『待たせたな。』
―――ソリッド・スネーク
トンファーという武具について、解説しようと思う。
詳しくは存じていないが、何やらゲームの中で三国武将が使っているイメージが強いらしく、中国古来のものだという思い込みが根づいているようだが、元々は沖縄の古武道において使用されていた武器の一つである。
この得物の恐るべき点は、運用面での汎用性にある。
握りの部分を、オーソドックスに持った状態では、自明として、自分の腕から肘を覆うようにして構えられ、空手の要領で相手の攻撃を受けたり、そのままの突き出しによって、卓抜する破壊力を伴った、「点」の攻撃行使が可能である。
また、取っ手をそのままに、逆に長い部位を相手の方に向けて、棍棒のように扱い振るう事ができる。
言わずもがな、こちらは「線」の攻撃型。
破壊力こそ劣るものの、そのリーチの長さから、確実に相手を捕捉し、削る。
そして、これらは握力を加減し、手首を返す事で、いわゆるスナップを効かせる事で、半転させて瞬時に戦闘型を切り替える事ができ、或いは、数回転させて勢力を付与しつつ、相手を殴りつける事も、熟達した遣い手ならば容易い。
この辺りが、旋棍と名づけられた由縁だろう。
それだけでなく、長い棒の部分を持ち、握り部分を相手にむけて鎌術の要領で扱う事も、ブーメランのように射出して逃走する相手の足に絡ませ転倒させる事も、また可能。
暴徒の鎮圧や無力化に用いる攻守一体の装備として、トンファー・バトンは、「打つ」「突く」「払う」「絡める」などの様々な用法を習熟することにより、極めて合理的かつ有効な装備である。
確か、警棒として正式採用している警察も、あった筈だ。
俺自身、欧州で警察官がぶら下げているのを見かけた事がある
打
突
払
絡
防
この全てに、トンファーという武器は応用できうるのだ。
刀を持つ敵と戦うために作られた、近接戦闘では敵無しの攻防一体の武器。
……言いたい事はだ。
今の俺にとって、天敵以外の何物でもない事である。
6月9日(火)
昼休み、中央グラウンドにて。
ギャラリーが地べたに座り始めた事から、闘いが始まって、十数分は過ぎたと想像できた。
「ッつァ!」
抜き身の刃無き刃が、彼女の鎖骨を目掛けて、奔る奔る。
鈍銀の軌跡を残す程の迅さだ、常人では視認すらできない、そういう自負はある。
だが、その一刀を難なく、マルギッテは片腕で受け、流した。
続いて俺が自らの勢力を殺せずにつんのめったところを、もう片方の手に握られた彼女の得物は、容赦なく狙い撃つ。
重心移動によって足腰からの勢力をも乗せた、一点蒐約の穿ちが襲い掛かる。
突先が脇の肉を抉りこむ一歩手前、俺は慄きながらも無理矢理足を摺り、体を開いて、そのまま独楽のように体躯を回旋させて避け、一円を描いて再度、彼女の肩口へと斬り込む。
「…ハ…ッぬんッ!!」
毎回のように硬度抜群の相手の得物に阻まれ、衝突点から諸手に伝播する波動に顔を顰めながら、次々と繰り出される突貫殴打の嵐に負けじと、俺は鈍刀を振るい続ける。
「……ふ、ざ……ッけるなァッ!!」
「っく!?」
ついに肩で息をし始めた俺に向けて、容赦の欠片も見せずにマルギッテは棍を振るう。
その瞳を染めるは、烈火の色。
堪らず、後退。
―――くっそぉッ!
俺にも意地がある。
俺は彼女に、勝った事があるのだ、否、勝った事しかないのだ。
この七年の間に、追いつかれたと云うのか!?
―――こんなにも、引き離されたと云うのか!?
「づぁ゛ァアッ!!」
一息で、かりそめの間合いを詰め、斬りかかる。
……なんにせよ、こんな無様を、この衆人環視の場で晒すなど、あってはならない。
川神の門弟として、到底、受け容れられない!!
瞬時に受け止められた斬撃と、寸時の間もないカウンターに歯噛みしながらも、徐々に速度を上げていく双棍の殺到に必死に喰らいつく。
右上段へと剣が跳ね上げられた時、鋭い突きが、一直線に胸元に飛び込む。
それを半歩退いて避け、退いた分だけ踏み込みながら、横薙ぎに執念を乗せた一刀を振るう。
俺の斬撃を彼女が捌き、或いは受ける。
彼女の打突を俺が避け、或いは払う。
まるで、竜巻から攻め立てられているようだった。
尚も拳足の嵐は加速する。
先程までは一息で二撃だった。 今は四。 いや、五。
鉄と黒檀がぶつかり合う。 その度に、俺の焦燥の顕現たる汗が飛び散る。
噴汗に呼応するように、嘔気が沸々と咽頭の奥で込み上がる。
喉が、ぴりりと沁みる。 胃液が、すぐそこまで、せり上がってきている証拠だった。
これほどまでに長い仕合は、記憶にない。
無意識に押さえつけていた緊張が、ついに御し切れない所にきたようだ。
衝突のたび、両者の間で生み出される火花が、飛び散った汗を照らす。
その汗が、火花と交じり、蒸気となって、俺の眼に、飛び込んできた。
その間隙を逃すほど、彼女が慈悲深い事は無く。
「……ぅ…ッ゛オォ゛…」
まるで言葉にならない呻きを上げて、俺は地に伏す。 額に土つくこと構わずに。
のたうち回る事も、できない。 左胸に、灼熱が走り続ける。
諸君に問おう。
肋骨を、あばらを、折った事があるだろうか?
よく、ほら、漫画などであるだろう?
「ちぃッ、アバラ二、三本イっちまったか……」とか言いながら、それでも仇に向かっていく主人公とか。
……断言しよう、ありえないと。
真剣で、それは無い。
呼吸のたびに、胸の肉を、肺を抉りこまれる感覚を体感してみればいい。
この痛みに一分も耐えられたなら、余程の強者か、余程の変態だろう。
そうして、6月9日の俺の記憶は、ここで途切れるのである。
<手には鈍ら-Namakura- 第二十一話:失意>
「……ま、あんなものだろうな」
隣の姉さんは、酷く冷めた目で、繰り広げられる戦闘を眺めていた。
少々、直斗が劣勢といえる戦況から目を離し、俺は姉さんの様子を見る。
あの後。
マルギッテが直斗に宣戦布告した直後は、それまでよりも一層、めまぐるしく状況が悪い方へ悪い方へと悪転。
マルギッテは問答無用で直斗に飛び掛ろうとし、姉さんはといえば、それを止めようと、否、獲物を逃すまいと、直斗との狭間に立って決闘を続行せんと躍起になる。 幸運にも、彼の携帯電話越しに状況を聴き取ったルー先生が駆けつけなければ、島津寮周辺の宅地がどうなっていたか、わからない。 朝、現場を見直してみれば、寮自慢の庭が、見るも無残な様相を醸していた。
事態の収拾はというと、遅れてやってきた総代、川神鉄心の取り成しもあり、ひとまず昨晩は三者とも退いて、今日学園にて、直斗とマルギッテの正式な決闘が執り行われる事になったのだ。
……しかし、どのような因縁があったんだろう。
「姉さん」
「ん?」
「直斗から何か聞いてないの?」
「……何を?」
不機嫌そう。
それも当然か。 何しろ自分を押しのけて、止めに入った直斗に獲物を奪われた形になったのだから。
無視される事。 生きていれば、そんな状況に出くわす事など多々あるだろう。
だが、こと姉さんに限って言えば、そんな事は一切なかったに違いない。
常に体中から覇気を迸らせる彼女を、邪険にあしらう輩など、そうそういない。
「いや、ほら、マルギッテがあんなになってる理由とかさ」
「……昨日から、あいつと口利いてないからな。 詳しい事は知らんが」
おいおい。
彼が悪いわけではないだろうに。
「ジジイが言うには、昔のヤンチャが、祟ったってとこらしい」
「……直斗が、ヤンチャ、ねぇ」
想像し難い。
そんな感想を抱き、ちょうど闘いの方に再度、眼を向けたとき。
「……ぅ…ッ゛オォ゛…」
決着が、ついたようだった。
―――ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
マルギッテは、憤怒の情に身を灼かれていた。
目標としていた者を、超えた。
「約束通り、」自分を、認めさせた。
そんな感慨など、微塵も浮かんでこなかった。
何なのだ? コレは?
十メートル先の標的、だった者を漠然と視界に映す。
川神の者と思しき数名に手当てを受け、未だ尚、その意識は漂流しているであろう彼奴。
こんな、こんなものでは、断じて、なかっただろう!?
「……ッ゛!」
思わず、大股に歩いて間合いを詰める。
まだだ。
まだ、終わっていない。
そうだろう?
半ば懇願するように、私は心中で問いかけながら、彼が立ち上がるのを期待しながら、歩を進める。
ここで終わりであるならば、今までの私は何だったのだ?
この八年の訓練につぐ訓練、任務につぐ任務。
その全てが全て、貴様に及ぶため、捧げた物だ。 供物だ。
トンファーを、地に落とす。
救護を押しのけ、奴を立ち上がらせようと伸ばしかけた手を、だがしかし、止めざるを得なかった。
凄まじい握力で、右手首を掴まれたからだ。
「……もう、勝負は着いただろう。 これ以上は無粋じゃないか?」
同門の者が破れたというのに、その表情に真実、喜悦を滲ませながら、川神百代は私の耳元で囁く。
「貴様に用は無いッ」
叫ぶ。
邪魔以外の、何物でもない。
そう言外に匂わせたのだが、それで引き下がる者でない事は明白。
手首を絞める力が、より一層、凶暴になったのがその証拠だった。
「お前にとってのナンバーワンは、既に倒れた――、なら、次はナンバーツーの出番だよな? ……私がツーとは、本当に、不服だが」
「……まだだ」
「よく見てみろ。 もうコイツ、グッロキーだろう?」
改めて、彼を見る。
そう、百代の形容する通りだった。
二本、胸骨を折った手応えも感じた。
戦場ならば、無力化に等しい打撃を与えてやった事は、自分が一番理解していた。
戦いの最中に見た彼の相貌は正しく、必死そのもので、それが全力を出し切っていた事の証明でもあった。
………でも、それでもッ…!!
「……ッ貴様はッ!」
「おいッ…!!」
それでも、手首の痛みはそのままに、私はまた一歩、彼に詰め寄る。
これが今の彼の全力であるのなら、私は、とんだ道化ではないか?
彼だけを見据えて、彼の剛さだけを思い描いて、ここまで修羅場を潜り抜けた私は、どうなるのだ!?
「本当にこの程度ならば、失望するッ、貴様を私は侮蔑する、矢車直斗ッ! わ、私は、私はッ!!」
この日のために、どれだけ時を費やし犠牲にしたか。
「マルさん!!」
クリスお嬢様の声もする。
左手にも枷がついたようだ。
だが、構わず叫び、また一歩詰め寄る。
本当に、本当にこの程度であるならば……
――――貴様は、今まで、何をしていたァッ!?
かたや武神、かたや最愛の妹の手による枷を、腕ごと引きちぎらんばかりに、私は吼え続けた。
視界が滲むのが、嫌で堪らなかった。
約九年前。
恐怖の大魔王はついに世に姿を見せず仕舞いとなり、つつがなく西暦は二千を数えた頃のこと。
俺たちは、リューベックの、まさに白亜の宮殿の名が相応しい邸宅を訪れた。
フランクさんの住処である。
前にも言及したと思うが、両親の仕事柄、俺は家族ぐるみで国際交流の場、パーティのような集会に出ることが多かった。 ここで行われる軍部内の宴に、お呼ばれされた訳である。
この時、親父たちは密かにある計画を進めていた。
アフリカの小国への支援物資輸送、及び国内でのその流通である。
その国は、軍事政権が台頭していた。
軍閥政治が悪いとは言えない。 長きに渡る間、その政治体制で国民が守られてきたのなら、独裁制に近い政治形態も、民主主義と同等の価値を持つ筈だ。 必ずしも、悪ではない。 デモクラシーの恩恵を受ける先進国にて生活しているせいで、或いは、より具体的な非難材料となる事件が引き起こされたせいで、独裁=敵国家という認識が俺達の中には広まっている。
ただ、やはり権力の分散が為されないと、腐敗は圧倒的に生じやすい。
軍部の横流しが目に余る状況下で、親父たちは、ならばと、自分たちの手で物資を、必要としている者の所に直接手渡すと、平たく言えばそういう計画を打ち立てたのである。
しかし、その為には彼らもまた、軍事力を欲した。 いや軍事力というよりもマンパワーか。 国連の御名は、有名無実も甚だしく、敵国内での物資の搬送には、その手の荒っぽさと、隠密に事を運べるだけの技術と経験を持った「部隊」が必要だったのである。
Op.Carol
オペレーション,キャロル。
自らの所属を一切明らかにせず、ただ、必要とされる物を、さながらサンタの如く、軍の目を盗みながら村々に置き去る。 計画の全容はそういう、シンプルにして困難なものだったという。
そして、フランクさんの擁する「狩猟部隊」が、後に実行役の筆頭となっていたのだ。
しかし、この時点では未だ、フランクさんを含めた協力者を集める段階であったため、個人的なコネを、時間をかけて作り、温めねばならないとして、建前であった軍の戦地における難民対応のアドバイザーとしての職責も全うしつつも、機会を窺っては各国の要人と交渉を重ねていた。
しかし、もちろんタダで協力してくれるなどと虫のいい話はなかった。 だが、彼らが特定の中東圏やその周辺の軍事国家の中枢に「S」――間諜をいかにして配置するかに困窮していた事実もあった。 そんな中、過去に現地で、いわゆる真っ当な貧民保護活動を行い(それでも十分で無いからこの計画が提起されたのだ)、相応の信用を築き、ツテを少なからず持つ両親は、渡りに船に違いなかっただろう。 親父たちにとっても、苦渋の決断だったと思うが、やむをえまいと、断行したようだ。
そういう裏話があって、取引相手へ機嫌はとらなければならないわけで、毎週のようにローストビーフを俺たちは食べに行っていたのだ。
くだらない、と思っていた。
当然ながら、なんら事情を知らされないままであったので、髷カツラをかぶり、刀片手に演舞しつつ、添え物の果物を瞬時に切り刻む等という、大道芸以外の何物でもない出し物を平然と行い、続く拍手喝采に笑みさえ浮かべ、制服に勲章をやたらめたらにベタベタとつけた軍人の機嫌をとる両親の姿は、俺にとって唾棄すべきものに他ならなかった。
妹のほうは、無邪気に笑いながらソレを眺めていたために、余計に腹立たしく、しかし、何となしにではあったが、内容はともかく、父母の企み事の存在だけは感じていたので、俺も精一杯の笑みを張り付かせて、周りの人間に応対していた。
彼女に出会ったのは、そのような心境の時である。
着飾った他あまたの女性陣の中にあって、シャツに紺のベスト、パンツを合わせただけの格好。 だが逆にそれが、彼女に滲む気品と誇りを際立たせていた。
恐らくは、士官学校の制服であったのだろう。
今から思えば、あのような場くらい、女性らしく煌びやかなドレスを纏ってもよかったのではないかと、苦笑を禁じえないが。
最初に彼女と言葉を交わしたのは、真守。
歳相応の会話、では無かったと思う。
身に着けていたビーズアクセから始まったはずの会話が、いつの間にか戦争だの平和だの、そんな大それた論争になる様を、俺は物理的に少し距離をとって、心理的に多分にヒいて、眺めていた。
少し前にアンネフランクやシンドラーの映画を見たせいもあったのかもしれない。
ドイツに行く前にそんなものを鑑賞するのは少し、いや、物凄く無粋だろうに、それを止めようとしない親父の甘さよ……。
とにかく、平和主義に少々かぶれていた妹と、誇り高い士官候補生が衝突するのは自明であった。
だんだんと口喧嘩の様相を醸すソレが、周囲の注意を引き始めるのを察知した俺は、仕方なく妹へと近づく。
どちらの味方をするでもないが、ま、楽しく宴会しようぜと、そんな感じの微笑を形作り、割って入ろうとした時である。
向かうマルギッテの手が、刀形を模したのを、確かに見た。
今にして思えば、殺気はなかった。
寸止めで脅かすつもりだったのだと、そう思える。
あれだ、「問答無用で攻め立ててくる輩に、どう平和を説くのか」云々と言っていたから、その意趣返しだったのだろう。
それでも、家族に手を出される様を黙って見ていられるほど、この時の俺は忍耐強くなかったのは、確かであり。
妹へ真一文字に繰り出される手刀を、手首を掴んで防いだ。
その後の流れは
「外、出ろや」→拳蹴拳拳肘拳拳蹴→テテテーテーテー、テッテテ~♪
と、こんな感じだったか、いくらかクサい台詞を放った気も、無きにしもあらずだが、詳細は、ご勘弁願おう。
院の縁側にて、柱に背を預けて座り、紫陽花の鮮やかな淡紅を目に映しつつ、そんな事を思い出していた、決闘から二日後。
胸の痛みは嘘のように退いている。
骨は、あと幾日かで完全に元通りという話。
毎度ながら、ここの治療班の腕には驚かされるばかりだ。 気功、内功の応用らしいが、真似できそうもない。
これを突き詰めた結果が、百代の瞬間回復なるものなのだろう。
民間療法も甚だしいが、その実、現代医学を超越しているのは、間違いない。
もっとも、門外不出の奥義でもあるので、外に出回ることは無いのだという。 川神門下の役得というところ。
「……」
ため息は、つき飽きるほどついた。
だから、今はただ、黙って、治癒を待つ。
そうすべき、なのだろうが。
傍らの木刀を無性に振りたい、この衝動は、申し訳程度に心にへばりついた武闘家としての矜持か、はたまた、単なる見栄か。
十回だけ、上げ下げするだけ、と決めて座したまま掲げる。
こんな事でもしていないと、喪失の情に似た、ある種の無力感が胸にこみ上げてきそうでもあった。
俺には少なからず、否、多分に、過信があった。
口で何と謙遜しようとも、幾年ものブランクを跳ね返せるだけの才が、自らにはあると。
信じていた。
あの頃の俺は、「施設」に入る前の俺は、控えめに言っても、そこらの武術家など一蹴できるような実力があったのだ。
父も母もそう認めていたのだから、間違いはない。
そう、心の底で「俺は本当は強いんだ」と、それこそニートよろしく思い続けていた。
だから、すぐにとは思わなかったが、一年もあれば、川神百代以上とは流石に無理とはいえ、彼女と死合って、幾らか拮抗した闘いができるようになるまでは、強くなれると、信じていたのだ。
なのに、何だ? このザマは。
過去に、それなりの余力も残してあしらった、マルギッテを相手に、この有り様。
欧州最強のインファイターだとクリスは言っていた。
あれから、俺が矜持もろとも叩き潰したあの時から、どれほどの修練を積んだことやら。
まず、肩書きからして、異常。
あの若さで、ハタチそこそこで少尉――、尉官の地位にあるという事。
家系由来のコネが多少あったとしても、最下位とはいえ立派な将校たる地位に昇るには、多くの修羅場を潜り抜ける事となったろう。
……スゲェ。 本当にスゲェ。
「武力こそ平和へのツール」と、啖呵切っていたが、まさかここまでする覚悟と実力を秘めていたとは思わなかった。
だから、ある意味で、俺に勝って当然といえば当然なのだ。
何年も武から遠ざかり、一年くらいのにわか鍛錬で、俺が勝つ道理が罷り通っていい筈がない。
問題は、あの後。 俺の敗北の後にある。
ちらと、真横の座敷を盗み見る。
寝具に包まる、彼女。
そこに、俺を先日、叩きのめした人物が、叩きのめされた状態で眠っている。
頬半分を占拠する湿布が、痛々しく。
そう、問題はあの後。
猛り狂ったマルギッテを百代が、瞬時に、撃破したことにある。
何だというのだ?
理不尽だろう? 不条理も過ぎるだろう?
これまで幾度も仕合を俺は百代と交わしたが、手加減しているなとは思っていても、それでも、およそ七、八割方は本気を出しているのだろうと勝手に思い込んでいた。
そう、それにあの夜の決闘騒ぎも、俺が着く前に相当の時間が流れたと聞いた。
だから、マルギッテ相手に少なからず粘れれば、きっとそれは彼女に近づけたという証拠となりえたのだ。
そんなことを、昨日意識を取り戻した数分後に考えていた。
だが現実はどうだ?
俺がいくら足掻いたところで、膝を折らせる事すら叶わなかったマルギッテを昏倒させるまで、百代は、五秒もかからなかったという。
マルギッテに疲労はあっただろう。
だが、決して、疲労困憊、とまでの消耗ではなかった筈だ。
それを、こうもいとも容易く、一ヶ月は療養を余儀なくさせる状態に陥れるなんて、もはや笑うしかないとは、こういう状況だろう?
あの夜、彼女は実力の半分も出していなかったのだ。
マルギッテより、由紀江より数歩だけ先に行っているという俺の予測は、勘違いも甚だしかった。
目標とする彼女、いつか、全てを賭して闘う運命にあったかもしれぬ彼女との、絶望をも飛び越えて、呆れさえも感じさせる程の距離が、圧倒的力量の差分が、一挙に露わになった、そんな数日。
その強さは途方もなく、その才は底を知らず。
認めるしかなかった。
俺は、彼女からすれば、凡夫に他ならないのだと。
武の道から一度外れた時点で、俺の才と練は枯れ果て、零落したのだと。
やはり、剣を手放す。
ゴロリと、心なし不快な音が床に響く。
殺到する己への失望を、座り尽くしたまま、俺は受け止め続ける。