『くっ……くっくっく……ははははははっ! んー。 そりゃあ可笑しいさ。 だってお前。 私は世界のレベルの低さに絶望していたんだぞ。 そしたら同じ街にこんな化け物が住んでいたわけだ……。 これが、可笑しくなくて、なんだ……ははは!』
――川神百代(『真剣で私に恋しなさい』リュウゼツランルートより抜粋)
「おにいちゃんのが、つよいよねー」
記憶の奥底を探ってみれば、そんな舌足らずな問いかけが、妹から発されていたかもしれない。
だが、このとき、二〇〇一年九月七日正午過ぎの矢車直斗の耳は、その言葉を意味ある音として認識できてはいなかった。
“彼女”に、すっかり目を奪われていたせいだ。
川神院の境内に林立する僧士たち。 有象無象の影に見え隠れする、彼女の痕跡を追う。
――――あいつだ。
――――俺がずっと探していたのは、あいつなんだ。
己が心に、闇夜の火口で蠢く溶岩のような確信の火が灯る。
見失うものか。 見失う筈がない。
何百もの人間がひしめく境内の地の上で、あの少女の軌跡だけが光っている。
虫を誘う花の香のように、夜空を過ぎる天の川のように、暗黒の海面を滑るマスト灯のように。
それは宙にたなびいて、少年の視線の往く道を照らし、示すのだった。
気合一閃。
共に弾き飛ばされた拳圧が、大気を押して、風を巻く。
その微風を受けて、道着の袖口が小さく膨らんだ。
バランスが、ひどく良い。
溜まった唾液を嚥下し、沸き立つ興奮を握りこぶしに収束させて、必死にそれを抑えこみながら、彼女の動きを観察した。
背筋に一本の、それはそれは真っ直ぐな芯が通っているようだ。
膝から下が、肘から先が、よく伸びる。
無駄な強張りのない肩と、着地の衝撃を受け止める柔軟な足首と。
これ以上ないくらい軽く麗らかなのに、なんて力強い演舞なのだろう。
不意に、びくりと身が反らされる。
こちらの凝視の気配を感じたらしく、喧騒のなかで少女が僅かに振り向いた。
浮かび上がったその横顔を見て、ああ、と小さく声を漏らした。
――――ああ、そうか、お前か。 お前だったんだな。
喜びなのか恐れなのか、自分でもわからない感情が胸に渦を巻いた。
そう。
その感情がどんなものかはわからなかったが、なにかが始まろうとしていることだけは、はっきりと予感できた。
「おまえ、なんだな」
立ち竦んだまま彼女に問いかけた。 返答を期待したものではない。
雑踏の中、自分だけに言い聞かせるようなその呟きが、かなりの距離を隔てた彼女の耳に入る筈はなかった。 すぐ真横にいる妹さえ、何の反応も返さなかった。
だが、確かにお前は、俺を、そのとき初めて直視した。
困っているとも驚いているともつかぬ怪訝な表情が、こちらを向いたのを、覚えている。
その後、すぐに野次馬の群れに俺は埋もれてしまったから、それ以上のことはなかったけれど。
激しい情熱を秘めた、どこまでも黒い瞳が、純粋な光を宿して、それはそれは真っ直ぐに、それはそれは貪欲に問い返してきた。
――――おまえなのか。 わたしを、満たすのは。
同じ問いだった。
瞬間、雷に撃たれた俺は、独り善がりに思い込んだ。 都合よく悟った気になったのだ。
放心したまま、後ろへ後ろへ、見物人の雪崩に押しやられながら、深々と思い知った。
もしもこの世に、幸福や、美や、善なるものがあるとしたら。
俺にとって、そのひとつは間違いなく、この女のカタチをしているのだ、と。
……直斗を射抜いた強烈な確信の光は、そのあともずっと、心の内を照らし続けた。
直後に襲った惨劇も喪失も、今日まで身を蝕み続ける悲憤も後悔も、どんな負の感情もそれを完全に翳らすことは無かった。
暗い嵐の海に投げかけられた灯台の明かり。 その一条の光は絶えず、絶えず矢車直斗の往く流転の道を示し続けた。
いつまでも、ずっと。
変わることなく、ずっと。
<手には鈍ら-Nmakura- 第四十九話:決斗>
「覇ァ嗚呼阿阿阿阿阿阿阿阿――――――――ッ!!!」
「祁ェ菟゛ぇ吽ンヴぇ゛吽云々――――――――ッ!!!」
気合いという名の獣唸を上げ続ける傍ら、その外見の苛烈さとはまるで反比例して、直斗の意識は一刷毛の曇りも無く、不思議なほど冷々と冴え渡っていた。
それは勝利を志向する薬漬けの本能が、理性をただ喰い貪るのではなく、調伏した理性を完全に制御し構築した、差し迫る規格外の脅威にのみ最適化した思考回路。
矢車直斗の内部を総加速させ、半秒を三秒に偽装するもの。
本来、彼女らの領域とは何処までも縁遠い筈の男は、左道きわまる劇薬の投与を経て、暫時この戦局面に限定して、“超越者”たるものに曲り成る。
矢車直斗による川神百代の戦力考究――。
参考情報は院内にて彼女の決闘を逐次観察してきた自らの経験、及び、同じく近しい位置で共に研鑽を積んできた過去を持つ釈迦堂刑部の証言。
現在視認する限りにおいては、纏った学生服以外に何の武装も見受けられないが、その身に沁みるは世界最高峰の武術流派、川神流である。
先に確認した“かわかみ波”なる遠当てに代表される発勁、外気功の腕前は言うに及ばず、備えた無手格闘術も入神の域と言える。 極めて危険。
暴力衝動に呑まれ易い心根、その不安定な内面を危惧する川神鉄心の意向により、未だ免状の取得には至っていないものの、表裏を問わず“奥義”の粗方は伝授または看破され、その習熟度は、実戦で駆使できる段階を優に超えていると推察。
なかんずく、際立つものといえば、“瞬間回復”。
内勁による細胞活性――自然治癒速度の加速なるもの。
深度Ⅲ度の熱傷を五体に受けても、ほぼノーリスクで、数十秒あれば元通りに機能するレベルまで修復可能という、人智を超越した御業である。
付け入る隙を強いて挙げるとすれば、治癒功を発揮する間は常時患部に意識を振り分け続けなければならないこと、無意識下での自律回復はありえないことだが、“回復の隙を与えない”という予防策を執ることが最善であることに変わりはない。
対抗打として、両脚に装備したスタンガンにより経絡系の一時不調は引き起こせられるが、この情報は既に相手へ口頭で伝達済みであることに留意すること。
続いて、矢車直斗による川神百代の戦略予測――。
橘天衣のものも含む、百代を取り囲んでいたらしい巨大な闘気の渦が減衰、消滅してから現在までの時間差を考慮すれば、こちらの太刀筋を完全に見切り洞察できるほどの四天王級の眼力を備え、尚且つ、こちらが奥の手を駆使した唯一の場面である黛由紀江戦を観察でき、尚且つ、先の“かわかみ波”の掃射まで生き残っていた可能性が高い、ただ一人の朱雀軍隊員……天下五弓の一角を担う椎名京。 その彼女との接触、情報交換は為されなかったと見るのが妥当だろう。
ゆえに百代には、今現在、こちらの虎の子である“邪燕”――“武士殺しの太刀”についての予備知識はなく、それに対処する“覚悟”の用意もないと判断して間違いない。
武神といえども、……否、武神だからこそ。
全くの初見で、一切の呵責を挟まず、我が背後の“誠”一文字を斬れるものではない。
そして当技を使用する際、打突箇所は延髄、頸部が最も効果的であると判断。 一撃で意識を奪う以外に決着は見込めない。
……以上を勘案し導き出される結論は、後手必敗。
ここでいう後手とは、先見性の欠如という意味合いである。 常に相手の二手三手先を予知し続けられなければ、すなわちこちらの命運は尽きる。
まず、中距離戦、遠距離戦に勝機はない。
間合いを隔てて百代の“遠当て”に対する場合、同様の遠当てで相殺を狙うか、それを回避しつつ地面に転がる無数の飛び道具――弓、連弩を以って応戦するほかない。
だが、こちらは遠当ての技術を持ち得ないどころか、超高速で迫る氣弾の見切りすら満足に熟せるかも危うい。
射撃については六年修めたが、ここ一年のブランクがある。
加えて、身構えれば全身が硬直し、内息が滞って丹田の氣が乱れることが必至である飛び道具は、内家拳の流れを汲む川神流の体術とすこぶる相性が悪い。
手足の擦過による裂傷を抑えるべく、こちらも百代ほどではないにせよ肌に堅功を走らせている。 一瞬でも解くわけにはいかなかった。
銃より弾速が遅い連弩では、撃った後からでもあの韋駄天の機動には避けられてしまう公算も大きい。
また、即倒力こそ矢玉に劣るが、肉体がぶつかりあう至近距離において、この手に握る長物は何よりも恐ろしい武器になる。
極論して射線上に立たねば害のない銃器に対し、刀剣は直線と曲線を三次元的に自在に描き、あらゆる方向からの斬突のアプローチが可能になるからだ。
戦闘効率のみならず、百代の発勁を封じ、細胞加速を妨害する難度も鑑みれば、鈍らを伴い、刃圏も合わせて一息で詰められる間合い――直線距離にして約三間、半径5メートル以内での戦闘継続が望ましい。
「ハァッ!」
「牙ャッ!」
間合いへ侵入する前に遠当てが来なかったのは行幸だった。
最初の交錯。
命を懸ける上での絶対領域に滑り込み合う。
急所を抉る一撃を避けようと思うなら、迎え撃つしか他にない。 その必殺必死の境界を踏み越える。
剣と拳。 尋常の立合いであれば攻撃圏の広いこちらが圧倒的に有利であるが、そのアドバンテージが詰められてしまうだけの身体能力差が、彼我には依然、歴然としてあった。
予備動作すら窺わせないうちに渾身の“双燕”を打ち放つ。
岩を叩くにも似る強硬な手応え。 直後、百代の輪郭が四つに割れて、霞のように溶け消えた。
間髪挟まず己の首が直角に折れ曲がる――――――緑色の幻覚に襲われる。 ざわと騒いだ直感に従って首を竦め、身を屈める。
およそ日常では味わうことのない真上から吹き付ける突風。 空振りに終わった背後からの右上段廻し蹴り。
大型軍用ヘリの回転翼と良い勝負だろう、その凄烈な余波に戦慄する間もなく、掌中のナマクラを次なる魔手鬼足の迎撃に当たらせる。
百代の姿がまた消える。 ほぼ同時に襲ってきた一拳を危うく打ち返す。
細かい金属粒が無数に散らばり、仄かに煌めいて虚空を彩る。
もはや夢界に立っている心地だった。 異常も異常、過剰も過剰、無道で法外な運動を敵手は実現していた。
三合目から移動距離を最小限に抑えることで一時上昇したこちらの最大迎撃速度に、百代は四方を飛び回りながら易々と並んでみせる。
極狭の空間で幾重にも織り成したこちらの小回りを、ただ一歩の神速の踏み込みで容易く追い詰め相殺する。
そして堅功を這わせた百代の体表は甲冑鋼と同等、否、それすら凌駕する硬度である。
全く傷を負わせた感触がない。 やはり神経系の根元たる後頸のみが、敵手の泣き所となりうるか。
「セァッ!!」
「孜ィッ!!」
推奨戦術――――条件反射のレベルにまで“双燕”への警戒度を百代に引き上げさせながら、限界まで意外性を高めた“邪燕”をこちらが行使するまで凌ぎ切る。 首尾よく急所に一撃を叩き込めたなら、すぐさまスタンガンで完全に無力化する。
……黛由紀江戦の焼き直しこそ、“武神”を相手に見据えられる唯一の勝機であった。
彼女の実力に最も詰め寄れているであろう今の状態が、永遠に続く道理は無い。
どこまで凌げばよいのか。 どこまでで“善し”とし、決着の奥義を放つのか。
その一点を見誤った時点で、矢車直斗は終わる。
七年に及んだ苦節と忠節が、一片の成果も上げずに露と消える。
ゆめ忘れるな。
天上天下にただ一人で立ち、暴勇暴乱、ついには四天の同位すらまとめて打ち払った婆娑羅者を。
相手が川神百代であり、川神百代なのだという事実を。
現代において“戦い”とは“科学”と同義である。 むしろ“戦い”の為に“科学”が生まれ、発展したと言えるだろう。
研究され、進化を遂げ、走る・蹴る・殴る・投げる・打つといった各々の動作はそれぞれ急速にスポーツとして確立してゆく。
無敵などという安い表現は消え、より特化された新しい技術を開発し身に付けた選手が記録を次々と塗り替えていく、勝敗の流動が著しい時代が今である。 その筈である。
……それにも関わらず、決して負けない。
ラッキーパンチという言葉がある。 されど、そういう運気や星の巡りすら、味方にするどころか捻じ伏せて、一切負けずに引き分けずに、勝ち続けてきた者が存在する。
「くっ、はははははははははははっ! 滾る滾るッ、血がッ、肉がッ!! やはり――――」
それを、忘れてはならない。
*
「やはり――――、武とは、こういうギリギリの、生き死にを、感じ合ってのものだよなぁッ!!!」
「啞゛オオオオオオッ――――!!!」
衝動に任せて目前の敵に間断なく拳の霰を降らせながら、彼女にとって極めて稀なことであったが、川神百代は、武闘家として認識を改める最中にあった。
現在の川神流の気風に漏れず、百代の、薬物の服用に対する考察は、総じて好意的なものではない。
人は、戦いたいから戦うべきなのだ。 麻薬によって無理に戦意の高揚を図ることは、兵士のやることであって、戦士の仕儀ではない。
何より、もったいない。
投薬によって動きがマシになるということは、それだけのポテンシャルを秘めていて、ノーリスクでの実力の上書きがいずれ可能であることを意味する。
たかだか一時のパフォーマンスのために、その後の全てを台無しにする。
所詮は、才能と努力を安易に補填しようとする愚か者の苦肉の策に違いはない。
浅ましい。 嘆かわしい。 実に不届きだ。
……そう心から思っているというのに、なぜ自分は今、
「あっははッ――――♪♪」
「駕ァァアッ――――!!」
なぜこんなにも、愉しいのだろう。
宝くじで三億当てるために五億を注ぎ込んで蕩尽し、負債の支払いをサラ金ヤミ金の融資で先延ばしにし続ける。
それと同じ愚行の極みをしでかしている弟弟子に対して、どうしてこうも鷹揚に構えていられるのか。
……それは、強いから。
頑張れば、二億くらいは掴み取れそうであるから。
今の自分に追随するだけの実力をこれ見よがしに見せつけてくるから。
自分にとって、ソレこそ至上の価値だから。
「あっはははははははははははははは―――――!!」
「呀゛ァ゛ア゛アアアアアアアアアアア―――――!!」
マリアナ海溝より深い自信のある己の“業”に辟易としながら、百代は、ついに露わになった端倪すべからざる直斗の力量に、間違いなく打ち震えていた。
川神百代による矢車直斗の戦力考究――。
一年前、よわい。
半年前、よわい。
二か月前、まだよわい
一か月前、つよくなりそう。
たった今、つよい。
やったな。 なしとげたな。 すごいな直斗、どうやったんだ?
「まったく、なんなんだその動きは!? いつの間にそんなことができるようになったんだっ!?」
「偈ッ――――砑ッ――――戯ッ――――虞ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
凶暴な奇叫を噴きつける鬼面と相反して、軽やかにこちらの攻めを捌き続ける姿は、剛力の価値など寸毫に等しいと言わんばかり。
対面する暴力を肌に感じ、音に尋ね、体で捉え、現を信じて適用する。
運動力学の法則に準じ、僅かな加力で本流を正す。
“人の極致にある”と崇められ、そう自負できるだけの圧倒的な武力の前ですら、弱力強伏を体現してみせる直斗の姿に、百代はかつてないほど悦に入った状態にあった
川神百代による矢車直斗の戦略予測――。
そんなものは一切不要。 一切無用。 種が明かされないからこそ、手品は奇跡と等しく在れるのだ。
より深く、より長く、より瑞々しくこの神業を感じようとするのなら、“Don't think, but feel”――そう努めるべきだった。
「よもや外法に手を出すとはな!?」
「ッ蛩ゥッ――――ッッ勢ェアア!!」
「なんだかんだで、お前も内心はジジイの説教に嫌気が差してたクチだったわけだ!? おっと、危ない……いいぞッ、いいぞッ、存分に競おうじゃないかッ!!!」
……分かっている。
早く止めなければ、目の前の男が、取り返しのつかないことになることくらい、分かっている。
言わばあれは、有刺鉄線を伝ってグランドキャニオンを綱渡りしているようなものだ。
強力な麻酔で激痛を押し殺し、足裏に棘を突き刺して無理矢理姿勢を固定して谷底へ落下するのを防ぎながら、地獄の道程を進んでいるようなものだ。
血走った目が、狂声を発するだけの口唇が、肌色でなくなりつつある肌の色が、どれほどの瀬戸際に直斗が立たされているかを顕示し続けていた。
――――ああ、でも――――うん。
……でも、それでも。
「ふふっ」
もう少しだけ。
ほんの、もう少しだけ。
もう少しだけ、楽しんでも、いいじゃないか?
「ふふふっ」
だって、久しぶりなんだ。 こんなにも満ち満ちた気分でいるのは。 本当に。
ちゃんと、止めるから。 きちんとコイツを命あるうちに、再起の目があるうちに、しっかり沈めてみせるから。
だから、なあ、いいだろう?
そうだよな? だって、そうだろう?
だって今日は私の誕生日なんだ。 大戦をこの日に指定したっていうのは直斗なんだろう?
ジジイもルー師範代も、院の誰もが邪魔をしに来ないってことは、こうしていても、別に構わないってことなんだろう?
保険というものが、ついて回っている筈だ。 そうに違いない。 そうでなければ、この暴挙を祖父が許す筈がないのだから。
……そうとも、コイツだってそれが本望の筈だ。
私と対等に並び立つためだけに、他ならぬ私を振り向かせるためだけに、こうして身を削る選択を果たしたのはコイツ自身の筈だ。
そのために大和に拳を向け、そのために千の猛者を相手に一歩も退かずに、自分の“誠”を貫き通したのがコイツだ。
それがありのままの自分で、その自分を見てほしくて、こうして健気に不屈を訴え続ける男。
そんな奴が相手であれば、こちらもありのままの自分を曝け出すのが、返礼としてしかるべきものだろう?
「ふふふふっ――――ァハハハハハハハハッ! 面白いッ、面白いぞ直斗ッ! よくぞッ、よくぞここまで鍛え上げたッ! もっと……、そう、もっとだッ!! その先を魅せてみろッ!!!!」
「是ェァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!!!」
そうとも、ドントシンクバットフィール、ドントシンクバットフィール。
……ああ、本当に、楽しいなあ。
*
鏘ッ、鏘鏘ッ、鏘鏘鏘鏘鏘鏘鏘ッ――――――。
変幻自在、千変万化。
一息十二連攻にも及ぶ拳と鈍刀の応酬。 乱打剣戟の火花が咲き狂う。
彼我の領域を制圧し制圧されながら、互いの技を潰し合う中――――。
括目すべきは川神流、席次一位にして次代師家、姓は川神、名は百代。
降り注ぐ鋼鉄の利器を、手で受け、肘で受け、足で受け。 奇妙奇天烈にも響き渡るは、限りなく硬質な金属音。
当代随一の“堅功”を駆使し、己が四肢を墨色の神鉄と化しながら、御返しとばかりに上下左右各斜方から振りかぶる拳速は、もはや人の動体視力の極限を超え、無数の残像を伴いながら一気呵成に男に襲い掛かる。
瞠目すべきは川神流、席次九十七位にして下足番、姓は矢車、名は直斗。
剛性極まる魔拳の群を、軽妙に防ぎ、迅速に防ぎ、柔軟に防ぎ。 ただ一振りの鈍剣で、間に合わずを間に合わすその手際。
繚乱と雨中に踊る鈍刀の軌跡は、人型の修羅たる女から放たれる豪速拳を捌き続け、幾重もの殺し技の錯綜の中に現れる、とても隙とは言い切れぬ僅かな“手の揺らぎ”に、抜け目なく反撃の連刺を差し挟む。
双方、かかる御業は遥か昔から先達が培ってきた千古の知恵。
運動効率の機械的分析とは別体系の、いにしえより連綿と磨き上げられてきた神秘の結晶。
丹田にて氣を練成し全身に染み渡らせ、森羅万象の気運の流れに身を委ね、天地一体となる事で肉体の限界を超越する。
川神流の深淵を旅する今の二人には、もはや互いだけが世界のすべてだった。
*
三か月前までの小笠原千花にとって、矢車直斗という人物はそこそこの好漢として認識されていた。
決して、特別親しいわけではなかった。
一年ほど前から実家の和菓子屋の常連客だったために、千花は学園への転入前から直斗の姿を見知っていた数少ない生徒のうちの一人ではあったが、顔を合わせれば「いらっしゃいませ」「何をお探しでしょうか?」「いつもありがとうございます」の文句を機械的に言っていただけだし、彼も聞いていただけだと思う。
むしろ同級生と言えば、クマちゃん――熊飼満の方が頻繁に来店していた。
名前もクラスメートになるまでは知らなかった。
そのときまでで印象に残っていたことは、店内に陳列していた一通りの甘味を二週間ほどで制覇した後、金平糖の購入が丸一年継続したこと。 「何をお探しでしょうか」が言えなくなったこと。
頑なに金平糖だった。 こちらの勧めた新商品の羊羹、葛餅をごくたまに試食しても、曲がらずブレずに三日に一度、金平糖を手に取った。
そんな“川神さんのとこ”の“金平糖の人”が一度、「この味、変わらないんですよね」と感想を漏らしたのを聞いたことがある。
通い始めて数カ月、そんなにコロコロ味が変わるものかと訝しんだ記憶があるが、もしかしたら、より以前に来店したことがあったのかもしれない。
「凄ぇ……んだよな? これって」
「わっけわかんねぇ……。 何なんだよ、あいつ。 何者だよ?」
「おいおい。 先輩相手に、ここまでやれるって……」
「な、なな何バカ言ってんの!? モモ先輩が手加減なさってるに決まってるでしょ!? 先輩がマジになったらイチコロよ、あんなの!!」
「そ、そうそ……。 ア、アレよっ、ここまで意地汚く頑張ってきたご褒美に、華を持たせてやってるんでしょ、きっと」
「い、いや、にしてもよ……」
この四月になって、二年F組に彼は転入してきた。
差し向かいで話すこともあった。 良くも悪くも、千花のクラスは男女間の心理的な垣根が低い。
風間ファミリーと称される幼馴染グループがあり、潤滑剤代わりの彼ら彼女らが良い按配で仲立ちとなって、それぞれ互いに対する好悪の感情は多々あれど、意思の疎通、情報の共有は盛んにとられるクラスであった。
だから、接触する機会も多かった。 知らなかった彼の人となりを少なからず知るところとなった。
そしてその中で、この自分がクラスの誰よりも先んじて知ったと、自信をもって言える事柄がある。
矢車直斗の、川神百代への恋慕である。
――矢車クンから見てどう思う? モモ先輩とナオっち。
――――……え、あ、あの、
――いや今さー、色んな人のコイバナの真っ最中だったんだけど、ナオっちとモモ先輩って、もう殆ど彼氏彼女のベタっぷりじゃん? そこんところ、モモ先輩の近くにいてどう思ってるかなーって
――――………お、俺には、何とも。 そういう事には疎いので、すみません。
清くて初心な、なんともテンプレート通りの分かりやすい反応であった。
小笠原千花は恋に恋する女子高生である。 彼女の乙女レーダーは目敏く耳聡く、直斗の狼狽と、川神百代への親愛ならぬ信愛を察知していた。
その時は、どうにもならない息苦しさを感じていそうな顔に、むしろこちらが申し訳ないような気持ちになって、島津岳人の茶々に乗ってその話題を流した筈だった。
だが、それがわかったからといって別段、千花が何をするわけでもない。
人の恋路に興味はあるが、そこに土足で分け入られるほど、千花も暇ではないし愚かでもなかった。
大和が首尾よくモモ先輩を口説けた時は、その時はさりげなくサービスとして傷心の彼に金平糖を押しつけてやろうと、それぐらいの気でいた。
どんな助力があろうと、矢車直斗に勝ち目があるとも思えなかった。
誰が見たってそうだろう。
かの姉弟には、もはや血の繋がり以上の気安さが互いにあると、姉弟を知る誰もが認めるところだろう。
――――好きだ、百代。 俺は、お前が欲しくて欲しくて仕方ないのさ。
そして、そのような過程を経ての急転直下、驚天動地の川神大戦の開幕である。
思い出すだけで風邪を引きそうな、ロマンスの欠片どころかその微塵すらない、動物的な求愛だった。
クラスメートを内心見下げに見下げて嫌悪し侮蔑し、小馬鹿にし続けてきたと吐露し暴露し、誰も彼もを敵に回して、直斗がその性根を明らかにした瞬間でもあった。
……恐らく、コイツだけは認めないと、誰も彼もが思った筈だ。
コイツだけには頭を下げたくない、膝を屈したくないと、そう断じた筈だ。
百代が在学したここ二年間で、川神百代という名は、川神学園の代名詞とも言うべきものになった。
心の奥底で、川神学園の生徒たちは学園の何よりの誇りとして川神百代を想っている。
だから多少の金銭の貸し借りも大目に見る生徒も多いのだろうし、良くも悪くも約束は守る、一切の嘘をつかない、というその真摯な姿勢が誰の視線も惹きつける。
時折、風間翔一の奔放さや川神一子の純真さを霞ませるほどの、圧倒的な真夏の太陽のような存在感を見て、ああ、いつもの川神だと、その破天荒さに慄きながらも何処かで安心するのが、私立川神学園高等学校の生徒たる証だった。
……だから、“少なくともコイツだけは、矢車直斗だけは認めない”と、誰も彼もが思った筈だ。 学園の日輪を翳らすような者に、共感を持てる者が居る筈もない。
そんな男が川神百代と並び立ってしまうことを、川神学園の生徒は、決して許しはしない
―――――――――――――――だが、
《ふ――――ァハハハハハハハハッ! 面白いッ、面白いぞ直斗ッ! よくぞッ、よくぞここまで鍛え上げたッ! もっと……、そう、もっとだ!! その先を魅せてみろッ!!!!》
《是ェァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!!!》
この状況は、百聞は一見に如かず……と言って良いのだろうか。
並び立たせてみれば、それはそれで、何かが噛み合っているのだ。
映画館のスクリーンよりも二回りは大きい、繁華街の広告塔に吊るされていそうな巨大なモニターを通して、大戦のクライマックスをぼんやりと眺めながら、小笠原千花は思う。
どちらがヒーローでどちらがヴィランなのか、こうして観ればまるで判別がつかない。
―――だから、直江の無様を公然で晒して、お前を奪わせてもらう。
この言葉に、自分達は多分の憎悪を抱き軽蔑した。
半分はその感情に乗せられて、後の半分は降って湧いてきたレクリエーションを楽しむような心地で、自分達はこの戦いに参加する事になった。
あんな愛の告白見たことないと酷評し、あんな奴のあんな野郎の言い草を認めてたまるかと、そうして戦って、こうして退場して体を横たえている。
……だが、そもそも恋愛とは、そんなに小奇麗なものだったろうか。
恋の駆け引きというものは、その本質は、もっとどうしようもなくて、ある意味では、ひどく陰惨なものではなかったか。
誰だって想い焦がれる人間を振り向かせ、篭絡しようと手ぐすね、先を行っているかもしれない競争相手を追い落とすために策を練る。
自分を特別視させるために、多かれ少なかれ、誰かに恋した誰もがやってきたことだ。
フェアな恋愛なんてありえない。
そういう行為を平気で出来る衝動というものが、恋だった筈だ。
矢車直斗を、ただその好ましからぬ言動と態度で蔑視してきた自分達とて、同じ穴の狢ではないのか。
「というより、むしろ……、“アタシたちと同じ”ってことなのかな」
「チカちゃん……?」
「何でもないよ、マヨ……。 ただ、本当に、大好きなんだなって、さ。 アタシはああいうの、するのもされるのも、とてもじゃないけど耐えられないし、幸せな恋愛とは思えないけど」
今、自分は死力を尽くす男の姿を見ている。
百聞は一見に如かず。 ……そして、百見は一考に如かず。
古典の教科書をパラパラめくってにわかに覚えていた格言を、不思議と実践してみる気になった。
もしかしたら、いや、もしかしなくても、この闘いの理由には額面である「百代の奪い合い」以外の意味があるのかもしれない。
そう確信できるだけの光景が、目の前で繰り広げられてきている。 それだけの死闘だと、そう思う。
わからない。 なぜ彼がこうまでして、何かしらの薬物に頼ってまで闘い続けるのかが。
考えても考えても、一向にその答えは出そうになかったが。
呆気にとられた表情で、口をぽかんと開けたまま、同方向に目を釘付けにしている周りの大多数の人間が、今の自分と同様の気分であることは確信できた。
*
「イイッ! スゴくイイぞッ、直斗ッ!!」
嬌声を抑えきれずに、ただただ目前の空間へ拳を突き込み続ける。
ほんの二メートルも離れていない筈なのに、その間合いが果てしなく遠い。
新月の夜の下、殺気という名の夜風に当たりながら、真上に見えるオリオン座を素手で必死に掴み取ろうとしているかのような、そんな真似をしている感覚だった。
この自分の拳がまともに当たらない、という不快感こそ、いまの百代の快感を昂ぶらせる原因に違いなかった。 下腹部が熱く滾って仕方がなかった。
我が拳を阻むものは何だ?
弾くものは何だ?
刹那に煌めく光は何だ?
――剣だ。 ただ一振りの打ち刀だ。
ならば受ける剣ごと粉砕せんと、左拳を囮に剣を釣り、右から繰り出す“紅色波紋撃”――最終拳速二百メートル毎秒、大型杭打ち重機と同格の破砕力を秘めた勁拳を解き放つ。
敵の得物は一般に言う太刀より短く、されど脇差小太刀の尺より半端に長い、刃が潰された野太い直剣。 不格好な忍者刀。
だが、どれだけ堅牢さを謳おうが、所詮は玉鋼。 それも無刃。
五月人形の添え物ごときが、一打で石英水晶を微塵に砕き割る我が拳に勝る筈もない。 木っ端も同然に叩き折ってくれる。
……そう意気込んだ奥義が、またもあらぬ方向に逸れて空を切る。 文目を編む剣光に触れた途端、手応えらしい手応えもなく。
今のは何だ?
標的を逸れて振り抜く羽目となった拳と、目の前で剣訣を結ぶ男の姿。
その両方を交互に目で認め、事象の因果を理解した途端、百代は口元をだらしなく緩ませた。
逸らした?
往なした?
……剣で、巻き上げただと?
――――まゆまゆの御株だろう、それはッ!!
「ふっ、ふふふふふ♪ ――――ッ、かあッ!!!」
ならば蹴りだ。 蹴りならどうだ。
喝して奉じた“蛇屠り”――下段の廻し蹴りを敵が退歩した所に、ド本命を叩き込む。
ワン子が十八番の“一瞬十七撃”――左右から間髪入れず、縦横無尽に軌道を変える連続蹴り。
言わずもがな、伴う速度と威力と射程距離は川神一子の比ではない。 殺傷力過剰の鋼鉄の踵は、ただの一撃で直斗の体組織に手毬大の風穴を穿つことだろう。
……なのに。
「護゛ォオオオッ!!!」
迎え撃つ直斗はその場から動かない。
ただ鈍刀の輝線のみが、水飛沫のように曇天の太虚を流れ散る。
銀の流星が煌めくその都度に、百代の攻撃は見当違いの方向へ導かれて不発に終わる。
そして、――――かつん、かつん、と。
「――っこの!?」
御負け追加の十八発目を打ち終えた隙に、割り込んできた下段の切り上げが二閃、鋼鉄の右腕に通算して七度目となる打撃を与える。
全くもって威力は薄い。 限りなく薄い。 損傷は全く皆無だ。 天下一品と自負できる己の化勁である。
しかし、だからといって、他ならぬこの自分が“最後の最後で後手に回り続けている”という屈辱を濯げるものではなかった。
驍勇、というものなのだろう。 これは。
あろうことか、武神と比すれば控えめに評しても“格別に劣弱”と言わざるを得ない膂力差を、肉体の充実差を――――、己の剣腕のみで埋めている。
感覚の拡充や反射の速度を薬物に依存しているとしても、染みつかせた技術の卓抜がなければ、こうも食い下がるまい。
魔術めいて鮮やかに、次々に決まる刹那の芸巧。 技という技の切れ。
全国五十万を号する日本の現役剣士達、その幾人がこの男に倣えるか。
理性の枷が解かれ、血に飢える窮奇と化した百代は、いまや完全に直斗の虜だった。
血風吹き荒ぶ中でのみ得られる殺伐とした緊迫感に、陽気で残忍な眼は瞬きを忘れて、一瞬でもこの愉快な光景を見逃すまいと好敵手を捕捉し続ける。
好敵手――――そうとも、既に相手は自分の好敵手の域にある。
決定的打撃を受けず、されど与えられず。
形勢はほぼ互角。
「まさかこんな技、こんな速さを隠し持っていたとはなッ!? 出し惜しみとはお前も人が悪いッ!!」
惜しむらくは、九鬼揚羽や他の武道四天王と拳を交わす際には常である軽口の応酬を楽しめないことだが、それは食卓に洒落た箸置きがあるかないかの違いでしかない。
それと引き換えにあの敵は、可愛い可愛いあの敵は、正真の魔境に身を置き続けているのだ。
いやしかし、だがそれにしても。
打っては躱され、打たれては防ぐ……そればかりでは面白くない。
地味に、本当に地味だが、利き腕に虫に刺された程度の違和感が生じ始めているのも、ここ数年、常に全開で全快して目標を全壊せしめてきた百代の自尊心を刺激する。
瞬間回復の瞬間が、その暇が作れない。
治癒できない隙の無さに、むず痒さを感じ始めたのである。
まだ直斗の実力の底を測りかねてもいた百代は、ここでひとつ、盛大に舞ってもらうことにした。
「悪いなあ? お姉さん、ちょっと意地悪しちゃうぞ~♪」
「――――ッ!?」
煙幕。
当然、火薬類を利用したものではなく、先ごろ直斗が毛利元親に駆使したものと同様の、ただの砂掛け。
ただの砂掛け、である筈だが、砂粒の飛散量と範囲は一般に砂嵐と呼ばれる規模である。
その砂瀑に紛れ、百代は地を蹴り呼吸を絶った。
釈迦堂刑部直伝の圏境を駆使し、完璧に石くれに気配を擬態した筈だったが、すぐさま再び二閃の切り上げが右腕に殺到してきて、
「憤々ッ!!!」
「――――っぐ!? 重いわァッ!!」
良い技だ。
恐らくは格上の相手への対策として、ずっと以前から密かに研いできた大牙の一つ。 健気な奴め。
流石に堅功を解いて受けるには荷が勝ちすぎたが、
「ッ!?」
焦燥の吐息を聴いて善しとする。
さあ、ここからどうする。
眼球への砂の侵入を目蓋で防ぎながら口端を吊り上げ、百代は直斗の動きを心眼に映して問いかける。
恐らくは今日この日のために研いできたのだろう渾身の二刀を打ち入らせてやった代償に、口の空いていた腰元の巾着を蹴飛ばしてやった男に問いかける。
巾着の中身、化生の力の源であろう注射筒をひとつ残らず真後ろの空に浮かせてやった男に問いかける。
ソレ無しの、残された時間でお前は勝てるのかと問いかける。
解いていた堅功を再び身に纏わせて、憎ったらしく顔を綻ばす。
このまま攻めたらどうなるか、その敗北への悪手をここで思い知らせる。
「――――ッ?! 唖゛ゥア゛ァッ!!」
「っ!? ……あっははは! そうともそれが正解だッ!!」
叫んだ後、一も二もなく愛刀を口に挟んだ直斗は、動きを止めた百代の肩口へ駆け上がり、下半身に捻りを利かせて跳び上がり、腕と指間を大きく広げ、踊り狂って後退した。
跳馬に興じる一流体操選手顔負けのパフォーマンスを束の間魅せた直斗の両手には、計七十四本の注射筒が余さず収められていた。
自分と同じく、目は瞑られたまま。
「……お見事♪」
再び堅功を解き、震え昂ぶり酔いしれて、掛け値なしの賞賛を凄惨な微笑みに乗せ、一つ大きく吸気する。
目を伏せ、内息を整え、乱れた気脈を一旦緩めて清澄に。 患部に巡る陰血に合わせて体表に陽氣を這わせしむ。
燐光が瞬くと潮が退くように痛みは鎮まり、右腕の負傷は跡形もなく消滅した。
*
悪手だった。
「いやあ、極楽極楽~」
「ッ愚ア゛アアアアアアアアアアアア――――!!!」
まるで草津の湯に浸かった後に垢スリと按摩を受けて座敷で懐石料理を粗方食べ尽くした後のように、これ見よがしに大きく伸びて、豊かな胸を反らしかけた女に突撃する。
愚図が。 愚昧が。 蒙昧が。
手段のために目的を忘れた己を叱責する。
注射筒三十四本分の成果を無様に手放した己の粗慢を、非難し侮蔑し憎悪する。
“双燕”の行使に心を奪われ、完全に化勁を脱いでいた敵の首に一撃を打ち入れなかった己の過誤に、予測を外した理性のエラーに、その支配者たる本能が本能を呪い尽くす。
だから己に罰を科す。
もはや数える事も忘れて邪悪な釘の束を静脈に打ち込む。 生の命を磔けに、意識を修羅場に縫い付ける。
形勢はほぼ互角。
決定的な打撃を受けず、されど与えられず。
かつて遥か遠く及ばなかった姉弟子の絶技。 それを前に、今なお食い下がる己がこうして存在していた。
形勢はほぼ互角。 ……だが、それは双方に残された余力を度外視した場合の話である。
薬効に燃え上がる筋肉は軋みを立て、臨界を超えて駆使される心臓は倍速で拍動を繰り返す。
だが、そんなことはどうだっていい。 今は次の一瞬に間に合えばいい。
この次の、次の、次の次の次の次の次あたりに来るかもしれない一瞬をついに征せられるのなら、何だって何時だって何処だって何故だって、どうだっていい。
その未来しかない。
その未来しか、認められない。
「羅゛ァ゛アアアアアアアアアアア゛ッ――――!!」
矛と盾の二役を孤剣に託しながら、一髪千鈞を引く集中力の競い合いに乗り続ける。
ともに秒間十数手に及ぶ攻め手のうち、どれか一手でも応じ損なえば、たちまちそれが必殺の極め技へと化ける。
舞い飛ぶ剣閃が、弾け飛ぶ剛拳が、空を掻き混ぜ風を生む。
いつ止むとも知れぬ颶風が木の枝を揺らし、岩を這う苔を剥ぎ飛ばす。
「ハハハハハッ♪ これじゃイタチごっこならぬ鎌鼬ごっこだな!? そうらッ、そらそらッ、そらそらそらそらッ――――!!」
黄泉路を匂わす波動に全身を舐め尽くされながら、玩弄の叫びを聴いた。
それが意味するところは、他ならぬ武神がもたらした掛け値無しの賛辞であり、この極限下の応酬において、尚も戯言を吐けるだけの余裕が相手にはあるという、絶望的な啓示でもあった。
「餓ァ゛アアアアアアアアアアアアアアアアアア゛ッ――――!!」
心胆寒からしむそれを怒号で掻き消し、更なる一刀の馳走に臨む。
空振り。
瞬間、喝声を発して踏み込んでくる百代。
その挙措、構えは、川神流、無手組打術が一形。 随所に我流の崩れあり。
されど邪道が混入しているわけではない。 彼女こそが、川神流の最新モデル。
この状況に最適化したまでであろう。
未熟な、道半ばの武芸者ほど定型に執着するものである。 この女が戦に古りている証左だった。
噴煙を裂いて、目前に迫る右の手刀。
返す刃で受け流す。
散った火花の灼熱を感じる前に、弾かれた手刀は蛇の如く手首を返し、こちらの武装を絡めに奔り来る。
すぐさま運剣。 回避。
同時に百代の左拳が下方から伸び上がってきて、こちらの退避が僅かに遅れて、冷やりとした空気が胸の辺りを通過する。
百代はそのまま踏み込んでくる愚は犯さず、いったん真横に移動しつつ再び両腕を引き戻し、こちらの剣腕の付け根に狙いを絞ってきた。
あと一センチで胸筋を抉り、肩の関節を内側から取り外しにかかっただろう鉄槍めいた貫手が眼前を掠め、左に靡いた白髪を散らす。
次手が迫るのを待たずして柄頭に左手を添え、勢いそのまま百代の胸部めがけて突きかかる。
腸腰筋を撓め、踵で地を蹴り、慣性を捻じ伏せ窮地を脱する百代。
皮一枚の差で一撃を躱した女の拳が再び相手の顎を砕き割りに来たのと、追撃する男の得物が下段から八十一羽目の“燕”を送ったのは、全くの同時だった。
御遠ッ―――――――――!!!
双方の矛が真っ向から激しく爆ぜ合い、雷鳴の如き大爆音が戦場を激震する。
武神の拳骨に、鈍刀の心金はついに耐え切った。 百代の瞠目はこのためだ。 その隙に二歩だけ後退、間合いを整える。
「ほう……? 私の目利きもまだまだという訳か。 イイモノを拾ったな、おい」
「訃――……ッ!」
再び仕合は振り出しに立ち戻った。
呼吸を読み、息を詰め、全神経を集中し、相手の死角を突くことだけを志向し思考し施行する。
攻撃の直後に生じる死角。 相手の皮を、肉を、骨を破壊しようとする拳と剣が、懐に入り込んだ直後に生じさせる宿命的な死角。 その攻落を求めて目前の空間を貪り合う。
そうしてここまで至るに交わされたのは、千手か万手かそれとも億か。
尋常の立合いであれば、とうの昔に決着がついている。
だが、この勝負は、共に同じ師に習い、同じ拳を伝授された者同士の戦い。
互いの手の内をある程度以上に推察し合えてしまう、正真の同門対決だった。
彼我の彼我に対する理解度の伯仲。 それがここまでの、展開の膠着を招いていた。
……しかし、戦闘の帰趨だけで語るなら、既に勝敗は決しているも同然だった。
何故なら、理解度が伯仲しているだけであって、なにも地力が伯仲しているわけではない。
それから何度目かの迫り合いを演じた後、示し合わせたように体内に貯蔵していた氣を切らし、束の間に動きを休め、次の一手を仕掛けるタイミングを見計って睨み合う二人の姿は、既に鏡合わせとは程遠かった。
「うん、驚いた。 久しぶりだぞ? 折ろうとして折れない得物という奴は」
かたや正道。 疲労を知らず。
生まれてこのかた十八年、連日連夜の練磨の果て、相次ぐ他流派との立合いによって純粋培養特有の“型の偏り”すら削ぎ落とし、まさに蠱毒と形容できる秘薬――“瞬間回復”なる天恵術すら己がものとした、人類最強力。 底無しの戦闘続行力。
「訃――…ッ、訃――…ッ、訃――…ッ、訃――…ッ!!」
かたや邪道。 消耗の一途。
六年に及ぶ富士樹海での拘禁下、そしてその一年後まで継続した川神鉄心による出力限定下、丹田に満足に氣を廻すことすら許されず、鈍りに鈍った勘に三月ばかり鞭を入れ、“才能”という名の萎縮し切った虫食いだらけの風船に、間に合わせの毒瓦斯を吹き込み続ける、今際の狂戦士。 極めつけの向こう見ず。
「訃――…ッ、訃――…ッ、訃――…ッ、訃――…ッ!!!」
間合いから更に一歩退き、詰めていた息を吐き出し、また吸い込み、そうしながら次の瞬間を待つ。
互いの挙動を目で牽制し合いながら、その場に身を留め置き続ける。
次に百代が大きく息を吸い込んだ時が、こちらが注射筒に手を伸ばした時が、再仕合の合図となるだろう。
しかし、そうしていては勝てない。
無限大に引き伸ばされた一瞬の中、直斗は一つの結論を下していた。
いまだ悠然と嫣然と微笑み続ける百代である。 やはり、ここまで講じてきた手立てでは埒が明かない。 埒が明く前に己が尽き果てるだろう。
そして無理にでも死角を作り出す以外に、短時間で決着をつける術はない。
送ることのできた“燕”は、四十番い余り。
「訃――…ッ、訃――…ッ、訃――…ッ、訃――…ッ!!!!」
今こそ。
そう、今こそ。
積み上げてきたものに報い、最後の武器を使い、全ての余力を注ぎ込む時だった。
――――善し。
息を吸って、目を閉じる。
初めて出会った日を思い出す。 何もかもが始まった日を。
瞼の裏にはいつかの境内が映り、いつかの少女がそこに居た。
その瞳は曇りを知らない。 翳りを知らない。
その不敵で勝気な輝きこそ、矢車直斗の燈火。
懐かしいような、待ち遠しいような、不思議な感覚が胸にきざして、ふっと、消えた。
いつかの幻聴が、麻痺に溶けゆきそうな意識を律したからだった。
――――おまえなのか。 わたしを、満たすのは。
再び現実に立ち戻る。
悲鳴を上げ続ける肉体。 刻一刻と擦り減ってゆく神経。
しかして、それらを繰る直斗の心は澄んでいた。
ただ一心に武の遂行を誓う。
ただひたすらに、ただひたむきに、己の戦意を煮詰めにかかる。
――――そうとも。 俺だ。 この俺だ。
――――この先ずっとではないけれど。
――――この先いつか、忘れ去られてしまうだろうけれど。
――――お前を“今”満たすのは。 お前の目の前に“今”在るのは。
――――この“俺”だ。
独白は感傷からではなかった。
薬害を受けた脳からの指令だった。
勝利するために最も必要な過程だった。
覚悟の錬成。 これから行使するのは、そうしなければ“成らぬ”我流の秘太刀だった。
仙穴で氣を練り上げ、臍下丹田から五臓六腑を馳せ巡り、脊柱脊髄を伝わせ落とす。
陽根へ達した所で、再び丹田まで掬い上げる。
根源の力を回し、轟々たる荒乱を呼ぶ。
――――ああ、時が来た。
――――ずっと以前、出会った時から到来が定められてきた、この、時が。
満を持して、剣を下方へ。
型は無形。
刃先は右裾の陰に移す。
すなわち、士道討滅の構え。
*
《羅゛ァ゛アアアアアアアアアアア゛ッ――――!!》
《ハハハハハッ♪ これじゃイタチごっこならぬ鎌鼬ごっこだな!? そうらッ、そらそらッ、そらそらそらそらッ――――!!》
「……綺麗」
その言葉にはっとなって、葵冬馬は痣だらけ擦り傷だらけの顔を脇に向けた。
ユキは笑ってはいなかった。 ただただ、その無表情をその光景に注いでいた。
細められた目は、内心で言祝いでいるようにも、憐れんでいるようにも見えた。
「ここまでやられると、色んなことがど~~~~っでも良くなってくるな。 ホントによ」
戦いを映し出す大画面に目を釘付けにしたまま、準が頬を掻きながらユキに応える。
「どうよ、若。 これで野郎は、約束を守ったってことになるのかね」
――それでもだ、マロード。
――俺はお前を認めたうえで、証明してやる。
――お前は俺に言った。 こんな汚い世界にこのまま生き残り続けたって、苦しみが待っているだけだと。
――そして、俺はお前に言った。 どんなに穢されようとも、綺麗なまま残るものがある。 また再び輝けるものがあると。
――……本心だよ。 汚いものからだって、紛いの無い綺麗なものを創り出せるって。 俺は、本気で思ってる。
――それを、“この場で証明する”と、俺はお前に言った。
――ああッ、約束したともッ!
「……同情なんてしません。 あれは全て彼の意思。 彼が欲しいのは、そんなものじゃないんだ。 そんなものじゃなかったんだ。 私のように、我が身可愛さにに誰かに構ってほしいわけじゃなかった。 ……私のように」
考えて口にしたことではなかった。
武神の吹かせた死の風でさえ冷やすことは叶わなかった、胸の底で脈動する熱に任せて、冬馬は言葉を継いだ。
「彼は叶えなくてはいけなかった。 一番近かった人間として、兄として、大事な人間の想いを。 その通りだと心から同意できる願いを。 生きて、どんなに苦しくても生きて、一生一命を懸けてっ」
固く食い縛った筈の歯を、吐き出し切れないもどかしさが無理矢理こじ開ける。
「……だけど、彼個人にも、彼なりの願いがあった。 傷ついて欲しくない人がいた。 天秤に掛けたら釣り合ってしまった。 どちらも、どうしても、どうなってでも叶えたかった。 だから自分の正体を隠し続けた。 彼はそう生き続けた。 生き続けてしまった。 生きているから、また願いが湧いた。 今度は私と出会って、私の願いすらっ……。 っ、私の、私がっ、原因でっ、またっ」
「――――覚えているか。 トーマよ」
「……――ッ」
「我が、人生最大の死地を潜り抜けた先の話だ。 当時、白球を投げる事に関して、我には敵無しだった。 “奇跡の剛腕”、そう謳われていた我が腕が、ただの棒切れになって間もない頃の話だ。 ……とある夫妻に、今際の際に叱咤激励を受け、直後に出会ったあずみの介助を受け、どうにか恥ずかしくない生き筋を立てようと一時は気張っていたが、それでも変わっていく周囲の状況には嫌気を差さずにはいられなかった。 共に切磋琢磨したリトルリーグのチームメートは、そこそこに愁傷と慰めの言葉をくれたが、それ以上のことは無かった。 今だからわかる。 あの者らにしてみれば、それ以上何をすればよいのかわからなかったのだろう。 我はいつもあやつらに、有言実行を信条に接してきた。 庶民は大言壮語を最も嫌う。 金持ちだからと、ただの七光りでエースナンバーを背負っていると思われてはならないと、そうでなければ健全なチームプレーもベンチワークもスタンドチアリングも成り得ないと、家族から、特に姉上からはそう言われていたし、自分でもわかっていたからだ。 やれることをやれると言い、やれないことはやれないと、はっきり言い切ってきた。 それを金科玉条として守り続けていた。 そんな我の姿を見ていたチームメートだ。 きっとまた元通りになると、しっかりとした言葉で伝えてきた者はついには現れなかった。 少なくとも投手生命は完全に断たれた、我の怪我の具合は周知の事実だった。 沈黙することこそが、距離を置くことこそが、我に対して誠実でいられる手段なのだと、そんなふうに思ったのだろう」
だが、やはり我は寂しかったと、激闘を映す大画面を眺めながら、それとはどこか違う場所を瞳に映していた英雄は、ぽつりと呟いた。
「見捨てられたのだ、と思っていた。 どんな形でも関わりたかった。 無理を言えば、レギュラーは無理でも、ベンチに入ることくらいはできたかもしれない。 それだけの貢献はしたつもりだった。 だが、それはチームの戦力を下げるだけの行為だ。 三十回も肩を回せば腕も上がらんありさまだ。 球威のほども見るに堪えなかった。 試合には二度と出られないだろうという推測に痛くプライドが傷付けられた。 そんな理由で、我の意気は無残に消沈していた。 ……トーマ、お前が声をかけてくれるまではな」
――――お前はどこにもいかぬのか、冬馬。
――――どこにも、とは?
――――我は生き甲斐であった野球が満足にできぬ……。 一緒にいて何の意味もないぞ?
――――野球は出来なくても、英雄は英雄。 全く変わりませんよ。 私は、英雄が好きだから、傍にいるんです。
――――……!
――――英雄のしおらしいところも可愛いものです。
――――! ぐ、愚弄するな我を!
――――思った事を言ったまでです。
――――……腹立たしい奴! もう貴様にしおらしい所など見せてやらんわ!
――――野球で駄目なら……他の道よッ!! 頭脳とカリスマで父を継ぐとしよう!
――――あらら、元の自信家に戻ってしまいましたか
――――残念だったな、フハハハハハ!!
――――そんな英雄も素敵ですよ?
――――貴様、何でも良いのではないか!
――――ええ割と。 気持ち悪いですか?
――――うむ。 だから男友達が少ないのであろう
――――……まあ女の子にモテますから僕は。
――――仕方あるまい。 我がお前の友になってやろう。 感謝せよ! フハハハハハハ!!
「野球の出来ない我も我……。 面と向かって言ってくれたのは、冬馬、お前が最初だった。 おかしな話だ。 我はな、それまでそんな風に世の中を見たことがなかった。 本の中ではどうしようもなく陳腐に思える言葉を、人の口から、トーマ、お前の口から語られるとな、不思議と腑に落ちた。 認めてくれて、初めて我は、今の我となった。 ……どんな野心や目論見が隠れていようと、これは我の中では絶対に覆らん」
遠い過去をしばし見つめていた英雄の声が、こちらに近づいてきた。
「我が第一の友よ。 芝居でも良いのだ。 たとえあの時の一言が、芝居だったとしても、我は立ち直ることができて、こうして今日まで生きている。 我にとっては、その事実だけで充分ありがたい」
「我一人では“其処”には至れず、“此処”には来れなかった。 お前が手を差し伸べてくれたから、あずみが傍に控えているから、かの夫妻と出会ったから、その息子が川神に帰ってきたから、他にも大勢。 ……自分がそうだと決めつけている世界など、そうしたきっかけで変わってしまう。 自分の世界も、他人の世界も、よくも、悪くも。 だから誠実に徹するべきなのだと。 直斗は、ただそれを皆に思い返してほしいだけであろう」
それは、と遮りそうになった冬馬を手で制して、英雄は言葉を被せた。
「無論、贖罪の意識もあろう。 だが決して、直江大和一人だけに、川神百代一人だけに、九鬼英雄一人だけに、葵冬馬一人だけに、この大戦が捧げられたのではない。 今更直斗がどう言い訳しようが、それは覆せん。 あやつは多くの人間を巻き込み過ぎた。 ……あれもこれもと一人で背負おう背負おうとするくせに、本当にままならんな、あやつの人生は」
くしゃくしゃの苦笑いを宙に上げて、戦の景色を映写するモニターに再び目をやり、それから、父親が我が子に向けて家の決まりを言い聞かせるように、穏やかに語り続ける。
「自分のせいだ自分のせいだと、そればかり考えてきたから、万事が万事に気を回すようになってしまったのだ。 抱え込むようになってしまったのだ。 誰のせいでもあるものか。 誰のせいでも」
周りをあまり見くびってくれるな。 と一息入れて、英雄は己の後ろに意識を割いた。
あずみから、おそらくは何かしら大戦後の段取りでも耳打ちされたのだろう。 ひとつ頷いてから、今度は真正面からこちらを見据えた。
「我はな、余計なことばかり考えて、気を遣うなと言いたい。 気を遣うという事は、相手にも気を遣わせる、ということだ。 相手が嫌かもしれない、傷つくかもしれない。 もちろん、そのように考えることは至極真っ当なことだ。 だがな、どうしても何かを害さなければならぬ時が来たなら、覚悟を決めなければ。 心に、気持ちに、精神に関して言うならば尚更だ。 傷つけて結構であろう。 お前が付けた傷なら、他ならぬお前自身が癒せる筈だ。 ……が、これもギブアンドテイクというものか。 やはり本質的には、我も直江大和と大差ないらしい。 そうした“支配”は、我が非常に好みとするところでもある。 ――だから、大事なのは誠意なのだと、忘れないようにしたい」
直斗に向け、準に向け、ユキに向け、他ならぬ自分、葵冬馬に向けたその顔からは、目に寂しさの影を宿してはいたものの、どんな秘事もどんな難事も受け入れてやろうと努力する気概が滲み出ていた。
「トーマよ。 的外れな指摘だったら、詫びよう。 我もまだまだ、他人の機微には気づかぬことが多い。 どうやら今まで、親友の内心すら満足に察せなかったようだ。 こうした所も直さなければ、天下の九鬼の後継は務まらんな。 もしかしたら負担をかけていたのだろう。 ……すまなかった。 日を改めて、お前の告白とやらに耳を傾けよう。 糾すべきは糾し、正すべきは正そう。 だから――」
「英雄」
「だから、今は見届けようではないか。 目を開けて、歯を食い縛って、拳を震わせながら、信じて、待ってやろうではないか。 あやつが望んだ、この、綺麗な結末を」
きっと、また世界の景色は変わる筈だから。
最後に視線でそう訴えて、気合と火花が散乱する決闘に、英雄は目を戻した。
≪御遠ッ―――――――――!!!≫
轟音を立てて、拳と剣が、想いと想いが、真っ直ぐ凄惨にぶつかり合う。
美しかった。
眩しかった。
その中では、命が、輝いていた。
*
「ッ賦!!」
「ぬッ!?」
距離を詰める、たった数歩のアドバンテージのため。
注射筒に手を伸ばす――そのルーティンを破棄して突撃する。
間を外し、意図を訝らせ、糸一筋ほどの動揺を百代に与えた、その直後。
「炙り猫ッ!!!」
どうあろうと、こちらの射程外では百代の独壇場である。
虚を衝いたところで、やはり先攻は捥ぎ取れない。
取り敢えずは牽制と、灼熱の爆風が直斗を強襲する。
川神流、炙り肉――――腕に火焔を奔らせる化勁の奥秘。
川神流、猫騙し――――音速で鳴らした両掌による衝撃波の発散攻撃。
恐らくはその二つを同時に掛け合わせた、新たなる川神流武技。
「散ィェッ!」
氣功波が奔る壊滅領域を、寸での所で脱出する。
余裕の欠片の塵滓も無かったが、当たらないものは当たらない。 身構え心構えがあればこそ。
転身。
直進。
直進。
直進。
足先から伝わる衝撃を、全身の筋肉がしなやかに受け流す。
一面が紅色に塗られた世界に、翡翠のマダラが浮かんでは殺到する。
不可視、されど脳内でマーキングを施された氣弾の群が側頭を掠め過ぎる。
耳元で風が鳴った。
熱の塊が腹の底で蠢いている。
体が際限なく軽くなってゆく。
雨粒が嫌に遅い。
一秒が無限に切り刻まれる、今の世界はひどく単純なようで複雑だ。
敵を倒す。 倒すために走る。
自分の目的と手段について言えばそれだけだったが、空気の唸りに混じって、小さな叫びや大きな呟きが聴こえてくるのだ。
自分だけではない、とわかる。 この戦いに意義を見出す者達が、この瞬間を近くで見つめていたり、遠くで思い描いていたりしているのだとわかる。
どうにかしてみせよっ、と言う英雄の叱咤がすぐ近くに聴こえ、やれるものならですが、と言う冬馬の茶々も聴こえた。
せめて生きて戻ってきなさイ、と必死に祈ってくれたのはルー師範代で、すまん、と胸中の様々な感情をその一語に押し詰め、重く呻いたのは御本家、川神鉄心。
カッコ良く決めてしまえっ、と凛々しく放言したのは森羅だ。 そのスペシャルな男ぶりを魅せつけてこいっ、と田尻さんは励ましてくれた。
ケッ、せいぜい根性見せろよマゾ野郎、と拗ねた口調を隠さない天使から引き継いで、まだまだそんなもんじゃねぇだろ、と釈迦堂が憎たらしく煽ってきた。
己の腕を信じなさい、と太鼓判を押してくれた黛大成の後で、油断するな、警戒しろと無駄のない声をかけてきたのは橘天衣だろう。
……もう少し、もう少しなんだ。
あと少しで手が届く。
百代も、冬馬も、次に続く命を手に入れ、永遠に近づくことができる。
大和の心根だって、きっと変わる。
矢車真守の理想の声価は、不朽と化して語り継がれる。
通すべき筋が残らず通され、縛り付けるものは何もなくなる。
何をしたっていい。 何処にだって行ける。
これさえ乗り越えれば、この状況に俺が打ち勝つ事さえできれ、ば――――。
――――やまとくんっ。
唐突に、許容を超えた強烈な信号が脳神経を焼き始めた。
白熱する頭に、ちろちろと耳障りな音が聴こえる。
吹き込む気流の音か、逆流する血の音か。
いや、違う。
これは、せせらぎ。
夜の多馬川。
忌むべき記憶の残滓だ。
絶望の気配がする。
錆びた鎖を掴んだ後の手の匂い。
ああ、これは、と直感する。
“揺り戻し”――――時間切れ。 悪夢が割り込んでくる予兆。
不正な手段で“壁”を越えた、その代償を支払わせに、死神の委託を受けた夢魔が追いかけてくる。
駄目だ。
帰れ。
止めろ。
消えろ。
今は邪魔をするな。
後でいくらでも相手をしてやる。
だから、せめて今は、この太刀を振り切らせろ。
「次はどう出る直斗ッ!?」
「邪ァ亞ッ―――――!!」
ここで全てを決める。
後の先を極める。
武神の間合いに再侵入。
女の顔が大きくなる。
敵はまだ動かない。
“寸前のスリル”を味わおうとする彼女の悪癖。
知っていたとも。
最大限に利用してやるとも。
――――善しッ
釣れた、と叫んだ全身の細胞が体を動かす。
夢魔の手はまだ遠い。
これなら間に合う。 これなら辛うじて、決着の方が先立ってくれる。
一撃目に狙うは顎先だ。
躱されることは必至。
されど躱され具合は紙一重も紙一重。
そうだろう? ――なにせその方が、面白い。
武林の頂点たる彼女は、その技量において長く孤独だった。
幾千もの立合いの中、己を追い詰める輩に、片手の指で賄えるほどの数しか、出会う機会がなかったのだ。
こと、強さが円熟を迎えつつあるここ数年は全くといって良いほどに退屈であった。
ゆえに、自ら数歩、死域に踏み込み死線を彷徨うという愚挙を、日常の立合いで繰り返してきたのだった。
相手の攻め手に極限まで、必要以上に肉薄し回避するという、いささか遊戯めいた挙動。
そこには非現実的実力に裏打ちされた、紛う事の無い驕慢があった。
自分なら、紙一重で確実に回避できる。
万が一があっても瞬間回復があると、そういう自負が彼女の戦闘法に香っているのである。
確かにその通り、我が剣尖は空を切るだろう。
――――だが。
その軌道上に残る前髪のたなびき。
髪房の交差部――――これは言わば彼女の照準器。 真に狙うはその攪乱!
知っていたとも!
これは釈迦堂刑部が矢車直斗にもたらした、最も有用な参考情報!
これを御す勘所を掴んでいたからこそ、師範代時代の彼は川神百代をあしらう術を得ていた!
そして半ば自発的に前後不覚となった百代が、まず警戒するは幾度も繰り出された“双燕”の二の太刀!
しかして、こちらが放つは“邪燕”の秘太刀!
黛流正統継承者さえ斬り伏せた悪辣なる複合剣技!
黛由紀江、今代随一の抜刀術――――その神速すら制したのだ!
武神に通じぬわけがない!!
地を踏む。
軸を立てる。
腰を捻る。
最速の昇刀を見舞え。
目にもの見せろ。
続くは背信の“誠”一文字。
陰より出でよ、幻惑剣。
「―――――――――――――ッ!!!!!!」
いざ、翔け違え、燕共!
世界に色が戻る。
変わらず、陽の色は其処に無く、雨は降り続けていた。
「くっ……くっくっく……ははははははっ! あっははははははははっ! なにが可笑しいって!? そりゃあ可笑しいさ。 だってお前。 私は世界のレベルの低さに絶望していたんだぞ。 そしたら同じ街に同じ屋根の下に、こんな化け物が住んでいたわけだ。 これが、可笑しくなくて、なんだ……ははは!!」
「昔にジジイが言っていたが、本当だな?」
「青い鳥はいつだって自宅にいる。 失くした財布は机の引き出しにある。 人生というのは大抵そういうものだとなあ!」
「本当にその通りだ! なあ、お前もそう思わないか、直斗!?」
――――川神流“無明白刃取り”
「懐かしいな。 コレ使ったのは何時以来だったか。 あの時は、まだ釈迦堂さんが院にいたな」
出来ない筈がなかったのだ。
この自分に出来て、彼女に出来ない事など何一つとしてないのだから。
「“武道四天王級に対して弄しうる俺の奥の手は三つ。 そのうち、攻の手は全て剣技の騙し討ち” ……律義だな、お前は本当に」
「―――――――」
つい数時間前、一字一句同じ言葉を言い放った身体が身震いする。
この女は、信じていた。
信じてくれていた。
戦前に宣言した忠告を。
「“士道なんざ、捨ててやる” ……まさにその通りの技だった」
だから、待っていたのだ。
待っていて、くれたのだ。
「新選組の隊服……その衣装まで私用の武装とはな。 相手の弱点を自分の背中に貼り付けて“盾”にするなんて、普通考えつかんぞ? それを上手いことコスプレで紛らわしたもんだから、たまったもんじゃない。 一瞬動きが鈍ったの、わかったろ? それだけでも及第点だ♪」
「―――――――」
〼因を挙げるとすれば。
川神百代が、決して本質を見誤っていなかったということだ。
いかに軽蔑しようと、“彼”がどういう人間であるのか、その見抜きを汚すことなく保っていたことだ。
矢車直斗は川神百代を信頼していた。
それと同様に、“川神百代は矢車直斗に信頼を置いていた” ……矢車直斗の〼因は、この事実をまったく考慮に入れていなかったことにあった。
他人事のように〼けた自分の〼因を分析していた、その自分に気づいた途端。
「――唖ッ――――唖唖唖、唖ッ――――」
崩壊が始まった。
彼女のためのユートピア、その代償は、彼のためのディストピア。
喉が干からびる。
眼球は痙攣し、空間が捻じれたように笑っていた。
そこに乱雑に差し挟まれる幻影たち。
七年前よりずっと、矢車直斗の奥底に蔓延る荒涼の根源。
笑いが聴こえる嗤いが聴こえる哂いが聴こえるワライガトマラナイ。
場を支配するのは、雀躍欣喜する餓鬼共の喜悦だけ。
悲鳴は無い。
悲鳴は無い。
悲鳴は、もう無い。
最後に残るは碑銘だけ。
「唖、唖唖唖唖唖、唖唖唖ッ」
全身の細胞が警告を発し、必死に恐れで凍りついた体を解凍しようと努力する。
「まゆまゆを落としたのは今のヤツか? その場に居合わせたかったな~♪ この技が見事に決まるところを、是非とも見てみたかったぞ♪」
笑顔だった。
仁王像の口周りを恵比寿様と取り換えたような、素晴らしい笑顔だった。
旅先から家路につく車内で思い出話に花を咲かせるような体で、不発に終わった下種の太刀筋に想いを馳せていた。
「唖唖、唖唖、唖唖唖唖、唖唖―――――」
眼球がめり込む。
背中が内側にくびれ込む感覚があった。
指先さえ自由にならない。
どうやって立っているのかさえ分からない。
血液は逆流し、執念は漂白される。
ひとつ瞬きするごとに過去に押し戻される。
目蓋の裏に映る惨劇の光景だけが、鮮明に輪郭を深めてゆく。
嫌だ怖い恐い気持ち悪い吐きそうだ見るに堪えない。
だから必死に、窒息寸前の出目金のように眼球を露出し続けた。
「いや、実際悪くない手管だった。 ジジイに言って、後で川神流の奥伝に足してもらってもいいんじゃないか?」
溶ける。
溶ける。
溶け落ちる。
苦悶しか上げられない。 抗う術など何処にも無い。
心身共々無感動に崩れてゆく。
「にしても、こいつは難敵だったなあ」
摘まれたナマクラが、そのまま指の腹で愛でられる。
邪剣、ここに〼れたり。
蒐集家が苦労して競り落とした珍品を眺めるように、うっとりと蠱惑的な表情を浮かべながら、百代は目で語りかけてきた。
きゅう、と刀身が擦られる音は、まさに縊り殺される燕達の断末魔。
生理に反する音に背筋が震え、一層大きく視界がぶれ、目に留まった腰元の巾着に焦点が合った。
チュウシャ、ユートピア、イノチヅナ、ダカイサク、クモノイト。
頭の中がその類の言葉でいっぱいになり、
「……それはもう、やめとけ」
硝子が割れる音がした。
ひどく軽い響きだった。
何が起こったのか分からなかった。
巾着の重心が移り、染み出した液体が太腿から足首へと伝った。
「……いいだろう、直斗。 お前の想いに応えてやろう。 お前がどれほどの人間で、お前がどれほど私に夢中であるのか。 十分に理解したよ。 とっくり愉しませてもらったよ。 だから褒美はくれてやる。 ……ただ、な。 私はお前のモノにはならんよ。 何故かって? それは、お前が私に〼けたからだ。 お前が、私より〼いからだ。 ……だから、お前は私のモノだ」
保たない。
どんなに力を籠めても動けない。
どんなに心を極めても残れない。
全存在を懸けて鈍らを引き戻そうと努力する。
……無駄だった。 もとより俺という存在自体にそれだけの値打ちは無い。
「嬉しいだろ? 夢のようだろ? 頭の先から爪の先まで、お前は、私のモノだ。 だから、私の許可なく壊れることは許さん。 さっさと養生して身体を元に戻せ。 そうしたらまた壊してやる。 ――――また飽きるまで、アイシテヤル」
爛々と光る双眸は、出会った頃の無垢な輝きを忘れているようだった。
血色に濁る瞳孔がこちらを向いている。
狂気の入り口に立つのは、自分だけではないらしい。
そんなことは先刻承知だったが、まざまざと凶暴な狂貌を見せつけられて、今更のように思う。
熱に浮かされた顔を見て、止めなければ、と思う。
勝たねばならない、と思う。
〼けてはならない、と思う。
「勝利する」と言った、その“誠”を示さなければ、と思う。
また同じだ、と思う。
いつか大和に襲いかかった、あの時と、そっくりそのままだと。
あまりにも、無力だと。
「さあ~て、そのためには兎にも角にも、まずはケジメをつけなければな。 今まで散々好き勝手して迷惑かけてきたんだ。 大和達には私から良いように言っておくが。 あとは梅先生とか、マロあたりの面倒そうな大人連中も含め、周りのギャラリーを黙らせる必要がある訳だ。 もちろんお前には、院にこれからもずっと、ず~~~っと居てもらわなきゃならんから、他の内弟子に示しをつけて、納得してもらわなきゃならん。 ……まあ、そういうわけで、最後に派手にトんでもらうぞ? お前も今のままじゃ苦しいだけだろ」
己の何もかもが停止し、己の何もかもが置き去りにされた中。
俺には分かった。
これから展開されるのは、矢車直斗の終末そのもの。
俺には分かった。
何もかもが無駄で、何もかもが裏目に出て、何一つ成し遂げられずに終わった世界が、この先に待ち受けているのだと。
俺には分かった。
先ほどまで見せていた憫笑の吐息とは違う、深く、静かな、百代の吸気。
その呼吸は、川神流、秘伝正調の練功術。
丹田を巡って練られた氣が腕の先から吹き乱れ、全身に叩きつけられるは殺気の暴圧。
踏みしめた震脚は、大地の氣脈と武神の内勁を照応せしめ、無為自然の天道は今、彼処の骨肉と一体となる。
「残念無念、また来世、だ♪ ――――川神流、奥義」
星砕き、という呟きは、轟々と唸る気流に掻き消され、俺には聴くことさえ許されなかった。
疾風よりも尚迅く。
稲光よりも尚鋭く。
攻城鎚の如き拳が、真正面から、臍の奥を打ち抜いた。
臓腑を抉り、脳幹を揺すり、全てを零に還す魔の一撃。
耐えるものは皆無。
絶えぬものは皆無。
――――灼光、灼光、灼光。
数限りない閃耀が連続する。
現れては去り、現れては去り。
輝く雨を浴びている。
滞空には果てがない。
ひたすらに流されてゆくような方向感覚
ひたすらに削げ落とされてゆく自意識。
視界はおろか、持ち物も、記憶も、ぼろぼろと落としていって、いずれは骨すら残らない。
「唖…………ああ」
……また同じだ。
俺はまたヘマをして地雷を踏んだらしい。
ようはそれだけのことだと思い、今度はもう駄目だろうな……と他人事の感慨を抱いた直斗は、どこかほっとしている自分にも気づいて、刹那の中、口元に苦笑の皺を刻むことができた。
きっと、これで楽になれる。
もう誰とも戦わなくていい。
傷つけることも、傷つけて苦しむこともない。
ああ、これは幸いなことだ。
こうして独り消えるというのも、結構なことじゃないか。
手を開こう。
力など抜いてしまえ。
握り締めているものは、ここに置いていってしまおう。
やたら重いだけの武器だ。
もう必要ない。
持っているだけでも、感触を確かめるだけでも、辛くて辛くて堪らない。
今度、仲見世通りあたりで、もっと軽いものに買い替えてみようか。
白いプラスチックの、あの安っぽいやつ。
俺にはそれが相応だろう。
あれなら誰も傷つかない。
戦隊物の装飾がついているやつがいいな。
ああいうの、欲しかったんだ。
ねだったことはあっても、買ってもらったことはなかったな。
……逃げている?
そうかもしれない。
でも、やれることは、やれるだけはやったんだ。
もう、どうしていいかわからない。
――――そもそも、何のために。
…………ああ、そうだよ、何で俺はこんなことをしてたんだっけ。
よく思い出せないな。
でも思い出せないのなら、大したことでもないのかもしれないなあ。
でもなんとなく、思い出さなきゃいけないような気もするし。
なんで思い出せないんだろう。
たぶん疲れているせいだ。
なんだか上手く体が動かせないし。
すごく眠たいし、体じゅうが痛いし、疲れているんだ。
疲れているなあ。
本当に、本当に……疲れたなあ……。
遣い手に先んじて地に堕とされた鈍刀は、墓標のように河原に突き立った。
際限のない浮遊感に誘われて、直斗は苦痛しかない肉体から意識を遊離させた。
精神は果てしなく眩い世界を揺蕩い、五体は絶え間なく回旋する。
丹沢の上空三十メートルを滑空する砲弾となった直斗は、そのまま川を横切り、向こう岸の岸と呼べなくなるところまでも横切り、無数の梢を道連れにして、霊山の奥深くへと消えていった。
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また性懲りもなく、大変な時間を空けての投稿と相成りました。
お待ちいただいていた方々には、大変申し訳なく思っております。
お手間でなければ、感想板でお声掛けいただければ幸いです。