<ご注意>
この章には、藤沢周平氏著作「隠し剣孤影抄」「隠し剣秋風抄」における一部の妙味を損なう恐れのある記述が存在しております。 故に、この二つの作品を未読の方々はもちろん、“海坂城下異聞”をこよなく愛する方々には、このことを十分ご承知の上、読むか読まざるかの判断をいただければ幸いです。 誠に勝手ながら、これに関わる読後の苦情については受け付けかねますのでご留意を。
『裏切りとは、同じ道を志しながら背中を討つ事を言う。 はじめから道が違うのなら、共食いは必然である。』
―――ギルガメッシュ(「Fate/EXTRA CCC」より)
摩訶不思議な外氣功を発されたわけではない。
そんな理不尽で、曖昧なものでは、断じてない。
いうなればそれは、矢車直斗が黛由紀江という士に顕した、信頼と拒絶そのもの。
備えられた種仕掛けは凡人にも理解でき、やろうと思えば施行できる。
“理”は、確かに其処に存在していた。
腕が凍った。
足が萎んだ。
思考が、途切れた。
“誠の一文字に直面する”
後手の必勝を確信していた由紀江にとって、それは完全に、想定の範疇外の異常だった。
面前咫尺にある彼の挙動が光情報として網膜に映し出され、何が起こっているのか、生来ながらの観格を以って知るに至るや、何かが連続的に由紀江の脳を叩く。
どくどくどく、という、太鼓のリズムにも似た、心臓の鼓動。
それ以外のありとあらゆる感覚は、冷たい氷水に浸されたように麻痺を引き起こしていた。
瞳を流れる風景だけはひどく克明にして緩慢で、それを見続けることが、彼女にとって何よりも耐え難いものだった。
こうして鷹の目の如き分析力を備えた女武士は、彼が運用した“二つ目の奥の手”に関し、ごく自然な反応をみせ、敗着に限りなく肉迫する。
人を害すための金属の凶暴な質感が、空気を伝って背筋の体毛を舐めた直後。
前傾姿勢で剥き出しとなった右の肩甲骨に、まるで稲妻が落ちかかってきたかのような、大上段の振り下ろしが炸裂する。
風が流れる。
耳元を流れ落ちていく。
引き伸ばされた体感時間。
――武士である限り、お前は俺には勝てない
徐々に足元に下がってゆく視界で揺れているのは、想像もつかない苦行で五体を練り上げ、宣言通りの騙し討ちを成し遂げた、律儀な兵法者の孤影だった。
<手には鈍ら-Namakura- 第四十四話:剣理>
一殺多生の活人剣。 そんな言葉がある。
日本人は古来から平和を好む民族ではあるが、無道の輩に対しては、これを制圧する破邪顕正の剣を持っていた。 しかし、ここ半世紀、悪く言えば敗戦根性が抜け切らぬ社会の中で、活人剣の意は捻じ曲がって解釈されてきた。 人を殺し、傷つけることをなるたけ少なくするための剣の遣い方。 ……いたずらに平和主義を貶めるつもりはないが、それは極めて浅薄な考え方である。 本来の活人剣とは、斬り合いに際し、相手の技術を出せるだけ出させ、技の尽きたところを打つものである。 相手に技を吐かせず、動きを封じて無二無三と打ちつける殺人刀と比べ、それは些かならず難度が高い。 斬り合ううちに相手の好む技がわかってくる。 それを抑えず、相手の望むがままに打ち出させて勝つのである。
敵の好むところに餌を撒くように隙を見せ、その陥穽に誘って勝つ。
ただ闇雲に目前の敵を討ち払って善しとするのではない、純粋な武の求道精神に根ざした、深遠精緻なる剣理だった。
敵が急に斬り掛け、自信を持って攻めてきたとき。 そんなときに、こちらからも進んで切り込み、敵の調子拍子に巻き込まれてしまっては駄目だ。 柳生の教えで言えば“近きに遠き”――敵の刃先が近づかないところまで隅をかけ(斜めに退き)、風車のように刀を振り回す直斗の勢いは永遠に継続するものではないから、自ずと浮き出る弱り目に、祟り目をみせんが如く近寄り、仕留めるのである。
隅をかけずに真後ろに後退する。 ……対短剣戦闘における禁忌を犯す妙手とはいえ、由紀江の戦術はおおよそ、今述べた技法、つまりは武士道に回帰するものだった。
つまるところ、結局は、フルツハモノの大枠から抜け出せない彼女だった。
それで良い。 それが良い。
堕落した手段で、堕落した俺に勝ったとして、いったい何を得られるというのか。 むしろ、その枠に居ながらにして第一の奥の手を破り、二手目を打たせるまでに至った技量に驚嘆するばかりだ。 この女は、やはり格が違う。 おかげで、現在非常に不味い状況に陥っているのだが、それは後の話とする。
順を追って述べていこう。
こちらが用意した三枚の切り札のうち、一枚は、“下段からの左右逆袈裟二連、付随して直刀による拍子外し”である。
逆袈裟二連という単体の奥義については、汚名剣“双燕”と言えば、剣豪小説に通じる者には馴染み深くなるかもしれない。
相手の剣の間合いに駿足にて入る一瞬の間、左下段から刀を摺りあげ、更に剣を右下方に移しつつ上体を逆に捻って、もう一度、今度は右下段から摺りあげる剣技である。
睦み合いながら空に翔け上がる燕のつがい。 その交叉の軌跡を模されたものだ。
こちらが得物として用いるのはなにぶん即倒力の低い鈍らであるため、川神流の震脚による威力の底上げを狙うべく、足裁きについてアレンジを施したが、俺の描いた剣の套路は、本質的にはそれと大差ない。
文を一読すれば、すぐにも会得できそうな錯覚に陥るだろうが、半秒にも満たない合間に対象を無力化できるほどの二撃を与えるのは、至難中の至難を極める。 この技芸単体でも、直撃すれば、並みの武芸者ならば一溜りもない。 一撃目で相手の武具を撥ね飛ばし、二撃目が胴を撃つものである。
これを扱うにあたった経緯だが、もともと祖形は、直江大和に宣戦する遥か以前、学園に編入する頃には既に出来上がっていた。 川神院に入門を果たしてすぐ、力試しの仕合で川神一子に叩きのめされた直後、夜気を裂きながらの孤練にて密かに工夫を凝らし始め、このたび実戦に登用するまでの段階に達した次第だ。
ちなみに併せて用いた、直剣の特徴に由来する無拍子の太刀は、先ごろ鈍らを拝領した後に思い立った付け焼刃にすぎないのだが、こちらのほうが戦術的に実効性応用性ともに格段に上であった事に触れるのは、ご配慮願いたく、よしなに頼み入る。 ……一年越しの努力も、現実は非常である。 隣り山で一夏の間、受け太刀を務めた釈迦堂の指摘は、すこぶる心を穿ってくるものがあった。
しかし、なんにせよ、それなりに格好のついた太刀筋をひとつ遣ったとて、それだけで超越の権能者たる師の孫娘を打倒可能であると確信できるほど、お目出度い頭を持ち合わせてはいない。 百代と比して、現状やや技量は劣るとされる由紀江の一挙手一投足にすら、その度に恐れ猜疑し、その度に卑屈に安堵し続けるのが矢車直斗である。 “為さねばならぬ”と固く誓えど、“為せば成る”とは到底信じ切れぬ男が俺だった。
必勝の太刀が在り、不敗の剣が在る。 ――韓非子の「矛と盾」の故事を持ち出すまでもなく、これはどちらも存在しないと同じことだ。そう判断するだけの小心を俺は持ち合わせている。 弁えている。 理に即した術技は理に敗死する。 物理法則を捻じ曲げるほどの“勁”が無ければ、どれだけ勝算があろうとも、粍の敗北の可能性は存在し続ける。 そして、その粍の勝機を易々と引き寄せ、モノにするのが、数多の若獅子の中、その四天に座する彼女らである。
また、俺に因果律を相手にできるだけの勁は無い、功は無い。 あるいは取り戻せない。
その昔、師が龍封穴を、この体躯へ用いるに至った経緯を、俺はどうしても思い出せない。
すなわち奇跡など求められない。 そんなものが俺の力となる筈がない。
ならば如何する。
……決まっている。
“理に理を重ねる”――――これしかあるまい。
粍の隙を微に。 微の隙を塵単位に希釈する。
その一手しか持ち得ないのが常人だ。
社会でも、学校でも、家庭でも、諸人誰もがそうして日々生き残っている。 愛し合っている。 憎しみ合っている。
少し、俺の戦歴を遡って欲しい。 例を挙げるならば、四月に取り計られて行われたクリスティアーネ=フリードリヒとの歓迎仕合が適当だ。 後手の逆襲にて決着をつけたものだ。 由紀江のそれと比べればお粗末極まりないが、捉えようによってはこれも活人剣の一種だった。
あの時点でのクリスの実力は、院においておよそ中堅の位置を占める川神一子よりも明らかに上位であり、ひとつ不覚をとれば、俺が負けることは必至とは言わずとも、その公算は大きかった。 あそこで、衆人環視の場で、負ける事は許されない。 一子は気にも留めないだろうが、俺達は川神の道場看板を背負っているのだ。 加え、歓迎仕合とはいえ、総代からの命であった。 御覧仕合である。 川神の強さを知らしめる責任を、全うしなければならなかった。
実戦を積むことは決して悪ではなく、むしろ至上の修行方法である。 だが、同時に俺達は内弟子として、平たく言えば、川神の面目を保たねばならない。
先に断っておくが、力を求める情熱、目標へとひた奔る不断の意志、ことそういう特質に関していうならば、川神一子が極めて優秀な戦士であることに、異論を差し挟む余地は無い。
だが、どれだけ敗北に対して師の寛容許容を得たとしても、川神の面子を損なわない事は、俺や一子のような道半ばの未熟者が、武林の頂たる場に籍を置き、あまつさえ数々の奥理の手ほどきを受ける、その返礼として当然備えてしかるべき最低限の分別の筈だ。 その良識を欠いて、且つ、負け仕合を公然の場で繰り返す一子が、院の渉外担当、顔役たる師範代を目指すことに少なからず違和感はあるし、露骨ではないにしろ、ルー師範代をはじめとする兄弟子達が全く懲りない彼女の肩を持つ姿に疑問符が浮かぶことも多々あったのだが、それは今、置いておこう。 特別扱いされぬよう、どれほどの手段が講じられたところで、血縁こそ無いとはいえ、彼女が百代と同じく師の孫娘として内外で意識されるのは仕方のないことだし、何より、曲がりなりにも“血”を持ちながら、学内で二度も無様を晒した俺が言えたものでもない。
ともあれ、最初の一太刀二太刀を繰り出す間に、先述の想いに囚われた俺は、必勝の策として、ああいった戦法をとり、クリスに勝利した。
クリスに仕合後、言及したが、真剣死合であれば、負けただろう。 だが、あれは幸運にも模擬戦闘。 だからこそ、当時己にある総て、“見切り”の能を十二分に生かす戦術を仕掛けた。 加えて、雑技団紛いの曲芸技で、野次馬を喜ばす意図もあった。 百代は、この意図がわかったのか、立合いの後、不機嫌な顔でこちらを見ていたようだったが。 ……この戦法に味を占めて、というわけではないが、幾らかは参考戦術とした。
俺の剣を熟知した由紀江と百代への隠し玉、それこそ隠し剣として、一つでも多く何かしら仕込まなければならなかったのだ。
書中の“邪剣”から、更なる着想を得たのは、そういう理由である。 欠けた絵に定められたピースのように、なかなかどうして、ぴたりと合うのだ。
そう、相手が札を一枚破ってくるのなら、こちらは二枚張ればいい。
第二の奥義は、闇に潜む魔物のように、第一を抜けた深部に配置した。
*
世に渡る諸流諸技に例外なく言えることだが、術技の必殺性は、まず対手にとって未知である事に立脚する。
どれほど高度な技であろうと、幾度もそれを見せていれば、いずれ内情を把握され対策法を講じられるのは必然だ。
しかし、絵に描いた餅で腹は満たされぬことも事実。 それを期待していた。 驕りからではなく、二手目の悪辣を極力用いたくなかったからだった。
由紀江の待機を確認し、右足を蹴って首を落し、左足を踏んで背を屈む。
地を這う蚯蚓のように砂を舐める心地で、己が頭を、由紀江の立ち位置、その二歩手前まで投げ入れる。
正直に告白すれば、このときまでは燕を二匹、素直に送るつもりで居た。
体躯を跳ね起こすまで、彼女の挙動に不自然は無かった。
いや、押し迫っているのはこちらの筈なのに、追い詰めているのはあちら、とする“戦気”は確かにあった。 あったからこそ震脚を踏んだ。
そこからの、由紀江の、無拍子の回避である。
剣聖の至芸と断ずるに些かの躊躇も無い。 居合いの型から停止して膝の肉を冷やすこと幾数分、その直後にして、この仕儀。 反応にせよ体術にせよ運剣にせよ、常軌を逸していた。
瞬刹、読まれたことを打ち上げた双腕の合間から視認する。
油断していたわけではないが、虚を衝かれた事に変わりはない。
与えられた猶予はごく少なく、それこそ粍であり、微であり、塵であった。 何もない虚空を斬った後に出来ることは限られていた。
しかし逆を言えば、狭く、少なく、限られていながら、出来ることは確かに存在していた。
“有り得ないことが有り得る程度は想定の内”――――短く吸気し、外道を行うべく、無我境に心を近似……は俺の技量では全く不可能だったが、ここからの一刀を以って沈める以外の方策はもとより皆無。
一太刀目を打ち上げ終えたこの局面は本来、刃勢を保ちながらその場で半回して太刀を引き下げ、二の太刀を逆から摺り上げるべき要所である。
俺はそれをしなかった。
刃速の減殺を避けること。 それが双燕という夢想の剣を用いる上で俺が我流なりに見定めた要諦で、そのための遠心力の利用だ。
珠玉の套路の完成形を、みすみす貶めたのには訳がある。
代わりに俺が行ったのは、半回ではなく一回転。
一閃を打って伸びきった腕はそのままに、その場で、捻り上段の太刀取りにて一回転。
一回転。
一回転。
……一回転。
つまりは、
――敵騎に、背後を晒す。
邪剣“竜尾返し”という太刀がある。
簡潔に術理を説明すれば、太刀を下段に配し、不意に背を向け、振り返りざまに一挙動で上体を撃つ太刀である。 意図的に後の先の勝機を作り出す剣術。 後の先の勝機を作り出す、つまり相手の攻めに虚を与え、その俊さを失わせ、ただの一刀で撃つものだった。
それを、上段に太刀を配したまま、俺はこの瞬間に誂えたのである。
世の物理ではなく、士の心理を征する。
それが俺の、超越者たちへ捧ぐ対抗打の本質だ。
遣る事為す事、まったく理にそぐわない者たちへの反攻だ。
敵の背を斬る事に躊躇いのある日本武士に対して、この剣技の効果の程は言わずとも知れるだろう。
対手は、腕が上がって拓けた腹部の隙を逃さず獲ろうとするが、撃つ箇所が途端に背部に摩り替わり、ここで僅かに躊躇。
この硬直を期待して、一刹那先の勝機を掴む。
新撰組の隊服を模した羽織の装飾も、駄目を押して兇悪だ。
由紀江の士道が、突如出現したこの背に張り付く“誠”を容易に斬り捨てられるほど、落魄れたものである筈がない。 士の美風に叛乱する真似が、彼女に出来る訳が無い。
――――彼女たちには不可能だ。 彼女たちの“武士道”が、この邪剣の不敗を約束する。
その後は、体全体をすぐさま回旋、崩れかける足元をぐっと堪え、左上段から、ギロチンの断撃たる打ち落としを仕掛けるのみ。
果てた夫の無念を晴らす、雌燕の如く。
真正面の牙にも劣らぬ、禍々しき辰の靭尾の如く。
つんのめるように、最後に自らの全体重をかけて、上体を叩き撃つのだ。
太刀の始動から溜め続けられた刃勢は、瞬転の遠心力、体重七十五キロ分の重力を更に加えられ、ここに前哨戦の終止符を打つ。
その威は、川面に放てば垂直三メートルの水柱を立たす程度には強力だ。 これにて二撃決殺が罷り成る。
以上が、奥の手の二、“双燕並びに竜尾返しの併せ太刀”の概要である。
名を付けるとすれば、双燕に対して“邪燕”といったところか。 ……この戦いが終われば二度と遣う気も起きぬだろう、詐術だった。
*
最後の一撃と共に、俺もまた、五体を投地していた。 一度放てばこの格好になるのも難点だが、そこはご愛嬌だ。
アドレナリンが膝小僧の打撲の痛みを和らげるのを感じながら、そう感じるだけの冷静な自分を取り戻しながら、ゆっくりと身を起こす。
湿布が貼ってある背中が、灼けるように沁みている。 分泌された大量の汗に、湿布に含まれる酸が溶け、毛穴に浸透してゆく感覚だ。
実時間を確認する。 まだ、開戦から二時間もたっていない。
額の鉢金のずれを直し、もそりと髪を掻き揚げて、付着した土を振り落とす。
傍から見れば、相撃ちに見えたのだろう。 膝を立て、座り込んだまま上体だけ姿勢を正したころには、周囲のざわめきは最高潮に達していた。
――うわ動いてるよ/嘘だろおい/お前見れた?/あれ?負けたの?/私わかんなーい♪/どう見えた?/とりあえずパンツは見えなかった/あんなのと戦うっつーのかよ…
最低でも優に十メートル以上の距離を置いて、どれだけの人間が俺の太刀筋を見取ったか、見咎めたか。 確認する術はない。 だが、何となく。 非常に何となく曖昧な勘だが、朱雀軍が陣を敷くには最適な位置であろう南東の山中から、刺し殺さんばかりの鋭利な視線が注がれている気がする。 同じものを一度、石礫の飛来と共に感じた憶えがある。
天下五弓の眼は、“壁”を越える見込みがある。
師の言質を鵜呑みにするなら、間違いなく一人には、この卑劣が見通されたと考えるのが妥当だろう。 わかったところで防ぐ術は能力限界と物理法則に縛られているのだが、油断は禁物だ。 以後、これを遣わずに済むという虫のいい話もない。 目前の人物の技量と器量、その見極めが一層肝要となる。
視線といえば、今更ながら、意識するとなかなかに過大なストレスだ。 英雄達の追撃に割かれている人員も相当数だろうが、それでもこちらを取り巻く八百余名の学園生徒たち。 プライバシーの保たれぬ一方的な衆人環視は少なからず体を強張らせる。 随分昔、“スケルトン生活”などというテレビ番組の企画があったことを思い出す。 遊園地などのレジャー施設に特設された、生活の全てが丸見えになっているビニール張りの部屋に、一定期間の間暮らし続ける。 昼間はもちろんのこと、夜間も一般人に観察されるため、精神的に非常に過酷な企画で、観ている側も胃が痛くなるようなものだった。 懐かしい。
あと同じ番組で、芸人コンビが自陣で産まれた鶏の卵だけで生活する奴とか、あったな。 「こっちで産めよぉぉぉっ」という相方の切実な叫びには腹を抱えたものだ。 それと海苔生活……。
由紀江と対峙していたほんの数分前では抱きもしなかった、益体のない不真面目な思考の渦を巻いていると、小石が弾かれる気配を察して、前方に複数、人が立ち並ぶのを眺めた。
敵ではない。 かといって味方でもない。
我が同胞、審判員を務める川神院の僧兵どもだ。 しかるべき手順で、俺が下した彼女を回収に来たのだろう。 現在、四方八方から敵方の剣林弾雨が押し寄せないのは、このためだ。
小休止の趣きが束の間戦場に降りていた。
未だ昂ぶる神経を速やかに治めるべき時間であり、女の柔肉を撃ち据え、形の良い骨を砕き折った感触というものを存分に玩味すべき時間だった。
……想起。
“抜かれたら勝てない” ――だから、抜かせなかった。
彼女の秘太刀は“理”に頓着しない。
かの抜刀は断じて論理に非ず。 断じて道理に非ず。
黛一派の興隆より、開祖から脈々と受け継がれ、粛々と磨き上げられ、人智を超えるという意味では同じ界隈に位置する発勁技すら、裂き殺す、という凄絶な霊気を孕む聖剣だ。
鈍らによって迎撃して圧し勝つどころか、その一閃を阻める見込みは零も零。 干乾びた葦が刈られるように、こちらの得物は寸断されるに違いなかった。
また、理論上は不敗を掲げていても、決着の一打とて薄氷を踏む思いだった。
相手の士道に全幅の信頼を寄せなければならない、という前提。
こちらの我流剣は本来、技量というよりは器量、つまり心技でいえば心に重きが置かれる一刀である。
女の鍔より奔る雷火の煌き。 それへの恐懼に我を忘れて撃ち放つ、という真似が勝機を掴み得たというのは、未だに信じがたいものがあった。
うつ伏せに倒れたままの彼女の体躯は、しかし仰向けに返されることはなかった。
患部は背中である。
簡易担架に、倒れた体勢のまま乗せられたため、気絶した後輩の貌を、こちらは窺えずに済んだ。 その事にひどく救われた気がした。
だが、もうひとつの面には出くわした。
松風だ。
転げた拍子に砂利の角に擦れたかして、由紀江の首に懸けられていたストラップは引きちぎれたらしく、ただぽつねんと、ちんまりと、気づけば俺の目の前に鎮座していた。
当たり前だが、全く以って当たり前だが、話しかけてはこない。 業腹ながら、俺の扱った剣の套路と同じく“彼”にも腹話術という種仕掛けが存在する。
しかし、その無機にして無垢な黒い瞳には、まるで責めるような色が浮かんでいるように見えた。
語る言葉も無し、そんなふうに真一文字に結ばれたフェルトの口も然りだ。
このまま土埃に紛らせながら放置しておくのも忍びない。 立ち上がって、本部に退散しかけた兄弟子の一人に声をかける。
彼は俺の事情を知らない。 そして知らないなりに察知している。
川神院には駆け込み寺、更生施設としての側面がある。 無論、相応の実力が伴わなければ敷居を跨ぐ事は叶わないのだが、内弟子には脛に傷を持つ者も一定数含まれる。 最たる例が、離島の魔童として名を馳せ、院に収容後、瞬く間に師範代の位まで登り詰め、ついには百代の武芸指南役を射止めるに至った釈迦堂刑部だ。
……なんというか、同類同士鼻が利き合う、といった数人を俺は知っているし、彼らも俺を解っていると思う。 話しかけた男もその一人で、ここ数ヶ月で流派の内規という内規を破りに破り続けた俺に対し、決して歓迎する風情ではなかったが、可愛いとも不細工とも言い切れぬマスコットを持っていくことを了承してくれた。
受け渡すその前に、馬の足に纏わりついた不細工な装飾を外すことを忘れはしなかった。
手の平の上、安っぽい色合いの指輪が二輪。 いつか、彼女の実家で作ったビーズのアクセサリ。
もう何年も昔のことに思え、そこからずいぶん遠くまで来てしまった気がする。
今にして思えば、なんとも御節介で図々しくも恥ずかしい真似をしたものだ。 もう彼女に、これは必要ないだろう。
風の便りで、同じクラスにも友人が出来つつあるらしい。 それが真実の友情である事を願うばかりだ。
まだ十五歳。
まだ高校一年生なのだ。
求めるものは、なんだって作り出せる。
俺のように臆病にならなければ、それを失くすこともないさ。
長時間の息苦しさから解放されながらも、未だ強張り震える手先を繰って、鈍らの刃先に指輪を通し、そのまま力任せに押し貫いた。
すぐに張力の限界が来て、ぷつんとワイヤが切れて、鳳仙花の種の如く弾け飛んだ色彩の粒は、図ったように吹いた風に巻かれて散り消える。
敵に背を向け、生まれた躊躇をいざと喰らう。
由紀江と最後に織り成した剣跡は、小奇麗に言えば活人剣の応酬だったが、彼女の武士道を完膚なきまでに愚弄した事実は揺るがない。
……俺が初めての友に相応しいなんて、とんでもない見込み違いだ、黛大成。
これで、彼女の厚意を土足で踏み砕いたのは二度目を数える。 星の巡りが悪かった、などという言い訳が許される筈もない。
全て、俺の意思で傷つけた。
少なからず、俺を友人として好ましく思ってくれていたのは光栄だったが、流石に今回の一件で、冷めてくれることを期待する。
友情に飢えている彼女には、御人好しが過ぎるきらいがある。
悪いことじゃない。 損得を超えて、世の中そういう人間だけになってくれれば、というのが俺の夢だ。
ただ、対等でいようとする気概は、箱入りだった彼女には、しばらくは必要なものだろう。
それがあれば、ありのままを観ることができる眼があれば、どんな卑劣もどんな信頼もすぐに見通せる。
そして性根の腐った野郎に心を許せば、どんな仕打ちが返ってくるのか。
吐き気がするほど身勝手極まりない言い分だが、これがいい薬になってくれれば、と思う。
*
由紀江の収容がなされる間、多少の慄きが広まり起きたとはいえ、無為に時間を過ごす朱雀軍ではなかった。
対象の脅威判定は更新されたことは明らかで、
――先も言及した通り、術技の必殺性というのは“未知”というアドバンテージがあって初めて確立されるもので、九百九十九の敗北と、ただ一つの勝利が内訳たる千本仕合にて、矢車直斗に対して全く無策であった由紀江との最初の一本目が勝利に終わっただけ、というのが直近で引き起きた戦いの本質だったわけだが、それを洞察できる者は限られている。 これは術の秘匿という観点からすれば、こちらに都合の良い事実ではあるが、あちらにとっては、油断なく万全を期して迎え討たんとする気炎を全軍に滾らせるものだ。
周囲の外観に変化の兆しが現れていた。 人垣が、壁に移ろうという風景。
もしかしなくとも、由紀江との戦闘中に土台くらいは造り始めていたかも知れない。 目測だが、優に三、四メートルはあるだろう巨大な垣根が三百六十度全域に出現していた。 馬防柵などという隙だらけのものであれば良かったのだが、いやはや、どこから調達したのか、実態としては鉄板に限りなく近い、目の細かい鉄網の間仕切りで内外が閉ざされつつあった。 とても飛び越えられる高さではなく、攀じ登ろうにも足を掛ける隙すら見当たらない。
即席人造の闘技場。
数は力だ正義だと、大和のしたり顔が目に浮かぶ。
多人数を相手にして勝つのに必要なのは、迅速にして強力、正確な先制攻撃。 そして常に敵全員の動きを把握しながら戦い、出来る限り敵を自分の有利な位置へと誘導すること。 つまり、囲まれない事と言い換えて良い。 二人組、三人組、四人組と、圧倒的多数を相手にするときには、常に相手を視界に入れなければならない。 そして可能であれば、一対十ではなく、一対一が十連する状況を作り上げる事だ。 俺の視力は、決して並みの武人に劣るものではないと自負できるものではあるが、真後ろのものを見よというのは無理がある。
そして、それとは真逆も真逆。 圧倒的なまでの不利状況が目前で形成されつつあった。
由紀江を回収し終えた審判員が脇から逃がれ、そこに最後の金網が張られると、どこからともなく小さな影が飛来し、ちょうど足元の砂利の上に投げかけられた。
折り畳み式やスライド式などという小洒落た変形機構は持たない、どこぞの電気街にて叩き売られているだろう何世代も前の型落ち。 画面は狭く、くすんでいて、最低限、通話機能だけは保障していると暗に語りかけてくる無骨な携帯を拾い上げた途端、全く耳にやさしくない、甲高い呼び出し音が喧しく鳴り、きっちり五コール後に通話ボタンを親指で押し込む。
(――――まだ、やるつもり?)
「……おいおい。 それは普通、今そっちの手札を叩き潰した俺が言える台詞だろう」
(今の間で、北に逃げた玄武軍、その半数以上は既に脱落した。 ……脱落というか。投降? もともと乗り気だったわけじゃないのが多いみたいだし。 エリート連中ってのはなんだかんだでそれなりに辛い立ち位置でもあるんだよね。 ちょこっと無様晒せば、手の平返す人が大半だったよ)
「あ?」
(麗しい格好の不死川さんのムービーメールを、ちょっろっとね)
「…………わかってないな。 そういうのは関係ないんだよ。 俺はお前のように、他人を貶めるために他人を利用したりはしない。 開けっ広げて、一人きり、素直のままに殴って蹴って打って撃って極めて倒す。 騙す奴には、先に騙される覚悟をくれてやる。 もとよりそのつもりだし、それがフェアってやつだろう」
(へぇ? 九鬼に葵を守れなんて言っておいて、それは聞き捨てならない話だ。 なにかしら仕込んでるものがあるんじゃないのか? あいつらを利用して)
「流石に情報の回りが早いな。 ……その見立ては零点だが。 実際は全くの逆で、むしろ、あいつらが俺を利用するっていう話でな。 いずれにせよ、お前が考えても仕方がない問題だ。 四の五の言ってないで、皮肉混じりに鎌かけてる暇があったら、さっさと百代を呼んでこい。 せっせせっせと、姉貴分に活きの良い生け贄を貢ぐのが、お前の仕事だろう?」
(それ以前に、仲間に害のある連中を追っ払っとくのも軍師の役目さ。 そして、命乞いを聞き入れるのも同じく俺の役割。 どうする?)
「訊くまでもない事を訊いてくれるな。 勝つのは俺だって、何度も言ってるだろう」
大和の提案はその実、優位に驕り、嵩に懸かっての説教ではない。
今から本気出す、戦力から言えば由紀江など比べ物にならないほどの“数の暴力”を行使する、だからその前に選択の余地を与え、詰め将棋の如く自らの正当性を築き上げる。
そんな大義名分の念押しだった。
事此処に至っては、風間ファミリーには由紀江の敵討ち、弔い合戦の意味合いが戦う理由に付され、俺に対する朱雀全軍の心象は確固たるものだ。
不必要とも思えるこの問答は、どれほどの石橋だろうと叩いて渡ることを忘れまいとするとする大和の気質の表れであり、過程はどうあれ、黛由紀江の撃破を目の当たりにして、その胸にいっそうの警戒が渦を巻いている証左だった。
第一に、この取り澄ました冷静を破らなければ、この戦いに終わりは永遠に来ない。 来てはならない。
どれだけ、大和の思慮を削ることができるか。
心の装いを取り払った、その先の何かを見い出させるための戦いにおいて、これは避けては通れぬ命題だ。
対する上で、俺に利する事実を強いて挙げるとすれば、質が安かろうが高かろうが、相手の本心をくすぐり出す挑発だけは、無尽蔵に繰り出せるということ。
頼みの綱は、そんな、当たり前も過ぎる人の業だった。
「一応のご心配、どうも有難う。 まあ、俺も人間だ。 確かに先行きが不安になる事もある。 だから念には念をってことで、験を担ぐつもりで、昨日はヤドカリを食卓に並べたよ」
(――――――)
「調理人の腕がすこぶる良い事もあって、食えることには食えたが、砂も混じってて、値が張ったわりには喰える所も少ないし、何より味がな。 物凄く不味いとは言わないが、物凄く旨いという事もない。 強烈に磯臭い貝って言うか、大味そのものだったな」
(―――――――――――――)
「日がな一日、死骸から盗み取った殻に引き篭もってる生き物だ。 自分を鍛えることを知らない。 だから身も締まらないんだろうな? ……どこかの誰かみたいに」
言い捨てて、手にする端末を破棄、戦前の茶席の名残として遺されていた朱塗りの番傘のもとへ、ひとっ跳びに横っ跳び。
壁の向こう側の様子は朧気にしか感知できないが、先ほどから、篭手が擦れる音、ギチリギチリと紐が張り詰められる音が聴こえるところから察した、土壇場の対応である。
直感を裏付けるように、鳶の喚声が空を裂いた。
着地と共に息を吐いて、頭上を仰ぎ見れば、
矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢矢。
下手な鉄砲なんとやら、というレベルではない。
先んじて射出された鏑矢。 その合図の直後。
とりあえず前方の上空に飛ばすように、という大雑把な指示で以って撒かれたのだろう幾重幾段もの曲射は、全方位より、矢車直斗の移動可能域を、一斉同時に薙ぎ払う。
弓術について、得手不得手以前の問題である生徒達。 狙った的を射抜くスキルを持たない殆どの者について考慮すれば、これは非常に効率的な策といえた。
また、大和は知ってか知らずのことか。
太刀による矢払いの術を、袋の鼠たるこの身は持ち合わせていない。
いつか見た、色彩豊かな中国映画のラストシーンが脳裏に過ぎる。
しかし生憎、俺はあの無名の英雄のように、最期を悟って無防備のまま笑みを浮かべられるほど、殊勝な性格ではないし、この大戦、幕引きにはまだ早い。
抜き身のナマクラを脇に挟み、これ幸いと、鈍らの三倍の目方はある漆仕立ての大番傘を引っ張り上げ、石突を天へ刺し抜いて、留め金を弾いて、篭められたバネ仕掛けを解放する。
支柱が擦れ、親骨と受骨が滑り合い、そうして開かれた蛇の目を盾に、猛射を防ぐ。
那須野の原で果てたというかの狐精は、きっと同じ風景を見たに違いない。 妖狐伐倒を祈願された破魔矢の如き鋭さが無い分、こちらは方がまだマシというもの。
ベダベダダダベダベダダダベダベダ、と和紙に吸盤が断続的に引っ付く音。
ギチメキキギチミキコキブスブスリ、と器物が軋み壊れてゆく音が、それに追従する。
なるたけ傘の損傷を抑えようと、柄を回しに回して着弾の衝撃を緩衝するが、それもいつまで有効か。
如何に名門不死川家の由緒正しかろう什器とて、茶道具に戦場での耐久を期待するのは酷というもの。 所詮は厚紙。 急場凌ぎに過ぎない。
「突っ込めッ!!!」
源忠勝の檄が飛ぶ。
円弧形の檻を形成する其処彼処の柵が一時的に解放され、前後左右から、隊伍を組んで疾駆してくる無数の人影。
唐突に矢雨が止めば、間断なく、ついに白兵戦が開始と相成った。 流石に弾が尽きたらしい。
対して、こちらが構えるは、“渦潮”。
足元に番傘を置く。
右腕に順手持ちで鈍らを。 刃筋が胸前で、銀白色の真一文字を描く。
左腕には逆手にて、下げ緒を解いた鞘を握り、腰だめに落としつつ後方を牽制。
板垣天使が釈迦堂刑部より賜り得意とする、本来ならば門外不出とされる、秘門の防禦技法――川神流“流水の構え”
その亜種、発展系と呼べるものが、この渦潮の構えである。
得物で攻めを受け流し、懐に入り込まんとする意図は共通するが、敵の動きと常に正対し続け、縦の動きが重要視される流水は、主に一対一の差し向かいで用いられ、対して、渦潮は仕手の回旋、円運動が肝であり、二刀によって複数方向からの攻め手を纏めて分散し、力のベクトルを操作し、互いに互いを相殺させることを念頭に置いた、対群の操刀だ。
思い思いの得物を振りかざし、与えられた下知通り、縦横無尽に殺到する朱雀兵。
次弾に備えてか、遠くに見える甘粕真与や小笠原千花が、ありったけの矢筒を持って、抜け目なく外れた矢の回収に勤しみ始めている。
柳眉を逆立てた敵大将の鬱憤が一気に放たれる、電撃作戦。
矢継ぎ早の戦術の繰り出し具合から、濃厚に香る激怒の気配。
……ああ、それでいい。
そいつこそ、その激憤の発露こそ、誠実の端。
お前が最初に、この戦場の中で摘み上げ、胸に埋めるべき愚直の種。
隠すな、除けるな、押し潰すな。
心を剥き出しにせんとする、その“誠”こそ、百代が求め希い、彼女に幸福をもたらす法だ。
矢車真守が、最後まで信じた正しさだ。
だから、なぁ、大和。
お前のど真ん中の芯に、それが備わるまで。
真摯さ、というものの強さに打ちのめされ。 果てに、それを掴み取るまで。
それまでの、受け太刀くらいは務めるさ。
それが俺の。
俺の、俺が為し得る唯一の――――。
既に秘策たる三手のうち、二手は白日の下に曝され、残る一手はこの局面では、……最低限の発動条件は満たしたが、先日加えた発動目的を鑑み、使用不可と男は断定する。
それ以外で言えばスタンガンという小細工もあるが、それは彼女にしか使わないと誓っている。
奇策の暴露の上、黛由紀江との戦闘にて、奇跡的に五体の損傷は皆無に等しく終わったが、失った体力、費やした気力は、尋常なものではなかった。
人一倍の強がりを放つ傍で、既に確実に弱体化しているという現実が、其処に横たわっている。
そう。 開戦から一刻も経たずにして、五体の損傷こそないが、あとどのくらいで限界だ、というものを意識する段階にまで、疲労は達していて、それだけ彼の消耗は激しかった。
それでも状況は容赦なく、運と体力、そして少々の知恵をまぶした彼が臨む攻略戦は、この日一番、全面的に体力に依存する局面に突入する。
いつ止むとも知れぬ波状攻撃。
曇天の中、自らにのみ指向する剣林弾雨。
それに秘められし策と、長年に渡って仕込まれ続けた人脈による有志の動員。
誰の助力もなく、ただの独りきり、それを迫撃する戦士の命運もまた、近く尽き果てるのも無理からぬことだった。
----------------------------------------------------------
いかがでしたでしょうか。
お暇があれば、感想掲示板に寄ってもらえると幸いです。
封切り初日にシュタゲの映画行ってきました。 助手萌え第一な映画でした。 中盤からの展開は駆け足だったが、ラストカットは秀逸の一言。 シナリオの粗なんか吹っ飛んだ。 十分、羨ま死ねたぞ鳳凰院。 積んであるフェノグラムでまた会おう。