を、彼女たちは巴マミに守られて過ごした。実力をつけた後でも、知り合いと仲良くやっていた。なまじ最初から順調に進んでいたが故に、躓いた時の衝撃が大きかったのよ」

 まだ魔女との戦いに慣れておらず、不安が強く残っている頃に失敗していれば、それは教訓として刻まれたかもしれない。けれど碌に苦労も無く、半端についてしまった実力は、魔法少女が持つべき危機意識を薄れさせた。素人ではなく、玄人でもない。戦闘への慣れから生まれた油断が、彼女達の命取りとなったのだ。

「そしてなにより、彼女たちは横の繋がりが強かった。見知らぬ他人が死ぬのは平気でも、見知った友人が死ぬのは辛いものよ。つまり誰か一人でも躓けば、それが周りに広がるということ。そうして短期間の内に、多くの魔法少女が脱落したのよ」

 重い沈黙が、二人の間に横たわる。続く言葉を紡ぐ事無く、彼女達はボンヤリと空を見上げていた。既に山の向こうへ日が沈み、夜の闇は辺り一帯を覆っている。大通りから射し込む明かりも、二人へ届くのは僅かなものだ。

 ふと、杏子がほむらに顔を向ける。暗闇の中に浮かび上がるその相貌からは、強い意志が感じられた。次いでほむらも顎を引き、正面から杏子と視線を交わす。目を逸らさずに、見詰め合う。そうしてまず、杏子の方が口を開いた。

「マミは知ってるのか? そいつらのこと」
「それなりに、といったところでしょうね」

 答えて、ほむらは地面に目線を落とす。

「巴マミが世話をするのは新人時代だけで、以降の接点は少ないわ。だから中心人物であることは確かだけど、精神的支柱というわけではないの。それに魔法少女の契約を勧めた彼女なら相談しやすいと感じる人も居れば、逆に相談しにくいと思う人も居る。特に魔法少女と魔女の関係に感付いた人なら、巴マミと話し合うことは躊躇うでしょうね」

 加えて言えば、マミの意識がアイに向かっているのも大きな要因だろう。そしてこれらの要素が絡み合って、マミは未だに現状を知らずに済んでいる。まさしく奇跡だと、ほむらは思う。誰か一人、何か一つ、ほんの僅かでも異なる可能性を選択していれば、マミは魔法少女の秘密に気付いたかもしれない。その危うさを、ほむらは深く理解していた。

「……とはいえ、これは私が知る範囲での話。私が知らない魔法少女も、まだ相応に居るはずよ」
「意外だね。アンタはなんでも知ってるのかと思ってたのに」
「そうでもないわ。むしろ自分の無知さを思い知らされることの方が多いもの」

 そっとほむらが目を瞑る。長いまつ毛が震えていた。黒い髪が、風に吹かれて揺れていた。どこか侵し難い空気が彼女を包み、対峙する杏子も口を噤む。刹那の静寂が、狭い路地裏に訪れた。

「一つ確実に言えるのは――――――」

 ほむらが紡いだのは、感情の籠らない平坦な声だった。

「魔法少女に大切なものなんて不要ということよ。たとえ必要だとしても、一つあればそれでいい」

 杏子は何も言わなかった。言えなかった、と表現した方が的確だろうか。眉間に皺を寄せて険しい顔をした彼女は、けれど瞳に心配の色を乗せてほむらを見詰めている。その視線に気付きながらも、ほむらは知らない振りで押し通した。

 大切であればあるほど、失った時に大きな心の傷が出来る。魔法少女にとってそれは、文字通りの致命傷だ。だから要らない。大切なものは持つべきではない。そうすれば傷付く事も、魔女になる事も無いのだから。もし仮に大切なものを持つ必要があるのならば、たった一つだけ、魔法少女として闘う理由であるべきだ。多くの事実を知る者として、ほむらはそんな考えを抱いていた。

「……少しお喋りが過ぎたわね。他に用件も無いし、今日はここまでにしましょう」

 クルリとほむらが杏子に背を向ける。流れるように黒髪が舞い、杏子の視界からほむらの顔を覆い隠す。そのまま名残惜しさの欠片すらも感じさせずに、ほむらは大通りへと歩き始めた。背後で杏子が何かを言ったが、ほむらの足は止まらない。進む先には、光に溢れた大通り。騒がしくも秩序めいた雑踏の中に紛れるように、ほむらは裏路地から姿を現した。

「――――だから待てっての!」

 と、追ってきた杏子がほむらの肩を掴む。
 力尽くで振り向かされ、ほむらは再び杏子と向き合った。

「なにかしら?」
「三日後だ」

 意味が分からず、ほむらは首を傾げる。

「決戦前に揉めたくないし、今は黙ってやるよ。だから、とりあえず三日後の日曜は予定を空けとけ」

 八重歯を剥き出しにして杏子が笑う。どこか獰猛で、どこか穏やかで、心が惹きつけられる表情だった。咄嗟に返事が出来なくて、ほむらはその場に立ち尽くす。そんな彼女に対して笑みを深くし、杏子は楽しそうに話を続けた。

「祝勝会だ。美味いモン、食いに行こうか」

 そんだけ、と杏子はほむらの肩から手をどける。そのまま軽い足取りで去っていく杏子の姿を、ほむらは呆然と見送った。間も無く雑踏の奥に小豆色が消えても、ほむらはその場から動かない。幾人もの通行人と擦れ違い、幾つもの車が通り過ぎ、それからほむらは、自身の肩に右手を添えた。

「ほんと、知らないことばかりだわ」

 呟き、ほむらは困ったように眉尻を下げる。微かに形を変えたその口元は、ともすれば笑っているようにも感じられた。だがすぐにまた、元の冷たい表情に戻ってしまう。唇を一文字に結び、瞳に鋭い光を宿して、ほむらは杏子が去ったのとは反対方向へと足を向けた。

「――――――ほむらちゃん?」

 瞬間、聞こえた声がほむらを硬直させる。

「ほむらちゃん、だよね?」

 重ねられたその声は、ほむらにとって聞き覚えのあるものだ。あり過ぎる、と言っても間違いではない。いつも聞いている声だ。ずっと聞いてきた声だ。目を閉じれば顔が浮かぶほど、その少女の存在はほむらの心に根付いていた。

 錆びついたブリキ人形みたいにぎこちなく、ほむらは声のした方へ顔を向ける。彼女が怖々と視界に映した声の主は、予想通りの人物だった。鹿目まどか。息を荒げ、額に汗を浮かべた彼女が、少し離れた位置に立っている。その隣には、どこか困惑した様子の美樹さやか。二人の姿を捉えても、ほむらはすぐには対応出来なかった。

 時間の経過とともに、ほむらの思考が冷えてくる。暴走した心臓が、徐々にペースを落としていく。これなら大丈夫だと、ほむらは自分に言い聞かせる。それでも声を発する直前、彼女は小さく喉を鳴らした。

「ついてきなさい」

 短く告げて、ほむらは再び路地裏へと戻っていく。若干の間を置いて、その後ろからまどか達もついてきた。一分ほど歩き、路地裏のほぼ中央に位置する場所で、ほむらは立ち止まって振り返る。直後、まどかとさやかも足を止めた。

「それで、なんの用かしら?」

 ほむらが問えば、さやかは隣のまどかに目で尋ねる。もしかするとさやかは、状況を把握していないのかもしれない。慌てた様子の友人が心配で、といった感じだろうか。とはいえそこは重要ではないと、ほむらはまどかに意識を集中させる。そうして二人分の視線に晒されたまどかは、酷く落ち着かない様子で声を上げた。

「あ、あのね。わたし、わたし……ほむらちゃんに…………」

 言い切る前に声をすぼませ、まどかは俯いた。まだ決心がついていないのだろうか。彼女の口はまごつくばかりで、明確な言葉が紡がれる事は無い。ハッキリしないその態度を見て、ほむらは小さく息をついた。

「まだ教えていなかったけれど、私は魔法少女よ」

 躊躇いなく、ほむらが告白する。まどかが息を呑んだ。さやかは目を見開いた。共に驚きを表し、佇むほむらを凝視する。そんな二人の視線をものともせず、ほむらは悠然と髪を掻き上げた。直後、正気に戻ったまどかが、泣きそうな顔で唇をわななかせる。彼女が発した声も、酷く震えていた。

「じゃあ、本当に…………」
「巴マミの前で魔法少女を殺した件なら、この私で間違い無いわ」

 瞬間、場の空気に緊張が走った。発生源は美樹さやか。まどかの前に進み出た彼女が、厳しい目付きでほむらと対峙した。疑念と警戒、その二つを、今のさやかは露わにしている。ただそれでも、未だ明確な敵意は感じられなかった。

「なんかよくわかんないけどさ。つまり、あんたは悪いヤツってことでいいわけ?」
「さあ、どうかしらね。私はただ、自分の望むままに行動しているだけだもの」

 素っ気なくほむらが返せば、さやかは眉根を寄せて彼女を睨んだ。二人の間に、緊張の糸が張り詰める。一触即発。ふとした拍子に爆発しそうな危うい空気が、暗い路地裏に満ちていく。ほむらも、さやかも、歩み寄りの気配は微塵も無い。

「――――――どうして?」

 緊張を破ったのは、震えたまどかの声だった。自然、ほむら達の視線がまどかへ集まる。
 まどかはその双眸に、零れそうなほど涙を溜めていた。一杯の悲しみを、桃の瞳に湛えていた。

「どうして、そんなことするの? だって、ほむらちゃんは、魔法少女なんだよね?」

 胸元で両手を合わせ、懇願するようにまどかが問う。嫌だと、信じたくないと、その表情は語っている。ほむらの否定を、彼女は今この瞬間も待っている。だがそれは有り得ない。だってほむらが魔法少女を殺したのは、純然たる事実なのだから。

 大袈裟に、見せ付けるように、ほむらは嘆息する。びくりと、まどかは微かに身じろいだ。

「なにか勘違いしているようだけど」

 ほむらの左腕に、小さな丸盾が現れる。鈍色のそれは、魔法少女としての彼女の武装だ。正直に言って防具としての意味は薄いが、この盾はほむらの能力を象徴するものだった。そしてその機能の一つに、異次元空間への収納がある。

 盾の裏側へと手を伸ばしたほむらは、何も無い空間からソレを取り出した。この暗い路地裏で、周りに溶け込んでしまうほど黒い物体。装弾数十五と一発を撃ち出す自動拳銃。ほむらが手にしたそれは、人間の持つ殺意を明確に具現化した凶器の一つだ。

 まどかもさやかも動かない。否、動けない。この時代、拳銃は下手な剣や槍よりも分かりやすい殺意の形だ。よく居る一般人として、ありふれた女の子として、二人の反応は正常なものだろう。

 ほむらの目が、まどかとさやかの間を行き来する。そうして二人の位置関係を、ほむらは瞬時に把握した。まどかの前に立つさやかは、その右半身で友達を庇う形で立っている。逆に言えばそれは、左半身の後ろには何も無いという事だ。

 拳銃を握った右手を挙げ、ほむらは銃口をさやかに向けた。美樹さやか。幼馴染みの治療を奇跡として願った彼女は、魔法少女の中でも特に高い治癒力を有している。たとえ銃で撃たれたとしても、二日後までには完治している事だろう。

「魔法少女なんて、誰もが勝手で我が侭で――――――――」

 二つ、銃声が鳴り響いた。撃たれたのは、さやかの左肩と左足首。本当に撃たれるとは思っていなかったのか、体を傾げるさやかの表情は、滑稽なほどの驚きに満ちていた。そうしてゆっくり、けれど確実にさやかは倒れていき、ついには地面に倒れ伏す。その光景を、まどかは呆然と見詰めていた。

「――――――――恐ろしいものなのよ」

  一歩、ほむらが踏み出す。途端にまどかが体を揺らした。更に二歩三歩と近付いていくほむらに対して、まどかはハッキリと怯えの表情を浮かべている。刹那、ほむらの歩みが止まり、またすぐに再開する。そうして両者の距離がゼロになると、ほむらはまどかの肩に手を置いた。手の平からは、まどかの震えが伝わってくる。

「馬鹿な夢を見るのはよしなさい。ただの女の子が、ヒーローになれるわけがないのだから」

 囁き、ほむらはまどかの肩から手を離す。見ればまどかは、酷く青い顔をして俯いていた。何かを言おうとして、何も言わずに口を閉じる。それからほむらは、倒れたさやかの方へと視線を移す。

 流石と言うべきか、さやかは既に起き上がり始めていた。右手で体を支え、痛みに顔を顰めながらも、彼女は殺気混じりの瞳でほむらを睨んでいる。刺すようなそれを受け流し、ほむらは二人に背中を向けて歩き始めた。

 ほむらが進む。闇に満ちた路地裏を、彼女は一人で進んでいく。その背に掛けられる声は、ただの一つもありはしなかった。




 -To be continued-


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