『出来んのそれ?』
あまりに予想外な答えであったので、思わず、素の口調をあの諸葛孔明にぶつけてしまった。
無礼千万甚だしかったのだが、それを気にする孔明でも、それに気づく俺でも無かった(後で気づいたので謝っておきました)。
肯定の意を示し、ゆっくりと、こちらにも分かる言葉を選び、懇切丁寧に策の説明を始め。
俺が呼び出した者達との意思疎通の手段は、念話。それは、相手の概念が入ってくるという状態に近しいもの……で、あるというのに、伏龍とまで呼ばれた軍師の言葉と思考は、あの平天大聖とはまた違う系統の智謀を目の当たりにするのに充分であった。
答えを教えてもらっても、まだ理解出来ないなど、久しく経験していなかった。
文若の時にはここまでではなかったのだが、二人の作戦の概要を一直線で結ぼうとすると……そう。点と点が繋がらない、というニュアンスが近いのかもしれない。まるで、旧作と新作の白黒魔法使いが同様の存在に思えないような感覚。
あまりに難解であったので、段々と脳が思考を拒否し始め、『ビーム撃てませんか?』、『はわわって言ってみて下さい』なんて脇道の思考に逸れそうになるのを懸命に耐えつつ得た答えを要約すると、今までの作戦に、新たに一つ。
―――相手に、こちらの存在を感づかせてはいけない。
そんな条件が追加されたのだった。
……ただ、その結論を下した辺りで、あれ、これってもっと解説を簡略化出来たんじゃね? と思う事、頻りであった。
説明がくどいというか、詳細に話そうとして余計な情報も提示し過ぎているというか、話す行為を楽しんでいるというか。
何となく、出身地的にも、片腕包帯で巻かれている仙人見習いさんか、寺小屋で教師などしてらっしゃる方々を連想させるものがある。
『おっと、また悪い癖が』
そう最後に聞こえたのは、気のせいであった……と、思う事にします。
そうして始まる、リンやネズミ達主体の、一世一代の大プロジェクト。
元々微々たる力のネズミ達であるが、何せ今は、あの【伏龍、孔明】がこの陣営には加わっている。
彼の常駐能力である、自軍全てのクリーチャーに+1/+1修正。
自軍―――神奈子さんが国を治めるようになったら頃から、触れる機会が出てきた項目。MTGに則って言うのなら、『あなたがコントロールする○○は○○となる』という文面。
正確な条件は不明だが、どうにもこの“あなたがコントロールする”という条件は、こちら―――俺の考えに従う意思があるか否か。であるようなのだ。
効果範囲は未だに何処までか分からなかったが、着々と進みつつあるネズミ達の行動の成果を見るに、決して狭い範囲では無さそうだと思う。
その間、俺は何をしているのかと言えば、ほぼずっと横になって、睡眠を取り続けている。
日本童話の三年寝太郎にも迫るのでは。と、我が事ながら思ったものだ。
5マナの維持は、こちらの疲労回復速度を若干上回っているようで、何もせずに居ては、真綿で首を締められるように、過労死に向かって着々と一歩を刻んでしまう。
このままでは拙い。
よって、体力回復……疲労改善の効果がある【アンタップ】系のカードを使おうとしたのだが、何も、疲れる&疲れているのは自分だけではないのだ。
テキパキと動き回る灰色戦士達が視界に入る。
もっと彼らの為に……どうすれば助力となるのだろうか。
その結果。
『……みんな元気になれば、色々捗るよな』
思い付きから零れた、とある【エンチャント】カードの維持によって、一日のサイクルに、バッテリー残量減少による強制休止モード突入台と、フル充電のループが組み込まれる事になるのだった。
―――そして、そんな憂鬱な日々も、もうすぐ終わり。
今日で四日目。
【頂雲の湖】の脇で工事監督宛らに指揮をするのも、最後を迎えようと猛進中。
順調にいけば、明日中の正午頃には到着するであろう数万人のご一行歓迎の為、既に作戦は最終段階を通り越し、完成後の見直し工程へと突入を果たしている。
約五十万のネズミとはいえ、現在の作戦を完遂させるには時間が足りなかったようなのだが、そこは孔明によって付与されている全体修正と、【アンタップ】効果を引き起こす【エンチャント】が補ってくれた。
例え彼らの元々の力がゼロであったとしても、この+1/+1というのは、実際に付与されてみると、目を見張るものがある。
【伏龍、孔明】と【今田家の猟犬、勇丸】が同性能のパワー&タフネスを持っているのだ思うと、同じ数値を持つ対象によっても差異が生まれるのだろうか。などと漠然と考えていたのだが……。
少な目に見積もっても、+1/+1は成人男性程度か、それ以上の力ではないだろうか。多分、+2/+2レベルになると、優秀な兵士とか手練れの戦士とか、その手の枕詞がドッキングされるんじゃいかと予想しつつ、まさにその+2/+2である【伏龍、孔明】を見て、疑念を募らせる。
あんな細い体の何処にそんな力が……と思いながらも、同数値でありながらも八咫鴉を二体落とした勇丸が居たな、と。そういうものかと割り切った。
見た目に騙されちゃいけません。特にここは、キャラの見た目と年齢が結びつかない世界観である故に。……綿月……輝夜……永琳……諏訪神奈……。これ以上の追求は無しにしておきましょう。そうしましょう。
平均男性よりも上の力を与えられたであろう彼ら小型げっ歯類は、圧巻の一言に尽きる労働力を魅せつける。
単純に考えて、やや屈強な人間の戦士レベルが、約五十万。
それが、ほぼ絶え間なく労働に従事しているのだから、これが+1/+1ではなく+2/+2などであれば、人類最大だと思われる建造物、万里の長城なりが、三日三晩で完成するレベルの労働力なのかもしれない。
更には、駄目押しとばかりにとある【アンタップ】効果を引き起こす【エンチャント】を使用中。
元々長期活動に向いている彼らではないので、多少は異なるけれど、疲労困憊の頃合を見計らったかのようにスタミナゲージが全回復するという、素晴らしい効果をもたらしてくれている。
日本の高度経済成長期も終わった、八十年代頃。とある日本企業が、実際にピラミッドを造るのならば、一日に作業に当たる最大人数は三千五百人との計算で五年程掛かる。と言っていた……のであったか。
重機による労働力の削減も当然あるのだろうけれど、だとしても、常時五十万人近い労働力を投入し、維持していると言っても過言ではない現状は、突っ込み所満載のこの考え方であったとしても、決して軽々しく見る事は出来ない作業効率であろう。
まぁ、尤も。
一番の要は、『人間には不可能なんじゃ……』と思える数を効率良く動かし続けている【伏龍、孔明】と、彼の指示を読み取り、それを通訳した俺の声を聞くや否や、的確&迅速に仲間達へと飛ばすリンであるのは、言うまでもない。
『型が分かれば、そう難しいものではないよ。ここは任せて……と、言いたいけれど、何か分からない事が起こったら、その時は声を掛けさせてもらうとするよ』
作業開始日の日没頃には、とうとう孔明のジェスチャーのみで内容を察するリンに、少しの寂しさと、驚きの声を上げたものだ。
けれど、お陰で後半は睡眠を充分に取る事が出来た。これならば、目標の達成も実に容易である……などと物事が簡単に運ぶかと思えば、たった一つではあったが、決して無視出来ない問題が、俺達の前に立ち塞がる事になった。
それは文字通りの死活問題。
何のことは無い。単純にして明解なそれは、衣、食、住、の内の、真ん中の項目である。
『僕達も、そこまで先見の眼が無い訳じゃない。巣に帰らせてもらえるなら、十日は持ちこたえられるかな』
一応は、ご実家の方にある程度の備蓄があるようで。この点は、リンや孔明は当然の如く議題に上げていた。
唯一俺だけがその問題点に至らなかったのは、今の今まで、食に関して不自由した事が無い為……だと思いたい。
数日程度なら、飲まず……とまではいかないまでも、喰わず、での生活は可能だと。
事が終われば。あるいは、場合によっては途中でマイホームに帰還して、備蓄を消費した後に、再び戻ってくる算段であったようだった。
孔明の作戦を聞くに、当初は、作業組、移動組、食事組、休憩組の四つでローテーション組んで回す予定だったらしい。
けれど、パっと聞いただけでも“移動”という項目は無駄な様な気がして、【アンタップ】の効果を知っているこちらとしては、更に“休憩”という項目も省けそうだと思い。
『じゅ……三十分待って! それまでに何か考えるから!』
ビシッと手を前に出して言い切ったのだが、どうにも情けない切り出し方であった。
何よりまずは、食べるもの。
リンの部下達の食事確保の時ですらひぃひぃ言っていた身としては、五十万の食の用意など、何処ぞの黒い翼の生えた鴉の文屋が挑む撮影物語で、これも何処ぞの月のお姫様の寺関連の一発撮影に成功するようなものだろう。
何か例えが違う気もするけれど、【ジャンドールの鞍袋】を用いての飯確保は、とてもではないが、この数の胃袋を満たすには不可能だ。……と言いたいのだと察して欲しい。
選択肢の一つに、何か巨大なクリーチャー(食べられそうな奴)を供物として……なんて道も浮かんだが、ゼロマナで良さ気な巨大クリーチャーは【アーティファクト】しか居らず、当然、そんなものは幾ら悪食ネズミさん達とはいえ、一般の生き物が摂取出来る筈も無く。
やっぱ【土地】になるよなぁ、と。思考が方々に巡った割には、答えを導き出すのに、然して時間を要しなかった。
ご飯、米、野菜、穀物。肉、動物、家畜、牧場。
それっぽい単語を思い浮かべ、片っ端から、MTG関係を占める脳細胞と照合していく。
これが戦闘面であれば、まだ色々と思い当たる単語はあるのだが、食に関する観点からMTGを見た事など無かったので、困難を極めた。
そういう点から考えると、【ジャンドールの鞍袋】を連想出来たのは、一種の奇跡。今でも時折、そう思う。
いっそ野菜畑、酒池肉林、なんて土地があっても良かったのではないだろうか。なんて理不尽な欲望が、ゆっくりと鎌首をもたげ始めた頃になり。
『……あ、あったかも』
肉、野菜、と続く、もう一つの項目に行き付いたのだった。
「それじゃあ、また頂いてくるよ」
「了解~」
ひらひらと手を振るのにも、もう慣れたものだ。
こちらとしては、ジャン袋を使わずとも、食事に関しては問題は無い。
文字通りに近い意味で、霞を食って栄養補給の点をクリア。このところは衣食住に恵まれていたので使う機会は無かったが、こうしてサバイバル方面へと陥れば陥るほど、便利な能力であると実感出来るものであった。
あんまり多用していない能力であったので確定ではないが、何食っても摂取した栄養にバラつきが出ないっぽいのは、大変有り難い。野菜とかの、赤、黄、緑の最後に部類される色の食べ物は、そこまで好きではありませんので。
【頂雲の湖】の真横。そこに、俺は新たに【土地】を一つ追加した。
所々に生える二階立てくらいの木々には、一階の半分以上から天辺に掛けてギッチリと、赤々とした丸い果実が色付いている。
悪い魔女に騙されて口に入れてしまったお姫様を思わせる、毒々しいまでに艶やかな臙脂色。
正直、【土地】の名前からして食べるのを避けていた。
けれど、リンが美味しいと言うので、自制心と言う壁は好奇心によって打ち崩されて、恐る恐る口へと運ぶのを良しとした。
だが。
(味、微妙だったんですけどね)
これには、一緒に食べた孔明も同意してくれた。
食べれないものではないのだが、何かこう……味の深みが、好みとは正反対の方面に伸びていると表現したら良いのだろうか。首を傾げたくなる味であった。
しかし、どうにもこの果実、妖怪達……魔の属性を持つ者達? には好物となるらしい。
あの平天大聖も、今ではあの【土地】の住人だ。いや、主、と言い換えても差し支えないのかもしれない。
朝露に濡れる城の庭園を、優雅に散策する王を思わせる足取りで、果実の中でも最も良さそうなものを選別し、口へと運び、満足そうにコクコクと頷き、完食。
決して貪り食している訳では無いのだが、この数日間、これを何度も何度も。飽く素振りすら見せず、繰り返し行っていた様子を見るに、結構気に入ってもらえたようである。
何がそんなに美味いのか。
平天大聖が立食大聖へとクラスチェンジして二日目の昼。
ふと、興味本位でポロリと零してしまった質問に、
『命の味がします』
彼は愉悦の顔で、そう答えてくれた。
ネズミ達も、悪食、との二つ名に見合うだけの暴食っぷりを発揮。
一匹一匹はあれだが、その数が万に及ぶとなれば、目を瞑っていても分かる結果が目の前には転がっており……。
「―――今日で最後ですか」
噂をすれば何とやら。
芯だけとなった果実を手で遊びながら、純白の王がこちらへと近づいて来た。どうやら、食事は終わったようだ。
「ええ。後は、明日に向けて備えるだけですよ」
「真に残念だ。しかし、後一度は行うのでしょう?」
五十万の小さな胃袋を満たしてくれたこの【土地】も、こうして四日目を迎えてみれば、既に葉は枯れ落ちて、実がなっている木も、両の手でカウント可能なくらいに数を減らしていた。
この分では、リン達ご一行が食事を終えた頃には、綺麗残らず消え去っているだろう。
それに、この【土地】は充分に役割を果たしてくれた。これだけの悪食達を相手に、今の今まで役割を果たせていたのは、大健闘と称えたいくらいである。
感謝の念を胸に抱えて、しばらくの瞑目。再び目を開いた時には、既に視界からネズミの一匹、果実の一個すら発見出来るものではなくなっていた。
「ツクモ。ありがとう。もういいよ」
早いものだ。数千のネズミを後方に引き連れて、リンがこちらへと戻って来ていた。
その手には、幾つか果実が確保されている。オヤツ用だろうか。しっかり者である。ちゃっかり者とも言うだろうが。
「あの光景は、何度見ても興味が尽きませんねぇ」
「……楽しんで貰えるなら何よりですが、それ以上は望まないで下さいね」
「これは愉快。あなたは本当に、言動共々、常にこちらを楽しませてくれるお方だ」
……望みまくりですか。そうですか。
少しは隠そうとしくれても良いだろうに。そうまで『何かする』と言われ続けている様は、俺に防ぐ手立てなど無い。と断言しているようなものだ。
―――先の【テレパシー】の一件を、俺は孔明へと相談している。
彼も、下した答えは、黒。
絶対に何か行動を起こすそうなのだが、流石に妖怪は門外漢なようで、詳細な予測は立て難いとの事。
けれど、行動を起こすであろうタイミングと、何を欲しているのかは、大よそにではあるが、答えを提示してくれた。
『全てが終わった直後。もしくは、終わる直前。あなたから、何かを奪う心積もりでしょう』
……思い当たる点が有り過ぎて、頭を抱える羽目となる。
それは【稲妻のドラゴン】であり、【頂雲の湖】であり、【伏龍、孔明】であり、食料の確保に一役も二役もかってくれた、この【土地】なのだろう。
―――能力奪取。
考えない事も無かったが、コピー、簒奪、洗脳といった、こちらのアドバンテージがそのままひっくり変えされる展開というのは、実に嫌らしく、効率的で、効果覿面な方法である。
彼がこちらに同行した意図は、俺の力の何かを奪う為の下調べであると。そんな可能性を思い浮かべ、なるほど。それならば、同行するだけが条件だという行動も、納得が行くというものだ。
一つ力を見せれば奪う選択肢が増え、それがより強力な、強大なものであればあるほどに、それを簒奪した時の喜びは、大きなものとなる。
それに、行動を起こされる……仕掛けられるタイミングも、広くない範囲で絞れている。
平天大聖が事を起こすであろう段階とは、人間の軍隊が、脅威では無くなった頃合。
きっとその際に、こちらの油断に付け入って、何かの能力を使用するのだろう。
(先手必勝……を、やるべきなんかなぁ)
思考はどうあれ、何もしていない相手に危害を与えるというのは、言葉に詰まるものがある。それをこちらから意図的に行うのであれば、尚の事。
―――それに。
相手が先に仕掛けて来てくれたのであれば、こちらの心情は非常にすっきりとさせられる。
月の勢力を相手にして、戦果だけに目を向ければ、余裕。と断言出来た身としては、今回の一連に然したる危機感を覚えない。
過剰防衛、大いに結構。
特に現状は、思い入れの無い方々が周りの全てである。
もしそうなったのであれば、結果はどうあれ、そこに至るまでの道中は、辛酸を舐めて頂きましょう。
(と、言う事で)
コスト維持の面と、平天大聖に悟られない様に。という面の二つの理由で、今の今まで出すのを躊躇っていた、あれを呼ぶ。
極力光が漏れないように、硬く拳を握り、その中に生み出すイメージを思い描く。
無から有が。
五指を押し広げて現れる物体は、一つの小さな【アーティファクト】。とはいえ、思ったよりも大きいようで、指に隙間が作られた。ビー玉を握っていたつもりが、いつの間にやら野球ボールになってしまったようなものだろうか。
慌てて体全体を使い、光の拡散を防ぐよう、体を丸くする。
何とか召喚を終え、この手に握り込まれたのは、一粒の小石。
(デメリットをメリットに変えるのが、MTGの醍醐味の一つですのぅ)
過去使用した白の【インスタント】カード。無力化系その一にノミネートしている【お粗末】は、大和の軍神相手にも、中々の成果があったのだ。
平天大聖がどの程度の力量かは未だ把握し切れていないけれど、今、この手に握られている宝石が、全く効果が見込めない訳では無いだろう。
取り得る手段―――こちらの手札は、約五十万の悪食ネズミ、若輩妖怪の少女、そして、俺……の、能力。
この三点に共通する事は幾つかあるが、誰もがパワー&タフネスの項目に心許ない、という点が上げられる。
対して、平天大聖はどうだろうか。
腐っても―――腐ってないが―――妖怪達を纏め上げる親玉だ。
能力によってその地位に君臨していたとしても、それが2/2以下、という事は無いだろう。
『弱者の石』
1マナの【アーティファクト】
カードを【アンタップ】させるタイミングに、パワーが3以上のクリーチャーは、それを行えない。
攻撃を防げる訳では無いので、強い抑止力は期待出来ないが、これ一枚が場に出ているだけで、高いパワーを持つクリーチャーを操るプレイヤーは持続力を失う為、攻撃を躊躇う場合が多い。
辺りを見回しながら、僅かに熱を持つオレンジ色の結晶体を、リンへと差し出す。
(うむ、こっち版で良かった……)
時代によって【弱者の石】……に限らず、MTGに画かれているカード達は、その姿を二度、三度、変えていたりする場合もある。
今回で言えば、過去の【弱者の石】は、人間の下半身程もある、荒削りの円錐型の石柱……宝石……? ……うん、多分宝石。
それが近年では、握り拳大の別モノへと絵柄を変えていた。
ならば、召喚したものには最新版が適応されるのかと思えば、
(あれ、そういや【極楽鳥】は旧型だったな)
旧型は燃えるような赤が綺麗だった、赤い鳥。
新型は極楽との名を現したのか、何色かの色が合わさった、鮮やかな色彩の鳥であった。
(……げっ、もしそだったら……)
旧型については知識が無いけれど、新型【極楽鳥】の体長は、全長二メートルという設定があった筈。
……二メートルの鳥とか、もはや鳥じゃなくて怪鳥の域に入ってる気がする。俺ぐらいなら掴んで飛べそうな程のゴツさではないだろうか。
こっちに選択権があるのか、それとも既に決まっているのかは、恐らく前者だろうが、今後の課題として。
「はい。これ」
「これは?」
不思議そうに眺めるリンに、大まかな能力を説明し、【弱者の石】を預けた。
自分達には効果が無く、力を持つ者―――今回に限って言えば、平天大聖にのみ作用するであろうアイテムであると。
二、三日前から出したのでは、体力が戻らぬ事態に疑問を持つかもしれない。察しの良いお方の事だ。あいつに与える時間は少ないに越した事は無い。
故に、こうしてギリギリまで出さずにいたのだが、
「凄い……」
おそるおそる受け取るリンに、壊れ易いものでもない筈だが、と思いつつ、1マナ使用による若干の疲労感と共に口を開いた。
「ってことで、それは何とか隠し持っててちょーだい。平天さん相手には、時間が経てば経つほど、効果が現れると思うのさ」
「君が持っていたら駄目なのかい?」
「駄目って訳じゃないんだけど、いざとなったら……バレた時かな……そん時には、お前か、ネズミさんの誰かに預けて逃げ回ってもらおうと思ってたからさ。咄嗟の時には、言葉が通じるお前の方が有利な訳ですよ。あいつの興味って、殆ど俺に向いてるし。気持ち悪い事に」
「分かった。死守するよ」
おぉう、言葉が重い。
「いやいや。連続じゃ厳しいが、時間があれば何回でも出せるもんだから、あんまりその辺は気負い過ぎんな。良く効く囮、程度に思っておいて。じゃないと、俺が心苦しい」
「……何回でも、か」
おう。と応じる声に対して、吐息で返すとは失礼な奴め。気持ちは理解出来ますけれど。
「これがもし君の言うとおりの効果なら、僕達……ううん。力ある者と無い者との関係は一転するだろう。それこそ、どんな手を使ってでも、殺すか、奪うか、壊すか画策するくらいには」
日々のストレス、けだるい疲労。
そんな最中のお褒めの言葉でありましたので、しばらくぶりの嬉しさに、テンションがハイなものへと高速移動。
「そうだろう!? どうよ、このバランスブレイカー! 十全に効果が発揮される訳じゃねぇだろうが、それの半分でも現れてくれたんなら、万々歳ッスよ! それに【弱者の石】とか、名は体を現す、を地で行く感じが最高じゃん!?」
むふぅと一息。鼻から白い煙でも見えるくらいの息を吐き出した。目を大きく見開いて、ドヤ顔アピールも忘れない。
……あ、リンが肩落としやがった。
「まったく、君って奴は……」
リンの言葉だけを見れば呆れのみしか感じ取れないけれど、まぁ、それが笑顔と共に零れたものであったのならば、悪い印象では無さそうだ。
自分達の上に居座る者達のみに作用する、遅延性の猛毒。
幾年も虐げられてきた者にとっては、恨み辛みの相手の生死権を得たようなものだ。
暗い感情から派生しているのは疑いようも無いが、元より泥水か、それ以下の扱いを受けて来た者達である。これを責める者が居るのなら、神だろうが仏だろうが、無言のままに、頬に一発入れてくれるわ。
(……とは言っても、な)
これだけでは、決定打にはほど遠い。
相手が何かして来たのであれば、それこそ幾らでもエグい方法を実行出来るのだが……いっそ思考を徐々に欠落させるものとか、直接肉体に作用しないような……いやでもそれはそれで……。
「……ツクモ?」
懸念が態度に出ていたようだ。
不安に揺れる瞳でこちらの顔を覗き込むネズミの少女に配慮して、言葉を返す。
「ん、考え事。気にすんな」
「……分かった」
聞きたい事はあります、と。
それでもこちらの心中を察して、言葉を切り上げてくれた事に、ごめんな、と。少しの申し訳なさを覚える。
事が終わる直前を見極めて、対処可能なカード達を纏めておこう。
今出来るのはそれくらいだ。現段階で平天大聖へと、何か事に及んでは、人間の軍隊と妖怪の王相手の二面作戦を取らなければならなくなる。
唯でさえ制限が多いのだから、これ以上、懸念事項を増やしてなるものか。
「じゃあ、明日に備えて、最後の栄養補給と致しましょーか」
意識を切って、目の前の【土地】を砂丘へと戻す。
都市製作シミュレーション、シムなんちゃらの早送りモード宛らに、一瞬で地形が変貌し終える様は、何度見ても圧倒的である。
いずれは食肉系の供給も大量に出来る様考えておくかと思いながら、再びそれを呼び出した。
(来ませい! 【禁忌の果樹園】!)
『禁忌の果樹園』
【特殊地形】の一つ。
【タップ】する事で好きな色のマナを一色生み出し、同時、対戦相手一人を選び、そのプレイヤーの場に1/1で無色の【スピリット】クリーチャー【トークン】を一体加える効果を持つ。
全ての色のマナが出るというのは大変重宝する能力であるのだが、何も考えずに使えば、相手の場に徐々に蓄積されていく1/1【トークン】によって、倍々式にダメージソースが増す為、この1/1の【トークン】を対処出来るか、それがメリットとして働くような。あるいは即死コンボデッキでもなければ、【頂雲の湖】以上に使われる事の無いカードに仕上がっている。
……で、あったのだが、この相手の場にクリーチャーを強制的に召喚させるというデメリットは、とあるデッキにおいては多大なメリットとなり、キーカードの位置付けに近いポジションに収まってしまったカードである。よって、ある程度の経験を積んだプレイヤーには、場に出した瞬間に―――無論、それだけではないが―――特定のデッキを連想させる事になる。
『スピリット』
クリーチャータイプの一種。
精霊や幽霊といった、幻影のような存在に多く付随される。このタイプに合わせて別のタイプを持つクリーチャーが多い。似たような系統に【エレメンタル】【フェアリー】【ナイトメア】といったものも存在し、間々、『これは【スピリット】というよりも○○なのでは?』といった疑念や話題が尽きないタイプであるとか、ないとか。
再び現れる、乱雑に植林されたような木々達。無数に実る、真っ赤な果実。一寸前の色褪せた景色が嘘のように、瑞々しい果物をその枝に実らせている植物達が、復元を果たす。
【森】だと明るい色がなかったせいか、そうは思わなかったのだが、今の気分は花咲じいさん。灰すら用いないのがミソである。
(あん時は、何度もお世話になったなぁ)
昔はよく黒をメインで使っていたが、黒だけに固執していた訳では無い。寧ろ、予算が許す限りで、あらゆる分野に手を出していたものだ。
時間と体力の制約によって、ここでは日の目を見る事は無いだろうが、あのデッキには過去何度も助けられ、あるいは逆に、辛酸を舐めさせられたものである。ミラーマッチ(同型デッキ同士の対決)とか結構熱かった。懐かしい。
……ただ時折、木の根が団子になったような、サッカーボール大の何かが動いているのを見かけるらしい(ネズミ談)。
現状、俺の認知する範囲に対戦相手は存在せず、マナも出ないので【タップ】させる必要も無い。
よって、この【土地】の、例のデメリットは発生しない筈なのだが……。
もし出会った場合には、恥も外聞もかなぐり捨てて、脱兎の如く逃げさせてもらおうと思います。
「九十九」
ぬ、平天大聖がお呼びです。
初日から、監視役に。と張り付かせている【メムナイト】が後方に控えており、これでは一体どちらのクリーチャーなのかと、やや拗ねる。
ただ、間違いなくあちらの方が様になっているので、口惜しい事この上ない。
「はい、何でしょう」
「こちらの果実。幾つか頂いても?」
あら、お土産確保ですか。
あっちから話し掛けて来る事はそうそう無かったんで、何言われるかと心配したけれども、どうやら杞憂だったようだ。
「え、ええ。個と言わず、本単位でどうぞ。もしあれでしたら、こちらの目的が終わった後でなら、そっくりそのまま、あの山に出しても良いですし」
「それは有り難い。これだけの品、そうそう出会えるものではありませんからねぇ。それが園丸々一つ分ともなれば、皆も、妻も喜んでくれるでしょう」
……何だって?
「妻?」
「ええ。あれの舌は中々に厳しいもので。しかも、私は菜食を主としていますが、あちらは血肉が好み。同じ卓に着く機会も数えるほどでしたが、これならば、あれも気に入る事でしょう」
HAHAHA。妖怪の親玉が草食とか笑わせてくれる。お前は牛か馬かっつーの。
しかも夫婦仲が上手くいってないとか、今まで散々こっちを弄ってくれたストレスを帳消しにしてくれる情報ゲットだぜ。ギャップ萌えでも狙っているのかと尋ねてみたい。
他人のプライベートを無闇にベラベラ喋るのも気が引けるが、機会さえあれば、進んで誰かに話してみたいネタである。
……のだが、自らの評価を引き下げるような言動など、幾ら美味いもん出したとはいえ、こちらのお方がするわきゃ無いので、このお話は墓場まで持っていく事になるだろう。うっかり話して、何か爆弾仕組まれていたんじゃ、もはや苦笑すら取れやしない。
―――という事は、聞くだけなばら、問題無いのである。筈なのである。
まさかの既婚者宣言に大いに驚かせてもらった流れで、色々とその手のお話を突っ込んで聞いてみようと思ったんだが、さぁこれから。というところで、孔明に遮られた。
作戦の最終確認がそろそろ終わるので、今後の事について少し話をしよう。という事らい。
折角の機会を奪われ、無念の声を上げながら孔明の後へと続く。
あれは終わったか。これは覚えているか。それはどうなったのだ。
数日前と変わらず、寝そべりながら話をする俺と、瞑目の後に、やたら長めの説明を始める伏龍に。気持ちだけは誰よりも真剣であろうリンとの最後の会合は、特に真新しい事も無く、恙無く終了し。
「そろそろ……かな」
自然と生まれた静穏の空間に、ぽそりと、言葉が投げ入れられた。
呟きに近い音であっても、全員がコタツを囲っているくらいの距離である。耳を澄ませば呼吸すら判断出来るだろう。
「そうだな。いつもならこれくらいに効果が現れてくれる頃合か」
「君が扱う……術、は幅が広過ぎだ。節操が無い。とは思わないのかい?」
「返す言葉も無いが、便利だろ? これ」
そうだね、と。
元々責める気など皆無であったので、リンの顔が綻びを見せる。
彼女も、この【エンチャント】の効力を満喫している一人であるのだ。よっぽど偏屈な奴でもない限りは、万人が望む効果であろう。
「……あ」
それは唐突に。
狐の嫁入りを見たように、何の予兆も無く実感出来るもので。
「―――んっー!! 生き返ったぁ!」
満足の表情と共に、ネズミの少女が背後へと倒れ込む。
両の手を頭上へと伸ばし、そのまま寝そべる姿に、こちらも暖かな気分になる。
孔明も、一つ、大きな吐息を零す。
どうやらあちらにも効果は現れたようだ。溜まった疲れ―――気持ち的なもの―――を、吐き出す空気と一緒に排出しているのだろう。
同時、周囲からネズミ達の歓喜の鳴き声が。
使用時当初からの反応であるのだが、この感覚は甚くお気に召してくれたようだった。
『覚醒/Awakening』
4マナで緑の【エンチャント】
場に出たカードを【アンタップ】するタイミングとは別に、各プレイヤーの一ターンに一度訪れるタイミングで強制的に、全てのクリーチャーと【土地】を【アンタップ】する能力を持つ。
細かい点を除いて説明すると、通常の三倍【アンタップ】を引き起こすカードである。
これをキーカードとして機能する【ロック】デッキ、名前そのままな【アウェイクニング】が有名であり、【土地】から豊富に湧き出るマナや、クリーチャーを【タップ】する事で発動する各種能力をこれでもかと活かした構成に仕上がっており、他の【ロック】デッキとは一味違ったプレイを魅せるものである。
『人々を奮い立たせ、その人々に行動を要求するときというものがある。今がそのときだ。我々がその人々だ。これがその行動だ。行け!』――― 葉の王、エラダムリー
【フレイバーテキスト】的に、さぁこれから一大決戦だ! という場面で叫んでみたい気もするが、効果の程は長期向けの性能なので、難しいところである。残念だ。
リンの手が上がり、ネズミ達の声を鎮め、就寝を促す。
段々とその音量を抑えながら、自らが体を休める場所へ移動する赤黒い絨毯。
「孔明先生」
こちらの意に応え、すっと孔明は立ち上がる。
それよりもやや早く直立の姿勢を取った俺は、腰を曲げて、念話で感謝の礼を述べた。
【メムナイト】の報告では、現状、平天大聖はこちらを見ていない。
【アンタップ】効果によってもたらされる疲労回復状態に、夜空を見上げながら、頬を愉悦によって吊り上げているようである。
今ならば問題は無い、と。
光となって消える【伏龍、孔明】を見送った後で、【覚醒】への供給を中止。
元々【エンチャント】や【アーティファクト】への維持費はクリーチャーに比べて少なかったのだが、【覚醒】の使用を考慮した際に、それでも4マナは厳しいだろうと。
【覚醒】の【アンタップ】効果が発揮されるまでは、永琳さんから貰った腕輪か、別の【アンタップ】効果を持つカードを使って、疲労を凌ごうかと思ってたのだが。
(一体いつ付与されたんだか……)
新たに一つ。
【エンチャント】を維持する際の負担が、大幅に軽減されているのを発見する。
【トークン】維持コスト軽減に引き続き、新しく判明したスキルに、4マナ域開放に次ぐ、達成感を実感出来た。
そんな進歩を実感させられるカードも、これでお役御免。
【土地】や【トークン】は相変わらず。
今の状態は【今田家の猟犬、勇丸】の維持のみが、疲労の全てである。と判断出来る範囲のものだ。次点で【メムナイト】の維持にやや疲れを感じるが、これも元はゼロマナなので、然して問題ではない。精々、溜め息が多くなる程度。これも、ノープロブレムだ。
―――これで、全ての下準備は整った。
後は、充分な睡眠を取って、事に望むだけである。
岩場の影。
諏訪の外套を体に巻きつけ、薄い寝袋のように用いる。保温性能は中々のものだ。寒過ぎもせず、暑過ぎもせず。心地良い温もりが、全身を包む。
付け加えるのなら、今この場には、あの【禁忌の果樹園】の葉を用いて造られた簡易ベッドが用意されていた。
果樹園を出して二日目の夜。
こちらに気を使ってくれたネズミ達による、粋な計らい、という奴である。
思ったよりも普通の感触……寝心地に、幾許かの安心と、幾分かの肩透かしを同時に感じながら、雨降ったら悲惨だな。と、天蓋が星空の寝床に身を委ねる日々が続き……それも、今日で終わり。
初日は例の【スピリット】【トークン】の亡霊でも襲ってこないかとひやひやしたものだが、事なきを得られたようだ。
夜空を飾る宝石が眩くて。
何度も見ている筈なのに、篭った吐息が口から漏れた。
数匹のネズミの偵察によって、明日の正午頃には到着するだろう。との報告は受けている。
そうなれば、後は、細かな判断は要らない。
孔明によって叩き込まれたタイミングを逃しでもしない限りは、一切証拠を残す事なく、人間の軍隊を長期に渡って再起&行動不能にさせられる。
早起きする必要は無さそうだが、
(……今更、緊張か)
ぐっすり寝れるかどうかは、難しいところだろう。
極力目を向けずに居た、責任、という言葉が重く圧し掛かる。
重く受け取ろうが、軽く考えようが、今回の場合、成すべき事を成していれば、結果は全く変わらない。
そう思って、義務に、悪ふざけにと、何かしらに我武者羅に意識を向け続けていたのだが、思慮の浅い自分の事だ。寧ろ、この行動は最悪の選択であったのだろうかと、今更過ぎる後悔が襲い掛かる。
(……いやいやいや、あれこれ考え過ぎて『いっそ全体除去カードでも……』とかに答えが落ち着き掛けたから、今の方針にしたんじゃないか)
……思考がストライキに近づくと、全てをリセットしたくなる。
ここ最近。特に月であれこれ唸り続けていた頃から自覚し始めた、自らの思考の傾向に、溜め息が出た。
大和に居た時とは違う。
あの時は、あの人の……あの人達の為になるのなら。と、それのみを追い掛けていた。
……あぁ、しかし、諏訪子さんと初めて対峙した時にも、そんな思考を巡らせたのであったか。
差異はあれど、よくよくひるがえってみれば、それらの兆候は所々に見受けられるものだった。
理由を他に預けていて気づかなかった自己の内面は……いやはや、何とも。
(とりあえずは……お勉強から、か)
申し訳ないが、孔明先生は、現段階では難易度高過ぎる。ここはやはり、文若先生に個人教師の先達を勤めて頂いて……。
―――と。
「……起きてる、かい?」
雑念は、可愛らしい声によって掻き消えた。
「……ん? はいはい。まだ大丈夫ですよっ、と」
横たえた上半身を起こし、声の方へと向ける。
ぐちゃぐちゃした思考に、一服の清涼剤。実に有り難い存在である。
「どした?」
「……ん……どうした、という訳では無いんだけど……」
「……?」
小さく、こちらの眉間に皺が寄る。
えらく歯切れが悪い。
視線があっちこっちへ行ったり来たり。
深刻な表情ではないので、切羽詰った用件では無いようなのだが……。
「リン」
こちらの呼び掛けに、何故かビクリと肩を震わせる。
「……何故そんなにビビる」
「い、いや。な、何でもないよ」
どう見ても、なんでもなくないですが、突っ込まないのが優しさだろう。
……まぁそれは兎も角として。
今度は、こちらの疑問に答えてもらいましょう。
「別に良いんですけどね。……ところで、だ。お前の後ろに居る、いっぱいのお仲間さん達は、一体何なのさ?」
今か今かと、何かを心待ちにしている風に、リンと俺の両方を見続けている、ぷち王蟲の群れ(赤目状態)。夜だから特に目の色が鮮明です。
……まさか今更、俺を喰う気じゃあるまいな。
もはや条件反射だ。
脳裏に【死への抵抗】をセットした直後、俺の言葉に、リンは自分の後方をバッと振り返った。
こちらからはその表情が見えないが、段々と肩……と、後、握り拳になっている手が震えを増していき。
「―――あっちいけー!!」
蜘蛛の子を散らす。の諺の代わり、ネズミの群れを散らす。なんて諺が出来そうな光景が。
『焼き払え!』もかくやな一喝に、プトロンビームで消し炭……もとい、撤退し、方々へと散って行く。
肩で息をし、叫び終えたリンを見るに、どうやら俺をとって食おう、という意図が無い事だけは理解出来たのだが……これは……何ぞ……?
「……うぅ」
リンの深呼吸。
何かの決意を、硬く、胸に秘めました、と。
そう感じられる振り向きに、思わずこちらも唾を飲む。
「……」
……けれど、その後は一向に動く気配をみせない少女。
会話が途切れ、呼吸の音のみが辺りに響く。
これはどういう状況なのかと、改めてリンの様子を観察する。
先と変わらず、目線が四方へと飛び回り、もじもじとする仕草は、何かを切り出そうとしながらも、それにまで踏み切れないのだと察せられ。
天体の光に浮かび上がる顔、幼い頬には薄っすらと朱が差している。
……答えは、ものの三秒で出てくれた。
「……なぁ」
ビクリと震える少女に対して、吐息。疑念は確信に近づいて。
……これが、たった一人であったのならば、また違う答えを導き出していた。
けれど、彼女が現れた時の状況―――ネズミさん達が後方に出歯亀……野次馬……見守っていた状況を考えて、尚且つ、今までのリンのこちらの反応や態度を思い返すに、そういう可能性は大分低く、純粋に、羞恥心のみが現在の彼女を支配しているのだと予想を立てる。
俺の脳裏には、学校の裏の夕暮れ時。若い男女が俯きながら相対し、それらを見守る友人知人のワンシーンが再生されていた。
「決定打は何だったのよ」
リンが、言われただけでこんな行動を取るとは思えない。きっと、止むを得ない何かを突きつけられたのだろう。
耳を立て、尻尾を伸ばし、目を見開いて。
大きく安堵の吐息を吐き出して、感謝の念すら篭った視線を向けられた。
ぺたんと座り込む様は、全ての苦労を吐き出し、芯が……空気が抜けた風船にも見える。
「……助かったよ。僕の方から切り出すのは、ご法度だったから」
「男としては残念だが、役に立てたのなら何よりです。……で、どういう流れで?」
「ざっ!? ……おほんっ。……話すのは吝かではないんだけどね。……でも、その前に」
そこまで深く考えなくても良いだろうに。俺にも分かる程に反応が初々しい。微笑ましい限りだ。
暗闇の一箇所。俺から見ればただの黒な地形であるそこに、リンは睨みを飛ばす。
途端、岩場の窪地から、数匹のネズミが、か細く鳴きながら駆けて……逃げて行った。全く気づかんかったです。流石、ネズミ。隠密性は目を見張るものがある。
「……監視役ッスか」
「盗聴役、の方が正しい答えかな。……はぁ、全く……」
呆れながらに呟く少女は、体の後ろに手を回し、実は。と、目尻を下げながら、事のあらましを切り出した。
話自体は大して時間も掛からずに。
途中でのリンの溜め息やら何やらで間は生まれたが、それだけだ。
「まさか、自分達の撤退を条件に載せてくるとは思わなかった」
「……冗談だとは思……いたいが、もし本当にやられたら、参るなそれは」
あのネズミ達の行動原理は、何処から発生しているのやら。
不満たらたらに話すリンの内容を一言で纏めると、
『YOU! 告っちゃいないYO!(俺達のご利益の為に!)』
との事。
断ったら、俺達帰る!
そんなノリで言われた少女は、しばらく我を忘れたそうだ。
「君の後光を、ずっと浴びたかったようだよ。今のこの高待遇は、期間限定だからね」
最後には【再生】系を用いて、身体的にも全快して頂いた後での話であるけれど。
確かに事が終われば、彼らとはもう、会う事すら無いだろう。
「君は、口だけの神様とは比べるべくもない存在だ。……今でもこの湖と、そこの果樹園の創生術は目に焼きついている。飲み水の確保の為に、僕達の住処は地面の下にある。そして、そこから食料を得ようと思うと、方々に旅立っていかなければならない。一番のお得意先は、七天大聖の統べるタッキリ山だが、あそこに行ったものは、十匹の内に二、三匹は永遠に戻らない。という程に危険なところだから」
こちらから視線を切って、【禁断の果樹園】を見つめる。
「木の妖怪は時折見かけるが、命を落とすものは居ない。外敵も、明日の食料への不安も、何も不自由の無い楽園なんだ。僕達にとっての、この場所は。それを、全力で保ち続けようとしての、この行動なんだと思っているよ」
安定した生活というのは、古来より―――つまり今の時代からだが―――人々が目指す目標の一つである。
特に、命が簡単に失われる環境下では、その傾向が強い。
宗教を信じる―――信仰というのは、そんな、意図も容易く運命が左右され、時に潰えるあやふやな生き様に、確固たる不変が欲しいが為の場合が多い。
人が死ぬ事など、病か、事故か、各シーズンのレジャーを愚かに考えていた時くらいしか出会う事の無いであろう島国出身の俺からみれば、とても納得のいく理由であった。
「……まぁ一番の理由は、面白そうだから。だろうけれど」
「あ、あいつら……」
今までの切実な心中吐露を、オチで全部、夜空の彼方へぶっ飛ばしやがりましたよ。
何ふざけた事を……との考えは、先にノリノリで馬鹿やった自分が言えた事ではないかと、自己完結。
というか、命の危険に多く関わる者達は、この手の刹那的な衝動を大事にする傾向があったなと、諏訪、大和通して感じていた。
狩りの囲い込みに失敗し、馬の群れに轢殺された青年も。
山菜を採りに行き、翌日、壊れた人形の姿になって川から流れて来た老人も。
出産とは、それだけで命懸けの行為なのだと。息みによる疲労が祟り、胎児共々、冷たくなってしまった女性も。
いずれも現場には居合わせなかった……死者を弔う儀式の際に、耳にした程度の話ではあるけれど。
戦などではない、日常生活の範囲でさえ、命の比重が羽よりも軽くなる時がある、死と隣り合わせの、この時代。
明日にも消えるかもしれない自分であるのなら、今を全力で楽しもう。
そういう気概が、彼らからは見受けられるのだ。
直接戦闘を行う訳では無いけれど、既に、三千を超えるネズミ達がその身を犠牲にしてくれてる。
とは言っても、生死判定の犠牲ではない。軽、重、の後に“傷”が付く方の犠牲である。“体”レベルが出てきていないのは、まさに不幸中の幸い以外の何者でも無い。遠く、異国の地であるというのに、諏訪&神奈両名の加護でも発揮されているんじゃないだろうか、と思えてならない状態である。
俺の思っていたよりも+1/+1は有効であったようで、今の彼らは、昆虫が人間サイズであれば云々。という例え話に等しいレベルへと達している。あの小さな体に、成人男性まるっと一人分のパワー内臓中。現在の作業でならば、サポートしてくれる同胞も数多く、まず命を落とす事は無いだろう。
しかし、危険な作業だという事に変わりは無い。
現に、大小様々な理由で作業から離脱しているネズミ達が居るのだ。平天大聖や人間の軍隊を相手にしている現状では、体力も、マナも、時間も、節約出来る箇所は出来る限り節制していかなければと、【覚醒】による【アンタップ】効果が現れる直前まで【再生】系カードの使用を渋っている身としては、何も言えなくなる。
そんな彼らの楽しみが、こちら―――俺達があたふたする反応一つで済むというのなら。
「……そ、それで」
あれ、完熟トマトが再降臨。
こちらの細々とした考えは、その表情だけで、霞と消えた。
「え、今ので終わったんじゃないの?」
「……僕、と、君、が……一緒、に、……寝ているところを……見ないと……駄目だ、……って」
寝るって……あっちの意味なんだろうなぁ。
見せる、という単語に漸く疑問を持ち始めた辺りで、リンの様子が、これまでとはまた違った動きをしているのに気がついた。
俺と、俺の後方に視線を行ったり来たり。
釣られ、彼女が見つめる先に目を凝らしてみると。
「……怖ッ」
小山と夜空の境界線。
夜明け直前宛らに赤が着色されており、無数のネズミ達が、こちらをガン見されている様が否応無しに理解出来た。体は隠しているようだが、光を反射する眼球によって、隠れる気皆無状態である。
リンの一喝で散って行き、間近で見聞きするのは諦めたけれど、行動の結末を見届けるのだけは、譲る気は無いようだ。
「かっ、勘違いしないで欲しいんだけど! 彼らも、今の僕にそこまで期待はしていない! 仲が良くなった、というアピールの範囲で良いんだからね!」
あっちの意味ではなく、どうやらこっちの意味でした、と。
というか、やるのは確定ですか。
仲が良い。との表現をするのなら、ハグとか抱っことか、そんなのでも良いのではないでしょうか。
俺も結構恥ずかしいのだが、目の前に、自分以上にテンパっているお方がおりますと、逆に冷静になると言いますか。リンには申し訳ないが、君が焦ってくれていて助かってます。
しかし、あたふたと右往左往する人は、どうしてこう……。
「……まぁ、何だ。そういう考えは、体が出るとこ出てきてからにしなさい」
「なっ!? そっ、そんな考えなんてしてないよ!」
だったらこの会話は成り立たない筈なんだがなぁ。見事にキャッチボール出来ている時点でバレバレでございます、お姫様。
(からかうのは好きだが、からかわれるのはダメ、と)
リンが射程圏内であったのなら、きっと俺は鼻息荒くなっていたのだろうが……。今後の彼女に乞うご期待。何年後かは不明だが。
……ただ……しかし……いやもう、あれですな。
―――唐突ですが、我慢の限界を超えました。
「―――リン」
肩がビクリと揺れて、耳と尻尾がピンと立つ。
真剣に。おふざけの色合いを完全に抜き取った声色を発してみたのが功を成したようだ。胡散臭い……いや、かなりウザいであろうウィスパーボイス風だったが、リン相手には通用したようで。
ここでしっかり反応してくれると、それだけでウキウキ楽しいのだが、ネズミ達の要望に応えなければ、下手すると、彼らの助力を失う羽目になる。それだけは防がねばならない(建前)。
さっきまでなら、こんな考えなど全く思っていなかったのだけれど、弱味を見せた相手というのはどうしてこう、からかいたくなるものなのだろうか。何となく、某花畑を塒としている妖怪の気分が分かった気がします(本音)。
「な、なんだい」
そんな相手はおろおろと、少し前に散々泳がせたであろ目線を、再度遊泳させていた。
「―――撫でさせて」
「……はい?」
予想通りの反応、ありがとうございます。
まぁ、そういう勘違いをさせる為の言動ではあるんだが……チビッ子相手にナニしろってのさ。
女の子相手には犯罪だよなと思う面もあるが、女の子というよりは、小動物の類にしか見えないのです。
子犬や子猫を撫でる行為を犯罪だと思う者が居るだろうか。いや、無い!
……つまりは、罪悪感がほぼ皆無状態なのである。
以前から大いに不足していた勇丸分を、ここで補給しておこうと思います! 超触りたかったのよそれ! もふもふそうだから!
「耳だけで良いからさー、頼むよー」
「僕の耳を何だと思ってるんだい!」
一瞬、『何もしないから』と宿泊施設に誘ったり、『先っちょだけ』などのたまう男を連想したが、忘れる事にして。
夜天で陰る顔であっても尚分かる、朱に染まった頬。
両手で耳を覆い隠しながら、今や、何か一つでも物音がしようものなら、電光石火でこの場から離脱する意気込みすら透けて見える程である。
「何って……チャームポイント」
「……」
……あれ、何その反応。
恥ずかしがっていた様子から打って変わって、驚いた表情を浮かべた。
話し掛けるのも躊躇う姿であったので、変な空気が漂い始める。
そして。
「……良いよ」
全く想像していなかった返答であった。
「えっ……自分から言っておいてあれだけど、良い、のか?」
「君のことだ。どうせ何だかんだ言いながら、最後には結局、するんだろう? だったら初めから認めてしまえば、多少は扱いが変わるかと思ってね」
しばらくもごもごした後に、少し俯き照れた表情をしながら。
「……それに……」
続く言葉に、思わぬ反撃を受ける事になる。
「……その……お母様以外は……初めてだったから……。人であれ、神であれ。忌み嫌われていた妖怪の象徴に、好意を持ってくれたのは」
言葉の裏から、その象徴に誇りに近いものが宿っていたのだと察する事が出来る言葉であった。
「ッ!」
……くそ。今度はこっちが面食らってしまった。
「……どうしたんだい?」
耳をピクピクさせ、上半身を前へと傾けながら、覗き込む様に、その身をこちらに乗り出してきた。
上目遣いに、いつでもどうぞ。と言い表している態度に、からかうという意味合いの強かった欲望の熱が、急激に冷めていく。
「……寝る!」
「えっ?」
彼女と初めてであったあの日と同様に、背を向けて草のベッドに倒れ込む。
(あんな事言われた後で、行動になんか移せるかってんだ)
触りたいのと、リンが困る反応で楽しむのが、主な目的。
けれどそれは、彼女が密かに誇っていた象徴を安直に貶す事を、良しとするものではない。
「……そうか。……そうだね。変な事を言った。ごめんよ」
……おいこら。何でそこで残念そうな声色になってるんだ。謝るところなんて全く無かったじゃないのよ。寧ろ怒るとこだったじゃないのさ。
(まさか、『やっぱり君も、僕の事は妖怪と~』云々な思考に陥って、凹んだんじゃないだろうな)
出会った直後に宣言した通り、妖怪だとは思ってはいるが、だからどうした。というのが正直な感想だ。
人間だって、大雑把に分けて白、黒、黄、な肌の色が居る訳だし、人間と妖怪の差なんて、見た目が人型であるのなら、精々がその程度のものではないだろうか。
今更、耳と尻尾があるくらいの差異など、禿げかロン毛か、の違い以下である。……逆説を唱えてみれば、人型妖怪と人間との差は、無毛か長髪程度の誤差しか無い、と言っているようなものだろうか。
―――さて、この場合、どちらが妖怪側に部類されるのか。追求するのは吝かではないが、それに悩む男性……女性含む人類の尊厳の為に、この思考は凍結させておこうと思う―――
伊達に、江戸時代から(くんずほぐれつな方面の)擬人化文化のあった地で暮らしてはいない。その手の寛容さには、そこそこ自信がある。
全く根拠の無い。と、後に続くのものだったが、リンに対する自らの感情を正直に判断するに、多少は裏付けのある自信にしても良いだろう。
「―――あぁ、もう」
「わっ!?」
不貞寝を決め込んだ姿勢から一転。
不意打ち気味に反転し、体育座りを崩した格好でいた彼女を、抱き抱える様に草ベッドへと引き摺り倒した。
俺の体を敷布にして、頭を抱える姿勢で、触る程度に耳を撫でる。
「ひゃんっ―――な、何を」
えぇい変な声出すな。
最低でも十年早い。肉体年齢的に。
「……話を聞くに、だ。一応人間として、んで人間側としての意識のある俺からしてみれば、あんまり言えた事じゃないんだが……」
ウィリクの国に居た時の出来事が思い返される。
灼熱の通りを。城の内部でも。
酷く気分の悪い視線を向けられる少女の姿。それを懸命に耐えながら、今日の今日まで過ごして来たのだろう。
「今触らしてもらってるけど、細かな毛並みとか、とっても丁寧に手入れされてるのは分かる。手触り抜群で気持ち良い。ミンクとかアザラシの赤子のコートなんて目じゃないくらいだ。……他の奴らが何と言おうが、俺はこれ、好きだぞ」
ミンクとかアザラシとか全く知らんだろうが、構うものか。雰囲気で流そう。
妖怪に対して忌諱する人間側の感想や感情も充分に理解している……と思う。
俺だって、今の力が無い状態で全く知らない妖怪に出会ったのなら、心中穏やかでは居られない。何としても、その危険性を回避するだろう。
ただ何と言うか、その力が無い状態“ではない”という境遇である為、当人からしてみれば虎でも、俺からしてみれば猫のような。危険や脅威に感じる必要が無いのが、妖怪=敵というフィルターを通さない理由の一つ。これは余裕と言うのだよ。とか言ってみたい気もします。
……なんて、だらだらとした思考を続けていたのだけれど。
抱き込んだ胸の上で、リンが何か言おうともぞもぞしているのだが、一向に続きが出る気配が無い。
「……おチビさん、何か言いなさいって」
せめて、現状に対する答え―――止めてくれ等、は確認したいところであったのだが。
「……ありがとう」
……そういう感想は、大変卑怯ではないでしょうか。
「どう致しまして。……じゃ、寝ますか」
もうこれ以上は追及出来ない。ならば、さっさと次の行動に移るとしよう。
返事も待たずに、胸の重みを横へとずらして、再度、体を横に向けた。
背中に何やら言いたげな存在を感じるのだが、これ以上何か行動を起こす気は無い。自分の顔に血液が集っているのが分かる。見られてなるものか。
この辺は先の演説同様、殆ど進歩が見られない事実に内心、頭を抱えながら、僅かにシャツを摘まれる感覚と、背中に擦り寄ってきた温もりに、ビクリ。そちらに意識を傾けた辺りで。
「んっ……君の背中は……暖かいね」
……彼女の全身を揉みくちゃに撫で回そうと暴走しかけた右手を、全体重を乗せて鎮圧。自らの舌をも噛んで、意識を方々へと飛ばす。
「……あんま引っ付くなよ? 寝返りでお前に圧し掛かっちゃ、目も当てられん」
ヒキガエルならぬ、ヒキネズミの製作には携わりたくないもんだ。
幾ら妖怪だからといって、成人男性の重量は、決して軽い部類ではない筈だから。
「……それも良いかもしれないね……」
蚊の鳴くような声であったのだが、ほぼ無音の夜天と、音源が間近であった為に、幸か不幸か、それはしっかりとこちらの耳に届いていた。
今の台詞を、流石に自殺願望の類だとは思えない。
つまりは……
「……嫌なら言え」
「え?」
最初の時と同様に。けれどあの時よりも優しく、包み込む様に胸元に抱き寄せた。
暖かい。
彼女が漏らした言葉と同じ感想を懐く。
こちらの腕の中にスッポリと納まる温もりは、体の熱だけではないだろう。
「ツ、ツクモ……」
戸惑う声には、困惑の色が伴っている。
拒絶の様子は無い。どうやら、独り善がりの行動からは逸脱出来たようだ。
「って、こら、わっぷ……尻尾を変なトコに絡ませんな」
「……え、わっ」
おっかなびっくり……恐る恐る首へと巻きつく細めのマフラーに、あぁこの部位も暖かいのかと、目の前でちらちらと揺れる尻尾を見ながら思った。お前は勇丸か。
どうやら本人の意思とは無関係で動いているようだが、あんまりにも俺を誘うもんだから(多分)、再度、人参を前の前にぶら下げられた馬になった気分だというか。つい、こう……
―――にぎっ
「ひぅ!?」
あんまり強く握ったつもりは無いのだが、可愛い気のある、素っ頓狂な声が上がる。
……いやもうね、こういう突発的な衝動と申しましょうか。先程の『彼女が誇っている云々』といった事など星の彼方。
今と言い、レイセンの時と言い、瞬間的に湧き上がる欲望は抑え難い。
……妙に艶がかった声色だった、という事実には、強引に顔を背ける事にした。
「す、すまん。痛かったか?」
「……痛くは無いんだけどね。……その……そこを握られると、どうにも自分では抑制出来ない感覚が口から漏れてしまって……」
「敏感なんだな、そこ。……まさかそっち系の感覚が?」
『馬鹿か君はっ!』やら、白い目とか、即離脱等の反応を期待しての言葉だったのだが。
「……ばか」
搾り出すような、ぽそりとした言葉。
こちらの外套を奪い盗り、掴んで、そのまま頭から覆いかぶさってしまった。
片耳だけがちょこんと覗いているのだが、自分のどういう感覚が働いているのか、灰色の毛で覆われているそこには、真っ赤に染まっているような気がするのだが。
(……oh)
何かを言おうとして、結局何も言えずに口篭る。
肌寒いという情報も、脳に到達出来ないくらいに、目の前の出来事に意識を持っていかれていた。
宛ら、何でも収納してしまうという、『しまっちゃうよ~』が口癖だと耳にするピンクの妖怪が住まうという小島で起こる現象の如く、俺の頭部からは、妙に間延びのする音と共に、大量の汗が噴出している事だろう。
……今夜は徹夜だ。
異性という存在を、強制的に認識させられた。
寝耳に水どころの話ではない。寝ていたベッドごと絨毯爆撃で吹き飛ばされた気分である。
勝手に上昇する脈拍数に、妄念を飛ばすと評判の精神統一……素数の計算すら行えない。場合によっては、俺の舌が流血か、あるいは倫理や道徳といった単語から今生の別れになるやもしれぬと―――
「……手を」
白布達磨の内部から声がする。
それは、所々で言葉を途切れさせながら、
「手を……握って、も……良いかい……?」
包まったミシャクジの外套から覗く、羞恥の色が付着された、潤んだ瞳。
―――その姿が妙に愛らしくて。
今までの心情が嘘の様に、俺の心中は穏やかなものになっていた。
言葉にはせず、そっと片手を差し出した。
自身のテリトリーに引き入れるみたいに、それを外套の中へと招き入れ、小さな両手で抱く様に包み込まれる。
ぎゅっとされたり、そっと触れられたり。一通りの方法で感触を確かめられた後。
くす。と、小さく一声。
外套の隙間から零れた音には、言いようもない満足感が伴っていて。からかわれた様子はない。多分、嬉しさを噛み殺した声。
この数日間。寝る間も惜しむ勢いでネズミ達の指揮をとっていた彼女の姿も、今のこの反応を見ては、嘘のように思えてならない。
―――それが切欠だったようだ。
急激に襲い来る、安堵感に追随する睡魔。
逆らう事をせず、既に彼女の元となってしまった片手を預け、体から意識を切り離す。
調子に乗った一時であったが、とりあえずは、悪くない着地点であったかと。白蛇皮の蓑虫になってしまったネズミ少女を最後に見て、俺は瞼を閉じる。
遠く。
こちらを見続ける赤い光達は、いつの間にか、一つたりとも確認出来なくなっていた。
いつ以来だろう。こんなに暖かいのは。
生まれた頃か。お母様と出会った時か。
数えるほどしかない暖かな記憶であったけれど、一つ。新たな温もりを覚える事が出来た幸福を噛み締める。
何度も驚かされ、何度も呆れ、何度も怒り、何度も笑い合い。
あれを神と呼ぶ心境には、もう、戻れない。
あそこまで変な存在は、一体何と比肩して考慮すれば良いというのだ。
神、ではなかった。
あれらは自らの信仰を貪欲に欲している節がある。程度の差はあるけれど、自らの生き死にに繋がるのだから、当然だろう。
けれど、ツクモにはそれが無い。
僕達ネズミの神にでもなるのかと勘繰っていた時もあったけれど、あの馬鹿な演説や、寒いから。とネズミの何匹かを翌朝まで抱き抱えて眠り扱ける様は、間違っても尊敬すべき者の態度ではなかった。完全に、己の欲を全面に出して行動している。
ツクモ、などと呼ばれる神が居たと記憶していたけれど、今の今までの付き合いの中で、その答えはとうに、遥か彼方へと置き去られていた。
では、彼は妖怪か。
……可能性は高い。
妖怪であるのなら、あの平天大聖が知らぬ様子で居るのはおかしいしけれど、ツクモは東の地より訪れた者だと言っていた。何処まで真実か。と疑って掛かればキリが無いが、あれに、誰かを欺くという行いが取れるのかには、苦笑で応えるだろう。
あの死の商人、ヴェラとは違う。
あれは敵と判断した者に対して、悩む素振りすらせずに、微笑みのまま、首を刎ねる精神の持ち主だ。
味方にしよう、利用しよう、と思う対象以外には滅びを望む、絶対者としての視点がある。
頼る、縋る、敬う。それらの言葉があれ以上に似合う者は、先に顔見知りとなってしまった平天大聖以外には居ない。
一国の主たる自らの母親でさえも、あの領域には達していない、何者にも染まらぬ芯を持った―――それ以外は無慈悲を体言する存在に他ならない。
それに、邪な者は多かれ少なかれ、黒い気配を漂わせる。僕であっても、ダン・ダン塚の彼らだって、それはある。
そういう点から見ると、普段のツクモはそれらを一切表に出す事は無いのだが。
(覇王を補佐し、尽力した……王佐の才を持つとまで呼ばれた、筆頭参謀……)
文若を……死者を蘇らせた時に垣間見えた、底知れぬ、黒。
それは瞬時に消え去り、雑多な妖怪であれば疑問を覚える間すら無いだろうが、何かを見つける、という行動は、手に入るか否かは別としても、誰にも負けないと自負出来るものである。
あの異能は、平天大聖当人を目の前にしても断言出来る、純粋な黒の力だ。
嫉妬。憎悪。悲哀。
それらおぞましい感情の結晶―――ツクモが呼び出した者から零れたそれは、いっそ澄み渡る夜天の如き、美しいものであった。
不可思議なのは、それは他の術を行う際には漏れ出さない、という事。
異形の赤竜であれ、あの孔明であれ、白銀の馬モドキであれ、それは一切感じ取れるものではなかった。
ただ、黒とは違う、全く別の何かの力が漏れているのは察する事が出来た。それが具体的に何なのか。は不明だが……。
(……あっ)
閃く、とはこの事か。あれの言葉を鵜呑みにし過ぎて気づかなかった。
極東の地……の手前。自らの活動範囲には生息していなかった種族。
仙術を用いて天変地異を起こし、不死であり、天界に住まうという、世捨て人。
名を、仙人。
(そうだ、ツクモはそれに該当するものが多い)
この作戦が始まってから、彼は果樹園の実一つを食しただけで、飲食の一切を行っていない。
時折、何かを咀嚼するように口を動かしていた。何か食べているのかと尋ねてみれば、『霞食ってる』と。
何が本気で、何が冗談か判断付きかねる者であるので、それも戯言の一種だろうと思い、ぞんざいな相槌と共に流していたのだが。
空腹によって、彼の体調に変化が起こった際には、迅速に人間用の食事確保に動く算段であったのけれど、目立って悪い健康状況は、疲労以外に筆頭すべき点の無いもので。
天候を操り、山や川を一つ二つ動かし、空を飛び、キョンシーと名が付いてた筈の、死者を動かすという術まであるというではないか。
(……あれ? でも……)
彼らは崇高な行いを是とし、私利私欲は極力行わぬようにする性質ではなかったか。
途端、矛盾に突き当たるけれど、それも数瞬で解決する。
そういえば、仙人の中には、それら欲求を埋める為に何ら忌諱を持たない連中も居た筈だ、と。
邪悪な仙人。そのまま邪仙、などと呼ばれていたと思うのだが、残念な事に、詳細についての知識は殆ど持ち合わせていなかった。
(うーん……)
神にしろ、妖怪にしろ、邪仙にしろ。
ああも圧倒的な異能を持っているというのに、ネズミ達に戦き、こちらの言動一つにあたふたとし、右往左往する姿は、妖怪の本能を甘美に刺激する獲物……もとい、素晴らしい協力者以外の何者でも無い。
ただ、そんな獲物も今は、夢の世界へと旅立って行った直後。
規則正しく上下する胸。呼吸音。
あの時、煌びやかな鞍袋を奪取した時と何ら変わりのない寝姿に、何処か可笑しさと、心の温もりを感じながら。
(……変な奴)
結局。彼への思いは、その一言に集約されるのだった。
彼が施してくれた恩恵は、彼が行ったあらゆる言動―――調子付いた行動や、妖怪をからかう事に愉悦を見出している言葉によって、打ち消されてしまっている。
当然、そんな些細な事でツクモが成した功績は微塵も揺るぐものではない。
自己欲達成の為の腹芸が得意な自国の商人や政治家ならば、内心はどうあれ、仮面の笑顔を貼り付けたままに良好な関係を……。
(……いや、無理かな)
『御免なさい! 町、水没させちゃいました! すぐ元に戻しますんで!』などとやりかねないのが、彼である。
本当、あれは人の心に入り込むのが上手い。それの悉くが、尊敬や敬意といった単語とは対極の方面であるのが、また彼らしいというか、勘弁願いたいものであるというか……。
(……でも)
あの時。全てを諦め、大切な者との今生の別れになる筈であった、あの瞬間。
たった一言。
神でも、妖怪でも、邪仙でもなく。
彼が差し伸べてくれたあの言葉が、今も、この胸の中で。
「……惚れた、弱み」
外套の中で、思わず呟いた。けれど、額面通りの意味では、決して無い。
単純に、自らを縛る暖かな鎖に呆れているだけである。
……まぁ、この鎖。
重かったり軽かったり縛ったり縛らなかったり。あるいは何処かで勝手に絡み付いていたりと、実に手の負えない自由奔放さなのだが。
(……馬鹿だなぁ、君は)
あれだけの力だ。もっと賢く、簡単に生きる方法が、山のようにあるだろうに。
丸まった懐に抱えいれた彼の手は、思ったよりもゴツゴツとして、大きくて、暖かくて。
これでもっと真面目にやってくれたのなら。と、そう思わずには居られない。
これには、一人で何かをやらせては駄目なのだ。
自ら支えてやれば、きっと彼は、唯一無二の偉大な人物になれるかもしれない。
(……ん?)
―――待て待て待て待て。今、何か自分はおかしな単語を出さなかったか。
真面目にやって、までは問題ない。
一人で何かを……うん。ここも、いい。
その後、その後だ。
自分は一体、何を考えた?
(……ツクモ……を、支えて、あげれ、ば?)
……何だそれは。
支える、とはどういう意味だ。
いやいや、深く思う必要は無い。言葉通りに、彼の失言や失態を先回りして防止したり、やってしまたら即座に咎め―――
(―――って、それじゃあツクモの傍にずっと居なければいけないじゃないか!?)
いやいやいやいや。それこそ、追及すべき点が皆無の思考だ。
別にずっと傍に居なければいけない訳でもなし……。
……はて。ずっと傍に。とは、どう成すのが通例であったか。
(―――ッ? ―――っ!? ―――!!)
堂々巡りの思考は、とくん、とくん。動力源が、鼓動を休めるまで収まる気配もなく。
ボディランゲージにしては行き過ぎた気がしないでもないあれこれや、『俺は好きだぞ(毛並みが)』、といった台詞が、真意が分かっているというのに、実に都合の良いように、頭の中で組み上がる。
自身の中で、ふわふわとした思考は飛び続け。
それは、夜が明けるまで行われる羽目となり。
「うぅ、寒ッ……。おはよ……ん、どした? 寝不足か? うりうり」
少女の目の下に、クマでもあったのだろう。
起床と同時。ぐりぐりと両の頬を抓り、円を描くように引っ張られ、リンはその意識を覚醒させた。
そして。
「―――ばかぁ!」
元気爆発。快音一発。
睡眠不足と、行き詰った思考の果てに、少女の理性は限界を迎えたのだった。
炎下の地。
季節外れ&場所外れの広葉樹の葉が、ひとひら。事態が飲み込めず呆ける男の頬に、色鮮やかな紅葉を成したという。