『二人の子供のけんかを止めようとして、彼らより大きな声で「お黙り!」と叫ぶのは、テレビの中でしかうまくいかない。二人はもっと大きな声で言い合い、あなたはただ、余計うるさい三人の口論を引き起こすに過ぎない。』
―――ジョエル・スポルスキー
6月8日(月)
夕食後、しばらくして。
「……ッハハ。 京の言うとおりだ。 いたいた」
新しく同じ学年に加わった、マルさんことマルギッテ・エーベルバッハを島津寮に迎え、まゆっちの実家から送られてきた北陸の幸をふんだんに使った鍋パーティーが一段落つき、中庭で、新しい人脈を広げられるきっかけとも成りうる彼女と少々話し込んでいると、不敵な響きを伴う言葉と共に、姉さんが夜の暗がりの中から、突然現れた。
「……姉さんッ!?」
「お前は…」
マルギッテの目が細まり、一気に殺伐とした空気が、外気に広がる。
「マルギッテ、とかいったな? 川神学園へ、ようこそ」
幾分、粘つくような声色で、姉さんは話しかける。
「…こちらこそ、よろしくお願いします、……先輩」
マルギッテもまた、少々の皮肉めいた冗談を語尾に含め、応答する。
「ふふ。 見るからに年上にそう言われるのも、面白いな」
獰猛に、さながら獲物を見定め終えた獅子の顔で、姉さんは笑った。
「……朝、学園を囲ってた奴らは、今ここには居ないみたいだな?」
周囲の「氣」を、探った後のようだった。
「私の適切な判断で、全員所定の場で休ませています。 クリスお嬢様のご様子を見るのは、私一人で十分でしたから」
事務的な表情で、双眸は前方の危険分子に釘付けのまま、マルギッテは言う。
そんな彼女の返答に満足したのか、更に笑みを深め、姉さんは次の言葉を紡いだ。
「なら、丁度いい。 ―――ここで私と勝負しろ、マルギッテ」
いきなりの、宣戦布告である。
「ッね、姉さん……。 そんないきなり」
そこはかとなく、マルギッテと友好関係を結べそうだった所に、これである。
夜も更けている。
今、荒事は、ご遠慮願いたかった。
「コイツはワン子達をいきなり襲ったんだぞ? ……お互い様だろう? なあ?」
闘いへの期待に、目が爛々と輝いていた。
こうなると、止めるのは不可能である。
長年の付き合いから、それは自明で。
「……マルさん、どうかしたのか?」
「あれ? モモ先輩じゃん?」
「…ん? 穏やかな状況じゃ、なさそうだなオイ」
「わわわ、殺気が凄いですッ!?」
そうこうしているうちに、縁側に、寮生が揃い集う。
「お前は、何となく、私と同じ匂いを感じる。 ……戦えば、楽しくなるかもしれないぞ?」
トリップ気味の姉さんは構わず、マルギッテに言い募る。
「…フフ。 その言葉、そっくり返してあげます、百代。 ーーー聴きなさい。 私も、貴女と戦ってみたい」
言われた彼女も、満更ではなさそうであった。
「ならば、問題あるまい。 時は今、場所はこk」
「だが、断る」
しかし、大方の予想を裏切る、返答であった。
「……何だと?」
冷気が、誰の胸にも吹きつけられた。
しかしこの反応を予想していたのか、マルギッテは臆することなく、返す。
「理由は、二つ、ある」
幼子に言い聞かせるように、ゆっくりとした口調で、彼女は言う。
「川神百代とは交戦するな、危険が過ぎる、と軍から命令を受けている事が一つ。 まあ、これが最たる理由です。 だから戦うわけにはいかないと思いなさい」
「……軍、か」
嘲るような、姉さんの発音。
更なる挑発であろう言の葉を重ねようと、口を動かしかけたが、次いだマルギッテの発言の方が、僅かに、速かった。
「それと、もう一つ。 これは、ごく、私的な理由です」
「なんだ?」
ふと、軍人の視線が自分から夜空に逸らされた事も、姉さんの興味を引くのに一役買ったようで、幾らかは、不穏な空気が、弱まった。
「私には、貴女よりも戦いたい人間がいる。 彼と万全の状態で立ち合う為に、無駄に体力を消耗する戦いは極力控えたい。 そう理解しなさい」
ほう。
……あ、ちょっと。
………それは、マズい。
「………お前」
姉さんの目が、鈍く光ったのが、わかった。
弱まっていた筈の殺気が瞬く間に、元のソレよりも幾分禍々しさを伴って、密度を増した。
「随分な言い草だなあ…。 マルギッテ?」
不気味なほどに、雰囲気とは不釣合いの明るい声。
「……」
「聞き違いか? 闘争において、私よりも優越する者がいる。 というように聞こえたのだが?」
「…この任務中に実力を行使するにしても、私にとって、第一の標的は必ずしも貴女ではない、ということです」
あくまで、淡白な口調を崩さないマルギッテ。
「面白くない冗談だ」
「冗談ではありません。 ご理解ください。 ーーー先輩」
微笑。
では、これで、とマルギッテは姉さんに背を向ける。
―――もう夜も更けました。日付が変わらないうちにお嬢様、一緒にお風呂でも入りましょう。
全員が、彼女一人に取り残されたように感じた。
だが。
このまま、姉さんが引き下がるはずもなく。
「……怖気づいたか」
誰の耳にも明らかな挑発。
もちろん、マルギッテはそれに反応した。
ぴたりと、アーミーブーツを脱ぐ所作が止まる。
第三者の目から、このやりとりを眺めていれば、姉さんの怒りが圧倒的に理不尽なモノだとは、理解できる。
そも、こんな夜更けに喧嘩しようぜと吹っかける方がおかしいのだ。
だが、頑張れば地軸をも自身の下に移せるだろうと日頃豪語し、本当に欲しいモノは「物」でも「者」でも容赦なく奪う、生粋のジャイアニストに、今、その理屈は通じない。
話せばわかってくれると、マルギッテは想像し、理由を正直に答えたのだろう。
言い方に、少々問題があったのは事実だが。
「所詮は首輪をつけられ、飼い慣らされた犬、ということか?」
更に姉さんは、聞いている俺達の神経をも逆撫でするような、高いトーンで話す。
「姉さん、ちょっと」
言い過ぎだと、諌めようとする。
「モモ先輩、マルさんはッ――」
クリスも、何事かマルギッテを擁護するような台詞を言いかけるが、それは、重ねられた言葉にかき消される。
「……私は、一つ、サガを持っている。 驚いた方がいい」
今度は、灼熱の大気が流れるのを、確かに感受する。
クリスから目を戻せば、また、マルギッテは姉さんと相対していた。
瞳には、ぎらりと光るものがあった。
「力あるものと、手合わせを求める、この心!」
ギチリ、と。
何処からともなく取り出したトンファーを深く握りこんだ音が、その存在を証明していた。
両腕をクロスさせ、構える。
「……クリスお嬢様が近くにいるともなれば、危険分子の排除の名目もたつ。 そう、理解しなさい」
「マルさんッ!?」
制止の声が響く
「申し訳ありませんが、性分ですので諦めなさい」
護衛対象への敬語が無くなった所から、彼女の激情が透けて見えた。
「ッハハ。 そう、そうこなくてはなッ?」
―――パキリ、
姉さんも、掲げた右手の指を鳴らし、臨戦態勢に入る。
「お前もまた、戦士だった! 嬉しく思うぞ!!」
両者の闘気が、冷たい夜気を切り裂いて交わろうとしていた。
「ピリピリ来るな。 両方とも、凄ぇ気合だ…」
顔に皺を寄せ、呟くゲンさんに頷くと、俺は横を向く。
「クリス、コレ戦い、始まっちまうぞ?」
止めて欲しい、というニュアンスで伝えたつもりだ。
無論、マルギッテを。
正直、姉が負ける姿は想像できない。
「一騎打ち、ともなれば、止められる筈もない」
騎士娘は、表情を険しくし、厳かに言った。
完全に、戦いの行く末を見守る眼になっていた。
<手には鈍ら-Namakura- 第二十話:仲裁>
「凄い、マルギッテさん、食い下がってます…」
(諦めてないね。 根性あるぜぇ)
戦い始めてから、十数分。
やはり、と言うべきか、大勢は姉さんの方に傾きつつあった。
しかし、マルギッテはマルギッテで粘る粘る。
手痛い一撃を喰らった後は、近頃コマ割りの荒さが目立つ漫画の某死神のように、眼帯を外して戦闘効率を上げるという秘術じみた荒業をやってのけ、一時は姉さんを守勢に回したのだ。それには賞賛の言葉を並べざるを得ない。まともに姉さんが相手の攻め手をガードするのを見るのは、いつぶりだったろうか。
それでも、まゆっちの言う、「食い下がっている」の言葉通り、決して姉さんが押されているわけではなかった。
今は、膠着状態。
武神と軍人は、いつでも動けるよう構えをしたまま、対峙し続けている。
北陸娘曰く、「氣」のぶつかり合いが行われているようだが、素人目に二人の表情を見ても、その優劣は明らかだった。
「……転入生の方、もう限界だろ?」
堪らず、ゲンさんも口を出した。
彼もまた、姉さんの恐ろしさ、強さを存分に知っている。
ワン子の鍛錬によく付き合っている彼は、ワン子が目標とする姉がどんな人物なのか、ファミリー並みには身に沁みてわかっているのだろう。
このままでは、怪我人が出る、すなわち、マルギッテが危ない。
「ああ……。 だが、まだ戦っている。 止められない」
正義の騎士は、それでも勝負を見守るだけであった。
「勝負に、割り込めないという事か?」
確かに、彼女らの間に挟まれようとするのには、その前に生命保険に加入しているかどうか確かめねばなるまい、と思わずにはいられないほどに、覚悟のいる行為ではあるのだろうが。
「違うぞ、直江大和」
こちらには顔を向けず、しかし真剣味を帯びた声が俺の耳朶を打った。
俺の遠慮の無い発言を、非難するような否定の言葉とフルネーム呼び。
確かに、この修羅場の中で、同い年の女子を頼りにする物言いが続いたかもしれない。
それを責めているようにも思えた。
面目ないが、だが、そこは理解してほしい。
基本、俺は草食系なのだ。
ヤドカリとイソギンチャクのような相利共生の関係を、理想としてもいるが。
「…全力で、戦っているからこそ、止められないのだ」
その眼に悲壮な色をたたえて、彼女は言った。
「止めることは、それは、マルさんの誇りを汚すことになる」
日本で言う、武士の一分、というものらしい。
武道漬けの日々を送る者には、共通する意識のようだ。
事実、まゆっちも、心配そうな顔をしつつも、縁側から外に出ようとはしない。
外戸の敷居が、彼女のソードラインのようだった。
「でも、このままだとやばいぜ? 素人の俺にも分かッ―――」
「ハァァァァァッラッ!!」
俺の声を掻き消す、裂帛の声。
マルギッテのものだった。
何かを拒絶するような、振り払うような絶叫だった。
どうやら戦いは、最終局面を迎えたようである。
まゆっちから視線を中庭に移せば、丁度、姉さん達は同時に互いに向かって走り寄っていったところ。
双方の間は距離にして二十メートル近かっただろう。
その距離は、みるみる縮まってゆく。
残り七、八メートルのところで、彼女達は同時に跳躍した。
服のはためく音が一層、大きくなった、その時。
月明かりに煌めく、白銀の彗星が、空から墜ちかかってきた。
三者の軌跡が、交錯。
―――ミシリッッッ!!
圧壊の音がした。
三者とも、密着して一所に着地。
風が一陣。
次いで、紛れた猛気が、周りを炙る。
大きくたわんだ白刃の腹が、姉さんの拳を捉えていた。
マルギッテは、振り下ろし所の無くなったトンファーを掲げながらも、やはり突然の闖入者に驚きの表情を浮かべて。
姉さんは、心底面倒くさそうな溜息をついた。
そして、作法衣姿の彼は、姉さんに烈火の瞳を向けていた。
案の定である。
寸分の狂いもなく案の定である。
鍛錬を終え、院の食堂へと入れば、一子がいた。
百代が、何処にもいないのだと言う。
戦闘時以外は気だるさを隠しもせず、鍛錬後の夜は漫画やゲームで暇をつぶす彼女である。こんな夜更けに出歩くという事は、それなりの理由があるという事。
彼女が何をしに、何処に行ったかは、朝の一件から、すぐに見当はついた。
急ぎ、立てかけてあった模造刀を引っつかみ、お巡りさんの職務質問を無視して、島津寮に疾駆して来た次第である。
この間に入り込むのに恐怖はあったが、そんな事は言っていられない。
百代は寮入口の門を、マルギッテは反対側の生垣を、それぞれ背にしていた。
仲裁するにしても、どちらかの攻め手は確実にもらう事になると計算した俺は、迷わずマルギッテ側に背を向けることに決める。
門戸を踏み台に、百代の迎撃の為に体を捻りつつ、彼々の中点に飛び込んだ。
視界に俺をマルギッテよりも遅く捉える事になる百代が、攻撃を途中で止められる保障はあまりないと踏んだ為でもあり、マルギッテが攻め手を止めてくれる事を期待した為でもあった。
そして、なにより、その破壊力の差。たわんだ鉄刃が、実感を持たせる。
まともに喰らって全治何ヶ月か、考えたくもない。
まあ、そんな事はどうでもいい。
本当に、どうでもいい。
「な、直斗ッ……!?」
驚きの声を俺達は上げる。
器用に、鞘中から半分ほど本身を晒した刃の側面で、彼は姉さんの一撃を受けていた。
「……やはり、こちらでしたか」
息を整えた後、ひん曲がった刀を下ろし、彼は姉さんに話しかける。
「ああ……」
ふて腐れた表情で、姉さんは応答。
「……由紀江さん」
次いで直斗は、まゆっちに声を掛けた。
しかし、目は姉さんを捉えたまま。
「は、はいッ」
「事情を、説明して頂けないでしょうか?」
有無を言わさぬ、口調だった。
まゆっちがどもりながら、松風が茶々を入れながら、事の成り行きを話す。
最初からやりとりを見ていた俺も、時折補足した。
「…なるほど」
身動きせず、佇立したまま聞き終えた彼は、そう漏らす。
「全面的に、こちらに非があると、そういう事ですか?」
殺気ではない。
これは、怒気だ。
「……」
姉さんは、憮然とした表情を隠しもせず、黙ったまま。
その姿に呆れたのか諦めたのか、鼻から溜息をもらすと、初めて、彼はマルギッテとこちらの方を向いた。
「お騒がせ致しました。 本当に、申し訳ありません」
頭を、下げる。
「いや、姉さんの事はよく分かってるから…」
マルギッテは、呆けたまま。
俺は苦笑いで彼の謝罪に応じた。
彼が謝る必要は無いと思うのだが、やはりそこは、同門のケジメというものなのだろう。
「もっとも、勝負をふっかけるのを見たのは久しぶりだけど」
「…ええ、それが問題でして」
言ってから、彼は再度、姉さんを向く。
「対外試合は、固く、禁じられている筈ですが?」
正当防衛以外では、と付け加える。
「…仕掛けてきたのは、あっちからだぞ?」
口を尖らせる俺の姉。
小学生さながらの態度で反論する彼女は愛らしくもあり、だが弟としては情けない限りであった。
「挑発したのは貴女でしょう、というより、そうするよう仕向けたのでは?」
好対照に、直斗は姉さんの落ち度を的確に言い当てていた。
「……ジジイにチクる気か?」
日頃、祖父の小言に文句を垂らす姉にとって、それが一番の懸案事項のようである。
何か粗相をするたびに、山篭りを提案されるのだという。
この件が、クーラーの無い夏休み生活の引き金になる可能性が、無いことも無いのである。
「それは今、問題では無いでしょう?」
ぴしゃりと、瞬時に斬って捨てる。
普段の理知的な物言いに、拍車がかかっている。
これが、彼なりの怒り方なのだろうか?
「説教臭い事を、申し上げたくはありません。 しかし、明らかに今の一撃は、人を殺めるに十分なものでした」
使い物にならなくなった得物を、再び掲げて彼は姉さんに詰め寄った。
「川神院、次期総代の自覚を、お持ちください。 正式な仕合であればこそ、治療班も万全な準備でお相手の治療もできうるのです。 くだらない野仕合の為に、それもこんな時間に、門下生に慌しい手間をかけさせる者が、果たして川神を統べる者に相応しいのか、判断がつかない貴女ではない筈です!」
「ん…」
完璧にふて腐れた表情である。
ま、姉さんもきっと、わかっているんだと思う。
わかっているんだろうけれど…
そんな姉さんの苦しみを流石にわかっているのか、それ以上は何も責めるような言葉は並べず、次いだ彼の声は大人しげになる。
「先ほど、麻王総理からのご連絡が入りました」
「…ん?」
脈絡をぶった切った、報告だった。
「貴女と闘わせたい、という方々がいるそうです」
「……」
だが、無反応。
期待が、持てないんだろう。
この前の、なんたら兄弟が尾を引いているみたいだった。
「さる大国の、さる特殊部隊に属すると、聞いています」
「……ほう?」
だが、現金なもので、すぐに話に食いついた。
素直に、うまいな、と思う。
やはり一年も姉さんに付き合っていれば、扱い方に慣れるのだろう。
「麻王様には、俺も御恩がありますので、出来る限り、この申し出を破綻させたくはありません。 ですが、今の件が御本家に知れればどうなるか、おわかりですね?」
こくこくと、素直に頷く姉さん。
爛々と、目が輝いている。
「幸い、双方共に目立った外傷も無いご様子。 いらぬ不審を煽らぬ為にも、帰った方が賢明かと」
よろしいですか?
という確認を言外に匂わせ、首を傾けて、彼は提案する。
平和的な解決が、今、為されようとしていた。
「ダメだッ!!」
ここで、KY騎士である。
空気が読めない騎士様である。
―――そうだろうな。
心中で独白する。
一騎打ちだったのだ。
誇りを何よりも重んじる騎士娘が、このような中途半端な形で幕を下ろされる事など、腹に据えかねるだろう。
「これは、くだらない仕合などではない! 切っ掛けはどうあれ、これは互いの矜持を賭けた真剣勝負の筈だ! いくら矢車殿の言うことでも、自分は承服しかねる!!」
俺も、言い方に問題があった。
もとより、百代よりも先に、こちらと話をつけるべきだった。
礼儀としては、そうした方が良いとわかってはいたが、しかし、問答無用で百代が決着をつけに入るのも考えられたのだ。
否、正直に言おう。
あまりマルギッテとは関わりあいたくない、という気持ちが心底に澱んでいた事も、告白しよう。
「気分を害する物言いをした事、お詫びします。 ですが、これ以上続ければ、明らかに危険ですので」
毅然として言い張る彼女に、俺は誠意を込めて、話しかけた。
「決闘に危険も何も…」
当たり前だ。
「その、後の事です」
彼女の言を遮って、俺は言い募る。
「…え?」
「仮に、決着がついたとしましょう。 どのような結末になるにしろ、明らかに、敗者は甚大な怪我を負う事は確実。 …或いは勝者も」
かたや川神院次期総代、かたや現役の特戦部隊員なのだから。
もっとも、どちらが怪我をするかは、明白に思えるのだが…。
「以前行われた貴女と俺の決闘は、数少ない例外です。 決闘とは、本来、相手を打ち倒すまで行われるもの。 そうなると必然的に、その後の処置が問題となります」
生死を彷徨う怪我を負わないという保障はないのだ。
「ああ、そうか……」
大和は、俺の言いたい事を理解してくれたようだった。
まあ、百代に俺が言った事を考えれば、自明だろう。
「他の流派から、甘い、と思われるかもしれませんが、川神院は礼を重んじています。 相対する者への限りない誠意、敬意、感謝、或いは愛。 この気構えから、同門他門拘りなく、闘いによって負傷した全ての武芸者に対して、最速最善の治療を施す事を、院が祀る本尊に誓っているのです。 だからこそ、再度競おうとする敗者の発奮を促せる。 そして、そこからの練磨相克によって、武が更なる進化を遂げる。 そのような意図もあると、俺自身、総代に伺いました」
ちらと百代に目をやる。
武魔の顕現たる彼女は、これを無視する傾向が強い。
これが取り返しのつかない事態に陥っていたら、如何するつもりだったのか。
見守ってやってくれとも、先日、総代からそれとなく言われたばかりなので、こうして駆けつけられたのだが、まさか四六時中動向を見張るわけにもゆくまい。
「今、此処で決着をつける事は、満足を得るという益よりも大きな害、将来の好敵手を喪うかもしれぬという害を孕んでいる事を、自覚していただきたく」
この人は、その気になれば正拳ひとつで、確実に死を呼び込めるのだから。
「決闘を行うな、とは言いません。 やるなら、万全な状態でと。 そういう事です」
川神院で執り行えば、良いだけなのだ。
「俺からも、総代に、院にて正式に決闘が出来るよう、頼みます。 元はといえば、川神の手落ち、こちらの不手際。 ですからどうか、ここは矛を納めていただきたい」
両掌を合わせ、一礼する。
百代の為の連帯責任、というわけではない。
満足に百代の相手を出来ない、俺達の未熟も、この事態を引き起こした一因なのだから。
むしろ、この責は、俺たちが多くを占めるのかもしれなかった。
だが、未だクリスは納得できないようである。
「……真剣勝負にやり直しは無いと、こちらでは言わないのか?」
……ふむ。
彼女は口を尖らせ、尚も食い下がる。理は、あちらにも相応にある。
意地が悪いと、そんな事を彼女に言ってはならない。
一騎打ちとは、本来、不可侵が原則であり、それが最たる美徳であるからだ。
「…まあ、確かに、そうだよなあ」
百代が、そう言い放った。
薄ら笑いを浮かべながら。
……ダメだ。
これでは、また、元の木阿弥。
こんな深夜に迷惑千万ではあるが、治療班に来てもらうか。
そう、説得を諦めかけた時。
「あ、あの、クリスさん」
由紀江だった。
「ん? なんだまゆっち?」
「わ、私が、思うにですね、その…、この決闘はクリスさんが戦うわけでないなら、そそその」
「む?」
更にクリスは怪訝な表情を深めた。
歯に衣を着せる言い方に慣れてもいなく、またそれを全面的に善しとしないだろう彼女は、少々苛立ったようだった。
(へーい、クリ吉ぃ~。 まゆっちはな、ヤるヤらないはオメーが決めることじゃねぇよ、おととい来やがれ、って言ってんのさ~)
「な…」
騎士の頬に、この暗い中でもはっきりとわかるくらいに、赤味が差すのが見てとれた。
…へぇ。 あの引っ込み思案が、言うようになったものだ…。
これも、「風間ファミリー」のお陰なのだろうか。
未だ腹話術を通しているのは、この際、無視するとして。
今、松風を諌めている芝居も、この際、無視するとして。
「…ま、正論ではあるな」
待ち構えていたかのように、大和は同意する。
同じ事を、彼も思っていたのだろう。
「これがクリスの決闘だったら、しょうがないが、この決闘はマルギッテの問題だろ。 マルギッテに訊くべきじゃね? ゲンさん、どう思う?」
騎士から返される刺すような視線から逃れるように、顔を源へと大和は向けた。
「あ? 俺に矛先を向けんなメンドくせぇ。………俺の意見も、そう違わねぇが」
邪険な、しかし律儀な応答に満足したのか、大和はまとめに入った。
「ってことなんだけど、どう? マルさん?」
「……」
「…どう?」
「………ぇ?」
ようやく、反応が返ってきた。
しかし、様子はといえば、挙動不審の一語にすぎる。
「ッ!?」
すぐに、額を地に向ける。
ここまで、呆然自失、唖然の態を崩さなかった彼女。
そして、その瞳が俺の顔が映した直後に伏せられた事に俺は気づく。
それでも、俺は、忘れていて欲しいと願う事を、止める事は出来なかった。
むぐぐぐ。
自分、クリスティアーネ・フリードリヒの内心は、この四字で形容されるに事足りた。
この決闘は姉貴分、マルギッテ・エーベルバッハのものだ
それは、そうだろう。
だが、それでも、決闘には違いない。中途で断たれてはいけないものだ。
加えて、あちらからのアプローチをこちらが受け入れた形で開戦したんだ。それなのに、向こうの勝手な理由で打ち切られるなど、不敬千万。
絶対にオカシイと思う。
オカシイ事は、正されなければ、とも思う。
騎士として、否、それ以前に人として。
故郷の友も、こちらで新しくできた友も、自分は堅すぎる、もっと楽に考えろと言う。
隣の大和は、特にそうだ。毎回毎回、からかわれるたびに、このニュアンスの入った言葉を浴びせかけられる。
でも、譲れないものは、誰にだってあるだろう?
自分は単に、その範囲が、他よりも少し広いだけだ。
譲れないものを護る事、この行為に何を恥ずべき事があろう?
とりわけ、これは戦士の誇り云々の話だ。これを護らずして、何を護れよう?
だから今も、ああやって口を出してしまった。
思った事を、人の心情も考えずに言ってしまうのは、自分の悪い癖だと自覚している。それは、あの秘密基地での一件以来、幾らか改めようと努力している。
だが、どうにも、これだけは承服しかねた。受け止めかねた。
しかし、松風、もといまゆっちの指摘を受けて、気づく。
姉も、マルさんも、同じ気持ちだったのではないか、と。
否、勝負を汚されたのだ、きっと自分以上に、憤懣やるせない感傷の溶岩が、胸にとめどなく渦巻き、うねっているに違いなく、それを懸命にとどめているのだ。
大和の言葉への狼狽は、これが理由だったのではなかろうか?
…なんと。
自分はまたも、当人の気も知らずに、独り、脇目も振らず先走る真似を犯していたのだ。
だから、この実感から来たる、自らを恥じ入る気持ちが、冒頭の四字の呻きに集約されるのだった。
それをこれでもかと噛み締めて、自分はマルさんの回答を待つ。
きっと姉は、勝負の続行を、臨むだろう。
それだけは、確実。
「…ッ…」
そう。
確実だと、思っていた。
だが、マルさんの顔は、俯いたまま。
唇をかみ締めた横顔から伺えたのは、緊迫の様相。
「マルさん?」
お嬢様の困惑の声が聴こえる。
自分が信じられない。
まさか、ここに来て、ここまで来て、闘う事への畏怖の感を拭えていない自分に。
あれと闘う事を、熱望して、渇望して、そして…自分を認めさせる為に、十年近くの月日の間、身を砕いていたのではなかったのか?
打ち克つ決意を秘めて、この極東の地に赴いたのではないのか?
なのに何故、ここで躊躇する?
何故、存在を認めたその時から、身動きがこうも鈍るのだ?
そして、思い通りにならない体とは裏腹に、思考は巡り、巡る。
トラウマ。
脳細胞の演算によって究明された原因は、実に陳腐にして軟弱な精神疾患。
あの時も、月の映える夜だった。
あの時も、程よい満腹感の中だった。
あの時も、荒々しい憤怒を向けられた。
あの時も、矜持を守るために闘った。
この状況に符合する記憶が、ニューロンを駆け巡る。
そして、あの時、私は――――
「マルさん!?」
不意に、回想が途切れ、我に返る。
視界が揺れていた。
お嬢様が、肩口から軽く私を揺すっていた。
「お嬢様……」
護るべき者の揺れる瞳を見る。
そうだ。
逃げられない。
逃げてはならない。
彼女の前で、敵に背を見せる姿を、見せてはならない。
それに。
「そうですね…。 私、らしくない。 恐れるなど、私らしくない」
そう、私は猟犬。
誇り高き、至高の獣。
「…私は、決着を望むッ!」
両者とも、戦意高々の様子。
どうやら、怪我人が出るのは避けられそうもない。
わざわざ出張ってきた直斗には、とんだ徒労となるみたいだった
「……そうだそうだ、中途半端は悪いよな~♪」
姉さんは至極残念そうな顔で、至極喜悦が滲んだ口調だった
「…直斗、悪いけど、これ止めらんないみたいだわ」
心からの謝罪を行う。
「……治療班、呼びます」
庭の隅のほうに歩を進めながら、懐から携帯を億劫そうに出した彼に申し訳なさを感じつつ、俺は件の二人を注視しなおした。
だが、ここで、誰もが予想も出来なかった展開が待ち受けていた。
「勘違いするな、川神百代」
「…何?」
「言った筈だ。 お前より、優先する者がいると」
何かの儀式じみた仕草で、カチカチと両腕に具された旋棍は撃ち合わされた。
マルギッテは息を大きく吸い込んだ。
まるで庭中の空気を、失くしてしまいそうな勢い。
そして、カッと目と口を開け拡げ――――、
「(立ち合えぇッ、矢車直斗ォッ!!!!)」
振り絞るような気合が、弾けた。
―――――――――――――――――――――――――
ここまで読んでくださり、感謝感激雨霰です。
そして、皆さんに質問と言うか…
現在、マジ恋ドラマCDの購入に迷ってます。
一応、マジ恋関連資料として、マジ恋(初版)と付属した小冊子、一迅社から出てるライトノベル全巻、あとマジキュー四コマの一巻を所持しています。
ドラマCD欲しいと言えば欲しいのですが、単価3500が五枚ってwww
楽々ほかのエロゲが二、三本買えるという…。
ちなみに中古は買う気しない。
…なんか風の噂でモロの髪の毛のヤツがキモイとか何とか。
購入された方、いらっしゃったらご意見、頂きたいかなと。
感想板に、ドシドシ、くださーい、お願いします!
いまひとつだったら、リニューアル版の鬼哭街が面白そうなんで、そっち買おうかな…