俺がジョネスを潰した晩……俺達は予約したホテルではなく、警察署に泊まる羽目になった。
まあ、
『ザパン史上最悪の連続殺人鬼らしき暴漢を打っ飛ばした。
相手はかなりの重傷のようだから、救急車と警官ヨロ』
なんて内容の通報をしたんだから、ソレは仕方ないだろう。
小学生の俺とマァハは兎も角、マリアンさんは事情徴収やらなにやら大変そうで、色々心苦しかったのだけど、俺達が本当の事言っても誰も信じないのがねー。
最初は半ば犯人っぽい扱いを受けていたし、その後鑑識から、ジョネスの髪や指紋が現場の遺留品その他と一致した事や、レンタが無傷である事、奴の服についてた持ち主以外の髪の毛が俺のと一致した事なんかが伝わってきて、漸く俺達の証言が真実だとわかった……んだけど、そしたら今度は、解体屋にかかっていた懸賞金関連の手続きやら、メディアの取材へ申し込みへの対応やらが目白押しでさ。
……で、そんなマリアンさんに対し、この度目出度く逮捕されました、少なくとも124人を殺した連続殺人犯『解体屋』ジョネス君の方はと言えば、肋骨と胸骨はバキボキになってたらしいけど、命には別状が無かったらしい。
多分、オーラに接触した時点で、衝撃に跳ね飛ばされたのが良かった(?)んだろう。
殺さずに済んで良かったような、けれど、もしかしたらこれでトリックタワー編で隠しボス『念能力に目覚めたジョネス』に遭遇するフラグが立っちまったかも、とか色々と複雑な気分だ。
正直、ジョネスが念に目覚めたら、あの時点のゴン達で対応出来そうな奴は本気キルアのみ、下手打ったらパーティ全滅の危機も有り得る強力キャラ――って、よく考えたらリッポー所長も正式なハンターなんだから未熟な念能力者の能力の有無は見ればわかるんだよな。
流石に、そんな危険な奴は試験に出さない……と良いんだが。
正直、あのパイナップル頭は色々怪しすぎるから…
『趣味の虐めを堪能する為に、所長の委託を受けてます』
…って言われても、多分俺は納得するね、いやいやマジで。
とは言え、ジョネス君関連についてはもうこっちにはどうしようもない。
ああ言う、一念に凝り固まったタイプは一度覚えたら後の熟達速度は速いだろうから、こっちも試験まで負けずに訓練して、できれば念使わずに素のジョネスを倒せるくらい強くなる位しか方法はなかった。
トリックタワーの多数決の道に、トンパの代わりに参戦するのはそう難しくもなさそうなので、そっち方面は楽観しても良いだろうしね。
取りあえず、犠牲者数が146人から124人に減った事は喜ぶべきだし、連動して現れそうな不都合もこっちの努力でフォロー可能なのだから、全般的に見れば良かった、の、だろう。
一応、警官の前で昏倒しているジョネスを指して、
『その人は握力だけで煉瓦壁抉って粉々に磨り潰せる上に、肉を手で千切る事に異常な執着を持っているみたいですから、手首を後ろ手に固定して、掌で摘める範囲には近寄らない方が良いですよ』
…と言う警告もしておいたので、レオリオの逸話の可哀相な警察官みたいな人も減るだろうしね。
そう言った瞬間、近くにいた警官数名が異句同音に驚いた顔で、
『何でこんな小さな女の子が…!』
とか言って一歩引くのを見て、正直結構傷ついたが、まぁその程度の代償を払っただけで何人かの人生が好転するなら安いものだろう。
尤も、性別を勘違いしたまま確認もせず、マァハと一つの仮眠室を宛がってきた時には、正直本気で抗議したがな。
ジョネスを倒した後のマァハは、一応、何時もと変わらない姿を取り戻していたのだけれど、流石にアレからそんな時間の経っていない今、同室で並んで寝るのは色々と怖すぎる。
ロリコンで無いはずの俺だが、あの時のマァハが同じ布団に入ってきてこっちをぎゅっと抱きしめてきたりなんだりしたら、その状態で長く理性を維持する自信は無かった。
ジョネスの一件で、『向こうは拒まない』という確信も出来ちまったしな。
まぁ、まだこの体は精通前だから、最悪の事態には届かないだろうけど、その行為で完成してしまうだろう人間関係は、それだけでもう致命的に過ぎる。
しかし考えてみるに、今後も俺はジョネスの脅威が無くなったこの街で、今後数年は、マァハと二人暮しをせねばならんわけで……お目付け役の人が厳格な人だったりするとありがたいんだが、どうだろう?
そんなの村長の口だけで、実際には通いのお手伝いさんが来るだけとか、そう言った可能性も捨てきれないのがアレなんだが……。
そうなると、今は怪しい態度を取ってマリアンさんを警戒させて、出来れば同居を取りやめさせるべきか?
昼間寝ていた事もあって眠気が薄れていた俺は、何とか勝ち取った別の部屋の長椅子の上で、そんな事をグダグダ考えながら毛布引っかぶって唸っていた。
んで多分、漸く寝入ってから2・3時間経ったかな…位の所で、妙に満足げな照れ顔で微笑むマァハに起こされて、それから、明かに眠っていない風なマリアンさんとご対面……。
昨日の今日だし、結構色々言われるかと思ったけれど、現在の彼女にはどうやらその暇も無いようで、
『刑事の護衛を付けてくれるらしいから、今日は一日、二人でどっか遊びに行って来なさい』
と、小学生二人には些か高額すぎる額の小遣いを渡された。
その後、朝食も取らずに若い女性私服刑事に引き合わされて、その人の個人所有らしい車両に待機。
そのまま正門前で騒ぎが起きるのを待ち、更に僅かにタイミングをずらして裏口から警察署を脱出――その時点で初めて、どこへ行くかと問われたので、俺はまず、食事の出来るネットカフェをと指定した。
如何に凶悪なシリアルキラーを捕まえたからって言って、昨日今日のマリアンさんは忙しすぎる。
幾らなんでもそれ以外の理由もあるだろうし、そこん所知らずに動くと迷惑掛けちゃう事があるかも…等と思って、刑事の人に現状を尋ねてみたんだが、こっちを子供扱いして何も教えてくれないんだよね。
まぁ、その判断も普通なら間違っちゃいないのだろうけど、こっちはマァハ共々規格外の子供だから、彼女の判断には当てはまらない。
だからそれを、判りやすく見せてやろうとか、寝起きの俺はつまんない事を考えたんさ。
ちゃんと教えないと、かえって厄介な事になるかもよ…ってね。
そんな意図を理解しているのかいないのか、刑事さんは特に難色を示さず、マァハはいつも通りの『ルトと、一緒で、良い』――そんなわけで俺とマァハの朝食は、サンドイッチ片手に一つの端末を囲むと言うあまりお行儀のよくない形式になった。
こう、身を寄せて同じ端末を覗きながらサンドイッチを摘むマァハのことはあまり考えないようにして、ブラウジングを開始する。
先ずは、ポータルサイトで最新のニュースを確認、関連ニュースで時系列ごとに流れを追って……もう一つウィンドウ開いて、こっちではニュース検索……へぇ、もうwikiあるんだ、こっちも開いてみて、と。
そして、解体屋ジョネスまとめwiki――この世界における2ch的なサイトの情報集積ページを開いた俺は、目に飛び込んできた現行スレ・関連スレの名を見て、思わずモニタに叩頭しそうになった。
……Be Cool、Be Cool。
オーケィ、まずは落ち着こう、素数でも数えるんだ。
「……ど、どうしたの、ルト?」
驚くマァハになんでもないと言って目を閉じ、心の中で素数を数えてからもう一度目を開く。
【武闘派?】解体屋事件の顛末を考察するスレPart32【美幼女?】
【ザパン市に】武闘派幼女の天空闘技場参戦を祈願するスレ【天使降臨】
……どうやら、さっき見たタイトルは幻覚や見間違えでは無いらしい。
で、事件の経緯をざっと調べると、どうやらネットの流れはこんな感じだったようだ。
1)初期報道、ジョネス捕まる?
……この時点では、ジョネス、模倣犯、マリアンさんの狂言説を並列する報道。
2)ジョネスと確定
報道内容に加え、その道では結構名の知られているマリアンさんの写真が貼られてスレが加速する。
……いや、あの人美人だからねぇ。
3)詳細報道始まる
ジョネス、美女に返り討ちで祭り状態……の所に、更に内部関係者?からの情報リーク。
俺達三人の写真と、実はジョネス返り討ちにしたのはこの幼女との書き込みが……。
書き込み内容はかなり正確で、俺が警官達にした忠告も殆どそのまま載ってる。
4)マスコミがザパン市警を吊るし上げ&謎の美幼女祭り←今ここ
どうやらこの情報が真実らしいって証言が出てきたところで、マスコミがザパン市警に突っ込み開始。
同じ頃ネットでは、マリアンさんの線で簡単に名前が割れたマァハと異なり、情報が全く出てこない俺の事が謎の武闘派美幼女(←せめて少女にして欲しい)として話題に……。
警官に忠告した言葉とかから、素直クールだのなんだのと一部で異様な盛り上がりを見せているらしい。
既にAAまで作られているのを見た時には正直泣きそうになった。
そもそも一体、どこからでてきたんだよ……。
ジョネスらしき髭の生えたヌリカベを蹴り砕く、あのクールな武闘家幼女のAAはっ!?
アレが俺に向けている世間一般のイメージなのか? そーなのか? マジ泣くぞ?
大体、俺がジョネスを倒したのはもっと泥臭い肉弾であって、あんな華麗な蹴りかましてないやい。
そんな事を考えながらじっと耐えていると、マァハがそっと俺の頭を撫で始めた。
……すいません、マァハさん。
弱っている時にそんな事をされると、人の情けが身に染みすぎて惚れてしまいそうです。
正直、そのまま撫でられていたい衝動もあったのだが、無理やり押さえつけて一旦席を離れると、ちょっと離れた席でこっちを見守っていた私服刑事のミランダさん――親しく見えるよう名前で呼ぶように言われている――にこう尋ねてみる。
「あの、報道で僕の性別が誤認されている件は、プライバシー保護の為のミスリードなんですか?」
ネットから流出したジョネス事件顛末の真相は、警察からの発表で概ね真実であると発表された。
ただし、ジョネスを撃退した子供については、未成年である事やプライバシー保護の観点から発表できない、と……。
そのお陰で、『謎の武闘派幼女』に関する情報には尾鰭背鰭が付いて情報の海を泳ぎまわっているわけなんだが、それが一向に真実に迫らない理由の一つに、皆が性別を取り違えているという事実がある。
で、何で間違えられたままなのかといえば、警察が、マスコミの『ジョネスを返り討ちにした少女』についての質問全てに、一貫して『未成年』を理由としただんまりを決め込んでいる事と、同時に質問自体には肯定的な発言を行っている為、『武闘派幼女』と言う先入観が蔓延している事の二点が大きいようだ。
基本的に、記事はセンセーショナルな方が受けるから、マスコミ的にもネット的にもジョネスを返り討ちにしたのが『未成年の少年』であるよりも『幼女』である方が望ましい。
そう言ったマスコミ&ネット側の願望と警察側のミスリードが巧い事噛み合って、この現状のカオスが生まれているわけなんだが、正直言って俺にはこの状況は辛すぎた。
初めに、マリアンさんとマァハが名前バレしてるのに、当の張本人だけが守られて隠れているという状況が気に入らない。
次に、自分が変な萌えキャラにされてあちこちで消費されていくのが耐えられない。
最後に――これが一番餓鬼っぽくて自分でも嫌なんだが――蚊帳の外に置かれているのが面白くない。
……なんか自分でも、俺のことを隔離しているのは方策として正しいんじゃないかと思えてきたな。
自覚以上に子供っぽかった自分に羞恥を覚えない事も無いんだが、これら全ては嘘偽り無い真実だから否定する事に意味はなかった。
むしろ、受け入れた状態で如何に御すかが重要だろう。
でまぁ、この状況を何とかしたいのだけれど、同時、今は各種手続きにマスコミの依頼、その他、警察との調整、抗議なんかで猫の手も借りたい筈のマリアンさんに、変な迷惑はかけられなかった。
だから、とりあえずこの状況が警察とマリアンさんの誘導で創られたかどうかだけは聞いておきたい。
もし、そうなら俺は黙って耐える心算だし、そうでなければ――マリアンさんには悪いけれども――こっちから情報を流してある程度マスコミを満足させてしまった方が、俺も大人たちも楽だろう。
馬鹿な子供が調子に乗って情報を流した。
しかも、実は男……そう言った事件を起こして図らずも俺が纏ってしまった神秘性を引き剥がせば、マスコミやネットの興味も少しは引くだろうしね。
けれど、そんな事を考えて投げかけた問いを、ミランダさんはすぐに理解してはくれなかった。
頭が悪いとかではなく、単に小学生がこんなことを言ってくるとは思っていなかったのだろう。
「いや、ですから、動議的にも、既に情報をリークしてしまった状況的にも、警察側は本来被害者である僕の情報をマスコミに伝えるわけにはいかないじゃないですか?
その上、ジョネスの容態を考えれば直に事情聴取ともいきませんから、どうしても公開できる情報の幅と量が狭まってしまいます。
そんな状況で情報に餓えたマスコミは、既に失点のある警察側が何かを隠蔽しているんじゃないかと邪推して、警察及びマリアンさんに粘着するに至ったわけですけど……」
だから俺は、彼女の止まった頭が動き出すように、ゆっくり解きほぐすような説明を始めた。
ポータルサイトのままだったブラウザにジョネス事件関連のニュースを表示、時系列で並んだ見出しを見ればマスコミ報道の変遷は一目瞭然、良く判る。
「だったらいっそ、マスコミに情報を与えてしまえば、良いと思うんですよ。
僕がリークするのであれば、僕自身以外には余り迷惑もかかりませんし……ですが、ほら、これをみてください」
ブラウザの新しいウィンドウを開いて、記憶していた幾つかの記事――その全てが、ネットへの情報流出か、或いはそれに関するマスコミからの質問を扱ったものだ――を表示して見せた。
そして、こう続ける。
「記事を視ていてどうも違和感があったんですけど、良く調べてみると、どうもあらゆる媒体で僕が女性だと報道されているみたいなんですよね。
……これが単なる、マスコミ側の勘違いなら良いんですけど、もし僕のプライバシーを守る為のミスリードとしてマリアンさんや警察が意図的に行っている場合、迂闊な情報を流出させると警察の方々に迷惑がかかるんじゃないかと思いまして……」
そう、一通りの説明を終えた俺に、女私服刑事が最初に見せたものは、ぽかんと口を開いた酷く間抜けな表情だった。
今まではそれほど気にしていなかったけれど、改めて観察してみると若いと言っても二十代半ばといったところだろうか?
「ど、どうかなさいましたか?」
子供二人を安心させる為に配置されたのか、優しそうな――そう、刑事なんかより保母さんかなにかの方が似合いそうな――面立ちをしたその女性は、その問いかけに心底驚いたような表情でパチパチ目を瞬かせる。
「あの?」
流石に困って重ね尋ねると、女刑事は首をぷるぷる振って顔から呆気を引き剥がし……次いでその目を、大きく丸く見開いた。
そんな彼女の姿を、ちょっとだけ可愛いかなとか思って眺めていたのが悪かったのだろう。
「えーっ!?」
昼と言うには早い時間のネットカフェを、雑巾でも裂くような頓狂な叫びが駆け抜けた。
一体どこのどいつだっ!
こんな阿呆を、マスコミに追われる重要参考人の護衛なんかにつけたのはッ!
因みに、俺が被疑者ではなく重要参考人なのは、日本と比べて治安の悪いこの国では、正当防衛の範疇も比例して広いからだったりする。
特に、相手がジョネスみたいなアレだった場合、素手の相手に銃をぶっ放しても罪には問われないどころか、場合によっては懸賞金まで出るようだ。
そんなわけで俺たち三人はお咎めなし……どころか、俺には少なくない額の懸賞金が出るらしい。
――閑話休題。
「だ、だって、こんな可愛い子が男の子のはず無いじゃないですかッ!」
此処に居続けるのは流石に不味い――こちらを伺うマァハに目配せして、錯乱した言葉を喚き散らす阿呆の両脇を囲むと、その両腕を二人で取り押さえた。
本当なら殴り倒したいところなんだが、念を覚えたての身では巧いこと手加減できる自信が無い。
幸いここは先払いの店だったので、俺は、耳元で撒き散らされる雑音を努めて無視して、周囲に頭を下げつつ愛想笑いを振りまくと、子供二人で有無を言わさず阿呆を店の外に引っ張り出した。
駐車場の車の所まで引き摺ってから手を離すと、即座に上に手を伸ばし猫騙し……言葉を途切らせた女刑事をオーラで威圧する。
「車のキーを……。
後の話は中でしましょう」
声変わり前の未だ男のものとも女のものともつかぬ声が、精一杯冷厳に聞こえるように努力と工夫を重ねながら、俺は言葉少なにそう伝えた。
こう言う時、念は便利だな…と思う。
なにせ、写真を見た大多数の人間が『幼女』と定義して誰も疑問を抱かないスルトですら、大の大人を容易く威圧できてしまうのだから……。
引き攣らせた顔を、玩具の様にかくかくと動かす女刑事の手から鍵を受け取り、ソレで自動車の戸を開いて運転席に座らせる。
マァハを後席に座らせ助手席に腰掛けると、動けないままの女刑事に視線を向けた。
「……少しは落ち着きましたか?」
AOPを絞りつつ尋ねると、ミランダさんは若干ほっとした表情で、今度は一回、首を縦に振る。
「それはよかった」
若干の皮肉を込めてそう応えると、ちょっと気になった事を尋ねてみた。
「ところで、ミランダさん。
あなたの所属部署を教えてはもらえませんか?」
「は、ハイッ、生活安全課少年係、でしゅッ!」
……あ、とちった。
身内でも近寄る事を躊躇するオーラの重圧である。
良く知らぬ――それも、連続殺人鬼を病院送りにした前歴を持つ――少年が発するソレを受けて、怯えず対応できる者は、そう多くは居ないだろう。
ソレこそよほど豪胆なものか、あるいは鈍感か、そうでなければ念能力者か……そのどれでもないミランダさんはとちってしまった事に怯えておどおどとした視線をこちらに投げかけてきた。
なんだかやっぱり、可愛いかも……。
少なくとも晴信は、顔立ちが可愛らしいとはいえ、年上の女性が怯える様を見て喜ぶ等と言った変態染みた嗜好は持ち合わせていないはずだから、この感情の起源はマァハの幼馴染であるスルトだろうか?
まあ、晴信もアイツから『意外に世話焼きだな』との苦笑交じりの論評を受けた事があるので、表に出ていなかっただけで嗜好自体は持っていたのかもしれないが……。
なんとなく、キョトンとするマァハと怯えた様子のミランダさんとを見比べ、俺は一つ、溜息を吐いた。
……べ、別に浮気しているような気分になったわけじゃあないぞ。
ないんだからなッ!
そして、溜息にナニを思ったのか、身を縮込ませるミランダさんの頭に背伸びして手を伸ばし、緩やかに撫でる。
「大丈夫、怒ってなんかいやしませんよ。
……しかしそうなると、さっきのアレは引継ぎの齟齬ですか?」
そうしながら尋ねると一瞬キョトンと表情を創ったミランダさんは、すぐ顔を上気させて、首を激しく横に振った。
そりゃあ恥ずかしいよなぁ。
大の大人が、幼女と見紛う外見の少年に頭を撫でられている現状に羞恥を感じないはずもない。
……つーか、感じない奴がいたら、そいつもう相当終わっとるだろ。
マァハの手に安らぎを感じてしまった自分を棚に上げてそう断ずると、俺は手を止めてミランダさんから体を離した。
「……あっ」
微かに驚いた――そんな様子の女刑事を見上げて、もう一度問い直す。
「それで、先ほど僕が男だと言う事に過剰に驚かれていた件ですけど……」
さっきは『武闘派美幼女スレ』の衝撃で気付けなかったけれど、この状況下で刑事課刑事が子供二人を連れ歩くなんて、注目してくれとマスコミに喧伝しているようなものだ。
もちろん、本来はそういった事態を避ける為に私服警察官ってのがいるのだけれど、解体屋事件で、この街に大量のマスコミが集まってきている現状を考えれば、ザパン市警刑事課の主だった捜査員は皆、それなりにチェックされていると考えるのが妥当であろう。
ジョネスが重傷、警戒すべきはマスコミのみと言う現状を考えれば、俺たちの引率に子供を連れているのが不自然ではない生活安全課の私服警察官を付けると言うのは至極真っ当な判断だった。
そして、その引継ぎの際に何らかのミス――そう、たとえば護衛対象の性別を伝え忘れるとか――が起きる可能性も、現状の混乱を鑑みるにそう低くは無いだろう。
……実際、昨晩はマァハと一緒の部屋に詰め込まれそうになったしなー。
昨夜、部屋に案内された時の恐怖を思い出しつつそう尋ねると、ずいぶん柔らかくなっていたミランダさんの表情が、再び硬く引き攣った。
「あ、いえ、別にその事を怒っているとかそう言う事ではないので……」
不快な記憶を思い返した為に、顔が怒っていたのかもしれない――自分の顔に右掌を当てて、指先で頬を叩きながらそう続けたが、対する女刑事は、焦った表情のまま不自然に視線を逸らす。
まるで、下手に悪事を隠そうとする子供のような仕草……。
「じゃあ、市警の担当部署への連絡だけでもさせていただけますか?
マァハの母さんに直接連絡だと、会見中だったりした時に困りますから……」
何でこの人、刑事業勤まってるんだろう…等と思いつつも重ねてそう尋ねると、女刑事は焦りに驚きを加えたような表情で後ろに下がろうとした。
車の中、椅子に座った状態でそんな事ができるはずも無いのだが、そんな状況すら忘れていたのか、慌て動いたミランダさんが大きくその姿勢を崩す。
「はわわっ」
奇妙な、悲鳴めいた声が上がった。
シートベルトを着けていなかった女性の体が、ズルリとシートを滑り落ちる。
そのおまけに、半端に閉じた状態で適当に突っ込んででもいたのか、そのポケットから携帯までするりと抜け落ち、床にあたって転がるとその衝撃でぱくり開いた。
きっとその瞬間、俺の顔にはこれ以上無い程、濃い苦味が浮き出た事だろう。
……もしかしてこの人、俺達と一纏めにマスコミから隔離する為に引率役を任せられたんじゃ……。
ははは…と、ソレを隠すように上からお子様ランチ的な微笑を貼り付けて、足元に転がってきた携帯に手を伸ば……
「イァ!」
……そうとしたその瞬間だった。
照れ笑いを浮かべていたミランダさんが、どこぞの邪神崇拝者なのかと疑いたくなるような声を上げながら、その顔にムンクか梅津かといった風な異貌を形作ったのは……。
「……へ?」
その、目の前の女性のあんまりであんまりな御面相に、思わず手にした携帯に視線を落としてしまったのは、その、不可抗力だと思いたい。
……いや、本当に女性のプライバシー覗き見するつもりなんか、全く無かったんだよ。
まあそんな、画面を覗き込んでしまった瞬間に浮かんだ言い訳がましい思考も、設定されていた待ち受け画像が脳に染み込んだ途端にマゼラン星雲の彼方まで一気に吹き飛んでいったんだが……。
「………」
俺はソレを眺めて目を二・三度ぱちくりさせると、ふとある事に気づいてマァハの方へと視線を向けた。
「なあ、マァハ。
俺達がミランダさんと最初に会ったのがいつだか、わかるか?」
問われたマァハは、嬉しそうな微笑を浮かべ、数瞬だけ目を瞑る。
「今から、十六時間と三十二分前、だと思う。
ルト君の連絡で、最初に警察が来た時、降りてきた人の中にいた、から」
そして返ってきたそんな答えに、ひとつ溜息――無言でミランダさんの携帯を弄ると、ブラウザを開いてブックマークを確認した。
……やっぱり、有った。
目当てのモノを見つけ出して、二たび溜息、蒼白な表情のミランダさんへと視線を向ける。
まあ、怖がるのは当然か……。
なにせ、連続殺人鬼を一撃必殺する小学生が、一足一撃の間合いにいるのだ。
しかも、自分はソレの怒りを買うような事をしてしまっている。
俺は、待ち受けに張られたクラン親娘と自分の写真を女刑事に提示すると、どこぞの名探偵めいた言い回しで告げた。
「……貴女だったんですね。
掲示板に僕の写真を貼ったのは……」
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425 名前:332◆4922f455 投稿日:1996/02/19(月) 02:19:09 ID:Rt4+IdNV0
こ、こちらスニィフ! も、目標を発見したよっ!
……なんだか、妙に都合のいい展開なんだが、まさか、自分が憑依系SSの主人公だったなんて事はあるまいな?
新たに入った別のネットショップの席上、俺は流れる2ch的な掲示板を眺めつつ、ふと、そんな事を思った。
因みに、スニィフというのは、固体な蛇さんの誤植ではなく、この2ch的な掲示板で蛇さん的な立ち位置で使われているキャラだったりする。
なんでも、ベート・ソンヤンなる人物が描いた『ミームン谷の悪魔達』なる物語に登場する斥候役を務める妖精で、小さなカンガルーの様な姿をしているようだ。
スニィフは、小ずるくて小心で欲深だが、すばしっこく身を隠す術に長け、自分より弱いものには優しく、故郷の為に恐怖を乗り越えるだけの勇気を持っていると言う人気キャラ……らしいんだが、コレってスニフの捩りだよな。
けど、スニィフやミームンは兎も角、このヘイへって誰よ?
ざっと調べてみると、この『ミームン谷の悪魔達』と言う物語は、赤熊の帝国に侵略された祖国と、その侵攻ルートの只中にあるこのミームン谷を守る為にと、谷の妖精たちが、リーダー格のミームン、村唯一の猟師で銃の扱いに長けるヘイへを中心にレジスタンス活動を進めると言うもので、第一作の『ミームン谷の悪魔達』は赤熊の帝国の兵隊たちが、『ここは、悪魔達の住む谷だ……』言い残して撤退していく所で終わるそうだ。
確かに、海に行く話で猟師は出てたけど……トーベ・ヤンソンが聞いたら怒りの余りに卒倒しそうだな。
特に、第二部で、戦線をミームン谷から押し上げることに成功したミームン達が、義勇兵として軍に参加してからの話は、マジ十二推じゃすまない内容らしいし……。
つーか、なによこの第二部以降の登場人物?
特に、ミームンの故国と同様、赤熊帝国と戦争している賢犬帝国は猛犬連隊からの派遣部隊、黒犬中隊隊長、ストレイブラック大尉って、なんか色合いがのらくろと一緒なんすけど……。
これって、もしかして、晴信と同郷の人間が書いていたりするのか?
けど、良くある出来の悪いトリップモノみたいに、向こうの知識でこっちで大もうけなんざ、移動してきた人間がよっぽど高い技術を持っていない限りできようはずも無いし――出来ると考えるのは、こっちの人間に対する侮辱だろう――そうなると浮かび上がるのが、オレの現状がすなわち出来の悪いファンフィクションだと言う可能性だ。
……あんまり、考えたくない可能性だったんだがな。
だが、流石にここまでくると自分が架空の存在であると言う可能性を疑わずにはいられない。
まぁ、それは逆に言えば、俺には一定の安全性が与えられている可能性を示唆してもいるのだが、それに胡坐をかいて研鑽を止めたりしたら、勘違いした痛いトリップキャラとして真主人公の引き立て役にされた挙句、ヒソカ辺りに狩られてしまったりして……うー、桑原桑原。
仮に主人公だったりしても、『なにこの痛い厨二病主人公!』とか作者の無能を一身に受けてしまったり、マァハ萌えーとかの感想が大半で空気扱いされていたり、最悪の場合主人公萌えーとか……。
うわっ、あり得る、あり得るぞッ!
考えてみれば、今のオレはかなりの美少年で、実際、女の子と間違われていたりしている。
その上頭が良くて特質系――この時点でどこの厨二病主人公と後ろ指指されていてもおかしくはないのだ。
クッ!
俺は、いるかどうかもわからない作者にサノバビサノバビと怒りの念力を送りながら、無言で板を更新する。
とりあえず、この一手で俺達に対するネットの好奇も多少は収まるかもしれないのだ。
今はそっちに集中して、出来れば俺も掲示板に書き込みして流れを弄れればいいんだが――とは思うのだが、この小心者は、そういった事が気になって仕方ない。
それに、俺にネット工作なんかできるわけねーしな
掲示板を走るキターとうぷ!の乱舞……リアルタイムで見ると尚更頭を抱えたくなるような、そんな光景を眺めながら、俺はハァと溜息をついた。
そして、自分が架空の存在ではないのかという、新しい悩みの種に頭を抱えつつ、目の前の画面と隣の席にに座るミランダ――流石にもう敬称を付ける気にはなれない――を見比べる。
それから、同じ席に寄り添っているマァハの顔を見上げつつ、かすかな苦笑を浮かべた。
……マァハの温もりが有難いだなんて、俺も相当弱ってるよなー。
目が合って嬉しそうに笑うマァハに憮然とした表情を作り、ディスプレイへと視線を戻す。
情報流出で警察が責められている現状、彼女が俺達の引率をしているという事実は厳重に秘せられ、それを知るもの達は相互監視を行っている筈だ。
そして、マァハの見立てでは追跡者は存在しないようだし、遠方の監視から身を隠すのは都市の中であれば容易い。
ならば、俺達がミランダに協力し、ミランダと自分達が写っている『盗撮写真』をネットに上げれば、警察への非難とネットでの情報に対する需要を共に減らせるのではないか?
元々、ネットへの情報提供を考えていた俺は、だから彼女を脅迫した。
尤も、一応現状への反省やらなにやらを抱いていたミランダも同様の事を考えていた――その隙を窺っていた時だったので、俺の『自分は男』発言にあそこまで動揺したのだが――ので、実際には脅迫まではいかなかったし、お陰でこっちの札を温存した上に向こうへの貸しが増えて万々歳である。
まぁ、その都合が良すぎる流れで、『自分が創作物なのかしらん』等と言う奇天烈な考えに思い至ってしまったわけでもあるのだが……とにかく、自分で言うのもなんだが、俺みたいなマスコミに追われている謎の重要参考人を、それも、内通者が疑われている状況下で、たった一人で任されるような、有能な少年係刑事に大きな貸しが二つもできたと言うのは、今後の活動や現在の年齢を考えると非常に嬉しい状況だ。
正直あのミランダがそれ程迄に有能だとはちぃとも思えんが、警官と言う身分だけでも充分に役立つだろう。
とにかく、今はミランダの監視とネットの状況の変化を確認しなければ……。
俺は、悩みもマァハの感触も全て頭から切り離し――もちろん、切り離せていないのだが――モニターとキーボードとに向き直った。
・
・
・
・
そして、それから約一時間――俺は半ば放心状態でネットカフェを後にした。
いや、いいんだ……目的は、ちゃんと目的は果たせたんだからなッ!
そう心中強がりつつも顔は俯けたまま、溜息も吐かずにいられない状態な俺の、隣に寄り添い頭を撫でるマァハの手が心地良い。
人間として、本格的に駄目になりかけてるんじゃなかろうか?――そんな危惧を抱いてマァハをやんわりと引き剥がすと、俺達の後に続いたミランダの方へと振り返る。
「あはははは、まさかあんな事になるとは……」
こちらに向かって頭を下げつつ、乾いた笑いを見せるミランダに、俺は出来るだけ平静な顔で首を横に振った。
「いえ、最大の目的は果たせたようですから、それで良しとしましょう」
俺自身は殆ど役に立てなかったけれど、ミランダの友人だと言うハッカーの人の支援のおかげで、少なくともネット上では、警察内からの情報流出と言う線が薄まっている。
これで、マスコミの攻撃の矛先も多少は鈍るだろうから、同時にマリアンさんへの取材攻勢も緩むはずで、そう言った意味合いではこの作戦は成功したのだ。
まぁ、そういった意味では良かったんだが、問題は……。
ミランダに背を向けて駐車場の車に歩き出すと、見えないように溜息を一つ。
2ch的な掲示板に巻き起こったティーカップの中の嵐を思い返して、俺は内心頭を抱えた。
まさか、まさか、あの工作の結果スレが、「あんな可愛い子が男の子のはずないよ」派と「あんな可愛い子についてないはずないよ」派、「マァハとのカップリングに萌えるよ」派の三つ巴の宗教戦争に発展するだなんて……。
おかげ様でただでさえ盛り上がっていたのが再加熱――職人さん達もヒートアップしたのか、俺としてはあんまり見たくないブツなんかも大増殖の気配を見せている。
正直な話、できれば一生、女装美少年なんてジャンルには係わり合いになりたくなかったんだがな。
だったら見るなって言う意見もあるるだろうけどさ、見ないなら見ないで気持ち悪いんだよな。
こう、自分の見ない所で、自分から切り分けられた分身が色々されてるのって……。
俺みたいな、事件でちょっと有名になっただけの餓鬼ですらこんだけのプレッシャーに晒されてるってぇのに、よくもまぁ芸能人――特にグラビアアイドル辺り――はああやってプライバシー切り売りできるもんだ。
……きっとあの手の手合いは、俺みたいなチキンと違って心臓に毛でも生えているか、或いは想像力が爬虫類並みに退化しているに違いない。
俺は、無意味に天を仰いだりしながら、ミランダの車に蹌踉い寄ると、助手席の戸に背を付けて、ぐてっと駐車場に座り込む。
……ごめん、もうマジかなり限界。ここ二・三日、幾らなんでも色々起き過ぎ。
俺と俺とが交わってからこっち、全体的な出来事は都合が良すぎるほど都合よく動いているのにもかかわらず、その一つが起きる毎に俺の精神はざくりざくりと鑢られている気がしていた。
……も、もしやこれがかの白魔術の秘奥、存在の引き算ッ!
まぁ、いけずな作者が俺を虐めて喜んでいるだけと言う可能性もなくは無いが……再びサノバビ!サノバビ!と、いるかどうかもわからない作者に怒りの念力を送りながら、ウンコ座りでただぼうと口を開く。
アニメやら漫画やらゲームやらのネタで冗談めかしおちゃらかして、馬鹿馬鹿しく粉飾して、それで色々誤魔化して来た俺だけど、もう流石にここまで来ると溜息すら口から出なかった。
今までの脅威は、力だったり情だったりと、まぁ何とか立ち向かいようのある内容だったし、だから修行しようとか、勉強しようとか、逃げちゃ駄目だとか、恐怖から目を逸らして目先に対抗してれば何とか処理できたんだが、今度ばかりは、ねぇ……。
大体、不特定多数の好奇と、欲望の玩具にされる自分の分身なんてモンに、いったいどうやって対処すればいいんだ?
状況と情報不足から来る神秘性を打ち消せば、ネットの興味も多少は失速するのではないか――そう考えて行った行動が、自身の幻像に見出された新たな付加価値によって逆効果となってしまった以上、現状取りうる一番良い手段が、静観してやり過ごす事だ。
古人曰く、『人の噂も七十五日』
ネットと言う情報流通・集積装置の普及で、その期間は大幅に延長されたと見て良い昨今だが、それは同時に、新たな噂の種が発芽する良い土壌でもある。
だからまぁ、古人の言葉の倍にちょっと色をつけた程度の――そう、半年も――時が経てば、世間は俺の事なんか忘れてしまうはずだ。
そう、それは解っている。解っているんだが、だからこの嫌悪感が消えるかって言われたらそれは違う。
元々、幼い子供を欲望の捌け口にする者には嫌悪を抱く性質だが、現実に手を出さないのであれば、それを許容する程度の柔軟性も持っていた……つもりだったんだが、どうやら俺のそれは、自身が対象の時は硬化してしまう程度のもののようだった。
……いやまぁ、男が男に萌え萌え言われるなんて状況、よっぽどの聖人君子でもなければ耐えられないだろうけどさ。
先にその手を拒否された為躊躇しているのか、近寄れずにいるマァハと、現状受けているショックに責任を感じているらしいミランダ――追ってきた二人と車とに囲まれた中心で、俺は集まる四つの視線に俯き目を瞑って、ハァと長い息を吐いた。
実は、溜息はそんなに嫌いじゃない。
体の中の悪い物を追い出しているような、そんな実感が得られるからだ。
だから俺は長く長く、体の中の弱い所をすべて追い出す気持ちで体の中の息を吐き出し、そして新たな空気を吸い込みながら目を開く。
ノグ村と違って排ガス臭い、どこか懐かしい空気の匂いに咽掛けるがそこは御愛嬌……立ち上がって体を伸ばし、精一杯の笑顔を顔に浮かべた。
ちょっとだけ背伸びして手を延ばし、少し怯えた感じのマァハの頭をゆっくりと撫でる。
なんにしてもこれらの事態は全て自分で撒いた種なのだ。
いけずな作者に捻じ曲げられている気配をひしひしと感じ取ってはいても――いや、その認識こそが最大の逃げなのかもしれないが――刈り取るのは俺の責任なのだろう。
そんな、悟りきった様な事を自分に言い聞かせて……納得できるわけねーだろがよ。
少なくとも、セルフ突っ込み入れられるくらいには回復した俺は、そう内心喚きながらマァハの頭を撫で続け――チーと耳に届いた機械音に、黙ってこちらを見ていたミランダの方に視線を向けた。
向けた視線の先では、「マァハとの関係性に萌えるよ」派の首魁が、とろけたような笑顔でデジカメを構え、幾度もシャッターを押している。
「……ミランダ、貴方が『幼いカップルが微笑ましい』等と言い出したのは、こちらに対するフォローじゃなかったんですか?」
逆ギレ気味に沸きあがって来る怒りに、思いっきり冷たい顔と声とで睨んでやると、ミランダはなにやら微笑ましげな視線をこちらに向けて、パチリ……。
恐らくは、照れているとでも思ったのだろうが、非常に不愉快だ。
いっそもう一度オーラで脅してやるかとマァハから離れて――練使うとき近くにいたら何あるかわからんしな――もう一睨みすると、流石に本気だと判ったのかミランダもカメラを下ろす。
本気で怯み、ちょっとだけ媚びたような歪んだ笑みを浮かべるミランダと、そして、同時、自然体に立った俺の掌に絡みつき握る柔らかな掌、手首にちりと擦れるリストバンド……。
「……マァハ?」
傍らに滑り込んだマァハに、俺は驚きの声を上げ、そして気付いた。
……そう言えばマァハ、俺の練の威圧を怖れた事がない様な。
明確な『意思の志向性』を受けて多量のオーラが湧き上がっていないと言うだけで今纏っているオーラにも怒りの意思は滲んでいる。
にも関わらず、マァハは躊躇なくその中に滑り込み、その手を握った。
そして俺は、そんな彼女が手に触れるまで、それに気付けなかった。
念能力者にとって、纏は第二の皮膚のような物である。
にもかかわらず俺は、その内に滑り込む彼女に、気付けなかった。
掌に絡みつく、暖かな感触、そして、背筋に滑り込む、冷たさ。
ぎちりと、どこかで鎖が軋む、そんな音が聞こえた気がした。
「マァ、ハ?」
確かめるように、マァハを見上げる。
「?」
真夏の熱気に蕩けて行く、アスファルトの上に落ちた真っ白なアイスクリームのような笑顔で、マァハは見下ろす。
なぜだろう、俺はマァハの笑顔にそんな感想を抱いた。
背中の傷が痛む、ずきり、そして……。
「あ、あの、スルトさん?」
そして、ミランダの声。
驚いて視線を向けると、心配と恐れが入り混じったような女刑事の顔が、意外に近い場所でこちらを見ていた。
マァハが俺を取り成してくれたと、そう勘違いしたのだろう。
「その、調子に乗ってしまってすいません」
完全に、目上に対する口調でそう続けるミランダに、俺はハァと大きな溜息を吐いた。
「いえ、いいですよ。
その代わり、一つ俺の言う事を聞いていただけますか?」
背の痛みと冷たさとは共に引き、感じるのは掌の温かさのみ――そんな現状に正直ほっとして、そう答える。
「なんでしょう?」
そう尋ね返すミランダに、俺は微笑して見せた。
「……街――番地、ここに俺とマァハをおろして、こちらから連絡するか緊急事態以外には接触を取らないでください。
そうですね、午後初回の上映時間に合わせて映画館にでも入っていてもらえれば……」
都合よく、念能力者がいるとは限らない――けれど、いた場合に備えて女刑事は隔離する。
本来、マァハも預けて一人で行くつもりでいたが、こうなれば彼女も、そこに連れて行ったほうがいいだろう。
『スルト』にとって、俺をあの地に繋ぎ止めるモノの象徴と言えば、まずは両親とマァハ――あの鎖が指輪で綴られていることを考えれば、第一はマァハ――だ。
……あの指輪自体は両親の象徴なんだが、俺が繋がれるとなると、な。
ちゃりりと、首に下げられた指輪を掴み、俺は考える。
……だから、あの念がマァハに反応するのは特に不思議な事ではない。
ないのだ…と口の中でだけ呟き、俺はマァハの手を振り解いた。
・
・
・
・
それから暫く、目的地を目指す間の時間は酷くもどかしく、そして、過ぎ去ってしまえばほんの瞬く間だった。
無言で俺を追うマァハが、ちゃんと付いて来ているか確認すら労すらを厭い、街路の表示を追って街を彷徨う。
……いや、本当に無言だったのだろうか?
少なくとも、スルトの記憶の中のマァハは、ここまで無機質ではなかったように思う。
無言で追ってきたと記憶しているのは、焦っていたが為にマァハの呼びかけに気付けなかっただけなのか?
……或いはマァハは本当に、ただ黙って付き従っていたのだろうか?
幾ら頭を捻っても、その道行で俺が覚えていた彼女の姿は唯一つ――古びた雑居ビルの二階に目的地見出した俺が、ようやく道連れを思い出して振り返ったその視線を受けて、マァハが嬉しそうに笑い返した、その笑顔だけだった。
「ついた?」
「ああ……わるかった」
尋ねかけるマァハにまずそう謝罪したのは、彼女が先に想像してしまった様な、無機質な、昆虫めいた存在だと信じたくなかったからだろうか?
「……ん?」
けれど、マァハはまるで、その言葉が理解できないと言うように、困ったように小首を傾げ……その姿を目の当たりにした、俺の背筋を強い震えが走った。
それを目の当たりにしたからだろうか――歩み寄り、腰を屈め視線を合わせていた少女の、表情が始めて曇る。
「……大丈夫」
そう言いながら伸ばされたマァハの両手が、その掌が、指が俺の手指に絡みつく。
傍から見れば、微笑ましい光景なのだろう。
少女らしい、すらりとした柔らかな手指の、絡みつくその感触がしかし、俺には強固な鎖の様に感じられた。
見た目だけは限りなく優美な、黄金の指輪を連ねたような……。
そう、冒険に憧れた少年の心を、影の国に繋ぎとめるような、どこまでも美しい、黄金の。
「私が、一緒に、いる」
俺のすぐ目の前に、そう宣言するマァハの、黄金のような笑顔があった。
いる、ではない、ある。
それを目の当たりにした俺の頭の中に、最初に浮かんだ像は、等身大の蟷螂がその鎌を首筋に当て、目の前でその大顎をがちりがちりと動かしている、そんな幻だ。
感情の揺らぎも無くただ首を刈り取る昆虫の、その機能美に満ちた煌きの様に、柔らかく輝きに満ち、そして、何よりも重く安定して揺ぎ無い、黄金。
霜が張り付いたような冷たさを全身に感じたまま、俺は痺れた様に動けずにいた。
一体いつから、マァハは『こう』なったのだろう?
スルトの持つ恐怖がマァハに投影されている可能性は否めない。
けれど例えば、ジョネスと戦ったあの時に、マリアンさんを取り押さえて笑った、マァハ……。
スルトが自分の影に怯えているだけとするには、彼女の言動は奇矯にすぎた。
逃げ出したい、この手を振り払いたい、振り解けない、体が動かない。
だから……
アイツは、『犬系幼馴染キャラは萌える』とか言ってたけど、現実に目の当たりにすると、なんつーか、その。
だから『俺』は顔を俯け目を瞑って、向こう側の事を思い返した。
『……Be Cool、Be Cool』
そして、心の中で呪文を唱える。
『オーケィ、まずは落ち着こう、素数でも数えるんだ』
心を、晴信に引き戻す為に、スルトから引き剥がす為に……。
向こう側の創作物から引き剥いで集めた、くだらない自己暗示を、唱える。
自分は晴信だと、そう自分に言い聞かせて――それでも鉛のように重い体を、『晴信』はようやく動かしていた。
目を開くと、目前には柔らかく綻ぶマァハの笑顔。
昆虫の形をした恐怖も、黄金の幻像も、そこには無く、しかし……。
やっぱ、殆どホラー、だよな。
綺麗な分、なんか凄みがあって怖ぇ……。
そう思って、俺は彼女の手を解き、その体からを身を離す。
目を開いた俺を見て、マァハがちょっと目を閉じかけたり、唇をすぼめたりした気もするが、きっと気のせいだ。
美味そうだと、一瞬目を奪われたのも……。
つーか、マァハさん? どうしてあの場で、キス待ちの体勢に入るですか?
スルトが、それも街中で、そういうスキンシップ取らない事は理解しているでしょうに?
しかも、それを回避されたのにも拘らず、表情的には変わらず柔らかく微笑んでいる辺り、俺にはマァハが何を考えているのかが真面目にさっぱり判らない。
ただ、マァハの精神状態が正常とはいえないだろう事だけはこの上なく理解できて、俺は顔を歪めずにはいられなかった。
「……?」
その原因が自分であると理解できていないのだろう、マァハはそんな俺を心配そうに眺める。
可愛らしく小首を傾げ、何処か小動物の様な、しかし、以前の彼女とは異なり怯えを纏わないその姿を、俺はそれが異常だと悟っていてもなお、愛らしく感じずにはいられなかった。
『結局、晴信もスルトも同じ俺って事かね』
……或いは、それだけ融合が進んでいると言う事か?
今の俺の思考は晴信ベースが多く、『家族』や『隣人』関連の事を考えていると徐々にスルトの感情が浮き上がってくると言った状態だが、肉体は一つである為、片方が抱いた情や思考、それに対する肉体的な反応なんかは両者が共有している。
故に、晴信が、マァハを見てスルトに似た感想を抱くのは、そう奇妙なことではなかった。
何れはその継ぎ目も判らなくなるんだろうな……まぁ、ベースは『晴信』みたいだが。
そう、晴信は『晴信+スルト』の状態と、『スルト』の感情とを客観する。
真実、それがどうであるかなどが、知識も経験も足りない今の俺に理解できる筈も無い。
だが、そういってそれっぽい理屈を捏ね繰り回して状況を落とし込む事で、目の前にある恐怖から気をそらせたし、少々の安堵を得る事もできた。
それを頼りに、目の前のマァハから視線を外し、傍らにあるビルの二階を見上げる。
心源流拳法、ザパン支部。
俺の知る限りにおいてH×H世界で唯一、組織的に念能力者の育成を行う組織。
その師範がハンター協会会長にして現役最強のハンター、師範代が裏ハンター試験の試験管を勤める等、ハンター協会との関わりも深く、念能力に関するノウハウではH×H世界でも上位にあるだろうと推測される。
ここが足がかりになってくれるといいんだが……。
そう、声には出さず呟きながら、ビルの入り口へと視線を向けた。
練習時間はネットで確認済――定期練習は毎日午後五時から七時だが、それ以外の時間も道場は門下生に開放している。
道場を開放できると言う事は、つまり、道場の管理者がそこに常駐していると言う事だ。
道場主が道場だけで生計を立てる事は、今も昔も難しい。
昼間もそれを開放できている以上、道場主はある程度の資産家か、でなければ、この道場でなんらかの業務を請け負っていると言う事になるだろう。
……勝率は決して低くない。
俺はそう結論付け、一つ、深呼吸――何の変哲も無い、古びた雑居ビルの扉を開いた。
「マァハ、これから良いと言うまで、決して俺の傍には寄るな」
そう振り返りもせずマァハに告げると、微かに目を閉じ、鳩尾の辺りを回転する金環を幻視する。
……錬!
砕けた黄金の雫が全身から飛び出し、体に絡みつく。
些か乱暴な方法ではあるが、心源流は念能力者の団体としては極めて穏健――他の団体がアグレッシブすぎると言う説もあるが――であるし、正面から扉を叩けば問答無用で殺される事は無いと思いたい。
それに、念能力者を見分けるならこれが一番楽だろうし……。
そんな事を思いながら、俺は全身に緩々と絡みつくオーラを、凝で目の辺りに集中した。
絡むオーラの感触が和らぎ、その反面、目の辺りに細く冷たい金鎖が幾重にも巻きつけられたような、そんな締め付けを感じる。
結構、キツイ、な……。
今までも、練や流の訓練時にオーラに体を圧迫される様な感覚を受けた事はあるが、これほど強いモノは初めてだった。
グゥ…と俯き、歯噛みしてその痛みに耐え、俺は体がその感覚に慣れるのを待つ。
堅の状態で流を使用しているのだから、通常以上の圧迫感を受けるのは道理――だが、その訓練自体は、今までも幾度と無く行ってきていた。
ジョネスとの戦いで、一皮剥けたって事かな……。
そんな事を思いつつ、オーラを収束させた瞳で、握り締めた拳を眺める。
『錬』で押し広げられている筈のオーラの領域は、通常時のそれとなんら代わりの無い範囲に収まり、内圧で力強さを増したオーラは、金の燐光を放っているかのように見えた。
色々試して判った事だが、他の多くのエネルギーと同様に、オーラも密度が増せば力が強まる。
ネテロ会長の練の描写で、針の様に練磨されたオーラと言う表現があったが、おそらくあれは、それだけ強く圧縮されたオーラと言う事なのだろう。
自分の纏がそこまで達しているなどと自惚れる心算は無いが、通常のそれを気流とするなら、鎖に例えられる程度には強くなっているのではないか、そんな風に感じた。
……肉体の強さとその内圧とのギャップで、逆に面倒な事になってるけどな。
金の燐光を纏う右拳と、その中指に嵌められた一つの指輪……それを眺めながら、俺はそんな事を考える。
そして、ふと違和感を感じた。
握った拳を開き、首元の銀鎖に手を当てる。
そこにある指輪の感触を指で確かめると、俺はそのまま下ろした掌を眺めた。
その右中指に嵌められた、金の円環を……。
そう言えば、この指輪、何の能力も設定してない筈だけど……。
ジョネスとの戦いで発現して以降、その感触を身に刻み込む為にと着け続け、何の変化も感じられなかった事もあって存在すら忘れかけていた具現化物……だが、結びつける、縛り付けると言った指輪の持つイメージと、蝶を引き寄せたあの水見式の結果を重ね合わせれば、有り得ない話ではなかった。
……まさかこの指輪が、俺の纏を強化しているのか?
いや、卵が先か、鶏が先か?
某魔術使いではないけれど、或いは、この指輪の能力の余波こそが、俺の常時纏い続ける強い『纏』なのかもしれない。
俺は、ごくり、一つ息を飲み、黄金の円環を左手で摘んだ。
そして、それをそろそろと抜きかけ……既の所で、戻す。
仮に、指輪の効果が纏を強化するモノとして、どのような制約が課せられているか判らないものを、今の様な状況に解いてしまうのは明らかな短慮だ。
最低でも、ノグ村に帰ってから安全なところで、理想的には、念の師を手に入れてから、その目の前で……。
……どちらにせよ、今は駄目だ。
俺は、そう好奇心と現実逃避とを断ち切ると、開け放してある入り口のガラス戸を潜った。
極普通の、古びた四階建ての雑居ビル。
その階段を上り、三階へ……。
「すいませ~ん」
心源流拳法、ザパン支部、道場――そう大書きされた両開きのガラス戸の手前で足を止め、中へ向けて声をかける。
どうやら今の時間、練習中の門下生はいないらしい。
ガラス戸の向こう、覗く道場は人気無く……しかし、戸が開け放たれている以上誰かは居るのだろうと、続けて呼ばう事、四度。
がたん、あるいは、ごとん。
奥の方で、人の載った椅子が倒れるような音、それに慌てたような足音が続く。
「いやぁ、すいません。
つい居眠りをしてしまいましてね」
そう言って現れたのは、ウェストからシャツをはみ出させた、糸目に眼鏡をかけた寝癖の兄さんだった。
髪形こそ違うが、この人はまさか……。
「はじめまして、私はこの心源流拳法ザパン支部道場を預からせていただいております。
指導員のウィングと申します。
今日は、わが道場へどのようなご用件でしょうか?」
……ま、まさかの原作キャラ登場……。
俺は、かくんと大きく口を開くと、直ぐに表情を引き締めて目の前の青年を眺めた。
普通に話しているように見えるが、目の前のウイングも纏状態で額に汗した、バリバリの戦闘体勢である。
俺みたいな子供に丁寧語なのも、多分、見た目通りの年齢じゃないのを警戒してるのだろうしなー。
背後に控えるマァハは、見た目高校生くらいに見えるし、それに、ウイングさんの師匠はあのビスケなのだ。
その上、自身と指輪と能力特性から堅を纏の様に維持している今の俺の姿は、鎖の様に圧縮された大量のオーラを纏った少年が、目にオーラを収束させて彼に警戒を向けている様に見えるだろう。
そんな奇妙な子供に対し、彼が警戒を返すのは当然の事だった。
「いえ、こちらこそ稽古時間でもないのに、突然すいません。
僕の名は、スルト・マクシェイ。
こちらは僕の友達で……」
だから…と、俺は笑顔を作って軽く頭を下げると、背後のマァハに身振りで促す。
「マァハ・クラン、です」
そういってペコリ頭を下げたマァハの、頭が再び上がるのを待って、ウイングさんにこう尋ねる。
「あの、不躾な事を尋ねるようですが、普通、支部道場を預かるのは師範、ですよね。
先ほどウイングさんは、指導員、と名乗っておられましたが?」
俺が、彼の姿を目の当たりにした時に見せた驚きを転嫁する為――というのは半分大義名分で、前々からネテロ会長がただ師範と称されている事が気になっていたのだ。
「ええ、そのようですね。
確かに普通、一定位に達した弟子が現れた時点でその者を師範とし、師範は開祖、流祖、筆頭・主席・最高師範等と格上げされるものなのですが、我が心源流には、お恥ずかしい話なのですが、未だ師範の技を十全に受け継いだ者が一人も居ないのです。
そこで、他流では最高師範とされている位階を師範、役付きの師範に当たるものを師範代、師範を指導員、その下で指導に当たる、所謂指導員を指導員補と、そう呼び慣わしています。
私は名目上は指導員ですが、他流では師範に当たる立場だとご理解ください」
察するに、武術と念能力を一定レベルまで収め、指導を習い始めたものが指導員補、指導を任せられるようになったものが指導員、念の指導を行える経験と能力を備えたものが師範代、で、その上が人の極なネテロ師範、と言う組織構造なのだろう。
そして、各地で道場を任されている指導員が念の素養の高い者を見つけると、本部に連絡して師範代が派遣される、と……。
「なるほど、丁寧なご説明、ありがとうございます。
ところで話は変わるのですが……」
俺は納得したようにそう頷くと、両手を合わせて纏を繋いだ。
「……これ、見えてますよね?」
そう言って、離す。
同時、頭の中に幻像を浮かべ、纏を操作――合わさっていた五指の頭の間に、線の様なオーラを張った。
念の糸、いや、太さ的には細めの綱か?
やはり俺は、具現化か変化系に属する特質能力者らしく、こう言った念の操作は割合楽に出来るようになった。
ただ、オーラを体から離すのは、押さえつける能力が強すぎる為か相当に不得手らしく、指先に数字を出すどころか、数字を出すためのオーラを指先に集める段階すら未だにクリアできない。
こうして、纏を繋いで引き伸ばした上で、伸ばした物を操作するのは割合簡単なのだけれど……って、高望みしすぎだな。
なんと言うか、気分的には既に一年以上経っている様な雰囲気なのだが、実際には、俺がこの状態になってから未だ半月も経っていないのだ。
才能的には、チート主人公レベルと言っても過言ではない。
そんな事を考えつつも張った糸を上下に動かすと、否定しても意味が無いと考えたのか? ウイングさんは、はいと首を縦に振って見せた。
こちらを警戒しなければならない現状、こういった事をすれば出したオーラにある程度注意を払わずには得ない。
相手が否定した場合、その視線の動きを指摘しようと考えていたのだが、それは流石に穿ち過ぎな様だった。
そもそも、相手が念能力者とわかった時点で、向こうに自分がその技術を持っている事を隠す必要は無い。
「なるほど、やはりそうでしたか」
俺は、ホッとした様に息を吐くと、ウイングさんに向けて頷き返して見せた。
「……実は僕、先日崖から落ちて九死に一生を得まして、その時以来、自分の周囲にこう言った物が見えるようになりました」
そして、そう言いながら、指と指とを繋ぐ線を引き伸ばし、切断する。
オーラが流れ出さないように断面の纏を強化しつつ、指の先へと収縮させて行った。
「それから色々試してみて、これが自分の妄想の類ではないと言う事は納得できたのですが、その、僕が崖から落ちた経緯や生還、その時受けた傷からの回復の過程等に幾つも奇妙な事があって……」
顔を伏せて視線を落とし、綱を完全に吸収した掌を、握って、開く。
「もしや、崖から落ちた原因や『力』を使えるようになった理由に、この『力』を持つ誰かが関わっているのではないか……そう思って色々と試行錯誤している時に、偶然、ハンター協会会長選挙関連のニュースを見たんです」
そう言って顔を上げた俺を、ウイングさんは注視していた。
その顔に浮かぶ表情は、微妙な緊張を孕んだ、『微笑』――いや、先ほどと比べ微妙に目が見開かれているか?
原作では、ゴン達の事を考えて熱くなっている時の表情……なんだが、実際に目の当たりにするとかなり怖ぇな。
そんなウイングさんの心情を映してか、そのオーラも先と比べかなり強まっている。
しかし、これだと俺は兎も角、マァハはかなり辛いな……。
そう思い、俺は肩越しに背後を見ると、ウイングさんの視線からマァハを遮るように微妙に立ち居地をずらした。
「……マァハ、辛かったら下で待っていてもいいぞ?」
小声でそう声をかけると、マァハはそんな俺を見て嬉しそうに笑う。
気遣った様子も無い、自然な声と表情……。
「大丈夫、ありがとう、ルト」
小声でそう返すマァハに、俺は驚き半ば、安堵と納得が半ばと言った表情で頷き返した。
そうして再び視線を向けると、ウイングさんは気配を緩めて軽く俺たちに頭を下げる。
「……いや、すいません。
それで、貴女は、心源流の事を知った、と?」
バツが悪そうに頭を掻きながらそう答えるウイングさんに、俺は『はい』と頷いた
「ネテロ師範のソレは、見紛い様が無い程に普通の人のモノとは異なっていましたから……それで、もしかしたら心源流にはこの『力』を扱うノウハウを持っているのではないかと考えたんです。
それで心源流について調べてみた所、どうやら、俺と同じ力を扱える人が複数在籍しているらしい事と、このザパン市に支部があることがわかりました。
ちょうど僕は、四月からザパン市にある私立中学に進学するので、もし訪ねてみて、この『力』に……どうかなさいましたか?」
そしてそう説明を続け……る途中、ぽかんと大きく口を開けて呆気にとられているウイングさんに気付き、尋ねる。
「いえ、不躾な事をお聞きするようですが、貴女はお幾つですか?」
「……?
僕もマァハも十二ですが」
返ってきた問いかけに首を傾げつつ答えると、ウイングさんは今度は目をぱちくりさせながら、俺とマァハとを見比べた。
「いえ、随分話し方が大人びているようでしたので、少しばかり驚きました。
……しかし、そうなると貴女が崖から落ちたと言うのは?」
そう、苦笑しながら尋ねるウイングさんに、俺もまた苦笑を返しながら口を開く。
「そうですね、かれこれ……十三日前になりますか?」
落ちた次の日に目覚め、それから十一日目がマァハの試験日、今日はその翌日だから、日付的には十三日目だ。
経過時間なら、大凡十二日弱、と言ったところだろうか?
「ん、十一日と、十四時間、四十七分、五十二」
振り返りつつ指折り数えると、マァハが頷き俺の言葉を補足する。
それを確認――向き直ると、ウイングさんはその眉根を微かに寄せ、鋭い目つきで俺を見据えていた。
何か、心当たりでもあるのか?
「……本当に十二日、なのですか?」
そう念を押す青年に俺は『はい』と頷き……その直後に漸く、ウイングさんが何を不審に思っているのかに気付けた。
……そう言えば、たった十二日でこの練度って無いよな。
俺の場合、纏の維持に全く神経を使わないアドバンテージと、原作主人公達のチート成長能力の記憶があるので、それほど気にしていなかったが、覚えが悪かったらしいウイングさんにしてみれば、有り得ない成長速度だろう。
とは言え、念について何も知らない筈の俺が、そんな事に気付く筈も無いわけで……。
「何か心当たりでもおありですか?」
俺は、そう尋ねて場を取り繕う事にした。
先のウイングさんの発言内容なら、『十二日前に何かがあった』と取れなくも無い。
「い、いえ、そういうわけではありません、が……」
原作通りの性格なのだろう――困ったように眉根を寄せると、ウイングさんはその視線を俺から逸らした。
そのしぐさに、俺への猜疑を感じるのは、俺の思い込みだろうか?
俺の言動は、確かに年相応とは言えないし、その念能力も目覚めて十二日と証する発言内容にはそぐわないモノだ。
警戒されるのは仕方ない……が、時間制限のある現状、余り嬉しくも無い。
……ここは、一旦引くべきか?
俺たちには、探られていたい裏なんか、何一つ無いのだ。
こちらの個人情報を与えて引いて、後は引っ越した後で再訪問したほうがいいかもしれない。
バタンッ。
強く扉を開くその音が聞こえたのは、俺がそんな事を思った丁度その瞬間だった。
それに足音を挟んで、あの入り口の古びたガラス戸に、これは不味いのではないかと思うくらい乱暴な、戸閉めの音が続く。
「あっ…」
その音を聞き、ウイングさんは何かを思い出したようにその目を見開いた。
来客の予定でも忘れていたのだろうか?
半ば焦ったような表情で青年が階段に顔を向け、何かを口に出すその前に、この三階にまで階段を駆け上がる強い靴音が届く。
……このまま話を続けるのは無理か。
どうやら、どうあっても一度、仕切りなおさなければならないようだ。
俺は、念の為にとウイングさんを眺めながら、階段から聞こえる足音に耳を済ませた。
強い足音だが、音は余り重くない。
ズシ……ではないだろうけど、子供には違いないのかな?
どちらにせよ、この勢いでは、道を開けておかないと追突されそうだ。
階段から入り口前のウイングさんへの道を開けて壁際に下がると、空かさず続いたマァハが俺の身に触れないように傍らへと寄り添う。
この狭い空間で道を開けるにはそうするしかないと言うのは判るが、幾らなんでも自分の欲望に忠実すぎやしませんか?
「せんせい、せんせい、せんせ~いッ!」
……階段を猛速で駆け上がって来たランドセルの少年が、そう叫びながらウイングさんに衝突したのは、俺がそんな感想を頭に浮かべたその直後の事だった。
階段を駆け登る少年が、入り口に立つウイングさんと俺達に気付き、足を止めようとして最上段の滑り止めに爪先を取られる。
そんな彼を受け止めようと、ウイングさんは纏ったオーラを移動させつつ前進、少年の体をその両腕に納めた。
単純に、一般人を戦闘レベルのオーラに触れさせるのは不味いのか、或いは、俺たちへの不信を捨てきれなかったと言う事か?
目にも留まらぬような文字通りの『流』の後、俺達の前に現れたのは、抱きとめた少年を全身で守り、背面を有り丈のオーラで鎧った、亀の様な姿のウイングさんだった。
『たった十二日で、これだけ能力』――やはり、俺は心の何処かでスルトの体の才能に慢心し、念を甘く見始めていたのだろう。
どうやら俺の心は、目の前のウイングさんの姿に、かなりの衝撃を感じているようだった。
ただ愚直に、基本を伸ばし続けた強化系とはこういうものなのか。
それほどまでに自然且つ、速く滑らかな流。
小手先の才能ではどうにもならない、積み重ねられた時間こそがそこにはあった。
ただの練が堅となり、ただオーラを動かすだけで流となる――纏の力が強いと言う単純極まりない、だからこそ侵し難い能力の存在とそれを生かした強引な力技に、浮かれていた自分が嫌になる。
ただでさえ俺は、基礎体力が足りない、戦闘技術がない、学業も疎かには出来ない。
恐らくは、変化系と具現化系の狭間にあるだろう属性系統と、纏が強いと言う能力系統も決して合っているとは言えない。
浮かれている時間等無かった筈なのに、ソレは自覚していた筈なのに、いつの間にか自分は余裕を持っていたようだ。
そして、俺がそんな事を考えている間に、ウイングさんは少年の体を離すと、自分の目の前に立たせる。
「……ライカ、君は女の子なのだから、もう少し落ち着きを持ちなさいと、何度も話した筈なのですがね。
それに、いくら解体屋事件で学校が半科になっているからと言って、練習時間以外に道場に来てはいけませんよ。
一体何処で解体屋に出くわすかわからないのですから、ちゃんと行き帰り、親御さんに車で送ってもらいなさい」
ここまで走ってきたからだろうか?
そう言って諭し始めたウイングさんの声を、少年――もとい、少女――は、当初額に汗し、微かに上気した顔でただ見上げていたが、その言葉がジョネスに至ると、得意そうにふふんとその薄い胸を張って見せた。
「あ、やっぱり先生知らなかったんだ?
解体屋『ジョネス』はもう捕まったんだよ。
明日からは学校も、普通に戻るってさ。
今日はまだ昼までだし解体屋も捕まったから、学校から真っ直ぐ道場に来たんだけど……」
そう言って、期待するように目の前の青年を見上げた少女に、ウイングさんは困ったように息を吐く。
「喩えそうだとしても、学校からの寄り道は余り誉められたものではありませんよ。
それに、今はお客さんもいらっしゃっています。
ライカは一度家に荷物を置いてから、もう一度道場に来てもらえますか?
そうしたら、練習を見てあげましょう」
そう告げるウイングさんに、ライカさんは不満げに唇を尖らせた。
「……お客さんって、小学生じゃん」
自分もそうだろうに――いや、だからか?――ライカさんは納得できないと言う風に、壁際に立つ俺の方に視線を向ける。
「……え?」
そして、そんな彼女の目が俺の顔を捕らえた瞬間、大きく丸く見開かれた。
「まさか、スルトちゃん?」
心底驚いたと言うように顔をマジマジと眺めてくる少女に、俺は正直、困惑して首を傾げる。
「ええ、確かに僕の名はスルトですが……」
しかし自分には、ザパン市に住む小学生の知人などいなかったはずなのだが?
試しにとマァハの方へ視線を向けると、彼女も知らないと言うように首を横に振る。
「ライカ、こちらのスルトさんを知っているのですか?」
そんな俺たちの疑問を代弁するように、ウイングさんがライカさんにそう尋ね……少女はエヘンと、二度その薄い胸を一杯に張って見せた。
「ご存知、ないのですか!?
彼女こそ、ザパン史上最悪の連続殺人鬼を蹴り倒し、天空闘技場参戦を期待されている武闘派幼女、スルトちゃんです!」
そう、なぜか誇らしげに告げるライカに、一瞬、場を沈黙が走る。
……確かソレ、武闘派幼女の天空闘技場参戦を祈願するスレのテンプレじゃなかったっけ?
確か、変なサングラスをかけたおっさんのAAが、そんな言葉を発していた筈――
「……だっ、誰が…」
白い空隙が真っ赤に染まる。
我知らず噛み締めていた歯列の狭間からは、そんな呟きが漏れ出ていた。
オーバー・フロウ。
空隙に、意識に蓋されていたモノが流れ込み、それを広げ、溢れる。
「…誰が幼女だ! 僕はッ、僕は男だッ!」
そして気付いた時、俺はそう叫んでいた。
同時、元より堅の状態にあった全身の精孔から、怒りの余りに大量のオーラが溢れ出し、強力すぎる纏に押さえ込まれたそれが、全身を強く締め付ける。
そのオーラの圧力に、凝をしていた両眼が悲鳴を上げた。
思わず瞑った両の目尻から、止め処なく零れる涙の雫――痛みに我に返って慌てて凝を解いたが、それでも眼球に冷たい鎖を押し当てているような、そんな鈍痛は消える事がない。
……もしかすると、この痛みは『制約/誓約』なのだろうか?
ふわりと触れる、暖かさ――声もなく触れた寄り添うマァハの息遣いに、体を締め上げられる痛みが微かに退いた気がして、俺はハァと息を吐いた。
本編の描写と比して余りに異常な状況に、再び奥歯を噛み締めつつ目を開く。
リノリウムの床にへたり込んだ少女が怯えを含んだ目で見上げ、そんな彼女を半ば背で守るように――しかし、驚いたような、呆気に取られたような顔で――ウイングさんが俺に正対していた。
丁度、互いに少女を庇い睨み合うような格好、一種の、男子の本懐って奴か、冗談めかせてそんな事を思い精神を切り替える。
……Be Cool、Be Cool。
オーケィ、まずは落ち着こう、素数でも数えるんだ。
何時もの、多分世界で一番陳腐な呪文を唱えて、一つ嘆息。
「……すいません、思わず我を忘れてしまいました」
そう言って、目の前の二人に無理矢理微笑んで見せると、へたり込んだライカさんの喉から、ひぃと、怯えたような、慌てたような、そんな音が漏れた。
大人でも怯える、念の威圧だ。
ライカさんのような極普通の少女には、些か以上にきつい仕打ちだっただろう。
そう思って俺はマァハを一瞥、仕草で促して体を放させると、ライカさんから見てウイングさんの陰に入るように体をずらした。
既に纏ってしまったオーラを緩める事は自身にも出来ないが、自制を取り戻した事で少しはその刺々しさも緩んでいる。
「……あっ」
加え、ウイングさんのソレが盾になるように位置をずらせば、ライカも少しは楽になる筈――そう考えて動いたのと、少女の安堵したような、放心したような、しかし絶望的な声が漏れるのとは、ほぼ同時の事だった。
ちょろちょろと、水が漏れるような音が足元から漏れて、俺は睨み合う格好になったウイングさんと思わず顔を見合わせると、視線をほぼ同時に落とす。
「あぁぁぁ……」
四つの視線の先で――と言うのも、マァハの視線はずっと、俺に据えられたまま動いていないからなのだが――座り込み呆けた表情を浮かべるライカさんの顔が、濃い朱に染まった。
「マァハ……悪いけど、ライカさんの面倒を頼む。
ウイングさん、ここ、シャワーとか洗濯機とか着替えとかってありますかね?」
まだ幼いとは言え、流石に少女のあんな姿を凝視するのは不味い。
液体に続いて嗚咽を漏らし始めていたライカさんから一瞬で視線を逸らすと、マァハとウイングさんとに交互に視線を向けた。
「うん」
何が嬉しいのか、マァハはにこり笑ってそう応え、
「下着は兎も角、ライカの鞄の中に、道着があると思います。
奥の私の部屋には、タオルとシャワーがありますから……その、お願いできますか?」
続いて、すっかり毒気が抜けた様な困り顔で、ウイングさんが頭を下げる。
「……ふぅえぇぇぇぇぇぇぇぇ……」
そして、そんな三人の視界の外で、少女はただずっとすすり泣いていた。