『涙を抱えて沈黙すべし。』
―――中岡慎太郎
刹那の硬直。
いくらか俺の実力が明らかとなり、数週前からの変貌ぶりに少なからず彼女は愕然としたようだ。
記憶する院内二百余の弟子の中で、ようやく二桁台にいくかどうかの席番の者が、師範代相当の体術を見せつけたのだから。
しかし、そこから一挙に我を取り戻した百代の口から放たれる猛りでこの均衡が解かれる寸前、
―――――――――双方とも、よさんかッ!!!
裂帛の怒号が脇から爆発した。
置物のように立ち尽くしていた川神鉄心が発したものだった。
数年来の全力の氣の大放出に、「心得」の有る者は身構えざるをえず、その他多数の一般常人は一身に浴びた覇気に戦慄するのみ。
どういう展開となるか、ある程度知らされ予想していた御本家であったが、流石に生徒一人が命の危機にあるのだ。 この激昂は当然の反応だろう。
やりすぎじゃっ、と暗に視線で諌められ、応えてひそかに目礼を返す。
「……」
「ジジイ……?」
一時俺への敵意を胸に引っ込め、何年も感じることはなかった祖父の、川神院総代の闘気に思わずして驚愕の情を顔に浮かべる百代だった。
超至近距離で発せられた戦気に目を見張り、緊張と興奮に揺れているだろう彼女の引き攣った口端には、無意識ではあろうが、微かな喜悦が滲んでいるように思える。
やはりこれが彼女なのだ。
これが、川神百代という女の本質なのだ。
……ここまで、か。
にへら、と笑う。
「じゃ、八月三十一日に、また会おう」
いっぺんに収縮し、また急激に弛緩し始めた空気に、俺は離脱の機を見出したのだった。
片手を上げてヒラヒラとふり、大男の延髄に置いていた右足を引き上げ、踵を返す。
屈辱の窮みにいる島津が起き上がり、また飛び掛ってくるという心配は多少はあったのだが、彼はうつ伏せのまま、ふるふると拳を赤黒くなるまで握り締め続けるだけであった。
これ以上ない恥辱を受けたがゆえに、立ち上がる度胸すら無くなるほど、矜持を砕かれたのだろう。
……悪いな。
こちらからは窺えない顔面から滴って床に広がる透明の液に胸苦しさを覚えたが、歩調を緩める事はなかった。
進んできた道を辿り戻る。
誰の虚をも突いたつもりであり、実際、振り返った目と鼻の先にいた風間すら、やんわりと肩を退けてすれ違う俺に視線を向けられなかったほどだ。
ぐるりと囲む衆目の中、すたりすたりと足を交互に唯一の出口の方へ運ぶ。
そうである事が、これが自然であるとする「空気」
そういう、当然の「雰囲気」
この場に醸し出されたそれが、しかし何時までも俺の思い通りになる道理はなかった。
背後から猛然と駆けてくる人間の気配があった。
もとより、取り巻く場の空気に頓着など一切しない者の足音だった。
やはり、もう一悶着は避けられないか。
すっかり諦めた境地で目端に捉えた小島梅子の反応と即応を目配せで殺し、これを境に俺は全身の力を抜いた。
柔く温く、しかし俺の片方の手首を包んだ彼女の力はまるで万力のそれだった。
突剣に接続される事を日常とする彼女の掌筋、その感触を地肌で感じながら後ろへと引っ張られた俺は強制された回旋運動に体軸を任せた。
振り向きざまに、前述した教師の一撃にもおさおさ劣らぬ、一閃の肉の鞭打が俺の左頬を爆発させた。
被打面たる顔の左回転と、平手が描く右に湾曲した軌道が絶妙に噛み合った末に成った痛烈なる一撃。
それは昔、宴会会場でマルギッテを叩きのめした後、母にくらったものと重なるものだった。
あの時こいつは何かのレッスン、手習いでいなかったとか何とかだったか……。
一瞬襲った既視感は、すぐに掻き消える。
数秒前に頭に描いた想像の通り、金の長髪が眼前で揺れていた。
唯一予測できなかったのは、その青き双眸に溜められた雫の存在だった。
「謝れ、今すぐにだッ!!」
涙の被膜の奥の、正義の騎士の底堅い瞳が、「悪」を写し取っていた。
<手には鈍ら-Namaura- 第三十二話:落涙>
内出血による急激な血流変化についていかない頬の皮膚が、びりびりと震えて膨らんでいく。
破裂音は天井いっぱいまで飛んで行き、木霊となって跳ね返ったが、それから耳に入る音はもう遠くなった。
――――ガクトに謝れッ 貴方なら何もあそこまでする必要はなかった筈だッ!
飛蚊の羽音のような耳鳴りの奥の、微かな声音の抑揚と、張られた方向から動かせずにいる視界の左上に映った形のいい唇を読む。
空気が凍っていた。
凄まじい剣幕に、誰もが身動きできないようだった。
なおも続く言葉の波濤に、俺はたゆたう。
――――自分だって、大和のああいう所は好かないっ
――――しかし、それを否定するのにも、やり方というものがあるだろうっ!?
――――こんな、こんなやり方、絶対に正しいものではないっ!!
ああ、無邪気だなと、何よりもまずその感想が胸に走った。
クリスティアーネ・フリードリヒはどこまでも天真爛漫だ。
クリスが怒っても笑っても、それは何の計算もない素直な感情の発露なのだ。
多くの人から愛され、誰の事も等しく好きでいられる彼女。
目の前の下司の振る舞いに、涙を流せる彼女。
これを、守っているのか。
これを、ここまで守れているのか、マルギッテ。
……羨ましいな、本当に。
―――貴方の士道は何処に行ったのだ、矢車殿!?
―――それとも何か、これには何か他に訳が、理由があるのではないのかっ!?
―――なあ、そうだろう!?
半ば裏返った怒声と共に、手が伸びた。
肩を掴んで揺すり始めた手を、それでも俺は強引に引き剥がした。
*
どんなに楽だろう?
今、この場で、何もかも打ち明けられればっ―――
どんなに解放されるだろう?
俺はこんなにも不幸なのだ、俺はこんなにも不遇なのだと、だからこの荒涼をどうか理解して欲しいと、ここで泣き喚けたらっ―――
ああ、どうか俺に情けをっ
ああ、どうか俺を慈悲哀切をっ
今すぐ叫びだしたい心地だった。
俺の中には、そんなどうしようもない腐った性根が根付きに根付いている。
ああっ、それが出来たならっ―――――――――――!!!
それでも、残された使命感を燃やし、奥歯を軋ませこの衝動を辛うじて押さえ込む。
後戻りは出来ないのだ。
そんな事などするものか。 ……父の教えはなんだった?
思えば、先日の決心よりも遥か以前。
全てを奪われたあの日―――世界への希望も信頼も跡形残さず握り潰され、己の生の一切を否定されたあの日から、俺はもとよりこの選択をしていた筈なのだから。
この先に更なる艱難辛苦が待ち受けていたとしても、やり通すしかない。
失われた命に報い、未だ恥知らずにも呼吸を続け、止められない自らに報いるために。
それが失われた事すら忘却した者、無自覚な者に報いるために。
そして、まさしく背徳の愛を、貫き通すためにッ――――――――
喉に薄く血の味がした。
口内を切っていた事に、ここではじめて気づく。
ちんぴらのように、赤濁した唾を脇に吐き飛ばした。
胸を重くするこの閉塞感も少しは軽くなるかと期待したのだが、内から無限に湧き出るそれに解決など皆無だという事を、自覚するのに役立っただけだった。
まあいい。 好都合だ。
感傷を消し、その溜まりに溜まった鬱屈だけを外面に曝け出す。
何かを隠すには、その偽装の上に幾ばくかの真実をまぶすのが肝要だ。 それがリアルを演出する。
この荒涼こそ、真実以外の何物でもない。
目を合わせず、もう一度彼女に背を向け、歩き出す。
男は背中で語る生き物だ、という日本の格言をクリスが知悉していたかは定かではない。
だが、「おい、待てっ」の声と共に、彼女はまたも俺に追い縋る形で手を伸ばしてきた。 そういう気配があった。
「いい加減うぜぇよ、おまえッ」
決別の言葉を紡いだ瞬間、再度転じて、俺は逆手で彼女の生白い手首を掴みあげる。
正義を囀る金糸鳥に、荒んだ白頭鷲の鉤爪が牙を剥いたのだ。
一挙に顔面蒼白したクリスに構わず、手を俺の肩越し上方へと引き上げ、ゴツリと額を突きあわせた。
あわや接吻という距離に、有象無象の息を呑む音が重なり合った。
「正しいやり方と言ったなぁ、クリス?」
睫毛の合間で驚愕に揺れる水晶の色合いを確かめ、俺はそこに酷薄な笑いを映しこんだ。
「お前がそれを語るなよ? 正義大義の為に人を殺す、その報酬で人並み以上に養ってもらってるお前がッ!!」
「―――ッ!?」
愚劣な論旨のすり替えである。
その金髪から漂う甘い芳香を、感じ入るように嗅ぐ。
してやったり然の嘲笑を頬に浮かべ、なぶるように俺は続けた。
「大体どうでもいいんだよ。 何かが正しいとか正しくないとか、間違ってるとか間違ってないとか。 ……問題は、俺が許せるか許せないか、だからな」
――俺は今、結構いろんな人たちにギブしているほうなの。 だから、俺に何かあれば、そこそこのテイクはしてくれるさ。
―――ううーん…。 いまいちよくわからないな。 そこが。
――例えばさ、生徒会長に立候補すれば投票はしてくれそう。 俺の策通りに動いてくれそう。 ……そんな感じ。
―――……否定はしないが、それはどうにもなー
――じゃあ、クリスの好みの行動基準は?
――――率直で、正直ッ!!
「俺は自分に“率直で正直”でいるだけだ。 お前、それが好みなんじゃなかったっけ?」
そうやって歯を剥き出しに笑った時、心底、このまま舌を噛み切りたいと思った。
「それが出来ねぇ“士道”なんざ、そこらの犬猫にでもくれてやるよッ ……わかったか、お嬢様?」
*
身を切るような嘘じゃな……。
川神鉄心は、内心に一人ごちた。
他人に“誠”を強いるくせに今のこの直斗はどうなのかと言われれば、立場も無いだろう。
だが、今、彼が全くの正直である必要はあるのか。
大和の為に、いま心を砕いている男が。
大和が誠実となるから、今、直斗も誠実でいなければならないのか。
わからぬ。
誰も、わからぬ。
わかるとすれば、神仏の類しかおらぬ。
ただ一つ、この老いぼれがわかっているのは、此奴は今、全てに噛み付いているように見せかけて、全てを守ろうとしている事だ。
己の全存在を賭けて、まさに二兎を追う道を、此奴は――――。
「そこまでじゃ」
モモの飛びかかろうとする気配を感知して、瞬間的に言を放った。
こうまで直斗が我が孫の前で傍若無人に振舞えるのは、ワシを信頼してくれているからに他ならない。
先ほど島津が打ち倒された時は本能的に声を荒げたが、理性的な光があの目礼には備わっていた。
「これより、直江大和、矢車直斗両名への、一切の過剰接触を禁ずる。 無論、闇討ちもな。 ……直斗、」
睦みあう男女の脇に一跳びし、弟子に促す。
モモから見ればクリスが人質のような構図だった為にすぐには手が出せなかったのじゃが、もう挑発は十分じゃろう。
ワシの視線に、直斗は芝居がかった恭しさで手首をほどいた。
茫然自失の態を醸すクリスは片手の拘束が離された後、立膝でその場にへたり込んでこむ。
しばらくの視線の交錯は、こうして終わりを告げた。
「八月三十一日に、思う存分、闘うがよい」
そこでこの場の憤懣をぶちまけと匂わせ、出口へと遠ざかる直斗を後背に、教師陣も含めた全校に対し牽制する。
「……ま、待ってくださいッ矢車ちゃん!! そんな、そんな大掛かりの喧嘩なんてっ」
「喧嘩にあらず、真剣勝負じゃ、甘粕真与。 ……先の事件のこともある。 この闘いに疑義を挟む者も大勢おるじゃろうから言っておくがの。 多少手荒となっても、これはわかりあう為に、ぶつかりあう。 その舞台が川神大戦である事を、各々の肝に銘じてほしい」
「わかり、あう……?」
「違いますよ、御本家」
半信半疑の甘粕が反芻し終える前に、刃物のような鋭さで言葉が切り込んできた。
その背中に四方八方幾多数多の憎悪侮蔑を引き受けた直斗は、すでに館内から一歩出た位置にいた。
「どんな理屈をつけたって、結局、戦争ってのは後にも先にも主義主張の押し付け合いに終始する。 これは、わからせる為の闘いに他ならない」
……最後まで偽悪を貫くか、弟子よ。
「最後に言うけど、俺は、F組が死ぬほど嫌いだよ、委員長。 自分のした事、棚に上げて上げて上げまくっといて、馬鹿にされた腹いせに何の臆面も無く他人の批判ばかり喚くお前らが。 キーキー鳴き散らして……。 どこぞの着物娘が言う通り、本当に猿なんじゃないか?」
嘲りの残響のみが、吹き抜ける。
「それなら納得だな。 猿と、わかりあえる筈がない」
顔をちらとも向けず悠然と言い切って去りゆく男に向かって、尚も殺到する黒い奔流を、鉄心は見た気がした。
そしてただ一人、後生の彼方、ニライカナイからの来訪者が薄く笑った気配を察したのは、傍らに控える二人の巫子のみ。
*
ごみになった気分というのは、これだろう。
形成した鉄面皮は学園を抜け出た途端に溶け始め、多馬大橋を渡り切ったところでどろりと滴り落ちて、河川に流れた。
瞬間、地を蹴り飛ばす勢いで走った。
どんな表情を俺は顔に刻んでいるのか、そんな事は考えなかった。
ひとりになれる場所、誰の干渉も入らない場所を求めて駆けた。
今の状態がまさに本当の孤独であると、そんな感慨も置き捨てて駆けた。
川神駅、
駅前繁華・商店街、
親不孝通り、
ラ・チッタ・デッラ、
映画のフィルムのように滑らかに、川神の景色は後退していく。
速く、迅く、俊く。
そう念じて、ひたすら足を交互に出し続けた。
目端に桜木町駅まで幾数キロの標識を捉えた。
冷たいビル風に、髪が一房なびいた。
先刻まで針一本ほどにしか視認出来ていなかった七浜ランドマークに、ついにそれを見上げるまでに迫った。
超高層日本一を誇る世界建築は夕日を一身に浴びて、大樹のようにそこに佇む。
人もまばらな平日の日本大通り、それを突っ切っていった先に七浜霊園は在る。
やたらめたらに走り回った末に辿りついたのは、やはりここだった。
人の姿も殆ど見えない広大な墓地は、時間が止まったような静寂に満ち満ちていた。
荒い息を整え、休憩所の古びたベンチを横切って、林立する御影石の群れに紛れるように俺は歩き、妹と再会する。
矢車家之墓と墓石には彫ってあるが、その下に納めてある骨壷はただの一つきりの筈だった。
ついぞ、父母の骨も魂も、こちらに戻ってくる事はなかった。
崩落に巻き込まれ、血肉の極微をグラウンド・ゼロの何処とも知れぬ一角に散らせたとあっては、仕方のない話である。
せめて空の上では、一緒にいる事を信じたい。
品行方正な人生では決してなかったと思われる親父の方は怪しいが、まあ善悪相殺で、よろしく頼むよ閻魔さん――――
久遠寺のどなたかが、来てくれたのだろうか。
まだ飾られて間もないと思われる花が風に揺れていた。
そう思って、かちゃ、と足元の玉砂利を鳴らしたのが合図だった。
*
ずるりと一気に四肢の力が抜け、天地がぐらりと揺らいだ。
「が……ひッ、ぃ…ぇ゛…」
馬鹿が。
此処に来て、決意を新たにし、それをもって罪悪を埋めようと、薄めようとでもしたのか?
「…ぐ…ぇ……あ゛ッぅ…」
何を愚かな。
ただ二極の狭間で、呻くだけの結果にしかならないじゃないか。
「ぐそ、…った、れぇッ」
――――――――俺は、俺は何て事をッ
そうだ、クリス、お前は正しい。
その感覚、その感情、全て、その全て、お前の脳髄を焦がすその全ては、正しいッ
島津も甘粕も、友のために全力で怒り、泣いたッ
まさにあの行動の中にこそ、誠があるのだッ
それを文字通り、足蹴にした俺は、何様だッ
「ああ、あ゛、っげ、ァッ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ―――――――――――――――」
刹那、涙の栓が抜け、畜生の咆哮が響く。
四つん這いになって、何度も何度も物狂いのように両拳で墓前の石粒を打ち叩いた。
もはや感情の蓋すら音を立てて砕け散り、更なる嗚咽が体に襲いかかってくるのを感じた。
額を地べたに擦りつけ、何も言葉にできず、ひれ伏してただただ咽び泣く。
抑えこんできたものすべてを吐き出そうと、五臓を捻り六腑を捩り、ひたすらに五体を震わせ続けた。
このまま全部の体液を流し尽くして、この人でなしの骨肉を消滅させてしまいたいッ―――――
あれだけの事が出来る理由もある。
あれだけの事が出来る大義もある。
あれだけの事が出来る愛憎もある。
これから繰り広げなければならない闘いは、命を投げ出す価値のあるものだと固く信じてもいる。
妹の無残な最期を思い出せ。
お前の半身はあの時に死に絶えた筈ではなかったか。
その悲憤と、分け与えられたひとかけらの希望で残りの半身を生き長らえさせてきたのではなかったか。
そうして待ち続けた末に、死の意味が失くされた現在が横たわっていた。
それらの軌跡の象徴、集大成が、目前の墓碑だ。
だから、犠牲に見合う価値を、大和を、俺は創り出さねばならないッ―――
……だが、そうして妹の墓を前にしても、てめぇひとりの感傷の為に涙を流せるのが俺だった。
今更、半身の半身が引き千切られる痛みに呻く事にどれほどの価値があるというのか、それを度外視できる図々しさを持つのが矢車直斗という男なのだ。
「お前に……お前に…、お前にだけはッ…、…お前にだけは……隠、さないからッ」
お前にだけは、俺の全てを曝け出すよ、真守。
お前だけは偽らないからっ、だから今だけ、今だけ許してくれと、そんな言い訳で自己を満足させて、俺は落涙に沈溺した。
約束の刻限までは、まだ幾らか時間があった。
拳を振り上げた責任は途方も無く重かった。