『孤独――訪ねるにはよい場所であるが、 滞在するのには寂しい場所である。』
―――ヘンリー=ショー
2008年12月中旬
猛吹雪の中。
「…っ寒い」
言葉にしても寒さが緩和されるわけでもないのだが、そう言わずにはいられない。
徒歩で川神から石川。見通しが甘すぎたか。北陸とか来たことなかったし。
よく考えれば雪の中を長く歩くのもだいぶ久しぶりだ。十年ぶりに近い。無理なく五日くらいでいけるかと思ったのだが、相当の無理をしている。脚が上がらない事はないが、重くなってきたのは確か。それでも立ち止まらずに朝から歩けているのは、日頃の鍛錬の賜物か。
「ま、これも修行修行」
また独り言。
川神一子な言葉。 ……影響受けてきたかな。
同じ努力派とも思っている。
携帯も気温の影響か、早々にバッテリー切れ。
買ったばかりなんだが、この根性なしめ。
その前に少し到着が遅れる事を、連絡できた事を幸運と思う事にした。
<手には鈍ら-Namakura- 第四話:降雪>
その数時間後、ついに目的地周辺に。
閑静な農村部とでも言うのだろうか。 田が所々にある。 家屋もぽつぽつとある程度。
そして、これが噂の合掌造りという奴か。
伝統建造を見るのも少し楽しみであった事は事実で。
その中を歩き続ける。
すると、川神院ほどではないが、しっかりとした和宅が見えてきた。 なかなかに高い、純和風の堅牢そうな塀が、ぐるりと邸宅を囲んでいるようだ。
こころなし足を速める。 早く着くに越したことはない。
あと数十歩程のところで、人影らしきものが雪の合間に見えた。
迎えの方だろうか?
相変わらずの吹雪で背格好までしか判断できないが。
――この吹雪の中、申し訳ない。
そう思い、更に速める。
こちらに気づいたのか、向こうの頭がこちらに向いた気がした。
瞬間、猛禽のような速さで、ソレは、こちらに突っ込んできた。
テンぱる。
えーっと。
脳内ライフカードをドロー!
鹿?猪?熊?狼?
―――全部モンスターカードじゃねーか!!!
この時、地面に妄想の産物たるカードを叩きつける一人狂言を行えるほどに、前後不覚に陥っていたのは確か。
たまらず立ち止まる。
向こうは止まる様子はない。寧ろ足元の雪が一層激しく舞っているのを見ると、速度を上げているようだった。
そして前傾姿勢。辛うじて一本、棒のような突起が見える。
角?
鹿か?
なんにしても獣か。
迎撃の姿勢をとっておくが最善と本能で感じ、肩の布袋から木刀を取り出す。
この頃、ようやく馴染んできた柄を掴み上げ、右上段に構える。
―――ちぃッ、降る雪で遠近感が掴めん。 出たとこ勝負か。
覚悟を決め、相手を迎える。
前方、三メートルの足元のみを視界に納める。
これで少なくとも、足止めの為の体勢は整った。
影が、白雪に映される。
来たッ!
「…っフッ」
袈裟懸けに振り下ろす。
マジックカード、発動!!
―――喰らえッ!光の護封剣!!!
その、刹那。
―――ッツカァァン!!!
軽快な音。
「あわわわわわわわっわ!!」
木刀が受け止められる音と同時に、なんかすごい、俺よりテンぱってる声が聞こえた。
地面を見れば、獣の脚ではなくコンバースのスニーカー。
顔を上げる。
眼をこれでもかと丸くして、それでも、しっかり自らの刀で木刀を防御している、頭に美がついてもよさそうな、少女の顔があった。
見つめ合う。
顔が、赤くなった。照れているのか。
かわいい。
そんなことを思っていると、彼女の顔が少し落ち着きを取り戻す。
そして見る見るうちに邪悪そうな笑顔に……。 いや、これ怒ってんのか?
「……えと、あの、どちらさまで?」
自ら口火を切った。 こういう時は先手を取るのが定石。
「わわわ私ッ、まッ、ま黛由紀江と申します」
「げッ」
懐古主義のロマン溢れるリアクションを、不覚にも取ってしまった。
「こ、これはとんだご無礼を」
その場に平伏。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ、マユズミユキエとか黛家のご令嬢とかうわうわうわマジ下手打ったなんという不覚もともと遅れている上にいきなり斬りかかるなんて何やってんの俺つかカタナ持ち出してきたって事はもともと俺斬るつもりだったとかそんな感じだよなというか何なのあの怖い笑顔そこまで遅れたつもりないけど殺気が迸りそうな感じだよ畜生ああとにかくあやまんないとあやまって許してくれるとは思えない顔だったけどだめもとでetc……
みたいな事が脳裏によぎりつつ、頭を下げる。
「あの、矢車直斗さんですか」
言葉を投げかけられた。
「はッ、おっしゃる通りです!! 遅れた上にこのような立ち振る舞い、申し訳ありません、本当に。 北陸は初めてで、来る途中に熊注意の看板も何度も見まして…」
頭を雪に擦りつける。そんぐらいしないとあの表情は消えない気がした。
もうアレだ。
笑いというより嗤い。
悪鬼の笑み。
善悪相殺的な。 村正的な。
ごめん、ネタわかんなかったらググってくれ。
「いえいえいえいえ、そんな頭上げてください。 私が急に飛び出したのが悪かったようですので! 私、恥ずかしながら、その、矢車さんがくることをとても楽しみにしていて。 出来れば、お、お友達になりたいと」
……その言葉を聞き、俺は一つ、白い息を吐く。
そうだったのか。 いや良かった。 さっきの顔は、恐らくは見間違いか。
「そ、そうですか……。 俺でよければ喜んで」
髪についた雪を払って、顔を上げる。
―――拝啓、鉄心様、
こちらでの修行、恥ずかしながら前途多難の様相と見受けました。
めっちゃ睨まれてます。
口元が、これでもか、と歪んでおいでです。
由紀江side
北陸の猛吹雪の中、一人の少女が、豪邸といっても差し支えない家屋の門の前で、立ち尽くしていた。
「今年もよく降りますねぇ」
そう、少女は言葉を紡ぐ。その言を聞く者は、もとい聞く物は、一匹。
(…まあ、去年よかはマシじゃねまゆっち。 つっても関東から遥々、徒歩とかどんだけ物好きやねん!? 矢車ってのは)
少女は両手の平に乗せた、なんとも冴えない黒馬のストラップに話しかけているようだった。
「こらこら松風、そんなことを言っては失礼です。 ……というか何故関西弁なのですか?」
(言葉の松風あややちゃん~~)
「今日は朝からテンション高めですね」
(まゆっちもじゃね? オラ見てたけど昨日はなかなか寝付けなかったみてぇじゃん。 遠足前の小学生ぇ、みたいな)
「……不安と期待、七対三といったところです」
(おおッ、いつもなら不安九割のまゆっち、なっかなかのコンディション!)
「同年代で年上、さらに異性という、なかなかに高いハードルを飛び越え、その勢いと弾みで、来年は川神学園で友達百人薔薇色学園生活計画をスタートすると誓いました!!」
(ポジティブ~なまゆっち、かっくいー。 それだけ今日は気合が入ってるのかぁ。 アントニオもアニマルも修造も真っ青だぜ!?)
事情を知らない者が見れば、真っ先にその場から立ち去ろうとするだろう。 それほど、吹雪の中、独りの長身の女性がマスコットに話しかけ、腹話術でそれに答えるさまは異様であった。
由紀江本人の弁によれば、マスコットには九十九神(つくもがみ)が憑依しているらしいのだが。
(それに、家で親だけの淋しいクリスマスとお正月が回避できるしなー)
「あうあう、それは言わない約束です松風」
(不憫なまゆっち。 妹は友達と冬休み中、海外研修という名目のハッピーセットおもちゃ付き~な旅行なのに、かたや姉はおうちでお留守番~)
「……うぅ」
(ああ、ごめんまゆっち。 オラ言い過ぎちまった。)
「いいんですいいんです松風、事実ですから。 ………うぅ」
(でっ、でもさーまゆっち、ここでさー、もしもだぜー、ここで矢車って奴と友達以上になったら、妹より一歩リードの姉の威厳ができるぜ~?)
「姉の威厳…ですか。というかそれよりも、とっとと、友達以上とは……」
(みなまでオラに言わせんのかよー、まゆっちぃ?)
「そんな、私なんかが、そんな」
(そこがまゆっちの悪いクセだって。 もっと自信もてよー)
「自信、私にはなかなか縁のない言葉です。 今だって、刀を持ってないと落ち着きません」
(だいじょぶだって。 まゆっちー。 いざとなったら、そのセクスィーダイナマイッな肉体を使えば男なんてイチコロさ)
「はあ…」
(それに牡馬のオラが言うのもなんだけど、男前じゃね、矢車)
「それは。 はい。 凛々しい方です。 …………そうですね、欲を言えば」
(欲を言えばぁ~~~?)
「か、からかわないでください松風!!」
川神院からの武術研修者が来ると聞いて、どんな方かと父に尋ねると、写真つきでの資料を頂いた。
なかなか友といえる人が出来ない私のために、同年代の友達候補を見繕ってくれたようであった。 流石に武道四天王、次期川神流当主の川神百代さんに来てもらう事は叶わなかったみたいで、しかし、彼ならと、現当主、川神鉄心さんが太鼓判を押したそうだ。
写真をみれば、紺の道着に木刀を上段に構えている姿が収められていた。 若干白髪が目立つ頭髪が特徴的で、その眼光の鋭さといえば、同年代のものでは見たことがない。 武術に真摯に向き合っている姿勢に、とても好感をもった。
父の期待に応えるためにも、矢車さんとは仲良くならなくては。
同じ剣の道を行く者ですし、きっと会話の種も何とかなるはず。
(お、噂をすれば何とやらだぜまゆっちー!?)
「ッ!!」
顔を上げれば数十歩先に人影が。
(まゆっち、ダァッシュ!!)
「え?」
(ファーストコンタクト、ファーストインパクトが大事だぜまゆっち。 あなたのために外で待ってましたとか言えば好感度も鰻登り間違いなし!!)
「で、でも」
(自信だまゆっち、成せば成る。 押してダメならもっと押せ押せだって)
「じ、自信…」
今まで自分は、本当に一人だった。
このままなんて、もう嫌だ。そう誓ったのではなかったか。
おっかなびっくり人に話しかけるなんて、もう沢山。
学校で見る同級生みたいに、自然に人と触れ合いたい。 遊びたい。
松風を胸元にしまう。
このチャンスが最後かもしれない。 そんな焦りも背を押した。
前傾し、脚に力をこめる。足首の筋が強張るのが感じ取れた。
「黛、由紀江。 行きます!」
(其の意気だまゆっちぃ。 笑顔も忘れるなっ)
なかなか上達せぬ笑顔を張り付かせ、由紀江は今、突撃する。