事実は小説より奇なり。そんなものは小説よりも奇な人生を送っている人間の戯言である。
人間の大多数は"普通"であるのだ。
"普通"と呼ばれる概念が、全国や全世界で統計をとったとしたら、もっとも数が多くなるだろうと思われる群のことを指す以上、人間の人生がたやすく小説よりも奇になることはないといっても良いだろう。
仮に『事実は小説より奇なり』が当てはまると感じる人間がいたとすれば、それは小説に書かれることすらないほど普通な出来事であるか、もしくは、真性に異常な経験をした人間だけだろう。
「なんというか、また会ったね……」
一面の菜の花畑の中、自分と同じ容姿の少女を対面に迎えるありかは、明らかに奇なる経験をした人間の一人だ。
前回はもう一人の自分と遭遇して、そこから意識が曖昧というか、意識はあったけれど酒に酔ったような(父さんに飲まされたことがある。未成年飲酒だ!)感覚で一部の記憶がなくて抑えが効かなくなっていたというか、妙な気分になっていた。
というか実はもう一人の私=ただの酒だったんじゃないのか、なんて思いつつもぎんぎんと鈍痛を放つ頭蓋を支えながら立てば、相手は見慣れた顔に見慣れた体格。唯一の違いといえば無邪気な光を宿した瞳ぐらいのもの。それは明らかに自分で、今回で二回目の自己対面だった。
「……あなたは、誰?」
きょとん。
もうひとりのありかは頭に疑問符を浮かべた。突然現れた自分に似た人に、上手く理解が追っつかない。ぼけぇ、としばらく頭を回したあと、とりあえず一言だけ搾り出した。
「はじめまして」
不可解、ということはない。今までさんざん不可解も不可解、ありえないような現象を目の当たりにしてきたありかなのだから、今更この程度で認識力が根を上げるようなヤワな精神構造はしていない。理由も"先周”にあの魔法生物に聞いた事実から推察できる。
ひとまず、眼の前にある現象をありのままに受け止めて、同じように挨拶を返した。
「うぇ、うぇええええ!? わたしがもう一人!」
過去のありかが目を白黒させて飛び退いた。
飛び退きたいのはこっちだ、というかこの人生何とかしてくれ、そもそもゴキブリみたいな扱いするな。
……そう言いたくはあったが、台所の物陰からアレが這い出してくるのと双子でもないのに眼の前に突然自分と同じヒトガタが現れて挨拶してくるの、どっちのほうが怖いかと聞かれると後者のほうが怖い気がするので仕方ないといえば仕方ない。
「なに、なんなのコレ! ドッペルゲンガー? わたし死ぬの? 突然変死しちゃうの!?」
……とありかは思ったが、想像以上に夢見がちなもう一人の反応に内心ちょっとこけた。
いや、そりゃあ無いだろう。たしかに"人生を奪い取るバケモノ"である自覚はあるとはいえ、もっと他に動揺の仕方ってものがあるだろうと思わないでもない。
でも、ひとつだけ感心したことがある。
「なかなか悪くない勘、してるよ……」
正解だ、とばかりに歪められたありかの瞳はぬらぬらと、すべてを引き込む汚泥の腐臭を漂わせた。
――静寂。
今までじりじりと後ずさっていた、もう一人の春見ありかの踵が止まる。
菜の花の根を踏む音が止まれば、風一つ無い菜の花畑に残るのは一人の二人の呼吸音ばかり。
「いったい、なにをするつもり?」
幼い少女の瞳にはもう怯えの色は見られなかった。そこにある色は正面に現れた壁を叩き壊そうという、まっすぐな挑戦心――曇りなく明るい、一直線に希望に向かって突き進む太陽の光。
その輝きは、繰り返し続けたありかにはひどく愚かに見えた。――希望の光だなんてもう絶対に持ち得ないナニカだ。いつか誰かが持っていた、どんな新しいことにでも無警戒に無神経に、ずけずけと入り込んでいく無謀さだ。それはきっと、煌々とした強さと呼ばれるのだろう。
――だが、それはありかに必要のない"愚昧さ"だ。
希望だ希望だと前進すれば間違いなく足元を掬われる。足元も見ないで前へ駈け出していれば、いつか転んだ勢いのまま骨を折り、そのまま消え去るのが運命であると既に知っている。
周りも見ないで、己の分もわきまえずに金属バットで魔獣に殴りかかった少女はどうなった?
脇目もふらずに魔獣に突進し、背後からギザギザの角で腹を貫通されたのは? 全身をどろどろに溶かされて食われたのは?
目の前にあったからとマミの両親を助け続け、結果仲互いを起こすという結果を生み続けたのは誰だ?
すべての事象は視野を広げることで解決できる。無駄な拘りを以て愚かに足掻くだけで万事解決するなどというものは夢物語だ。
その体現者がありかであり、今までその愚かさを繰り返すという絶対的な情報アドバンテージで補って視野を広げてきた。
……特に、前周では巨大すぎる視野狭窄を把握してしまった。
だからありかは決めた。一度と言わず何度でも、今までの思い込みを全て、すべてすべてすべて皆殺しにしてしまう、と。
それが鬼だ畜生だと、誰が罵ろうと止める義理もなければ意思もない。
――だから。
「もちろん殺すつもり。父さんも、母さんも、マミのお父さんもお母さんも、みーんな」
今周からのありかはもう幼稚だったありかではない。自分の存在価値なんかに怯えて、文字通り死んででもみんなを助けようとする春見ありかなんかじゃない。
これからしばしの間、幸せに生活出来ればそれでいい。どうせ、ありかは――
「でもね、いちばん最初は『わたし』、あなただよ」
まったく関係ない『春見ありか』の平穏を食いつぶす怪物なんだから。
怒りの熱を孕んだ希望の光が、志の在処を定めて燃え上がった。
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まだありかが救済に魂をすり減らしていたころ、白い獣はこう言った。
「気づいていなかったのかい? 君はそもそも『過去に戻る』ことを望んでなんかいなかった」
それは、墓標の下に眠る言葉。
見渡すばかりの菜の花畑の土壌に染み込んだ、益虫すら殺す浄化の真実。
「あの頃という曖昧な時間軸に――時間軸そのものに、君の祈りはソウルジェムを固定した。
春見ありか、君にも心当たりがあるだろう? ソウルジェムが頑丈すぎるのも、それが原因だ」
当然の帰結だった。
そもそもが春見ありかの魔法は時間遡行能力を持ち得ないからだ。
時間遡行を持ち得るほどの意志力を持つ少女ならば、こう願うはずだ。
……もう一度過去に戻って、後悔の無い様に強く歩み直したい、と。
「君のソウルジェムは時間軸という、四次元上の概念に固定化されてしまった。なら君の願い、『楽しかった頃の生活を送ること』を叶えるためにはどうすればいいと思う? その矛盾は、簡単な方法で解決することができるよ」
だが、春美ありかはただ漠然と願った。
……ずっと、あの楽しかった頃の生活をおくりたい、と。
「答えがその端末さ。時間軸の概念に括り付けられてしまった君は、最短概念距離上の時間軸に自分の受信機を送り込んだ。この世界上の春美ありかの魂と融合させて、擬似的に楽しかった頃の暮らしをするためにね」
だから、春美ありかの能力は新たな未来を紡ぐための逆行ではありえない。
所詮、その程度の浅ましい人間にできることなんて――
「だから魔法を使うといいよ、春美ありか。君は融合している彼女の魂により深く結びつき、寿命を伸ばすために。協力ならいくらだってするよ、君の端末を通して送られる"最初の君"の膨大な瘴気は僕らにも有用だからね」
――輝かしい過去にしがみつく、そのくらいだって。
※あとがき
ファイナルターン!