まどかはその日の夜に泣いた。
そして、その日の朝公園に行くとさやかと恭介があわてて声を掛けてきた。
夜からいつもの時間まで泣いていたので、寝ていないのも相まって、目はひどく充血していたのである。
それで、心配になったさやかと恭介が理由を聞いてきたのである。
しかし、まどかは応えない。
事情を話せば白夜と闘うことを反対すると思ってのことである。
まどかは誰にも告げず白夜と闘うつもりであった。
しかし、それでもやはり他の人間にはわかるものである。
まどかの切羽詰まった空気に気がつかないほど、鈍い人間はまどかの周りにはいなかった。
最初に気がついたのは、さやかと仁美であった。
そして、それを訊いたのは仁美であった。
さやかは何も訊かなかった。
そもそも、無関係の仁美の方が話しやすいこともあるだろう、と思ってのことである。
「なにか悩んでることがありまして?」
「いや、別にないけど」
まどかは努めてそう応えた。
「嘘…ですよね」
「えっ」
「だって、そんな物騒な空気を纏ってたら嫌でも、分かりますわよ」
「でも…」
「もし、言いにくいことなら全部話さなくてもいいですわよ。ただ、たまには頼って下さってもいいですのよ」
まどかは五秒ほどの逡巡の後、言った。
「もし、だよ。相手が死ぬ覚悟で向かってきて、負けたらショックで死んでしまう相手には、どうすればいいのかな?」
「死ぬ!?」
「いや、もしもの話だよ」
「そうですわね…、適当に負けることはできないのですよね」
「うん。相手に失礼だし、なにより相手は気づいちゃう」
「それなら、簡単です。背負うしかありません」
「背負う?」
「はい。相手の命もそうですし、あなたの周りの人たちの反対も賛成も背負わなければいけません」
「結構きついね」
「私には、まどかさんがどういう状況にいるのかいまいち想像できませんが、一つだけ分かることが…いえ、信じることがあります」
「それは?」
「まどかさんになら、それだけのことができるということです」
「うーん」
「結局のところまどかさんが好きなようにするしかないのです」
「そっか…」
白夜と闘って勝つということは、殺してしまうということである。
つまり、殺してしまう気で闘うしかないのである。
なら、もう殺す気で行けばいいと思った。
殺して、その命を背負う覚悟をするしかないと思った。
思えば、それまでのことだとも思えた。
精一杯闘った結果、死ぬというのなら仕方がない。
今回は白夜に勝てば死んでしまうということだけのことで、精一杯闘った結果そうなるという意味では何も変わらないのである。
いま、仁美に言われて初めてそこまで思い至った。
皆にも教えなければ。
まどかはそう思った。
まどかはその日、事情を説明した。
まどかが決めたことなら、と納得してくれたが一人だけ反対する者がいた。
「駄目よ。絶対に駄目」
ほむらは目に涙を浮かべた。
「あなたはどうしていつもそうなの。相手の都合ばかり考えて、自分を粗末にすることを考えて」
「それは…」
違った。
白夜に勝ちたいという思いがあった。
しかし、言えばほむらは本当に傷ついてしまうと思った。
結局まどかとほむらはそれきり口を利かなかった。
お互いにその話をするのが怖くなったのである。
そうして黙っている間にも時間は過ぎていく。
とうとう、まどかはほむらと口を利かないまま対決の前日、つまりは、土曜になってしまった。
コンディションは良かった。
身体に調子の悪いところはない。
逆に今すぐに闘りたいぐらいである。
身体を動かしたい欲求があった。
しかし、それを我慢しなければならかった。
もし、それを我慢しなければへとへとになるまで運動することになる。
それでは勝てない。
だから、気を紛らわすために別のことをまどかは考えている。
最初に考えたのはほむらのことであった。
あれから、一言も話をしていないのは心残りであったが、譲るつもりもなかった。
そうである以上こちらから言えることは何もない。
だから、名残り惜しくもあえて何も話さなかった。
もうすでに引き返せないところまで来てしまったのだ、とも思っている。
今回の白夜との件だけではない。
自分の生き方はすでにそういうものになっている、という自覚がまどかにあった。
そもそも、この白夜との件についても怪しいものであった。
白夜の覚悟に報いたいという気持ちもあるが、根底にはもっと強い気持ちがある。
白夜に勝ちたい。
闘う理由はその気持ちだけで良いのではないか、とも思う。
確かに白夜を殺してしまうのは怖い。
さらに言うのなら、白夜に負けてしまうという恐怖もある。
その二つがまどかに重くのしかかっている。
しかし、それはそれで受け入れるべきものであった。
その怖いものを受け入れた上で闘うべきであるのだろう、とまどかは思った。
――ふふん。
まどかの口から笑みがこぼれた。
自嘲的な響きが混ざっている。
結局のところ闘うことを考えている。
そんな自分に呆れたのである。
これは重傷だ、と思っていると
「まどか」
声がかかった。
後ろを振り向くと、ほむらとさやかがいた。
気まずそうに俯いてるほむらであったが、まどかに眼を合わすと
「ごめんなさい」
絞り出すように言った。
「私、まどかが闘いたがっているの知ってた。でも、耐えられなかった。私のせいでまどかが辛い思いをしているようで…」
ほむらはこの時間軸でまどかに助けられたものだと思っている。
それはそれで良い。
しかし、それと引き換えに時間移動の影響でまどかの人生が変わってしまったものであることも知っている。
ほむらは未だにそれを気にしているからこそ、それでまどかが辛い思いをすることに恐怖していたのであった。
「でも、そうじゃないんだよね。まどかは自分の意思でこの道を選んだんだよね」
そうでなければ、まどかは白夜と闘う意思は湧かなかっただろう。
例え、ほむらの時間移動の影響があったとしても結局のところ選んだのはまどかであった。
「だから、私も選ばなくちゃね。まどかをこれから支えていけるように…」
眼から涙を流しながらほむらは言った。
「勝ってね」
白夜と闘うまでのあと一日を耐えるのには、ほむらのその言葉だけで十分だった。
「来たか」
約束の日時に公園に行くと、白夜がいた。
まどかの後ろには、ほむら、さやか、恭介、マミ、杏子がいた。
「ギャラリーまで、来たんだ」
「問題はないはずだよ」
「確かに一人で来いと入ってないしね」
いてもいなくてもあまり関係ないことだし。
と、続けて無造作に腕を振った。
その何も無い空中に裂け目ができた。
その裂け目の向こうには、また別の風景が広がっているようであった。
それは草むららしきものであった。
そして、それと同時に半透明の膜が公園を包み込んだ。
「これで人払いは済んだ。私とまどかは邪魔が入らない異次元で闘う」
「待ちなさい。それでは、あなたが正々堂々と闘うか分からないわ」
そんなマミに対しても白夜の態度は変わらない。
「確かにそちらの言うとおりだけど、それだと私があまりにも不利だ。結界では君らに破られてしまうから。
だから、こちらである意味信用できるやつを見繕っておいたのよ」
「それはいったい誰?」
「僕だよ」
そこにどこからともなくキュゥべえが現れた。
「僕がまどかと白夜に付いて行って見届けるよ。まどかと白夜の試合は僕が君らの脳に映像として送るから、それでいいよね」
「キュゥべえが信用できるっていう根拠は?」
「僕にとってまどかが勝てばエネルギーの収集に都合がいいし、異次元の環境がまどかに有利か不利かを検分することもできる。
逆に僕が白夜に不利なことをしてもおかしくない立場だけど、白夜の空間では僕は力不足と言った所だ。
双方にとって僕が一番ピッタリなのさ」
マミはほむらを見た。
ほむらにキュゥべえの言い分が正しいのか確認するためである。
ほむらは首を縦に振った。
ほむらにとってもキュゥべえの言い分は筋が通っていた。
キュゥべえの一番の目的であるエネルギーの収集は白夜が負ければノルマを達成できるというこの状況で、キュゥべえがまどかの邪魔をするように思えなかった。
その異次元がどういう性質をもつかは知らないが、キュゥべえが一緒ならまどかにとって不利になることもなさそうであった。
「分かったわ」
「ああ、マミとほむらが言うなら間違いないんだろ?あたしも文句はない」
「納得してもらえたかな?じゃあ、まどか一人だけこっちに来てもらおうか」
まどかは一人で前に出る。
そこに今まで話には入れなかった、さやかと恭介が言った
「まどか、勝ってよ」
「今までありがとうございました。どうかご無事で」
まどかは右腕を上げて答える。
「じゃあ、行ってくる」
まどかはそう言うと、空間の裂け目に入り込んだ。
それにキュゥべえ、白夜と続いて入っていくと、裂け目は消えていた。
「ほむら、黙ったままでよかったのかい?」
「うん。もう言いたいことは言ったから、後は祈るだけよ」
杏子の問いにほむらはそう答える。
その眼から迷いは消えていた。
「ねえ、白夜ちゃんは私が来ないかもしれないって思わなかったの?」
不思議だった。
さっき見せた白夜ちゃんの能力は、しようと思えば私を異次元に引き込むことができそうなのに。
何故こんな周り道をしたの?
「あなた、気が付いてなかったの?」
意味深に笑うなぁ。
怖い笑みだ。
「私があなたと闘いたいって言ったとき、あなた笑っていたのよ」
笑ってたんだ。
私はそんなにも嬉しかったんだね。
笑ってしまうほど。
思わず怖くなってしまうほどに。
でも、当然かもしれない。
白夜ちゃんとこうなることをずっと待っていたんだから。
「さあ、まどか」
うん。
「始めようか」
「うん、始めよう」
私は今の私にできる最高の構えをとった。