『経営者は、常に死を覚悟して、しかも常に方向転換する離れ業を心に描ける人でなければならない。』
―――松下幸之助
5月15日、朝のホームルーム前。
S組ではいつもの如く、一人の男の高笑いが響く。
「フハハハハハ!! 我、降・臨!!!」
ギンギラギンにさりげなくない、貴族のような衣服を身に纏う男が、まさに着席しようとしていた。
傍らにはいつものように、かのメイドが控えている。
「おや英雄、おはようございます」
小学校以来の友である冬馬は彼に微笑む。
「うむ、今日も元気そうで何よりだトーマよ!」
「珍しいですね、ホームルーム前に来れるとは」
「いやなに、かねてより言っていた大口の商談が予想より早くまとまってな。姉上と共同で進めていたことが幸いしたようだ」
九鬼家において一際商才に抜きん出たものを持つ九鬼家長男、九鬼英雄は満足そうに胸を張って答える。
大口の取引とは、先月言っていた、九鬼製ロボットの開発及び輸出関連だろうと冬馬は想像した。
軍事、警備用に転用できる物であれば、彼の姉であり、九鬼財閥軍需鉄鋼部門統括者たる九鬼揚羽が一枚噛むのも想像に難くない。
元々プロトタイプを一子殿に作って進呈したことも上手く働いたようでな、と独り言を言い、英雄はハッとする。
「いかんいかん、ここはもう神聖なる学び舎。いかに世界に冠たる九鬼家に名を連ねる我が多忙であろうとも、ここで仕事の話は些か無粋であったな。許せ我が友」
と大仰に言う。
「いえいえ構いませんよ」
その反応を見た英雄は、後ろに控える従者を呼ぶ。
「ふむ、では、あずみよ!」
「はい☆なんなりと申し付けくださいませ!!」
混じり気のない笑顔で、忍足あずみは即座に答える。
「我は今からF組へ、一子殿に逢いにゆく。供はいい。貴様も激務で疲れているだろう。その間、休め」
それだけ言うと、英雄は教室の出入り口へと向かってしまった。
「…了解いたしました! 英雄様ぁ☆」
あずみは甲高い声を張り上げる。
ルビを読めたのは井上準だけであった。
そして、主が教室を出た途端、態度が横柄になるのは毎度のことで。
幾秒かかけて、大儀そうに自席に座ると、顎をしゃくって言う。
「おいハゲ、ちょっくらなんか腹に入れるもん買ってこいや」
今更ながらメイド服のスケ番って斬新だと、内心苦笑いでハゲこと井上は答える。
「……あのー、なんかって何すか?」
「なんかはなんかだよ、このクソ坊主、耳腐ってんのかコラ!? あ、でも気に入らん奴だったらテメェ半殺しだからな」
「ウーッス!!」
ちょっとしたキッカケで刃物が首に当てられることを熟知しているので、売店開いてっかなー、と考えつつ、急ぎ教室を出ようとする。
すると、先ほど出て行った、かの主が戻ってくるところに鉢合わせ。
「あれ、英雄、随分早いお帰りだな」
「ん、ハゲか? 貴様こそ、もうすぐホームルームだというのに廊下に出るとは何事か」
「ん、い、いや何でも」
てめえんとこのメイドのせいだよとは口が裂けても喉が裂けても言えず。
「おやおや、その様子だと愛しの彼女とは逢えなかったご様子で」
助け舟も兼ねて、冬馬も会話に加わる。
「うむ、一子殿はトレーニング中であったのでな。邪魔は出来まい。見ているだけでも我は癒されるのだが、なかなかに邪魔な庶民共が多くてな」
「殲滅いたしましょうか☆」
主が返ってきた途端、これである。
井上としては、使いが無くなって一安心なのだが。
「たわけが! 愛すべき庶民に対しそのような真似、王道を行く者として為すべき事ではまったくないわ!!」
「申し訳ありません英雄様、かくなる上はこの腕一本で、お許しを!!」
あずみは左腕の関節を外そうとする。
「いや構わん、少しとはいえ、一子殿の姿を見た我は多分に機嫌が良い。不問に致そう」
「いえ、それでは私の気が治まりません!!」
そう言って、ボキンッッ!!という音と共に、だらりと彼女の腕は床に向かってぶら下がる。
その姿を見て、主人は焦るどころか褒め称える。
「ふむ、その姿、正しく我がメイドとして相応しい。褒めてつかわす」
「身に余るお言葉でございますぅう☆」
朝から、濃い。胸焼けしそうだ。
机に黙って向かう者達、競争原理の体現とも言えるS組の大部分の心は、こういうしょうもない場面で一致するのであった。
<手には鈍ら-Namakura- 第十四話:富豪>
昼休み。
俺は教室で、慎ましく弁当を食べている。
made in KAWAKAMI。味付けが濃いのはしょうがないとしても、なにぶんタンパク質に偏った弁当なので、売店でサラダを買って加える。食育、食育。
ゴールデンウィークもとうの昔に過ぎ去り、俺は学校生活を、それなりに満喫している。
クラス全員と言葉を交し合うくらいには、溶け込んでいるつもりだ。
本来の目的を疎かにはしていないが。
なにやら隣の女子連中は、好きな異性のタイプについて話しているようで。
「クリスの好みってさ、どんな男なの?」
色恋沙汰には目も耳も無い、小笠原さんが訊いていた。彼女の親友であるF組学級委員長、甘粕真与さんもそれには興味がある様子。
「うん、自分は信念を持っている男だな。例えば、大和丸夢日記の大和丸のような」
クリスこと、クリスティアーネ・フリードリヒは、綺麗な日本語で澱みなく答える。彼女もまた、クラスには俺に以上に溶け込めていて、なんと由紀江と同じく風間グループの仲間となったらしい。
勿論、あのメンバー以外ともよく話し、小笠原さんのことはチカリンと呼びかけるほど。
学校で見る限り、美少女で、努力家で、強くて、誠実で、人当たりがよくて、社交性があって、と世の女性達の大半が羨ましがるほどの高スペックを持ちつつも、自分に驕る所がない姿勢に、あの決闘以来、俺は並以上の好感を持つようになった。
これが恋か、と言われれば、それはまた別の問題であるのだが。
そんな彼女にも欠点があるようで、その融通の利かなさを大和を始め複数にからかわれていたりもする。それに怒ったり恥ずかしがったりするところが、これまた可愛いので始末に終えない。
父親が怖くて大っぴらになってはいないが、ファンクラブなるものも作られている様子。
「その大和丸夢日記がわかんねぇよ」
とクラスの、なんというか、黒一点である羽黒黒子。
悪役プロレスラーの娘である彼女は、その外見に違わず中身も…。という感じで。
毒を周囲に撒き散らす。
「あら、大和丸は面白いわよ。羽黒も見てみたら?」
「おお、知っているのかチカリン!」
などと花の女子学生は話す話題に事欠かぬご様子。
学校の休み時間でもイメージトレーニングに精を出す一子も、それを終えて仲間に入り、更に華やかに。
そして、もっと華やかな奴がやってくる。
「フハハハハハ!! 我、降・臨!!!」
九鬼財閥の御曹司にして、その商業部門を束ねる大富豪、九鬼英雄その人である。
「おお、一子殿。名も無き、か弱き平民の中にあっても、貴女は相変わらず、なんという輝きを放っているのだ!」
多分の例に漏れず、彼もまたこの学園で濃いキャラの一人。俺が、F組以外の連中で一番早く名前を覚えた輩でもある。
「ア、アハハ……」
一子は愛想笑い。
週に最低一回は、愛の告白を受けている彼女は彼がとても苦手らしい。
まあ、得意な奴など見たことが無いが。
「放課後、我も一子殿のトレーニングに付き合おうと思うのだが、どうか?」
彼は、そんな彼女の心情など露知らず、話しかけ続ける。
「あ、う、気持ちは嬉しいんだけど。その。別にそれ、いいよ。独りでできるし……」
「ふむ? 時々そこの庶民達が手伝っているではないですか?」
毎度毎度、断られてんだから、少しは察しろよお前。頭も良いんだから。
「なんでしたら、九鬼が世界に誇る、最高最強豪華絢爛なトレーニング施設へご案内しましょうか?」
いやいや待遇の面じゃなくてだな。
「いやそんな。トレーニング施設だなんて。アタシは山1つあればその中で十分学べるし」
どこの宮本武蔵だよ。と心の中でツッコんでみる。
まあ否定はしないけど。
「なんと、自然が師……。素敵だ! 貴女の視線を独占したい!!」
うわぁ。
これホンモノだよ。
「おーい、ワン子。用事あんだろ? さっさといってこい」
たまらず直江大和が、一子に言う。
この場合、用事というのは嘘であろうが、こういうときの気配りは流石。
「え、ないよ?」
惜しむらくは、彼の意図に気づけない、彼女の天真爛漫さか。
こういう正直なところ、誠実なところは、武術を習うにおいてとても大事だと思うから、俺は責められない。
「おい、九鬼ィ、人のクラスでギャーギャーうるせぇ」
やり取りを見てられなくなったか、一子との付き合いが最も長い、源忠勝が発言する。
彼を口火に、その他男子からも声が上がる。
一子の、今述べた純真さが、クラスの男子に深く受け入れられている証拠でもあった。
彼女を好いているのは、英雄だけではない。ということだ。
まあこんなことで、めげるような男でもなく。
「黙れ平民共。 我がいつ、発言する権利を与えた?」
間髪を入れず、彼は吐き捨てる。
こういう挑発にのせられる馬鹿が、この馬鹿クラスに沢山いるのは自明であり、その代表格が立ち上がる。
英雄にとって、挑発している意識はないのであろうが。
「なんだ喧嘩売ってんのか? 俺様が買ってやろう」
相変わらず、親子そろって血の気が多そうである。
両腕を頭の高さまで上げ、ボキリボキリと指を鳴らす。
……それ、あんまり関節によくないんだよと、川神の内弟子としては教えたくなるが、そんな空気ではなく。
「フハハハハ。 その無謀さは逆に愛しいな、庶民!」
だが対する彼は、このように暴力をチラつかされても、一切、自分の権力で相手を威圧しようとはしないのである。
それが、誰も彼を心底憎もうとしない理由の一つなのであろう。
民を統べる王である、王であり続ける姿勢には、俺も素直に感心できる。
「九鬼クンさあ、ワン子困ってるじゃん」
一番効果がありそうな台詞を、小笠原さんが言った。
「何! それは我も困る。 なれば一子殿、愛らしいお顔を見れて、我は十分、今日の激務をのり切る活力を頂きました。 そして我は、貴女の夢をいつでも、いつまでも、応援しています。 何かあれば是非、是非に、我を頼ってもらいたい!!」
「あ、う、うん。 そのときはよろしくね」
一生来ねぇよ。
そう、クラスの総意がまとまった瞬間だった。
「なれば、庶民共、さらば」
風間が疾風なら、彼は台風であった。
―――ピンポンパンポン~♪
九鬼英雄の、恋のから騒ぎから数分後。
教室に備え付けのスピーカーから、放送が入る。
今日、校内ラジオは機材調整で休みのはずだが。
(二年F組、二年F組、矢車直斗)
……何この衆知プレイ。もとい羞恥プレイ。
勘弁です、小島女史。
まあ、音声はこの教室からしか流れていないから、大したことではないのだが。
(例の用件で、相談がある。至急、職員室に来るように)
好色二人組が湧き上がる。
「おいおい、なんだなんだ例の用件って」
ニヤニヤと筋肉。
「エロスの匂いがするぞ~!!」
ムラムラとサル。
「……たぶん、進路関係のことかと」
俺は努めて冷ややかに返す。
「へ、黛流当主とでも書いたんじゃねぇの?」
まだ茶々を入れるかこの筋肉。
黄金週間から、風間ファミリーからそのネタを言われ続ける毎日。
……ほんとに、何もねぇですよ?
「……俺は普通に就職です」
その言葉に、それなりに反応する人は多くいて。
「え? 直斗くん、卒業したら、川神院出ちゃうの?」
その筆頭が、川神院師範代を目指すと、真っ先に進路を決めた彼女。
「ええ。 いつまでも居候同然の生活は流石に」
さらりとかわす。
「じゃ急ぎますので」
逃げるように、駆ける。
九鬼英雄はF組へと再度、踵を返していた。
ぬう。 しまった、我としたことが。
一子殿の愛らしさで、前後不覚に陥っていたようだ。
いや、彼女に非は、一ミクロンほどもないのだが。
彼女を訪ねた本題は別にあったというのに、すっかり呆けていたわ。
愛しき一子殿に贈った、クッキーについてである。
このたび、かの大国との取引が相成って、クッキーに用いられている、九鬼が誇る最先端技術の提供協定が結ばれた。
プロトタイプとはいえ、戦闘能力は計り知れないものがあるあのロボットが、万が一にも他国、他企業の産業スパイに盗まれでもしたら、商談はご破算。我は姉上に大目玉を食らってしまう。
我が目玉を喰らうくらいで済むのならまだ良いが、この商談の失敗は、他国で九鬼の技術が流用され、戦場で多くの兵士が、より多くの鉛玉を喰らう可能性にも直結するのである。
王として、そのような事態など全くもって容認できるはずもなく。
商談が正式に成立するまでの一ヶ月の間、あのロボットをメンテナンスも兼ねて預かろうと、その許しを得るために我は来た道を戻る。
むう。 なんという時間の無駄であろうか。 我とあろうものが、情けない。
しかし、この件は代わりの者に任せるわけにもゆくまい。
そしてF組の門戸を開こうとした、その時。
勢いよく出てきた、白髪の輩と接触。
「ッツツ!」
激務の中でも続けている体幹トレーニングのおかげで、無様に転げることはなかったが、それでも尻餅をつくという、ここ五年の中で最大級の失態を公然の場でみせてしまう。
不覚。 その一語に尽きる。
そう思い、更に、我に膝を折らせるとはどんな輩だと、向かい合う者を見る。
「も、申し訳ありません! お怪我は!?」
思いのほか滑らかな丁寧語と、すぐに自らも足を折り、我と同じかそれより幾分低い目線で、しかと我の両眼を直視して言葉を紡ぐ姿勢。
こやつ、落ちこぼれのF組であろうに。
「……いや、どうということはない」
悪態の一つでもついてやろうと考えた自分が愚かしくなるほどだった。
立ち上がり、幾分埃がついたベルボトムを払う。
「次は、ないぞ」
「……本当に、申し訳ありませんでした。全面的にこちらの非です。何かあれば、すぐにおっしゃってください」
「どうということはないといったであろう」
「そう、でしたね、すみません。 あ、では急ぎますので、これにて」
御免。
時代錯誤の武士のようにそう言うと、その者は駆けていった。
気を取り直して、教室に入る。
周囲の雑音がなかなかに多いが、庶民共にも苦労することはあるのだろう。
その不満の受け皿になることも我が務めとわかっているが、今は他にやるべきことがある。
「たびたび訪ねて申し訳ない一子殿!! 先ほど貴女を訪ねたのには訳があってだな」
うむ、やはり彼女は、有象無象の中で、一際輝いておるわ。
「ああ、そういうことなら」
また来たのか。と脱力するのもつかの間。
今回は、それなりに真面目な話で。
「できれば今日のうちにでも引き取りたいのだ。 無論、メンテナンスも完璧にしてお返しいたす。 なんなら新しい装備もお付けして…」
「そんな、いいよ。 今のままでもとっても役に立ってもらってるから」
風間ファミリー(特にキャップ)のな。
「そう言って頂けると、プレゼントした我も天にも昇る心地です。 では夕方、いつも貴女が鍛錬している河原で待ち合わせということで、よろしいでしょうか?」
「ええ、クッキーをよろしくね?」
笑顔をワン子は振りまく。
「はい! 全身全霊をもって、九鬼のスタッフが磨き上げておきます!!」
はいはい。
じゃ、お気をつけてお帰り。
彼は大仰に別れの挨拶を愛する彼女に済ますと、踵を返そうとするが。
「……そうだ、直江大和、」
いきなり話しかけられた。
「何か?」
「そこの空いている席の主は、白髪の者か?」
俺の、斜め後ろ、ゲンさんの隣の席を、奴は指差す。
直斗のことか?
「ああ、そうだけど」
「いやなに、先ほどそやつに会ったのだが、あまり見かけぬ顔だったのでな」
「ああ、矢車クンは転校生だから」
小笠原さんが、何気なく言う。
奴の目が、心なしか細まる。
「……今、なんと言った?」
「え?」
「ヤグルマと、そう聞こえたのだが」
「う、うん。矢車直斗クン、だけど……、知り合い?」
王に威圧され、少し彼女は戸惑いつつ話す。
俺も、話しかけようとすると。
王は教室から、忽然と消えた。
その知覚から遅れて、荒々しく閉められたドアの音を聴いた。
玄関へと急ぐ。
申し訳ないティーチャー宇佐美。
民への示しとならぬが、一身上の都合により、我は早退する。
「あずみぃぃい!!!!」
最も忠実たる従者を呼ぶ。
「ハッ!! お呼びでしょうか、英雄様!」
即座に真横に現れた。
「学校は早退するッ! 我は今日の予定を五時までに全て終わらせる」
「はい! ではそのようにスケジュールを組み直しますが、いかがなされたので?」
「本題だ」
人力車の元へ急ぐ。
「ヤグルマ・ナオトなる者が、二年F組にいた」
「……ッ、そ、それは!?」
そう、一大事だ。
「灯台下暗しとはよく言ったものよ。 まさか一子殿のクラスにいたとは。 しかし、同性同名ということも考えられる」
むしろ、そうであってほしいとの心が、少なからず我が胸にある。
「……わかりました。 では早急に、五時までに報告を」
良い従者を持ったものだ。
「話が早くて助かる」
「いえ、では、いつもより速度を上げさせていただきます!!」
「うむ!!!」
人工島、大扇島の九鬼財閥極東本部へ向かい、人力車は文字通り、爆走する。
五時までに、我も覚悟を決めねばな。
主のそんな呟きが、従者の耳を撫でる。