(脳内BGM:北の国からのあのイントロ)
―――拝啓、諏訪子様、神奈子様。実家? に置いて来た勇丸は元気にしているでしょうか。
私こと九十九は現在、月面でのトラブル―――自分で撒いた種な気はしますが―――に絶賛巻き込まれ中でして。
つい先程ひと段落して、さてこれからどうしよう、と、途方に暮れていたのですが、いやはや、やはりというか当然というか、月の方々は優秀な人ばかりのようでして。
よくもまぁこんなだだっ広い月面で、体感ですが、一時間掛からずに見つけられるもんだ、と感心する訳で。
……この語りって、時間無い時にやるもんじゃねぇなぁ。
「ひと~つ、ふた~つ……数えるのも馬鹿らしい数だよなぁ、あれ」
固いものが土にめり込んで行く音がする。
定期的に発生するそれは、一つではない。
十、二十、……いやいや、それはもはや百を超え、さらに数を重ねながら、こちらに向かってくるではないか。
『宇宙空間で音って……』なんて突っ込みは、もはや思考に値しない。
問題は、現状をどう切り抜けるかの一点のみ。
「四速歩行の戦車……かぁ。浪漫だねぇ、格好良いねぇ。後で乗らせてくれないかなぁ。円盤っぽい浮遊物体は、飛行機の類なんだろか……ダサい……あ~、でも慣れるとあれはあれで愛着が……」
既に考えはまとめてある。
決意もした。
方針も決まった。
後は、相手がどう来るかで、それらの対応のどれかを行うだけだ。
それまではやる事が無いので、見えている現実を、どう自分の中で受け入れようか悩んでみれば、初めて子犬を与えられた子供のように。ちょっぴりの恐怖と、好奇心が湧いてきた。
「ジェイス、具合はどうだ?」
ただ、現実逃避してばかりもいられない。
―――ココへと飛ばされてから、先にも思ったとおり、一時間も経っていないだろう。
それくらい迅速に、月の勢力はこちらの場所を探し当てて、こうして軍まで派遣して来てくれている。
このクソ広い、岩と砂しかない死の荒野の中で、どのように俺達を発見したのかは不明だが、こうして見つかってしまった今となっては、もうどうでもいい出来事だ。きっと超レーダー的なものでもあったんだろう。
あの戦車や円盤が軍ではない、という可能性もあるのだろうが、SFちっくな銃を持つウサミミが、その周りに幾人も配置されながらこちらに向かって来ているのは、こっちをヤル気なんじゃないかと思えて仕方が無い。
というか、そういう気なのだろう。
見える範囲で確認できる人影には、皆が皆、殺気っぽいピリピリした空気を纏っていらっしゃる。
お陰で、こちらの心臓が一速ギアを上げてしまったようだ。
こりゃあファーストコンタクトに失敗したら、絨毯爆撃の如く何かしらの攻撃が降り注ぐ事だろう。
【死への抵抗】による【ダークスティール】化の有効時間は後どれ位だったかな、と考えていると、声を掛けたジェイスが呼び掛けに応じてくれたかのように、呻き声を上げた。
その声から、あの時よりは幾分楽にはなっているようだが、苦しそうな彼の声(念話)から、やはり予断は許されない状況っぽいと判断する。
自分への治療を行ってしばらくして、彼は意識を失った。
恐らく傷口は全て塞ぎ終えて、修復が完了したからだろう。
彼の体力が回復するまで月側との接触は避けたかったが、こうして目前に展開している軍隊な皆様を見てしまうと、諦めざるを得ないようだ。
―――あれから、確かそんなに時間も経っていなかったな、と、改めて思い出す。
治癒魔法を使い始めた彼の蕎麦で、極力邪魔をしないよう、そして協力出来るように徹しながら、こうして軍隊が目の前に迫って来るまで過ごして来た。
けれど未だに全快の兆しは無く、疲労困憊の男が二人。方や地面へと寝そべり、方や気だるく座り込んでいる状態。
(このまま普通に逮捕してくれれば良いんだけど……)
『そこの犯人に告げる~云々』とか言い出したのなら、諸手を上げて投降する準備がある。
というか、むしろそれを切に願っているのが今の俺。
様々な事柄を無い頭使って絞った結果、ならもう、素直に謝るしか無いと考えたからだ。
意図してなかった事ではあるが、悪い事をしたのなら、謝るべきだろう。
とはいえ、何も受身でいる必要は無い。
先にも言ったように、この緊張状態から投降へと漕ぎ着けるには、ファーストコンタクトが大事。
ならばここは一つ、自分から動く事で、向こうに誠意を魅せようではないか。
相手から言われてするよりも、自発的に行った方が良い方向へと進む場合が多い。
罪を犯した時だって、逮捕と自首では、刑の執行に色々と便宜を図れる可能性が生まれてくる。
「本当はもう少し近づいて来てくれてからの方が良かったんだけど……」
相手との距離まで、目測で……ゆうに数百メートルはある。
ダルい体に鞭打ってあそこまで行くには、中々しんどい距離なのですよ。
(ま、これも自首への先行投資と思えば)
未だ横たわるジェイスに気を配りながら、潜んでいた岩場の陰から身を乗り出す。
今までチラチラとしか見ていなかったけれど、こうして体をさらけ出した状態で見渡す景色は、また格別だ。
……というのも、銃口とかそれに似たようなものが、一斉にこちらを向きましたからね(汗
あれだね。例え自分が死なない(壊れない)と分かっていても、この光景には背筋が凍りますですよ。
害が無いと分かっていても感じてしまう、条件反射のようなものだろう。コンタクトとか目薬とか、それ系を使う時の感じ、と例えてみようか。
俺が姿を見せたことで彼ら(彼女ら?)はピタリと足を止め、目の敵でも見つけたかのように、怯え、あるいは殺意の篭った目線をぶつけて来る。
(……あー、そういや永琳さんとか綿月の姉の方を昏倒させたままだったんだよなぁ。そりゃあ目の敵にもされますか。仕方ないとはいえ、ホント、参っちゃうよなぁ……)
何はともあれ、とりあえず降伏をしておかねば。
白旗フリフリ? ジャパニーズ土下座? いっそ月の大地へ五体投地?
どれもちょっと違うなという気がして、無難に万歳ポーズで行ってようと、両手に力を込めた時。
(―――ぁ)
光った、と、思う間も無い。
次の瞬間、俺の体は車にでも撥ね飛ばされたかのように、後ろへと弾かれた。
私の他にも、この任務が初めての実戦、という人は多い。
そもそも軍に所属したのだって、お給料とか、他の職に比べて箔が付きやすいとか、そういった理由からだった。
結構厳しい訓練もあったけど、それだって我慢出来た。
―――だって、命が掛かっていなかったから。
月人は寿命が長い。
決して不老という訳じゃあ無いけど、それに比べたって、数千年とか数万年は普通な部類。
一つの職に百~千年単位で就いて、それから他の職に移るなんて、ココじゃあ当たり前。
そこで『私は軍に勤め~』とか履歴書に書くと、相手側の受けが格段に違うので、自分の能力に自信の無い人達には、履歴に花を添える為、こぞってこの職を選ぶのだ。
きつくてリタイアする人も居るけれど、大体は歯を食いしばって耐えて、無事任期を勤め上げる。
そういういった功績が評価され、さっきも言ったように、『軍で働いていたとは、根性があるんだな』という証になるんだと思う
……そんな通過点の一つであった筈なのに、一体、なんでこんな事になっているんだろう。
月の都市建国以来、一度として実戦が行われなかったから就職したのに。
誰かを守るというフレーズは好きだし、実際感謝されたりもするから、割と好きな職だったんだけどな……。
(やだなぁ。死にたくないよ……)
怖い。
そんな思いで、胸が潰れそうになる。
哨戒任務が終わったら、みんなで商業地区のメインストリートに遊びに行く予定だった。
甘いお菓子を食べて、仲の良い友達と喋って、最近八意様が訪れたという、超高級な洋服が売ってるお店に、勇気を振り絞って行こうと思っていたのに。
……あの警報から、全てが変わってしまった。
二種や三種を通り越して、いきなり第一種の戦闘態勢。
使用武器の制限だって、本来なら4ランクの中から順番に引き上がって来るのに、いきなり“使用武器制限無し”。
与えられた任務は、九十九という名の地上人の捕縛。
しかもその人は、八意様と豊姫様に害をなした、凶悪犯だと言う。
幸いにして命に別状は無いらしいけど、未だにお二人はお目覚めにはなられていない、と聞いた。
月の技術を使ってもそのような状況になっている―――状況にした犯人の逮捕というは、相手が一体どのような力量を持っているのか、全く判断が付かない。
与えられた情報では、相手は『絶対に破壊されない』能力を持ち、熊や鳥といった動物を召喚する事も出来るそうなのだが、それに加えて八意様達を重体に追いやった能力も付随しているのだ。
最悪、自分だってあの方達のようになるのかもしれない。
永遠に目覚めないというのは、詰まる所、死んでしまった事と同じ。
だから、怖い。
今まで“死”なんて遠い先の体験になると思っていた。
けれどどうだ。
今目の前には、それが、さも今まで自分の影に潜んでいたかの如く、当たり前のように存在している。
(この任務が終わったら……)
職歴に響いても良い。転職しよう。
何より、死んでしまっては元も子もないのは、今切実に感じている。
生きていれば、後はどうとでも。
だから、無事に戻らねば。
(あ……あれが……)
視界の先。
ゆっくりと現れた男が一人。
武装らしきものは何も携帯していないようだが、油断出来る相手ではない。
何せ、あの万全のセキュリティが備わっていた、月の偉人達が住む特別区画で事件を起こしたのだ。
もはや、星が降って来るかもしれないと思っていても、不思議な事態ではない。
それに、月の裏とは絶対零度の死の世界。
おまけとばかりに空気が存在しない中で、何故ただの地上人である目標は活動を続けているのだろう。
私達軍隊は、月側から出ているエネルギーフィールドで守られているからだというのに。
何かの能力だろうが、驚愕や感心など思うわけも無く。
ただ純粋に、その在り方が恐ろしかった。
「全隊、指示があるまで待機! 伝令、本部に通達!『目標を確認した。指示を請う』、送れ!」
部隊長が何か言ってるが、それは正確に耳へ入ってこない。
……引き金に指が伸びる。
大量生産の支給品だが、地上人一人殺める事など造作も無い兵器。
鼓動が早くなる。
銃と体が一体になったかのような感覚のせいか、目標が、こちらを睨み付けた様子が感じ取れた。
「気を緩めるなよ。相手は……、おい!? そこのお前! 引き金から指を外せ!!」
煩い。
自分の命が掛かっているというのに、何を律儀にグンタイゴッコなどしているのだ。
相手は一人。
防衛能力は高いようだが、攻性には向いていない、と、目を通した情報には載っていた。
ならば、何を暢気に指示など待っているのか。
この一秒が、自分の命を失ってしまう時間なのかもしれないのに。
「誰か04番を止めろ!」
何を憤っているのか理解に苦しむが、私はみんなの命も助けようとしているのだ。
感謝されこそすれ、何故怒号に満ちた声で怒鳴られなければならない。
相手の防御性の優位点は、自身の能力であるからだ。
それが発動したのなら、情報通り、絶対破壊不可のスキルが現れる。
だとすれば、それを発揮させる前に行動を起こせば、相手はそれに対処出来ずに終わるだろう。
音よりも速く飛来する弾丸は、能力持ちとはいえただの地上人である目標には、逃れる術はない。
こうやって何もせずにいる事自体が、自分達の危険性を上昇させているだけだと、何故気づかないのか。
―――周りの隊員から手が伸びる。
けれどそれよりも僅かに速く、私の指先は行動を完了した。
こうする事で、恐らく穢れが生まれてしまうけれど、たった一つの生命からの穢れなど、フェムトファイバーでどうとでもなる。
低めの破裂音。
肩に掛かる衝撃と、若干の手の痺れ。
それとほぼ同時。
何かが何かにぶつかる鈍く大きい音と、目標が勢いよく仰向けに倒れるのが見えた。
空が見える。
青い方ではない。
暗くて、所々で輝いている方だ。
満天の星空どころか、宝石箱の世界にでも迷い込んでしまったような錯覚を受けるが、そんな宇宙空間の素晴らしさを、充分に実感している暇も無い。
大の字にぶっ倒れた体には痛み一つすら無いが、心の方にはそれなりにダメージが入っている。
あまりに速い攻撃は、【ダークスティール】の円盤が反応する間すらもなかった。
(……撃って来やがった……)
自分の覚えている範囲では、警告とか投降声明なんてものは出されていなかった。
ノーアラートの一発必中。
何かが光ったと思った瞬間に、これだ。
縋ろうと思っていた蜘蛛の糸は、垂らされる様子すらなく。
代わりに現れたのは、一発の凶弾でした、ってか。
(あいつら……人が負ける気満々だったってのに……)
ゆっくりと体を起こす。
こちらからでは、相手の表情は伺えないが、あちらからは、俺が体を起こした事は見えている筈だ。
次はいつ弾丸を受けても良いように、若干前へと重心を傾けながら立ち上がった。
こうなってしまっては、後は行き着く先まで行くしかない。
……けれど、だからと言って自分の非を認めない、というのは頂けない。
あれはあれ、これはこれ。
初志貫徹。悪い事をしたら、きちんと謝りましょう。
両親や社会から学んだものは生かすべし。
そうれば、俺は今後も自分のルールに乗っ取って、胸を張って生きていけるから。
(って、あ……)
だが、ちょっと待って欲しい。
俺だけならば、幾ら攻撃されようが屁でもないけれど、近くの岩陰には、ジェイスが横たわっていたのだ。
サーチ&デストロイを地でやってくる連中の前に、俺という的が現れた。
結果、先制パンチを見事に受けてしまった体が宙を舞う羽目になっている。
攻撃する意図があった以上、こうして何事も無く立ち上がってしまっては、それは、『お前らの攻撃なんて効かねぇ』と同義。
予想するのは、さらなる猛攻。
この辺の地形が変わってしまっても、あの月の部隊が相手だったのなら、むしろ、それ位は普通に出来そうな兵器を、使ってくるかもしれない。
そうなったのなら……
(やばい、このままだとジェイスを守れない)
気化爆弾とか焼夷弾とか……もしくはすっごいSFチックな爆発系のものとか。
そんな安直なものしか思い浮かばないが、その手の広範囲攻撃なんぞやられた日には、とてもじゃないが、意識の無い彼を庇い切れない。
投降という道が消えてしまった以上、選択肢は二つ。
全力で逃げ切るか、全力で捌き切るか。
だが、前者の案は即座に切って捨てる。
移動だけならまだしも、重体であるジェイスを労わりながら行動するなど、今の俺には不可能だ。
それに、瞬間移動やワープといったものでもない限り、彼ら月の軍の攻撃範囲から無事に逃げ切れるとは思えない。
(ノーダメージを維持しながらジェイスを抱えての移動……無理だ。思いつかない)
それをするにはカードの使用枚数も、何よりマナが足りない。
だとするなら、取れる方法は後者。
相手を信じてノーガード。なんて考えは、先に受け攻撃を考えるに、考慮にすら値しない。
行うは防衛。
それも一発の弾丸も通さない、鉄壁を超えた、絶対防御。
(【壁】系クリーチャーの召喚か……? でもあれはなぁ……)
『壁』
数ある【クリーチャー・タイプ】の一つ。
【防衛】と呼ばれる特殊な能力を持ち、この能力は相手への攻撃が出来ない、という、一種のデメリットである。
基本的にパワーが低く、タフネスが高めに設定されており、【マナレシオ】―――コストパフォーマンスが優秀な傾向が強い。相手のクリーチャーの攻撃を防ぎ、足止めや延命をするのに、最適なクリーチャーである。
ただ、だからといって一方的な受身クリーチャーかと言われれば、その様な事は無く、中には受けたダメージを相手へ返したり、攻撃して来たクリーチャーを破壊する効果を持つモノもある為に、一概に考えることは出来ない。
これらクリーチャーを展開し、その隙に高コスト、または超高コスト呪文に繋げて行くのが主な使い方である。
『クリーチャー・タイプ(以下・タイプ)』
文字通り、クリーチャーに存在しているタイプ―――種族を表す。
クリーチャーには全て、これら【タイプ】が存在しており、様々な面でこれら項目がゲームに影響を与えてゆく。
よくカードゲームである、特定のカードのみを使用して【シナジー】を構築する―――俗に言う部族(種族)デッキの場合に参照する。ドラゴンデッキ、天使デッキといったものが良い例。
一つのカードに複数【タイプ】を持つものもある。
総じて防衛に最適のクリーチャーではあるのだが、やはり受身メインなものが殆どな為&それ以外の優秀な奴を思い浮かべられないので、残念ではあるが、選択肢から外しておく。
……だって、他にもっと良いものを考えてあるから。
軍隊が到着するまでに考え付いて、ホント良かった……。あれならば、滅多な事では陥落する筈は無い。
(多少あっちを掻き乱してやれば、少しはこっちの話を聞いてくれるかもしれないよな)
あれと敵対するのは馬鹿らしい、とか思ってくれたのならラッキー。
もしくは、ジェイスが回復するだけの時間を捻出できれば御の字……というか、目標達成だ。
何やら遠くで隊員同士がガヤガヤやっているのは、きっと何か強力な兵器を準備でもしているのだろう。
(ふふん、やらせはせん。やらせはせんぞぉ!)
先制パンチはくれてやったのだ。
後攻の利点、正当防衛は主張させてもらうぜ。
(コンボ発―――っととと。どうせなら単発で行ってみるか。あのカードに描かれた光景が実現するんなら、動揺の一つでもしてくれるかも)
今使おうとしているコンボは、一枚一枚使おうがデッキ名を唱えようが、【ハルク フラッシュ】の時の様に、成果が出るまで時間が掛かるという訳ではない。
どうせこれを使ったら、マナストックは無くなるのだ。使える演出は多ければ多いに越した事は無い。
そこに気を取られて、平常心を乱してくれでもすれば、色々と付け込む隙が現れるだろう。
(交渉から始めなかった事を、後悔するがいい!)
ぬははは、と内心でドヤ顔をかましながら、使用するカードを唱える。
―――ジェイスをカードに戻せば色々と解決出来る問題があったのでは、と。
銃弾を受けて余裕が無くなったのか、初コンボ使用による興奮からか。
始めの頃に考えていた結論は、終ぞ出てくる事は無かった。
「そいつを営倉にぶち込んでおけ!」
命令違反を犯した隊員を見送りながら、その部隊を纏め上げていた長は、深く溜め息を付く。
引きずられる様に離脱していくその隊員からは、『このままじゃみんな』『今やらないと』など、感情を最優先にしている節が多々見受けられた。
―――何を当たり前の事を言っているのだろうか。
あまりに馬鹿馬鹿し過ぎて、頭を抱えてしまいそうになった。
そんな気持ちなど、ここにいる殆ど全ての者は抱えているに違いない。
かく言う自分だって、その気持ちには同意する。
こんな悠長な事などせずに、一気に捕縛、ないし砲撃の嵐を降り注げられたのなら、どんなに楽だろう、と。
そして、だからこそ、そんな気持ちを抑え込んでいる皆の意思に応えなければならない。
だというのに先のものは、それを踏みにじったなかりか、状況すら変えてしまいかねない事態を起こしてしまった。
ゆっくりと立ち上がった目標は、全身の力を抜いて、だらんと何も反応する事無く佇んでいる。
攻撃を受けた事で我を忘れているのか、何か特殊な力でも使う気でいるのかすら分からないが、正常な反応だとは思えない。
恐らく頭部に命中したであろう弾丸に、報告書通り、何の損傷も見受けられない事から、例の破壊不可の能力は既に発動しているのだろう。その証拠に、対象の周りには、例の漆黒の円盤が浮遊していた。
一定の攻撃を弾く円盤らしいのだが、流石に音の数倍に近い速度で飛来する弾丸は防げなかったようで、何も出来なかった、と思わせるように、ふよふよと漂っている。
周りの色と相まって、あの円盤は目視では大変発見され難くなっているのも、例の隊員が攻撃を行った理由だろう。
この出来事は本部に連絡を入れるべきかと悩み始めたところで、
「た、隊長!!」
傍にいた隊員が、怒鳴るような……怯えるような声を上げた。
「一体なん……だ……」
余計な事に気を取られ、僅かの間、意識を、自分の中へと向けてしまったのがまずかった。
一瞬とはいえ、作戦行動中に目標から注意を逸らしてしまうなんて。
本来ならば、何の問題もなかったであろう、たった一瞬。
ただそれは、目の前の光景の前に、愚かであったのだ、と突きつけられる。
一面には、青く、澄んだ世界が広がっていた。
視界に広がるのは、無限の宇宙を地面に写す、合わせ鏡。
それは、途方も無い大きさの銀板。
目標の男を中心とした大地が、かなりの範囲に渡って、氷の土地へと姿を変えていた。
「各員、状況を報告!」
すぐさま指示を飛ばせたのは、やはり日頃の訓練と、心構えの賜物であろう。
「こっ、こちら02! 突如足元が凍り付きましたが、作戦遂行に影響なし!」
「こちら11! 02と同様!」
「こちら09! 若干の足場の乱れはありますが、支障なし!」
それぞれ上がってくる報告に耳を傾けるが、やはり誰の目にも、この現実は見えているらしい。
唐突に現れた、極寒の世界。
もっとも、光が届かぬこの月の裏側は元々が絶対零度であった為に、違和感を覚える話だ。
しかし、それ以外の言葉が思いつかないのも、また事実。
地上の資料で、太陽の光が届き難い地域で見られる光景であったな、と、部隊長は何処か自分を遠くに見ている視点で、そんな事を思う。
雪、という氷の粉末結晶体こそ見受けられないものの、その世界は穢れの大地の一部と瓜二つ。
こんな雰囲気でなかったのなら、いっそ幻想的ですらあるこの風景に、感動すら覚えたかもしれない。
―――まるで、何かの心臓が鼓動するような音を聞かなければ。
自分の体から今まで何度も耳にしている、均一なリズム。
ドクン、ドクン、ドクン。
赤子の子守唄のようなそれは、けれど、かつて耳にした事の無い程に大きな振動となって、体のみならず、大地を静かに……とても静かに揺らしている。
音源は足元から伝わって来ていたので、必然、そちらへと目が向く。
一体何の音だ。
発生源を確かめようと、視界を星空の写り込んだ大地の……さらに奥へと目を凝らす。
幾ら氷とはいえ、この地面はそこまで明度は高くない。
……だが、見える。
無言で直立している、大罪人の足元に。
響く鼓動に乗せて、自己を主張しているかの如く、しっかりと。
星々の輝きで薄っすらと浮かび上がるその姿は……。
「ひっ―――!?」
誰かが驚嘆の声を上げた。
軍に関わるものとして、それは他の者から叱咤されても仕方のない反応だ。しかし、誰もがそれを指摘しないというのも、また仕方のない反応である。
空に輝く星の光に紛れる様に……けれど、それらとは一線を超えた、圧倒的存在感。
目と呼ばれるであろうその光源は、今まで見た何よりも恐ろしいものであった。
そして氷結の世界に沈むその光に導かれるように、霧かかった視界が晴れてくるかのように、全体像が見えてくる。
……その姿、何と形容すればいいのだろうか。
どのような存在にも当てはまらず、どこかの幼子が悪戯に描いたと言われた方が納得するかもしれない。
岩のような質感の巨体から、幾本もの太い木の枝を生やし、その一本一本が樹齢数百~千年を迎えているであろう程もある。
それらの大本である体は暗闇に没していて確認出来ないが、数十メートルはゆうに超えている事は、霞みながらも輪郭で分かってしまう。
こんな姿をした存在など聞いた事が無い。
地上の悪魔や妖怪といった、通常の生態系からかけ離れた生き物ですら、動物や昆虫、魚介類などの形を多少なりとも模しているというのに。
「地下に巨大な質量異常! 現存していた物質を塗り替えて出現しました! 同時、生命活動を確認。数は……1!」
今更その報告に、何の意味がある。
誰もが呆気にとられていた中、自分の役割をこなした観測隊員には悪いが、この場にいる全ての者が、その事実を直視している。
何度も読み返した小説の説明を受けた時のように、『そんな事は分かっている』と言ってしまいそうになった。
だが、その報告で、意識が目の前の光景を受け入れようと動き出す。
装備、隊員、陣形、全てにおいて異常無し。
大地が氷に変わってしまった事が唯一にして最大の変化だが、こちらはまだ命どころか装備の一つすら失ってはいない。
(命令が変更されていない以上、やる事は変わらん。どんな事があろうと、目標の捕縛を遂行するのみ)
与えられた任務を再確認し、隊長は何とか自分を取り戻す。
「本部に通達! 現在、犯人の撹乱能力と思われる現象に遭遇。被害は無いものの、その能力は未知数。過去の情報には含まれておらず、観測の強化を具申。送れ!」
未だ先程の指示への返答は無いのが、こんなにも憤怒しそうになるのだと、その隊長は身をもって実感した。
呼応して返事をする連絡員を意識の隅にやりながら、恐らくこの事態を引き起こしたであろう犯人を睨み付ける。
撃たれた直後と同じところに立ったままだが―――彼の横には、今まで見た事も無い人物が立っていた。
「報告!」
同時、観測班からの連絡が入る。
顔をそちらに向けて、目先にいた対象―――容姿からして黒衣の女性だろうか―――の情報を求めた。
「たった今、目標の横に人型の生命体が出げ……ん……」
「……どうした。続きを言え」
「……消えました」
「……何?」
「……目標、消滅。……現れた人型は光となって消えました。転移などの形跡も無し。―――完全にロストしました」
もはや訳が分からない。
氷の大地が出現したと思った矢先に、これだ。
完全に理解の外側で起こっている現象に、頭がどうにかなりそうだ。
凍った地面が出てきて、そこには未知の大型生物が居て。人型が出現したと思ったら、正確に確認する間もなく、消え失せた。
一体何がしたくてこんな摩訶不思議な現象を引き起こしているのだろう。いや、そもそもこの現象は、あの犯人が引き起こしているのだろうか。
いっそ、どこぞの神の茶番劇だと言われた方が、まだ納得出来るというものだ。
―――そうして。
その理解は、さらに及ばぬ所へ向かう事になる。