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No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
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[28168] #013 『強がりなんかじゃない』
Name: ひず◆9f000e5d ID:12349ee8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/10/09 21:49
 鹿目まどかの学校生活は、友達と朝の挨拶を交わす所から始まる。美樹さやかと志筑仁美。学校にほど近い並木道で彼女達と待ち合わせ、三人一緒に登校するのが習慣となっていた。もちろんそれは今日も同じで、三人で肩を並べて通学路を進んでいく。澄んだ小川のせせらぎに、緑豊かな並木のさざめき。穏やかな自然の合奏の中に、少女達の話し声が響いていた。

「まあ。上条君、もう退院なさるんですの? 指が治ってから、まだ一週間くらいでしょうに」
「たしかにそうなんだけど、かなり経過が良いみたいでね。明後日の日曜に退院する予定よ」

 答えるさやかの顔は朗らかで、対する仁美の表情も穏やかだ。だがそうして楽しげに会話する二人の横で、まどかだけはなんとも言えない風情で俯いていた。

 恭介の指が治った、とまどか達が聞かされたのが一週間前の事で、それ以来さやかの機嫌は上がったまま下りてこない。元より元気の良い彼女ではあるが、近頃はそれに輪を掛けて活力を溢れていた。その理由はまどかも理解出来るし、悪い事だとは思っていないのだが、複雑な感情を抱いている事も否定出来ない。

 美樹さやかは魔法少女になった。全てが終わってから、まどかはその事実を教えられた。さやかが恭介の怪我で深く悩んでいた事も、魔法少女の願いをそんな風に使おうとしていた事も、まどかは知らなかったのだ。たしかにこの件に関して彼女は部外者に近く、相談されなくても可笑しな事ではないだろう。でもやっぱりまどかとしては、友達なのだから事前に一言くらいは話してほしかった。

 いや、とまどかは首を振る。

 本当はさやかが羨ましいのかもしれないと、まどかは思う。さやかは自分の願いを見付けて、それを叶える為に、魔法少女になる事を決意した。その姿は今のまどかとは正反対だ。魔法少女になりたいと考えていても、まどかはその為の願いが曖昧だった。たしかにアイの怪我を治すと約束している。でもそれはまどかの内側から湧き出た願いではなくて、マミによって用意されたものだ。だからその足元は覚束無く、まどかは魔法少女になりたいと胸を張る事が出来なかった。

 知らず目線を落としたまどかが、鞄を握る手に力を籠める。と、不意にさやかの呼び掛けがあった。

「まどかー。ちゃんと聞いてる?」
「あ、ごめん。少しぼうっとしてて」

 慌ててまどかが答えれば、さやかはしょうがないなと苦笑する。

「明後日の日曜に恭介の退院祝いをするからさ、まどかも参加しない?」
「上条君の退院祝い? わたしが参加してもいいの?」

 たしかにまどかとさやかは仲が良く、さやかと恭介は幼馴染みだ。でもだからと言ってまどかと恭介が親しい訳ではない。さやかを介して多少の付き合いはあるのだが、見舞いに行かない程度には浅い関係だった。だから恭介の退院祝いに誘われるというのは、まどかにとってはなんとも奇妙な気がするのである。

 疑問符を浮かべるまどかに対して、さやかは肩を竦めて答えた。

「いいのよ。退院祝いは建前で、本当の主賓は別に居るんだから」
「あら。誰ですの? 私達の知っている方でしょうか?」
「たぶん仁美は知らないかな。絵本アイっていう一つ上の先輩よ。恭介と同じ病院に入院してるんだけど、ちょっとお世話になってね。そのお礼がしたいから、退院祝いの名目で騒ごうって話なのよ。で、そのアイさんが二人と話したがってるわけ」

 思いもよらぬ名前を出されて、まどかは目を丸くする。さやかの方を見れば、彼女は薄く笑みを刻んでいた。

「ま、色々あったのよ。それで仁美はどうする? 他にマミさんっていう先輩も呼ぶ予定なんだけど」
「参加、という事でお願いします。私もその方に興味が湧きましたから」

 おっとりした動作で頬に手を当て、面白そうに仁美が話す。それに対し頷きで返したさやかは、次いでまどかの方に顔を向けた。言葉は無くとも、何を問われているのかをまどかは理解する。

「……わたしも行くよ。わたしも、アイさんと話したい」

 答えてから、まどかは自らの胸元で右手を握り締めた。

 まどかがアイと話したのは、初めて会った時の一度きりだ。あれから二週間ほど経っているが、アイとの約束に対して、まどかはまだなんの答えも出せていない。そもそも普通の少女でしかない彼女にとって、アイの話は理解出来ても実感しにくい類のものだった。もちろんマミからも色々と話を聞いてみたが、実際にまどかの目に映るのは格好良い魔法少女の姿ばかりで、かつての苦労話は遠い事のように感じられるのだ。

 だからこそ、アイと話してみたいとまどかは思う。それで何が変わるのかは分からないが、なんらかの切っ掛けになる気がした。

「おっけー、二人とも参加ね。そう伝えておくわ」
「よろしくお願いします。それで、場所はどこなんですの?」
「たしか駅前に新しく出来たお店とか言ってたかな。細かい事は夜に連絡するわ」

 話を進める二人の声を耳にしながら、まどかはやっぱり上の空。その意識は既に日曜日へと向いていた。

 アイにはどんな事を尋ねてみようか。アイはどんな話を聞かせてくれるだろうか。そんな思考が、まどかの脳裏でグルグルと回っている。まだ一度しか会った事がないというのに、まどかの中でアイの評価は随分と高くなっていた。単に第一印象がよかったという部分が大きいのだろうが、まどかにとって信頼出来る相手というのは確かだ。だから少しだけ、彼女の心は浮かれていた。

 まどかが空を仰ぐ。まばらに雲を散らした、気持ちの良い青空だった。自然と彼女の頬は緩み、表情から憂いが晴れる。日曜日が楽しみだ、とまどかは声に出さずに呟いた。


 ◆


 何事も無く時は過ぎ、約束の日曜日が訪れる。この日の天気は肌寒さを吹き飛ばすほどの快晴だった。雲を通さない陽射しは過ごし易い気温を作り出し、人々を家の外へと誘っている。午後の街並みには様々な人が溢れ、その中には私服姿のアイも混じっていた。白のスウェットワンピースに紺のロングコートを合わせた彼女は、いつも以上に幼さが強調されている。もちろん顔には大きなマスクだ。

 アイの隣には恭介の姿がある。彼もまた私服に身を包んでいるが、その両脇には松葉杖が挿まれていた。真新しい白の杖先で歩道を突き、恭介はたどたどしい足取りで歩いていた。

「いやー、今日はごめんね。退院祝いだってのに、乗っ取るような形になって」
「かまわないよ。元から絵本さんへのお詫びのつもりだったし」

 和やかな雰囲気で話しながら、二人はのんびりしたペースで進んでいく。途中までは恭介の父が車で送ってくれたのだが、目的地の関係で少し歩く事になったのである。とはいえ約束の時間までは余裕があり、この調子なら十分前には辿り着けそうだった。

「気が滅入っていたとはいえ、あの時は酷い事を言ってしまったからね」

 恭介が顔に憂いを刻む。彼が言っているのは、アイが恭介を怒らせた時の事だろう。どうやら恭介はアイが思っている以上に後悔しているらしく、あれから何度か謝罪を繰り返した今でも、こうして気に掛ける様子を見せていた。

「退院したら会う機会が少なくなるから、どうしても今日までになんとかしたかったんだ」
「それで気が済むならいいけどね。どうせボクは奢ってもらうだけだし」

 肩を竦めて、アイは余裕ぶった態度で答える。とはいえ、その内心は決して額面通りのものではなかった。

 たしかに恭介との問題について、アイはほとんど気にしていない。何故なら今の彼女にとって重要なのは、恭介の気持ちではなくさやかの状況だからだ。さやかが魔法少女になってしまった事について責任を感じているアイは、彼女の今後について頭を悩ませていた。

 魔法少女はいずれ絶望の淵に叩き落とされる。それをアイは信じているが、具体的にどうなるのかは想像もつかない。杏子の過去に起きた話などは参考になるかもしれないが、圧倒的に資料不足と言えた。だからアイは、今日の退院祝いにまどか達を呼んだのだ。さやかの情報を色々と聞き出す事で、なんらかの糸口を掴めるのではないかと考えた訳である。

「そういえば巴マミさんだっけ? 彼女はどういう人なんだい?」
「……思い遣りのある優しい子だよ。頭も良いし美人だし、惚れちゃうかもしれないぜ」

 目を細めたアイの口元が歪む。自嘲、という言葉がよく似合う表情だった。

 恭介がアイへの謝罪として用意した今回の席は、同時にアイがマミに謝罪する為の場でもある。このままでは自分で自分を追い詰めるだけだと、アイはマミとの問題を解決しようと決心したのだ。上手くいく自信はあった。この件はアイが勝手に臍を曲げたのが原因なので、謝り倒せばマミは許してくれるだろう。ただその事を理解はしていても、完全に不安を消す事は出来なかった。

 誤魔化すようにアイが笑う。それから彼女は、隣の恭介を見上げた。

「とはいえ、上条君にはさやかが居るか」
「えっ。いや、それは……」

 微かに頬を赤く染め、恭介はソッポを向いた。

「好きって言われたんだろ? その調子なら脈はありそうだね」

 さやかに告白された恭介だが、アイが聞いた限りでは、どうやら付き合っている訳ではないらしい。あまりに突然の事に両者共に戸惑っているようで、うやむやにしている部分が見て取れた。それでも変化が無かった訳ではなく、二人の距離が縮まっている事は誰の目にも明らかだ。このまま放っておいても、暫くすればくっ付いているだろうというのがアイの予想だった。

「ま、ゆっくりいけばいいんじゃないかな」
「……でも僕は告白されたわけだし、このままじゃ駄目だと思うんだ」

 松葉杖での歩みを止め、恭介は地面に視線を落とす。同じく足を止めたアイが、空を見上げた。

「急ぐなよ。焦って答えを出したところで、逆にさやかを傷付けるだけかもしれないぜ。結果がどうなるにせよ、少なくともキミ自身が納得できる答えじゃないと意味無いだろ。そうじゃなきゃ、誰も報われやしない」

 言ってから、アイは馬鹿みたいだと自嘲した。今の彼女は時間に追われるばかりで、自分で自分を急かせるばかりで、近頃は納得の出来る答えなんて一つも出せていないのだから。でもだからこそアイは、恭介にちゃんと考えてほしいと思った。余裕があるという事は、ただそれだけで価値ある事なのだと、アイは思い知らされたのだ。

「そうかな…………いや、そうだね」

 再び恭介が歩き出す。ゆっくりと、それでも確実に、彼は進む。その背中を追って、アイも足を踏み出した。アイはすぐさま恭介に並んだが、口を開こうとはしない。それは恭介も同じで、二人は暫し沈黙に身を預けた。

 交差点に差し掛かり、アイと恭介は赤信号で足を止める。ちょうど通行人の途切れる瞬間だったのか、辺りに信号待ちをしている人影は見られない。多くの雑音に溢れる街中で、二人の立っている場所だけが、奇妙な静寂に包まれていた。

 ぼんやりと、アイは周囲に視線を巡らせる。直後、彼女は小さく声を漏らした。

「どうかしたの、絵本さん?」
「あぁ、いや。ほら、あそこの女の子」

 僅かな逡巡の後、アイは対岸の歩道を指差した。

「あの頭の両サイドで髪を縦に巻いてる子。彼女がマミなんだ」

 その言葉通り、アイの見詰める先には私服姿のマミが歩いている。どうやら向こう側は、まだアイの存在には気付いていないらしい。平然とした態度で歩を進めるマミの姿を見て、アイの胸には様々な想いが去来した。

 アイが直接マミを見たのは、一方的に部屋から追い出したあの日が最後だ。今日の件でも、マミに声を掛ける役はさやかに任せてしまっていた。だからどうしても、アイは罪悪感を抑える事が出来ない。

「へえ、彼女がそうなんだ。あ、ちょうど信号が青になったね」

 赤になる前に渡ろうと、恭介は少し急いだ様子で松葉杖を突く。その背中を、アイは黙って追い掛けた。このまま進めば、ちょうどマミが交差点に辿り着く頃に渡り終える事になるだろう。もちろん悪い事ではないのだが、アイは心の準備が出来ていなかった。

 高鳴る鼓動が胸を叩き、余計にアイを焦らせる。ゴクリと、彼女は知らず喉を鳴らした。

 不意にマミの顔がこちらを向く。ばったりと目を合わせたアイとマミは、互いに驚き息を飲んだ。だがそれも一瞬の事で、アイは気まずさから目を逸らしてしまう。直後、彼女は大きく目を見開いた。

 ――――――――考えなかった訳ではない。

 さやかは恭介の指を治す為に魔法少女となった。お蔭で恭介は以前と同じようにヴァイオリンを演奏出来るようになり、また今まで以上にさやかとの仲を深めている。今のさやかはまさに幸せそのものといった様子で、希望という言葉は彼女の為にあるかのような状態だった。

 でも、魔法少女は絶望する運命にある。希望はやがて絶望に染まり、深い暗闇に投げ出されなければならない。ではさやかを絶望させるには、何をどうすればいいのだろうか。どんな事が起これば、彼女の心は闇に落ちてしまうのだろうか。その答えは明白だ。さやかの希望の源は一人の少年なのだから、彼を奪ってしまえば簡単だ。

 だから、つまり、これは当然の帰結と言えるのかもしれない。

 車が勢いよく迫ってくる。止まる気配も無く走っている。それがどんな車種かは分からない。どのくらい大きいのかも分からない。そんな事を冷静に分析する余裕は、一瞬でアイの内から消え去った。ただこのままでは危険だという事を、彼女は本能的に理解していた。

 気付いた時には、アイの体は動いていた。

 アイが恭介の背中を突き飛ばす。恭介の体が僅かに宙に浮き、少し離れた場所に倒れ込む。普段のアイなら考えられないほどの力だった。これが火事場の馬鹿力というやつかと、彼女は場違いに考える。

 でも、これでおしまい。それ以上、アイが何かをする余裕は無かった。

 視界が車で覆われる。轢かれるのだと、アイは他人事のようにその車を眺めていた。意識は冷静で、だけど思考は回らない。恐怖は無く、焦りも無く、彼女はただ、傍観者みたいに目の前の事実を認識していた。

 最後に、アイは叫び声を聞いた気がした。でも、ブレーキの音で分からなかった。


 ◆


 雑音がする。煩わしい雑音がする。人の声も車の音も何もかもが鬱陶しい雑音だ。音の境すらも曖昧なそれらが耳にこびり付き、片時すら離れようとしない。一体自分はどこに居るのだろうと、唐突にマミは疑問を抱く。どこで何をしているのか、彼女は自分でも分からなくなりそうだった。見失いそうだった。

 だって、そうだ。マミの目に映る光景は滅茶苦茶だ。可笑しいとしか言い様が無い。あまりにも非現実的過ぎる。

 道路に一人の少女が倒れていた。こんなにも騒がしいのに、誰もが慌てているというのに、彼女はピクリとすら動かない。その体から真っ赤な血を垂れ流し、アスファルトに黒い染みを作ろうとしている。そう、彼女は車に轢かれたのだ。

 少女の名前を、マミは知っていた。絵本アイという名だ。マミの友達で、とても仲が良くて、だけど最近はちょっと喧嘩をしていて、それで、それが、どうしてこんな事になっているのだろうか。マミにはさっぱり理解出来ない。理解したくもない。

 だってこのままでは、アイは死んでしまうではないか。

 絵本アイは貧血という病気に掛かっている。そう、根本的に血が足りていないのだ。だから彼女にとって、血の一滴は常人の何倍も価値を持つ。あんな風に流していいものではないし、あれだけでも容易く命を脅かす。

 決して派手な事故ではなかった。轢いたのは普通車で、多少はブレーキも効いていた。轢かれたのが健常者であれば、よほど運が悪くない限り命の心配は要らなかったかもしれない。だけど実際の被害者はアイで、彼女は健康とはほど遠い体の持ち主だった。

 止血しないと。ここに来て、ようやくマミの頭が動き始める。救急車など待ってはいられない。一秒でも早く流れ出る血を止めなければ、本当にアイが死んでしまう。そう思った瞬間、マミは集まり始めた人垣の中から飛び出していた。

 倒れているアイの傍では、二人の人間が右往左往している。一人はアイと共に居た同年代の少年で、もう一人は中年の女性だ。女性の方は轢いた車の運転手だと分かっていたが、マミは怒りをグッと堪えてアイの傍に駆け寄った。そこでは少年が、先程から何度もアイに呼び掛けている。しかし倒れているアイは、なんの反応も返していない。

「……意識は無いみたいね。となると、下手に移動させるのは危険だわ」

 意外なほどマミは冷静さを保っていた。アイの危機だという意識が、逆に頭を落ち着かせたのかもしれない。

「あなたが上条君ね。私は巴マミよ。ここは私に任せない」

 振り向いた恭介へ一方的にそう告げて、マミはアイの傍にしゃがみ込んだ。そのままアイのあご先を持ち上げて、彼女は呼吸を確認した。結果は良好。どうやら呼吸が止まっている訳ではないようだと、マミは僅かに安堵する。

「あの……」
「黙ってて」

 口を開いた恭介に対し、マミは厳しく言い捨てる。驚いて身を竦ませる恭介を横目で見たマミは、それから加害者である中年の女性に目を移す。女性は携帯電話で救急車を呼んでいたらしく、話しながらチラチラとこちらを窺っていた。

「意識はありませんが、呼吸と脈はあります。あと外出血は酷いと伝えてください」

 脈の確認をしながらマミが告げれば、女性は慌てた様子で頷いた。それを確認してから、マミは再びアイの方に顔を向ける。変わらずアイの反応は無い。彼女は目を閉じたまま、ぐったりと地面に横たわっている。おそらく頭を打ったのだと思われるが、頭部からの出血は幾つかの擦り傷だけだ。内出血の危険性が十分に考えられるとはいえ、マミとしても手を出し辛い。

 それよりも、とマミは体の方に目を向ける。手足が可笑しな方向に曲がっているという事は無いが、服の袖から零れる出血は見逃せない。少しコートを捲れば、白いワンピースに真っ赤な染みが出来ていた。また足の方にも派手な出血が見られ、一刻も早い止血が求められる状況だ。もちろん救急車など待ってはいられない。

 大きく息を吐き、マミは自分を落ち着かせる。それから彼女は、鞄からポケットティッシュを取り出した。白いティッシュを何枚か用意し、マミはまず足の出血箇所に押し当てる。

 直接圧迫による止血、というのは見せ掛けだけだ。

 かつてマミは交通事故に遭った事がある。彼女がこの状況に対応出来ているのも、その経験から交通事故について勉強したお蔭だ。しかし重要なのはそこではない。事故で命を失いそうになったから、マミは助かる為に魔法少女になったのだ。そう、つまり彼女もまた、簡単な治癒魔法であれば使える訳である。そしてアイを魔法で治療する事に、躊躇いを持つマミではない。

 淡い光をティッシュで誤魔化しながら魔法で癒せば、すぐに止血は完了した。それを確認したマミは、即座に別の箇所の止血を開始する。ただ黙々と、ただ真剣に、救急車が来るその時まで、マミは応急手当てを続けるのだった。


 ◆


 全てが終わったのは何時だっただろうか。深夜の病室でふとそんな疑問を抱いたマミは、けれどすぐにどうでもいい事かと首を振る。それから彼女は、目の前のベッドに目線を落とした。明かりを消している所為でよく見えないが、そこにはアイが眠っている。暗闇に響く寝息に耳を傾けながら、マミは腰掛けた椅子に体重を預けた。ゆっくりと、肺の空気を押し出していく。

 アイが搬送されたのは、当然の如く彼女が入院している病院だった。ちょうどアイの伯父である雅人の手が空いていた事もあり、診察から手術までの流れがスムーズに行われたのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。その途中でアイが目を覚ましたらしいが、すぐに手術が始まった所為でマミは話せていない。手術後も、こうしてアイは眠り続けている。

 既に夜も更けてしまったが、マミはずっとアイの様子を見守っていた。恭介は居ない。時間が遅くなったという事もあり、後からやってきたさやか達と一緒にマミが帰らせたのだ。もっともそれは相手を思い遣っての行動ではなく、単にマミが恭介と一緒に居たくなかったからだ。

 あの場に恭介が居なければ、アイは助かったかもしれない。マミはその考えを捨てきれなかった。もちろん実際には違うだろう。あそこに居たのがアイだけだったなら、きっと彼女は何も出来ずに轢かれたはずだ。恭介が居たからこそあんな動きが出来たのだと、マミはちゃんと理解している。でも理解する事と納得する事は、やはりまったくの別物なのだ。

 命に別状は無いと、手術を担当した雅人は言った。幾つか骨折があり、その完治に時間は掛かるだろうが、それでも命の心配をするほどではないと、彼は言ったのだ。ただ、懸念事項が一つあるとも。それの所為で、マミは余計に恭介への嫌悪感を強めていた。

 どうしてこんな事になったのだろうと、マミは思う。彼女にとって、今日はアイと会う為の日だった。さやかを介しての約束というのが少し悲しくはあったが、それでもアイの方から誘ってくれたのは嬉しかったのだ。結局アイが怒った理由は分からないままだったが、それでも仲直り出来るのだと、マミはこの日を楽しみにしていた。

 眉尻を下げたマミが、サイドテーブルに視線を移す。暗がりでよく見えないが、そこには一通の封筒が置かれている。元々は事故の拍子で散乱したアイの荷物に紛れていた物で、更に元を辿ればマミがアイに送った手紙だった。未開封の状態で道路に落ちていたそれを、たまたまマミが見つけたのだ。

 アイが手紙を読んでいない理由は分からない。けど大事そうに持ち歩かれていたそれは、アイが自分の事を気に掛けている証左だろうと、マミは考えている。そう思わなければ、色々と駄目になりそうだった。

「だって、だって私達は――――――」

 親友だから。その言葉は、声にならずに消えていった。拳を握り締め、マミは強く唇を噛んだ。

 絵本アイを守りたい。巴マミがそれを明確な目標としたのは、はたしていつの事だっただろうか。初めは単なる友達だった。新しく出来た不幸な境遇の友達で、それ以上ではなかったはずだ。でも交通事故に遭って、魔法少女になって、まったくの別世界に取り残された気がしていたマミにとって、アイは数少ない確かな存在だった。今のマミになってから築いた関係は、かつてのそれよりも信頼出来たのだ。

 ただの少女だった巴マミは、交通事故で死んでしまった。その代わりに、魔法少女の巴マミが生まれたのだ。そして魔法少女のマミの傍に最初から居たのがアイで、ずっと一緒に居たのがアイで、最も詳しく知っているのがアイだった。そう、今の巴マミの根幹に居る存在こそが絵本アイなのである。だからこそマミにとって掛け替えが無く、気付いた時には誰よりも守るべき対象になっていた。

 ではアイにとってのマミはどうだろうか。マミにとってのアイと、それは等価なのだろうか。

 違うと、マミは思った。たしかにアイにとってマミは親友かもしれないが、きっと掛け替えの無い存在ではない。アイに尋ねれば、マミは一番の友達だと言うだろう。でも一番という事は二番目も居る訳で、つまりは比較対象が居る訳だ。そして場合によっては、その順番が入れ替わる。マミにとってのアイはそうではない。マミの中でアイは唯一の存在で、比べられる相手なんて居ないのだ。

 故に、不安。アイの価値観ではマミの存在は揺らぐかもしれないから、マミはそれが不安だった。

「大丈夫よね?」

 マミの問い掛けに、返る言葉は無い。ただそれでも、マミは自身の決意を新たにした。アイの代わりなんて居ないから。代わりなんて、要らないから。だから彼女を助けたいと、マミは胸の奥に刻み込む。

「ん……ぅ……」

 不意に微かな声が響く。それがアイのものだと気付いたマミは、急いでスタンドライトを点灯させた。淡い光が辺りを照らし、アイの寝顔が露わになる。彼女の額には純白の包帯が巻かれ、また頬にはガーゼが貼られていた。

 白い目蓋が小刻みに震え、アイの覚醒が近い事を伝えている。喉を鳴らし、マミは息を潜めてアイの顔を見守った。

 やがて、ゆっくりとアイの目が開き始める。間も無く、目蓋の下から黒い瞳が現れた。まだ傍のマミには気付いていないらしく、アイは寝惚け眼で視線を彷徨わせている。眩しかったのかスタンドライトの方を見遣り、そこで彼女は、マミとばったり目を合わせた。

「……マミ?」
「えぇ、そうよ」

 寝起きのアイを刺激しないよう、マミは穏やかな声音で答える。

「えっと、どうして?」
「あなたは事故に遭ったのよ。手術の事とか、覚えてる?」
「……あぁ、うん。思い出した」

 やや掠れた声で呟いてから、アイは右手を自らの体に這わせた。今は布団に隠れて見えないが、そこには硬いコルセットが着けられているはずだ。何も言わずに目を細めた彼女は、次いで左腕の様子も右手で確かめる。アイの左腕は、二の腕から手首までギプスで覆われていた。

「今、何時かな?」

 アイが問う。とても静かな声だった。

「えっと、深夜の一時を過ぎたところよ」
「そうなんだ。こんな時間までよく残れたね」
「あなたの伯父さんが便宜を図ってくれたのよ」

 質問に答えながら、マミは言い知れない不安に襲われていた。

 見たところアイに異常は無い。怪我の所為で痛々しくはあるが、それでも彼女の意識はハッキリしている。問答に可笑しな所は無いし、体も問題無く動かせているように見えた。だけど穏やか過ぎるほど穏やかなアイの表情が、どうしてかマミの焦燥を煽るのだ。

「ねぇ、マミ」
「なにかしら?」

 言いつつ、マミは拳を握り締める。

「変なお願いだと思うけど、ボクの足を触ってくれないかな」
「あなたの足を?」
「うん。ちょっと、確かめたい事があって」

 アイの表情はちっとも冗談を言っている風ではなくて、むしろ怖いくらい真剣な目をしていた。だからマミは言われるままに、震える手で布団を捲っていく。そうして露わになったアイの足は、びっくりするほど細かった。本当にこれで歩けるのかと思うくらい頼りなくて、マミは思わず息を飲む。

「マミ?」

 問われ、マミは慌てて腕を伸ばす。そのままおっかなびっくりした様子で細い足に触れたマミは、アイの方を窺った。マミの視線を受けたアイが、微笑を返す。無言で続けるように促していた。マミは黙ったまま、太腿からふくらはぎまで、自身の手を往復させ始める。

 怪我の所為で包帯を巻かれてはいるが、アイの足に異常があるようには思えなかった。しかしこんな事をさせる理由はあるはずで、それを考えたマミは、直後に硬直してしまう。嫌な事実に思い当たったからだ。

「アイ、もしかして……」

 震えるマミの声は、それ以上言葉にならなかった。

 今回の事故でアイが負った怪我の中で、特に大きなものが二つある。一つは左腕の複雑骨折で、もう一つは腰椎の破裂骨折だった。どちらも時間は掛かるが問題無く完治し、命に別状も無いと雅人は診断している。ただ、腰椎の骨折には問題があった。これによって脊髄、つまりは中枢神経を損傷し、身体機能になんらかの支障をきたす恐れがある為だ。

 だから、これは、つまり、そういう事なのだろうか。今にも泣きそうな表情で、マミはアイを見詰める事しか出来なかった。

「うん。足が上手く動かないんだ。感覚も、今はほとんど無い。手術前に確認したけど、変わってないね」

 下半身麻痺。その単語が、マミの胸を突き刺した。

 雅人はこれを知っていたはずだ。知っていたのに、あえてマミには教えなかったのだ。いや、今はそんな事はどうでもいい。とにかくこの事実に対して何かアクションを起こさなければとマミは思った。でも、何をすればいいのか分からない。アイに掛ける言葉が考え付かなくて、マミは息苦しさを覚えるほどだった。

 だってアイは報われない人間なのに、これまでも大変な人生だったのに、更にはこんな悲劇まで降り掛かるなんて、あんまりにもあんまり過ぎる。こんな事があっていいのかと、マミは思わずにはいられなかった。

「ところでさ」

 アイの声。まるで雑談でもするみたいなそれに、マミは肩を揺らした。

「上条君は大丈夫だった?」

 瞬間、マミは歯を砕けるほどに噛み締めた。
 拳を握り、顔を逸らし、マミは必死に声を絞り出す。

「……安心して。怪我一つ無いわ」

 そっか、とアイの呟き。それに誘われて、マミは彼女の方を向く。

「よかった」

 アイは微笑んでいた。マミが見た事ないくらい綺麗な表情で、彼女は微笑んでいた。そこには一点の曇りも無く、微塵の後悔も無く、ただ純粋な喜びばかりが溢れている。まるで救えないほど、今のアイは満たされていた。

 この時の感情を表す言葉は、きっと世界中を探しても見付からないと、マミは思う。言い表せるはずが無いと、彼女は確信する。それほどまでに、マミが見た光景は無慈悲なものだったのだ。

「――――なんで」

 マミの絞り出した声は、今にも崩れそうなくらいボロボロだった。

「なんで! なんで!! なんでッ!?」

 繰り返しマミが叫ぶ。叫ぶ度に、マミは胸が張り裂けそうな気がした。アイの表情が分からない。涙で歪んだマミの視界は、なにもかもがグチャグチャだった。頭の中までグチャグチャだった。

「なんでなのよぉ……」

 もう自分でも何を言いたいのかが分からない。分からないけど、次から次へと感情が溢れてきて、涙も溢れてきて、マミ自身もどうしようもなかった。子供みたいに泣き続ける事しか出来なかった。

 涙に濡れたマミの頬に、小さな手が添えられる。アイの手だと気付き、マミは驚いて彼女の方を見る。

「ありがとう。やっぱりマミは、一番の友達だよ」

 笑顔で紡がれたアイの言葉はとても優しく、とても残酷なものだった。
 マミの顔が歪む。もはや我慢も何も無く、彼女は大きな声で泣き出した。

 病室に響く少女の泣き声。やむ事の無いそれは、暗がりの中でいつまでも続いていた。


 ◆


 日も暮れ始め、西日が射し込み始めた病院の廊下。日当たりの良いその場所に、固まって歩く四人の少年少女の姿があった。鹿目まどかと志筑仁美、そして美樹さやかと上条恭介だ。本日の授業を終えた彼女達は、事故に遭ったアイの見舞いをする為に、こうして一緒に病院までやってきた訳である。

 四人の表情は、やはり浮かないものだった。アイと会った事の無い仁美は例外だが、他の三人は一様に陰を落としている。中でも恭介は酷いもので、随分と思い詰めているように感じられた。

「アイさん、大丈夫なのかな」

 歩きながら、まどかが喋る。
 恭介は肩を震わせ、さやかは肩を落とした。

「どうでしょうか。昨日は碌に話も聞けず仕舞いでしたし」

 答え、仁美は嘆息する。

「大事無いと良いのですけれど」

 仁美の言葉に、他の三人が頷いた。

 本当にそうだと、まどかは思う。起こってしまった事故は仕方ないとしても、せめて怪我の容態は軽いものであってほしい。ただでさえアイは大変な病気に罹っているのだから、これ以上の不幸はやめてほしいと、彼女は願わずにはいられなかった。

「あ、ここだよ」

 そう言ってまどかは、アイの病室の前で立ち止まる。振り返れば、さやかと恭介が硬い表情で扉を見詰めていた。二人には色々と思う所があるのかもしれない。まどかの知らない所で世話になったという話だし、恭介は昨日もアイに助けられたと聞く。だからその心境は、きっとまどか以上に複雑なものがあるはずだ。

 再び扉に顔を向け、息を吸い、まどかは強めにノックする。すぐに中から返事があり、彼女はゆっくりと扉を開けた。

「やぁ、いらっしゃい。お見舞いに来てくれたのかな?」

 まどかを先頭に四人が病室に足を踏み入れると、アイが明るい声で出迎えてくれた。部屋の奥へと目を向ければ、ベッドの上に居るアイの姿がよく見える。可動式のベッドを傾けた彼女は、何かの本を読んでいるようだった。マミの姿は無い。学校を休んだ彼女はここに居る、とまどかは考えていたのだが、どうやら違ったらしい。あるいは、何かの理由で席を外しているのだろうか。

「そっちの子は初めましてだね。キミが志筑さん?」
「あ、はい。初めまして、志筑仁美と申します」
「うん、初めまして。ボクは絵本アイだよ」

 頭を下げる仁美に対して、アイは満足げに頷いた。それから、まどかの方へと顔を向ける。正確には、その背後に。

「後ろの二人も早く入りなよ。歓迎するぜ」

 おどけたように喋るアイの言葉を受け、さやかと恭介も入室する。どこか躊躇いがちなその足取りは、二人の迷いを表していた。それでも歩みを止める事無く、更にはまどかも追い越して、二人はベッドの脇まで近寄った。慌てて、まどかと仁美も後を追う。

 まず口を開いたのは恭介だった。

「その……」

 恭介の言葉は続かない。何かを言いたげに口を開くのに、彼の声は紡がれなかった。それでも諦めずに口を開閉し、何度か同じ事を繰り返した後に、ようやく恭介は言葉を継いだ。

「昨日は、ありがとう。君のお蔭で助かったよ」
「どういたしまして。ボクも上条君が助かって嬉しいよ」

 言葉通り、アイは嬉しそうに笑みを浮かべた。それを見て、恭介は目線を落とす。

「でも、僕の所為で……」
「それは違うぜ」

 アイの声が鋭く響く。驚いたように、恭介が顔を上げた。

「走って避ける余裕なんて無かった。だからキミが居なくても同じだったよ」

 肩を竦めてアイが話す。その言葉は事実だとまどかは感じたが、それでも納得出来ないのか、恭介は悔しそうに歯噛みした。しかし掛ける言葉が見付からないのか、彼は黙ってアイを見詰める事しか出来ていない。

 暫しの静寂。それを破ったのは、恭介の隣に立つさやかだった。

「あの、アイさん」
「ん? なにかな?」
「えっと、怪我の具合を聞いても良いですか?」

 尋ねられたアイは、ちょっと困ったように頬を掻いた。それだけで、まどかの胸に不安が募る。何か聞かれては不味い事でもあるのだろうか。そんな疑念が、彼女の中で首をもたげた。

「とりあえず、見ての通り左腕は骨折中だよ」

 僅かに左腕を上げたアイは、ギプスで固定されたそれを右手で撫でる。

「あとは腰椎、つまり腰の辺りを骨折してる。コルセットで固定してるからちょっと苦しい」

 どこか冗談めかして喋るアイの姿には、一切の負の感情が見られなかった。骨折とは言うものの、大袈裟にするほどではないのかもしれない。そう思って安堵し掛けたまどかは、恭介の顔を見て瞠目した。

 恐怖。今の恭介の表情を説明するなら、その一言で事足りる。

「あぁ、上条君はそっちの知識もあるのか。嘘を言ってもしょうがないし、ちゃんと話すけどね」

 そう言ったアイの口調は、やはり軽いものだった。けれどその内容は、決して軽いものだとは思えない。むしろその逆で、とても重いものなのではないかと、まどかは言い知れない不安に襲われた。

 不意にアイが苦笑する。それを怖いと、まどかは思った。

「骨折ついでに脊髄をやられたみたいでね。もしかすると、二度と歩けなくなるかもしれない」

 えっ、という声は誰のものだったか。まどかだったかもしれないし、他の誰かだったかもしれないし、アイを除いた四人全員のものだったかもしれない。それほどまでに、アイの言葉は衝撃的だった。

 歩けなくなる。それはどういう事だろうか。足が動かなくなるという事だろうか。あぁたしかに今日のアイは寝たきりだと考え、それからまどかは、どうしようもなく悲しくなった。泣きたいほどに悲しくなって、でも、涙は流れなかった。

 嘘だとは思わない。アイはこの手の嘘は言わない人間だと、まどかは信じている。けれど真実だとしたら、それはあまりにも惨い現実だと言うほかない。だって、アイは何も悪い事をしていない。むしろ恭介を助けているではないか。歩けなくなるかもしれないなんて、そんなのあんまりだ。

「まだ確定ではないけどね。リハビリ次第では回復する見込みもある」

 瞑目して語るアイは、けれどまったくその言葉を信じているようではなかった。きっと限り無くゼロに近く、奇跡みたいなものなのだろうと、知識の無いまどかにも理解出来る。

「でも、それは――――ッ」

 何かを言い掛けた恭介に対し、アイは自らの唇に指を添えて答えた。

「キミは無事だったんだろ?」
「そう、だけど……」

 やり切れない様子で恭介が俯く。よく見れば、その拳は硬く握られていた。

「だったら、ボクに後悔は無いよ。元々あまり歩かない生活だったしね。それに上条君の演奏を聴いて、ボクは本当に感動したんだ。キミがまた怪我するような事にならなくて、今はホッとしてるよ」

 答えるアイの顔には、欠片の陰りも見られない。その理由は、彼女の本心を話しているからだろうか。はたまた追及を拒絶している所為だろうか。それが分からなくて、まどかは何も言えなかった。さやかも恭介も、同じように口を噤んで立ち尽くしている。

「あなたはそれで良いのですか?」

 尋ねたのは仁美だった。彼女は真っ直ぐにアイの顔を捉え、視線を僅かも逸らしていない。

「余裕が無かったとおっしゃいますが、本当にそれで納得していますの? 上条君を庇わなければと、少しも思わないのですか?」

 強い口調で紡がれた仁美の質問は、些か無遠慮なものだったかもしれない。けど、絶対に確かめるべき事でもあった。だってそこに疑問を抱いたままでは、みんな不幸になってしまう。恭介もさやかも、そしてまどかも、心のどこかにしこりを残してしまうだろう。

 縋るような視線を、まどかはアイに送った。さやか達も、真剣な瞳でアイに注目している。

「思わないよ」

 短く言い切って、アイは頬を緩めた。

「強がりなんかじゃない。本当にボクは、満足してるんだ」

 澄んだ微笑みだと、まどかは思った。心の底まで澄み渡ったようなそれは、今度こそ本当の事を言っているのだと、まどかに確信させる。同時に彼女は、アイとの約束を思い出す。あの約束でアイが伝えたかった事を、まどかは理解する。

 いつか魔法少女になって、もしも今のアイみたいな状況に置かれた時、まどかは同じように笑っていられるだろうか。ただ相手の無事を喜んでいられるだろうか。そう自問しても、まどかはすぐには答えられなかった。もしかしたら、魔法少女になった事を後悔してしまうかもしれない。アイの為に奇跡を願わなければと、そう考えてしまうかもしれない。

 そんな事は無い、とまどかは否定出来なかった。だって彼女は普通の女の子で、魔法少女には憧れているだけだ。まどかは格好良い魔法少女になりたいだけで、アイの病気を治す事は、その一環に過ぎない。だから魔法少女になった所為で自分が不幸になってしまえば、後悔してしまうかもしれないと、まどかは自身の在り様を理解する。

 この後の事を、まどかはよく覚えていない。ただ幾つかの雑談の後に四人揃って帰る時になっても、マミがやって来なかった事だけはよく覚えている。それでよかったと、まどかは思った。今はマミに会っても、これまでみたいに接する事は出来ないから。

 家に辿り着き夕食を終えた後も、まどかは悩んでいた。ずっとずっと、悩み続けるのだった。




 -To be continued-


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