『戦いは最後の五分間にある。』
―――ナポレオン
学長が、号をかける。
刹那、両者は駆け、交差し、互いの獲物を互いの獲物で受け流す。
俺はまあ当然として、レイピアで太刀を受け流すとか。やはり尋常で無い技量。
器用さ、センスは一子より上と見た。
急ぎ反転し、一呼吸で距離を詰め、クリスより一瞬速く攻めの手に転じる。
後の先、これはどの武術でも基本であり、極意。
問題は、何処からを後、とするかである。
言葉を発する余裕は無い。
そんな余力は全て、振るう刀に乗せる。
袈裟懸け、からの連撃。
……どう、避ける?
川神院の者と聞いて、並みの武芸者ではないと思ったが、やはりその予測に塵ほどの間違いは無く。
初手の刺突が、牽制の意味も成さない。
振り返れば、すぐに次の斬撃が向かってきた。
相手の男は、女性だから手加減する、等という甘い根性は持ち合わせていないようだ。
感謝する。
これで自分も、全力を出し切れるというものだ。
袈裟斬りを、左半身を逸らす事で回避。
そのままカウンターを喰らわせたかったところだが、その衝動を理性で押さえつける。
それに、相手はまだ、その隙を見せない。
続けて足元への横薙ぎ。
バックステップで距離をとる。
かぶりを振って、時代劇の殺陣のイメージを払拭する。
慎重に、彼を見極める必要があった。
<手には鈍ら-Namakura- 第十一話:決闘>
仕合開始から二分。
彼らから十メートルは離れた場所で、風間ファミリーは賭けの胴元を兼任しつつ、観戦していた。
「おー、はじまったな弟ぉ」
後ろから姉さんが、俺の肩に手を回す。
先ほどは、*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)n゜・*:.。..。.:*、などとシャウト。
訳:上、玉、キター
人を、舶来物扱いは無いと思った。
「ッ!? ……解説、願います」
間近に来た端正な顔と、鼻腔をくすぐる香りが少々、胸の鼓動を慌てさせる。
べたべた触れ合うのは日常茶飯事だとはいえ、中学の頃からは、なかなかに気恥ずかしい気持ちが湧き上がり始めた訳で。
「そうだなー」
少し唸ってから、姉さんは語り始める。
「とりあえず、どっちも様子見。 ……カウンター狙いに徹してる、かな~?」
「え、そうなの?」
ワン子も聞き耳を立てていたのだろう。
こちらを意外そうな顔で振り返る。
俺も、そうは見えなかった。 というのは直斗が積極的に攻め続けているよう思えるから。
ワン子、お前なら多分、見極められるだろうが、と姉さんは前置きする。
「直斗は三つの連撃のみを、組み合わせている。 だから連撃の継ぎ目に補いきれない死角、隙がある」
たるそうな顔に似つかわしくない鋭利な眼は、彼らを捉えて離さない。
「剣術は、無手と違って攻撃後の隙が多い。 ……手数が半分になるからな。 それを無くそうとするのが連撃や眼力、足捌き。 だがこれにもクセがある程度は出る。 多分、金髪の方は、これを探って今は凌いでいる。 次手を予測して、その隙を突こうという魂胆だろう」
「……軍人の娘ともなれば、その傾向はあるかもね」
相槌を打つ。戦術も戦略も、実は似たり寄ったりなのかもしれない。
「直斗は、更にこれを予想しているな。 カウンターにカウンターで返すつもりだろ。 だから無理に隙を作って誘っている。 まあ無論、自分に隙がある事は判っているから本当の意味での隙ではないが……。 あいつは性格からか、本来なら、もう少し丁寧に切り結ぼうとする」
「……ねぇ、お姉様?」
「なんだ、ワン子?」
「そんなまどろっこしいことしないでも、勝てると思うんだけど」
怪訝そうに、妹は姉に問う。
「……そうだな。 もう、お前には八割方勝てるし…」
「あうぅ、言わないでよそれ」
「力押しでも何とかなると思うんだが、なーんかあいつ、難しく考えすぎなんだよな。 力に自信がないっていうか。 ……この勝負は当然、勝てるとして」
溜息をついて、ガシガシと頭を掻く。
大きく期待しているからこそ、表情は明るくないのだろう。
先ほどの足薙ぎへの回避反応で、どうやらフェンシングのなかでも「伝統派」のほうを習っていることに当たりをつけられた。
だからといって、有利になるわけでもないが、「スポーツ」のフェンシングの有効打突部位以外を狙っても、反応速度は同じ。という事を理解するに及ぶ。
―――安易に仕掛けたら、即、やられるってわけだ。
「伝統派」は字の如く、古来からある、護身あるいは公式の決闘の手段としてのフェンシングを探求するもの。勿論、スポーツでの有効部位などは関係ない。
FIEっていう連盟が作られて、これとスポーツとしてのフェンシングが分断されたって話だ。
豆知識はともかくとして、さてさて、どうしたものか。
攻め続けて、もう三分は過ぎただろう。
なかなか隙を突いてこないとこをみると、勇ましい性格とはいえ、戦闘に関してはかなりの慎重派と見受けられる。
戦士、兵士向きの女性だ。 やはり、フランクさんの娘。
ま、こちらはこのまま待つのみなのだが。
大体の太刀筋は読めてきた。後は見切った隙に的確な攻め手を入れるだけ。
初手と同じ袈裟懸けが、来た。
ここで必ず決めてみせる。 騎士として。
避ければ次には足薙ぎが来る。 それを避けて突きを繰り出せば終わりだ。
こころなし、間合いを詰めつつ袈裟懸けを避ける。
やはり、次手は足薙ぎ。
今度は先ほどと違い、前に踏み込み、かつ跳んで回避。
地面に向かって顔は俯いており、前傾姿勢かつ両手で刀を振りぬいた体勢は、無防備。
慣性に従い、急速に体は相手に近づく。 狙うは、頭部。
―――そのまま、上から刺し穿つッ!!
「ハァッ!!」
このとき、クリスが足薙ぎを避け切った時点で、その眼を太刀から離していなければ、勝負はまだ、わからなかった。
確かに足薙ぎを、直斗は繰り出した。
だが、それは先ほどとは異なる点が一つ。
―――振りぬいた剣を握っているのは、右腕のみ。
袈裟懸けを前に向かって彼女が避けたところで、何かしら、これまでと異なるリアクションが来るとは思っていた。
前傾姿勢のまま、顔を上げる。
俺は、宙に浮く白点を、真正面からレイピアの切先を、見た。
だんだん、だんだん、それは大きくなる。
迫り来る剣尖が、米粒大から小指大の大きさになった刹那、胸の下に隠していた左手を眼前に伸ばす。
何処から、そして何処に、突きを繰り出すのかが判れば、後はタイミングの問題。
迫り来る迅雷の刺突、正面から受け止めるは愚の骨頂。
瞬時に左手でレイピアの腹を右上方へ押し、左に首をウェービング。
若干たわんだレイピアの切先は、恨めしげに唸りをあげ、俺の右耳数センチ横を通り抜ける。
レイピアとの摩擦で手は火傷しそうだが、構ってはいられなかった。
この機は、逃さない。
―――チャキィッ!!
すかさず刃を返し、右腕の全神経、全筋肉を総動員し、切り上げる。
「しャぁあッ!!」
彼女の首元へ。
「勝負、有りじゃの」
学長が、そう言うのが聴こえた。
「勝者、矢車直斗!!」
幾らかのどよめきの後に、歓声が響く。
クリスティアーネ・フリードリヒは、思わず閉じていた両目を開いた。
冷や汗で首筋が嫌に冷たいと思っていたが、それは首の左に当てられた刀が纏う冷気も影響しているのだろう。
「……完敗だ」
本当に悔しいが、渾身の一撃を、あのように捌かれては。
言い訳も無い。ハンデもなにもない勝負だった。
「いえ惜敗、或いは遊びでなければ、あなたの勝ちです」
刀を腰元に納めつつ、向かい合う彼からはそんな返答が返ってきた。
情けは無用と、言おうとすると。
「レイピアは基本的に突きしか攻撃手段がありません。 ですから、ああいう芸当を試そうとも思ったんです。 しかし模擬剣でなく本物であれば大抵のレイピアの側面も良く切れる。 死合であれば実力からいって、こちらが負けていました」
「……いや…しかし、肉を斬らせて骨を断つ覚悟なら、結局同じことなのでは?」
その返答に、彼は苦笑して眉を寄せた。
「そう言いたい所なんですが……、残念ながら、俺は真剣を相手にした事が無いので、恐らくは、焦りと痛みで捌き切れずに終わるかと」
未だ修行中の身、未熟であります、と結んだ。
仏門に入っているような物言い。だが不快ではない。
負けはしたが、気持ちの良い立ち合いだった。
「……相手をしてくれて感謝する。 これからよろしく頼む、矢車殿」
「はい。 ――新入りの俺がいうのも変ですが、歓迎いたします。 クリスさん」
―――父様、自分は早速、真の侍に会うことが出来ました。
互いの剣を互いの首と交差させた姿は圧巻の一言。
キャップは横で、スゲースゲーとはしゃいでいる。ガクトはその隣でパンチラパンモロと叫んでいる。
「姉さん、予想通り?」
顔だけ動かして姉に問う。
「ん、まあな」
あれくらいやってくれんと、とでも言うような顔で返してきた。
「やっぱり、川神院は伊達じゃないってことよ!」
無い胸を張って、ワン子が自分の手柄のように言う。 やはり、闘えなかったとはいえ、同門が勝ったのは素直に嬉しいみたいだ。
「……ワン子、お前は少しは焦った方がいい。 直斗もそうだが、あのカワユイ金髪もお前より一、二段上だ。 師範代を目指すなら、あれらには当たり前に勝たないとマズいぞ? ……ま、より一層鍛錬を頑張る事だ」
少し影の入った顔でそう言って、姉さんはさっさと校舎の中に戻ってしまった。
「う、も、勿論よ。 お姉様っ」
姉の背に向かって、どもりながら、妹は答える。
「ワン子……」
話しかけた。 少し姉さんの言い方がキツイ気がしたからだ。
「あはは、へーきへーき。 それに、この頃のお姉様、ちょっと調子悪いってわかってるし」
少し、困った顔。
「……やっぱり、ストレス溜まってるのか」
好敵手だった九鬼揚羽さんが、武道の第一線から退いた時から、姉さんは満足のいく戦い、仕合に恵まれていないらしい。
戦いがサガ、バトルマニアの姉さんがそれに我慢し続けられるのも時間の問題みたいだった。
「うん、なんか不完全燃焼気味な戦いが続いてる感じ。 そのぶん直斗くんに結構期待してるみたいだけど、今のレベルの仕合を見ても、あの反応じゃ、多分満足してないのかも……」
「……ルー先生とか学長が相手することはないの?」
「ルー先生、一応ここの教師だから忙しいみたい。 アタシの特訓にも付き合ってもらうことも多くて」
「じゃ学長は?」
「うーん。 おじいちゃん、この頃あんまり戦おうとしないのよね? お姉様相手に限らず」
「昔は結構、姉さんの相手してたけど」
ヤンチャをしたら半殺しだと語っていた、幼い日の姉さんが、フラッシュバック。
「そうよ? 中学入るか入らないかくらいまでは、かなりしごいてたけど、段々目をかける事も少なくなって、最近は全然。 もう最後の仕合から何年ー、ってくらいになるかも。 昔教えを乞いてた人、釈迦堂さんっていうんだけど、その人も破門にされちゃって行方知らずだし、挑みに来る他流派の人達も相手にならないし、そろそろ自分から世界を回ろうかなんて、たまに言ってるわ」
それは何回か聞いたことはあった。 ……その度に熱烈なスキンシップを迫られ、されるがままに受け入れているが。
「この頃、甘え方が尋常じゃないしなぁ」
スキンシップが激しいものになればなるほど、欲求不満度が高いことは今までの経験上、理解していた。
少し考えなければならないのかもしれない。仲間として。舎弟として。
風間ファミリーから真逆の位置で、学園内女子人気No1の男とその取り巻き二人が観戦していた。
「ひゃー、朝からなかなか激しいモンだったなぁ、若?」
その取り巻きの一人で、数十メートル先からでもその輝きは衰えないだろうスキンヘッドの男、井上準は傍らに話しかける。
「そうですね、準。 二人とも転校生ということで、とりあえず見に来ましたが、あれほどの決闘を見られるとは思いもしませんでした。 …英雄も誘えばよかった」
色黒の肌に、女受けする中性的な顔立ちの主、葵冬馬は答えた。
「しょーがねぇよ。やっこさん、川神の決闘じゃないと来ないだろ? つか、今日も遅刻だろうに……。 ま、それにしても金髪の子、あと七、八年前に会ってたらどんなに良かったか。 まったく、神も仏もねーぜ」
「相変わらずですね、準は。 というか、その髪型でその台詞はなかなか皮肉が利いてますよ」
「若だって、あの矢車っていう奴、ガン見してたじゃん」
「ええ、あれくらい鍛え上げられた体が好みですしね。 顔のルックスもなかなか」
今にも舌なめずりしそうな表情であった。
「一応、そっちの趣味は学園じゃ自重しとけよ」
「……ええ、努力します」
目を瞑りながら、尚も怪しげな微笑。
しょうがないねこの主人は。と苦笑いし、もう一人の従者に井上は顔を向ける。
「ってかユキ、お前さっきから黙ったままじゃん。 どうかしたか?」
「うーん、あの白い人さー」
その名の通り、雪のような白さの長髪を持つ彼女、榊原小雪は指を差して続ける。
「僕の生き別れの兄だったりして♪」
そしてウェイウェイと踊る。
「……おいおい。 ま、確かに髪の色は似てっけどよ」
「ユキ、彼に興味が?」
「うん!」
内心、葵は驚いた。
彼女が、自分から他人に興味を持つ事は、これまでに無かった事だったからだ。
普段なら、べっつにーなどと答える所である。
ただ、彼女の生い立ちから、兄弟姉妹がいないことは判っていた。
「ふむ」
「若?」
「いえ、楽しい新学期になりそうだと思っただけです。 戻りましょうか?」
「…あいよ」
校舎へと彼らは並んで足を運んだ。
今日も今日とて仲良し三人組は、共に同じ道を歩む。
それが、どんな道であろうとも。
件の彼との出会いが、自分たちの未来をまるっきり変えてしまう事など、露ほども知らずに。