■帝国暦488年5月10日 ハ―ゼンクレバー家私設艦隊旗艦マルクグラ―フ:エッケハルト・フォン・ハ―ゼンクレバー
なんの因果か、「成り上がりの金髪の孺子」めを激しく憎む私が、孺子の陣営の一員として戦うはめになろうとは。
リップシュタット盟約への参加をめぐって一門が集まったとき、若君さまは孺子についてこうお述べになられた。
「…あの方にお味方して勝ったとしても、加増や昇進があるとは限りません。むしろ何の厚遇も受けないどころか、激しく冷遇されることも十分にありえます。あの方について、貴族諸卿は『帝室の藩屏たる貴族』というものに何らの価値も認めておられないに違いないと噂していることは、まったく正しい。私は、あの方ご自身の口から、そのようなご主旨の言葉をじかに聞いているので、間違いありません。
にもかかわらず、私はあえて皆さまがたに、けっして盟約には加わらぬように、あの方の側につくように、強く求めます。
なぜならば、あの方は、正規軍の中でももっとも良く訓練された精鋭中の精鋭を、提督の中でも選りすぐりの方々に率いさせているからです。私が今お仕えしているケンプ提督も、そのような提督のひとりです。そして一方で、対する貴族連合軍は、どれだけ数をあつめようとも単なる烏合の衆にしかなることができないからです。
私は幼年学校で学び、正規軍で任務にあたるなかで、このことをつくづくと実感してきました。この点は、皆さまがたには特に強く強調しておきたい。私がひとりだけであの方へ奔(はし)らずに、皆にも従ってくれるよう求めるのは、一門の宗主として、皆さまがたが滅びの道を選んでしまうことを見のがすのに忍びないからです。」
宗家をはじめとする我ら一門の所領は、ガイエスブルクの近傍に位置している。
3月の中旬から下旬にかけて、盟約に署名した貴族たちがオーディンを脱出してガイエスブルクに集結し始めると、若君さまは、もったいなくも孺子に頭をお下げになり、われら一門が兵を率いて領地にもどることを許すようお頼みになった。しかし若君さまご本人は、孺子の命令で、ケンプ提督やらの部下として、そのまま孺子の本隊とともに出撃なさった。
孺子は若君さまを連れ去っておきながら、ガイエスブルクに備えるための援軍を送ってくることはなかった。ただ宗家の旗艦バルトフライヘルだけが、探知衛星などの機材を積んだ輸送船とともに戻ってきただけだった。
バルトフライヘルのヴィルヘルム・シュトフ艦長は、若君さまから命じられたと称して、一門の諸侯に対し、全艦の指揮を自分にゆだねるよう主張した。
このシュトフ艦長なるものは、大佐の階級を名乗っているが、もともとは、若君さまが軍の幼年学校にあがられる際に、従者としてつけられた身分低き領民にすぎない者である。シュトフ艦長は、そんな分際ごときで、私をはじめとする一門の諸候に対し、領主としての義務と責任、誇りをないがしろにすることを要求する大変に不快な要求を行ってきた。まことに増長の極みである。
シュトフ艦長の指図に私が従っているのは、彼が我々に提示した「金髪の孺子」名義の命令書のためではない。
若君さまは、シュトフ艦長に持たせた書簡で、あらためて我らに懇切丁寧に依頼をなさり、なによりも、ご先代さまが、「イザークの指図に従ってくれ」とわれらに頭をお下げになられて懇願なさったからである。そのご先代さまは、いまシュトフ艦長とともにバルトフライヘルの艦橋にあられる。
一門の各艦の艦長たちは、司令官シュトフ艦長の作戦や指示・命令を聞くと、不思議なことに一気に高揚し、生き生きとして戦闘準備に取り組みだした。そして、ガイエスブルクから我々を「懲罰する」と称して攻めよせてきた1,000隻の艦隊(指揮官:シュヴェッペンブルク子爵)を、正面からの砲撃の応酬によりあっけなく打ち破った。
そしていま、ガイエスブルクからふたたび来寇した2,000隻(指揮官:マントイフェル伯爵)を迎え撃とうとしている。
わが一門の4倍の勢力であるのに、司令官シュトフ艦長も、わがマルクグラ―フのジンダーマン艦長も、まったく恐れる様子がない。シュトフ艦長は、全艦隊通信を使って、無礼にも「あいつら、とことんマヌケだ」と批評した後、奇襲攻撃のために岩礁宙域や衛星の背後などに潜ませていた艦艇に集結するよう指示を下し、正面攻撃でむかえうとうとしている。
3月の下旬、オーディンで若君さまのことばを聞いた時は、私は「金髪の孺子」を買いかぶりすぎだ、ご心酔のあまりたぶらかされてしまった、と疑ったが、いまではその判断は間違いだったのではないかと考えている……。
■帝国暦488年5月20日 ガイエスブルク要塞:
シュターデン率いる「オーディン攻略軍」が進発してからほどなく、退屈した大貴族の一部が、門閥大貴族の一員であるにもかかわらず、ローエングラム侯につく意思をはっきりと示したトゥルナイゼン親子とその一門に対し、「懲罰」を加え、血祭りにあげよう、と主張しだした。
メルカッツ総司令官は、戦略的に意味のない兵力の分散・消耗だとして彼らをたしなめたが、彼らは盟主ブラウンシュヴァイク公に掛け合って出兵の許可を取り付け、リップシュタット盟約の署名順位7位のヴィトゲンシュタイン一門を中心とする計1,000隻の艦隊が出撃することとなった。
トゥルナイゼン一門の勢力は総力をあげてもわずかに500隻強。勝利は確実と思われたが、四月末、トゥルナイゼン家懲罰部隊からの交信が突然断絶した。5月初頭に入り、第一陣は一隻のこらず完全に撃破されたという消息が伝わってきた。
逆上したヴィトゲンシュタイン侯爵は、5月中旬、さらに2,000隻からなる第二陣を派遣したが、なんとこの戦隊もほぼ完全に撃破されてしまい、一隻ももどらなかった。
逆上した貴族たちが、さらに大規模な第三陣を派遣する準備にとりかかったその時、シュターデンの「オーディン攻略軍」の壊滅が伝わってきた。
ガイエスブルクは震撼した。
■帝国暦488年5月30日 レンテンベルク要塞 ロットヘルト戦隊旗艦シュタルネンシュタウプ:ヴィクトーリア・フォン・ロットヘルト
「オーディン攻略部隊」の残存部隊4,000隻は、四隊に分散し、それぞれみっつの拠点(マリエンベルク・エルヴィング・レンテンベルク)を目指してアルテナ星域を離脱した。
第1戦隊(ロットヘルト一門を中心とする1,000隻)、第3戦隊(ミュンヒハウゼン一門を中心とする1,000隻)は、5月20日、それぞれのルートをたどって第三の拠点レンテンベルク要塞にたどりついた。ついで29日には第2戦隊(ホルシュテインとファイアージンガーの一門を中心とする1000隻)が、本日30日には総司令部とノルデン一門が、それぞれ2個戦隊あまりの正規軍部隊とともに、ひどい有様でレンテンベルクに逃げ込んできた。
総司令部とノルデン一門が目指した第一の拠点マリエンベルク、第2戦隊が目指した第二の拠点エルヴィングは、彼らが到着してほどなくローエングラム軍本隊の襲撃を受け、旧「オーディン攻略部隊」は、修理はむろん補給も充分には受けられないまま脱出するはめになったという。逃避行のさなか総旗艦アウグスブルクは被弾し、シュターデン司令官は危篤状態でレンテンベルクにたどり着いた。
レンテンベルクは10,000隻強の駐留艦隊を有し、イゼルローン・ガイエスブルクにつぐ帝国第三の規模を有する要塞である。司令官は正規軍のエアハルト・ラウス将軍。戦力をテコ入れするため、オフレッサー上級大将が帝国最強の陸戦隊・装甲擲弾兵とともに進駐してきている。
ローエングラム軍の来襲が迫っていることは確実であり、破損した艦艇をここで修理することは、危険である。いったんメンテナンスに入ったら、破損の程度に関係なく戦力には数えることができないし、要塞に危機がせまっても脱出もできないためである。
「オーディン攻略軍」とマリエンベルク、エルヴィングの残存部隊は、気密や動力など航行に関する最低限の補修を行ったのち一気にガイエスブルクまで退却し、そちらでじっくりと修理に取り組むことになった。
ノルデン提督と一門は、シュターデン司令官を警護したいといって、レンネンベルクに残ることになった。大貴族(宗家)たちの「叛乱」に心が折れてしまったのかもしれない。
■帝国暦488年6月1日 ロットヘルト戦隊旗艦シュタルネンシュタウプ:ヴィクトーリア・フォン・ロットヘルト
ホルシュテイン伯ミルヒ―には、どうしても訪ねてみたいことがあったので、オーディンへの途上に尋ねてみた。
まずは、アルテナ会戦の際に指揮権問題でもめた件について、こちらから頭を下げておく。
「伯爵閣下、先日は無理にお引き留めしまして…」
「いや、そのおかげで私と一門は命拾いしたようなものです。司令官にもお詫びしたい……」
これに対して増長するようなら、この人ほんとにアホだと判断せざるをえないところだったが、そんなことはなかった。そこでさっそく本題にとりかかる。
「妾(わたし)が不思議なのは、閣下もふくめ、宗家の皆さま方がヒルデスハイム伯の扇動に従われたという点です。ご自分たちの艦隊が、3月以来、シュターデン司令官のもとで猛訓練をつみ、実績を上げたのをご覧になっていながら、不思議でなりません。」
「私が司令官とノルデン提督の呼びかけに一門を参加させようと思ったのは、単に、ずっと後方にあって実戦経験がなく、最大でも100隻単位の艦隊行動の経験しかないような一門の艦隊を、鍛えていただこうという考えでした。」
「組織と指揮の一元化の意味や意義については……。」
「あの時点ではわかっておりませんでした。グレーフィンのご一門とともに敵の分艦隊に大損害を与えることができたので、わが一門の艦隊は十分に訓練ができたのだ、と考えました。……」
私を含む旧ロットヘルト分艦隊の宗家4人でシュターデン司令官を病室に見舞った際、ノルデン提督は私たちに告げた。
「組織と指揮の一元化ができないようでは、わが陣営は終わりです。皆さまが実践されたこと、ご覧になったことをぜひ、教訓として、ガイエスブルクにしっかりと伝えていただきたい。それが司令官の無念を晴らすことでもあります」と。
「ノルデン提督からは、わが陣営の今後を託されてしまいましたね……。」
「はい。たいへんな重責です。」
ガイエスブルクに連れてきた領民(=兵士)と領地で暮らす領民たち15家(+2家)分について、どうやってなるべく被害少なくこの内戦を切り抜けさせるか、という点だけ考えていたいのに、「貴族連合の命運」まで背負わされたよ……。
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2011.02.28 初版