<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

その他SS投稿掲示板


[広告]


No.28168の一覧
[0] 【完結】 お姫様じゃいられない 【魔法少女まどか☆マギカ・女オリ主】[ひず](2014/11/24 21:29)
[1] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』[ひず](2011/06/26 20:54)
[2] #002 『笑顔でいてほしいんだ』[ひず](2011/06/05 20:35)
[3] #003 『ボクの為の願いじゃない』[ひず](2011/06/26 20:55)
[4] #004 『もしも奇跡を願うなら』[ひず](2011/06/12 21:17)
[5] #005 『まだ大丈夫』[ひず](2011/06/19 20:17)
[6] #006 『やっと、見付けた』[ひず](2012/10/23 21:45)
[7] #007 『ボクらはボクらの、正義の味方だ』[ひず](2012/10/23 00:00)
[8] #008 『はじめまして』[ひず](2011/07/24 20:42)
[9] #009 『安心してて、いいからね』[ひず](2011/08/21 20:49)
[10] #010 『だってボクにできるのは』[ひず](2011/08/21 20:48)
[11] #011 『ボクはずっと願ってる』[ひず](2011/09/04 20:52)
[12] #012 『これはやるべき事なんだ』[ひず](2011/09/18 22:32)
[13] #013 『強がりなんかじゃない』[ひず](2011/10/09 21:49)
[14] #014 『なんでだろうな』[ひず](2011/10/23 22:52)
[15] #015 『だから嫌いなのか』[ひず](2011/11/13 23:17)
[16] #016 『なんだか似てるね』[ひず](2011/11/28 22:43)
[17] #017 『魔法少女って、なんですか』[ひず](2012/10/23 00:01)
[18] #018 『女の子なのよ』[ひず](2012/04/01 21:32)
[19] #019 『名前で呼んでもいいですか?』[ひず](2012/10/20 21:53)
[20] #020 『私は、必ず、ほむらになる』[ひず](2012/12/31 19:14)
[21] #021 『あなたに、ほむらは、必要ない』[ひず](2013/09/08 21:43)
[22] #022 『ありがとう。うん、それだけ』[ひず](2014/07/21 06:09)
[23] #023 『わたし、魔法少女になります』[ひず](2014/08/16 21:20)
[24] #024 『ダメな先輩でごめんなさい』[ひず](2014/09/14 23:13)
[25] #025 『他の誰でもないキミに』[ひず](2014/10/13 12:45)
[26] #026 『それは本物だと思うから』[ひず](2014/11/24 21:28)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[28168] #001 『奇跡みたいな出会いだなって』
Name: ひず◆9f000e5d ID:12349ee8 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/06/26 20:54
 空は青かった。雲一つ無かった。日射しは柔らかく、吹く風は穏やかだ。こんな日は外に出るのが良い。たとえそれが病院の屋上であろうと、外の空気を肌で感じるのが一番だ。そんな看護師の言葉通りに、絵本(えもと)アイはその場所へとやって来た。

 人影の無い病院の屋上。巡らされた柵は背が高く、さながら檻のように少女を囲む。開放的でありながら、不思議と窮屈に感じるこの空間で、アイは大きく腕を広げた。丸みを帯びた頤を上げ、彼女は静かに空を仰ぐ。

 長い入院生活で漂白された肌。小枝みたいに細い四肢。艶の無い黒髪は肌に貼り付きそうなほど大人しく、その長さも相俟って幽霊のよう。なまじ整った顔立ちを持つだけに、アイは浮世離れした雰囲気を纏っていた。

 閉じていた目蓋を開け、アイが双眸を露わにする。生気に欠ける彼女の中で、そこだけが弾けるほどの輝きに満ちていた。宝石の如き瞳に映るのは一色に染まった青空だ。散歩日和とでも言うべき天気に、アイは知らず笑みを浮かべた。

 矮小過ぎる。どこまでも広がる空に比べて、アイの存在はあまりにも矮小過ぎる。不自由だ。吹き抜ける風に比べて、彼女はどうしようもなく不自由だ。無力だった。温かで力強い日射しと比べるまでもなく、少女は果てしなく無力だった。

 ちっぽけだなと、アイは思う。取るに足らない存在なのだと、実感せずにはいられない。

「――あはっ」

 薄紅色の唇が無邪気に歪む。自らを掻き抱き腰を折り、アイは全身を細かく震わせた。自身の影が目に入る。小さな影だ。細い影だ。ふとした拍子に壊れそうな、頼りない影だ。それこそが絵本アイ。彼女の嫌いな些末な自分。

 やがて震えを治めたアイは熱っぽい息を吐き出した。潤んだ瞳を空へ戻し、彼女はまた笑う。そこでふと、アイが後ろを振り返る。屋上に繋がるエレベーター。その到着を告げる音が響き、誰かの訪れを、たしかにアイへと伝えていた。

 扉の開いたエレベーターから出てきたのは一人の少女だ。中学校に上がったかどうかという年頃の子で、おそらくアイと同年代。身に纏う入院着から、これもまたアイと同じ入院患者だと分かる。彼女はその場から動く事無く、怯えた子犬みたいに辺りを見回していた。

 可愛い女の子だ。蜂蜜色の髪を左右で縦に巻き、花の髪飾りで彩っている。不安げに揺れる相貌には幼さが残っているが、それでも将来は美人になる事が見て取れた。そんな大人びた見た目の少女。けれど今の彼女からは、幼子の頼りなさしか感じられない。

 アイと目が合うと、少女は大袈裟に驚いてみせた。声は出ずとも口を開け、アイを映した目を瞠る。そうして正面から改めて確認したら、少女の顔色の悪さがよく分かった。自信にも気力にも欠けるその姿は、これから自殺でもするのではないかといった風情だ。

 自然と弧を描く口元を、アイは抑えようとしなかった。むしろ見せ付けるように、威嚇するように、彼女は少女に笑い掛ける。

「ねぇ、そこのキミ。飛び降りと首吊りなら、どっちが苦しく死ねると思う?」

 始まりの挨拶は、そんな言葉。二人の出会いは、こんな形。ある晴れた、風の穏やかな日の事だった。


 ◆


 空気が凍り付いた。少女は氷像のように固まって、呆然とアイを凝視している。もちろん返事は無い。話し掛けても聞こえるかどうかすら疑わしい。驚きのあまり動けなくなった子犬みたいな、そんな可愛らしい反応だった。

「アッハハハハ! ジョーダンだよ、ジョーダン。本気の言葉じゃない」

 高らかな笑い声が響き渡る。発したアイはにこやかな笑顔を浮かべているが、少女の方はそうではない。大きく肩を揺らした少女は、そのつぶらな瞳に怯えを宿しながら僅かにアイとの距離を取る。

「冗談……?」
「そう、ただのジョークさ。だから気にしないでくれよ」

 大仰に腕を広げてアイが答えても、少女の表情はまるで晴れない。疑いの目をアイに向け、けれど唇を開こうとはせず、少女は嵐に耐えるように身を竦ませている。そんな彼女の態度を気にした風も無く、アイは明るい声で話し掛けた。

「それよりキミの名前を教えてほしいな。ほら、まずはお互いの事を知らないとね」

 少女の反応は逡巡。胸の前で手を組んだ彼女は、チラチラとアイの顔を窺っている。それでもやがて決意を固めたのか、大きく息を吸った後、少女はたどたどしい口調で話し始めた。

「その、巴(ともえ)マミ……です」
「ふぅん。巴マミ、か。ボクは絵本アイ。よろしくね」
「は、はい」

 巴マミと名乗った少女が、躊躇いがちに頷く。陽光に煌めく金髪を揺らし、彼女は伏し目がちにアイを窺う。どこか小動物を思わせるその姿に、アイは自然と笑みを零す。アイの方が背は低いのに、まるでそんな気はしなかった。

 警戒心を滲ませるマミに対し、少しだけ近付くアイ。微かにマミの肩が動き、視線が下を向く。

「んー。そういう反応は傷付くなぁ」
「ご、ごめんなさい」

 マミの眉尻が下がる。本当に申し訳なさそうにしている彼女からは、その性根の素直さが感じられた。アイが目を細める。たとえるなら黒曜石とでも言うべき瞳が、真っ直ぐにマミを射る。途端にマミは口元を引き攣らせ、体を硬直させた。

 視線が絡み合う。吐息が溶け合う。苦しいほどの沈黙が、二人をキツく締め上げる。先に動いたのは、意外にもマミの方だった。入院着の襟元を握り締め、彼女は絞り出すように声を発した。

「あの……」
「なんだい?」
「さっきの言葉って、ほんとに冗談よね? その、飛び降りとかなんとか――――」

 アイが微笑む。そのままクルリと反転した彼女は、何も言わずに柵の方へと歩き始めた。釣られるように、マミの足も動き出す。しっかりした足取りのアイと比べて、彼女の歩みは遅々として進まない。柵まで辿り着いたアイが振り返った時、二人の距離は随分と離れていた。

「アレは冗談だよ。それはほんと。別に世を儚んでるわけじゃないしね。こんなナリでも、こんなトコに一人で居ても、ボクは至極真っ当に生きてるつもりだぜ。なんせラジオ体操を欠かした事が無いからね」

 柵に背を預けたアイが顔を上げる。既に足を止めていたマミの顔色は、やはり幽霊のように青白かった。

「それともアレかな。巴マミさんには、世を儚む理由でもあるのかな?」

 息を呑む音。大きく目を見開いたマミがアイを凝視する。分かり易い反応に、アイは思わず苦笑した。子供だなぁと、彼女は思う。本当にマミは子供だった。素直さも、組し易さも、何もかもが子供っぽい。唯一例外があるとすれば、些か自己主張の激しい胸元ぐらいだろう。

 会話が止まる。空を見上げて、アイは静かにマミの言葉を待っていた。それが当然のように、それだけが正解のように、彼女は黙して語らない。時が過ぎていく。雲一つ無い晴天みたいな、変わり映えの無い時間だった。

「――――事故」

 ポツリと、マミの声。今にも消えそうなそれが、辺りの空気を震わせた。

「交通事故に、遭ったの。酷い事故よ。こうして生きてるのが不思議なくらい」
「けどキミは生きてる。大きな怪我だって見当たらない」

 空から視線を逸らす事の無いアイの返答。途端にマミの顔が曇った。一瞬だけ自分の右肩を見遣り、口を開こうとしてまた閉じる。僅かに逡巡を見せた後、彼女は弱々しい声を吐き出した。

「……身内が、ね」
「そっか」

 青から金へ。アイの双眸が、正面のマミへと向けられる。

 普通、幸福とは降ってくるものではないが、人間は不思議とそれを待ち望む。無欲な人も勤勉な人も、心の底では自分に都合の良い何かに焦がれているものだ。少なくともアイの知る限りではそうだった。そして彼女の経験上、マミみたいな境遇の人は、他人に二つのパターンを求めている。一つは、自分を助けてくれる王子様。もう一つは――――――自分と同じ、哀れで不幸なお姫様。

 アイの唇が歪む。それはきっと、自嘲と呼ばれるものだった。

「ボクもね、両親が死んだんだ。交通事故だった」
「えっ?」
「結婚記念日でさ、二人で旅行に行ってたの。勧めたのはボク。いつもボクに気を遣ってるから偶には、と思ってね」

 そしたら死んじゃった。瞑目し、アイが呟く。

 マミの反応は無い。彫像の如く固まり、彼女は呆然とアイを見詰めている。そんな風に動けないでいる少女に、アイはおもむろに近付いていった。一歩二歩と歩み寄り、息が掛かるほどに距離が縮まっても、マミに変化は無い。そうして改めて間近から観察してみると、マミの大人びた容姿がよく分かる。子供っぽいアイとは正反対だ。

 だから、という訳ではないけれど。アイはいきなりマミに抱き付いた。

「きゃっ」
「……ねぇ、マミ。友達になろうよ」

 マミの腰へと回した腕に、アイが力を籠める。未だ状況を把握出来ていない少女に対し、彼女は畳み掛けるように言葉を重ねた。

「ここにボクが居て、マミが居る。これって凄く素敵な事だ。奇跡みたいな出会いだなって、そう思う。だから、さ」

 ――――――友達になろう。

 それきり、アイは何も言わなくなった。しがみつくようにマミを抱き締め、その胸元に顔を埋める。マミもまた静かだ。彼女は惚けた顔でアイを見詰めたまま立ち尽くしている。そうしてまた、少しだけ時計の針が回った。

 マミの腕が動く。触れているアイだからこそ知覚出来る、微かな変化。何度か震えた後、ゆっくりとマミの腕が持ち上がる。少しだけ宙を彷徨っていた細い手は、やがてアイの背中に落ち着いた。艶の無い黒髪に、白い頬が寄せられる。

「そうよね。奇跡はたしかに、あるんだもの」

 凪いだ水面を思わせる、優しいマミの声。それを聞くアイの表情は、誰の目に触れる事も無かった。


 ◆


 紙の擦れる音がする。まるで兵隊の行進みたいな音だ。整然として間断無く続くそれは、とても読書をしているものとは思えない。実際、ページを捲るアイの姿は常人とは掛け離れていた。瞬きをすれば読み終える。そうとしか考えられない速度で、彼女は分厚い本を読み進めていく。文字を追うはずの瞳はピクリとも動かず、どこか病的ですらあった。

 三十畳はあろうかという広い病室。壁の二面を本棚で覆われたその場所の中心で、アイは機械的にページを捲り続ける。毛足の短い絨毯に座り込み、周りに本の山を積み上げた彼女は、夕焼けの赤い世界で異様な雰囲気を漂わせていた。

 程無くしてアイが本を読み終える。辞書と並びそうな厚さの本が、三十分と持たなかった。息を吐き、彼女は視線を上げる。するとそこで、病室の入り口に立つ人影に気が付いた。大きな黒い瞳が瞬きを繰り返す。だがすぐに、アイは挑発的な声を上げた。

「乙女のプライベートを盗み見かい?」
「何度か声は掛けた。お前が気付かなかっただけだ」

 落ち着いた足取りでアイに歩み寄るのは、背の高い壮年の男性だ。白髪交じりの黒髪を短く切り揃えた彼は、精悍と呼ぶに相応しい風貌を備えている。男の名前は絵本雅人(まさと)。アイの伯父であり、この病院に勤める医師でもある。

「いつも通り凄い量だな。また買い足さないとダメか?」
「あそこの棚は読み終えたよ。売るなり寄付なり、お好きにどうぞ」

 雅人が苦笑する。アイが指差した本棚には、四桁に及ぶほどの書物が収められていた。首を振り、彼は白衣のポケットに手を入れる。床に座ったまま見上げてくるアイと目を合わせ、雅人は大袈裟に肩を竦めた。

「お前の勤勉さには頭が下がる。そんなに本が好きか?」
「好きだよ。大好きだ」

 そうか、と雅人は頷いた。積まれた本から一冊を手に取り、彼はページを捲っていく。十秒と経たず、彼はその本を元に戻した。もちろん読み終えた訳ではない。単に読むのをやめただけだ。眉根を寄せる伯父の様子に、アイは鈴の音みたいな声で笑った。

「合わなかった? ボクは好きだったんだけどね」
「他人の人生に興味は無い。というか、自伝なんて買ってたんだな」
「当然。むしろこういう本こそがボクにはピッタリさ」

 目を眇め、手近な本を胸に抱く。それからアイは、改めて雅人に顔を向けた。

「本には人となりが表れる。全部じゃないし、本心じゃないかもしれないけど、それはたしかに頭の中から生まれたものだ。なにを見て、なにを感じて、なにをしたのか。ボクはそれを知りたい。それを知って、人の心を理解したい」
「御大層な事だ」

 言って、雅人は右手で頭を掻いた。どこか投げ遣りな彼の態度。それが気に入らなかったのか、アイが頬を膨らせる。

「なんだよつれないなぁ。今のボクってば、ちょっとイイコト言った風じゃなかった?」
「本当にイイコト言う奴は、そんな事は言わんだろう」

 不満げに睨んでくるアイを見て、雅人は疲れた様子で溜め息をつく。アイの機嫌がますます悪くなる。本を抱く腕に力を籠め、それから、アイは不意に視線を逸らす。寂しげな光を瞳に宿し、彼女は微かに俯いた。

 驚いたのは雅人だ。思わず腕を伸ばし、彼は言葉を探すように彷徨わせた。

「……ボクって狼少年なのかな? 言葉が軽いって、本気じゃないって、そう思われてるの?」
「あー、いや。そうじゃなくてな」

 雅人の語調は弱い。いきなり元気を無くした姪を前にして、彼は碌に対応出来なかった。何をするでもなく、ただ焦りのままに靴裏で床を叩く。その音に怯えたように、アイは小さく肩を震わせた。雅人が固まる。言葉は出てこず、嫌な沈黙が二人を包む。

 気まずい空間だった。所在無く立ち尽くす雅人と、床に視線を落とすアイ。俄かに途切れた会話はそれきりで、互いに口を開く事は無い。そのまま無為に時間が過ぎていき、何度目か、雅人がアイに話し掛けようとした時、彼女は前触れ無く顔を上げた。思わず背を仰け反らせる雅人。それから彼は、恐る恐るアイの様子を窺った。

「ゴメン、待った。やっぱりさっきのナシ。やり直しを要求する」
「へ? あ……えっ?」

 雅人が目を丸くする。だがそんな伯父を気にした風も無く、アイの口は調子よく回り続けた。

「子供の武器で攻め過ぎた。反省しなくちゃね。ほら、ボクってば大人ぶりたい年頃だしさ」

 かぶりを振って肩を竦めるアイを前にして、雅人はようやくその言葉の意味に気が付いた。盛大に息を吐き出し、ガックリと肩を落とす。それから雅人は、これ見よがしに呆れてみせた。

「そんなんだから信用を無くすんだ。もう少し真面目に生きてみろ」

 苦言を呈す雅人に対して、アイは鋭い視線で応えてみせた。薄紅色の唇が歪み、口角が吊り上がる。子供なのに、少女なのに、どこか妖艶ですらある微笑。えも言われぬ気配に圧され、雅人は思わず身じろいだ。

「アナタだけだよ、ボクをそんな風に見てるのは。つまりこんなボクを知ってるのも、アナタだけというわけさ」

 アイの声は優しく、柔らかい。知らず背筋を震わせた雅人を、妖しく輝く瞳が射抜く。

「――――――これでも甘えてるんだぜ」

 秘め事にも似た囁きを零し、アイは最後に吐息を漏らす。それで、お仕舞い。彼女は大人しく口を閉じる。

 雅人は何も返せなかった。言葉も、態度も、何一つ。落ち着かない様子で視線を迷子にし、訳も無く手を動かす。いい年した男の振る舞いとしては情けない事この上無いが、とにかく彼は必死だった。

「…………そういえば看護師から聞いたんだが、新しい友達が出来たんだって?」

 長い沈黙の末に、ようやく雅人が捻り出した答え。あんまりにもあんまりなその内容に、アイは思わず噴き出した。白いかんばせを小刻みに揺らす彼女は、笑い声を隠そうともしない。通りのよいその音を聞きながら、雅人は不機嫌そうに黙り込む。微かに顔を赤くした伯父を見て、アイはしょうがないといった風に苦笑した。

「そうだよ。事故に遭って検査入院中の子で、名前は巴マミって言うんだ」
「あ、あぁ。そうなのか。仲良くなれそうか?」

 物思うように目を瞑ったアイは、楽しげな笑みを零す。

「うん。仲良くなれそうだよ。とても、とてもね」

 砂糖菓子のように甘い呟きが、部屋の空気に溶けて消えた。


 ◆


「ねぇ、キュゥべえ。私って幸せ者よね」

 真夜中の病室。月明かりだけが頼りとなる暗い世界に、少女の声が響く。その源は窓際だ。この部屋に一つだけ置かれたベッドの上には、上半身を起こしたマミの姿があった。つぶらな瞳に優しい色を宿した彼女は、太腿に乗った小さな影に語り掛けている。

 影は白色だった。四本の短い足を持ち、狐を思わせる尻尾を除けば体長は二十センチ程度。真ん丸な顔には、同じく丸い深紅の瞳を備え、愛嬌のある口元が付いている。また二つある三角の耳からは、平筆を伸ばしたような毛が一房ずつ生えていた。どことなく躍動感の薄い、マスコット染みた生き物。キュゥべえと呼ばれたそれは、ぬいぐるみのようにジッとマミを見上げていた。

「本当なら事故で死んでた。だけどあなたと出会えて、こうして生きてる」

 小さな手がキュゥべえの背を撫でる。僅かに身じろぐ友達を見て、マミは口元を綻ばせた。

「学校の友達とは、きっといつも通りじゃいられない。でもこの病院で、新しく素敵な友達ができた」

 射し込む月光に照らされて、マミの相貌が露わになる。穏やかな彼女の表情は、しかし明確な陰りを帯びていた。

 巴マミに両親は居ない。マミと共に交通事故に遭い、彼女とは違い死んでしまった。温かな笑顔は、今やマミの記憶の中にしか存在しないのだ。おはようもおやすみなさいも、いってきますもただいまも、彼女は言うべき相手を失ってしまった。幸い遠縁の親戚が生活を保障してくれるらしいが、戻ってこないものは沢山ある。

 仕方の無い事だ。そう思えるくらいには、マミは大人だった。けどすぐに整理がつかないくらいには、彼女は子供だ。

 持ち上げたキュゥべえを抱き締め、マミはギュッと目を閉じる。誰かの温もりを求めた行為だった。辛い現実から目を逸らそうとした行為だった。両腕に力を籠め、目蓋を震わせ、彼女は湿った声を漏らす。

「幸せなの。幸せなのよ、私」

 一筋の涙が頤を伝い、雫となって零れ落ちた。流れ始めれば止まらない。次から次へと溢れる涙が、マミの頬を濡らしていく。小さな肩が震えている。微かな嗚咽が漏れている。治まる気配の無い悲しみが、マミの内から零れていた。

『そうだね、マミ。たしかに君は幸せ者だ』

 抱き締められたキュゥべえが、初めてマミに話し掛ける。穏やかで朗らかな声だ。不思議と耳を傾けずにはいられない響きを持っていて、マミは何も言わずに次の言葉を待っていた。

『他の人間なら、一生掛けても叶えられない奇跡を手にした』

 否定も同意も口にせず、マミはただ、キュゥべえの話に首肯する。

『だけど奇跡はタダじゃない。この意味、マミならわかるよね?』

 頷き、頷き、また頷く。まるでそうする事しか知らない人形のように首を振り、マミはキュゥべえの言葉を聞いていた。幾筋もの涙が跡を残し、白い頬を流れていく。桜色の唇は強く噛まれ、赤い雫が溢れていた。

『だって君は”魔法少女”なんだから』

 暗く冷たい病室に、朗らかな声が木霊した。


 ◆


 その部屋に足を踏み入れた時、マミはあまりの豪華さに目を丸くした。広さだけでも、マミの病室と比べて三倍近い。床に敷かれた絨毯も、天井に描かれた綺麗な模様も、壁を覆う本棚も、何もかもが違う。同じ個室でありながら、マミとは大きな差があった。実はどこかのお屋敷にでも迷い込んだんじゃないか、なんて馬鹿な事を、マミは思わず考えてしまう。

「ようこそボクの城へ。とか言っちゃって」

 立ち尽くすマミに話し掛けたのは、この部屋の主であるアイだ。黒髪の中に青白い相貌を浮かび上がらせた彼女は、ベッドに腰掛けたまま入り口のマミを眺めている。その薄紅色の唇は、三日月のような弧を描いていた。

 暫く待っても動かないマミに痺れを切らしたのか、アイがベッド脇の椅子を叩く。そこでようやく立ち直り、マミはおっかなびっくり足を進める。問題などあるはずないが、それでも普通の倍近く時間を掛けて、彼女はアイの居るベッドまで辿り着いた。

 用意されていた椅子は、これまた高そうな木製の安楽椅子だ。慣れない揺れに苦戦しつつ、マミはどうにかお尻を乗せる。そうして座ってみれば、思いのほか心地よい。クッションは沈みそうなほど柔らかいし、背もたれはピッタリ背中にフィットする。穏やかな揺れと相俟って眠気を誘うそれは、まさしく安楽椅子の名が相応しい。

「……凄いのね」

 意識せず、言葉がマミの口を衝く。

「何が?」
「全部よ」

 ちょっぴり口を尖らせてマミが返すと、アイは肩を竦めて頷いた。

「両親がお金持ちだったからね。伯父は外科の医長をやってるし、それなりに余裕はあるんだよ」
「伯父さんが居るの?」
「あぁ、ボクの後見人さ。独り身で家族が居ない分、可愛がって貰ってるよ」

 そう言ってアイは本棚を見遣る。マミも同じく。

 やはり凄いと、マミは思った。整然と並べられた蔵書は壁を覆い尽くすほどで、その数は合わせて一万を超えるだろう。もちろんそれだけの本が病室に備え付けてあるはずもなく、アイの私物なのだと考えられる。一体どれだけのお金が掛かっているのか、考えるだけでも頭が痛くなりそうだ。またそれは、彼女が過ごした孤独の証と言えるのかもしれない。

 自らの膝元に目線を落とし、マミは密やかに息を吐き出した。

 僅か一日。マミとアイが出会ってから経過した時間は、たったのそれだけだ。相手の事情も性格も、まだまだ知らない事の方が多い。ただそれでも、アイの境遇が尋常ではない事くらいは、マミも理解し始めていた。

「本、読むの?」
「暇があればね。出たくても病室から出れない日があるから、そういう時はたくさん読むよ」

 たぶん悲しい話をしているのに、アイの声は明るい。それがマミには、逆に辛かった。

 これまでマミの周りには、本当に不幸だと言える人は居なかった。いわゆる普通の人ばかりで、悲劇なんて言葉は、テレビや本の中にしか存在しなかったのだ。だからどんな言葉を掛ければ良いのか、正直マミには分からなかった。

「じゃあ今度からそういう日は、私の話し相手になって貰おうかしら」

 マミにとっては苦し紛れの言葉に過ぎない。何も思い付かなかったから口にした、よくありそうな同情だった。

 しかしアイにとっては違ったようだ。急に黙り込んだ彼女は、真剣な顔をしてマミを見詰め始めた。居心地の悪い視線に晒されて、マミが顔を伏せる。するとアイは頬を緩め、柔らかな声音で呟いた。

「優しいね、マミは」
「……いきなり何を言うのよ」

 マミには意味が分からなかった。自分でも安っぽい同情だと感じているからこそ、素直にアイの言葉を受け取れない。そうして一層表情を曇らせるマミに向けて、アイは噛んで含めるように語り掛ける。

「長く病院に居るとわかるんだけど、人間って本当に強いんだよね。誰が見ても不幸で、もうどうしようもないって人でも、気付けば平気で笑うようになったりしてさ。不運な身の上に慣れちゃって、その中で人生を楽しもうとしちゃうわけ」

 人差し指をピンと立て、したり顔で話すアイ。それを黙って聞いていたマミの眼前に、アイは指を突き出した。

「でもこれは時間が経ってからの話さ。立ち直るにしろ開き直るにしろ、ね。その点でマミは違う。事故に遭ったばかりなのに、もうボクの心配をしてる。それはやっぱり、優しさだと思うよ」

 日溜まりのようなアイの笑顔。眩し過ぎる友達から目を逸らし、マミは膝に置いた手を握り締めた。

「…………私はそんな立派な人間じゃないわ」

 アイは優しいと言ってくれるけれど、やっぱりそれは間違っている、というのがマミの意見だ。たとえ本当に優しいのだとしても、それは”自分より可愛そうな子”が居るお蔭だと、マミは理解していた。もっと下があるから、もっと不幸な人が身近に居るから、自分はマシな方なんだという優越感。そんな醜い想いがあるからこそ、マミは余裕を持つ事が出来るのだ。

「なにを言うのさ。どんな形であれ、人を笑顔にしたなら誇るべきだぜ」

 確信に満ちたアイの声。そこには欠片の疑念すら感じられない。

「ボクは嬉しかった。それは絶対だ。だから、うん――――――ありがとうって、言わせてほしい」

 感謝するアイの表情は、やっぱり曇り一つ無い笑顔で、綺麗としか言えないものだ。

 なんて恥ずかしい子なんだろうと、マミは頬を真っ赤に染めた。アイの言葉はストレートだ。真っ直ぐに胸の奥を狙ってきて、深々と突き刺さる。慣れないマミにとって、それはなんとも面映ゆかった。

「……どういたしまして」

 誤魔化すようにマミが返せば、アイは嬉しそうに頷いた。そんな友達の反応が、マミはやっぱり恥ずかしい。あちこち視線を彷徨わせて、彼女は新たな話題を探す。扉を見て、床を見て、天井を見て、そして窓の外へ視線を遣り、マミは目を見開いて固まった。

「ん? どうかした?」

 マミの目線を追ったアイが、不思議そうに首を捻る。思い当たるものが無かったのだろう。マミにとっては当然の事だ。何故ならそれは、一般人には見付けられないのだから。文字通りの意味で目に映らないのだ。

 陽光で煌めく白い体毛。マミを見詰める赤い瞳。窓ガラスの向こうに佇む影は、マミがよく知る相手だった。

『近くに魔女が出た。さぁ、マミ。君の初仕事だ』

 キュゥべえ。マミの大切なお友達。自分にだけ聞こえるその言葉の意味を、マミは理解せずにはいられなかった。


 ◆


「コレがそうなの?」
『その通り。コレが魔女の結界さ』

 普段と同じ調子でキュゥべえが話す。いつもと変わらないその声を聞いていると、可笑しい事なんて何も無いような気になってくる。だがマミの眼前にある光景は、間違い無く日常から逸脱していた。

 現在、マミは病院の屋上に立っている。彼女がアイと出会ったその場所には、明らかに昨日と違う所があった。エレベーターの扉の真横、風雨で少しだけ汚れた壁面に、放射状の罅が走っている。罅の周辺は陽炎みたいに歪んで見え、どこか空気が澱んでいるように感じられた。明確な形で視認する事は出来ないが、そこにはたしかに”何か”がある。

『マミ、君は力の使い方を覚えた。あとは実戦で慣らしていくんだ』
「わかってる。私は魔法少女で、魔女と戦う使命があるんだから」

 緊張にわななく手を握り締め、マミは深呼吸して目を瞑る。彼女はゆっくりと、キュゥべえに教わった情報を整理していく。

 この世界には、魔女と呼ばれる化け物が居るらしい。それは絶望や呪いから生まれた異形の存在で、放っておけば禍の種をばら蒔き、人の命を奪っていく。だからこそ人の営みを守る為に、魔女を退治する存在が必要となってくる。魔法少女とはつまり、魔女と戦う宿命を負った者の事だと、キュゥべえは言っていた。そして今のマミは、魔法少女の一人である。

 巴マミという少女は、本来なら既に死んでいる人間だ。交通事故に遭った彼女は酷い怪我を負い、その場で息絶える運命にあった。痛くて辛くて苦しくて、迫り来る絶望を受け入れるしかなかったマミの前に現れたのが、現在、彼女の足元に居るキュゥべえだ。

 キュゥべえの話は単純だった。一つだけ奇跡を叶える代わりに、魔法少女になってほしい。要約すれば、たったこれだけの事に過ぎない。そしてマミは望んだ。助けてと、ただそれのみを願って、彼女はキュゥべえと契約した。

 マミはキュゥべえに感謝している。今も彼女が生きていられるのは、キュゥべえのお蔭に他ならない。だからマミは魔法少女になった事を後悔していないし、新米ながら使命感だって持っている。あとは実際に魔女を倒せば、晴れて彼女は一人前だ。

「……ふぅ。それじゃ、始めるわよ」

 目蓋を上げ、マミは改めて壁の罅を睨む。彼女の手は未だに震えていたけれど、それでも瞳には決意が宿っていた。

 左手の中指に嵌めた指輪を、マミは優しく撫でる。直後、指輪が光を発し始めた。不思議と眩しくない閃光が治まると、マミの左手には、指輪の代わりに卵形の宝石が乗っていた。蜂蜜色をしたその宝石は、綺麗な細工が施された台座に収められている。ソウルジェムという名のこれは、マミの願いと引き換えに産み出された、魔法少女の証だった。

 マミがソウルジェムを握り締めた途端、彼女の全身は目映い光に包まれた。そして次の瞬間には、変身したマミの姿が現れる。ブラウスは純白で、スカートは琥珀色だった。腰には栗色のコルセット、首元には蜂蜜色のリボンがある。足はニーソックスとブーツに包まれ、頭にはベレー帽が乗っていた。そして大きな花の髪飾りには、形を変えたソウルジェムが嵌め込まれている。

『変身は上手くいったね。さぁ、次は結界への入り口を開くんだ』

 黙って頷き、マミは壁の罅に手を翳す。小さくガラスの割れるような音が響いたかと思うと、そこには異空間への扉が開いていた。時空の裂け目とでも言うべきか、ヒト一人通れるほどの四角い穴が宙に浮かび、表現し難い色で塗り潰されている。

 マミが喉を鳴らす。結界は魔女の隠れ家だ。つまり彼女は、これから敵の本拠地に乗り込む事になる。

「よしっ。行きましょう!」

 自分を勇気付けるように声を張り上げ、マミは胸を張って歩き出した。
 一歩進み、二歩進み、そして――――――結界に侵入する。

「ッ!?」

 変化は劇的だった。空の青は闇の黒へ、転落防止の柵は逃亡阻止の檻へ、そして床はぬかるむ泥に姿を変える。幅三メートルほどの緩やかな下り坂が、螺旋を描きながら奈落の底へと伸びていた。辺りに景色は無い。舞台の書き割りよりも殺風景な黒一色が、道を囲む檻の向こうを塗り潰している。まるで冥府に繋がる黄泉路みたいで、マミは知らず足を竦めていた。

 あまりにも趣味の悪い模様替え。怖くて、不気味で、気持ち悪い世界。しかし強烈にマミを苛んだのは、どうしようもない孤独感だった。彼女の知る現実と掛け離れ過ぎたこの場所は、否が応でも非日常の訪れを実感させてくれる。

 魔法少女は孤独な存在である、とはキュゥべえの言だ。なるほど、まったくもってその通りだとマミは納得した。誰かとこの世界を共有する事なんて出来ないし、誰かにこの異常を押し付ける訳にもいかない。ただひたすらに隠し、秘密にして生きていくしかない。今のマミは、日常から足を踏み外した存在なのだ。

『どうやらこの道に沿って進むしかないみたいだね』

 朗らかなキュゥべえの声が響く。ハッと顔を上げたマミは、急ぎ辺りを見回した。物思いに耽っている暇など無いのだ。ただ幸いにも敵の姿は無く、マミは胸を撫で下ろす。それから彼女は泥に埋まるキュゥべえを抱き上げ、自らの肩に乗せた。

「後で洗わなくちゃいけないわね」

 無理に笑って、マミはちょっとだけ気を紛らわせた。

『そうだね。さて、進もうか。説明した通り、ここは魔女の住処だ。必ず魔女に辿り着く道は存在する』

 キュゥべえの指示に従い、マミは坂をくだり始める。泥の道は歩きにくいが、思わずこけるほどではなかった。それでも体力は奪われるし、精神的にも疲れが増す。魔法少女になったばかりのマミにとって、それは大きな負担となっていた。

 十分も経てば、マミの額に汗が滲み始める。幾分呼吸も乱れ、顔には苦悶の色が表れていた。それでも足取りはしっかりしており、その速さも衰えていない。さながら意地を張った子供のように、マミは一心に歩き続けている。

『静かな場所だね。使い魔の影すら見当たらない』

 マミが小さく首肯する。口は開かない。そんな余裕は、既に彼女の中から消え失せていた。

 キュゥべえの言葉通り、ここは静かな所だ。檻の外には何も無く、檻の中には坂道しかない。だから音の無い世界を、マミはひたすら下へ向かって進んでいく。いや、これはもはや落ちていくと表現した方が良いのかもしれない。深く暗い闇の底へと、一人ぼっちで転がり落ちているのだ。まるで魔法少女になった自分の行く末を暗示しているようで、マミは可笑しな気持ちになった。

『疲れているみたいだけど、大丈夫かい?』
「大丈夫よ。私は、大丈夫だから」

 マミが答える。自嘲を形作る口元を、彼女は隠そうともしなかった。

 道はまだまだ先がある。螺旋を描いて闇の中へと消えていく。本当に終わりがあるのだろうか。死ぬまでここから出られないのではなかろうか。胸に浮かんでは消えていく疑念が、容赦無くマミの心を責め立てる。

 既にマミの集中力は切れていた。当たり前だ。少し前まで普通の少女をしていた彼女にとって、この空間はあまりに冷たく不気味だった。それでも歩みが止まる事は無く、色彩にも変化にも乏しい世界で、彼女は延々と足を動かし続ける。

 あと少し。もう少し。口には出さない呟きで、マミは自分を励ましていた。その手には一丁のマスケットが握られている。銀色の銃身を持つそれは、魔法によって産み出された彼女の得物だ。敵に対処する為ではなく、心の支えとして彼女はそれを頼りにしていた。

『マミ、頑張って。魔女の居場所はもうすぐだよ』
「……そうみたいね」

 微弱だが、たしかに感じる嫌な気配。それを認識したマミは、緊張で体を固くする。あと少しで魔女との初戦闘だ。気合いを入れようと、マミはマスケットを握る手に力を籠めた。

 その瞬間。

「――――え?」

 突然の浮遊感。思わず伸ばされたマミの手が、何も掴めず空を切る。見上げた彼女の視界には、崩れる足場が映るのみ。状況に理解が追い付かない。対処法などある訳ない。呆然と目を見開くマミは、そのまま重力に囚われた。

 ただ、落ちていく。何も出来ずに、落ちていく。

 眼下に広がる深淵。辺りを囲む暗黒。落下という事実すら曖昧になる空間で、マミは無心でマスケットを掻き抱いていた。キュゥべえの声は届かない。覚えた魔法も使えない。混乱した彼女の頭は、ひたすらに誰かの助けを求めていた。

 だがそんな”優しい時間”は、すぐに終わりを告げる。

「ヒッ」

 マミの喉が引き攣った。

 初めに聞こえたのは金属音。次に響いたのは重低音。そして最後に、甲高い咆哮。空気を震わせマミを震え上がらせたそれらの音は、闇の底から襲ってきた。何も見えないその奥で、愚かな獲物を待っていると、魔女が告げてきたのだ。

 理解する。どうしようもなく、マミは理解する。ここは魔女の腹の中だ。何も出来なければ消化され、抵抗するだけでも消化され、相手を打倒しなければ自分が喰われる世界だ。そして今のマミは、正に消化寸前だった。押し寄せるは津波の如き死の予感。抗う気力を根こそぎ奪い去る恐怖を前にしたマミは、どこまでも無力な少女に過ぎなかった。

 嫌だ。それは、マミが思い浮かべた最初の言葉。
 嫌だ。これは、二番目に出てきた彼女の言葉。

 ――――――助けてッ!!

 三つ目の言葉は、いつか彼女が願った祈り。
 だからきっと、それは二度目の奇跡だった。

『リボンを使うんだ!』

 マミは反射的にリボンを解く。腕を掲げて魔法を使う。直後に光るリボンが、遥か上空を目指して伸びていく。その光景はまるで、地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようだった。若干の間を置いて落下が止まり、マミはリボンに掴まったまま宙で揺れる事となる。

 驚きに染まった顔で、マミはボンヤリとリボンの先を見上げた。蜂蜜色のリボンは、闇の奥へと消えている。おそらく崩れていない足場に届いたのだろうが、なんにせよ彼女が助かったのは偶然だ。とにかく死にたくない一心で、マミは魔法を使っていた。考えなんて無かった。それが奏功したのは、本当にたまたまとしか言えない。それでも命を繋げた事に安堵し、彼女は涙の滲んだ目を拭った。

「ありがとう、キュゥべえ。お蔭で助かったわ」
『どういたしまして。それより下を見るんだ。魔女が居るよ』

 ビクリとマミが体を揺らす。次いで彼女は、恐る恐るといった様子で下方を覗き込んだ。大きく口を開けた深淵は、やはり先を見通せない黒一色であったが、一点だけ先程までとは違う所があった。

 化け物が居る。マミを殺そうとする化け物が居る。全貌は影となってよく分からないが、真っ赤に光る二つの目だけはハッキリと見えた。否、正確には目ではない。炎だ。血の色をした炎が燃え上がり、妖しく揺らめいていた。

 魔女の影が不気味に蠢く。一軒の家にも匹敵しそうなほど巨大なソレは、耳障りな声を上げながらマミが落ちてくるのを待っていた。

 マミの相貌が歪む。殺されると恐怖した。敵うはずがないと嘆いた。それでも彼女が絶望しなかったのは、たった一つの願いがあったからだ。死にたくない。その一念が、折れそうなマミの心を支えている。

 殺されたくない。生き延びたい。マミの頭にはそれしか残っていなかった。

「あ……あぁ…………」

 だから殺す。魔女を殺す。殺される前に必ず殺す。マミの答えは、それ一つ。

「あぁああぁぁぁぁ!!」

 銃声が響き、魔女の巨体に火花が咲いた。マスケットが火を噴いたのだ。

 なおも銃口が魔女を狙う。だが、幾ら引き金を引いても弾は出ない。弾切れだった。歯を食い縛ったマミが、魔女に向けてマスケットを投げ付ける。遥か下から届いた打撃音。だがそんな事はどうでもいい。新たなマスケットを造り出し、マミは再び魔女を狙う。

 二丁目が唸り、三丁目が咆哮する。撃っては投げてを繰り返し、マミは次々と攻撃を加えていく。加減はしない。確認もしない。ただ魔女が息絶える事を願い、死に絶える事を望み、彼女は狂ったように引き金を引き続けた。指が痛くても気にしない。腕が疲れても関係無い。マミがやる事は一つで、考える事も一つで、目的だって一つしかなかった。

 射撃音が続く。打撃音が繰り返す。闇に支配された空間で、延々と同じ音が響き渡っていた。

「はぁ、はぁ……」

 やがて数えるのも嫌になるほどのマスケットが消えた頃、ようやくマミは銃撃を止めた。眼下では魔女が輝く粒子となって消え始め、徐々に結界の崩壊も進んでいる。それらを十分に確認した彼女は、構えていた腕をやっと下ろす事が出来た。同時に、結界が完全に消失する。辺りの風景はいつもと同じで、白い日射しが眩しかった。

 マミの変身が解ける。未だに息を荒げたままの彼女は、膝に手をついて肩を上下させた。そんなマミの視界に、トコトコ歩くキュゥべえの背中が映る。キュゥべえが向かう先には黒い宝石が落ちていた。針で串刺しにされたような形で台座に収まる、黒い球体の宝石。その傍に佇み、キュゥべえはマミを仰ぎ見た。

『よかったね、マミ。ちゃんとグリーフシードが手に入ったよ。魔力を消費したらソウルジェムは濁り、魔法少女の力は落ちていく。それを浄化するには、このグリーフシードが必要なんだ。今日のマミはかなり消耗したみたいだから、さっそく使ってみるといい』

 滔々とキュゥべえが解説する。だがそれを聞いても、マミが顔を上げる事は無かった。

 魔女を倒したのだと、マミは今更ながらに実感する。あの恐怖した相手を、殺されると感じた相手を、マミは打倒したのだ。結局最後まで魔女の姿は判然としなかった。着弾の火花で確認出来たのは、長い刃と髑髏の面。それを認識したマミは、やはり化け物なのだという印象を強めていた。そして魔法少女である彼女は、その化け物を退治する使命を背負っている。

『マミ?』

 キュゥべえの問い掛けには答えず、マミは黙って空を仰いだ。青空には白い雲が浮かんでいる。いつも通りの空だ。けれど今の彼女には、それがどこか可笑しいもののように感じられた。これが当たり前だというのに、つい結界の中の光景が頭をよぎる。

 マミは化け物を殺した。常人なら一生掛かっても出来ない事を、彼女は成し遂げた。それはやっぱり、彼女が普通ではなくなったからだ。日常を踏み外した自分は、もう戻れない位置に居るのだと、マミは泣きたくなるほどに理解した。

「私、魔法少女になったのね」

 誰に聞かせるでもない呟きが、青空の向こうに霞んで消えた。




 -To be continued-


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.036053895950317