妖怪たちの襲撃によって里は大きな被害を受けてしまっていた。だが幸いに死者も出ず、村人たちは皆無事にそれを乗り越えることができ、今里では壊れていない建物の中で食事と言う名の宴会が開かれていた。里の者が皆参加していることもありその賑やかさは夜であるというのを忘れてしまうほどの物。男たちは料理と酒を嗜み、女たちはその準備をしながらも楽しそうにおしゃべりをしている。まるで今日の出来事が嘘だったのではないか。そんな風に思えてしまうような暖かで楽しい時間が里には流れていた。そしてその中には本来ならいないはずの存在も混じっていた。
「どうじゃ、これが変化の術じゃ!」
自慢げな声を上げながら七宝は自らの変化の術を里の者たちの前で披露している。その術の出来自体は決してほめられたものではないのだが七宝が小さな子供であること、皆酒によって酔ってしまっているためそれは些細なことだったらしい。七宝の変化によって里の中に笑いが生まれ、それに調子をよくした七宝がさらに騒ぎたてている。まるでずっと前からこの村にいたのではないかと思ってしまうほど七宝は馴染んでしまっている。それは七宝の純粋さと人懐っこさが為せる技だった。
「琥珀、お前もこっちに来んか、一緒に遊ぶぞ!」
「わ、分かったよ七宝。」
七宝がそう言いながら半ば強引に琥珀を引っ張っていく。琥珀はそんな七宝にされるがまま。そんな琥珀の姿に里の者たちからさらに笑いが起きる。歳が近いということもあり、七宝は琥珀に親近感を感じているのがその理由。琥珀自身、その強引さに戸惑いながらも満更でもないらしく苦笑いしながら七宝に付き合っている。それはまるで兄弟の様。そんな微笑ましい光景は里の人々にとっても和む物だった。それに気を良くしたのかお頭を含む、退治屋の男衆が立ち上がり声を上げて騒ぎ始めてしまう。もはや収拾がつかない宴の光景を呆れながらも珊瑚はどこか安堵しながら見つめていた。
今、自分の目の前に広がっている光景。それは当たり前の、日常の光景。だがそれがどんなに貴重なものであったか。それを考えずにはいられない。もし何か少しでも違っていたら、何かがずれていればきっとこの光景は二度と見ることができない物になっていたのだろう。それほどの危機が今日、自分たちに襲いかかってきたのだから。
珊瑚はそのまま視線をある方向に向ける。そこは部屋の隅。そこに一人の少年の姿がある。
それは犬夜叉。
先程七宝に半ば強引にこの場に連れてこられたのだがその表情は不機嫌そのもの。宴会が開かれているというのにそれには加わらず刀を抱えたまま部屋の隅に座り込んでしまっている。どうやら宴会には加わるつもりはないらしい。だが全くそれに興味がないわけではないのだろう。その証拠にその視線は宴会の様子をちらちらと伺い、その耳は聞き耳を立てているかのように微かに動いている。犬夜叉がやせ我慢をしているのは誰の目にも明らかだった。
「そんなところで見てないで行ってきたらいいじゃないか。」
「……うるせえ、俺に指図すんじゃねえ!」
そんな犬夜叉の様子を見かねた珊瑚がそう助け船を出すものの犬夜叉はそれを突っぱねた後、再び不貞腐れた様子を見せたままその場を動こうとはしない。それが先程からずっと繰り返されている状況だった。まるで反抗期の様な犬夜叉の姿を珊瑚は呆れながらも眺め続ける。元々人見知りが激しそうだとは思っていたがこれほどまでだとは珊瑚も思っていなかった。だがその姿はどこか普通ではない。
確かに犬夜叉は初めて出会った時は取り付く島が無いような態度を取っていたがここまでではなかった。それは里の者たちと対峙してから特にひどさを増している。まるで里の者たちを遠ざけるような、いや恐れているのではないかと思えるほどの態度を見せている。自分は既に里の者たちに犬夜叉の事情をある程度説明し、先の脅しも冗談だったと伝えている。もちろんそれをそのまま受け止めるほど里の者たちも甘くはないが珊瑚やお頭の言葉、加えて理由は分からないとはいえ自分たちを救ってくれた存在。里の者たちも七宝同様犬夜叉を歓迎したのだがそれを全て犬夜叉はそっけない態度で返すことしかしなかった。まるで自分たちとは関わり合いになるつもりはないと、そう宣言するかのように。その結果が今の状況だった。
珊瑚は何故犬夜叉がそんな態度を取っているのか分からない。確かに見た目と言動は荒っぽいがお人好しであることは間違いない。なぜわざわざ嫌われるような、距離を取るようなことをしているのか。だがそれを直接聞いたところで答えたりはしないことは分かり切っている。しかしこのまま犬夜叉を一人きりにしているわけにもいかない。珊瑚はそのまま半ば強引に犬夜叉の隣に腰掛ける。
「な、何だよ!?」
そんないきなりの珊瑚の行動に犬夜叉は驚きの声を上げる。だが珊瑚はそんな犬夜叉の姿を見ながらも何でもないことの様に話しかける。
「ちょっと話がしたいと思ってね。別にいいだろう、暇そうにしてたし。」
「お、お前……」
歯に衣着せぬ珊瑚の物言いに犬夜叉はただ呆気にとられるしかない。以前から思っていたがこうなった珊瑚には何を言っても無駄であることは少ない時間の付き合いとはいえ犬夜叉も理解してきたためあきらめながらその場に座り込むことを決め込む。その姿をどこか満足気に眺めた後、珊瑚は隣にいる犬夜叉に話しかけていく。
「犬夜叉はあの森に来る前もずっと四魂のカケラを集めてたの?」
「………ああ、そうだ。」
珊瑚の問いに犬夜叉はどこか投げやり気に答える。しかし珊瑚はそれを気にすることなく他愛ないことを話し続ける。どこで生まれたのか、どんな食べ物が好きなのか、どんな風に生活していたのか。犬夜叉はうんざりした様子を見せながらもそれに応えていく。だが珊瑚は感じ取っていた。
それは犬夜叉の雰囲気。それはどこか警戒を感じさせるもの。まるでいらないことを、言ってはいけないことを考えながら言葉を選んでいるかのように。そして一通り質問が終わり、二人の間に時間が流れる。だがそれを破るかのように珊瑚が口を開く。
「……父上から聞いたんだけど、五十年前に封印されたっていうのは本当なの?」
それが珊瑚が聞きたかったこと。お頭から聞かされた話の中で最も気になっていた四魂の玉を守っていた巫女によって封印されたという話。だがそれがどうしても珊瑚の中では引っかかっていた。それが事実だとすれば今も犬夜叉は四魂の玉を狙っていることになる。だが犬夜叉には玉に関する執着が感じられない。もし本当に玉が欲しいだけなら先程力づくで奪って行ったはず。話の中でも村を襲ったというのだからなおさらだ。だが目の前の犬夜叉はそれを行わなかった。自分がそれを妨害したこともあるが恐らくはそれが無くとも村人たちを傷つける気が無かったのは明白だった。そんな様々な疑問の答えがきっとこの質問で分かるはず。珊瑚はそう判断し、その質問を投げかける。だが
「……………」
犬夜叉はそのまま何を言うでもなく黙りこんでしまう。まるで何も言うことはないと、そう告げるかのように。だが犬夜叉がその質問に大きな反応を示しているのは明らか。しかしそれ以上待っても犬夜叉は口を開こうとはしなかった。どうやらやはりこの質問は犬夜叉にとって答えたくなかったものだったらしい。そう悟った珊瑚は空気を変えようと違う話題を振ることにする。
「……そういえば犬夜叉はいくつなの?」
それは初めて会ってから結局まだ一度も聞いたことが無かった質問。本当ならもっと早く聞くつもりだったのだが半妖は人間とは歳の取り方も寿命も大きく異なるため聞けずじまいになってしまっていたのだった。犬夜叉はいきなり話題が大きく変わったことと質問の内容に何か思うところがあったのかしばらく黙りこんでしまう。そしてしばらくの間の後
「………十四だ。」
そう静かに答える。それはまるで自分自身でそれを確かめるような呟き。そのことを不思議に感じながらも珊瑚は改めて犬夜叉に目を向ける。恐らくは人間でいえば十四歳相当だということなのだろう。
実際犬夜叉の体は正確にいえば二百歳前後。人間でいえば十五歳相当なのだが少年はあえて自分の本当の年齢を答えたのだった。それは少年のある意味意地、こだわりの様なものでもあった。だがそんなことなど露知らず珊瑚はそれに答える。
「そうなんだ、あたしは十六だ。そういう意味じゃあたしの方が歳上かもね。」
珊瑚はそう冗談交じりに話しかける。実際精神年齢であれば自分の方が犬夜叉よりずっと大人であることは間違いないだろう。そのことにどこか優越感を感じている中、珊瑚は気づく。それは犬夜叉の姿。その表情が驚きに染まっている。一体何をそんなに驚く必要があるのだろうか。珊瑚が首をかしげていると
「お前、十六だったのか………十六の割には随分」
「『随分』……何?」
犬夜叉がそう自らの本音を口に、いや口にしかけるもののそれを寸でのところで止める。それは殺気。それが自分の目の前にいる珊瑚から発せられていることに犬夜叉が本能で察したから。珊瑚はこちらを見ながら笑みを浮かべている。だがその胸中が穏やかではないのは鈍感な犬夜叉でも理解できていた。もしその言葉の先を口にすれば飛来骨の一撃が自分の頭部に襲いかかってくるのは火を見るより明らか。
「いや……何でもねえ……」
犬夜叉は顔を引きつかせながらそう口にすることしかできなかった…………
長かった宴会も終わり、里には夜の静けさが戻り里の者たちは皆眠り落ちてしまっていた。だがそれは無理のないこと。それだけの戦闘が今日は立て続けに起こったのだから。だがそんな静まり返った里の中を動いている人影がある。それはまるで物音を立てないようにしながら歩みを進めていく。里の者たちはその存在に誰ひとり気づくことはない。そしてその人影が里の出口に差し掛かったその時
「……どこに行くつもり、犬夜叉、七宝?」
その人影に向かって少女の声が掛けられる。その瞬間、声を掛けられた人影は動きを止めがら振り返る。同時に月明かりが辺りを照らし、その場を包み込んでいく。
そこには着物姿の珊瑚と七宝を肩に乗せた犬夜叉の姿があった。両者はそのまま何を言うでもなくただ見つめ合っている。そんな中
「ど……どうするんじゃ、犬夜叉?見つかってしもうたぞ……」
七宝が焦りながら犬夜叉に問いかける。どうやら見つかりたくない場面を珊瑚に見つかってしまったらしい。だがどうしたものかと七宝は狼狽することしかできない。だがそんな七宝とは対照的に犬夜叉は慌てることなくそれに答える。
「……決まってんだろ、ここから出ていくところだ。」
その姿には一片の戸惑いも迷いも見られない。ただ純粋な事実だけを犬夜叉は口にしていた。それは何もおかしいことではない。里を救ったことで一時的に宴会に誘われはしたもののずっとここに留まる気など犬夜叉には全くなかった。面倒な事態に巻き込まれる前にここから出ていく。それが犬夜叉の判断だった。だがそんなことは珊瑚とて分かっている。だが声をかけなければならない理由が珊瑚にもあった。
「じゃあその手にあるカケラは何?」
珊瑚の視線が犬夜叉の右手に向けられる。その手の中にはこの里にあった三つの四魂のカケラが握られていた。それは犬夜叉が皆が寝鎮まった後、探し出したもの。それを手に入れることが犬夜叉が宴会の場に留まっていた本当の理由だった。
「言ったはずだぜ。四魂のカケラは頂いていくってな。お前らが持ってても奈落に奪われるのがオチだからな。」
犬夜叉はそれを見せびらかし、まるで挑発するかのように珊瑚に言葉を放つ。それはある意味で決別宣言。これ以上慣れ合う気はない。戦闘になっても構わない。そんな決意が込められた言葉だった。そんな言葉に七宝はどこか落ち着かない様子を見せ続けている。七宝としては犬夜叉の味方をしたいのだが自分たちによくしてくれた珊瑚たちを裏切るような気がしてどうしてもいたたまれない心境だったからだ。
犬夜叉はそのまま臨戦態勢で珊瑚と対峙する。それはいつでも戦闘、もしくはこの場を離脱できるようにするため。だがそんな予想とは裏腹に珊瑚は犬夜叉に向かってこようとはしなかった。
その自分の予想とは大きくかけ離れた珊瑚の姿に犬夜叉は驚きを隠せない。自分はこの里にあった四魂のカケラを奪い去ろうとしている。それは珊瑚個人としても、退治屋としても見過ごせるものではないはず。だからこそ自分を追ってここまで来たのだろう。なのに何故、何もしてこようとしないのか。犬夜叉が困惑していると
「あたしはあんたに提案があってここに来たんだ。」
珊瑚がどこか真剣な表情を見せながらそう告げる。その言葉に犬夜叉は戸惑うことしかできない。一体何を言おうとしているのか。だがそんな犬夜叉の姿を見ながらも
「犬夜叉、あたしたちと一緒に妖怪退治屋をする気はない?」
そんな提案を珊瑚は口にした。瞬間、犬夜叉の時間は凍りついた。
「…………………は?」
何とか我を取り戻した犬夜叉はそんな間抜けな声を上げることしかできない。当たり前だ。何がどうなったらそんな話になるのか。訳が分からない事態に犬夜叉は混乱することしかできない。だが珊瑚はそれを見ながらも言葉をつづけていく。
「強くなるのがあんたの目的なんだろ?あたしたちの仲間になれば妖怪と闘うのには困らないはずさ。四魂のカケラだって集めやすくなるはずだよ。」
それは客観的な事実。自分たちに仲間になりなることで得ることができるであろう犬夜叉にとってのメリット。そしてそれを提供することにより犬夜叉を勧誘すること。それが珊瑚の狙い、任務だった。
犬夜叉の言う通り、自分たちがこのまま四魂のカケラを持っていても奈落に奪われてしまう可能性が高い。そう言った意味では犬夜叉に持っていてもらった方が遥かに安全だろう。そして犬夜叉が自分たちの身を案じ、四魂のカケラを持って行こうとしていることを珊瑚はとっくに見抜いていた。素直にそう言えばいいにも関わらずわざとあんな言動しているのが犬夜叉らしいと言えば犬夜叉らしい。だがそのまま犬夜叉に全てを任せるのは、押し付けるのは退治屋としても、自分自身としても納得ができるものではない。
奈落という妖怪と犬夜叉が何か因縁があることは七宝から聞き及んでいる。既に奈落に目をつけられてしまった以上、自分たちもそれと対峙していくことは避けられない。ならばバラバラになるよりも手を組んだ方が効率がいい。それが犬夜叉を仲間に誘おうとしている退治屋としての珊瑚の判断だった。
そんな珊瑚の姿に犬夜叉はその提案が世迷言ではないことを悟る。そしてその決意が深いものであることも。確かにその提案は自分にとってもメリットは大きい。自分が里に留まることによって里が狙われるリスクもあるが自分が離れてしまった後に里が襲われそれを人質にとられるような事態の方が自分にとっては厄介だ。ならばいっそ仲間になった方がやりやすいかもしれない。今回は罠に掛けられたため後れを取ったが退治屋たちの実力はかなりの物。やすやすと後れを取ることはないだろう。特に珊瑚に関しては大きな戦力になる。
加えて衣食住の心配をしなくてよくなるのが大きい。自分だけならまだどうとでもなるが七宝に関しては話が別だ。できるならまともな環境で暮らさせてやりたいと考えており、この提案に乗ればその問題は解消される。もしもの時には七宝を預けることができる。自分としてはこの提案を断る要素はほとんどない。こちからからお願いしたいぐらいだ。だがそれができない理由があった。それは
「…………分かってんのか、俺は『半妖』なんだぜ?」
自分が半妖であるという、ただそれだけの事実。そしてそれが全てだった。
珊瑚はその言葉にどこか気圧されてしまう。それほどの重さがその言葉には込められていた。だがそれを聞きながらも珊瑚は
「ああ、あんたが妖怪だろうが半妖だろうが構わないよ。それにこれは父上からの許可ももらってるから心配もいらないよ。」
笑みを浮かべながらそう告げる。この提案は珊瑚の父からの物でもあった。お頭は恐らくは犬夜叉が四魂のカケラを持って里を去っていくことを見越し、その説得を珊瑚に任せていた。それは犬夜叉の強さが里にとって魅力的だったこともあるがそれ以上に先代のお頭の言葉がその理由。
かつて自分たちは四魂の玉を桔梗という巫女一人に押しつけてしまった。その結末は語るまでもない。そして半妖とはいえまだ幼い少年がそれと同じ状況に至ってしまっている。同じ間違いを再び犯すわけにはいかない。それが退治屋の里のお頭の判断だった。
そんな珊瑚の言葉に犬夜叉は驚き、目を見開きながらもそれ以上何も口にしようとはしない。その姿に珊瑚は目を奪われる。その姿から犬夜叉が何かに悩み、決断を下せずにいることを悟る。だがこれ以上退治屋としては言葉を掛けることはできない。できるのは
「それにあんたにはまだ負けたまんまだからね。借りを返すまでは嫌でも付き合ってもらうよ。」
退治屋としてではない自分自身の言葉を犬夜叉に掛けることだけだった。
そしてそれが最後の決め手になった。
「…………後悔しても知らねえぞ。」
犬夜叉はどこかあきらめを感じさせるような姿でそう答える。それは先の提案に対する犬夜叉なりの答えだった。その言葉に珊瑚はもちろん、七宝も喜びの表情を見せる。どうやら七宝も珊瑚の提案には心惹かれるものがあった様だ。珊瑚はそんな言葉を聞きながらも改めて犬夜叉と向かい合う。
犬夜叉と珊瑚。少年と少女が互いに向かい合う。そしてそれに合わせるように珊瑚の右手が差し出される。
「退治屋の珊瑚だ。よろしく。」
それは仲間に向ける初めての言葉。
「………犬夜叉だ。」
少年はそれが恥ずかしいのかそっぽを向きながらその手を握り返す。だがそんな二人の姿が嬉しかったのか犬夜叉の肩に乗っていた七宝がはしゃぎ、騒ぎ始める。犬夜叉はそれを何とか諫めようとするが七宝は逃げ回りながらそれをからかい続ける。珊瑚はそんな二人の姿をどこか微笑ましく見守っている。
それが犬夜叉と珊瑚が仲間になった瞬間だった―――――