それは激しい戦闘の最中に突如として現れた。
「何だ、あれは?」
要塞『ベツレヘムの星』の中で顔をしかめたのはフィアンマ。ローマ正教の暗部の一人、『右方』のフィアンマだった。
戦況は現状自分の圧倒的優位。
『ベツレヘムの星』が起動し、サーシャ・クロイツェフをコアに顕現させた大天使ガブリエルことミーシャ・クロイツェフは順調に暴れている状況だ。
学園都市製のAIM拡散力場の集合体でもある風斬氷華、科学の天使も。
学園都市の誇る超能力者の頂点、レベル5の第一位たる一方通行も。
先程加えた『一掃』にて順調に優位に立った。後はこれを繰り返していけば、そう思った矢先にそれは出現した。
『一掃』を放った直後の空に、まるで入れ替わりのように出現したのだ。
「竜?まさか、聖ジョージの竜とでも言う気か?」
そう呟いてフィアンマは奇妙な表情になったのだが、それは確認していた他の者も同じ事だ。
第二王女キャーリサも。
フランスの『傾国の女』も。
騎士団長も。
或いは『後方』のアックアが。
それぞれの方法で、その姿を確認し、それぞれに困惑していた。
突如として出現した巨大な竜は科学の天使と一方通行、双方の頭上にそのまま舞い降りると、第二弾の『一掃』をその体で受け止めてみせた。
いや、少々異なるだろう。
ただ単に翼を広げて出現した結果として、彼らに傘を投げかけるような形になっただけだ。だが、強大なはずの攻撃をそれは受け止め、今も尚悠然と空を舞っている。その姿からは傷ついた様子など微塵もない。
西洋の魔術師達が一斉に何とも言いがたい顔になったのはただ単に、ドラゴンという存在が基本的に恐ろしく強大な力を持ち、同時に神の敵として存在しているからだ。
実際、サタンの姿を巨大な竜の姿とするものもある。
前述の聖ジョージの竜などは十字教にとっての代表的な例だが、根本として竜とは邪悪の象徴のようなものだ。すなわち、神の前には打ち倒される存在であるはずだった。
そして、この場にいるのはローマ正教、ロシア正教、イギリス清教といった違いこそあれ、根本的に十字教の関係者か、それを信仰する国の住人だ。そこへ竜が現れたとなれば、好感情が生まれにくいのは当然だっただろう。即効攻撃を仕掛けなかったのは、その余裕がなかった事、他ならぬ大天使の攻撃に晒されていた以上、それと敵対してくれるなら何でも良かった、といった事があったのは事実だが……。
これは違う。
同時に、そんな気持ちもあった。
今、空に出現した巨龍は羽ばたきもせずただ、そこにあり。
そして、水の大天使は最早科学の天使も最強の超能力者も見てはいなかった。
それどころか、誰も知る事はなかったが、遥かな極東の地、学園都市でエイワスもまた理解出来ぬ存在に興奮していたのだ。
力が振るわれた。
一撃で山をも砕く天使の翼が竜へと襲い掛かる。
一瞬それを視界に納めた誰もが身構え、余りに自然な消滅に目を見張った。
力が振るわれる。
大天使の、世界を滅ぼす程の力が次々と振るわれ、襲い掛かり、だがその全てが消えうせた。
「馬鹿な……」
フィアンマは目を見張った。
天使の力とはどこにでもあり、どこにもない。
力とは意志を持って、方向性と共に振るわれて初めて知覚出来る力となる。
だが、あの竜は天使の振るう力を、それを再びただあるだけの力と変えている!
それでは傷つけられるはずもない。
車をイメージしてもらうといい。暴走する車は凶器だが、ただそこに停車しているだけの車ならば、自分から突っ込まない限り無害だ(迷惑かどうかは別として)。今、眼前であの竜が行っている事は、正にそれ。暴走して突っ込もうとする車が、いきなり竜の直前で停車したままの無害な車に変じたようなものだ。
そうして、しばし沈黙していた竜は口を開いた。
何か攻撃するのか、と思った者達は、直後に起きた現象が信じられなかった。
大天使が解ける。
大天使が解け、竜に吸われて行く。
大天使は一瞬抗うように見えた。
けれど次の瞬間には大天使はその全てをこの世界から消していた。
そうして、竜はその高度を上げる。
『ベツレヘムの星』と同じ高みへと舞い上がった竜の姿に次はあの要塞かと誰もが思った。
だが、竜は要塞に手を出す事はなかった。
まるで見守ろうとするかのように。
そこでの決着を見守ろうとするかのように。
「……あんたが何者か分からないけど、感謝する」
中で呟いた少年がいた。
強大な超能力を振るえる訳でもない、魔術を振るえる訳でもない。その身に宿る異能はただ、他の異能を打ち消す右手のみ。けれども、ただ一人の少女を救う為にここまで、第三次世界大戦のど真ん中にいる『右方』のフィアンマの前まで来た少年が。
そうして竜はその戦いの終盤、時が来た『ベツレヘムの星』へと天界からの力が集い、地上へと放たれんとした時、動いた。
それだけで、力はその本来の役割を失い、消えた。
そして、遂に上条当麻が『右方』のフィアンマに勝利し、核となる力を失った『ベツレヘムの星』が降下を始めた時、今一度動いた。
「うわ!?」
『右方』のフィアンマを射出し、一人残って崩壊してゆく『ベツレヘムの星』を少しでも被害を抑える方向へと運ぶ為に動こうとした上条当麻。
そんな彼の下へ竜が再び姿を現した。
妹達の一人ミサカ一〇七七七号操るハリアーと共に現れ、彼を救おうとした御坂美琴。
彼女の救出は困難だった。その理由は『ベツレヘムの星』が激しく動いていて、ハリアーの着陸が困難であった事。これではさすがに自衛隊のレスキューチームでも無理だっただろう。そして、上条当麻自身が今、この『ベツレヘムの星』から離れる事を望まなかった、からでもあるのだが。
だが、竜相手では関係なかった。
数m、場合によっては十mを越す上下運動があるからどうだ?竜も多少は難しいだろうが、それでも飛行機とは圧倒的にランディングの条件が緩和される。
そして、異能を打ち消す『幻想殺し』ならば、美琴の力による引き寄せは断ち切れても、竜によって振るわれた直接的な力、より正確には服を咥えられて背中に運ばれる、という状況からは逃げられなかった。
ついでとばかりに空を滑って、インデックスの遠隔制御霊装が飛んでくる。それを思わず右手で当麻がキャッチするとその手の中で、それはボロボロと崩れ落ちていった。それに安心した隙をつかれ、飛び降りる間もなく、竜は離陸していた。
「お、おい、このままあれが地上に落ちたら!」
巨大な竜の背中に乗せられた上条当麻は叫んだ。
周囲の大気がこの高度にしては明らかに異質な程穏やかで気温もまた落ち着いているのだが、先程まで『ベツレヘムの星』の環境にいた当麻はそれには気付かず、より重要な事に意識を配っていた。
なお、ハリアーの御坂美琴もまた、彼の姿を竜の背中に確認して、安堵すると共に併走していたりする。
既に彼はこの竜が異能で生み出された訳ではない事を悟っていた。当然だろう、一応現在は邪魔になったらいけないと触っていなかったが、その背に降ろされた時、竜に触れた。だが、竜は全く揺らぎもしなかったし、当麻もまた、これが単なる異能の存在とは違う事を理解していた。
そんな当麻の叫び声を前に、首を捻った竜はニヤリと微笑んだように当麻には思えた。
そう、それはまるで『任せろ』とでも言っているかのような……呆気に取られた彼を乗せた竜は再度口を開いた。
「あれは……」
誰かがそう呟いた。
力が集う。
竜の開いた口の前に、大天使すら上回る力が集結する。
学園都市は純粋にその集まる力に戦慄し、魔術師側はその力の余りの自然さに呆然とした。
あれだけ強大な力でありながら、あれは空を引き裂く力ではない。
あれは……。
「まさか、あれは地球という自然の化身たる存在なりけるのかしら」
イギリス清教の最高責任者たるローラ・スチュアートは渋い表情で呟いたが、魔術師達にとってはそうとしか判断出来ない現象だった。
そして、放たれた一撃。
ただ、その一撃で、音も無く『ベツレヘムの星』はその短い存在した歴史を終えた。
「……ありがとな」
地上へ降ろされた上条当麻はその横に舞い降りたハリアーから降りて来た二人、御坂美琴とミサカ一〇七七七号と共にその姿を見上げていた。
その当人ならぬ当竜はというと、頷いてみせると共に、視線を横に向けた。
そこには一方通行と、彼が救った『打ち止め』更に番外個体がいた。
狙ったかのように竜は、いや事実そうなのだろうが、竜は彼の傍へと舞い降りたのだった。その一方通行の目にかつてのような狂気も何もない。
ギリギリの所で護りたいものを見つけ、それを救い、悪党である事の意味を失った彼はただ守るべき者の為にそこにあった。
そこへと視線を向けていた竜は静かに周囲に響き渡るような吼え声を上げた。
「な、に……?」
癒されてゆく。
本来あるべき姿へと戻されてゆく。
一方通行は自身の破裂した血管のみならず、自身の脳すら本来あるべき姿へと戻っていく感覚を実感した。
兵士達や魔術師達は自身の怪我が癒されていく事を感じ、エリザリーナ独立同盟国ではトップたるエリザリーナからして、自身の不調が瞬く間に拭い去られていく事を感じていた。
或いは第四位麦野沈利の作り変えられた体と『体晶』に侵された体とを共に癒し、体から異質な内臓が吐き出され、あるべき臓器すら修復されてゆく。
そう、本来あるべき自然な姿へと、失われた腕や足をも再生されてゆく。
竜の姿が見える者は何時しか跪き、祈りを捧げていた。
彼らの目には正に神の降臨にしか思えなかっただろうし、学園都市の住人でさえ、学園都市の技術を持ってすら癒せなかった体を即座に癒してしまうその姿に思わず『神の奇跡』という言葉を連想してしまった程だ。
やがて満足したかのように、竜は空へと舞い上がり、いずこへと消えていった。
……その姿を追おうとする試みはその全てが失敗した。
「なんなのだ、あれは……」
アレイスター・クロウリーは考えていた。
今回、彼は『右方』のフィアンマを仕留めに動いた。だが、切り飛ばしたはずの彼の腕も再生し、同時に複数の場所へと存在したはずの彼には嗜めるような、そんな事はしてはいけないと言われたかのように一つに戻された。
「……計画の大幅な修正、いや変更が必要かもしれない」
学園都市の只中にある窓のないビルの中、その中央にある巨大な『容器』の中に逆さまに浮かびながら、クロウリーは新たな思考に入った。
……なお、【竜王】が直接手を出さなかった理由は単純である。
「やっぱり、主人公の戦いには手出したらいけないよね!」