『人は望みを持つ。人は生きる。それは全然別のことだ。くよくよするもんじゃない。大事なことは、いいかね、望んだり生きたりすることに飽きないことだ。』
―――「ジャン・クリストフ」 ロマン=ロラン
川神駅を降り、ひた歩く。
変わったなあ、この町。などという感想は湧かなかった。
それほど長く生活していなかったし。
思い出も、作れなかったし。
「もうそろそろか」
巨大提燈が釣り下がる門が、見えた。
仲見世通りは、人のごった煮だった。
外人多い多い。
修学旅行の輩も、掃いて捨てちまいたいぐらい。
素通りするのもなんなので、店を覗く。
どれもこれも観光地値段なのは置いといて、みやげ物は本当に種類が多かった。
ネタみたいなブランドのパチモンが置いてあったり。KUMAとかkazidesuとか。
一時のテンションで買って後悔するのは目に見える。
食い物のほうがハズレは少ないだろうと物色。
小笠原屋とかいう駄菓子屋はいい感じだった。
飴甘い。店員さん美人だったし。また来よう。
かりんとうとドラムバッグを手に、奥へ奥へ。
かさばるので通行人には申し訳なかったが。
巨門をくぐる。
およそ七年ぶりに、川神院を訪れた。
<手には鈍ら-Namakura- 第二話:確認>
境内にも人は溢れていた。
どうやって取り次いでもらおうかと考えていると、後ろから声を掛けられた。
「こんにちハ」
中国訛りとでも言うのだろうか、うさんくさいイントネーションだった。
「もしかして君が、直斗君かイ」
振り返ると、ステレオタイプな中国風の衣服を纏った男性がいた。
七三分け。
二日前をデジャヴ。無精髭はないが。
「え、と」
昔見た顔だ、と記憶を探っていると。
「久しぶりだねぇ、といっても君は覚えていないと思うけド」
覚えている、名前が思い出せないだけだ。
「僕はルー・イー。 一応、川神院の師範代を務めていル」
爽やかな笑顔。
戦うときホァチァーとか言いそうだ。
ヌンチャクとか棒術とかやってそうだ。
黄色いタイツとか似合――
「矢車直斗君、でいいんだよネ?」
一向に話さない俺に疑問を持ったのだろう。若干怪訝そうだ。慌てて答える。
「はい。 これからお世話になります。 すいません、顔は覚えていたのですが、いきなりだったもので」
「そうかイ。 来るのをお楽しみにしていたヨ。 うん、やっぱり真一さんの面影があるネ」
褒められているわけではないだろうが、そう言われて誇らしかった。
「ありがとうございます。 ……父とは、面識が?」
「うム。私の兄弟子にあたるネ。 では早速で悪いけれど、総代に、君の保護観察を引き受ける川神鉄心さんにご挨拶に行こうカ。 本来ならこの時間はまだ学校で教務をしている頃なのだけれど、今日は君が来るから少し早めに切り上げて帰ってきていル。 お待たせしては申し訳なイ」
「あ、了解しました」
そう言って、肩のバッグを再度背負い直し、俺はルー師範に導かれて院内へ。
うん。 まさに燃えよドラゴン。
武の頂点と名高い川神院だけあって、やはり敷地も建物も半端なく広く、大きい。
玄関からして三メートルの弟子でもいるのかと問いたくなる。
ルー師範の背をひたすら追う。 並行して、ジロジロと屋敷内を見ていく。
これはご勘弁願おう。
道を覚えておかないと、迷惑をかけることにもなる。
それにしても、縁側、いいなあ。
しばらくして、ルー師範がある部屋の襖を前にする。
「学長、直斗君をお連れしましタ」
一拍、間が空いて。
「おお……そうか。 入れ」
襖が開く。
川神流本家総代、川神鉄心は人懐っこい笑みを浮かべていた。
「お元気そうで、何よりです」
その場に平伏。
「久しぶりの外は、どうじゃ」
穏やかな声が、返ってきた。対して、正直な想いを述べる。
「……悪くありません。 今まで退屈な場所に長く居ついていたせいか、これからの生活に飽きたり、嫌になる事も、当分は…」
遂げなければならない目的、確認しなければならない事項が、俺にはある。
一ヶ月ぶりの対面だった。
前までは強化ガラス越し。 今はそれもない。
「収監中の心配り、重ね重ね、御礼申し上げます」
また深く礼。
「いや、こちらもたいしたことをしたつもりはない。 面会もろくに出来ずじまいじゃったしの。 差し入れは、武術書ばかりでつまらなかったのではないかと心配しとった。 それと…お主、苦労したせいか白髪がまた増えたようじゃのう?」
「いえ、こちらが望んだことですので。 むしろ実践できなかったのがこたえました」
後者の話題はスルーする。染めてもすぐ白いのが伸びる。
白髪染め使う歳でもないんだがな。
「ま、これから嫌でも実践できるからの」
音をあげても知らんぞい、と好々爺は笑う。
「それとの」
「はい」
「学園への編入の件じゃが、本当に来年からでよいのか」
「……ええ、一応施設で最低限の教育は自分なりに修めたつもりですが、やはり高校教育相当の学習には不安が残りますし、川神院での生活と両立させるのは今は難しいかと。 余裕をもって学校生活を送りたいものですので、二年次の始業から、お願いできませんでしょうか。 こんな出自ですから、目立つのも避けたいですし」
最後のが一番本音だったりする。
「そこまで大変だとは思わんが、まあお主がそう言うならな。 取り計らっておく。 来年の第二学年に編入でよいな?」
でなければ行く意味がない。
そのことは重々承知しているはずだろうから、何も質問を挟まなかった。
「よろしく、お願い致します」
あとは。
「それにしても、本当によろしいので?」
最たる懸念を隠すつもりはなかった。
「何がじゃ?」
「……昔、武術の、剣術モドキの手ほどきを受けていたとはいえ、もう何年も体を満足に動かしていません。 自分で申し上げたくはありませんが、昔の才も枯れ果てたと思われます。 それでも、天下に名高い川神の門下生として、受け入れてくださる事に、些か、恐縮している次第で」
「…その為に、お主はここに戻ってきたのじゃろう」
何を今更、と総代は言う。
そう。
確かにそうなのだが。
川神の名に泥を塗るような真似はしたくないのも、事実。
「……案ずるな」
翁は続ける。
「ここではわしが右といえば左でも右になり、ブルマといえばスパッツでもブルマとなる」
後者は人間性を疑う発言だが。
「望むだけ、ここで精進せい」
断じた。
「……ありがとうございます」
俺は、この人に、借りを返しきれるのだろうか。
「ルーよ」
「は」
「こやつがこれから寝泊りする部屋に、案内を頼めるかの」
「かしこまりましタ。じゃ案内するかラ、行こうカ。直斗君」
立ち上がり、総代の私室を後にする。
否。
「それと、もうひとつだけ」
これは、確認しなければ。
「大和は、あいつは本当に、変わってるんですか」
総代の顔が、強張るのが見て取れた。
「すみません、少々、くどかったでしょうか?」
一ヶ月前も、同じことを問うた。
神妙に総代は答える。
「……前にも言ったと思うがの。 わしは、変わったと思っておる。 あれはあの後、いじめられていた者を仲間にいれ、友をたくさん作っておるし、進んでその輪を広げようと、日々、努力しておる」
まあ、まだ風間ファミリーとやらは続いておるようじゃが、と総代は結ぶ。
「そう、ですか。 ご無礼を」
すぐに頭を下げて、今度こそ部屋を出てルー師範に続く。
「私も、一応は教鞭をとっている身、その私から見ても、彼は頑張っていると思うヨ」
彼も事情を知っているのだろう。 静かな声色だった。
「……は」
結局、自分で確かめるしか、この疑念は払拭できないと自覚した。