太陽が地平の彼方へ消えようとしている。
まだ時間はあるものの、大地を燃やすその光に、俺はまた心を奪われる。
この光景を何度見ても飽きる事はないというのだから、この倦怠感の制御が出来る能力は、実は何にもまして代えがたい能力なのではないかと思う。
「へぇー、じゃあお前は色々な奇跡を起こすことが出来るんだ」
「奇跡って言い方は大げさだと思いますが、考え方としては……間違っていないかと思います」
今、俺の前には、洩矢 諏訪子が―――違うな。
勇丸に乗った諏訪子様が先行していた。
『他の民への配慮もあるから、様はつけてね』ってことだったので、何となく諏訪子様、と呼ぶことにした。
装備中の【不可侵】と【鏡のローブ】を解除する。
その時に気づいたのだが、この【鏡のローブ】、俺が【アンタッチャブル】になるのであって、【鏡のローブ】が【被覆】になるのではない。
よって、精神攻撃とかなら効果を発揮しそうなのだが、よくある雷とか炎とか氷とか、生身の部分で対処しないとローブに当たるのだ。
しかも名前の通り全面鏡なもんだから、恐ろしく耐久性が悪い。……動いた時に何かに当たったのだが、パキンと嫌な音がした時は中々に焦ったのですよ。
しょっぱなから選択肢間違えてんじゃん俺、と次に生かせる教訓を学べた事に感謝した。
そんな中、『日も暮れそうなので私の国に来ないか』って話になったので、尽きぬ興味に動かされ、帰宅する彼女のご同伴をしているというわけだったのが……。
「乗りたい」
そうストレートに言われたのは、2人と1匹で少し歩いていた時。
諏訪子様の後ろ―――俺の前に居た勇丸を指差して、そうのたまってくれた。
連続召喚で疲労感MAXのダレダレな俺に何言ってくれちゃってんのこの神様。
(なんてこった! 俺だって乗ってみたいのに! 重いから乗ったらきついだろうなぁ。とか思ってやらなかったんだぞ!)
俺より先に乗るのは許せん! けど祟られてもイヤだしなぁ。
……そうだ、遠まわしに勇丸に拒否させてみよう。
「私には何とも……。一応、勇丸に尋ねてみませんと」
「あ、それなら、お前が良いなら構わないって言われたよ」
勇丸ぅうう!?
既に根回しが済んでいたとは知らず、最後の一押しをしてしまった自分を責める。
というか諏訪子様、動物と話せるんですね。
しかも話す姿を見ていないことから、念話じゃないかと推測できる。
ホント神様って何でもありね。
こっちは召喚者だからってチートな理由で意思の疎通ができるだけってのに。
まぁ思考が読まれていないだけ良しとしよう。
リーディング機能なんて備わってる日にゃぁ恥ずかしくてお天道様の下を歩けません。
理由?
エロいこと考えられないからだよ!
……さとりさんに出会ったら詰むな、俺。
「ってことだから、えっと、勇丸。宜しくね?」
不安そうに声をかけた諏訪子様に反応して、勇丸は体を寝かし、伏せの状態になる。
乗れ、ってことなんだろう。
行動だけで察することが出来る。
「ありがと。えへへ~、よ、っと、っと。お、お。……おぉ~、ふかふかだぁ」
少しギクシャクしながら、勇丸に諏訪子様は跨った。
それを確認した後、その忠犬はゆっくりと四肢を伸ばす。
一気に視界が高くなり、俺と同じくらいになると、諏訪子様は満足そうに顔に笑みを作った。
うぅ、良いなぁ、ふかふか。
犬に跨る女の子ってのも可愛いと思うが、今の俺は“もふもふ>女の子”だ。興味の対象が違う。
「よしよし。それじゃあ私の国へしゅっぱ~つ!」
明るく宣言しながら片手を挙げるその姿は、年相応の女の子に見えた。
それが、大体一時間くらい前の出来事だろうか。
眺める先には、幾つかの白煙の筋が見える。
その下には木で作られた家と、かやぶきで作られているであろう、藁の家リアル版が多数点在していた。
(おー、田舎へ泊まろう(番組名)、なんて目じゃない田舎だな)
感想がずれているとは思うが、なにぶん仕方のないことなのだ。
俺は、生前はコンクリートジャングルから1度も出たことのなかった。
あったとしても、それは模造品。
テーマパークやアミューズメント施設の一区画でしかなかった。
ゆえにこの光景は、テレビやスクリーンの中だけの―――言ってみれば、幻想の景色そのものであったのだ。
(そういやこの時代ってトイレは汲み取り式か? じゃあやっぱ手とかでケツ拭くのか? そもそもトイレなんてあるのか?)
少し下品な思考だが、今後の大切なことだ。
そう思って便意に気を集中してみるも、よくよく考えると、まだ1度も、尿意すら感じていない。
(まさか空気とか主食にしてると出るもんは出ない、と?)
この生理現象は人間とは切れない間柄の1つである。
そこまで考えると、目の前にいる1匹と1神にそれを当てはめようとするが………。
(やめとこう、今俺は自ら墓穴を掘りにいっている)
嫌な予感がとまらず、断念。
ため息を一つついて、視線を上げる。
すると大分国の近くまで来ていたようで、柵のような囲いが周囲に広がっていた。
恐らく、国(村?)を1周している………のだろう。
一部に隙間が開いているので、あそこが出入り口なのだろう。
もののけ姫で見たなと何となく思っていると、門と思われる出入り口の前で、諏訪子様が、ぴょんと勇丸から飛び降りて、俺の目の前に立った。
まるでとおせんぼをするように道を塞ぎ、こちらの顔をじっと見つめられた。
「人間、まだお前には名が無いと言ったね」
「ん、ですね。……こっちに来る前にはあったんですけど、その名は置いてきました。本当は出発前に決めておこうと思ったんですけど……」
「それじゃあこれから名が決まるまで、ずっと私は『お前』とか『人間』なんて呼ばなきゃいけない。私の国に入るんだ。他人との関係を築くのに無名じゃあちと難儀だろう。で、だ。ここは、一つ私がお前に名を送ろうと思うんだが、どうかな?」
突然のサプライズに、思わず目が点になる。
「……え? ……これといった案もなかったんで、こっちとしては願ったり叶ったりですけど、良いんですか?」
「なになに。私は神様。民の願いを叶えるのが仕事の1つだよ。入国祝いだとでも思って受け取ってくれると私は嬉しいな」
そう言ってニコリと笑う彼女を見て、どこか胸が締め付けられるような、それでいて暖かくなるような思いが広がる。
何が琴線に触れたのか分からないが、思わず涙が溢れそうになった。
(神様とか関係ねぇ。……諏訪子様、めっちゃ良い人や)
言葉では表せない感情が心を占めて、それでも足りずに、その感情は涙となって溢れ出そうとしている。効果音としてはウルウルって感じで。
けれど、俺の心がそんな涙する俺を恥ずかしいと思い、必死にそれを堪える。
神様とはいえ、こんな幼い女の子の前で涙するのは、男としてのプライドが許さないようだ。
「それじゃあ、お願いします。カッコイイ名前にして下さいね」
「どうだろうね。ただ、私は似合っていると思うよ」
「そのお言葉だけで充分です。―――洩矢 諏訪子様、俺に、名前を下さい」
カッコつけようと思っても俺には無理があって。
ならばと気持ちを素直に言葉にする。
これから一生付き合っていくものなのだ。
しかも、それが日本有数の神様からの賜りものだってんなら、気に入らないことはないだろう。
ニコニコしていた彼女の顔は、笑顔のままで、けれど、とても真剣なものになる。
威圧感とはまた違った………神気とでも言えばいいのか。
崇め、奉る存在だと思わせるオーラが滲み出ていた。
「―――お前は私が見てきた中でも、さらに特別な奇跡を扱う。
それは、神々の中ですら異様と呼べるものだ。
鳥の、鳥でも人でもない者の、狗の―――様々なものの呼び子。
まるで万物を生み出すかの如くその力を駆使するお前は、人間でありながら、まるで幾人もの生命を統べる神のようだ。
これらを組み込み、『多種多様な万物』という意味の、けれど、八百万には届かずとも、私に挑むその姿勢から、それに届き、いつかは追い抜かんとするその姿を示す――――
『九十九(つくも)』と。
その名をお前にあたえる」
神なんて、生前の俺が聞いたら鼻で笑うだろう。
けれど、今ならすんなりとそれを受け入れられる。
宗教とかは、切羽詰って何かにすがりたい奴か、金儲けを企む奴しか居ないのだろうと頭ごなしに馬鹿にしていた。
だが、実際はどうだろう。
今の俺には、この目の前にいる彼女が神かどうかなんて些細な事なのだ。
決められぬ俺に名を与え、優しく微笑んでくれる。
言葉にすれば、たったそれだけ。
だがこの少しのことが、一体何人に出来るのだろう。
理屈は分からない。
けれど名を告げられた瞬間、俺の胸にはストンと、彼女の言葉がはめ込まれたのだ。
まるで失った何かを取り戻せたような、そんな気持ち。
ご大層な宗教名文なんて知らないが、彼女になら―――この洩矢 諏訪子という人格者に対してなら、それの信者になったとしても、それに仕える人物に出会ったとしても、馬鹿にするでなく、鼻で笑うでなく、純粋に、『ああ、素晴らしい方に仕えているのだな』と思えるだろう。
―――日本人とは、本能的に誰かに仕えたいと思っている。
なんて発表した学者もいた。
それは、彼女のような神々が、この狭いながらも広大な日本という土地を治めていたという名残なのかもしれない。
「謹んで……拝命させていただきます……」
ちくしょう、ガチで泣き顔モードだよ……。
俺の震える声にも笑顔を崩さず、彼女は小さな体を大きく広げ、ただ自力の声だけで、声高らかに宣言した。
「『洩矢の国』へようこそ、異国の旅人、九十九。私はお前を歓迎しよう」